ライブ配信から、ちょうど一年が経った。
あのあと、わたしは配信が終わってすぐに友に会いに行った。
埋まっていた講義や講演は、すべてキャンセルした。
そして、退職届けもだした。
貯金はある程度あった。新たなことをするのに、資金は必要だ。
ドバイに住むことで分かったことがある。日本より新しいシステムを取り入れることに関しては長けている。まだ、新しい文化だからだ。
しかし、それだけなのだ。
人が根付いていない。こころが根付いていない。
私は、日本から始まる確信があった。
日本人はこころが読み取れる。
私が、持ち合わせていた能力は少なからず多くの日本人が持ち合わせている能力だ。
ドバイ人たちも心を持っている。しかし、はっきりと言葉にしないと伝わらない。
はっきり言葉にでき、こころを読み取れるようになればいいのだ。
古き良いところは残しつつ新しいものを取り入れるのだ。
いままでの時間が、無駄であったようで無駄でなかった。
黒い時間は、無駄でなかったのだ。
そこで、ぼくは日本にある寺や神社に目をつけた。
調べると維持管理できない神社や寺が日本中にあった。
安く済むうえ、構造がしっかりしている。
いま市場の相場で木材を買おうとすれば、数千万円はなるだろう。
手入れされていない。神仏は、祟られているとされ毛嫌いされるのも重なったが、ビッグチャンスだ。
そして、友も覚悟したようだ。
私は、もう惑わされない。
さぁ、できると思ったことをしていこう。
そうか、そうなのだ。
私は、信念が分かった気がする。
できるは肯定。
できないは否定。
肯定があり、否定がある。
相対的なもの。きっても切り離せられない。
できるもできないもないようだ。
いますればいいのだ。
そうだ。子供の頃のバク転は、いましか見ていなかった。
大人になってやったバク転は、未来をみていた。できることをみていた。
肯定と否定を超越することはいまなんだ。
いまなんだよ。
できるも、できないもいまなんだ。
いま私はイメージが浮かんだ。
私は家族が欲しいと思った。
家族というと、結婚を思い浮かべるかも知れない。
違った。私は養子をとることにした。
私を含め6人の家族。そこで、笑顔で過ごしてご飯を食べているイメージが浮かんだ。
できる事が浮かんだ。
しかし、疑いのできないことも現れた。
世間から叩かれている自分だ。
「養子を実験の子とした」
かれは教養のためなのか?
幼子の命を軽率に扱っている。そんなメディア批判だ。
しかし、わたしには批判が声援に聞こえた。
歓喜に聞こえた。
肯定と否定を超越した幸福を味わっていたからだ。
目の前の家族の幸せを考えていればそんなものなくなるからだ。
私は、養子を取ることを真偽に話す。
「養子を5人取って、笑顏で過ごし創造性あるようやってみようと思うのだ」
「グループ式にはできないね?」
「そうなんだ。けど、何事もやって見ないとわからない」
それに、確かにできたんだ。いまできた。
「世間の批判はどうするんだい?」
「彼らに決めてもらう」
「養子は、放置した親がいるわけだ。徳のあることだ。とてもやる気が起きるんだ。育てる人がいなく、自分も含め衣食住を創る。そこから創造性が生まれる。神社や寺は、うってつけの場所だと思う。」
「まぁ、そうなんだけど、義務教育を受けさせず教養が身につくわけがない。閉鎖的な子供が生まれると世間は見るぜ」
「はっははは。僕は笑ってしまった」
そして、真偽にバク転の話しをした。
「いまから、バク転やってみてよ」と、真偽は冗談でまた言ってきた。
私は、後ろもみずやった。
筋力も落ち、体力も落ちている。
だから、無駄な力は使わなかった。わたしは立っていた。
どうやって、やったかは分からない。
説明もできない。
できるともできないとも思わなくできていた。
「人で生活することで引きこもりもなくなるというのに、検証はもうできているんだ。これをどうやって一般化していくかなんだ」
「そうだね。問題は、5人の1グループと世間の常識」
「スマホが常識化できたように、できるはず」
「世間の常識は、起爆剤と労働者が欲しい利権がネックだな」
「一つずつ解決しよう」
「起爆剤は、地方の過疎化による通勤時間を利用したらどうだろう?限界集落の教育。田舎で産まれた子供は、2時間バスで移動しないと義務教育を受けられない。4時間も毎日使って、それが義務なのか?これを問えばいいのでは?」
「けど、世間の一部の小さな世界の奴らは、都市部に住めば良いわざわざ危険な田舎に済む必要が無いと言うぜ」
「お前が言うか。その小さな世界をこの前までお前も創っていただろ」
僕たちは笑っていた。
