帰宅して、夕食も風呂も終え準備万端でベッドの上に胡坐をかく。手にはスマホ。動画投稿サイトを開いて、nis.のチャンネルをタップする。
 一番上にあるのは、これから公開される曲の予告サムネイル。公開時間の20時まではあと6分。待機し始めた段階で、そこを見ているのは昭だけだった。時間が近付くにつれ人が一人二人と増える。

『待機。』
『楽しみにしてた!』

 などポツポツとコメントが流れる。流しているのはほぼ同じアカウント。オレも楽しみ、と思いながらぽつりぽつりと流れていくコメントを眺めている。

『あと1分。』

 ぽん、と投げられた少し目立つようなアクセントのつけられたコメントは、チャンネル主のものだ。

 ――あ、今nis.も一緒に見てんだ、コレ。

 日本の、もしかしたら海外のどこかにいる彼と、本当に同じ世界、同じ時間に生きているのだと実感してなんだか嬉しくなる。
 見ず知らずの人に対して何を思っているんだ、と自分を笑って、カウントの始まった画面を瞬きも忘れて見つめる。同時視聴しているのは5人もいない。そう多くはない人数ではあるが、これを投稿者の彼はどう思っているのだろうか。
 これしか見てくれない。
 それとも、5人もが自分のために時間を割いてくれている?
 カウント5あたりから一緒に数える。ゼロになると同時に、画面が青くなる。視点が上へ移動して、青い空が映る。白い雲がいかにも夏の日を感じさせる光景だ。
 流れてくるイントロからして爽やかな夏の歌のようで、昭は無意識に全身でリズムを取り出す。ぱんっと弾けるようなインパクトと共に耳に飛び込んできたボーカルは張りのある瑞々しい声。楽しそうに歌っているのが伝わってきて、聞いている昭までもが笑顔になった。

 ――気持ちいー。

 このメロディに乗せるのならば、どんなステップがいいだろう。頭の中で躍りだしそうになるのを必死で堪えて、彼のメロディに、歌に、歌詞に集中する。
 爽やかな声と音で紡がれるのは少しだけ若さによる青臭さと苛立ちを感じさせる内容で、わかる、と共感を覚える。明るいメロディの中に潜んでいる切なさに、ぐっと胸をつかまれたようだった。曲が流れている最中にもコメントが流れていくが、集中している昭には打ち込む余裕どころか、それを読む余裕もない。

「っ、はぁ……」

 最後の1音が消えていく。息を吐いた昭は、自分が呼吸も忘れて聞き入っていたことに気付く。

「今回のもサイコー」

 感動を忘れないうちに、高評価ボタンを押して「最高!リピする」と短いメッセージを送る。それから、SoLiLoNにURLを引用して「今回のも最高!踊りたい」と投稿する。こうやって投稿したところで拡散力があるわけではない。ただ、好きなものを好きと世界中に言っているだけだ。

「もう一回聞こ」

 再生をタップして、最初から聞き直す。やっぱりいい、と指先でリズムをとっていた昭は、ラスサビ前の部分になにか引っ掛かりを覚えた。

「あれ……このメロディどこかで……」

 さっき聞いたから覚えがあるわけではない。そうじゃない、もっと前にどこかで――

「あ!」

 これ、もしかして放課後の教室で峯田が歌っていたメロディにそっくりなんじゃ。
 いや、でも偶然?

 慌ててスマホで鼻歌検索をしてみるとそれっぽいものが出ないわけではないが、しかしどれもあの曲だと納得できるほどに似ているわけではない。峯田が歌っていたのはこの曲だ、と確信してしまうほどにメロディラインが似通っていた。
 初回は、推しの新曲、しかも本人も同時に見ているというのにドキドキして冷静に聞けていなかったのだろう。改めて聞いてみれば、これはどういうことなのだろうかと疑問が渦巻く。
 もし、本当にnis.の新曲だったのなら。

 ――峯田は、発表までにそれを聞ける立場にいるってことか?

