6
太陽が西の空へと高度を落とし、線路の土手を下った草原の上にまで長く落ちた4人の影が、失われた世界を渡る一群の言葉無き魂のように南から北へと滑り渡っていく。太陽は、昼間のひたすら無色の熱源から色をもつ巨大な老星へと姿を変え、黙々と線路の上を歩く4人の横顔を鮮やかな赤に染め上げる。
草原が山並みにぶつかって尽きる手前、線路が短い橋の形で東西の流れを踏み越えた地点で、4人は初めて線路を降りた。そこの川沿いには白い石の河原が、水際と木の茂る斜面との間に横たわる。4人はそこを今夜の野営地に定めた。
持参した2つの簡易テントを短時間の作業で張り終えた4人は、そのあと河原の石の上に両足を投げ出して座り、徐々に暗くなりゆく山際の空を疲れた脚を休めながら長い時間、怠惰に見守っていた。心地よい疲れが4人の体を満たし、今日の道を歩き切った充足感がそこはかとなく漂っている。川の水音はずっと途切れずに四人の鼓膜を揺らし、一番星、そして二番星が、鮮やかに暮れなずむ山向こうの空に白く輝き始めた。
水際から離れた白い岩の上には、4人分の靴とソックスが、二列に並べて干してある。夜の間にどれだけ乾くかは未知数だったが、まあ、干さないよりはましだろうと。あくまでその程度の期待値だ。
特に必要というわけでもなかったのだが、シロヤナギの提案で、枯れ木を集めてそこの岩の近くで焚火をすることに決まった。「旅気分を出すため」および「明日までにブーツを乾かすため」だと。シロヤナギが頑なに主張し、最後まで渋っていたタカキがついには根負けして「好きにしろ」と言い放った。
しかしいざ枯れ木の山に火をつけてみると、想定したようには火が木にまわらない。ハルオミとサキとシロヤナギの3人は、枯れ木の山をああでもないこうでもないと組みなおし、火種のライターであちこちの枝に火をつけてみたが、やはりうまくいかなかった。その場で20分以上わいわいやっているのを見かねたタカキが、最後に自ら参入し、焚火の点火の仕方を指導した。
「いいからもっと、枯葉を集めてこい。いきなり大枝に火をつけるとか、そりゃ、順序ってものが違う」
タカキはてきぱきと指示を与え、そのあと間もなく、最初の安定した火が4人の築いたいびつな円形の木組みの上に誇らしげにともった。炎は最初はためらいがちに、それから少しずつ勢力を増し、最終的には安定したオレンジと赤となって周囲の4人の顔を明るく照らした。その頃にはもう太陽はとっくに山向こうに姿を消し、見えるのは黒々とした山影と、あとそこにあるのは川の水音のみ。世界は闇の時間を迎え、4人が囲むささやかな炎だけが、世界に唯一残された光ある熱源だった。
4人は思い思いの場所に服やシートを川原の石の上に敷いて、それぞれが心地よく横になれる陣地を築き、思い思いの姿勢でその上に横になった。
「でさ、ノザキのやつが、言ったわけさ。それはこのテキストにも載っている。テキストにそう書いてある、ってさ。」
ハルオミが、夏期講習の講師の失敗について面白おかしく身振りをまじえてさっきから話し続けている。残りの3人はそれぞれの場所でくつろいだ姿勢で、それを怠惰に聞きながら何度も大声で笑った。
「あのヒトそういう、自分の失敗を認めるとかってぜったいしないからさ。あとでみんなで、あいつはバカだ、クソだ、って大笑いしたよ。載っているもなにも、それ自体、あのヒトが自分で用意した教材だからさ。書いてあるのは当然じゃん。でもそれが、全部前提が間違えてるってさ。そこを全部、棚に上げて、逆切れして怒り出すんだから。正答を書いたおれらを、ひどい減点扱いだからなぁ。ったく、ほんと勘弁して欲しいよ」
「まあ正直、ノザキの場合はさ、講師ってやつそのものが向いてないよ。あいつぶっちゃけ生徒好きじゃないじゃん? うるさいガキどもが。っていう姿勢がありありとあるからな。職業自体を間違っちまったパターンで。おれはむしろそこから突っ込みたい」
タカキが笑って、自分の位置から、枯れ枝を追加で火の中に投げ込んだ。焚火は火の粉を巻き上げて火勢を増し、ぱちぱちと小気味よく夜の底を焦がした。
サキはタカキから少し離れた隣の位置で、火に照らされたタカキの横顔を、うつぶせに寝そべった姿勢でかろうじて視界にとらえている。心地よい眠気がすぐそこまで来ていたが、サキはもう少しこの怠惰な焚火の時間を、このままここで過ごしていたいと思った。タカキの声を、もう少しそばで聞いていたかったのだ。