子供の探究心「おとうさんなんで?おかあさんなんで?」と聞くことを一つずつ詰めていけばいい。そうすれば、問題は波紋ではなく解決するための課題になるのだ。
そして、この課題こそ本当の望みで幸福で、できることになるのだ。
わたしの信念は変わった。
できるともできないとも思わなくできていた。
新たな証明に喜びを感じていた。
「老後のおじいちゃんやおばあちゃんの手伝いもしてPRするのはどうだろう?」
「子供を使った洗脳オカルト宗教と思われるぜ」
「あくまで、子供には子供の自由意志でやってほしいんだ」
「はっっは。ワクワクするな」
僕たち二人は、15歳のときのように語りあった。
そして以下のようにまとめた。
①養子を5人取る
②神社や寺を購入
③5人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.自分も含め自給自足をする。
④世間の常識
1.限界集落の再生
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
真偽に私は聞いた。
「ところで、お前奥さんや家族はどうするんだ?」
「話したんだ。そしたら、私は私でやる。気にしないでやれだってさ。こういうときの女性は強いよ。そもそも男は、家庭であまり必要とされていないんだ。子供は明らかにお母さんの許容があれば、育つ。そういえば、ここの子どもたちの母はどうする?男で1人よりも偉大なる母がいるだろう」
「結婚するわけではないんだけど、いろんなところを点々としていただろう。きっとなんとかなる気がするんだ」
「なんだよ。そのノープラン」
「計画なんてたてても、ゴールだけ見ていれば良い。それ以外はツールでしかない。できると思っているときには、行動をしているってもんさ。いまのおれらのようにな」
「はっははっは。ちげーね」
「そういえば、おまえにお礼をいってなかったな。どうしてオレが自殺をしようとしているとわかったんだ?」
「あんな覚悟を決めた顔をしてライブするやつがどこにいる」
「そんな顔をしていたのか。50歳になったとき渡そうと思った日記だ。受け取ってくれ」
「50歳まで楽しみにしておくよ」
青春に老いは関係ないのかも知れない。
あのあと、わたしは配信が終わってすぐに友に会いに行った。
埋まっていた講義や講演は、すべてキャンセルした。
そして、退職届けもだした。
貯金はある程度あった。新たなことをするのに、資金は必要だ。
ドバイに住むことで分かったことがある。日本より新しいシステムを取り入れることに関しては長けている。まだ、新しい文化だからだ。
しかし、それだけなのだ。
人が根付いていない。こころが根付いていない。
私は、日本から始まる確信があった。
日本人はこころが読み取れる。
私が、持ち合わせていた能力は少なからず多くの日本人が持ち合わせている能力だ。
ドバイ人たちも心を持っている。しかし、はっきりと言葉にしないと伝わらない。
はっきり言葉にでき、こころを読み取れるようになればいいのだ。
古き良いところは残しつつ新しいものを取り入れるのだ。
いままでの時間が、無駄であったようで無駄でなかった。
黒い時間は、無駄でなかったのだ。
そこで、ぼくは日本にある寺や神社に目をつけた。
調べると維持管理できない神社や寺が日本中にあった。
安く済むうえ、構造がしっかりしている。
いま市場の相場で木材を買おうとすれば、数千万円はなるだろう。
手入れされていない。神仏は、祟られているとされ毛嫌いされるのも重なったが、ビッグチャンスだ。
そして、友も覚悟したようだ。
私は、もう惑わされない。
さぁ、できると思ったことをしていこう。
そうか、そうなのだ。
私は、信念が分かった気がする。
できるは肯定。
できないは否定。
肯定があり、否定がある。
相対的なもの。きっても切り離せられない。
できるもできないもないようだ。
いますればいいのだ。
そうだ。子供の頃のバク転は、いましか見ていなかった。
大人になってやったバク転は、未来をみていた。できることをみていた。
肯定と否定を超越することはいまなんだ。
いまなんだよ。
できるも、できないもいまなんだ。
いま私はイメージが浮かんだ。
私は家族が欲しいと思った。
家族というと、結婚を思い浮かべるかも知れない。
違った。私は養子をとることにした。
私を含め6人の家族。そこで、笑顔で過ごしてご飯を食べているイメージが浮かんだ。
できる事が浮かんだ。
しかし、疑いのできないことも現れた。
世間から叩かれている自分だ。
「養子を実験の子とした」
かれは教養のためなのか?
