真偽は、僕から見て完全に道化師になっていた。
結婚に縛られ、会社に縛られ、夢を失った道化師に。
目指すと約束したあの青春から逸脱だ。
方向性が違ったようだ。
できると思うことはできるの信念を曲げるつもりを僕は変える気はない
エロスに逃げた彼を責めるつもりもない。
彼は、彼なりの夢を描いているのだ。
たまに様子を確認する。
連絡をとっている。
「お元気ですか?お久しぶりです。真人です。
私は、いまもできることと、できないことの狭間にいます。
14歳のとき送った君との約束をはっきり覚えています。
できると思ったことはできると胸をはり教育のシステムの変化を求めたあの頃が懐かしいです。私はいまでもできると思っていますが、それでも時間と忍耐力が必要なようです。16年の月日が経ち、ドバイを中心に活動しています。
日本国は、老害により新しい挑戦を嫌う傾向にあるようです。
ドバイの私立の大学で、グループでの授業を行えるようになってきました。AIによりその創造性は著しく伸びてきています。しかし、自分一人のできることはわずかです。家庭の諸事情も有ると思いますが、真偽の状況を聞かせていただければ幸いです」
「家庭を持ち、企業の仕事をこなし充実感もあります。仕事では、プログラムを組み自動運転する機械が火星にまでいきました。この企業をやめる勇気が自分にはありません。君に答えるだけの力を私は持ち合わせていません。いまの幸せを創ることはできています。いまは目の前の幸せを見つけ、真人と共創できることがありましたらお気軽に連絡ください」
家庭をもち幸せに過ごしていることが分かった。
約束を果たせていない無念の思いが伝わってくる。
しかし、このままお互いの距離を詰めないほうが得策だと結論づけた。
無理に彼を誘っても無駄である。その後、すっかり疎遠になった。
「ようこそ」
できないと思った人類たちよ。
できないと思えばできないのだ。
あまりにも野放しになった君たちの創造は、産んだのだ。
蔓が生い茂り人間は生存できない。
反対に、蔓を狩りすぎても人類は生存はできない。
シンプルな世の中だ。
君たちは、このままではいけないと思ったのだ。
子どもたちにただ言うばっかりで自分では何もしない。
反面教師は、いよいよ悪魔になったのだ。
できない人類のオンパレードは悪魔のパラダイスなのだ。
バク転をするように本来はできるにも関わらず、バク転に挑戦しなかった悪魔よ。
どうなっていくか、こころをなくして語っていく。ロボットのように語っていく。
味気のない灰色の世界を語っていく。
真人と真偽は、クラスの同窓会で会うことになった。
誰が言ったか知らないが、ソフトボールをやりながら同窓会をしていた。
そんな馬鹿げたことを37歳でやることになった。
たまたま、日本に帰国する日時と重なったので私は参加することにした。
父ちゃんソフトが始まった。
やっぱり、攻撃の打席が回ってこないときは退屈だ。
真偽が冗談で「バク転できるのか?」と冷やかしてきた。
疎遠になっていた私に少なからずの恨みや妬みがあったのだろう。
もう、心を読む能力は失っていた。
講義をしても、永遠に次から次に疑問が浮かび「できると思えばできる」が証明できなかったのだ。
そんな思い詰めた自分を見て真偽は「まさとバク転してくれよ」ともう一度いう。
「楽勝、楽勝」
着地する後ろを確認。
「1,2の3」で後ろを見て、手をつこうとした。
けど、ソフトボールがあった。
ぼくはソフトボールに手をついてしまった。
そのまま、手は滑り首から地面に落ちた。
「真人、大丈夫か」友達の真偽が寄りそい心配してくれた。
ぼくは、仰向けになって彼の顔を見上げていた。
幸い肉体的には何事もなかった。
ただ、いままでに感じたことのない喪失感があった。
裏切りは確信に変わり、恐怖になっていた。
この同窓会に集まる全員が、あのときの反面教師であり、さらには悪魔にみえた。
息が上がって正常ではいられなくなった。私は、トイレで手を洗い落ち着かせようとした。
目の前に鏡があり自分をみると、そこには血相を変えた悪魔が映っていた。
もう一度見直すと、自分だった。
自分に言い聞かせる。大丈夫だ。大丈夫だ。
できると思ったらできる。
しかし、一度見てしまったものが、頭から離れない。
頭が混乱している。
いまなら、反面教師の気持ちがわかる。
生徒に言わなければ、自我を保てないのだ。
自分が生きるには、そうやって人に当たるしかないのだ。
わたしのなかにある記憶の棚は、空中分解した。
すぐに、修復がひつようだ。
トンカチを持って粉々になった木々に新しい木材の角材を使う。
しかし、角材ではすぐに折れてしまう。
私は、棚を作る力がもうないことを悟った。
崩壊が始まれば、早いものだ。
自分は無価値で虫けら以下の存在だ。
いや虫けらに失礼だ。
細胞にも、失礼だ。
空気にも失礼だ。
生きとし生けるすべてに失礼だ。
恥だ。恥の存在こそ人類だ。
煩悩具足の凡夫だ。
なにが期待感だ。
なにが天才だ。
そんなものありっこない。
空の空、全ては空なのだ。
脳裏がとろけたようなあまったるい砂糖の味がする。
自然と大地共に、そんな甘ったるいものがあるだろうか。
自然は奇しくも、残酷で無慈悲だ。枯れていく生き物に容赦はない。
アスファルを塞いで未来都市だと、理想を見やがった自分をいますぐ殺したい。
そんなものは溝に捨ててしまう幻想だ。
おれには何もできない。
できてたところで何だっていうんだ。
缶詰に詰められたみかんに申し訳ない。
いますぐにみかんに謝れ。
おれの存在は、化学肥料につけられ生きようとしている色鮮やかなみかん以下だ。
みかんよ。すまない。
鉄ニモマケズ。酸化セズ。
一粒のみかんのかけらは、何て美しいのだろう。
それにくらべて、鏡に映る自分はなんてぶざまだろう。
ぶっ壊れた。わたしは完全にぶっ壊れた。
ああ、悲鳴が聞こえる。
ああ、悲鳴が聞こえる。
悲鳴すら、感じたくない。
だれにも、気づいてほしくない自分の愚かな信念の存在に。
よしてくれ、太陽など浴びたくないのだ。
月すらもいらないのだ。
真っ暗でいい。真っ暗でいいのだ。
真っ暗こそ、全てだ。
缶詰からみかんをぬいて、化学製品の水すらとり空気も取れり、存在しない全てになるのだ。
数百年は、循環しない無になるのだ。
崩壊も、循環も無い。
ただ、無い世界にいくのだ。
何もできないなにもない世界に行くのだ。
そうだ。それこそがユートピアだ。
バク転で、完全に壊れた。
気がついたら、同窓会は終わっていた。
私は、どうしていいか分からなかった。
資本で支援してくれた。
先生、先生。トワール先生だけは、私を裏切らない思った。
高校2年からの長い付き合いだ。
ドバイに帰ると、鬱蒼とした亜熱帯特有の臭いがした。
いや、臭いすらも感じなかった。
生命を奪って創りつづけた人類の悲愴が聞こえない。
心もない。
身もない。
音もない。
味気もない。
生きているという実感もない。
消化不良を蓄え続けて、蓄えたことすら忘れている。
ただ。カチカチと進むその時計の針が、トワール先生と鉢合わせた。
大先生は、黒かった。
肌も黒かったが、全てにおいて黒かった。
白を許さないほど黒かった。
ある種の美しさがあった。
その美しさに私は魅了されていた。
わたしは、トワール先生と会話をした。
トワール先生。トワール先生。
世界にヒビが入ってしまったと話した。
とても大きな亀裂が、地球を真っ二つにしそうと話した。
トワール先生はいった。
「素晴らしい。素晴らしいよ。真人くん。
できることもできないことも黒の前では塵同じ。
もっと、まっぶたつに分裂するのだ。
分裂することに意味がある。
分裂は爆発だ。
分裂を恐れている。
恐れているのだ。
黒になることを。
もっと恐れて、黒になるのだ。
黒は真理だ。
不滅だ。
絵の具に黒と白を足してもほとんどが黒だ。
黒こそがこの世なのだ。
いまの世の中はあまりにも光すぎている。
光の幻想が人類を崩壊に導いている。
そなたも黒になればいい。
崩壊そのものになれば崩壊も感じないのだ。
抵抗しているから苦しむのだ」
哲学者でも有名なトワール先生はそういった。
他に頼ることのできない私には、十分だった。
黒に染まることを決意した。
まだ、自分は中途半端な存在なのだ。
エロスを殺せていないのだ。
白があるから苦しむのだ。
