17歳の真人の日記

日記を何度も読み直すと自分の中から信念の変化がわかる。
できるは肯定、できないは否定。
40歳までは、強情っぱりだった。
「否定や肯定」相対的なもの超越的なものが信念。
だから、私の「できると思うことはできる」は、肯定的。
そのときは、掴めなかった。
疑いがあったからだ。
そして、目の前を見ていなかった。
相対的なものを信念と思っていたのだ。
疑いの心と研究心で閃きにする
こどもは「お父さんそれ何?お母さんそれは何?」
子供は、研究心の塊だ。
疑いが、大人になって育っていく。
疑いに対して対抗をすると、強情っぱりの否定に執着をする。
これは、否定的な「できないと思うことはできない」と釣り合いがとれている。
だから、私は自殺という行動までとった。
生きている限りは、生きれば良い。
「できそうでできないこと」「できなさそうでできること」
の2つがある。
「大丈夫だ。できる」というのは、信念ではない。
否定と肯定がなくなったときに「死ぬことも忘れる」
「生きることも忘れる」
病気になっても、貧乏になっても、人間関係が壊れても、仕事が上手くいかなくても、何も考えない。
ただ、やりたくなった時にやっていく。
すると、後で見た時にできている。
文章を書いていて、書き終えたら出来上がっている。
これが信念の実態。
できると思うことはできるが、本当の望みというのは、潜在意識と顕在意識が結びついた時に出来上がる。
このときに、できるの肯定も、できないの否定もない。
そして、これが幸福感になる。
つまり、思考ではない意思を理解し、思考することであなたになる。
いまの感情が現在を作っている。
「考え方が大切だ」というのは、自分の心のあり方が現実化する。
潜在能力が、生まれ出てくる。
潜在意識と顕在意識を結びつけるのだ。
空→イデア→意思→思考。
表現は変わるが、これが基本なのだ。
肯定や否定は、ささいな日常で分かる。
夜中に「ぷーー」って、耳もとで鳴ってうるさいな〜
「どっかいけ」と思う。
それはもやもやして、自分の命を削っている。
ぷーーって鳴っても、気にせず寝れば良い。
肯定も否定も出さなければ、刺されたことに気がつかない。
こうなると、蚊も刺さなくなる。
刺されて、痒いと思えば痒い。
刺されても、ぐっすり寝れる。
どんな場所でも爆睡できる。
これが、信念だ。
一番大切な目に見えないこと、生きることがわかる。