しかし最も調整が難しかったのは、ほかならぬシロヤナギ自身だ。
 自分の屋敷で開催される架空のセミナーは、その屋敷で生活を送るシロヤナギ本人にとっては、4日間、ないしはその前日の夜を含めた5日間もの逃避行の言い訳としては、完全に破綻した理由づけだ。そのままそれを使えるはずもない。
 悩んだ末に、最後はシロヤナギの提案で、シロヤナギ自身が最も信頼を置くという、1学年上の先輩、オガワ・シオンという女子生徒の助力を求めることになった。
 オガワ・シオンは学院の現役生徒会長を務めるきわめて優秀な人物だったが、その思考は柔軟で、何をもおそれぬ大胆な心を持っていた。シロヤナギから秘密の打ち明け話を持ち込まれたシオンは、さすがに最初は驚愕して反対の意見を唱えたが、シロヤナギの熱心な説得に折れ、一晩思案した後に、ささやかな協力を与えることに同意した。

 最終的な形としては、シロヤナギが、夏の最後の4日にわたり、オガワ家に勉強合宿にお邪魔するという設定だ。もちろん嘘なのだが、シロヤナギ家の保護者らに対する偽装工作としては、これはなかなかに有効だった。
 なにしろシオンの父親は、現役の教育大臣を務める有名政治家のオガワ・セイショウだ。今まであまりコネクションがなかった大臣ポストの重要政治家の娘と、シロヤナギの娘がなにやら友好関係にあるらしいと。その情報はシロヤナギの母親をたいそう喜ばせた。結果、それほど時間をかけずに、シロヤナギは夏の最後の数日にわたる外泊の許可をとることに成功する。
 そしてシロヤナギの両親たちとしても、もうあまり命の時間が長いとも思えないひとり娘のやりたいことは、いまできるうちにやらせてやろう、という。素朴な親心はそこに働いていただろう。しかも名目は勉強合宿だ。しかも相手は名門オガワ家の娘で、滞在場所としても特に申し分はない。

 そしてもうひとつ、シオンが協力を約束した重要な役割があった。
 それは、期間中に届くかもしれない、各家族からの問い合わせのメッセージにレスポンスすることだ。
 さすがに4日の間、保護者らが息子や娘といっさいメッセージ連絡とれない場合には問題が持ち上がる。それを防ぐため、送信者の位置情報を偽装したうえで、一括してシオンが4人になりかわって無難なメッセージ返信を担当し、家族らとの連絡調整を行う。万一、誰かの保護者から直接的なコールが来た場合には絶対にすぐには受信せず、「ネットワークの技術的問題で映像・音声コールはつながりにくい。でもテキストメッセージならつながる」という形を偽装する計画だ。

 そういった連絡偽装の技術的な部分はすべて、シオン個人の調整手腕にかかっていると言ってもよかったが、しかしシロヤナギに言わせると、他ならぬオガワ・シオンならば、すべてをそつなく完璧にやりとげるだろう、と。
そのような非常に高い期待値を示されたので、残りの3人としては、そこはもう、シロヤナギのその言葉を信じるほかなかったのだ。
 実際問題として、いまこの時点で歩行中の4人はまだそれを知らなかったのだが―― オガワ・シオンは3日をかけて4人それぞれの受信・送信メッセージの過去アーカイブをすべて通読し、想定される受信相手と、そこにある典型的な表現パターンをすべて把握しマスターしていた。つまり4人に成り代って自然なリプライを書く準備は、かなり万全に近かった。