黒しかなかったら苦しみようがないのだろう。
存在は、黒なのだ。
私は黒になり、トワール先生に人生を捧げることを誓った。
トワール先生の言葉は、棚を創るのに十分だった。
トワール先生は、ホモ・サピエンスが生き延びた理由は「虚構」と「残虐性」があるからだ。
人類は生き延びるためには、「虚構」と「残虐性」が必要なのだ。
と、論文にし学会で発表して数多くの賞をもらっている。
僕は、そんな賞を貰っている大先生に気に入られ喜びを感じていた。
高鳴る響きは、バク転のことなど忘れさせてくれた。
灯明なるものがあった。
そして、トワール先生は僕を見てこう言ってくれる。
「君ならできる。ノーベル賞も取れる。一緒に学ぼう。そして、真理を追求しよう。人間が黒になってこそ。その真理が解き明かされるのだ」
同窓会で友達は、僕を見て羨ましがっていた。
あいつは、有名な教授になり名誉を手に入れた。
「天才は、やっぱり運命が違う」と嘆いていた。
そうなのだ。僕は天才なのだ。
できると思えば、何だってできる。
当然なのだ。
具体的に何をしていくかはっきりしていた。
できると思えば、何だってできることを証明するのだ。
溢れるばかりの情報で、どれだけ人間が野蛮的で有ることが分かるはずだ。
できない自分を正当化してできない事を証明するのだ。
そうすれば、人類は黒となる。
教育にあらなた黒をもって、システムが変わるのだ。
小さな小さな世界の和にすれば、ユートピアがある。
自分たちの思った通りの黒を作れるのだ。動画で小さな世界を流せ。頭に刻まのだ。
肉体的な苦痛から解き放たれるのだ。
「エロスに筒を抜かすくらいなら自殺したほうがマシだ」
老後の介護いらず、御飯いらず、トイレいらず、性欲いらず、異性いらずとても合理的で魅力的だ。
無限のゲームのキャラクターを作って、新たなゲームをプレイすればいい。
最高にクリエイティブなことではないか。
何を望む。
わざわざ、苦しんで辛い思いする必要もない。
さぁ、ゲームをしよう。
動画を見よう。
家にいよう。
ソトに行かなければ身の安全だ。
ソトに行かなくても、全国見て回れる。
君の代わりとなる機械が君の手足としてリアルに味わしてくれるよ。
小さな世界。
世界中どこだって、笑いあれば、涙あり、みんなそれぞれ助け合って小さな世界に入ろう。
そうすれば、世界はせまくなる。世界も同じ。世界は丸い。ただひとつになるだろう。
そんな世界を僕は証明できるだろう。
私の精は消えていた。
だらだらと「できると思うことはできる、できないと思うことはできない」の証明をする手っ取り早い方法を自分はみつけていた。
友に手紙を書く。
「15歳のころの君との話が懐かしい。何でもできるヒーローだと思っていた。しかし、生きれば生きるほど大人に直面した。できると思えばできると自分を奮い立たせていた。その最後の証明を僕はする。死を使ってその証明をする。ただの死では、世間は見向きもしない。
ライブ配信でしようとおもう。できると思うことはできる。死を持ってみんなに見せることで、証明されるのだ。名誉もあり、ある程度知名度もある。少なからず教育への影響がでるはずだ。心残りはある。君との約束だ。偉そうに、君は家庭に逃げたゴミといったが、君のほうがいまは誠実に思う。どうか、自殺した不名誉を君が覆うことだけは避けたい。なので、この日記は世間の騒動が終わった10年後、50歳の君に届くよう未来発送する。死を持ち、私は孤独に打ち勝つことができるのだ」
私は、この日記を書き終えたとき、すっかり枯れていた涙が目頭に溜まった。
しかし、決意は変わらない。
栄光の死として表現したいために僕は死に場所を川にすることにした。
三途の川で論文発表という話題性溢れるインフルエンサーになれると思ったからだ。
パリの凱旋門の前も良いと思ったが、自然に戻りたいので川にした。
カプセル型の小型爆弾を飲みスマホでアラームをセット。
川に入って最後に爆発して終わる。わかりやすいだろう。
あとで、死んでいないとか言われるのも癪なので、脈拍をリンクしておく。
死という爆発なのだ。
できると思ってもできないと否定するばかりで、私はもうこの世に飽きていた。
死ぬ勇気も無い奴らほど、死に執着する。
反吐がでる。
真っ黒の姿のスーツにTシャツもスーツも黒。
サムネは、できると思ったことはできる芸術は爆発だ。
これで、ライブの予約もして、清流に向った。
周りは人のいない清寂した夜の川辺だった。
新月を選び、夜の18時から動画を配信した。
自分の全財産をつかって広告もした。
視聴者数は世界で100万人といったところだろう。
いままで書いた日記を読む。
ギラギラ光り輝いた学生のポエムが自分を照らす。
妙に、的をえているところに腹立がたつ。
けど、その憤りもこれで終わりだ。
黒をより黒として表現できる。
トワール先生は、僕を理解してくれるだろう。
賛美を送ってくれるはずだ。
夜の川辺で、火を焚きながら、日記をめくり、僕は乾杯をした。
できることはできる最終の証明に「かんぱい」
これをのめばカプセルがスマホを連動でき死ねる。
『ああ、友よ。
約束を俺はいま守る。
おれは、川となり海に流れ0になる。
0になるのだ。
どうか、家族を持った友よ。
小さい幸せを子供に繋いでくれ』
ぼくは、飲みほした。
スマホのタイマーも動き出す。
ライブ配信も順調だ。50万にが見ている。
「日記は、正本でなく副本を持ってきて読み上げてる」と、説明した。
50歳に向けた死への日記だけは、伏せておく。
反響のコメントを見る。
「論文を読みました。効果も研究で証明され、講義に取り入れだしていることを本当に尊敬しています。日記があったんですね。論文を書いた心情がわかりそうです」
そんな文字をみながら、僕は日記を読み上げる。17歳の真人への日記「ドリーム」
・・・・
一冊読んだら、焚き火で燃やす。
また読んだら、燃やす。
最後の一冊になった。
38歳の真人「ディストピアの主体性の損失」
・・・・
これで僕の「できると思ったことはできる」の日記は終わった。
時間をみてみる。
爆発まで3分そろそろだ。
私は、川に移動する。
「人間もコスモス。
コスモスとして母のもとに還ります。川で、体についた灰を洗い流してきます」
と言い終え、私は膝上まで、川につかった。
枠を広めにして日をまたぐ。
そう、24時は、わたしの40歳の誕生日。6月6日で幕を引く。
右腕の時計をチラ見する。
あと、30秒だ。
わたしの人生は本当につまらないものだった。
こんな形でしか、できると思ったことはできると証明ができなく申し訳なく思う。
理想と現実は違うのだ。
ギャップがあるのだ。
私一人でも、偉大な母の前ではミジンコ以下なのだ。
そんなことを繰り返し考えていた。
そして、これで証明できるのであれば、光栄なことだと思った。
さぁ、あと10秒。
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0
・
・
・
・
・
おかしい。ボカーンと言って終わるはずだ。
視聴者は、体を洗に川に行ったと思っているはずだ。
僕が「自殺しようとしている」と思っているはずがない。
仕方がないので、スマホを見てみる。
たしかに0秒になっている。
ふと、一つのコメントに釘付けになった。
真偽の名前があった。
そのコメントは「できると思ったことはできる」
ぼくは、ライブ配信にも関わらずボロボロ泣いていた。
おそらく、真偽が僕のスマホをハッキングしたのだろう。
僕の爆弾スイッチをオフに切り替えたのだろう。
わかれば、それくらい容易い。
そして、真偽のコメントには「できることはまだできていない。これから証明しよう」
と、書いてあった。
静寂した暗闇の川辺だが、私には太陽が差しているようだった。
世にもきれいに照らす朝一番の太陽。
僕は泣いた。
泣いて、泣いて、泣いていた。
40歳になるおっさんの号泣するライブ動画は、ある意味の反響を生んだ。
そして、私は決意した。
地道に、私立の大学の講義で取り入れてきたグループの創造性から自分であらたな寺子屋を創ることを。
この大自然から受け取り、それ以上に太陽を学ぶ方法はないことを40歳になってわかったのだ。
「できると思ったことはできる」
しかし、わたしは人生でこのとき少し違うように感じた。
強情ばりのできるでは、できないのだ。
