幹線市道6号線が12街区を通過し、そこで東西の別の幹線市道と交差する「スガ・ジャンクション」と呼ばれるポイントがある。付近には製造企業の物流基地や資材倉庫などが集積し、深夜を過ぎてもなお、輸送用大型車両の交通が絶えない。光ケ丘市の製造業と物流を支える最重要ルートのひとつだ。
 八月三十日、午前四時を少し過ぎた頃、そのポイント付近の側道に複数の動く影があった。もちろんそれはシロヤナギ・ルカ、キセ・タカキ、ワキサカ・サキ、ウエダ・ハルオミという四人の学院生。大型車両の排気ガスですべてが煤塵にまみれた、美しいとは形容しがたいこの凡庸な市道の未明の暗がりが、四人の計画開始初日の最初のアクションを起こす運命の地となるわけだが。
「ふむ。興味深いな。労働市街地が、実際にはこのような場所だったとは」
 側道上に違法に積み上げられた建築パネルの山に身をかくしながら、シロヤナギ・ルカが感想を述べた。
「わたしの想像では、もっとはるかに街路幅の狭い、小住宅の密集する排水の悪いスラムのようなものを想像していたのだが」
「おまえなぁ。勝手な妄想で労働階級をディスってんじゃねーよ」
 横の暗がりから、タカキが抗議した。
「実際、ここはまあ労働地区のほんの一部だ。すべてがこういう場所じゃない。実際おれたち―― いや、昔のおれやおやじが住んでたような住居エリアは、こことはだいぶ離れた位置にある。そこにしたって、まあ、下水はあるし、電気もきてるし、それなりに普通に暮らせる。あと、鬱になったり絶望して自殺しない程度には、公園とかのアメニティも整備されてる。学校も保育所もある。んでから、おまえの妄想みたいな小規模住宅なんてのはそこにはなく、あるのは団地形式の大規模集合住宅だ。って言っても、それが小規模住宅よりいいのか悪いのかは、おれには評価しづらいけどな」
「おいおい。君のほうこそ。労働市街をディスっているのは君の方じゃないか?」
 シロヤナギが笑った、
「だけど、もう4時を過ぎたけど。来ないね。車列。4時っている約束だったんでしょ?」
 隣の闇からハルオミが言った。その隣にはサキもいる。街路照明の死角になったこの放置資材の間のスペースでは、そばにいる相手の輪郭がかろうじて見える程度だ。
「4時以降、だからな。今からだ。おおむね35両程度が先に通過する。んでから距離を少し置き、そいつの車両が最後尾にくる。まあだから、待つしかねぇよ。もうすぐたぶん先頭の車両が来る、って、おい。あれじゃないか?」
 資材の山に足をかけて上から道路をうかがっていたタカキが、そこから声を投げ落とす。
 足の方から響く大型エンジンの重厚なエンジン音が徐々に接近して音量を増し、すぐ付近の道路を通過。濃い排ガスの臭いとともに、その音はまた遠のいていく。
「いや。違った。一両のみか。車列、って言ってたからな。もっと立て続けに来るはずだ」
「しかしひどい空気だ。旅の装備品の中に、防塵マスクをリストアップすべきだったのじゃないか? そもそも待機地点として、もっとましなポイントを選べなかったのかい」
 シロヤナギが片手で口を覆ってむせながら、今朝はもうすでに四回は繰り返している、同様の不満をタカキにむかって投げつけた。
「あ、そうそう。ここで皆に再確認しとく。出発前にもさんざん言ったが。ここからは、電気系のガジェットはすべてなしだぞ。もし持ってたら、ここから先への持ち出しはむりだ」
 タカキが言った。声の真剣度が、先ほどより増している。
「念には念を入れていま最後に、もう一回、言っとくが。ここより先のゲートや、あるいは市外のエリアで何かの電波を当局に拾われたら、その時点で厳しくなる。これは基本だが、最重要な注意点だ。もし荷物の中になんかうっかり電磁ガジェットあるなら、いまここで申告しろ」
「ないよ」とハルオミ。
「ない」とサキ。
「基本的にはないね」とシロヤナギ。
「基本? 基本ってなんだ? なんか引っかかる物言いだな」
 タカキが問い返す。
「ひとつだけ、あると言えばある。だが、それはたぶん問題ないと推測する、ということだよ」
 シロヤナギが言った。声がかすかに笑っている。
「電波やネットワークとはいっさい無関係の、きわめて原始的なツールだよ。つまり電池駆動の簡易カメラ。特に電波を使うこともなく、電源オンで生じる電磁波のレベルも極小だ。距離にかかわらず、まず当局が拾うのは無理だろう。旅先で、写真の一枚くらいは撮っておきたいじゃないか」
「お前なあ。そういうのがダメなんだよ」
 タカキが、いらついた声で息を吐く。
「まあおれも、そのレベルのガジェットならおそらく大丈夫だろう、とは思うが。けど、おれは『おそらく』とか。そういう小さい可能性すらも潰しときたいタイプだ。『たぶん』とかは、今は全部排除しときたい。正直なところ」
「なに? つまりそのカメラを、ここで捨てろと?」
「…まあ、できたらそれが一番いいけどな。これはマジの話だ。万一、何かユーザーの想定してないチップとか入ってたら、その時点でアウトだ」
「ないよ、そんなもの。しょせんは子供向けのお遊びツールだ。君は少々、当局の電波監視体制を過大評価している」
「…だといいんだが」
 タカキが否定的なニュアンスで首を左右に振った。

