「夏夜! 危ないから森に入るなと言っただろう!」
「まあまあ、冬悟。なっちゃんは無事帰ってきたんだから」
「けど、友達と宿題なんて嘘までついて……」
「嘘じゃない! 本当にやってきたよ、友達だって出来たんだ!」
居間で正座しながら、怒鳴るお父さんの声と宥めるおばあちゃんの声を聞く。
「ならどこのどいつだ、森で遊ぼうなんて言ったのは」
「それは……」
千景まで怒られてしまうのは、絶対に嫌だった。僕は押し黙り、俯く。
そんな僕の様子にお父さんはしばらく怒鳴ってから、深く溜め息を吐いた。
「まあ、俺も昔森に入って、父さんに散々叱られたよ」
「……お父さんが、おじいちゃんに?」
「ああ。森の奥の湖にな、小屋があるんだ。そこを秘密基地にして……」
「え!?」
お父さんの言葉に、思わず反応してしまった。慌てて口を手で塞ぐけれど、お父さんは僕の様子に、そこまで行ったのだろうと察したようだった。
「……小屋は、まだあるのか?」
「うん……」
「そこに、千景って子は居たか?」
「……!」
千景もお父さんたちの名前を知っていたことから、知り合いなのだろうとは思っていた。
けれど、聞けばおじいちゃんも、お父さんも、あの場所で『千景』という少年と夏の日を過ごしたのだという。
おじいちゃんの写真の、あの子だろうか。
さすがに三世代、同一人物でないにしろ、同じ姿に同じ名前、その偶然は少し不気味ですらあった。
それと同時に、僕だけの特別な日々がみんなのものになってしまったようで、なんだか複雑な気持ちになった。
「……あ、そうだ、千景! 僕、夜に花火しようって、森に呼んだんだ!」
「なに!?」
その言葉に血相を変えたお父さんは、僕に「絶対に来るな」と言い残して、懐中電灯を持って、一人で暗くなり始めた森へと駆けていった。
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千景は居なかった。
数時間かけて帰ってきたお父さんはそう言って、どこか寂しそうにしていた。
僕は、その夜眠りにつくまで、お父さんと千景との思い出について話した。
勉強を教わったこと、一緒に読んだ本が面白かったこと、歌も上手かったこと、ひとつひとつをお父さんは、楽しそうに聞いてくれた。
お父さんも、あの湖で釣りをしたこと、鳥を真似て歌ったこと、あのハンモックを一緒に作ったこと、少年の頃の思い出を、キラキラとした瞳で話してくれた。お父さんは知らない子供のように、楽しそうに笑う。
こんなこと、初めてだった。
嬉しくなった僕は、やがて今まで話せなかった学校での劣等感や悩み事も、ぽつりぽつりと口にする。
うちはお母さんが居ない父子家庭で、お父さんは朝から晩まで仕事で居ない。夜遅く帰ってきたお父さんは疲れていて、レトルトやコンビニご飯をぼんやり食べて、お風呂に入って寝てしまう。
そんな時話しかけても上の空だから、普段、まともに話す時間なんてほとんどなかった。
たまの休みの日はお酒を飲んで、やっぱりすぐに寝てしまう。きっと疲れているんだと、僕はいつの間にか、クラスメイトどころか、お父さんとのコミュニケーションさえ諦めていたのだ。
「今までごめんな、夏夜」
「え……?」
「たった二人の家族なのに、何にも知らなかった。知ろうとしなかった……」
「お父さん……」
「これからは、夜寝る前に話をしよう。数分でいい、どんなことでもいい。千景みたいに上手くは出来ないが……ちゃんと、向き合うから」
「うん……!」
その夜は眠りに落ちるまで、たくさん話をした。
親子として、家族として、そして、同じ『千景』という友達を持つ少年同士のように、いろいろな思い出を語り明かした。
そのまま寝落ちた僕は、僕とお父さん、そして千景が、秘密基地の傍の湖のほとりで一緒に花火をする夢を見た。
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