私には小学生時代から仲の良い幼馴染がいた。やんちゃ坊主であったけれど、明るくて元気いっぱいで、優しくて。男女分け隔てなく友達想いな太陽みたいな彼。
家が近くて家族ぐるみで仲が良かったので、登下校も一緒だった。いつもくだらないことを楽しそうに話していて、私には理解できない話題もあったけれどそんな彼を見ているのが好きだった。
私は自分で言うのもあれだけれどドジだ。何もない所で転げることもあるし、ドアに頭をぶつけたりすることもある。それをいつも揶揄われていたし、一部の女子からは「人の目を惹こうとしている」なんて陰口を言われもした。それでも彼は「お前はドジだよなぁ」と笑って周囲の空気を吹き飛ばすように、おちゃらけた行動をしてわざと目を惹いていた。
彼は優しかった。自分が〝笑い者〟になることで、私へ向けられる目を遠ざけてくれていたのだから。何も言わないけれどそうやってくれていた彼に私は感謝してもしきれない。だって、彼のおかげで私はいじめをうけることもなく、学校に通えたのだから。
彼との思い出はたくさんある。それぐらいに私は彼と一緒にいて過ごしていた時間が長かったんだ。話しきれないぐらいにあってどれから話せばいいか悩むぐらいにはたくさん。
そうだ、彼と初めて会った話をしよう。小学生一年の時に同じクラスになってから私は彼と出逢った。その頃の私は人見知りが強くてなかなかクラスに馴染めず友達がいなかった。これでは駄目だと自分では分かっていたけれどなかなか話しかけられずに一週間、二週間と経っていく。
一週間、二週間も経てばクラスでは仲良しグループが形成されていき、私は孤立状態になっていた。あぁ、乗り遅れたなと気づいたけれど私にはどうしたらいいのか分からなかった。内心では焦っていたし、怖かった。このままずっと一人だったらどうしようかと。
そんな時だ、母とスーパーで買い物をしていると彼がお母さんと一緒にいた。自分と同じように買い物をしていたようで、私は同じクラスの男子だとなんとなく彼を眺めていたのだが、ふと目が合ってしまう。あっと思ったのも束の間、彼は「石崎だ!」と声を上げてかけよってきた。
息子がそんな行動をするものだから彼のお母さんも慌ててやってきて私たちに挨拶をしてくる。彼が「同じクラスの女の子!」と母親に説明すると私に「お前も来てたんだー」と楽しそうに話かけてきた。これにびっくりした私だったけれど、彼はお構いなしに話を続ける。
今日は先生が怒ったよな、算数難しい、お菓子買ってもらうんだけど何にするか悩む等、話が飛ぶ飛ぶ。けれど、彼は楽しそうに話すから私もつられて笑っていた。母も母で彼のお母さんが近所だったことを知って話が盛り上がっていた。
そんなことがあった次の日、彼は教室で私を見つけるなり声をかけてきた。昨日のことを話したり、宿題の話をしたりと彼が一方的に話す話す。私は相槌しか打てなかったけれど、それでも彼は気にしていなかった。
彼はもうすでに友達を多く作っていたから「なになにー」とクラスメイトたちが近寄ってくる。それに彼は「石崎と昨日、スーパーで会った!」と話しをする。それを皮切りにクラスメイトが話に入ってきてなんだか知らないが盛り上がったのを覚えている。
こんなことがあった日から私に彼経由で友達ができた。毎日、不安だったけれど凄く楽しい時間を私は過ごせて、彼には感謝してもしきれない。
中学に入っても、彼は私と仲良くしてくれた。小学生だった時のようにおちゃらけてはクラスメイトに笑われてムードメーカーだった。そんな明るくて元気な彼のことを好きになる女子はいて、仲の良い私に「手伝ってよ!」と告白の手伝いをお願いされることが多々あった。
私も彼が幸せになれるならと手伝いをしたけれど、彼は決まって「無理」と告白を断っていた。私が「可愛い子じゃん」と言えば、「面白くないから無理」とばっさりと切り捨てられていて、私は黙ってしまう。
その頃から私も彼のことが好きだったから。面白い人じゃないと彼の傍に居られないのかと知って、私には無理だなと思った。だって私は面白い話も行動もできないんだ。
ショックで暫く悲しかった。だから、私にはこの想いを仕舞っておこうと決めた。ただの仲の良い幼馴染として彼と過ごしていくことにしたんだ。
高校は家から近いってだけで市内の公立に決めたら、彼も「早起きとか無理」といった理由でそこに決めていた。それに私は笑ってしまったけれど、「お前も似たような決め方じゃん」と笑い返されてしまった。その通りだと思う。
ずっと一緒だなぁと思った。小学生の頃からずっと登下校をしている。流石に大学生になったらそれもなくなるだろうと寂しさを感じて。ちょっと泣きそうになったけれど、我慢した。