本当の望みは、死ぬことではなく生きている限りは生きることにあるようだ。
孔子ですら「四十にして惑わず」なのだから、まだまだ自分のできることがあると分かった。
ライブ配信から、ちょうど一年が経った。
あのあと、わたしは配信が終わってすぐに友に会いに行った。
埋まっていた講義や講演は、すべてキャンセルした。
そして、退職届けもだした。
貯金はある程度あった。新たなことをするのに、資金は必要だ。
ドバイに住むことで分かったことがある。日本より新しいシステムを取り入れることに関しては長けている。まだ、新しい文化だからだ。
しかし、それだけなのだ。
人が根付いていない。こころが根付いていない。
私は、日本から始まる確信があった。
日本人はこころが読み取れる。
私が、持ち合わせていた能力は少なからず多くの日本人が持ち合わせている能力だ。
ドバイ人たちも心を持っている。しかし、はっきりと言葉にしないと伝わらない。
はっきり言葉にでき、こころを読み取れるようになればいいのだ。
古き良いところは残しつつ新しいものを取り入れるのだ。
いままでの時間が、無駄であったようで無駄でなかった。
黒い時間は、無駄でなかったのだ。
そこで、ぼくは日本にある寺や神社に目をつけた。
調べると維持管理できない神社や寺が日本中にあった。
安く済むうえ、構造がしっかりしている。
いま市場の相場で木材を買おうとすれば、数千万円はなるだろう。
手入れされていない。神仏は、祟られているとされ毛嫌いされるのも重なったが、ビッグチャンスだ。
そして、友も覚悟したようだ。
私は、もう惑わされない。
さぁ、できると思ったことをしていこう。
そうか、そうなのだ。
私は、信念が分かった気がする。
できるは肯定。
できないは否定。
肯定があり、否定がある。
相対的なもの。きっても切り離せられない。
できるもできないもないようだ。
いますればいいのだ。
そうだ。子供の頃のバク転は、いましか見ていなかった。
大人になってやったバク転は、未来をみていた。できることをみていた。
肯定と否定を超越することはいまなんだ。
いまなんだよ。
できるも、できないもいまなんだ。
いま私はイメージが浮かんだ。
私は家族が欲しいと思った。
家族というと、結婚を思い浮かべるかも知れない。
違った。私は養子をとることにした。
私を含め6人の家族。そこで、笑顔で過ごしてご飯を食べているイメージが浮かんだ。
できる事が浮かんだ。
しかし、疑いのできないことも現れた。
世間から叩かれている自分だ。
「養子を実験の子とした」
かれは教養のためなのか?
幼子の命を軽率に扱っている。そんなメディア批判だ。
しかし、わたしには批判が声援に聞こえた。
歓喜に聞こえた。
肯定と否定を超越した幸福を味わっていたからだ。
目の前の家族の幸せを考えていればそんなものなくなるからだ。
私は、養子を取ることを真偽に話す。
「養子を5人取って、笑顏で過ごし創造性あるようやってみようと思うのだ」
「グループ式にはできないね?」
「そうなんだ。けど、何事もやって見ないとわからない」
それに、確かにできたんだ。いまできた。
「世間の批判はどうするんだい?」
「彼らに決めてもらう」
「養子は、放置した親がいるわけだ。徳のあることだ。とてもやる気が起きるんだ。育てる人がいなく、自分も含め衣食住を創る。そこから創造性が生まれる。神社や寺は、うってつけの場所だと思う。」
「まぁ、そうなんだけど、義務教育を受けさせず教養が身につくわけがない。閉鎖的な子供が生まれると世間は見るぜ」
「はっははは。僕は笑ってしまった」
そして、真偽にバク転の話しをした。
「いまから、バク転やってみてよ」と、真偽は冗談でまた言ってきた。
私は、後ろもみずやった。
筋力も落ち、体力も落ちている。
だから、無駄な力は使わなかった。わたしは立っていた。
どうやって、やったかは分からない。
説明もできない。
できるともできないとも思わなくできていた。
「人で生活することで引きこもりもなくなるというのに、検証はもうできているんだ。これをどうやって一般化していくかなんだ」
「そうだね。問題は、5人の1グループと世間の常識」
「スマホが常識化できたように、できるはず」
「世間の常識は、起爆剤と労働者が欲しい利権がネックだな」
「一つずつ解決しよう」
「起爆剤は、地方の過疎化による通勤時間を利用したらどうだろう?限界集落の教育。田舎で産まれた子供は、2時間バスで移動しないと義務教育を受けられない。4時間も毎日使って、それが義務なのか?これを問えばいいのでは?」
「けど、世間の一部の小さな世界の奴らは、都市部に住めば良いわざわざ危険な田舎に済む必要が無いと言うぜ」
「お前が言うか。その小さな世界をこの前までお前も創っていただろ」
僕たちは笑っていた。
子供の探究心「おとうさんなんで?おかあさんなんで?」と聞くことを一つずつ詰めていけばいい。そうすれば、問題は波紋ではなく解決するための課題になるのだ。
そして、この課題こそ本当の望みで幸福で、できることになるのだ。
わたしの信念は変わった。
できるともできないとも思わなくできていた。
新たな証明に喜びを感じていた。
「老後のおじいちゃんやおばあちゃんの手伝いもしてPRするのはどうだろう?」
「子供を使った洗脳オカルト宗教と思われるぜ」
「あくまで、子供には子供の自由意志でやってほしいんだ」
「はっっは。ワクワクするな」
僕たち二人は、15歳のときのように語りあった。
そして以下のようにまとめた。
①養子を5人取る
②神社や寺を購入
③5人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.自分も含め自給自足をする。
④世間の常識
1.限界集落の再生
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
真偽に私は聞いた。
「ところで、お前奥さんや家族はどうするんだ?」
「話したんだ。そしたら、私は私でやる。気にしないでやれだってさ。こういうときの女性は強いよ。そもそも男は、家庭であまり必要とされていないんだ。子供は明らかにお母さんの許容があれば、育つ。そういえば、ここの子どもたちの母はどうする?男で1人よりも偉大なる母がいるだろう」
「結婚するわけではないんだけど、いろんなところを点々としていただろう。きっとなんとかなる気がするんだ」
「なんだよ。そのノープラン」
「計画なんてたてても、ゴールだけ見ていれば良い。それ以外はツールでしかない。できると思っているときには、行動をしているってもんさ。いまのおれらのようにな」
「はっははっは。ちげーね」
「そういえば、おまえにお礼をいってなかったな。どうしてオレが自殺をしようとしているとわかったんだ?」
「あんな覚悟を決めた顔をしてライブするやつがどこにいる」
「そんな顔をしていたのか。50歳になったとき渡そうと思った日記だ。受け取ってくれ」
「50歳まで楽しみにしておくよ」
青春に老いは関係ないのかも知れない。
養子をもらったのは、たしか42歳の夏。
火蓮:5歳
金蓮:4歳
木蓮:3歳
水蓮:2歳
土蓮:1歳
と名前をつけた。
ここでは、ベーシックの衣食住を目指すことにした。
さすがに子どもたちにいきなり、求めると怪我をする。
目的のために、サポート役に務めた。
食は保存食の一年分と衣類は困らないほどのもの。
住居は、神社と寺の一式を手入れして住めるようにした。
田畑も用意した。
道具は、管理費のかからない鎌くらいで、一年すれば雑木林といっしょになる。
自分で整備しなければならない。
まともに生きられない状況である。
「虐待だ」という世間の声が聞こえてきそうだ。
1年前は、お手本として動くことにした。
わたしは、稲を3反。
とくに、手伝いも促さなかった。
ネット環境は使えるようにしてあり自分たちで調べれば情報は出てくる。
現代教育もしれるようオンライン講座を設けてある。
かれらが、それらを求めるかはわからない。
第一回目の会議は、私が行った。
そして、このように提案した。
はじめの一回だけ話し合った。
あくまで、私の持ち合わせている意見を発言するだけだ。
できなければ、自然の厳しさを学ぶ。
むきあえば、創造そのものが理解できるだろう。
意見は、ないかな?
