テンセイに手を引かれ、私は宴会の部屋へと到着した。
(おぉう。豪華絢爛……!)
クロスのかかった長テーブルには、食材をふんだんに使った色とりどりの料理が所狭しと並んでいる。フルーツの盛り合わせは艶やかで、ワインも赤と白の二色が用意されていた。
(液晶越しに見た背景画像とは、やっぱり違うなぁ)
ひしめく来客をぐるりと見回せば、よく知る二人の姿もあった。
(攻略キャラ発見!)
濃紺の髪で目つきの鋭い青年が、チヨミの義理の弟のツンデレ騎士タイサイ・アルボル。
そして若草色のロングヘアで眠たげな顔つきの青年が、国内随一の魔力を誇る魔導士のユーヅツ・アモルだ。
(テンセイ含むメイン攻略キャラ三人組は、やっぱり作画がいいなぁ)
ゲームで見た光景の中に自分がいることに興奮しているうち、私の手を引くテンセイが足を止めた。
「ヒナツ王、ソウビ殿をお連れしました」
(おっと、そうだった)
テンセイが私をここへ連れて来た理由を思い出す。
「おぉ、ソウビ殿! 今宵も見目麗しい!」
上座に座るヒナツはすこぶるご機嫌だった。かなり酒も回っているのだろう。喉の奥まで見えるほど相好を崩したその顔は、かなり赤い。まるで子どもが母親を求めるように、彼は私に向かって大きく両手を広げた。
「月ですらソウビ殿の前ではその輝きが褪せてしまうなぁ!」
「あっ、はい」
大仰に私を褒めるヒナツに、私はあえて素っ気なく返す。当然だ。彼の手を取れば、破滅待ったなしなのだから。そう、たとえ牢へ救出に来てくれたあの瞬間、かっこよく見えていたとしても。
「では、自分はこれで」
手を包んでいたぬくもりが、あっけなく去り行く。
(えっ? テンセイ行っちゃうの!?)
まだ手を繋いでいたい、テンセイの側にいたい。つい後を追おうとした私の足を、ヒナツのデリカシーのない声がその場に繋いだ。
「さぁ、ソウビ殿。一番良い席を貴女のために用意した、さぁ、こちらへ!」
(……良い席って、ヒナツの隣かい)
心の内でぼやきつつ、仕方なく私は誘われた場所へ腰を下ろす。
(テンセイと一緒がいいなぁ)
ちらちらと、テンセイの去った方向を見ていた時だった。
「ソウビ姫」
聞き覚えのある、優しくも凛とした声が耳に届いた。
(あぁ、チヨミ来たぁあ!)
この時点で、友だち以上の親しみを覚える。
なにせ、チヨミはプレイアブルキャラ、つまり元は私の分身だった人物だ。
チヨミは一瞬ちらりとヒナツに視線をやり、すぐに私に耳打ちした。
「ソウビ姫、もしここがお気に召さなければ、別に席を用意しますよ? ご希望はございますか?」
この場面、チヨミは前王の娘であるソウビに気を使う。いきなり隣に侍らせようとしたヒナツとは違って。
(で、ソウビはこう返す、と)
私は記憶にある台詞を口にする。
「姫はおやめください。私はもう王の娘ではありません。王の妃チヨミ様、どうぞ私のことはソウビと」
「なら、お互いに敬語はよさない? 私のことはチヨミと呼んで、ソウビ」
「えぇ、チヨミ」
取り澄ました顔でやり取りしつつ、心の中で私はかなり興奮していた。
(友情イベント~っ!)
乙女ゲーの主人公と言えば、プレイヤーの分身でありながら、プレイヤーの親友のような存在だ。そんな相手が目の前にいるのだから、心が浮き立つのも仕方ない。
(あぁ、これが生のチヨミ。派手じゃないけどやっぱり可愛い! 爪の先まできれい!)
それになにより、この夢の中での私の幸せは、彼女にかかっているのだ。
(チヨミと親交を深めねば!)
「おお、お前たち二人の仲が良くて何よりだ! 今後も上手くやっていけそうだな!」
手を取り合う私たちの間に、ヒナツが割り込んできた。
(うわー、うーわー! ヒナツのこの顔!)
ヒナツはやたら嬉し気に、目尻を下げている。
(こっちはクリア済みのプレイヤーぞ? お前が今考えてることなんて、お見通しだからな!
この時ヒナツはすでに、ソウビを愛妾にする気満々なのだ。そして正妃のチヨミと仲良くやっていけそうな様子に、ご満悦というわけなのである。
(まぁ、現時点でヒナツはソウビのこと『前王とのつながりをアピールする存在』としか思ってないわけだけど)
私は心の中で、ヒナツに向かって舌を出す。
(チヨミとは仲良くするけど、お前と仲良くすると破滅するから嫌だ、このどすけべ王!)
私の感情に気づくことなく、ヒナツは上機嫌で盃を空ける。
「ところでソウビ殿、妹君はもうお休みか?」
「えぇ」
「何か不便はないか?」
(テンセイと過ごす時間が欲しいです)
口から漏れそうになった本音をぐっと飲みこみ、私は静かに返す。
「……別に」
その時、チヨミがそっと私の側から離れようとした。
(あ、チヨミどっか行っちゃう!? やだ、こいつと2人にしないで!!)
私は慌てて、チヨミのドレスの裾を掴んだ。
「チヨミ! この城のバラ園は私のお気に入りなの。今から一緒に見に行かない?」
「え……」
チヨミは明らかに困惑していた。何かを気にするように、背後にチラチラ視線を泳がせる。
(ん? 何かまずかったかな?)
そこへヒナツが意気揚々と立ち上がる。
「バラ園か、それはいい! きっとソウビ殿を一層美しく彩ってくれるだろう! ささ、参ろうか!」
「ごめんなさい。私、今、チヨミと話してるので」
「……」
私の言葉に、ヒナツが笑顔のまま固まる。
「ソウビ、あの、私は少し用事があるから、バラ園へはヒナツと……」
「わ、このフルーツ美味しい! ねぇチヨミ、あなたも食べてみて。はい、食べさせてあげる」
「あ、ありがとう、ソウビ。でも、今はお腹いっぱいで……」
「ははは、ならば俺がいただこう!」
覇気を取り戻したヒナツが私の前に回り込み、大きく口を開ける」
「さぁ、ソウビ殿! あ~ん……」
「召し上がりたいなら、そちらにフォークがありますよ?」
「……」
宴席が静まり返った。
(あ、やっべ)
ヒナツを邪険にし続けたため、祝宴の場の空気が凍り付いていた。
ヒナツも形ばかりに口端を上げているが、目は笑っていない。
その場に集う客たちは、ある者は機嫌を伺うように彼を盗み見、またある者は気まずげに私たちから目を逸らしていた。攻略キャラの3人も、息をつめてこちらを凝視している。
(さすがに、今日の宴の主役を粗末に扱い過ぎたか……)
背すじがヒュッと寒くなる。ヒナツの寵姫となり民衆に殺される運命を避けたいがための行動だったが、これではそこに行きつく前にヒナツの手で処刑されるかもしれない。
「あー、えぇと……」
ここはなんとか取り繕わなくてはならない。フルーツを口に入れてあげようか。今からでもバラ園に誘うべきか。
だが。
「ふっ……、クク……」
(え?)
「ふぁーっはっはっは!!」
(大笑い!?)
凍り付いた宴席の空気を、ヒナツの豪快な笑い声が焼き払った。
「さすがは前王の娘! その気位の高さがたまらんなぁ!!」
(ぇえ!?)
ヒナツは腰に手を当て仁王立ちとなり、肩を揺らして笑っている。
「いいぞいいぞ! ここのところ、俺の周りには媚びを売る女ばかりで飽きあきしていた。その蔑むような眼差し、実に心地よい! 氷のごとき舌先にはそそられる! さすがは生まれながらの姫君よ!!」
(ドMか!?)
「成り上がり者に向ける笑みなど持ち合わせておらんというわけか。ククク」
ヒナツの獣のようにギラつく目が私を捕らえた。
「だがな……」
幾百もの敵を薙ぎ払って来た戦人の腕が、私の腰を乱暴にさらう。
そしてぐいと顔を近づけると、私の耳元に口を寄せ、低い声で囁いた
「そんなお前を組み敷く日がいずれ来ると思うと、今から楽しみでならん。俺の下で涙を浮かべ頬を染め、許しを請うお前の顔が早く見たい」
「~~~~っっ!! 」
反射的にヒナツの胸を押しのけ、思わず叫ぶ。
「こんのっ、どすけべ王っ!」
「はぁーっはっはっは!!!」
(しまった、声に出た)
とはいえ、先ほどまで凍り付いていた場の空気は確実に和らいでいた。皆もおずおずと笑顔を取り戻す。そのこと自体は良いのだが。
(くっ、あのセクハラ野郎、なんてセリフを! 原作ゲームにはなかったぞ! しかも担当声優さんと同じ声帯してるから、無駄にいい声でタチが悪い!)