シロヤナギは夏用の簡易シュラフの上に横寝の姿勢で、右の手で自分の頭を支えながら、かすかな明暗の変化を繰り返すオレンジの炎を遠い目で見ている。口数は少なく、ときおり誰かの話題に小さく笑いを漏らす以外は、あまり多くを語ることはなかった。シロヤナギなりに、かなり疲れていたのかもしれない。ただしシロヤナギの眠たげな瞳の中には、ある種の微笑のかけらが、小さく光っていたのも事実だ。充足感。ここまで一日歩き通してきたシロヤナギなりの満足のようなものが、そこには確かにあっただろう。
夜が深まると、星の光はもう4人を圧倒する勢いで頭上から光を投げてきた。シロヤナギの提案で、4人はいったん焚火を消した。するともう星たちは近く、数はもう無限で、その白さは目に刺さるほど強かった。
「…知らなかったな。これほどまでに、星がばらまかれた夜空の下でわたしたちは生きていたとは。」
シロヤナギがそう言って長い息を吐いた。サキのところからはシロヤナギの表情は見えなかったが、その声には、心からの素直な感動が含まれているようだ。
「まったく。ふだん見てた市街からの夜空は、ほんと、あれは最低限の夜空の形をした偽物でした、って。なんかマジで、そんな感じだよな。」
タカキが言った。その声はしんみりと、川の響きにまじった。
「あ、また流れ星。多いね。最初は数えてたけど、もうあれだね。数が多すぎて、なんか願い事を言うのも面倒になっちゃったよ」
ハルオミが眠たげな声で言い、ごろりとその場で寝がえりをうった。
「ねえ、いちばん近い星で、どのくらいの距離だろう?」
サキがつぶやいた。
「いつかあそこに、人が行ける日が、来たりはするのかな? あるいはあそこに、わたしたちみたいな、別の十六歳がやっぱりいたりも、するのかな?」
「どうした。サキにしちゃ、めずらしい。わりと幼児っぽい、かわいい意見だったな、今の」
タカキがちょっぴり笑って、闇の中で視線をしずかにサキの方に移した。
「どうして? わたし何か、変なこと言った?」
「えっと。まあ、夢を壊すようで悪いんだが、基本、あそこに見えてるのは全部恒星だ。別の星系の、別の太陽。つまり、居住できる星は、あそこに見えてる中にはない。あるとしたらその周囲。そこをまわってる無数の小さな光らない星の中に、ひょっとしたら誰かがいるのかもしれない。けど、目視することはムリだ。そういう星は、自ら明るく光を出すことは、基本的にはないからな。」
「ん。言われれば、そうだなと思ったけど。でも。見えてないから、ないわけじゃないでしょう。あるけど、たまたま見えないけど。あそこで誰かが、いま逆に、こっちを見てることだって。あるかもしれないでしょう? 可能性としては?」
「む。まあ、それは否定はできない。けど。証明もできない、ってところか。まあとにかく、」
タカキが言って、こっそりと、他の誰にも知られぬ形で、自分の手を、そっとサキの手の上に重ねた。サキは一瞬おどろいて、しかし、すぐに体の力を抜き、そして静かに、誰にも知られぬレベルでこっそりと、そこにあるタカキの手を握り返した。
「来てよかったな、やっぱり。」
「うん…?」
「夏だな。」
「え?」
「夏だなって。そう言ったんだよ。これこそ夏の夜、じゃないか? おれたち夏を生きてるよ」
「…だね。うん。生きてる。」
「こらそこ、二人でこそこそ、隠し事はダメだぞ」
向こうの暗がりからシロヤナギが言った。声は少し、笑っていたかもしれない。
「うるせー。別に何も隠してない。みんなに聞こえる声で、普通にしゃべってるだけだ」
タカキが反論した。
「ふむ、ま、じゃ、そういうことにしておこう。」
シロヤナギが言い、それから「ふわあ」とあくびした。
「だが、そうだな。感謝しているぞ、君たちには」
「え?」「いま、なんつった?」
「感謝、と言ったんだ。ここまでひとりでは、来ることはできなかった。4人だから、来ることができた。そのことに礼を言う。そしてすまなかった。わたしの単なるわがままに、こんなに遠くまでつきあわせてしまって」
「バカ。なんかひとりで主役的なこと言ってるけど、最初に提案したのはこのおれだからな?」とタカキが笑う。