5歳の火蓮が
「僕たちはここで暮らすの?学校はいいの?」
「いい質問だ。」
「君自体学校をどう思う?」
「行かなくていいなら、行きたくない」
「なぜだい?ここより優秀な勉強が受けれて、安全があるかもしれないよ?」
「親がいないってだけで、うざい奴がいたんだ」
「ほ、じゃあ、きみはうざくないやつだと?」
「うん」
「そうかい、それはここにいる他のみんながしっかり聞いていたね。君は自分の言葉に責任を学ぶかも知れない。いまはその話は置いておこう。わたしの会議は一度で終わりだ」
「まず、食事はみんなの文の保存食が1年分ある。しかし、それらはあくまで常用して食べことのできるものではない。つまり、衣食住をしないと、ここでは生きていけない環境だ。しかし、協力できれば時間をいくらでも創り出せる環境でもある。君たち次第だ。僕は一年目だけ、衣食住の自給を君たちの分までつくる。来年からは、自分の分だけの衣食住しかしない。つまり、2年分の食糧は確保されているわけだ。安心したまえ。しかし、僕がやったところで自然が許してくれるかはわからない。豊作の年があれば0のときももちろんある。もちろん、鶏の卵やヤクの乳、ミツバチ、しいたけも同時にやっているから全くの0はないが、主食とはならない。つまり、怠惰になればすぐに困る環境なわけだ。君たちを怖がらせるつもりもない。そして、1歳の赤子はこの事を聞けもしない。いま言葉が分かるのは火蓮
・金蓮・木蓮の3人だ。君たちは良く理解しておくといい」
「いいね?」
遊びづきの子どもたちは、わかっていないようだ。
だが、大人がこんなに真剣に話しているのだから、いままでの生活とは違う事に少なからずの不安が表情にある。
状況をのめているらしい。
火蓮の表情はいまでも覚えている。
急に長男としての責任が出たらしい。
良い顔つきだ。
「分からないことがあったら聞けば良い。ただ、君たちを大人として僕は扱う。聞き方が良くなければ答えることもしない。相手を考えれない人に自然のことを考えることができるわけがないからね」
「僕も自然の一部。君たちがやることに対して鏡のように返すことを心がける。意見はあるかい?」
「僕の権力制を感じとったのだろう」
黙り込んでしまった。
「君たちはどうしたいんだい?施設に戻りたいかい?それならそれで僕も引き止めない」
まだ、黙り込んでいる。
ぼくは、ひたすら待つ。
土蓮が泣き出してしまった。
どうやら、乳が欲しいらしい。
こればっかりはどうしようもないので、真偽が奥さんに頼み込んで絞ってくれた入瓶を加えさせる。
とても幸せそうな顔をしている。
ぼくは一旦、ミルクを置き
「だれか、やってみたい人はいるかい?」
やはり黙り込んでしまった。
けど、火蓮がやるような使命感が顔に漲っている。土蓮が泣き出す。
僕は、少し様子を見ることにした。
すると、火蓮がミルクをもって土蓮に哺乳瓶をくわえさせようとしている。
まだ、両手の手付きは不慣れなものがあった。土蓮としては押し付けられ苦しいだろう。けど、一生懸命に飲み生きようとしている。
ぼくは、できると思った。
1年目は自分も手がいっぱいだった。
自分の分の食糧だけならいいが、5人分は必要だ。
3反ともなれば普通機械をいれる。
機械を入れて行うのは楽だ。
しかし、燃料の仕入れる方法やその他のエネルギーの問題をこの場で改善する方法を私は考えて徐々に手が空くので、そこで行おうと思っていた。
7歳になれば、大人になる。
753とは、おとなになるステップなのだ。
3歳で歩くことを覚え、5歳で言葉を覚え、7歳でこころを知る。
こころを知れば、もう子供ではない。
法律上では、17歳?いまの現代人を見て欲しい。
どうみても、貧乏人が100万あれば幸せだ。
100万あれば、次は1000万あれば幸せだ。
1000万あれば、1億。
大人になっても、子供だ。
やれ、怒り。やれ、悲しみ。やれ、憎む。
7歳よりも厄介な大人だ。
心を知ることに、遅いも早いもない。
ここでは、動物たちもやってくる。
虫たちもやってくる。
天候も容赦なくやってくる。
そこから、こころを学べる。
私は、一日5時間は日常生活と田畑仕事に追われた。
暑い日は、極力太陽はさけて、朝と夕に分けた。
冬は、田畑仕事が減った。
その分、保存の効く食糧づくりとして白菜の漬物や味噌、醤油などをベースにストックを増やしていった。
ヤクたちは、放し飼いをベースにしている。
犬は本当に役に立つ。
自分で、頂点を極める。
それだけではない。動物たちも縄張り意識がある。
犬の縄張りは極力さける。
マーキングされており、家の周りは比較的安全なのだ。
基本は、真偽と二人でやっていた。
真偽は流石に泊まり込みでなく、時間のある週末とプログラムが組み終わったときや用事がないときは、基本的にいた。
本当にこころ強い。
子どもたちは、僕たちの行動を見て育っていった。
しかし、半年が過ぎた頃子どもたちは、明らかに寂しさを抱えていた。
お母さんを探し、求めていた。
たまに、真偽の奥さんが来たときみんな、明らかに甘えたい様子だった。
「行かないで、もっと遊ぼ」と、木蓮は言っていた。
メディアや周りの集落の人たちが、なにやら怪しい宗教団体ができたと噂しだしていた。
「あらたなカルト宗教が田舎にできたと報道され噂されだした」
このことに関して、真偽が上手くやってくれたのだろう。
私は、はっきりとわからない。
役割をはっきりさせ、真偽が地域の消防団や組合に顔を出して動いてくれていた。
私も、まるっきり顔を出さないわけではなかった。
かつて、大麻や世間を賑わせた地下鉄事件も似たようなことをしていた。
けど、君たちをみるとこうやって新たな試みをしている。
と、上手く真偽が付き合ってくれたおかげだ。
いまできることをやっていると、ものすごい勢いで運が味方してくれる。
信念を分かってしまった人には、苦しみなどなくただ幸福に向かう。
カルト宗教と怪しまれたのもいつの日か、面白い教育をしていると話題になっていた。
人が訪れるようになっていた。
情報が噂になるのは、早いもので1人の女性が訪れた。
「私が、赤子の乳母をやりをします。その代わりここに住ませて欲しい」と懇願してきた。
私としては、願ったり叶ったりだ。
名前は「かぐや」というらしい。
そして、2人の子供の妻子であった。
都心部が嫌になって、ちょうど離婚したときに情報を聞いたのでやってきたそうだ。
出会いは、こんな偶然の必然にあふれだした。
ここで、問題が発生してきた。
「5人1グループから7人1グループになったことだ」
わたしは、大学生で7人1グループになったときどうなるか全体の特徴は知っていた。
上の二人が、主に下を罵倒しだすのだ。