屈辱と、思わぬ美声サービスに、感情のやり場に困る。
その時、再びチヨミが祝宴の席から抜けようとしているのが見えた、
「チ……!」
呼び止めようとして、私は思い出す。
ヒナツがソウビに気を取られている隙に、チヨミがあるイベントを起こすことを。
(そうだった。地下牢にいる彼を解放しに行くんだよね。今は囚われの身だけど実は隣国の王子であるメルクを)
隣国の王子メルクは隠し攻略キャラだ。チヨミの手で逃がさなくとも、いずれ彼の部下によって救い出されるので、後のストーリーに影響はない。だが、ここでメルク解放イベントを起こしておくと、攻略が可能となるのだ。
(なら邪魔しちゃいけないな。……となると)
ヒナツがチヨミの行動に気づかぬよう、私はここで彼を引き付けておかなきゃならない。原作でもそうだった。ヒナツがソウビに夢中だったおかげで、チヨミは彼に悟られることなく目的を達成できるのだから。
(あーっ! ヒナツの好感度上げたくない!!)
だがこれも、魂の双子チヨミのためだ。
(よし、ヒナツの気を引きつつも好感度を上げない、そして怒らせないギリギリのラインを狙う!)
私はフォークの先にフルーツを刺す。そしてそれをヒナツの口元へと持って行った。
「いかがした、ソウビ殿?」
「先ほどは、失礼いたしました」
視界の端で、チヨミが部屋を出て行ったのを確認する。
(よし!)
「ヒナツ様、どうぞお召し上がりを」
「うん? 先程とはうってかわった態度だな。どういう風の吹き回しだ?」
(ぐぎぃ!)
顔面の筋肉を総動員し、怪しまれぬよう極上の笑みを浮かべる。
このシーン、ゲーム内では一切描写されていない。作品はチヨミ視点で進むため、『チヨミが牢に向かった頃、ヒナツはソウビに気を取られていた』以外の情報がないのだ。
(気に入られないよう、かつ、さっきの流れで口にしてもおかしくないセリフ……)
フルーツがヒナツの唇に触れようとした瞬間、私はサッと手首を翻し、それを自分の口へと運んだ。
「残念、時間切れ」
「……」
罪のない悪戯を演出するため、私はにっこりと目を細める。
「首尾よく王座を手に入れた男なら、わずかな機会も逃さぬものと思っていたけれど、存外うっかりしておられるご様子。その調子では、今の地位もいずれ他の者に取って代わられましょうね?」
(これでどうだ!? ちょっと生意気で、好感度-5程度でいけたのでは?)
私は笑顔を保ちつつ、内心びくびくしながら結果を待った。
「……。……クク」
ヒナツが喉の奥で低く笑う。
「やはりおもしろい女だ。これほど俺の心を引っ掻き回す女には出会ったことがない」
(おっしゃ、セーフ!)
「ソウビ、お前を屈服させた時こそ初めて、俺はこの国を手に入れたことになるのかもしれんな」
(おい、ソウビ『殿』はどうした? 『殿』どこに落した!?)
この反応、おおよそ私の狙い通りになったと考えていいのだろうか。
(いや、ちょっと待って?)
ヒナツが先ほど口にした言葉に、乙女ゲーマーとして反応せざるを得ない。
(さっき『おもしれー女』って言わなかった? これ、ひょっとして気に入られたパターン?)
そこで私は、ヒナツの設定を思い出した。
(あーっ、そうだった!! ヒナツは自分を振り回す女が好みで、だからソウビはわざとそう振舞うようになったんだった! まずいまずい、これじゃ原作同様、傾国ルートに入っちゃう!? ぎゃあああ、違う! 狙ったのはそっちじゃない!!)
「失礼いたします」
頭を抱える私の前に、給仕の者が白い液体を満たしたグラスを運んできた。
(! これって『ドラゴンミルク』?)
『GarnetDance』の中のキーアイテム『ドラゴンミルク』が目の前にあった。
この国の守護獣と崇められている北の山に住む聖なるドラゴンの、首筋から分泌される液体。
美味で栄養価も高いが、入手が困難なため、特別な祝いの席でのみ振るわれる貴重なドリンクだ。
特別な祝いとは、戴冠式や王族の結婚式などである。
(ヒナツが玉座から追われる一因になるのが、このドラゴンミルクなんだよね。希少で神聖な液体なのに、ソウビの美肌のため、毎日の入浴に使わせちゃって……)
私は黄金で彩られた盃を手にし、そこに満たされた液体をじっと見る。
(ところでドラゴンの分泌液なんて、飲んでも平気なの?)
「どうした、ソウビ」
ヒナツが私と距離を詰め、目を覗き込んできた。
「王となった俺を祝ってくれんのか?」
「……」
ドラゴンの分泌液と言う情報に抵抗はあったが、ドラゴンミルクはこの世界における神聖な飲み物だ。私は覚悟を決め、グッとあおった。
冷たくとろりとした食感が、舌から喉へと通り抜ける。
(わっ、美味しい!)
ヨーグルトのような酸味にまろやかなコク、ちょうどいい甘さ。
(ラッシーに生クリームを加えた感じ?)
想像より格段に美味しかったが、これを浴槽に満たして入浴しようなどという感性は理解できない。
(ボディーミルクの中にそのまま入るようなものだよ?)
そんなことを考えながら盃を見つめていると、さっと髪をひと房すくわれる気配があった。ヒナツが気取った仕草でそこにキスを落とす。
「ははは、ソウビ。こうして並んでドラゴンミルクを飲み交わしていると、まるで俺たちの婚礼のようだな!」
(はい!?)
妻帯者が何言ってんだ!? 完全なるセクハラ上司のごとき言い草にカチンとくる。私は髪を振り払った。
「私は婚約者のいる身です。そういうのやめてもらえます?」
「ふわははは、その嫌そうな顔!」
怒りを堪え務めて冷静に突き放したものの、何が楽しいのか、ヒナツはゲラゲラ笑いながら膝を叩いている。
やがて彼はスッと顔を引き締めると、瞳に冷酷な光をたたえ、私の耳元へ口を寄せた
「だがソウビ、どんなに不服でもお前は俺に逆らえん。そのふくれっ面も愉快でたまらん」
「っ!?」
私は囁かれた側の耳を押さえ、わずかに飛び退る。逃げられぬ獲物を前にした残虐な笑みを浮かべ、ヒナツは玉座にどっかりと座り直した。
(ぎぃいい!! 腹立つ! ドMと思ったらドSでもあるんかい!!)
粟立った腕をさすり、私はヒナツから顔をそむける。
(いや、どっちでもいい! とにかくこれ以上私のこと気に入るな! お前と進む道は破滅への直行便なんだから。それに……)
私を苛立たせる大きな理由がもう一つ。
(人気声優さんの声帯でしゃべるの勘弁してもらえますかね? 別のゲームではかなり好きなキャラ演じていた人と同じ声だから、複雑な気持ちになる!!)
乙女ゲーマーなら、この気持ち、お分かりいただけるだろうか?
(それにしても退屈すぎる)
宴席に連れてこられてから、私はただガハガハ笑うヒナツの隣に座っているだけだ。間が持たないので運ばれてくる食べ物をいくつか口に運んでもみたが、間もなく満腹になってしまった。
気を紛らわせるため、私は群衆の中から攻略キャラ3人を探す。
濃紺の髪の若い騎士が、刺すような眼差しをこちらへ向けていることに気づいた。
(うわ、タイサイ、こっわ……)
タイサイにとって私は、愛する義姉チヨミとその夫の間に割って入る邪魔者である。
チヨミに恋心を抱きながら、義理の姉である彼女に想いを告げられずにいた彼にとって、ヒナツは憎んでも余りある存在だ。しかもヒナツは元はと言えば、アルボル家の使用人。だが、チヨミの幸せのためにと、彼はグッと気持ちを押し殺している。
そう、ソウビはタイサイにとって「愛する義姉の幸せを壊す淫婦」なのだ。
(ここのタイサイのセリフ覚えてるよ。『あんな子どもに手を出すとは! あの使用人、いや義兄上は何を考えてるんだ!』だったなぁ。いや、ソウビ子どもじゃないし! 18歳だし! 17歳のお前より年上だから! 20歳のチヨミと年齢そう変わらんし!)