 厳密にいえば、四人の行動はすでに昨夜のうちにスタートしていた。
 四人が外泊の口実にしたのは『サマーセミナー』で、それは今日からシロヤナギの屋敷の敷地に建つセミナーハウスで開催される予定になっており(大嘘だ)、前日の夜にはレセプションの交流会が開かれるため、参加者は全員、昨夜の時点でシロヤナギ邸に集まる必要がある――
 と、まあ、ごく単純に言えばそういうストーリーだ。(もちろんシロヤナギだけは、それとは別の口実を用意していたが。)
 その虚偽のストーリーに沿って、サキとハルオミとシロヤナギの三人は、セミナー仕様の軽装、最低限の手荷物のみで、保護者に行ってきますを告げてなにげない風を装い、夜の街に出てきた。しかし彼らが実際に集合したのは上層民市街の一角にあるタカキの居住ユニットだ。

 その夜はタカキの保護者、つまり父親のキセ・ハルキは、システムエンジニアの重要業務で別の街区のオフィスに午後から派遣されており、翌朝まで不在。もとより母親のいないこの家庭では、なりゆき上、そこに残るのはタカキひとりとなる。
 その機会を最大限、有効利用し―― というよりも、まさにその父親のスケジュールに合わせて今回、計画をたてたわけだが―― 4人はまず最初に、この住居の二階の一室にひそかに集合した。それほど大きくもないタカキの部屋のクローゼットには、数日前から四人の旅行に向けた物資や道具類が着々と積み増されていたのだ。
 実際、その夜そこに集合した時点で、四人はまずは外で買ってきた食材を使って簡単な夕食を短時間で済ませた。それから順番にシャワーを浴び、未明の出発に備えて仮眠に入った。(なんだかんだ話がはずみ、結果的にはサキ以外はほぼ誰も眠らなかったが。)
 
 午前0時のアラームとともに、四人は素早く起床する。キッチンでごく簡単な最低限のカロリー補給をすませた後、女子と男子で寝室とバスルームに分かれ、旅行用のウェアに着替えた。
 着替え後のハルオミは、薄手のブラックのジャンパーに、野外作業用のルーズなスラックス、そしてジャンパーの下にはレッドのシンプルなTシャツを1枚。
 タカキは白系のTシャツの上に、長袖のボタン止めホワイトシャツをラフにボタンを留めずにひっかけている。あえて白でまとめているのは、日中の強い日差しを意識してのことだろう。そしてここに、実際の野外では、マスタードカラーの無地のスポーツキャップが加わることになる。
 最初に寝室から出てきたシロヤナギの服はと言えば、ハルオミとおそろいのカジュアルなブラックのフードつきジャンパー、ジャンパーの下に着ているのは、ワンピースタイプの袖の長いダークレッドのスカートドレスだ。気温の上がらない夜のうちはともかく、日中、夏の野外で行動するのに適したアイテムとはとうてい考えにくいが、シロヤナギ自身は「これでいい」と言って最後まで譲らなかった。
 いっぽうサキが旅の服装として選んできたのは、以前の打ち合わせの日に着ていたのと同じノースリーブのホワイトのワンピース。日差しが強すぎる場所では、その上にごく薄いブラウン系のカーディガンを着て、肩から腕を日差しから隠す。そして頭には、リムの広い天然素材のラフィアハットをかぶる予定だ。古風な言葉で言うところの「麦わら帽」を、もう少し現代風にスタイリッシュにしたイメージ。ずっと前に市街のマーケットで買ってクローゼットに置いていたものだが、なかなか着用する機会がなくてそのまま眠らせていた。今回はちょうどよい機会だろうかとサキなりに考えて、クローゼットの奥から持ち出してきたのだが。それを最初に見たときのタカキの反応は、正直あまり好ましい感じではなかった。