ストレスから、大変な仕事を下級生に押し付ける割合が増えるのだ。
もちろん、10人以上になると押し付けるだけでなくわざわざ脚を引っ張るようにいじめをしだす。
30人になればターゲットは5人ぐらいになり2人は、不登校になる。
3人は、順番に変わって不登校になった人が復学してを繰り返す。
義務教育でいじめをなくそうというのがいかに馬鹿げたシステムなのか、分かっただろう。
だから、私は新たな生命の新たなシステムを考案していたのだ。
私自身が黒く染められたが、全てはいまのためにあると感じる。
7人を3:4で分けた。
かぐやの子供は、2歳と4歳だった。
水蓮とおなじでまだ喋れない。
月夜が4歳
太朝が2歳
であった。1ヶ月は、
水蓮・土蓮・太朝の3人をかぐやに任せた。
私が、火蓮・金蓮・木蓮を主に見ることにした。
子どもたちも理解してくれたようだ。
やはり、いくら自主的といっても放置はできない。
7歳まではやはり生きるために必要な機能が足りていないことを実感する。
しかし、子どもたちは不思議なもので自分たちでカマキリを捕まえ、遊んで稲を刈ったりまた遊んで、カメムシを臭いと言ったり色んなことをものすごい勢いで学んでいった。
水を自分で汲みに行き飲むこともすぐに行えた。
日本は水が自然と溢れている。
本当に住みやすい場所だ。
人は、水なしには生きられない。
神社や寺というのは、水がでるところに建てられている。
先人たちの水を発掘した目印としていたのだろう。
それが徐々に大きくなる内に、形だけの神社や寺になった・
私は、子どもたちを大人と同じように接するようにした。
こんな交渉をしたのだ。
「水を家まで運ぶのを担当わけしないか?」
自分は、60kgを運べる。
火蓮は、5kg
金蓮は、3kg
月夜は、3kg
木蓮は、1kg
比重で考えて子どもたちは1:5である。
週に1回君たちが運び、僕は週6日分運ぶ。
成長に合わせ、みんなで分配する。
そのうち、自分は週1でよくなると、算数を交えて説明した。
子どもたちは、納得したらしい。
OKしてくれた。
一日の水の消費量は、全員で1日60kg程度。
つまり、彼らは週1の機会ではそれぞれ、分配して運ぶ。
約束を破っても特に咎めない。
ただ、約束を破ったときは謝るように取り決めた。
約束を破ることは、苦しむことを覚える。
苦しみと幸福がある。
真心をこめて行うと気持ちがいい。
しかし、真心を込めたのだから感謝してほしい。
こうなると人は、我慢になり苦しみになる。
なんで、頑張っているのに感謝をしてくれないの。
これが、教育に現れ、頑張って勉強したときだけ褒めて、やらないときは褒めない。
反面教師の正体は、頑張ってるから褒めて欲しい承認欲求の塊なのだ。
正体を見破ると、おしめをした赤子とかわらない。
解決方法は簡単だ。自分を認めよう。
自分をいくら正当化しても、人を裏切って嫌な思いをしない人はいないのだ。
僕は、子どもたちが水を運ぶ様子をみていた。
始めは、タンクにたくさん入れた。しかし重くて運べない。
一生懸命、水を抜き引き釣りながら、運んでいる。
物が壊れる連想まではしていないようだ。
壊れてから学ぶのもいいだろう。
そして、泥だけのタンクになって手を洗うとき彼らは泥が付きっぱなしだ。
そこら中泥だらけになっていた。
お風呂もあり、水道もでる。
しかし、彼らはその事を知らない。
そして、私は強めに蛇口を締めたおり、元栓も閉めてある。
一生懸命、ひねろうとして出そうとしているがでない。
施設にいたときはでたのに、なんででないか不思議に思っていたのだろう。
わたしが、元栓を開けて出したら不思議がっていた。
「なんで、水って出るの?」
「なんでだと思う?」
「わかんない」
「水ってどんなときにある?」
「たんぼ」
「あめ」
「しょんべん」
と、子どもたちは各々に答えていた。
「田んぼの水は、どこから来る?」
「うえ」
「やま」
「土」
「そうだね。じゃあ、やまや上を見に行こう」
そうして、源流を見に行った。
ちょろちょろ、土から出ていた。
「土から水はできるの?」
「この水は、雨の日どうなる?」
「いっぱいになる」
「なんでだと思う?」
「それから水がくるから」
「じゃあ、水の正体は空なの?」
「空のどんな時に雨は降る?」
「くらいとき」
「そうだね。雲が一定以上になると雨はふる。この雨は、どこに流れる?」
「わかんない」
「流れているさきに行きたいかい?」
「うん」と言った。
こうして、こんどは海に行った。
「海だ」
「海は水だ」と言った。
「水を舐めてみな」と、わたしはなるべくきれいな海水を舐めるように言った。
「からいー」と子どもたちは言った。
「山の水と海の水は違うね」
「なんで?」
「塩があるんだ」
「塩?」
「そう。水を20L持って帰ろう」
そういって、持ってかえった。
天日干しして、10で蒸発した。
塩が出てきた。
「子どもたちに舐めてみな」
「からいー」また言っていた。
湧き水に、塩を入れ飲むようすすめた。
また「からいー」と言っていた。
「これが、海水と湧き水の違い。水って何かわかった?」
「わかんない」
「そう、わかんないだ。ただ、蒸発していくと雲になって雨となり、土に溶け、湧き水となり、海に行けば海水となる。果てしないんだ」
「僕に分かっていることは、水だけだとH2O。海水はナトリウムイオンと塩化物イオンなど。土から流れた死骸が海だ。人間が死ぬと血液が蒸発して海の匂いがする。海水の成分はほぼ一緒。海も山の水も成分をかえ循環している。0から塩をつくれないんだ。だからわからない。君たちで答えを見つけてくれ」
子どもの目は輝いていた。
未知なる探究心がうまれたのだろう。
またある日。
子供は、こちらをちらっと見ておねだりをしてくる。
しっかり、頼んできたらやる。
頼んでこないときはやらない。
「やって」と横柄な態度のときもやらない。
すると、彼らはどうやってやってもらえるか試みる。
私の動作を見て真似て、できないアピールをする。
できないこととできることを学ぶには、ちょうどいい。
また、子どもたちの喧嘩も日常茶飯事だ。
ただ、長男の火蓮が止めに入っていた。
大人たちが加入する必要がどこにあるのかわからなかった。
少しチームを変えて見ることにした。
火蓮・水蓮・土蓮・太朝の4人をかぐやに任せた。
金蓮・木蓮・月夜を主に見ることにした。
すると、金蓮が自ずと引っ張るように行動する。
人間は、自分の置かれたポジションで輝くわけだ。
チームは、月イチくらいで行った。
といっても、水蓮・土蓮・太朝+1人だれかの4人をかぐやに見てもらった。
子どもたちは本当に大人を見ている。
かぐやとこうしたら良くなるんじゃないか?