あからさまな敵意を向けてくる若い騎士から視線をはずし、私は次に若葉色の髪を持つ魔導士を探す。
「……(すやぁ)……」
ユーヅツは祝宴に飽きて、寝てしまっていた。
(原作に忠実だ)
この場面の描写はゲーム内に存在しない。だが、キャラ的には納得しかない行動だ。
(そしてマイフェイバリット、テンセイは?)
私は茶色のたてがみを持つ偉丈夫を探す。
吸い寄せられるように、その姿はすぐに見つかった。
(あ、テンセイ……)
テンセイは愁いを帯びた表情で、静かに杯を傾けている。談笑に加わることもなく。
(そりゃそうだよね。形ばかりのものとはいえ、自分の婚約者がこんな場で王に手を出されて、愉快なはずがない)
テンセイの周囲だけ、少し冷ややかな空気が漂っているように思えた。
(テンセイは忠誠心の高いキャラだからなぁ。こんな大勢の目がある場所で、王のメンツを潰すような言動しないよね)
不満を押し隠し、一人ぼそぼそと料理を口に運んでいるテンセイの姿。ひょっとすると、婚約者を王に奪われた男として、酒でタガの外れたこの場では笑い者にされているかもしれない。そう思うと、やりきれなくなってきた。
(うわぁん、テンセイ! もっと怒って! 私をさらって!)
「はははは!」
私の心の中を見透かしたかのようにヒナツが笑った。そしてその武骨で大きな手が私の肩を乱暴に抱く。
(ぎゃー、酒臭い! テンセイの隣に移動させて! 誰か助けて~!)
「ふぅ……」
しばしの後、私は何とか宴席から抜け出した。人に酔ったと訴える私に、しつこく付き添おうとするヒナツを振り切って。
宴席から洩れる笑い声を遠くに聞きながら、私は月明かりに染まる廊下を歩く。
(ん? あれは……)
行く先に人影が見えた。近づくごとに、それはよく知る人物であることに気づく。
「チヨミ!」
私が声をかけると、チヨミはビクリと身をすくめた。
「メルクはうまく逃がせた?」
私の言葉に、彼女が顔色を変える。
「なぜ、そのことを……」
「あ、怯えないで。みんなには内緒にしておくから。それに私もやらなきゃと思っていたんだよね」
「……」
チヨミは探るような目で私を見ている。命のやり取りが日常的であるこの世界、敵と味方を見極められなければ死んでしまうのだから、仕方ない。
チヨミはこの段階で、彼が隣国の王子であることを知らない。ただ、旅の途中でクーデターに巻き込まれた運の悪い異国人だと認識している。だが、後に王宮から追放されたチヨミを助ける人物こそ彼、メルク・ポースなのだ。
「メルクには無事に国境を超えてほしいよね」
「え、えぇ……」
理解者であるとアピールしたつもりだが、すっかり警戒されてしまっている。チヨミにこんな顔をされるのはちょっと寂しい。
「あ、あのっ」
チヨミが思い切ったように、口を開いた。
「何? チヨミ」
「ヒナツは? 私がいないこと、何か言ってた?」
「ううん、特に。今も宴席ではしゃいでると思う」
「そう……」
私の返答に、チヨミは寂しそうに睫毛を伏せた。
そうだよね、この段階でチヨミは妻としてヒナツに愛情を持ってる。なのに肝心の本人は、妻が部屋を出て行ったことにも気づかず、それどころか部下の婚約者に手を出して上機嫌なのだから。考えれば考えるほど、最低だな。
魂の双子であり親友とも言えるチヨミのことを悲しませたくない。
「私、宴席から逃げてきちゃったんだ」
「え」
「だーって、ヒナツが前王の娘である私を使って、王家の正統な後継者アピールしたがってるの、見え見えなんだもん。そんなことに利用されるなんて、ムカツク!」
ヒナツが私に向けているのは恋愛感情ではないと、まずは主張する。そして。
「だいたい私が好きなのはテンセイだし! テンセイ以外に心移すことなんて、まずないし!」
「!」
私のきっばりとした言葉に、チヨミは一瞬目を大きく見開く。やがてその口元に、やわらかな笑みが浮かんだ。
「ふふっ、そうなんだ」
(チヨミ、ほっとした顔してる)
チヨミの笑顔に、私も少し安堵する。
(少なくとも、私がヒナツのこと眼中にないと安心してくれたかな? それにしても、こんないい子をないがしろにするなんて。ヒナツあの野郎! 許さん!)
私は両手で、彼女の手をそっと包む。
「ねぇ、チヨミ、お願いがあるんだ」
「お願い? 私に出来ること?」
「うん」
私はチヨミの手を胸の前でキュッと握る。
そう、私はヒナツの側にいちゃいけない。気に入られるわけにもいかない。でなければこの先、国を傾けた大罪人として、ヒナツともども殺害される運命が待ち受けているのだから。
私はチヨミの目をまっすぐに見据え、はっきりと伝えた。
「今後、私をチヨミの側に置いてほしいの。許可してもらえる?」
「えっ、ソウビを私の側に……?」
真紅の部屋に、強めのノックの音が響く。
「ソウビ、入るぞ!」
品性のない大声の後、扉は乱暴に押し開かれた。
赤い髪の王が無遠慮に足を踏み入れ、やがて部屋の主が留守であることを理解する。
「……。ソウビはまた留守か。いつもいつも、一体どこをほっつき歩いてるんだ?」
――あはは。
外からの声を、その耳が敏感にキャッチする。
ヒナツは大股で窓辺へと近づくと、眼下に目をやった。
「それでね、チヨミ。その時ね」
「本当に? ソウビったら、あははは」
庭園を仲睦まじく散歩する、妻と前王の娘の姿がそこにあった。
「ソウビめ、またチヨミと一緒か……。いつの間にあんなに仲良くなったんだ」
面白くなさげに、ヒナツは口をとがらせる。そこに王の威厳らしきものは欠片もない。
「仲が良いのはいいが、俺の入り込む隙がないじゃないか」
ヒナツは仲間はずれにされた子どものようにむくれていたが、一転そこに野生じみた表情が浮かぶ。
「まぁ、どうあっても俺のものになってもらうがな、ソウビ。この王位を確実なものにするには、前王の娘であるお前が必要だ」
野心に満ちた笑みをたたえ、若き王は真紅の部屋を後にした。
■□■
その残酷な知らせは、チヨミとティータイムを楽しんでいた時に届けられた。
指から離れた白い陶磁器が、琥珀色の液体を振りまきながら地面へと落ちる。それは澄んだ音を立てて砕け散った。
「――今、なんて……?」
耳にした言葉が信じられず、私はあえぐように問い返す。伝令に使わされた人物は、よりにもよって私の最愛の推し、テンセイだった。
「……」
「テンセイ……、ウソ、でしょ?」
悪い冗談だと信じたい。笑ったような顔のまま固まっている私に、テンセイは首を横に振って見せた。
「噓ではございません。先ほどヒナツ王より、ソウビ殿と自分との婚約を解消するとの示達がなされました。ソウビ殿、貴女をヒナツ王ご自身の寵姫とするために」
「……っ!」
「これは命令ではなく、決定事項とのことです」
頭の奥で何かがガンガンとなっている。視界が暗くなり、喉がカラカラになった。脳が理解することを拒み、ぐらぐらと世界が揺れる。
「ソウビ殿、危ない!」
ふらついた私を、逞しい腕が受け止めてくれた。布越しにもわかる筋肉の凹凸、厚い胸、若木のような匂いと、武骨ながら優しく熱い大きな手。
それを感じ取った瞬間、散りかけていた意識が一気に凝縮した。
そうだ、私の好きな人はこのテンセイ。今、私を抱き止めてくれている人。
ヒナツじゃない!