「ははっ! いつの時代のお嬢さんだよ!」

 タカキは笑って指さした。
「麦わら帽! なんかそれかぶってる女子ってリアルでは初めてみる気がするぜ?」
「ばかだな、君。ピュアで清楚なカントリー系のガールズファッションがわからないとは無粋な男だ。大丈夫、この男の言葉は気にするな。とても似合っているよ、サキ。」
 と、シロヤナギはフォローしてほめてくれたが。どこまでそれがシロヤナギの本心なのかは、サキ自身にも判断がつきかねた。

 そして出発予定の午前一時三十分が来た。
 定刻どおり、四人はそれぞれ割り当てられた荷物を背負って夜中の市街に足を踏み出す。
 ここからタクシーを使えば簡単なのだが、それだと不審に思われ通報される危険があるので、労働市街までの移動は、けっきょく自分たちの足に頼ることになった。東部エリアの南郊に位置する「スガ・ジャンクション」までは、最短ルートで5キロ程度。人通りの絶えた深夜の路地の移動にはさほどの困難はない。ただし今夜の四人は事前にタカキが選んだ「人目につきにくい迂回ルート」を慎重に歩行したため、実際の到着までには、予定をオーバーして2時間近くを費やした。

 ここで予備知識として書いておくと、光ケ丘市の公式な建前としては、下層の労働市街と上層民居住区とは、明確な区割りとして境界が設定されているわけではない。そもそもが、「上層民」という言葉はあるが、「下層民」という言葉は公式にはない。「労働市街」という用語自体も準差別用語にあたり、それをパブリックな場面で使うことはモラル的には好ましくないとされている。
 だが実際にその二つの世界の区切りが、メトロ中央線・都市高速7号が並走し、東部市街と西部・北部市街とがきっぱりと分かれるひとつのライン上にあることは、光ケ丘の上層民の生活実感としては事実そのものだった。
実際、そのラインより東に入ると、犯罪率や貧困率は顕著に跳ね上がる。そのため「良識ある」上層民たるもの、そのラインを越えて東側の市街に足を踏みいれることはタブーとされた。現実問題としては、東と西を貫いて移動できる公共道路そのものが最小限しか設計されていない。そのため性質の異なる二つの街区は、ほぼ交わることなく東と西(西側には、北の一部も含まれる)とで棲み分けてきた。ときどき事情のわからぬ東部エリアの孤児などが越境して上層民区に入りこむような場合には、すぐに警察と保健衛生局が出動し、「保護」の名目で、越境者をもといた所属区に即座に送還するのが慣例となっていた。


「来たぜ。あれっぽい」
 側道上で見張りに立っていたタカキが三人を呼んだ。
「けど、まだだ。まだ出るなよ?」
 タカキは言って自分自身も車両通行帯から距離をとり、側道上に違法に積みあがった資材のかげに身を隠した。
 そのあと時間をおかず、光度の強いイエローのヘッドランプがゆっくりと南進してきた。そのランプは腹に響く轟音とともに接近して交差点に進入し、四人の隠れるポイントのすぐ付近を通過した。風圧とともに巨大な獣の吐息を思わせるエアブレーキ音が四人に肉薄、シロヤナギは顔をしかめて両耳を塞いだ。
「一台目。」
 タカキがカウントする。
「次がもう来てる。たしかに車列だな、これは」
 二台、三台と同型の車両が距離をあけずに次々と通過する。
 一台あたりのサイズはサキが想像してたよりもはるかに大きい。巨大なエンジンをうならせる牽引車の後ろに、天井のないコンテナ積載ユニットをそれぞれ二両つないでいる。線路軌道こそないものの、あまり車両種別の知識のないサキの目からは、それはある種の貨物列車の外観に近いと映った。その貨車部分にあたる積載ユニットにはすべて、何かのマテリアル廃材が山盛りに満載されている。
「十四、十五、」
 轟音に声を消されそうになりながら、タカキがカウントを続ける。途切れなく南進を続ける車両の群れが吐き出す排ガスは膨大で、シロヤナギだけでなく、サキもハルオミも、その場で大きくむせた。サキも両手で口と鼻を覆ったが、それも気休め程度にしかならなかった。足元からくる不快な地響きが、それに追い打ちをかける。
「三十六、」
 タカキがカウントしたのを最後に、巨大なエンジン音はもうそれ以上は近づいてこなかった。しだいに南に遠ざかっていく複数の巨体のエアブレーキが、はるかな古戦場の馬のいななきのように静かに長引き、遠ざかっていった。
「これで終わり? 以上?」
 ハルオミが、タカキの耳のそばで訊いた、
「…っぽいな。しかし、止まらなかった。スルーしやがった。車列の最後に、そいつは必ず着けるからって。何度も確認したんだが、」
 やや自信を失ったように、タカキが暗がりの中で自問した。
「何。つまり、約束は守られなかったということか?」
 シロヤナギが立ち上がる。
「金を受け取り、実際には、協力しなかったと?」
「いや。とも限らねえ。このあとに、まだ来る可能性もある」
「しかし、何も来ないが?」
「待て。落ち着け。ガクトは… おれの知り合いのそいつは、そういう―― 人を騙すタイプじゃない。やつは約束は守る。きっと何かの手違いで――」