と、アイデアを出し、これはこんどは僕がやると、そしたら私はこれとこれをやるわ。
と、毎朝約束して行って、空いた時間は日記を書いたり、真偽とも相談したり、地域のコミュニティーに参加したり、世間の情報をみたりしていた。
「なんで?」とすぐに聞いてくる。
ぼくは「なんでだと思う?」と、必ず聞きかえす。
すると、「なんで?」から「これってこういう意味があるんだよ」と、言うように情報を伝達するようになる。
「本当に、それだけの意味なの?」と僕は聞く。
「うん」とはっきり言う。
怪我はもちろんする。
怪我をすると、行動するときに注意力が生まれる。
子どもたちは、スポンジのように吸収をしていく。
真偽とかぐやと交え、月1でどうすれば良くなるか真剣にディスカッションをする。
①養子を5人取る
→7人に
②神社を購入
→OK
修復課題
屋根の雨漏りの修繕
プライベート空間の確率
③4人の1グループ
1.小さな和が広がっていく
2.子どもたちには求めない
3.自発的な行動にする
4.質問されたときだけ答える
5.自分も自給自足をして自立を目指す
3人グループの1グループ
かぐやに任せっきり
かなり負担が掛かっているため
・私と真偽とハグをする
・会話をして共感する時間を1時間設ける
④世間の常識
1.限界集落の義務教育
2.情報をオープンにする
3.宗教要素が有るか確認できるようにする
4.メディアを見方につける
かぐやは、文句を言わず「子どもたちの成長見て本当に幸せ」と言ってはくれている。
けど、なれない環境ということで、僕たちはしっかり話を聞く時間を毎日設けている。
噂になっているため、物資の支援や服の支援が募る。
衣食住の自立は完了しているため、物資の支援は海外の本当に物質に困っているところに売ってしまう。
その情報もオープンにしている。
参考にしたい人たちがちらほら訪れるが、人里離れているため珍しい。
世間もどうやら受け入れてくれたようだ。
1年から2年は、こうしてあっという間にときが過ぎた。
子供が5人以上になると、自然と回るようになる。
一年目はさつまいもの収穫をしていた。
二年目は稲作も学び収穫と脱穀までしっかり学んだようだ。
三年目から子どもたちで一反やることになった。
火蓮は、どうしても長男の役柄になってしまう。
私は、ここで、一度義務教育を見させても悪くないのではないか?
提案してみた。
本人は、はっきりと嫌だとは言わなかったが、明らかに心配の表情と見捨てられた、裏切られたと言った表情をしていた。
それなら、いっそのこともう一つ五人グループが作れるよう3人の新たな人を探してみるのもいいのではないか考えた。
子どもたちは、色んな表情をする。
また新たな友達ができてワクワクする雰囲気もあった。
閉鎖的に思うかも知れないが、子どもたちは集落の子どもたちとよく遊んでいる。
ただ、学校に行っていない分すこし敬遠されている。
子どもたちもその事をうっすら感じている。
喧嘩腰で来られていた。
「お前ら、普通じゃないらしいな。うちの母ちゃんが、あまり仲良くするなって言っていたぞ」
私は、火蓮がどうするか見守っていた。
悔しそうに口を噛んでいた。
帰りに道に私は来てみた。
「あの子にああやって言われてどうだった?」
「くやしい、殴りたかった」
「なんで、殴らなかった?」
「殴ったら、負けな気がした」
「何に対しての負け?」
「わからない。母ちゃんや父ちゃんに迷惑をかけると思った」
「はっきり言おう。隠しても無駄だから、オレもかぐやもいまの世間の教育というシステムからかけはなれたことをしている。普通じゃないんだ。けど、時代が変わればそれは普通になる。火蓮お前ははじめてここに来たときなんて思った?」
「父ちゃんや母ちゃんなんて、どうせまたすぐいなくなると思った。信じられるのは自分だけだと」
「いまは?」
「みんな大好きだ」
「いいかい。変わらないものはない。昨日のご飯と今日のご飯はにているかも知れない。しかし、変わっている。人間も同じだ。変わる。父ちゃんや母ちゃんもいつかはいなくなる。火蓮もいなくなる。海となり、雲となり、水となる」
火蓮は、長男のため責任感から家族を守りたいという意識が強く勝っている。
たしかに、「責任感が強く守りたい」という心は良いことでも有るが、エゴになる。
一番末っ子からの視点をみるのがいいかも知れないと思った。
しかも、かなり優秀な長男・長女たちの中の末っ子がいい。
私は、第2の居住地を創ることに取り掛かった。
それが、43歳のときだ。
メディアを味方につけたわたしたちは、10歳くらいの3人の子供のいる家族で自給自足したい人を募集した。
すると、すぐに見つかった。
また新たに大人2人と、子供3人が増えた。
火蓮が、3人の子供の1人として入った。
彼にとっては、新たな人として拒絶されるだろう。
厳しいものになる。
しかし、責任感の強い彼は断る術を知らない。
私は断ってきたらやめるつもりだった。
強制するつもりはない。
子どもたちの提案を聞きたいからだ。
案の定、彼はハブられた。
とても寂しそうにしていた。
私に助けを求めるような目で見てくる。
かぐやに甘えようともした。
だけど、大人たちは自分から頼み込むまでサポートはしない。
末っ子は、大人に媚びるのが上手い。
それは、責任感よりも媚びることでやりくりする術をみにつけるからだ。
1ヶ月したころ、かれはようやく声にした。
「昔のような生活がいい。なんとかならない?」と苦しそうな笑みを浮かべていた。
責任感だけでは、どうにもならない問題があることを理解したようだ。
親御さんと子どもたち全員を集めて話し合うことにした。
一番上である
禰豆子12歳
牛御10歳
虎丸8歳
この3姉弟に話を聞いてみた。
私のことを認めたくないようだ。
とても高圧的な態度を取られる。
彼らにとって新入りの私もやはり敵認識がどこかにある。
時間は、一種の解決する材料になる。
子供は、素敵な人のところに集まる。
自然と集まる。
知らない人に持ち上げられることは恐怖なのだ。
ひたすら忍耐強く待つ必要がある。
興味を記すまで待つのだ。
わたしは、1週間彼らと時間を過ごすことにした。
親御さんとも話して、私+禰豆子+牛御+虎丸+火蓮の5人で第2拠点を作っていくことにした。
両親がいないことへの不安感が現れた。
火蓮は、私に近寄って喋っている。
「あの3人は絆が強いんだ。認められるには、彼らの秩序がある。禰豆子が認めたら他の2人はついてくる。点々としているうちにそうなっていると話していた。」
「ありがとう。教えてくれて。火蓮は、本当にすごいよ。」と、僕は彼が許容されない期間でたくましく成長していることに感心していた。
自分が、いざ人から受け入れないと感じたとき逃避したくなった。
無理やり大人の権力でBossになることも可能だが、長期的に見たら子供の才能を潰すことになる。
私は、挨拶と感謝の言葉を子どもたちに毎日かけた。
そして「君たちと仲良くしたいんだ。よろしく」と、一言だけかけて、後は向こうから話しかけてくるまで、興味を示さない。
とりあえず、自分のできることだけを全力でやっている。
すると、日記を書いている時に虎丸が話しかけてきた。
「何してるの?」
「日記を書いているんだ」と言った。
日記というのが分からなかったらしく「毎日の出来事を書いているんだよ。こうやって、虎丸が話しかけてくれて嬉しかった。あらたな一歩が踏み出せたってね」
「ふーん、ねぇ、高い高いして」と言ってきた。
両親が良くやってくれたのだろう。
私は、子供の甘えたときに約束をした。
「高い高いをしたら、ここにいるときは、こうやって思ったことを話してくれるかい?」
かれは悩んだ顔をしていた。
「いいよ」と、言った。
「僕は、約束だ」
「約束する」と彼は言った。
高い高いをした。
打ち解けた気がした。
火蓮が来て嫉妬した顔をしていた。
「おまえも、やってほしいのか?」
「いい」と強がった態度だった。
「そんなに怒らないでいい、やってほしいことがあったら言えば良いんだ。断ることも当然ある。けど、できる限りのできることはするよ」と、子どもたちとは常に一律の対応をする。
彼は、両手を広げそれを望んだ。
約束することもなかったので、私は高い高いをした。
彼は、とても嬉しかったようだ。
こうして、ぼくはこの3姉弟とも仲良くなっていった。
子どもたちに、もう一度相談した。
6人の子どもたちとも交流をするようになっていた。
友達になって、仲の良い子同士で遊んでいた。
私が無理に分ける必要もないように思った。
子どもたちは、さつまいもの育苗から、収穫まで自分たちでできるようになっていた。
私が焚き火をして焼き芋を作っていると、同じように銀紙に包んで真似をして火に入れる。
私は、ここで竈門を3つ作る目的を作った。
A班とB班、C班で創る。大人たちも同じようにチームをわけた。
形やデザインは子どもたちが決める。
禰豆子・木蓮・水蓮・月夜かぐや・禰豆子の父
