受験まで残り1年とちょっと。
最近、僕は子供だったころの大切だった何かを忘れている。
子供だったころは素直に笑えた。
小学生の頃は、両親にいたずらをしても笑ってくれた。
そのころは宿題も少なく、一家団欒で夕食を楽しんでいた。
大人になるにつれ、失敗したり、間違うと両親は不機嫌になった。
徐々に、失敗や間違いが、許されなくなった。
みんな誰もが子供で間違いだらけだったはずだ。
両親をみても、間違いはある。
子供の頃は、間違いに気がついていなかっただけかもしれない。
だから、僕は大人になる前の17歳のうちに日記を書いておこう。
僕も、大人になって自分の子供に同じことをするかもしれないからだ。
いまこうやって書いておくんだ。
理想の世界について書いておくんだ。
そんな世界は幻想かもしれない。
間違いかもしれない。
けど、自分が自分を殺さないうちに書いておくんだ。
これが、17歳の僕の青春だ。
17歳の子供の自分が、30.40.50.60.70…と年を取っても思い出せるようにするんだ。
これが、勉強より大切ないまの宿題だ。
そして、これが過去の自分からの最高のプレゼントだ。
「おめでとう。17歳の自分」
「おめでとう。70歳の自分」
「おめでとう。∞歳の自分」
この日記を読むまえの17歳の君に、お願い事があるんだ。
許してほしいんだ。
2つ許してほしいんだ。
1つ目は、つまり、その、17歳の僕は、もうすでに子供の心を失っているかもしれない。
このことを許してほしいんだ。
子供の心を完璧に書けない。ぼくを許してほしいんだ。
2つ目は、17歳だから、まだ大人にもなりきってもいないんだ。
学問に精通しきっていないんだ。
あの、その、表現力が未熟なんだ。日本語がおかしいかも知れないんだ。
未熟な日記であることを許してほしいんだ。
3歳の子供が机の上に落書きをしても、許してくれたように、許してほしいんだ。
だって、みんな子供だったんだから。
誰もが一度は、夢を見たことがあるはずだ。
寝てみる夢ではなく、叶えたい願いの夢だ。
夢で、ぼくたちはできている。
夢をみなければ、飛行機を作らなかっただろう。
夢をみなければ、美味しいご飯を食べようと思わないだろう。
僕たちは、夢の世界にいるのだ。
しかし、夢を語ると笑われる。
僕は、夢を見て笑われたことがある。
夏休みの自由研究で、ピタゴラスイッチをしようとした。
おもちゃのプラレールとスーパーボールを使って、家で自信たっぷりの傑作だ。
しかし、「学校に持っていけない」という理由で、両親が自由研究を何やら創り出した。
画用紙に貼り付けて、僕はコメントを書く。
「ファーブル昆虫の自由研究」と大きな文字で書いてあった。
子供の字にみえるよう丸文字であった。
夏休みにキャンプに行った時にスマホで撮影したカブトムシやコガネムシの画像を印刷して貼り付けてあった。
ぼくのピタゴラスイッチは、陳腐な夢で終わってしまった。
大人たちは、子供の創造をぶち壊す。
これからは「創造性が大切だ」と言いながら、平然と手を出して創造性をぶち壊す。
創造性がなにか分かっていないから、ぶち壊す。
ぼくは、大人たちに対して憎悪感があることを理解していた。
そして、怖かった。
大人になるということは、創造性を殺すことだと思っていたからだ。
15歳を超えたころ、大人たちは「夢よりも現実を見ろ」という。
現実というは、良い大学や良い企業と言った意味で、自分たちが歩んできた安心、安全の分かっている道だ。
子どもたちは、絶対権力者の大人の言うことを聞くしかない。
他の道を知らない。
反抗できる勇者は、ごくわずか。
食糧を手に入れる術が無い子どもたちを餌食にした捕獲者だ。。
だから、ぼくは勉強するふりをする。
勉強するふりをして、日記を書くのだ。
自分の魂を震わせろ。
おれは信念が強いのだ。
創造性を繰り広げろ。
ぼくは、17歳になっても、子供の心を持っていた。
大人たちのこころの声が聞こえ続けていた。
先生の立ち振る舞いに、声のトーンからこころが分かるのだ。
その人の創造性の没落がフィナーレがクラス中に鳴り響く。
「おまえら、こんな点数じゃ。大学行けないぞ。もっと勉強しろ、勉強を」
こころではこう言っている。
「オレは勉強して先生になったんだ。おまえらも我慢して勉強すれば先生になれるぞ。カリキュラムをこなす先生に」
明らかに妥協した夢だ。
給料に満足して生き生きと生徒たちと触れ合うというよりも、自分の生活をするために選択した逃げの一手である。
こころの声を聞くせいで、僕は大人の毒が僕の胃の中に入り込み、消化不良を起こす。
嘔吐感は、日に日にましていく。
そんな先生をみると、無性に腹が立ち反抗したくなる。