「っ!! ふざけんな、あの野郎!!」
考える前に、怒りが喉からほとばしった。
「ソウビ……!」
チヨミが戸惑った表情で私に駆け寄ってくる。
けれど私はその脇をすり抜け、地面を蹴りつけ疾駆した。
「ソウビ殿!? どこへ行かれるのです、ソウビ殿!」
背に投げかけれたテンセイの言葉に、私は怒鳴り返す。
「あの脳みそ海綿体のクソ色ボケ自称俺様系モラハラ王をぶん殴ってくる!!」
「ソウビ、待って!! それはダメよ!」
「いけません、ソウビ殿!! お待ちください!!」
■□■
チヨミは嵐のように去り行く二人を呆然と見送る。
やがて王の妻は呻くようにその名を口にした。
「……。ヒナツ……」
それは聞く者の胸を裂くほど、悲痛な声だった。
■□■
堪えきれぬ怒りが腹の底を焼く。それが凄まじいパワーとなって全身を駆け巡り、今の私を突き動かしていた。
やがて謁見の間の入り口が見えてくる。私はその勢いのまま、扉を蹴破った。
「ヒナツッ!!」
飛び込んできた私に特に驚くでもなく、ヒナツは玉座の上から冷たく私を見下ろしている。
やがて一つ欠伸をすると、次には空々しいほど満面の笑顔となった。
「ソウビではないか。お前が自ら俺の元へと足を運ぶとは珍しいこともあるものだ」
その笑顔の中で、瞳だけが禍々しく光る。
「だが、呼び捨ては感心せんな。お前は元王女ではあるが、今の王は俺だ」
「……っ」
「そういうのは、寝所で二人きりの時に、な」
「ふざけるな! ふざけるな!! ふざけるなぁああっ!!」
私は足を踏み鳴らし、あらん限りの声で叫んだ。
「私はあんたの寵姫になんてなりたくない!! 私が好きなのはテンセイなんだから!!」
「……」
「今すぐ彼との婚約解消を撤回して!!」
「断る」
まるで羽虫を払うがごとき、軽く抑揚のない声。
(どう、して……)
私はヒナツに好かれぬよう、出来る限り気を配った。
距離を置き、接点を無くし、好きや嫌い以前に『無』の関係であるよう努めた。
彼が私を気に入る機会など、これまでなかった筈だ。
(なのに、どうして……)
拳を震わせる私を前に、ヒナツはこともなげに言い放つ。
「一貴族アルボル家の使用人から、ただ自らの策と武勇で王となった俺を、成り上がり者と謗る声も未だ多くてな。俺には前王の娘であるお前が必要なのだ。王家の正当な後継者として皆に認めさせるためには」
「な……!」
自分に必要なのは、ソウビの中に流れる王家の血のみ。ヒナツは今、そうはっきり言った。そこに愛情など関係ない、好かれようと嫌われようと、ただ自分が王であるために、ソウビが欲しいのだと。
「そう怒るな」
破顔一笑し、ヒナツは言葉を続ける。
「お前の身分はひとまず寵姫とするが、いずれチヨミを廃しお前を正妃に迎える。そうなれば、王女だったお前が本来就くはずだった地位に舞い戻れる。この国の女の頂点に君臨できるのだぞ?」
「そんなの……、私、望んでない! だいたい……」
抑えようとしても声が震える。
「なにが策と武勇で成り上がった、よ! その策はチヨミが考えたものでしょう!?」
ヒナツの顔に、初めて狼狽の色が浮かんだ。しかしすぐに、野心に満ちた獣の顔つきに上書きされる。
「知っていたのか……」
当然だ。チヨミとして指示を出していたのは、他ならぬプレイヤーの私なのだから。
「あんたがこの地位につけたのは、半分はチヨミの手柄じゃない! なのにチヨミを廃する!? 恩知らず! 最っ低!!」
「……」
「策がチヨミのものだったってことは周囲に黙っててあげる。だから私とテンセイとの婚約を……」
「断ると言った」
「っ!!」
固く、無機質な声。必死の思いで立てる爪をまるで意に介さない。
獲物を前にした猛獣のごとき眼差しが私を貫く。
「ソウビ、お前は俺のものだ。この地位を盤石にするために。そして何より……」
次の瞬間、ヒナツは腹立たしいほど無邪気に笑った。
「その麗しい顔に似合わぬはねっかえりのお前を、俺はとても気に入っているのだ」
「この……!」
ヒナツのこちらを完全になめてかかった物言いに、一気に頭が沸騰した。
「殴らせろっ!!」
「いけません、ソウビ殿!!」
玉座に向かって突進しようとした私を、背中からがっしりと抱き止めた腕があった。
「テンセイ!?」
「ソウビ殿、これ以上はいけません。いくらお気に入りの貴女でも処刑されてしまう!」
「っ! だけど……っ、だけど!!」
ヒナツは白々とした炎を双眸に宿したまま、薄笑いを浮かべて私を見下ろしていた。
「ヒナツ王、ソウビ殿は突然のことに混乱しておられます。どうか寛大な処置をお願いします!!」
テンセイの、魂を震わせるほど必死に助命を求める言葉。だがそれに返ってきたのは、ひどくあっけらかんとした声であった。
「ははは、問題ない。愛らしい子猫が手の中でもがいて暴れて爪を立てるのを、楽しんでいただけだ」
(な……)
「はっ。王よ、感謝いたします! では我々はこれにて」
テンセイは声を押さえ、私に耳打ちする。
「ソウビ殿、こちらへ」
「……」
私を捕らえているのが偉丈夫のテンセイでなくとも、私をその場から連れ出すのは容易かったろう。抵抗する気力は、ヒナツの言葉で完全に損なわれていたのだから。
(楽しんでいた? 私の必死の抗議を?)
ずる、ずると引きずられながら、私は謁見室をあとにする。私を嘲笑うような視線が、玉座から注がれていた。
■□■
部屋の外へローズピンクの髪が消え、扉が冷たく閉ざされる。
「ふん……」
その場に一人きりとなった赤髪の王は、つまらなさげに一度鼻を鳴らした。
私が連れてこられたのは、テンセイの私室だった。
「ソウビ殿、ひとまずはこちらへ」
歩く力を無くした私を抱えるようにしてテンセイは椅子まで移動させる。そしてゆっくりと、私をそこへ座らせた。
「……」
腰を下ろしたものの、縦の姿勢に保つのすら苦痛だ。体から芯が抜けてしまったようだった。
「今、お茶を淹れましょう。固い椅子で申し訳ございませんが、おかけになってお待ちください」
テンセイがティーカップに茶葉を入れ湯を注ぐ。やがてふわりと、かぐわしい香りが漂って来た。
「どうぞ、ソウビ殿。温まりますよ」
「……」
私を気遣う、テンセイの低い声、優しい眼差し。
それらが私の中に染み入った瞬間、感情が堰を切ったようにほとばしり出た。
「うっ、うっ、うぅ~~っ」
「ソウビ殿……」
とめどなくあふれる涙を、もはやぬぐう元気もない。
「なんでよ、テンセイと幸せになりたかったのに。ヒナツに気に入られないように頑張ったのに。結局、悪夢じゃん……。また、傾国になって民衆に憎まれてテンセイに殺されエンドなんだ……」
「自分が、ソウビ殿を!? 何をおっしゃるのですか!」
「なるんだよ! 私、知ってるんだもん……」
最推しが見ているにも拘らず、顔をきれいに保つことができない。私はしゃくりあげながら、ぐしゃぐしゃと泣き続ける。
「私はただ、テンセイと幸せになりたいだけなのに……。こんな酷い夢、早く覚めて……! うわぁあぁああぁん!」
「……」
テンセイが、もう一つの椅子を私のすぐ側まで持ってくる。彼の清潔なハンカチが、私の顔に優しく触れた。
「ソウビ殿。お伺いしてよろしいでしょうか」
せせらぎの音のように心を落ち着かせる、低く甘い声。
「ソウビ殿は自分のことを、いつからそんな風に思っておられたのですか?」
「……」
私に向ける、金色の虹彩。慈愛に満ちたそれは、ハチミツのような優しい色合いだった。
「自分は長い間、ソウビ殿にとって形だけの婚約者とばかり思っておりました。ソウビ殿は自分といても、楽しそうには見えませんでしたので」
テンセイは一度睫毛を伏せ、改めて私に向き直る。
「ソウビ殿、お聞かせ願えますでしょうか。ソウビ殿はいつから、自分のことを……」
視界に入るだけで心臓が限界の動きをするほど、尊く愛しい最推しの姿。本当の気持ちを伝えるなんて畏れ多い。恥ずかしさよりも、うかつな言葉で汚してしまうのが怖い。
けれど、もう彼とは一緒にいられなくなる。彼に、想いを伝えられるのはこれが最後なのだ。
そう思うと、言葉は自然に心から溢れた。
「最初、からだよ」
「最初?」
「初めて見た時から!」
乙女ゲーの情報サイトで発表された攻略キャラの集合絵。あの瞬間、目を奪われた。
「初めて動くテンセイを見た時から!」
メーカーのSNS公式アカウントで公開されたプロモーションビデオ。表情とポーズが切り替わった瞬間、心臓が止まるかと思った。
「初めて声を聞いた時から!」