「あ! 見て! あれじゃない?」

 サキが叫んだ。サキは資材のかげから側道に出て、接近してくるその巨大なヘッドランプを腕で指す。
 その巨大な車両はゆっくりとした速度でスガ・ジャンクションのメイン十字路を南にわたり、こちらに接近。ピョウッ、という独特のエアブレーキ音を何度か連続させて、速度を―― 確かに速度を、落としているようだ。
「おい。みんな出ろ。あれだ。おそらく間違いない」
 タカキの指示で、残りのメンバーもそれぞれ荷物をすべて背負った形で車両通行帯の側まで出てきた。強いイエローのライトが、4人の輪郭をくっきりそこに照らし出す。二両の無蓋コンテナを従えたその巨大な牽引車は、そのあと4人の前をわずかに通過した地点で、重々しくエアを吹きながらゆっくりと停止した。
 四人はそちらに近づいた。間近まで行くと、その車両の重量感と車高の大きさにサキは圧倒された。黒光りするそのボディは、車両というよりも、むしろ夜の市街を人知れず遊泳する圧倒的な体躯をもった未知の海洋生物を思わせた。

 ヒュッ… 

 今度の音は口笛だ。誰かがそこで口笛を吹いた。
 吹いたのは運転台の男。男は牽引車の窓から、無言で腕だけだして何かこちらに指示を出した。その腕と指は、後部積載車の一両目の上部を、わかりやすい形でゼスチャーで示している。
「よし、乗るぜ。」
 タカキが初めに、車両側面のラダーをつかみ、機敏な動作で無蓋コンテナの上にのぼりつめた。タカキはそこから手を伸ばし、他の三人の背荷物を、ひとつずつ順番に、素早く上へと吊り上げた。
 そのあとシロヤナギが続く。その次にサキ、最後はハルオミ。
 四人が登ったコンテナには、不規則な形に圧縮された、かすかな粘度のあるチャンク状の樹脂残滓が満載されていた。その廃棄物の山にかぶせられた防水シートを押し広げ、隙間から、チャンクとシートに挟まれた臭気あふれるわずかな空間に四人はなんとか入りこむ。四人をとり囲むそのタール色の樹脂チャンクからは、頭痛をもよおす揮発臭、それにわずかな熱気も立ち上っていたが、今はそれについて苦情を述べるときではないのだろう、とサキは諦める。さすがのシロヤナギも、ここでは文句を言わずに窮屈な姿勢でサキとハルオミの間の位置に無言でおさまった。

 四人が所定の位置に隠れたのを確認した上で、タカキが ヒュウ! と口笛を吹いた。
 それを合図に、牽引ダンプのドライバーが、ゆっくりと車両を再発進させた。
 こうして今、四人の夏の冒険は始まったわけだが、それはこれまでサキが想像を重ねてきた、いかなる種類の冒険とも違っていた。視界すらろくに確保できない。名前も知らぬ廃棄物質の山に取り囲まれ、暑いし、呼吸も少し不自由だ。まったくもってスタイリッシュでない、恰好よくない、臭いもよくない。姿勢も悪くてすでに腰が痛む。幸先の良さをいっさい感じさせない、いささかハードボイルドな冒険の序章。密着してうずくまった仲間の汗と体温を間近に感じて廃棄物に埋もれたそこでのサキは、正直なところ、今はもう、不安以外の何かの要素をそこで感じることはできなかった。