「む? そうだったか?」
「そうだ。だから別に、おれたちは、おまえのためとか、そういう妙な福祉活動みたいなので来たわけじゃない。そうじゃなく、それぞれが、来たかった。行きたかった。夏をほんとに、やってみたかった。それだけの話だ。だろ?」
「そうだよ。」「うん。」
ハルオミとサキが同意した。
そうだ。
これはべつに、シロヤナギのため、ではない。
これはわたしの意思だ。わたしの意思、だったのだと。サキにも思えた。
夏だから。夏だからこそ。8月の最後の日々を、何事もなく、終わらせたくない。
たぶん、それだけだ。それだけだったんだ。
そしてその日を、その日々を。できたらタカキと、共有したい。
自分がたぶん少しは好きな、たぶん少しは恋してる、そのタカキと、たぶん、二人で遠くに旅してみたかった。シロヤナギの体調や願望のことは、そのきっかけに過ぎない。もしそれがなかったとしても―― 自分はやはり、ここまでの遠出ではないにせよ。何か、夏の終わりの特別な何かを。きっと求めていただろう。そしてやはり、何かの理由をつけて二人でどこかへ出かけたりも、きっと、したのかもしれない。たとえそれがとても近いどこかであっても。
夏は、いま、ここにある。夏の夜が、たしかに今、ここにある。
サキの左手が、今もまだ、相手の右手を感じている。サキはその力を少し、ほんの少しだけ強めた。すると相手の右手が、そのぶんだけ強く、サキの左手を握り返した。
少しまだ恥ずかしくて、視線を向けて見ることはできない。いま彼を見ることはできない。けど。感じる。感じている。自分たちは今、お互いを感じあっている。それがきっと大事なこと。それこそがきっと、いちばん大事な本当のこと、かもしれない。
流星が降り、流星が舞い、また流星が、夜空に白い軌跡を落とした。星たちの輝きは、もう、手をのばせば触れる近さに降りてきたようだ。星が降る。星がまたたく。星々が輝いている。すべてが夜の闇に閉ざされた今のこの世界で。星々は照らしている。この地の底に生きる、やがては時間の波間に消えていく、とても小さな4人の冒険者たちを。
太陽が西の空へと高度を落とし、線路の土手を下った草原の上にまで長く落ちた4人の影が、失われた世界を渡る一群の言葉無き魂のように南から北へと滑り渡っていく。太陽は、昼間のひたすら無色の熱源から色をもつ巨大な老星へと姿を変え、黙々と線路の上を歩く4人の横顔を鮮やかな赤に染め上げる。
草原が山並みにぶつかって尽きる手前、線路が短い橋の形で東西の流れを踏み越えた地点で、4人は初めて線路を降りた。そこの川沿いには白い石の河原が、水際と木の茂る斜面との間に横たわる。4人はそこを今夜の野営地に定めた。
持参した2つの簡易テントを短時間の作業で張り終えた4人は、そのあと河原の石の上に両足を投げ出して座り、徐々に暗くなりゆく山際の空を疲れた脚を休めながら長い時間、怠惰に見守っていた。心地よい疲れが4人の体を満たし、今日の道を歩き切った充足感がそこはかとなく漂っている。川の水音はずっと途切れずに四人の鼓膜を揺らし、一番星、そして二番星が、鮮やかに暮れなずむ山向こうの空に白く輝き始めた。
水際から離れた白い岩の上には、4人分の靴とソックスが、二列に並べて干してある。夜の間にどれだけ乾くかは未知数だったが、まあ、干さないよりはましだろうと。あくまでその程度の期待値だ。
特に必要というわけでもなかったのだが、シロヤナギの提案で、枯れ木を集めてそこの岩の近くで焚火をすることに決まった。「旅気分を出すため」および「明日までにブーツを乾かすため」だと。シロヤナギが頑なに主張し、最後まで渋っていたタカキがついには根負けして「好きにしろ」と言い放った。
しかしいざ枯れ木の山に火をつけてみると、想定したようには火が木にまわらない。ハルオミとサキとシロヤナギの3人は、枯れ木の山をああでもないこうでもないと組みなおし、火種のライターであちこちの枝に火をつけてみたが、やはりうまくいかなかった。その場で20分以上わいわいやっているのを見かねたタカキが、最後に自ら参入し、焚火の点火の仕方を指導した。
「いいからもっと、枯葉を集めてこい。いきなり大枝に火をつけるとか、そりゃ、順序ってものが違う」