公式サイトでキャラが公開された時、ドキドキしながらクリックした「Voice」のボタン。耳にした瞬間、声を押さえるのが大変なほどときめいた。
私は悲鳴に近い声で、これまでの全ての想いをぶつける。
「ずっとテンセイのこと大好きだったよ!!」
「!」
乙女ゲー情報サイトでプロジェクト始動の報を見た時の衝撃から、ゲームの中での彼との甘いひととき。それらが走馬灯のように脳裏を駆け巡る。言葉を尽くしても尽くしても、私の彼への想いを伝えきれない。
「なにを見ても、思い出すのはテンセイのことだったよ。つらい時も、テンセイのことを思い浮かべるだけで耐えられたよ。私の心のほとんどが、テンセイへの気持ちでいっぱいなんだよ」
「ソウビ殿! す、少しお待ちを!」
不意に、テンセイが私の言葉を遮った。
(え……)
テンセイは口元を手で覆い、こちらから顔を逸らしている。心なしか、頬がうっすら朱に染まっているように見えた。
「も、申し訳ございません、ソウビ殿。これほど直球に応えていただけるとは思っておらず、その、動揺しております」
それは初めて聞く声だった。
僅かに掠れ、裏返り、いつもの落ち着いた声よりもいくらかトーンの高い。ゲームの中では一度も耳にしたことのないテンセイの声。
「ふー……」
やがてテンセイは大きく息をつくと、再びこちらをまっすぐに見た。目が艶やかに潤み、頬に赤みがさしているように見えるのは、錯覚だろうか。
「ソウビ殿、罰当たりなことを申し上げます。自分は今、喜びを感じております」
「っ!」
テンセイの言葉に、頭の奥がシンと冷える。
「……婚約を解消になったことが?」
泣き声のような私の問いかけに、テンセイは静かに首を横に振った。
「違います。貴女のお心に初めて触れられたこと、それが嬉しくてたまらないのです」
その口元に、穏やかな笑みが浮かぶ。
「おかしな話です。長く、婚約者と言う立場でいながら自分は貴女を知らなかった。いや、知ろうとしなかった」
テンセイの大きな厚い手が、まるで宝物に触れるように、そっと私の手へ重なる。
「王女として生まれた貴女がただ畏れ多くて、あなたに踏み込むのもはばかられて。なのに貴女はそれほどまでに熱い想いを抱いていてくれたのですね。こんな、まるで面白みのない男に」
「テンセイ……」
テンセイが椅子から下り、床に跪く。そして恭しく、私の手を両手で包み込んだ。
「先日、宴席にあなたを案内するため手を取った、その時感じたのです。自分は、この人の愛らしさになぜこれまで気付かなかったのか、と」
その瞳に、愁いが滲んだ。
「……あの時にはすでに、ヒナツ王があなたを欲していることを知っておりました。ゆえに自分は、自らの中に微かにともった炎を見ぬ振りいたしました」
テンセイはもう一度目を伏せ、そして顔を引き締めると真っすぐに私を見上げた。
「ソウビ殿、自分は、あなたを愛しく思っております」
「っ! テンセ……!」
心臓が止まるかと思った。まるで炎に触れたかのように、彼に包まれた手を引きそうになる。けれどテンセイはそれを逃さず、そこへ口づけを落とす。
「うっ!?」
「ソウビ殿、私は騎士です。貴女に永久なる忠誠を誓いましょう。夫婦とは異なる形ですが、この身は生涯貴女だけのものです。この心も、この命も、全ては貴女と共にあります。それをお忘れなきよう」
「テンセイ……」
私は今ここで死ぬのだろうか。ゲームの中の存在だった彼が、ただ、私だけに向けて愛を誓ってくれたのだ。そしてその愛は、なんて切なくきれいで哀しいのだろう。騎士道的恋愛、肉体的な欲求から離れ、精神だけで固く結ばれる愛……。
「テンセイ~っ!」
私はテンセイの胸に飛び込み泣きじゃくる。私が落ち着くまで、彼はずっと私を抱きしめてくれていた。耳元で「愛しています」と繰り返し囁きながら。
テンセイとの婚約解消から数日が経った。
「入るぞ、ソウビ」
デリカシーのないノックの音と同時に、ヒナツは返事も待たずに部屋へと入ってくる。
私が口をつぐみあからさまに迷惑そうな顔をしても、ヒナツは一向に気にしない。
今日も、両手に抱えた山のような包みをどさりと床に下ろすと、得意げに全てを開封し始めた。
「ソウビ、お前のために色々持ってこさせたぞ! え~っと、こちらはドレスに、靴に、アクセサリーだ!」
全てを開封し終えると、ヒナツは満足そうに大笑いをする。
「さぁ、どれがいい? どれも一級品の優れものだぞ! これらを身に着けた美しいお前を見せてくれ!」
「……ハァ」
ストレスの塊が口から漏れ落ちる。
最初こそ殺害されないため、ヒナツにある程度好かれなければまずいと考えた。しかし彼は、自分が王座に君臨するため、前王の娘であるソウビの存在が必要だと明言した。なら、よほどのことがない限り殺されることはないだろう。つまり、彼の機嫌を取る意味はなくなったのだ。
「ははは、今日も一瞥すらせんか」
私が不機嫌を露わに目を背けても、ヒナツは一人勝手にはしゃいでいる。
「まぁいい、貢ぐというのは存外楽しいものだな」
彼はベッドに座る私の隣に、どっかと腰を下ろす。その手には、繊細な細工の美しい靴が乗せられていた。
「お前のことをただ想いながら品を選ぶ、そのひとときの甘く愛しいことと言ったら」
「……」
彼の言葉に、わずかに心が動く。ヒナツの中に、ソウビへの想いが少しはあるのだろうか。
だが、彼を理解しようかと揺らいだ気持ちは、次の瞬間、冷や水をぶっかけられることとなった。
「ソウビよ、明日こそお前を満足させるものを用意しよう。なぁに、予算は潤沢にある。いやぁ、王にはなってみるもんだな!」
「は?」
反射的に彼をふり返る。目が合った瞬間、ヒナツはにんまりと笑った。
「どうした、ソウビ? 俺からの貢ぎ物を受け取る気になったか?」
「予算は潤沢? まさかと思うけどこれ全部、国家予算で購入しているの?」
私が口をきいたのが嬉しいのか、ヒナツはふんぞり返る。
「当然だ、俺は王だぞ? その身内に関する出費は予算に含まれるものだろう」
「アホなの!? やめて! そういうのは今回限りでやめて!!」
「さぁて、な」
ヒナツの瞳に青白い光が宿る。
「それはお前次第だ。ソウビ」
「……!」
ゾッと背筋が冷えた。
私が全く望んでいないにもかかわらず、確実に傾国ルートに進んでいることに気づいたのだ。
王になびかない愛妾と、気を引くため国家予算を湯水のように使う王。これはまさに、原作ゲームの中で語られていた二人の関係ではないか。
(まさかと思うけど、本編のソウビも今の私と同じだった可能性ない?)
冷たい汗が頬を伝う。
(ただヒナツを拒絶していただけなのに、『王の気を引くためのわがまま』と解釈された可能性は?)
「どうした、ソウビ?」
ヒナツは面白がるように、私の顔を覗き込んでくる。酷く無邪気な、からかうような表情で。
けれど私には、それに構っている余裕はなかった。
(ヒナツの浪費をやめさせるには、気に入ったふりしてプレゼントを受け取るべき? でも、それはそれで調子に乗って、更なる高価なプレゼントを用意し始める可能性は? どうするのが正解なの!?)
この物語の傾国となり、彼とともに民衆に殺害される未来しか、私にはないのだろうか。
「……チヨミには?」
わななく唇から、私は何とか言葉を絞り出す。
「チヨミがどうした?」
「私へのものと同じだけ、チヨミにも贈り物をしたかと聞いてるの」
チヨミの名を出した途端、ヒナツは白けた表情となった。
「いや? だがそれがどうした」
「とある国では、男は複数の女を持つことを許されるけど、贈り物は平等でなければならないそうよ。それが出来ない男は、カスだって」
ヒナツが少しムッとした表情になる。けれどこちらも未来がかかっている。
「あなたがチヨミを大切にしてないのを見ると思うの。それはいずれ私がたどる道だと。今の地位に就くための立役者たる女一人すら大切に出来ない男なんて、信用できない」
「……」
私の機嫌を取る目的でも構わない。ヒナツが少しでも今よりチヨミに関心を持ち、優しくなってくれれば、運命を変えられるのではと期待したのだ。
寵姫に夢中のあまり国を傾けた愚かな王、そんなものにならずにいてくれるのではないかと。
そしてもう一つ。私の言葉は気を惹くための言葉遊びなどではなく、本気で嫌がってるのだと気付いてほしくて。
けれどその思惑もあっさりと裏切られてしまった。
「チヨミをやたらに意識しているな。ソウビ、ひょっとして嫉妬か?」
「!?」
(今の言葉のどこをどう受け止めれば、そんなお花畑な結論に至るのよ!!)