牛御・金蓮・太朝自分
虎丸・火蓮・土蓮禰豆子の母・真偽
となった。
このプロセスは牛御に、私はすべてを託した。
完成の日付だけ設ける約束をして、その日に焼き芋をみんなで食べることにした。
かれは、どうすればいいかわからないようだった。
長女の禰豆子はしっかり者だったため、いままで主体的なリーダーとして行ったことがないのだろう。
わたしは、彼に任せたのだから一切口出ししない。
約束を破ったら、破ったで焼き芋を食べる日に恥をかく。
その恥が、価値の有るものであるからだ。
しかし、彼は意外と聞いてきた。
「竈門ってどんなの?」と聞いてきた。
ネットでお互いに情報提供をしたが、実際に使ったことがないのでイメージが湧いていないようだ。
「どんなのだと思う?」と私はいつも質問を質問で返す。
「焼き芋が焼けるモノ」と彼は言った。
焚き火と何が違うか分かっていないことが分かった。
「知りたいかい?」
「うん」と、彼は言った。
「知るためには、どうすればいいと思う?」
「わかんない」
「僕も知らないことがある。そんなとき、どうやって行動していると思う?」
「誰かに聞く」
「それも一つだ」
かれは、答えが見つからずたじたじしていた。
わたしはじっと待つ。
「かまどってどんなの?」と、また聞いてきた。
誰かに聞く方法が「どんなの?」は、疑問だが、その答えが腑に落ちないだろう。
わたしは、違うグループがどうやっているか、見に行ってみた。
かれは、私についてきた。
そして、一生懸命理解しようとする。
やはり、禰豆子のA班は進捗が早い。
学校にも行っているので、原理を知っているのだろう。
土台部分はできていた。
彼はお姉ちゃんに聞いていた。
「どうやって作るの?」
「ここに火を入れて上を温めるの。この中の温度が上がって一律の温度を確保できるわけ。火は酸素がいるの。空気孔で循環するよう奥に煙突を仕込んであるわ。セメントを使って倒壊を防いでいるの。ここは、月夜が塗ったところでガタガタ」
それを聞いていた月夜が「ぬれぬれうるさいから、塗ってやったのに。感謝してもらいたいね」と、言い争っていた。
問題は、あるがこの子達なら上手くやっていく。
日々変わる人間関係と環境で最善の選択ができる。
これ以上の創造性はないと思った。
かまどの完成形を金蓮が、画用紙に描いていた。
バッタや虫、箱や三角など一つずつは無造作の中に上手なかまどがあった。絵を描くのが好きらしい
すごい集中力だ。
わたしの絵を書いている姿をみて笑顔でいた。
やはり、子供だけでも十分に上手くいく。
むしろ、大人が邪魔をしている。
私も、手出しをしている。
私が、子どもたちを強制しているのではないか。
そんな事を考えた。
しかし、それは「できる。できないの」干渉になる。
大人も子供も変わらない。
同じ人間なのだ。
私が「子供だから、大人だから」とふれあい方をかえ必要がないことがわかった。
こうして、かまどの完成日の5日前に牛が主体のかまどは完成した。
ほとんどおねーちゃんのかまどの外側のレンガにには、牛と蓮華と太陽のマークがモルタルで塗ってあった。
オープン型だったが、きっとそのうち上に嵩を作っている完成形が目に浮かぶ。
わたしは「とても綺麗だ」と、素直に思ったことを言った。
「良くできたね。かまどの作り方を教えてほしいね」と、ウインクをした。
かれは、少し照れて嬉しそうだった。
拠点が2つ有るため、かまどはA・C班は同じ場所に2つ。
前見たときにはなかったが並列していた。
話を聞くと、悶着があったようだ。
それでも、まとまっているという結果なのだ。
こうして、子どもたちと大人を混ぜての焼き芋パーティが始まった。
甘くする方法は、子どもたちが知っている。
75度以上にするとβーアミラーゼが失活するため、焚き火の温度を調整している。
βーアミラーゼなどの科学のツールを実践で活用できる。
まさに、教養をツールとした「生きること」をわたしたちよりも深く理解しているのだ。
1年を通してさつまいもを通じ収穫や食べること、人と触れ合うことをこのパーティとして歓喜していた。
牛や家畜の世話や稲作も自発的にやっていった。
手分けをするので、どんどんわたしは時間に余裕ができた。
生活するのに、一日2時間程度で十分だ。
なんなら、あちこちを飛び回る余裕ができた。
自分のできることをしていればいい。
「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
あちこちを見て回り、良いところを取り入れようとした。
そして、ドローンも取り入れられエネルギーも一つでないフリーエネルギーがいくつも出来上がっていた。
管理することが大変なものは、長続きしない。
シンプルで良いものは、取り入れられる。
子どもたちは、外に泊まり込みにも行き、そこであらたな居住点を作りコミュニティーも作っていた。
同じレパートリーがなく、わたしもたまに遊びに遊びいく。
文芸、絵描き、建築家、造形家。百姓家。
さまざまな多様性をうみ、極楽郷となった。
音楽で大地と語り、生まれの作用を知ろうとするもの。
おのおのが各々かたちで、他の人の役に立ち、それが自分のヤクにも立つことを知っていた。
性についても良く学んでいた。
むやみにやることはない。
お互いがお互いをリスペクトしている。
生命を間近で見てきたから枯れることと咲くことを知っている。
わたしは、50歳になって泣いていた。
50歳にして天命を知った。
毎日入れ替わり、私はいろいろな人と出会い、体験を通じ人生を謳歌していた。
しかし、世間の情報をみるとまだまだ、義務教育が主体だった。
人類が残した原発の見張り役。
戦争への落とし前。
他国からの侵略。
食料のベーシック。
そのために、人の手がいると思っているようだ。
太朝と真偽は、AIを使って農作のすべてを半自動機械でできる試みをしていた。
人間の手を全く使わずその土地で、無肥料無農薬でも豊作にできる実験をしているのだ。
時間の問題だろう。
ただ、人間の創造を吹き込むと、収穫量は増える。
想像することにより創造されやすいのだ。
言葉を、歌を、草木にかけてみよう。
生命力の違いを感じるだろう。
破壊をわたしたちは創造している。
死もわたしたちは創造している。
生もわたしたちは創造している。
わたしたちは、有であるのだ。
ほかは、無い。
放射能も有。
何かしらの変化をさせればいいのだろう。
時間を有するかもしれないが、いまをいきればよい。
有と無。有とも無ともいえる。
それくらいしか無いのだから。
その有を知るための世間は壁となる。
人間のトータル評価も少しずつ上がってきている。
労働という概念を学びきる。
労働が仕事になり、自由をえていく。
自由を得れば得るほど、できることの選択が増える。
黒は自ら選択していたのだ。
あのときわたしは、死んでいたのかも知れない。
滑らかな川になったのかもしれない。
17歳の私は、いま50歳の自分になっている。
年に青春もないのかもしれない。
私は青春をしている。
100歳でも200歳でも人は生きることができるだろう。
聖書では、年齢がおかしくかかれている。
エノスは912歳。
カイナンも910歳。
人生を謳歌していくと、年齢も超越できる。
いまこうして、人は時間の自由も選択できるようになってきている。
黒い自分を殺して、黒い自分は白であった。
白い自分は黒であった。
黒を白といえば、白になっていき、白を黒といえば黒になる。
時間と空間も白であり黒である。
そんなことを50歳では綴っておこう。
もう少し人間の抱えている問題を議論する必要がある。
17歳の君の時点で、抱えている問題について議論する。
世界における平均の一日のサイクルを紹介する。この日記で分かった。目の前の1人の友から、家族、地域と和が拡がっていく。
いまはまだ国なのだ。
日本の平均年齢はおよそ48歳くらい。
平均寿命90歳と仮定し
トータル788,400時間
睡眠時間246,375時間(31%)7.5時間/日
仕事時間88,200時間(11%)9時間/日
教養時間33,360時間(4%)大学まで8時間/日
その他・生活時間422,465時間(54%)7.0~7.5時間/日
これが一般的なサイクルだ。
衣食住が生きる事の大半。
通勤や日常生活で1〜5時間ほどだろう。時間的余裕があり趣味に大半を避けるようになりつつ2〜6.5時間くらいは自由な時間が有る。
趣味から仕事に転換できる。
自発的にやっているときは仕事は趣味になる。
その生活のベースは、エネルギーと資本が基本である。
そのエネルギーを運ぶために仕事をするわけだ。
そのエネルギーのために資本を手にしてご飯を食べにスーパーに行き車をつかって日常を使い、旅行に行くのもエネルギーを使う。
つまり、君たちの生活スタイルは、石油や石炭、エネルギーと資本がベースに動いている。
電気は石油や石炭、原子力のエネルギーじゃない?