人の絆は、こうして崩れていく。
先生は、気に入らない生徒を校則で拘束する。
拘束されるとイライラして反抗を試みる。
反抗の手段は、いじめをはじめあらゆる喧嘩や訴訟となる。
先生と生徒の関係性と同じように強いものから弱いものへの弱肉強食の世界がリトルクラスとしてできあがるのだ。
いじめをして一時的な鬱憤を晴らすことはできる。しかし、根本的にでるガスは放出されない。
我慢しすぎた人間は無気力だ。
大学に行きたくない。
社会に出たくない。
この悪循環だ。
未熟な発展途上の子供と大人の向かえる末路は、腐敗臭のするゴミだ。
いつから、僕はこころの声から消化不良を起こしたのか。
少年や少女だった頃は、何も考えず障害を乗り越えてきた。
大人なんて気にせずに、何も考えず障害を乗り越えてきた。
17歳の僕は、すでに大人たちの魔の手が侵食しているのだ。
つまらない消化不良を紹介したのには、わけがある。
これが、日本に蔓延するモンスターの正体だからだ。
鬼だ。
魔女だ。
地獄だ。
この事を目をそらさず見つめたのが、17歳の真人の青春だ。
逃げることをやめた剣を持った勇者は、モンスターも、鬼も、魔女も、地獄も、死も乗り越える。
何を隠そう。
こころの声を聞き、それでも立ち向かっている僕がいる。
17歳のまさとは、大人を認めた。
空しさで歪んだ顔の大人を認めたのだ。
憎悪もなくなり、大人は小さな赤子であった。
「まさとバク転してくれよ」と親友の真偽が言った。
気のいい奴で、頭もいい。
おれは「楽勝、楽勝」と、後ろを確認して手の付く位置をイメージする。
地面をしっかり見て、両手を付き、あとは回転の力を使って着地。
「すげー、キレイなバク転だな」と感心してくれた。
その時だった。
「コラ、ソフトボールの体育中にバク転をするな」と先生が怒っている。
味方の攻撃のときは、打者が回ってこないから退屈だ。ついつい違うことをやりたくなる。
「すんません。次の回の準備アップです。ウィンドミルの回転とバク転の回転はにているんですよ」
「そんな訳あるか。次やったら反省文だからな」と、先生が言っている。
先生のこころの声が聞こえてしまった。
「怪我したら、オレが始末書を提出するからやめてくれ。」と、自分の損得の責任への圧力を感じる。
こころの声を聞くのはそんなに難しいことではない。
空気を読むことを極めた。その先にある。
その場には、その場の空気がある。
バラエティー番組には笑って良い雰囲気がある。
映画のクライマックスにも雰囲気がある。
相手の眉間の皺や表所の一つずつを見れば、自然と雰囲気が分かってくる。
子どもたちは、自然と大人の行動を見て真似る。
そこには声はいらない。
視線から自然とわかるものだ。
その能力を超越させた結果。
こころが読める。
苦痛を抱えている人は顔が歪み、幸せな人は幸せな顔をしている。
できないと思うからできないのだ。
何でもできると思えばできる。
もちろん、不可能なことはある。
「太陽を破壊しろ」と言われても当然できない。
できないと思うからできないのだ。
当たり前のことだ。
先生たちは、この事を授業で教えてくれない。
イメージから現実を創っている。それにもかかわらず、教えない。
大人になるとイメージが固まる。
同じイメージを永遠と繰り返す。
そのイメージが現実を作り、毎日同じ仕事場、仕事内容をする。
ロボットのような人間は、こころがない。
このことに気がついたのは、15歳の時だ。
目の前の打者の「三振を取ろう」ウィンドミルで投げる。
90km近くは出ているだろう。
「楽勝、楽勝」相手の打者は、かなり力が入っている。
「こんな早い玉、体育の授業で打てるわけないだろう。怖いからデットボールには当てないでくれよ」
相手打者のこころの声が聞こえる。
まったく、できないと思うからできないと言うのに。
先生が「ストライクバッターアウト」と言った。
試合にならないため「ピッチャー」交代と言った。
「おまえもっと打たしてやれよ。空気読め。空気を」と、先生が言う。
ライズボールで、先生の面に向って投げて顔にぶつけようと一瞬思ったが、反省文を書くのも癪だ。
やめておこう。
勉強ももちろん「楽勝、楽勝」
みんな自分が記憶力が悪いと思うから悪いのだ。
できないと思っているからできない。
勉強ができる人とできない人はこころに以下のような違いがあることがわかった。
できない人は、できない理由を沢山並べる。
・自分は、親が馬鹿だから
・テストで満点取ったことないから
・努力できないから
勉強できる人は、勉強できる理由をたくさん並べる。
・努力すれば点数が上げる
・自分は記憶力がいい
・親が頭いいから自分もできる