言葉は届いているはずなのに、気持ちが伝わらない。
(やってられない!!)
私はベッドから立ち上がり、扉へと向かう。
「ソウビ? どこへ行く?」
私は彼の問いに答えることなく、部屋を後にした。
■□■
大量の貢物が床を埋め尽くす部屋に一人残され、ヒナツは笑った。
「クク……。毛を逆立てて威嚇する猫のようだ。愛らしいものよ」
そう言っておどける彼の瞳に、鋭利な憎悪が宿っていたことを、彼自身もまだ気づいていなかった。
■□■
私は自室を飛び出すと、チヨミの部屋へと駆け込んだ。
「ソウビ? どうしたの?」
「チヨミ……」
『ガネダン』プレイ時は、私の分身でもあった存在、ゲームの中で最も長い時間共にいたキャラ。その心やすい雰囲気に触れた瞬間、張り詰めていたものが崩れ落ちた。
私は彼女に駆け寄ると、その首に腕を回ししがみつく。
「ソウビ!?」
「チヨミ、どうしたらいい? ヒナツを受け容れるわけにはいかないし、拒絶しても喜ばせてしまう。私どうすればいい? わからないよ……!」
「……」
チヨミの優しい匂いが鼻腔をかすめる。それは、母親に甘える幼子の気持ちを、私の中に喚起させた。じわ、と心が緩む。
(せっかくこの世界に来られたのに、頑張ってもテンセイと結ばれず、傾国からの殺害ルートしかないなんて!)
鼻の奥がツンと沁みる。彼女の胸にすがって少し泣かせてもらおう、そんな考えが頭をよぎった時だった。
「何しに来たんだ、てめぇ」
不機嫌な少年の声が飛んで来た。
「! タイサイ、いたの!?」
私を怒鳴りつけたのは、濃紺の髪を持つ少年騎士。攻略キャラの1人であり、チヨミの義弟タイサイだった。
タイサイはチヨミから私を引きはがすと、アイスブルーの瞳で鋭く睨んだ。
「ヒナツに愛され過ぎてアタクシ困ってますぅ、って? それは姉さんへの当てつけか?」
「タイサイ、やめて!」
憎々しげに顔を歪ませる義弟の腕に触れ、チヨミは苦言を呈す。
「ソウビは前王のお姫様よ? それに王を呼び捨てなんて、不敬だわ。口の利き方に気を付けて」
「ふん、ヒナツは元々うちの使用人だ。それにこいつはそんなヒナツの情婦だろうが」
(なっ!)
「姉さんを苦しめるただの悪女だよ。優しくしてやる必要がどこにある!」
(くっ……)
返す言葉もない。確かに、ヒナツを大切に想ってるチヨミに、さっきの言葉は無神経だったと言わざるを得ない。
けれど、こっちだって命がかかっているのだ。未だ軌道修正の兆しは見えない、傾国ルートまっしぐらだ。弱音くらい吐かせてほしい。
それに、本来攻略キャラである彼の思わぬ冷たい態度に、ちょっとカチンときた。
ゲーム中はチヨミとして生きていたため、タイサイの素直じゃない言動はツンデレと称されるものだった。きつい物言いの中にも愛情がしっかり感じられる、それがタイサイだったわけだ。
けれど今の私は悪役のソウビ。タイサイの冷たいセリフは、ツンデレではなくガチのもの。
私にすれば、これまで自分を慕ってくれていたキャラがてのひらを返したようで、少々面白くなかった。
冷ややかなアイスブルーの瞳を睨み返し、私は口を開く。
「……レ野郎」
「は?」
「このシスコンツンデレ野郎!! うっせぇんだよ!! ちょーっとガネダン人気投票で一位取ったからって調子乗んなコラァ!!」
完全に鬱憤爆発の八つ当たりだ。
私の突然の剣幕に、タイサイが目を丸くする。
「え? シス? ガネダ? 投票? 何?」
「ぬるま湯のような義弟の地位に甘んじてないで、とっととチヨミに告白でもなんでもしてしまえ!! バーカバーカ!」
「はぁああぁあああ!?」
告白と言うワードを耳にした途端、タイサイの頬が分かりやすく真っ赤に染まった。
「ちょ、お前!! 何言って、ワケわかんな、はぁああぁああ!?」
「告白?」
チヨミがタイサイの目をまっすぐに見据える。
「タイサイ、私に何か隠しごとをしているの? 良くないことじゃないでしょうね?」
「いや、ちがっ。おいソウビ、てめぇ!!」
「えぇ、実はコイツ、チヨミのこと」
「あーっ! あーっ! あーっ!!」
存外素直な少年は、耳まで真っ赤にして私に掴みかかってくる。
「てめぇ、ソウビ、ふざけんなよ! マジぶっ飛ばすぞ!!」
おぉ、ずいぶん強気に出るじゃないか。しかしあまりに分かりやすい反応に、つい面白くなってしまう。
「ぶっ飛ばされる前に、全部バラしちゃおうかな。チヨミの似顔絵こっそり描いて、それを枕の下に入れて寝てることとか」
「おまっ、なんっ、いつ……っ!! なんでそれ知ってんだぁああ!!」
『ガネダン』プレイヤーでタイサイルート攻略した人間なら、皆知っている。攻略に必須のイベントではないが、人気のエピソードだ。ゲーム発売からそれほど日は経っていないにもかかわらず、これをネタにした二次創作作品は多い。まだ彼のルートをプレイしていない私ですら、SNSで情報を得ている。いわゆる、受動喫煙と言うやつだ。
挙動不審な義弟を心配し、チヨミがタイサイの顔を覗き込む。
「タイサイ?」
「なんでもないから! 姉さんには関係ないから!! ちょっとあっち行ってろよ!」
「……っ」
タイサイの剣幕に、チヨミが胸を突かれた顔つきとなる。
「あ~あぁ、チヨミがしょんぼりしちゃった。可愛い弟が、自分に隠し事をするなんて、ショックだよね。チヨミ可哀相、タイサイのせいだ~」
「どう考えても、お前のせいだろうが!」
「これはもう、枕の下から愛情いっぱいの似顔絵引っ張り出して来て、チヨミに見せるしかないねっ♪ それで、大事だよって気持ち伝えよう?」
「てめぇ、マジ殺すぞ!!」
パニックのあまり語彙力を無くしているタイサイに、私は悪役らしい笑みを浮かべる。
「口の利き方に気をつけな、少年」
「くっ……!」
悔しそうに歯噛みするツンデレの姿に、多少は溜飲が下がった。
(はっはっは、こちとら中身はれっきとした社会人ぞ? 十代の少年なんて可愛いもんだわ)
とはいえ、ちょっとやりすぎた気もする。少年のみずみずしい初恋をいじって面白がるなんて、大人がしてはいけないことだ。
大声出してすっきりしたことだし、少しフォローを入れておこう、そんなことを考えた時だった。
「こいつ、本当に王家の姫君かよ。品性のかけらもねぇただのならず者じゃねぇか」
……なるほど? まだ闘志は死んでないようだな?
