だらだらと「できると思うことはできる、できないと思うことはできない」の証明をする手っ取り早い方法を自分はみつけていた。

友に手紙を書く。
「15歳のころの君との話が懐かしい。何でもできるヒーローだと思っていた。しかし、生きれば生きるほど大人に直面した。できると思えばできると自分を奮い立たせていた。その最後の証明を僕はする。死を使ってその証明をする。ただの死では、世間は見向きもしない。
ライブ配信でしようとおもう。できると思うことはできる。死を持ってみんなに見せることで、証明されるのだ。名誉もあり、ある程度知名度もある。少なからず教育への影響がでるはずだ。心残りはある。君との約束だ。偉そうに、君は家庭に逃げたゴミといったが、君のほうがいまは誠実に思う。どうか、自殺した不名誉を君が覆うことだけは避けたい。なので、この日記は世間の騒動が終わった10年後、50歳の君に届くよう未来発送する。死を持ち、私は孤独に打ち勝つことができるのだ」
私は、この日記を書き終えたとき、すっかり枯れていた涙が目頭に溜まった。
しかし、決意は変わらない。
栄光の死として表現したいために僕は死に場所を川にすることにした。
三途の川で論文発表という話題性溢れるインフルエンサーになれると思ったからだ。
パリの凱旋門の前も良いと思ったが、自然に戻りたいので川にした。
カプセル型の小型爆弾を飲みスマホでアラームをセット。
川に入って最後に爆発して終わる。わかりやすいだろう。
あとで、死んでいないとか言われるのも癪なので、脈拍をリンクしておく。
死という爆発なのだ。
できると思ってもできないと否定するばかりで、私はもうこの世に飽きていた。
死ぬ勇気も無い奴らほど、死に執着する。
反吐がでる。
真っ黒の姿のスーツにTシャツもスーツも黒。
サムネは、できると思ったことはできる芸術は爆発だ。
これで、ライブの予約もして、清流に向った。
周りは人のいない清寂した夜の川辺だった。
新月を選び、夜の18時から動画を配信した。
自分の全財産をつかって広告もした。
視聴者数は世界で100万人といったところだろう。
いままで書いた日記を読む。
ギラギラ光り輝いた学生のポエムが自分を照らす。
妙に、的をえているところに腹立がたつ。
けど、その憤りもこれで終わりだ。
黒をより黒として表現できる。
トワール先生は、僕を理解してくれるだろう。
賛美を送ってくれるはずだ。
夜の川辺で、火を焚きながら、日記をめくり、僕は乾杯をした。
できることはできる最終の証明に「かんぱい」
これをのめばカプセルがスマホを連動でき死ねる。
『ああ、友よ。
約束を俺はいま守る。
おれは、川となり海に流れ0になる。
0になるのだ。
どうか、家族を持った友よ。
小さい幸せを子供に繋いでくれ』
ぼくは、飲みほした。
スマホのタイマーも動き出す。
ライブ配信も順調だ。50万にが見ている。
「日記は、正本でなく副本を持ってきて読み上げてる」と、説明した。
50歳に向けた死への日記だけは、伏せておく。
反響のコメントを見る。
「論文を読みました。効果も研究で証明され、講義に取り入れだしていることを本当に尊敬しています。日記があったんですね。論文を書いた心情がわかりそうです」
そんな文字をみながら、僕は日記を読み上げる。17歳の真人への日記「ドリーム」
・・・・

一冊読んだら、焚き火で燃やす。
また読んだら、燃やす。
最後の一冊になった。
38歳の真人「ディストピアの主体性の損失」
・・・・
これで僕の「できると思ったことはできる」の日記は終わった。
時間をみてみる。
爆発まで3分そろそろだ。
私は、川に移動する。
「人間もコスモス。
コスモスとして母のもとに還ります。川で、体についた灰を洗い流してきます」
と言い終え、私は膝上まで、川につかった。
枠を広めにして日をまたぐ。
そう、24時は、わたしの40歳の誕生日。6月6日で幕を引く。

右腕の時計をチラ見する。
あと、30秒だ。
わたしの人生は本当につまらないものだった。
こんな形でしか、できると思ったことはできると証明ができなく申し訳なく思う。
理想と現実は違うのだ。
ギャップがあるのだ。
私一人でも、偉大な母の前ではミジンコ以下なのだ。
そんなことを繰り返し考えていた。
そして、これで証明できるのであれば、光栄なことだと思った。
さぁ、あと10秒。
10
9
8
7
6
5
4
3
2
1
0





おかしい。ボカーンと言って終わるはずだ。
視聴者は、体を洗に川に行ったと思っているはずだ。
僕が「自殺しようとしている」と思っているはずがない。
仕方がないので、スマホを見てみる。
たしかに0秒になっている。
ふと、一つのコメントに釘付けになった。
真偽の名前があった。
そのコメントは「できると思ったことはできる」
ぼくは、ライブ配信にも関わらずボロボロ泣いていた。
おそらく、真偽が僕のスマホをハッキングしたのだろう。
僕の爆弾スイッチをオフに切り替えたのだろう。
わかれば、それくらい容易い。
そして、真偽のコメントには「できることはまだできていない。これから証明しよう」
と、書いてあった。
静寂した暗闇の川辺だが、私には太陽が差しているようだった。
世にもきれいに照らす朝一番の太陽。
僕は泣いた。
泣いて、泣いて、泣いていた。
40歳になるおっさんの号泣するライブ動画は、ある意味の反響を生んだ。
そして、私は決意した。
地道に、私立の大学の講義で取り入れてきたグループの創造性から自分であらたな寺子屋を創ることを。
この大自然から受け取り、それ以上に太陽を学ぶ方法はないことを40歳になってわかったのだ。
「できると思ったことはできる」
しかし、わたしは人生でこのとき少し違うように感じた。
強情ばりのできるでは、できないのだ。
本当の望みは、死ぬことではなく生きている限りは生きることにあるようだ。
孔子ですら「四十にして惑わず」なのだから、まだまだ自分のできることがあると分かった。