日記を何度も読み直すと自分の中から信念の変化がわかる。
できるは肯定、できないは否定。
40歳までは、強情っぱりだった。
「否定や肯定」相対的なもの超越的なものが信念。
だから、私の「できると思うことはできる」は、肯定的。
そのときは、掴めなかった。
疑いがあったからだ。
そして、目の前を見ていなかった。
相対的なものを信念と思っていたのだ。
疑いの心と研究心で閃きにする
こどもは「お父さんそれ何?お母さんそれは何?」
子供は、研究心の塊だ。
疑いが、大人になって育っていく。
疑いに対して対抗をすると、強情っぱりの否定に執着をする。
これは、否定的な「できないと思うことはできない」と釣り合いがとれている。
だから、私は自殺という行動までとった。
生きている限りは、生きれば良い。
「できそうでできないこと」「できなさそうでできること」
の2つがある。
「大丈夫だ。できる」というのは、信念ではない。
否定と肯定がなくなったときに「死ぬことも忘れる」
「生きることも忘れる」
病気になっても、貧乏になっても、人間関係が壊れても、仕事が上手くいかなくても、何も考えない。
ただ、やりたくなった時にやっていく。
すると、後で見た時にできている。
文章を書いていて、書き終えたら出来上がっている。
これが信念の実態。
できると思うことはできるが、本当の望みというのは、潜在意識と顕在意識が結びついた時に出来上がる。
このときに、できるの肯定も、できないの否定もない。
そして、これが幸福感になる。
つまり、思考ではない意思を理解し、思考することであなたになる。
いまの感情が現在を作っている。
「考え方が大切だ」というのは、自分の心のあり方が現実化する。
潜在能力が、生まれ出てくる。
潜在意識と顕在意識を結びつけるのだ。
空→イデア→意思→思考。
表現は変わるが、これが基本なのだ。
肯定や否定は、ささいな日常で分かる。
夜中に「ぷーー」って、耳もとで鳴ってうるさいな〜
「どっかいけ」と思う。
それはもやもやして、自分の命を削っている。
ぷーーって鳴っても、気にせず寝れば良い。
肯定も否定も出さなければ、刺されたことに気がつかない。
こうなると、蚊も刺さなくなる。
刺されて、痒いと思えば痒い。
刺されても、ぐっすり寝れる。
どんな場所でも爆睡できる。
これが、信念だ。
一番大切な目に見えないこと、生きることがわかる。