もちろん、あらゆる物語には後日談というものがある。

 もうすでに終わった夏の時間のあとには、いっさいの説明は不要だと言う者もあるだろう。いや、必要だと言う者もあるだろう。ここではひとまず、必要と言う者のその必要を満たすため、最低限の事実の記述を羅列するにとどめておこう。必要でないと言う者は、読まずにここで終わりとしても良いだろう。いずれにしても、起こったことはもう起こったのだし、シロヤナギと3人の友人たちにとって、その夏の時間はたしかに存在した。それだけが重要で、それ以外のことはあまり問題ではない。それでは後日談。

 出発時に踏み越えた西岸の浜までの道のりを、4人はまた2日の時間をかけて正確に逆ルートをたどり、翌週月曜日の未明までには市街の付近に帰着する。体調を崩したシロヤナギはもうあまり自力で歩くことはなく、ほぼすべての行程を3人に支えられ、大部分は背負われて移動した。そのため、市街への帰着までには非常に過酷な移動の時間を要したのだが。その詳細はここでは書かない。必要があれば、それはまた別の機会に語られる。
 結果だけを言えば、4人は当初の帰着プランのタイムリミットをかろうじて超えない範囲で市街付属の廃棄物処分サイトにたどりつき、大きな問題を起こさずに、市街内部に人知れず回帰することに成功した、と。その結果だけをここには書いておく。

 次に、

 その旅の直後から顕著に体調を悪化させたシロヤナギは入院がちな秋の新学期を迎えることとなり、その秋のほとんどの時間を学院ではなく、北部地区の特殊病院内で過ごすこととなった。
 シロヤナギの容態悪化と死亡を知らせるチャットメッセージがタカキのもとに届いたのが12月3日の朝で、タカキはその足で学院の別校舎で授業を受けていたサキのもとにかけつけ、その時点でサキも、シロヤナギの早すぎる死を知ることとなる。

 シロヤナギの葬儀はその3日後、シロヤナギ邸の特設会場で千人以上を集めて盛大に行われた。タカキとハルオミの2人はプラチナグレーの制服ブレザー、サキも冬制服のオーバーコートを着込んでその葬列に参加し、棺の中に献花した。色とりどりの花々に包まれたシロヤナギの死に顔は透き通るほどに美しく、その唇は、いつものように皮肉な微笑を小さくたたえていた。
 黒塗りの葬儀車が後部にシロヤナギの棺をのせて会場を出て行くのを、サキとタカキはただそこに立って見守った。見上げる冬空は目に痛いほど青く、サキはその青を見ながら、そこで長い時間、声をたてずに涙だけを流していた。
 シロヤナギの公認の彼氏であるハルオミだけは親族の待遇を受け、その去っていく黒塗りの車の葬列に加わって市街北端にある埋葬地まで同行したのだが、これもまた別の物語として、ここでは省略しよう。

 そしてまた、

 時刻や季節は不明だが、市街のはるか西に横たわるタマナ丘陵のさらに北西側、いつか4人が踏んだあの西岸の浜に、一枚の写真が流れつく。誰かが近隣の浜に捨てたのか、あるいは海流にのって遠い別の場所から運ばれてきたのかはわからない。
 波打ち際の砂の上に打ち上げられたそのフォトカードは、市街で広く生徒たちに使われている、ありふれた廉価版のプラスチックフィルムに簡易プリントで出力したものだ。そこには長い艶のある髪を誇らしげに風に流したシロヤナギ・ルカが大きく写っている。胸より上の位置のみにフォーカスされているので、それを映した場所や時期は特定できない。あふれる光の印象からすると、あるいは真夏の野外かもしれない。
 ときおり波に洗われるそのフォトフレームの中で、シロヤナギ・ルカは、満面の笑みでこちらを見ている。誰に向けられた笑顔かはわからない。ただひとつわかるのは、そこにはいっさいの憂いの影はなく、彼女が抱いたあらゆる夢と明るい希望が、少女の大きな笑顔の上にそのまま輝いているということだ。
 シロヤナギは笑っている。そこでは波が鳴っている。波はそして、いつまでも、少女の笑顔に重なる永遠の和音として、いつまでもそこで、消えることなく鳴り続けている。