結局、田辺先輩は陸上部についてなにも処分することないまま大会当日を迎えた。その間、生徒会長はもちろん、生徒たちから非難や処分を求める声が続いたけど、田辺先輩は涼しい顔で惰眠を貪る始末だった。

 大会当日、田辺先輩に誘われて陸上競技場にやってきた。なんでも、今になって急に赤坂先輩に処分を下すことにしたという。私には田辺先輩がなにを考えているのかさっぱりわからなかったから、もはや一種のデートだと思いこんで田辺先輩と二人の時間を楽しむことにした。

 競技場のスタンドは応援にかけつけた人たちで溢れていて、朝から晴天の中で暑さに負けない歓声を響かせていた。

「花菜、悪いけど赤坂を探すぞ」

 スタンド内を見渡していた田辺先輩が、時計を気にしながら指示してくる。とはいえ、赤坂先輩はあの騒ぎの後から陸上部に顔を出していないみたいで、今日も来ているかわからなかった。

「必ず来ているさ。でも、おそらくスタンドには来ないだろうから、ここに引っ張ってくるのが最後の仕事だ」

 私の懸念を見透かすように、田辺先輩がまくし立ててきた。普段、慌てることとは無縁なだけに、ちょっとだけ焦ってる田辺先輩からは並ならぬ気迫みたいなものが伝わってきた。

 場内アナウンスが進行を告げる中、競技場内を手分けして探し続けた結果、リレーが始まる十分前にスタンドの外に隠れるようにいた赤坂先輩を見つけることができた。

「赤坂先輩!」

 一人顔を伏せた赤坂先輩に声をかけると、赤坂先輩は驚くと同時に深々と頭を下げてきた。

「田辺先輩が探してましたよ」

「田辺君が?」

「はい、なんでも処分としてスタンドに連れていきたいそうです」

 私自身、田辺先輩がなにを考えているかわからなかったから、うまく説明ができなかった。それでも、赤坂先輩はなにかを感じとったらしく、小さく首を横にふり続けた。

「倉本さんには悪いけど、私にはみんなの前に顔を出す資格はないんです」

 やはりというか、予想通りの答えが返ってきた。赤坂先輩のやったことを考えたら仕方ないし、実際にスタンドに足を運んでいない以上、赤坂先輩の決意は固そうに見えた。

「赤坂!」

 どうしようかと迷っていたところに、田辺先輩の怒声が聞こえてきた。見ると、額に汗して息を切らした田辺先輩が鬼の形相で近づいてきていた。

 ――ちょっと、なんか怖いんですけど

 見たことのない田辺先輩の表情に気後れしながらも、そこまで必死になっていることが逆に気になってきた。

「赤坂、行くぞ」

「ちょっと待って、田辺君、私にはみんなの前に出る資格はないよ」

「そんなことはどうでもいいんだ。とにかく、赤坂にはスタンドに来てもらわないと困る」

 赤坂先輩の抵抗をはねのけるように、田辺先輩は赤坂先輩の手を掴んだ。

「今日は津山のラストランだ。お前がいなくてどうするんだよ」

 田辺先輩の強行に抵抗しようとした赤坂先輩だったけど、田辺先輩の一言によってねじ伏せられていった。

 ――なんか、納得いかないんですけど

 私の存在などないかのように、赤坂先輩の手を引いてスタンドに急ぐ田辺先輩に無性に腹が立ってきた。とはいえ、事情があることもわからなくはいから、少し離れた位置から鼻息を荒くして田辺先輩たちを追いかけていった。

 スタンドに戻った時には、既にリレーのメンバーが配置についていた。泣いても笑ってもこれが津山先輩のラストランであり、西城学園との最後の勝負になるかと思うと、関係ない私でさえ急に緊張してきた。

 ――みなさん、とにかく頑張ってください!

 心の中で力の限りに声援を送りながら、視線を津山先輩に向けてみる。津山先輩はこっちに視線を向けてきた後、なにか覚悟するように空を見上げていた。

「赤坂、始まるぞ。津山のラストラン、しっかり見届けてやれよ」

 いまだ俯きっぱなしの赤坂先輩に、田辺先輩が声をかける。恐る恐るといった感じで赤坂先輩が顔を上げたところで、場内に号砲が響き渡った。

「よし、いいぞ」

 スタートは大方の予想通り、星陵高校と西城学園が抜き出る形となった。両者の力関係は変わらないみたいだったけど、最後に星陵高校が先頭に立ったことでスタンドの応援は一気にヒートアップしていった。

 ――津山先輩、頑張ってください!

 若干のリードを保ったまま、いよいよバトンが津山先輩に渡されていく。ついに始まった津山先輩のラストランは最高の形だったけど、相手は西城学園のエースなだけに、どうなるか私の不安も一気にピークへ達していった。

 一糸乱れぬ流れでバトンを受けた津山先輩が、スタンドの前で一気に加速していく。その背後からは西城学園のエースが迫り、これまで通りならあっさり抜かされる展開が見えた時だった。

 ――え? 負けて、ない?

 じりじりと差は詰まるものの、最後の一伸びを阻止するかのように、津山先輩が必死の走りで抵抗していた。その姿からは、聞いていた津山先輩の弱さは微塵も感じられず、むしろ西城学園のエースと互角に渡り合う強さが感じられた。

「津山君……」

 いつの間にか両手を握りしめていた赤坂先輩が、弱く津山先輩の名前を口にする。その表情には、さっきまでの暗さはなく、必死に津山先輩を応援する輝きがあった。

「いけるぞ!」

「え?」

「このまま津山が踏ん張れば、西城学園に勝てる」

 スタンドの熱気に影響されたのか、田辺先輩の声も弾んでいた。最初、田辺先輩の言ってる意味がわからなかったけど、その意味がわかった瞬間、私は津山先輩に声の限りに声援を送っていた。

 結局、津山先輩は西城学園のエースを前に出すことなく第三走者へバトンを渡していった。その健闘にいつしか拍手が湧き、星陵高校を応援する声もさらに熱を帯びていった。

 ――このまま、このまま、お願い!

 第三走者の戦いも接戦が続いていた。なんとか追い抜こうとする西城学園に対し、最後まで抵抗し続けた結果、ほぼ同時にバトンはアンカーへと託されていった。

「島田、いけ! 絶対王者の力を見せつけてやれ!」

 完璧なタイミングでバトンを受けた島田先輩が、一気に加速してゴールを目指していく。その背中に、田辺先輩が声援を送っていた。

 ――お願い、お願い!

 いつの間にか私も祈るように両手を握りしめていた。おそらく、みんな同じように祈るような思いで最終決戦の行方を見ていたと思う。

 雲が高く広がった晴天の下、スタンドを揺るがすような声援を受けた島田先輩。その絶対王者の肩書通り、追い上げる西城学園をふりきって、今、打倒西城学園の想いをのせたバトンと共に一着でゴールをかけぬけていった。