「好きだったな……」
私は筆を止めて、便箋に綴っていた言葉たちを眺めた。まだ書き始めてから少ししか経っていないというのに目からは涙が止まらなかった。何度も拭って、震える手で言葉を紡いでいく。
やっと書けた手紙は零れた涙の痕だらけだった。それを見てまた泣いたけれど封筒に仕舞って、私は制服に袖を通す。部屋の外から母の「早くしなさい」という声が響いていた。
私が部屋から出て玄関へと向かえば母がびしっとした服できめて立っていた。外では父が車を車庫から出しているのが見える。
「ほら、卒業式に遅れちゃうわよ!」
「分かってるよ」
私は自分でもそっけない返事だったなと思ったけれど、それしか言葉がでなかったんだ。でも、長年母親として一緒に居ただけあって母は察したようだ。何も聞くこともなく笑顔を向けて「行きましょう!」と明るく話しかけてくれた。こういう母の優しさが私には有難かったし、好きだった。
だから、私は車に乗って学校まで行くことができたんだ。
卒業式の間、私は何を考えていたんだろう。気づいたら終わっていて、みんなが写真を撮っていた。私も写真を撮ったけれど、きっと涙でぐしゃぐしゃな顔になっていたと思う。先生への挨拶も私は声が上ずっていたからきっと酷いものだった。
「紗江ちゃん」
名前を呼ばれて振り向いたら彼の母親が立っていた。いつ見ても綺麗で朗らかな彼の母は目を腫らしながら笑みを浮かべている。
「うちの息子と仲良くしてくれて、ありがとうね」
「いえ、私のほうこそ、彼には助けられてたんで」
「……ほんとに、ありがとう……」
彼の母は泣き出してしまい、それを彼の父が宥めて、私の母も励ましていた。たったそれだけで、私はこれが現実だったんだと思い知らされて、泣いてしまった。
*
「今日ね、卒業式だったんだ」
私は涙でボロボロな顔を精一杯、笑顔にして語り掛けた。誰もない墓石が広がる中、私は彼の眠る場所に佇む。返事などない、だって彼は空に旅立ってしまったのだから。
あぁ、でも伝えたかったなぁ。こんな別れ方をするなら、伝えておけばよかった。好きなんだって、大好きだって。振られる覚悟で言ってしまえばよかったんだ。
「男の子を助けるためだったんだってね。君らしいよ、ほんと。でも、そんな貴方が私は大好きだったんだよ」
明るくて元気で優しくて、太陽みたいな貴方が大好きだった。私ははっきりと想いを告げる、誰も聞いていない墓石の前で。
あぁ、きっと此処に彼はいないんだろうなぁ。空の上からでもいいからこの想い、届かないかな。そんな願いなんて通じないのを知っている。でも、願いたいじゃん、それぐらい。
会わせてくれなんて言わないよ、話をさせてくれなんて。ただ、ただこの想いを伝えてほしいだけ。これも自分勝手な願いだっていうことは知っているんだ。分かってる、分かっているけれど願ってしまうんだ。
「ありがとう。貴方のおかげで私はたくさんの思い出ができたよ」
友達ができて、毎日が楽しくて、貴方と一緒にいられて私は幸せだ。だから、ありがとうと私は笑う。もう泣くのは止めるんだと。
泣くのは今日で止める、貴方を想うことも。
うじうじと泣いていた私に卒業を突きつける。そんな気持ちじゃ彼に申し訳ないじゃないか、眠りを妨げるようなことをしたくはないのだ。
「今日で最後。私はもう泣かないよ」
約束するように私は言う。誰も聞いていないけれど、それでもいいんだ。これは私が勝手に決意表明をしているだけなのだから。
「貴方のことは忘れない、でも好きだっていうこの想いは捨てていくね。薄情な女でごめん」
貴方のことは忘れない、でもこの想いは捨てていく。私が前を進むために、貴方を未練で縛らないために。空の上で元気やっていてほしいから。
「私ね、貴方に手紙を書いたんだ。これで最後にするために。届くか分からないけれど」
卒業式の朝まで書いていた手紙を手に持って綴った想いを口にするけれど、空気に溶けてしまって。届くかも分からないラブレターを私は言葉にする。
あれだけ泣いていたというのに今は涙も出はしない。吹っ切れたように最後まで私は読み切って笑みをみせた。
「大好きだったよ」
彼は言ったのだ、お前は笑っているほうがいいぞって。だから、私は笑って見送るんだ。私を強くしてくれた彼に感謝を込めて。
貴方のことは忘れない。貴方がいたから私は強くなれたんだ。
でも、この想いは捨てなくてはいけない。
未練がましく縋っていてはいけないんだ。
ありがとう、ごめんなさい。
「私は前を向くよ」
ぶわっと強い風が吹いて、それが彼からの返事に感じて私は黙って頷いた。