「枕の下」
「だーっ!! しつけぇんだよっ!!」
しばらくこのネタで遊んでやろう、そう思った。
■□■
控えめなノックの音が、謁見室の澄んだ空気を震わせる。
「入れ」
ヒナツの言葉を受け、恭しく頭を下げ入室して来たのは大臣だった。
しかつめらしい顔つきの中年男を前に、ヒナツは面倒くさそうに欠伸をした。
「王よ、少しよろしいですかな?」
「なんだ」
「ソウビ様のことにございます」
ヒナツの頬がピクリと引き攣る。
「ソウビがどうした。俺はあれを諦める気はないぞ」
ヒナツは王らしく、尊大に笑って見せる。
「王家とのつながりを示すに良い道具だと思っていたが、あの抵抗ぶり、反抗的なまなざし、面白くてたまらん」
そう、自分はソウビに振り回されてなどいない。冷たくあしらわれることすら楽しんでいる。そうやって度量の大きさをことさらに示そうとした。
だが、大臣の眉間には深いしわが刻まれたままだった。
「『簒奪王』と呼ばれているとしても、ですか?」
「なに?」
「王よ、あなたのあだ名です。巷では『簒奪王』と呼ばれているとか」
ヒナツの顔から、笑みが消えた。
「簒奪!? 俺は前王を殺した奸臣を倒し、皆に望まれて王になったんだぞ? 前王から地位を奪ったわけではない!」
並の者なら思わず震え平身低頭する、ヒナツの傲岸不遜な怒号。しかし大臣は怯まず言葉を続けた。
「ソウビ様の態度が一因とか」
「ソウビの?」
「前王の娘であるソウビ様が、ヒナツ王を拒絶している。これはヒナツ王が王座にあることを、王の血筋が認めていない。つまりヒナツ王は正当な後継者ではなく、その地位を簒奪したも同然ではないかと」
「……」
ヒナツが玉座から立ち上がる。腰の剣を鞘から抜くと、それは光を跳ね返し鋭く光った。
ヒナツの双眸に爛々とした憤怒の炎が宿る。
悪鬼の表情で一歩、また一歩と階段を下りてくる王を前に、忠臣は気配を察し後ずさった。
「申し訳ございません! 出過ぎた真似をいたしました……!」
「下がれ」
普段の朗々とした声ではない。
「この剣が、お前の頭と胴を生き別れにする前に去れ」
ヒナツの声は地獄の底から響くような、昏く憎悪のこもったものだった。
「はっ、失礼いたします」
慌てふためきながら部屋を飛び出していく大臣の背に、殺意に近いものを宿したヒナツの視線が刺さる。やがて扉が閉まると、ヒナツは忌々し気に舌打ちした。
「『簒奪王』か……」
ヒュッと白刃が風を切る。
「盗賊の頭であれば気の利いた二つ名かもしれんが……、一国の王がこの名で呼ばれるのはまずいな」
怒りに震える王はこの時、気付いていなかった。細く開いた扉のすき間から、ラベンダー色の髪を持つ少女が覗いていたことに。
「いやぁ、ソウビは今日も美しいな。笑う顔も見てみたいが、冷たい横顔でさえ彫像のように整っているのが素晴らしい。ははは、罪な女よ」
(また勝手に部屋に入って来た……)
ヒナツはノックの後、いつも返事も待たずに入室する。私の意思を尊重する気など、はなからないのだ。訪れるタイミングも気まぐれなため、予測がつかなかった。
(チヨミの所に逃げたいけど、最近入り浸りすぎちゃったしなぁ……)
部屋にいればヒナツが来る。なのでここ最近は、朝起きて食事と身支度を終えるとすぐに、チヨミの部屋に逃げ込んでいたのだ。
さすがの図々しいヒナツも、妻の部屋から側室を連れ出すことはためらわれたのだろう。私にとって彼女の部屋はシェルターだった。
けれど私が長時間チヨミを束縛したせいで、彼女の王妃としての仕事が溜まってしまったらしい。
(悪いことをしちゃったな。しばらく訪問は遠慮しよう……)
勿論、この件についてタイサイからはめちゃくちゃキレられた。しかし、これは弁解のしようがない、反省。
(待てよ?)
私は一つの案を思いつく。
(チヨミの仕事の手伝いをしに行けばいいんじゃないかな?)
そうすれば私はここから逃げられる。チヨミは仕事が減る。
WinWinの関係とも言えるのではなかろうか。
(よし! そうと決まれば……)
この世界の王妃の仕事がどんなものかは知らないけれど、これでも私の本当の姿は会社勤めの社会人だ。
口説き文句らしき言葉を並べているヒナツをそこへ残し、チヨミの部屋へ移動しようと立ち上がった時だった。
ばたばたと慌ただしい足音が近づいてきたかと思うと、勢い良く扉が開いた。
「失礼いたします! 王、こちらにおられますか!?」
甲冑を身に着けた兵士が、息せきって駆け込んできた。
「騒々しいぞ」
不機嫌な声を上げるヒナツに、兵士はピッと背筋を伸ばし敬礼をする。
「はっ、失礼いたしました! しかし、急ぎお伝えせねばならないことが!」
「なんだ」
「カニス卿が反旗を翻し、ウツラフ村を占拠しております!」
(えっ!)
兵士の口から飛び出した名称には、聞き覚えがあった。
(これは、ガネダンの第五章で起きたイベント!)
ヒナツが王座に就いたことを快く思わない貴族たちによる反乱。
王都に近い村を占拠し陣を張った彼らは、村人に対し高圧的な態度を取る。
家や食料などを提供させられ、理不尽な命令をされる民たちが、ヒナツに助けを求めるイベントだ。
庶民出身の王は自分たちの味方だと、民はヒナツに期待を寄せる。けれどヒナツはソウビに溺れ、この訴えを聞き流し放置。
業を煮やしたチヨミが仲間を率いて討伐に向かうが、民はヒナツに失望してしまう。
民に慕われて王となったヒナツは、この一件で民の信頼を失い、そして……。
(ソウビは国中の憎悪を集め、殺害される最期へとつながる!)
「いやぁあああ!!」
「ソウビ!? おい、貴様! ソウビが怯えてしまったではないか!!」
「も、申し訳ございません!」
ヒナツは兵士を怒鳴りつけると、私を強引に抱きしめた。
「ソウビ、怯えずともよいぞ。カニス卿のことは知っているが、大したことが出来るやつではない」
ヒナツの指が私の髪を梳く。耳元に彼の吐息がかかる。
「放っておいても民が自ら蜂起しやつを叩き出すだろう。お前は俺の腕の中でただ心安らかにその時を待っておれば……」
「そういうところだー!!」
私は大声を上げ、ヒナツの腕を力づくで振りほどく。
(いや、ゲームでこのシーン見たけどね? 実際目の前でやられるとヒくね!?)
王である彼が破滅すれば、寵姫の私も道連れなのだ。
「ヒナツ、今すぐ兵を出して! 民を守ってカニス卿を捕まえて!」
「その必要はない」
「なぜ!?」
ヒナツは顎に手をやり、余裕の微笑を浮かべる。
「ウツラフ村の民は、奸臣フリャーカの軍を討つ際に戦力となってくれた心強い民だ。彼らは自分の力で解決できる。わざわざ兵を差し向けては、彼らの力を信用していないことになるぞ?」
「ちっがーう! 王が自分たちの村のことを気にかけてくれたという事実が大事なの! だから一刻も早く……」
「ははは、ソウビは聡明な女だが、荒事については分かっておらんな」
ヒナツは困った子どもをあやすような目で私を見ている。
「だが、そこも可愛らしいぞ、ソウビ」
(完全に私を、世間知らずと見下してる目だ……!)
ヒナツは私に向かって大きく両手を広げる。
「さぁ、我が腕の中へ来い、愛しきソウビよ。嵐が過ぎ去るまで抱きしめていてやろう。この世で最も安全な場所でお前を守ろう」
(ぶっ飛ばすぞ!)
自分の立場に陶酔しきっている姿が、ひどく腹立たしい。
「王よ……」
おずおずと口を開いた兵士に、ヒナツは冷淡な眼差しを向ける。
「まだいたのか。言ったとおりだ。放っておいてもあの村の民は自力で何とか出来る」
「しかし民は、王に救援を求めておりまして……」
「考えてみろ、今の俺は王だ。王に何かあれば、また国が荒れる。最前線で剣を振るうのは王の仕事じゃない」
それはそうだ。王は最前線に立つべきではない。
「だけど、兵を派遣するくらい……」
私の言葉を遮り、ヒナツは信じがたいセリフを口にした。
「それに兵を動かすにも金がかかる。そんな金があるなら、麗しのソウビをより一層美しく彩りたい」
(最悪かー!!)
今のはどう考えても、私がヘイトを集める結果になるやつだ。兵士の口から国中に広まっちゃうやつだ。ふざけるな。
「……もういい」
「ソウビ?」
声を震わせる私に、ヒナツは手を伸ばしてくるが、私はそれを振り払った。
(ここは原作ゲームの主役サイドに合流するしかない!)