タカキはてきぱきと指示を与え、そのあと間もなく、最初の安定した火が4人の築いたいびつな円形の木組みの上に誇らしげにともった。炎は最初はためらいがちに、それから少しずつ勢力を増し、最終的には安定したオレンジと赤となって周囲の4人の顔を明るく照らした。その頃にはもう太陽はとっくに山向こうに姿を消し、見えるのは黒々とした山影と、あとそこにあるのは川の水音のみ。世界は闇の時間を迎え、4人が囲むささやかな炎だけが、世界に唯一残された光ある熱源だった。
4人は思い思いの場所に服やシートを川原の石の上に敷いて、それぞれが心地よく横になれる陣地を築き、思い思いの姿勢でその上に横になった。
「でさ、ノザキのやつが、言ったわけさ。それはこのテキストにも載っている。テキストにそう書いてある、ってさ。」
ハルオミが、夏期講習の講師の失敗について面白おかしく身振りをまじえてさっきから話し続けている。残りの3人はそれぞれの場所でくつろいだ姿勢で、それを怠惰に聞きながら何度も大声で笑った。
「あのヒトそういう、自分の失敗を認めるとかってぜったいしないからさ。あとでみんなで、あいつはバカだ、クソだ、って大笑いしたよ。載っているもなにも、それ自体、あのヒトが自分で用意した教材だからさ。書いてあるのは当然じゃん。でもそれが、全部前提が間違えてるってさ。そこを全部、棚に上げて、逆切れして怒り出すんだから。正答を書いたおれらを、ひどい減点扱いだからなぁ。ったく、ほんと勘弁して欲しいよ」
「まあ正直、ノザキの場合はさ、講師ってやつそのものが向いてないよ。あいつぶっちゃけ生徒好きじゃないじゃん? うるさいガキどもが。っていう姿勢がありありとあるからな。職業自体を間違っちまったパターンで。おれはむしろそこから突っ込みたい」
タカキが笑って、自分の位置から、枯れ枝を追加で火の中に投げ込んだ。焚火は火の粉を巻き上げて火勢を増し、ぱちぱちと小気味よく夜の底を焦がした。
サキはタカキから少し離れた隣の位置で、火に照らされたタカキの横顔を、うつぶせに寝そべった姿勢でかろうじて視界にとらえている。心地よい眠気がすぐそこまで来ていたが、サキはもう少しこの怠惰な焚火の時間を、このままここで過ごしていたいと思った。タカキの声を、もう少しそばで聞いていたかったのだ。
シロヤナギは夏用の簡易シュラフの上に横寝の姿勢で、右の手で自分の頭を支えながら、かすかな明暗の変化を繰り返すオレンジの炎を遠い目で見ている。口数は少なく、ときおり誰かの話題に小さく笑いを漏らす以外は、あまり多くを語ることはなかった。シロヤナギなりに、かなり疲れていたのかもしれない。ただしシロヤナギの眠たげな瞳の中には、ある種の微笑のかけらが、小さく光っていたのも事実だ。充足感。ここまで一日歩き通してきたシロヤナギなりの満足のようなものが、そこには確かにあっただろう。
夜が深まると、星の光はもう4人を圧倒する勢いで頭上から光を投げてきた。シロヤナギの提案で、4人はいったん焚火を消した。するともう星たちは近く、数はもう無限で、その白さは目に刺さるほど強かった。
「…知らなかったな。これほどまでに、星がばらまかれた夜空の下でわたしたちは生きていたとは。」
シロヤナギがそう言って長い息を吐いた。サキのところからはシロヤナギの表情は見えなかったが、その声には、心からの素直な感動が含まれているようだ。
「まったく。ふだん見てた市街からの夜空は、ほんと、あれは最低限の夜空の形をした偽物でした、って。なんかマジで、そんな感じだよな。」
タカキが言った。その声はしんみりと、川の響きにまじった。
「あ、また流れ星。多いね。最初は数えてたけど、もうあれだね。数が多すぎて、なんか願い事を言うのも面倒になっちゃったよ」
ハルオミが眠たげな声で言い、ごろりとその場で寝がえりをうった。
「ねえ、いちばん近い星で、どのくらいの距離だろう?」
サキがつぶやいた。
「いつかあそこに、人が行ける日が、来たりはするのかな? あるいはあそこに、わたしたちみたいな、別の十六歳がやっぱりいたりも、するのかな?」
「どうした。サキにしちゃ、めずらしい。わりと幼児っぽい、かわいい意見だったな、今の」
タカキがちょっぴり笑って、闇の中で視線をしずかにサキの方に移した。