できると思えばでき、できないと思えばできないとはっきり分かるだろう。
中二病全開だと思うだろう。
ただし、受験戦争は椅子取りゲームだ。
スポーツ選手も椅子取りゲームだ。
定員数240人の高校に480人応募すれば、240人は必ずできないが生まれる。
240人の定員に200人になれば、椅子取りゲームは終わる。
だれもが、戦争を終わらせる事ができる。
こんな簡単な仕組みのために、大学まで行く人の平均の教養時間33,360時間(4%)8時間/日を使う。
ゲームついでだ。
記憶力の仕方を覚えれば、学校の教養を朝1時間で暗記できるようになる。
インパクトのあった出来事は、はっきりと覚えているだろう。
理由は簡単だ。人間にはそれだけの能力があるのだ。
記憶力を訓練することは、教えない。繰り返しやることばかりで努力が必要に思うだろう。
しかし、ぱらぱら教科書を見て文字を記憶すればいい。
そんなことできない?いや、できる。
絵描きは、チラッと見た景色でも模写できる。
それは、その風景を写真として思い出せるからだ。
まだ、わからないのか。
好きな女の子の顔と興味のない女の子。どちらの顔が覚えられる?
好きな女の子の顔だろう。
好きこそものの上手なれとは、この事を言う。
すべての有ることに興味を向けよう。
こころにも興味を向けよう。
そうすれば、記憶力の違いがわかる。
四六時中使っていると変人扱いされるうえ、消費が早い。
脳内の記憶をするお腹が空く。
1日のカロリー消費のHPが100だとすると、
一時間で10使う。
10時間の行動になり、14時間を睡眠に当てるロングスリーパーになる。
ロングスリーパーにならず、ハイにすることは良いが、HPが0で動くため肉体的負荷がかかり、故障がでる。
なので、朝に「1時間」教科書をめくって勉強を終わらせよう。
そして、日記に真心を込めるのだ。
記憶文章の創造は、記憶ではないのだ。
「できると思ったらできる」
これがわたしの信念だ。
信念ができたら、棚を創るように太陽も大地も創れる。
ただ、太陽や大地を創るためのコードをぼくはまだ持ち合わせていない。
地球にこれだけのエネルギーを伝達するフリーエネルギーも、細菌も、植物も、鉱物も、海の成分も調和できるまでに及ばない。
できないと思うから、できないのだ。
毎晩、星を見る。
天体観測をするのだ。
毎日、絶対同じ形の夜空はない。
雲の形も月の形も違っている。
ズレがある。
無限に広がる夜空は創れない。
だから、大好きだ。
ぼくは、ドバイのオンライン大学の専攻もしている。
本来、大学は何歳でも一定の水準の学力があり、行く場だ。
ドバイの講義は、時差で夜にディスカッションできる。
最高の学びの場だ。特にドワール先生の講義は群をぬいている。
明らかに日本の教育より個性に特化しており、進んでいる。
ぼくも悩みが無いかと言えばもちろんある。
できることとできないことの識別である。
空想と現実を理解するのは、難しい。
空想をできると思えば、歪んだ形でその姿は現れる。
幽霊が見える人は、空想を歪んだ形でその姿を現すのだ。
わたしは、寝て見る夢でこんな話を聞いた。
この夢の日記は、明日綴ろう。
できることとできないことの識別は、以下のような条件であると夢であった魔女は言っていた。
1.できることは、ほんとうに望むこと
2.できると思うことは、自分の創造にあうことだけ
3.自分の創造にあっているのは、ほんとうに望んでいることだけ
この事を頭に入れて、人間を観察してみると良い。
創造は、十人十色だ。
お金持ちを望んでいる人は、お金持ちになり、
貧乏を望んでいる人は、貧乏になる。
創造とマッチすれば、貧乏はなくなる。
記憶力の正体を教えたが、絶対音感の聴覚に特化する人など創造のバリエーションは無限だ。
あなたにはあなたにあったできることがある。
記憶力がいらない人もいる。
何が、その人に必要なのかはあなたが決めることだ。
人に頼るな。
自分を頼れ。
いいか、忘れるな。
世の中が、真っ暗にみえてもそれは、他人を頼った自分の投影だ。
そして、自分が創造を望んだ。
学びが生まれる。
まだ、子供だった君に言っておく。
万物には共通の目的がある。そこに、生と死の生命は関係ない。成長し向上しようとする作用だ。幸福になろうとする作用がある。
幸福になるために不幸を知るため、先生たちは反面教師になっているのだ。
なんて、素晴らしい演出家なのだろう。
ぼくは、はっきり本当の望みを記しておく。
17歳の僕としての本当の望みだ。
「まず、勉強を何のためにするの?」と、反面教師に聞いて欲しい。
すると、びっくりするくらいに「いざ、やりたいことが見つかったときに便利だ」と口を揃えて言う。
「いざ?」っていつだろう?