このままヒナツの側にい続ければ、間違いなく殺されてしまう。
「私、チヨミの所へ行ってくる! 」
「ソウビ!? なぜチヨミだ!?」
説明するのも面倒くさい。どうせ何を言っても無駄なのだから。
私は彼に何も告げず、部屋を飛び出した。
■□■
「あっ……」
寵姫から袖にされた王から、伝令の兵士は気まずげに視線を逸らす。
「しっ、失礼いたします!」
鬱憤をぶつけられる前に、兵士は再び敬礼をすると、その場から立ち去った。
「……ふん」
王が愛妾からないがしろにされる姿を、目撃されてしまった。
「やはりこのままではまずい、か」
前王の娘を側に置くことは、彼が王の地位にあり続けるのに必要だった。だが、王の威厳を損ない続ける女では、デメリットの方が多い。
「さて、どうしたものか……」
その時、控えめなノックの音が耳に届いた。
「入れ」
尊大な口調で答えると、扉が細く開く。ラベンダー色の髪を両サイドに高く結い上げた少女が、おずおずと顔をのぞかせた。
「ラニ?」
そこにいたのは前王のもう一人の娘、ソウビの妹のラニ。ヒナツに名を呼ばれると彼女はぴょこんと入室し、ドレスの裾をつまみ愛らしくお辞儀をした。
「失礼いたします。ヒナツ王にお伝えしたいことがあり、思い切ってまいりました」
ソウビとお揃いの菫色の瞳が、まっすぐにヒナツへ注がれていた。
「ヒナツがそんなことを……」
伝令の内容とヒナツの対応を説明すると、チヨミは息を飲み、そして悲し気に睫毛を伏せた。
「――困った人」
「チヨミ、なんとかならないかな」
「そうね……。最高司令官たる王の命令なしで国の兵は動かせないから……」
チヨミがキッと表情を引き締める。
「私が行くわ」
「チヨミ!」
さすがはヒロイン! そして主役! 凛々しい! かっこいい!
「なにを考えてるんだ、姉さん!」
濃紺の髪の少年騎士が、異を唱える。
「反乱軍のいる場所へ一人で乗り込む? 考えなしにもほどがある!」
デレのこもったツンをぶつける義弟に、チヨミは悪戯っぽく微笑む。
「あなたも来てくれるよね、タイサイ」
「それは……。姉さんに何かあったら寝覚めが……」
少年は薄く頬を染めプイッとそっぽを向く。
「アルボル家の名に傷がつくからな! 仕方なくだ!」
(きゃ~っ! 初々しいツンいただきました~!)
大好きな義姉に頼られて、嬉しさを隠しきれない彼の様子に、口元がついほころぶ。
だがタイサイは私の視線に気づくと、キッとねめつけて来た。
「おい、性悪! 姉さんに無理難題押し付けやがって! そんなに姉さんが目障りか!?」
性悪って言われた……。
「押し付けるつもりはないよ。私も同行する」
「はあ!?」
呆れ果てた様子で、タイサイは顔を歪める。
「バカか、お前! 温室育ちが戦場に出て一体何ができると言うんだ!」
「だって、押し付けるなって言うから」
「出来るんじゃない? 前王の血を引く姫様なら」
割って入って来たのは、若葉色の髪の魔導士だった。
「ユーヅツ……。だ、だけどこいつは城の中で大切に育てられてきて、クーデターの時だってあっさり牢に放り込まれていた、戦場とは無縁の人間だぞ」
「王家の人間は、血統的に魔力が強いんだ」
へぇ、そうなんだ。
「出来るんだよね、ソウビ?」
急にユーヅツから話を振られ、私はきょとんとなる。
「なにが?」
「……」
ユーヅツはにこやかな笑顔のまま固まる。
「……治癒魔法とか」
「まほ、う?」
しばしの沈黙。
「えっ!? 魔法使えるの、私!?」
「ダメじゃねぇか!!」
驚く私に、タイサイの鋭いツッコミが入った。
「つか、てめぇ、魔法使えねぇのについて来るとか言ってたのかよ! アホか!!」
「ぐっ……」
いや、ほら、ゲームでは普通にあるじゃん? 主人公サイドは信じられない少人数で戦場に出たり、そこに一般人が混じっていたり。だから、大丈夫かなぁ、と。
「待って、タイサイ」
チヨミが私の正面に立った。
「ちょっと私がソウビを見てみる」
「チヨミ?」
チヨミは瞼を伏せて胸の前で手を組む。その体を、白い光が包んだ。
(きれい……)
神々しい姿だった。まさに正統派ヒロインと言った風情だ。
やがて彼女は静かに目を開くと声を上げた。
「これは……!」
チヨミが組んでいた指をほどく。彼女を包んでいた光が消えた。
「すごいわ、ソウビ。貴女からかなり強い魔力を感じる。魔法は使えるはずよ」
「そうなんだ! すごい!」
感嘆の声を上げた私に、遠慮のない言葉が飛んでくる。
「だから、なんでてめぇが驚いてんだよ!!」
「いや、だって魔法なんて使ったことないし」
「てめぇ、どんだけ甘やかされて育ったんだ……」
その時、私の肩に手がかかった。
「? ユーヅツ?」
「チヨミ、タイサイ、君たち二人はテンセイと合流して出陣の準備をしていてくれる?」
物静かな魔導士の瞳が、こちらを見た。
「ボクはその間に、ソウビが初級の治癒魔法を使えるように特訓しておくから」
へ?
「わかった! 頼むね、ユーヅツ」
説明はいらぬとばかりに、チヨミはさっさと部屋を出ていく。
「任せたぞ! 死なせない程度にな!」
意味ありげな笑いを浮かべたタイサイも、チヨミの後を追った。
「うん。任せて」
「え? ちょっと?」
にこやかに二人へ手を振る魔導士に私は戦慄を覚える。
「今、死なせない程度にって言ってたけど、どういう……」
「無駄口を叩いている暇はないよ、ソウビ。ことは一刻を争うんだ」
静かで優しい口調。柔和な微笑み。けれどなぜか私の肌は粟立っていた。本能が危険を察していたのだろう。
「じゃ、特訓を開始するね」
出陣の準備が整うまでの小一時間、私は彼から魔法の使い方を徹底的に叩き込まれることとなった。
それはもう、情け容赦のないスパルタ式で。
■□■
私たちは、救援の要請のあったウツラフ村へと向かっていた。
「ソウビ、大丈夫?」
虚ろな目でフラフラ歩く私を、チヨミが気づかわし気に振り返る。
「ダイジョブデス……」
「心配はいらないよ、チヨミ。ソウビには元々魔力が充分にあった。やり方を教えたから初級の魔法をいくつか使えるくらいにはなったよ」
「ユーヅツ、私が心配しているの、そこじゃないんだけど……」
ふと気配を感じて、目を向ける。
「……」
タイサイと視線がぶつかったが、彼はすぐに目を逸らしてしまう。
(? なんだろ?)
ふいに、大きな影が私に近づく。振り返るとそこにいたのはテンセイだった。
「ソウビ殿、足元がふらついておられます。自分が貴女を抱いて運びましょうか?」
(テンセイ!!)
テンセイが私を抱いて運んでくれる? お姫様抱っこ? それはぜひともお願いしたい!
だけど……。
「気持ちはすごく嬉しいけど、テンセイにはこの村で活躍してもらわなきゃいけないから」
限界ヲタクの私でもさすがに空気は読む。この状況は理解しているつもりだ。
「それにこれ、一時的に集中しすぎて、頭の中が真っ白になってるだけ。だから大丈夫」
「それならばよろしいのですが」
「……マジか。あの短時間で魔法使えるようになったのかよ、コイツ」
「? タイサイ、何か言った?」
「なんもねーよ、話しかけんな」
やがて私たちはウツラフ村の入口へと差し掛かる。そこへ出迎えるように立っていたのは、反乱の首謀者カニス卿とその追随者たちだった。
「これはこれは、簒奪王の一味ではないですか」
豪奢な服を身に着けた老人が、蔑みの目をこちらへ向ける。
「カニス卿。これは一体どういうことですか?」
戦装束に身を包んだチヨミが、怯むことなく一歩前へ出る。
「挙兵するだけならまだしも、ウツラフ村の人々に迷惑をかけるのはやめなさい!」
凛としながらも慈しみを感じさせる、チヨミの声。
「あなたたちが一方的にここを拠点と定めたため、村人が疲弊していると聞きました。速攻、ここから立ち去りなさい! 今、矛を納めれば、今回のことは……」
だがチヨミの声を遮り、老人は吐き捨てるように言う。
「黙れ、アルボルの娘! 直接私に口をきける立場だと思っているのですか!?」
老人の剣幕に息を飲むチヨミ。だがそこは彼女を愛する義弟が黙っていなかった。
「てめぇ! 姉さんは今や王の妃だ! てめぇこそ何様のつもりだ!」
タイサイの啖呵を、カニス卿は鼻で嗤う。
「はて? 王の妃?」
カニス卿はわざとらしく目の上に手をかざし、私たちをゆっくりと見回した。
「私の前には、卑しい身分でありながら王座を奪った男の、みすぼらしい女房がいるだけで……」
カニス卿の目が私のところで止まった。
「え?」
「ん?」
老人のニヤついた笑いが凍り付き、その嫌味な仕草が崩れる。
そして。
「ソ、ソウビ様ぁあああ!?」
「ぇあ!? は、はい!」