幼子の命を軽率に扱っている。そんなメディア批判だ。
しかし、わたしには批判が声援に聞こえた。
歓喜に聞こえた。
肯定と否定を超越した幸福を味わっていたからだ。
目の前の家族の幸せを考えていればそんなものなくなるからだ。
私は、養子を取ることを真偽に話す。
「養子を5人取って、笑顏で過ごし創造性あるようやってみようと思うのだ」
「グループ式にはできないね?」
「そうなんだ。けど、何事もやって見ないとわからない」
それに、確かにできたんだ。いまできた。
「世間の批判はどうするんだい?」
「彼らに決めてもらう」
「養子は、放置した親がいるわけだ。徳のあることだ。とてもやる気が起きるんだ。育てる人がいなく、自分も含め衣食住を創る。そこから創造性が生まれる。神社や寺は、うってつけの場所だと思う。」
「まぁ、そうなんだけど、義務教育を受けさせず教養が身につくわけがない。閉鎖的な子供が生まれると世間は見るぜ」
「はっははは。僕は笑ってしまった」
そして、真偽にバク転の話しをした。
「いまから、バク転やってみてよ」と、真偽は冗談でまた言ってきた。
私は、後ろもみずやった。
筋力も落ち、体力も落ちている。
だから、無駄な力は使わなかった。わたしは立っていた。
どうやって、やったかは分からない。
説明もできない。
できるともできないとも思わなくできていた。
「人で生活することで引きこもりもなくなるというのに、検証はもうできているんだ。これをどうやって一般化していくかなんだ」
「そうだね。問題は、5人の1グループと世間の常識」
「スマホが常識化できたように、できるはず」
「世間の常識は、起爆剤と労働者が欲しい利権がネックだな」
「一つずつ解決しよう」
「起爆剤は、地方の過疎化による通勤時間を利用したらどうだろう?限界集落の教育。田舎で産まれた子供は、2時間バスで移動しないと義務教育を受けられない。4時間も毎日使って、それが義務なのか?これを問えばいいのでは?」
「けど、世間の一部の小さな世界の奴らは、都市部に住めば良いわざわざ危険な田舎に済む必要が無いと言うぜ」
「お前が言うか。その小さな世界をこの前までお前も創っていただろ」
僕たちは笑っていた。
子供の探究心「おとうさんなんで?おかあさんなんで?」と聞くことを一つずつ詰めていけばいい。そうすれば、問題は波紋ではなく解決するための課題になるのだ。
そして、この課題こそ本当の望みで幸福で、できることになるのだ。
わたしの信念は変わった。
できるともできないとも思わなくできていた。
新たな証明に喜びを感じていた。
「老後のおじいちゃんやおばあちゃんの手伝いもしてPRするのはどうだろう?」
「子供を使った洗脳オカルト宗教と思われるぜ」
「あくまで、子供には子供の自由意志でやってほしいんだ」
「はっっは。ワクワクするな」
僕たち二人は、15歳のときのように語りあった。
そして以下のようにまとめた。
①養子を5人取る
②神社や寺を購入
③5人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.自分も含め自給自足をする。
④世間の常識
1.限界集落の再生
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
真偽に私は聞いた。
「ところで、お前奥さんや家族はどうするんだ?」
「話したんだ。そしたら、私は私でやる。気にしないでやれだってさ。こういうときの女性は強いよ。そもそも男は、家庭であまり必要とされていないんだ。子供は明らかにお母さんの許容があれば、育つ。そういえば、ここの子どもたちの母はどうする?男で1人よりも偉大なる母がいるだろう」
「結婚するわけではないんだけど、いろんなところを点々としていただろう。きっとなんとかなる気がするんだ」
「なんだよ。そのノープラン」
「計画なんてたてても、ゴールだけ見ていれば良い。それ以外はツールでしかない。できると思っているときには、行動をしているってもんさ。いまのおれらのようにな」
「はっははっは。ちげーね」
「そういえば、おまえにお礼をいってなかったな。どうしてオレが自殺をしようとしているとわかったんだ?」
「あんな覚悟を決めた顔をしてライブするやつがどこにいる」
「そんな顔をしていたのか。50歳になったとき渡そうと思った日記だ。受け取ってくれ」
「50歳まで楽しみにしておくよ」
青春に老いは関係ないのかも知れない。