勉強が生きる目的になっており、生きる目的の勉強になっていない。
釘を打ち込むのに、石でもいいのだ。
それが、どうだ。
釘を打ち込むために、トンカチを世界中から探してその答えしか導きだせなくなってしまう。
トンカチが、世界中から無くなっていたら、釘を打つことが永遠に不可能だ。
勉強は、道具でしかない。
しかも、記憶という限られた道具でしかない。
目的を記すのだ。
目的を記せ。
汝、求めよ。さらば与えられん。
【本当の望み】0からの教育の構築
ドローンが人も物も輸送し、搭乗できる世界をイマジンして欲しい。
道路の整備も高層マンションも必要なくなる。
なぜなら、空は直線に結べるからだ。
移動時間は格段に速くなる。
土地が足りない?
田舎は大変だ?
誰が言ったのだろう。
田舎の別荘に憧れるのは、広い空間や場所が必要だからだ。
衣食住の見直しがされる。
住は、3Dプリンターで確保される。
衣は、麻が必要だ。
食は、土地の旬のものを食べる。
田舎暮らしの縄文時代と思う方もいるかも知れない。
ちがう。現代のテクノロジーのまま別荘暮らしを誰もがする。
会いたい人には空路で会う。
道路やダムは、汚泥を貯め土砂崩れする。
アスファルトを埋めてしまえば土に還るものだ。
なんで、こんな簡単な事ができないのか、ぼくにはまったく理解ができない。
できると思うからできるのだ。
そして、いまも求められている人類共通の本当の望みだ。
東京に暮らしている人は、「住むところじゃない」とぼやく。
ぼやいているだけで、どうすればいいのか答えはいわない。
なので、17歳の僕が声をあげて言おう。
出る釘を打つ大人たちがいるかもしれない。けど、トンカチがなかったら大人は釘を打てないだろう。
もちろんリスクを含むことは分かっている。感電や腐敗による人的災害である。
放射能を放置したら、地球上に住めなくなる。
そのためにAIと人間で基本管理するところはして自動化にして、人間は人間の棚作りをすればいい。
棚は作れると思っても、この未来は作れると思わないらしい。
自分たちの有るもの以外無いと思う。
不思議な現象が起きている。
人間のトータルスコアの平均値が人間だ。
666だ。
ぼくがいくらバク転ができようが、君たちができないと思ったらできないのだ。
この人類共通の物語のゴールから、自分のほんとうの望みを探してみよう。
縺れていた紐が、簡単に解けるだろう。
17歳の僕は、希望を書いた。
希望がないと行動できない。
希望が必要なのだ。
14歳の真人への日記「真偽との約束」
僕は、真偽とこんな話をしていた。
「オレの夢は、ユートピアを創ることだ。極楽浄土を天国をこの地球上に創っていく。笑顔で人類が毎日ご飯をたべ、仕事をするんだ」
具体的には、生き生きと枯れる。
人も同じだ。生き生きとし生き生きと死ぬ。
そんな立派なことを言って叶えたやつはいない。
なぜなら、これは1人ずつができると思わないとできないからだ。
けど、絶対にできる。
いつか、絶対にできる。
辛いことも我慢することもない。
できると思うことはできる。
人間は幸福になるようにできている。
そのために、おれはお前と約束する。
何歳になってもこの夢を諦めない。
まずは、お前とオレで証明しよう。
いつまでも変わらない。
この夢を。
そして、その和は国境を超えて広がっていく。
オレは、打ち解けてみせる。
オレらのクラスの奴らでも家族問題で悩んでいる人は多い。
親と子の関係、兄弟姉妹の関係。
この小さな生活のストレスで、お互いが殺し合う。
我慢の限界で、我慢をし続けて答えをみつけられない。
できると思えばできるのに、できないと思ってできないことをつぶやく。