 クラスメイトが好きな歌い手の知り合いかもしれない。そう気付いて心臓がバクバクいいだす。どうしよう、明日、峯田に話しかけて――などと思ったところで冷静になった。
 友達の友達なんてのは他人だ。そもそも、峯田とは友人でも何でもない。いつも人に囲まれている彼に話しかけるなんてのも無理だ。第一、話しかけるタイミングを見つけられたとしてなんて言うんだ?

「nis.の新曲聞いた?」

 勘違いだった場合、とんでもない空気感になることは想像に難くない。無理だ。
 一瞬でも変なことを思ってしまったことに落ち込み、溜息を吐いてベッドに転がる。スマホからは、自動再生でnis.の過去投稿が流れ出す。有名な曲のカバー。彼の投稿作品の中でも再生数が多いものの一つだ。

「オリ曲もいいのになぁ」

 ぼーっと曲を聴きながら、この曲の振り付けは~と別の動画サイトで流行っているダンスを手だけで踊る。そのうちに手だけでは物足りなくなって全身を使って踊りだす。といっても家の中で全力でなど踊ったら親からうるさいと苦情が出る。
 もやもやした気持ちを吹き飛ばすべく、昭は「ちょっとコンビニ行ってくる」と家を飛び出した。

 行先は近所の体育館。もちろんイベントでもやっていない限りは夜に開いているような場所ではない。用があるのは、この建物のガラス窓だった。
 全身が映る大きさ。スマホで流す音楽程度なら近所迷惑にもならない程度に隣の建物から離れている。人が通る道から見えないわけではないけど、すぐ近くを通られるわけでもない。ここは、ダンスの練習には最適だった。
 最初はウォーミングアップ代わりに身に沁みついている振り付けで踊る。クラスでも目立たないようにしている昭だが、小さい頃からダンスを習っていたのでそれなりに踊れる。普段は猫背気味だから気付かれてはいないが、手足も長いから見栄えもする。通りかかる人が時折足を止めて眺めていく視線を感じる。
 ストリートパフォーマーではないからこれで小遣い稼ぎをすることはないが、酔っ払いや気のいい人が飲み物を置いて行ってくれることもある。今日もスポドリのペットボトルが1本、昭のスマホの横に置かれていた。

「うっわ、ダンスしてる」

 ケラケラと笑う声が近付いてくる。

「あれって誰かに見せたいんかな。それとも自己満?」
「ってか結構マジでやってるくね? ダンス練習とか、えっぐ」
「カッコイー」

 明らかに馬鹿にした口調。ちらっと見れば、それはクラスメイトたちだった。

 ――うわ、最悪。

 どうやらファミレスでの合コン後にカラオケに行った帰りのようだ。彼らがこの道をこの時間に通るとは思っていなかった。よく考えれば駅への通り道なのだから、知り合いに今まで会わなかったのはただラッキーだったのだろう。
 顔を見られないようにフードを深く被りなおして、背中を向けて軽くステップ踏み続ける。ここでダンスをやめて立ち去ろうとしたらそっちの方が目立つだろう。早くどっか行けよという気持ちも空しく、彼らはダンスがそんなに珍しいのか立ち止まってなんのかんのと好きなことを言っている。
 
「ってかさぁ、一人で踊ってんの寂しくね?」
「あ、この曲知ってる」

 本当に早く帰れって、と苛立つ昭の耳に「帰ろう」という静かな声が聞こえてくる。

 ――峯田?

 あの時間に教室にいたから合コンメンバーではないのだと思っていたけれど、あの後合流したようだ。峯田は仲間たちに「真剣にやってるのを笑うのは失礼だよぉ」そう言うとそのまま歩き出す。楽しく昭をからかっていた連中は水を差されたらしく、白けた顔で行ってしまった。

 ――アイツ、あんなこと言ってグループからハブられんの怖くないのか? リーダーっぽいから、なに言っても平気なのかな。

 なにはともあれ助かった。昭は新しい曲の振りを覚えるべく、動画を再生しながらの練習を再開した。