「どうして? わたし何か、変なこと言った?」
「えっと。まあ、夢を壊すようで悪いんだが、基本、あそこに見えてるのは全部恒星だ。別の星系の、別の太陽。つまり、居住できる星は、あそこに見えてる中にはない。あるとしたらその周囲。そこをまわってる無数の小さな光らない星の中に、ひょっとしたら誰かがいるのかもしれない。けど、目視することはムリだ。そういう星は、自ら明るく光を出すことは、基本的にはないからな。」
「ん。言われれば、そうだなと思ったけど。でも。見えてないから、ないわけじゃないでしょう。あるけど、たまたま見えないけど。あそこで誰かが、いま逆に、こっちを見てることだって。あるかもしれないでしょう? 可能性としては?」
「む。まあ、それは否定はできない。けど。証明もできない、ってところか。まあとにかく、」
タカキが言って、こっそりと、他の誰にも知られぬ形で、自分の手を、そっとサキの手の上に重ねた。サキは一瞬おどろいて、しかし、すぐに体の力を抜き、そして静かに、誰にも知られぬレベルでこっそりと、そこにあるタカキの手を握り返した。
「来てよかったな、やっぱり。」
「うん…?」
「夏だな。」
「え?」
「夏だなって。そう言ったんだよ。これこそ夏の夜、じゃないか? おれたち夏を生きてるよ」
「…だね。うん。生きてる。」
「こらそこ、二人でこそこそ、隠し事はダメだぞ」
向こうの暗がりからシロヤナギが言った。声は少し、笑っていたかもしれない。
「うるせー。別に何も隠してない。みんなに聞こえる声で、普通にしゃべってるだけだ」
タカキが反論した。
「ふむ、ま、じゃ、そういうことにしておこう。」
シロヤナギが言い、それから「ふわあ」とあくびした。
「だが、そうだな。感謝しているぞ、君たちには」
「え?」「いま、なんつった?」
「感謝、と言ったんだ。ここまでひとりでは、来ることはできなかった。4人だから、来ることができた。そのことに礼を言う。そしてすまなかった。わたしの単なるわがままに、こんなに遠くまでつきあわせてしまって」
「バカ。なんかひとりで主役的なこと言ってるけど、最初に提案したのはこのおれだからな?」とタカキが笑う。
「む? そうだったか?」
「そうだ。だから別に、おれたちは、おまえのためとか、そういう妙な福祉活動みたいなので来たわけじゃない。そうじゃなく、それぞれが、来たかった。行きたかった。夏をほんとに、やってみたかった。それだけの話だ。だろ?」
「そうだよ。」「うん。」
ハルオミとサキが同意した。
そうだ。
これはべつに、シロヤナギのため、ではない。
これはわたしの意思だ。わたしの意思、だったのだと。サキにも思えた。
夏だから。夏だからこそ。8月の最後の日々を、何事もなく、終わらせたくない。
たぶん、それだけだ。それだけだったんだ。
そしてその日を、その日々を。できたらタカキと、共有したい。
自分がたぶん少しは好きな、たぶん少しは恋してる、そのタカキと、たぶん、二人で遠くに旅してみたかった。シロヤナギの体調や願望のことは、そのきっかけに過ぎない。もしそれがなかったとしても―― 自分はやはり、ここまでの遠出ではないにせよ。何か、夏の終わりの特別な何かを。きっと求めていただろう。そしてやはり、何かの理由をつけて二人でどこかへ出かけたりも、きっと、したのかもしれない。たとえそれがとても近いどこかであっても。
夏は、いま、ここにある。夏の夜が、たしかに今、ここにある。
サキの左手が、今もまだ、相手の右手を感じている。サキはその力を少し、ほんの少しだけ強めた。すると相手の右手が、そのぶんだけ強く、サキの左手を握り返した。
少しまだ恥ずかしくて、視線を向けて見ることはできない。いま彼を見ることはできない。けど。感じる。感じている。自分たちは今、お互いを感じあっている。それがきっと大事なこと。それこそがきっと、いちばん大事な本当のこと、かもしれない。
流星が降り、流星が舞い、また流星が、夜空に白い軌跡を落とした。星たちの輝きは、もう、手をのばせば触れる近さに降りてきたようだ。星が降る。星がまたたく。星々が輝いている。すべてが夜の闇に閉ざされた今のこの世界で。星々は照らしている。この地の底に生きる、やがては時間の波間に消えていく、とても小さな4人の冒険者たちを。