この前もクラスの女の友達からこんな相談を受けた。
「中学受験で疲れて、帰ってきてご飯も食べれず弟には「死ね、うるせ」
親もそれをスルーして私には家族の居場所がない。
受験のストレスと家庭のストレスで情緒不安定で泣いてしまう」
できないと思うできないをたくさん並べて言われた。
「できると思えばできる」と、言ってしまうと「あなたは私の置かれている環境が分かっていないのよ」と心の声が聞こえた。
だから、まずは聞くことにした。
「偉いね。そんな環境でも生きている」
と聞いた。
少しずつ、少しずつゴミを捨てさせる。
できない言い訳をするよりできる言い訳を考えさせていく。
「我慢しても、余計苦しくなったわ」と彼女は言った。
「そうなんだ。弟はどんな学校生活を送ってるの?」と笑顔で聞く。
「弟は、友達がいなくて学校生活にギクシャクしているみたい」と答えた。
「弟の立場だったらなんて思う?」
「友達がほしいと思うわ」
「そうだね。認められたいんだね」
「友達くらい自分で見つければいいのに」
「そうだね。見つけ方がわからないから、うるせ、死ねとあなたに言うのかもね」
「そうかもしれないわ。私に当たらなくていいのに」
「それを私に相談して頼りにしているね」
「だって、苦しんだもの」
「弟も苦しんだね」
「そうね。けど、うるせ、死ねはやめてほしいわ」
「やめてほしいだね。けど、僕にその話すことを君はやめない」
「何が言いたいの?」
「君は、弟とおなじことを僕にしていることになるね。言葉は違うけど批判を僕に言って憂さ晴らしをしている」
「あなたは、私の味方じゃないの?」
「敵でも味方でもないよ」
「むしゃくしゃするわ」
こころの声が聞こえる「本当は、好きなのこの感情分かって」
僕は彼女の心の声は、聞こえないふりをした。
「弟を認めたことはある?」
「なんで、認めないといけないのよ」
「認めれば、認められる。認められたいのであれば、認められないだ」
彼女は目を逸らして何かがわかったようだった。
それ以上話をすることはなかった。
ぼくは「君と話せて良かったよ。ありがとう」と言った。
彼女は、黙ったままだった。
そして、泣いていた。
その涙には、きっと弟を認めてみる決意がこもっていた。
後日、話を聞くと、
家族で話し合って、食事のときにお互いに思っていることを素直に話すようになったとのことだ。
彼女の中で、家族と笑顔でご飯を食べることができると思ったのだろう。
もちろんすべてが上手くいくわけではない。
できないと思った結果、できずに終わる人は多い。
そもそも、矛盾も抱えている。
椅子取りゲームの矛盾を知り得ない限りループからは抜け出せない。
なのに、先生は協力しろという。
矛盾している。
僕は、この騒動について、親友の真偽に話し終えた。
この矛盾をとくには、さまざまな5人ペアで組ませ協力して創造するようにすればいい。
目的に向って日数は変えることにより創造物をより素早く美しく完成させることができる。
優秀な人と優秀じゃない人に分けるトーナメント式では、優秀な人は優秀な人と戦う羽目になる。
優秀な人は、優秀じゃない4人と組んでチーム全体をひっぱてもらう。
能力がより良い能力として磨かれる。
優秀じゃない人も成功体験として自分に自信がつく。
このシステムができれば、争うことよりも協力して創造できることへの喜びを学べる。
できると思えばできる。
では、どうしてどうして、それができずにいるのか。
それは、同調圧力のシステムを変えるには権力があることだ。
しかし、いま記しておく、権力に屈服すると黒い衝動がやってくる。
勇気を忘れるな。自分を認める勇気を忘れるな。
おとなになる前に真偽との約束を綴っておこう。