そんなことはない。発電所から引っ張る場合は必ず経由して資本をはさむ。
これが必要な時代なのだ。
しかし、虚構の利権が現れる。
エネルギーを主体にした武器も作る。
循環は、世界の1人を中心に行う必要がでてくる。
しかし、その世界は争い合っている。
これが、世間の壁だ。
もし、エネルギーをその場で完結するものにしたらどうなるだろう。
ドローンは、その場所で充電され完結する。
この外から持っていくことをやめ、有るものから創り出す。
すると、エネルギーは無限になる。
石油や石炭、原子力も無限なのだが、外から補っているため無理が生じている。
無理をすると、地球が人間の住めない環境になる。
君たちが、お肉が美味しいと言って食べ過ぎたら次の日に胃もたれして下痢になるようなものだ。
地球の大気がエネルギーになれば、大地が枯れる。
この問題に取り掛かることで、エネルギーと資本の幻がなくなっていく。
原子力の問題もなくなる。
「工場などのエネルギーが大量に必要なところはどうすればいいのだ?」
こんな声が聞こえてきた。
工場内で終わる発電所を作れば良い。
維持管理の手間暇がかかる。
一文の得がない?
そうだろう。君たちの世界は資本なしでは原動力がない。
原動力を知る必要がでてくる。
子どもたちは、資本なしでも動いている。
子供の心をもてば、いいのだ。
ただ、幼稚な子供の心ではない。
地球にとっては放射能のなかでも生まれる生命もあるのだから、それはそれで良いのだ。
人間が生きたいという恐怖の欲望で、かってに環境問題と騒いでいるだけである。
なんども、地球温暖化も寒暖化があった。
ほんの80年の体験で物事を考えるからわからなくなる。
時間と空間に囚われる。
囲われているのが人である。
囲いをなくせば良い。
人間の生存を地球も望んでいる。
地球はどんな人間の生存を望んでいるか考えてみるといい。
答えがみえてくるだろう。
マシな答えが見えてくる。
さぁ、君たちの誘導されている枠組みの問題に答えを出していこう。
貧困
→貧しいことを気に病むと貧困。気に病まなければ貧乏でおわる。とても簡単。
資本があるからこのようなことが起きる。資本がなければこんな事も起きない。
教育
→教育は、過去の日記に記した。次なる芽がしっかりしていれば人類は生命で満ち溢れる。
水
→エネルギーを外から賄うから間伐していく。木を植えればいい。種をまけばいい。鳥のようになればいいのだ。植物は水だからだ。
医療
→資本をなくせばいい。高額な設備がいると思っているかもしれない。設備をシンプルにできるものにすればいいのだ。止血をするのに、いまだに絆創膏なのはシンプルで効果が高いからだ。複雑な設備は、すぐに誰も触れなくなる。AIによる自動機械医療を目指せ。あとは、自然治癒力の研究。人間は怪我を追っても治る。怪我をしてすぐ治る人と治らない人の研究をすれば食べ物や生活スタイルなどがみえてくる。
飢餓・栄養不足
→種を植えればいい。水問題と同じ。パンや保存食も自然なもののシンプルなものになる。
味噌や梅干し、真空の仕方でできる。戦争などの資金でまかなえば飢餓者や栄養不足はおきない。
紛争
武器商人がいて儲けたいから紛争を起こさせる。争いの仕組みをしれば解決する。つまり、教育の問題。
難民
悩んでいる人が難民だ。これは、移民受け入れさせたい思惑でしかない。つまり、水問題が解決すればおわる。
災害
エネルギーと資本を変えれば終わる。
人身売買・人身取引
エネルギーと資本を変えれば終わる。
児童買春
エネルギーと資本を変えれば終わる。
児童労働
エネルギーと資本を変えれば終わる。
海洋プラスチックごみ
エネルギーと資本を変えれば終わる。
大気汚染
エネルギーと資本を変えれば終わる。
ジェンダー格差(男女平等)
エネルギーと資本を変えれば終わる。そもそも平等をうたって商売をしている。
人種差別
エネルギーと資本を変えれば終わる。
少年兵
エネルギーと資本を変えれば終わる。
地球温暖化
エネルギーと資本を変えれば終わる。
気候変動
エネルギーと資本を変えれば終わる。
異常気象
エネルギーと資本を変えれば終わる。
識字率問題
エネルギーと資本を変えれば終わる。
森林破壊
エネルギーと資本を変えれば終わる。
土壌汚染
エネルギーと資本を変えれば終わる。
ヒートアイランド現象
エネルギーと資本を変えれば終わる。
ゴミ問題
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放射能問題
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所得格差
エネルギーと資本を変えれば終わる。
密猟
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タックスヘイブン
エネルギーと資本を変えれば終わる。
大量生産・大量消費
エネルギーと資本を変えれば終わる。
代理出産
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自殺
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児童虐待
エネルギーと資本を変えれば終わる。
ハラスメント
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LGBT
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ワーキングプア
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資源の枯渇
エネルギーと資本を変えれば終わる。
砂漠化
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GAFAへの規制
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人口増加(人口爆発)
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食糧問題
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食品ロス
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干ばつ
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CO2の排出
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エイズ・HIV
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感染症
エネルギーと資本を変えれば終わる。
このように、問題と思わせて寄付金を集めようとしている意図などの資本がベースであることが、分かってくるだろう。
だから、個人からなる教育から国が世界が変わっていくのである。
その場所で完結しているものは、外でも完結していく。
いまの生活を変えることが怖いから起きている問題でしかないのだ。