寵姫は正妃の庇護を求む

 チヨミの言葉に私は呆気にとられ、硬直する。そんな私を見て、チヨミは恥じらうように微かに笑った。
「バカみたいでしょ。捨てられて、裏切られて、敵に回って。国のみんなを苦しめている最低なやつ」
 チヨミが両手の指を膝の上で組み、白くなるほど握りしめる。
「それなのにね、私まだヒナツが好きなんだ。本当にバカだよね」
「は……、はぁああ~っ!?」
 待って?
『ガネダン』はヒナツに捨てられてから、チヨミの真実の恋が始まる物語だ。お相手は、テンセイ・タイサイ・ユーヅツ、そして隠しキャラのメルク王子の4人で……。なのに、今チヨミの心にあるのはヒナツ!? 嘘でしょ!?
(いや、違う。確かじゃないけど、噂があった)
 メルクを含む4人を攻略後に解放されると言う隠しシナリオ。
 まだ発売して間もないため、詳しい攻略法や出現条件ははっきりしていないけど。
(え!? じゃあ待って!? ここってまさか、ヒナツ和解ルートの世界線!?)

「ごめん、本当に理解できない!」
 私はチヨミの両肩を掴む。
「なんで!? なんでヒナツなの!? チヨミを大切にしてる人、他にいるじゃない?」
 私の頭の中には、タイサイの姿があった。
「チヨミ、ヒナツだけはやめとこうよ! 都合のいい女見つけたら、すぐに前の女をポイするヤツだよ?」
「ソウビ……」
「チヨミも私も、利用価値がないと判断されたら速攻捨てられたじゃない? 国家予算の使い方もむちゃくちゃだし、あんなヤツ戦上手なだけで人の上に立つ男じゃない。チヨミは自分を大切にしてくれる人と、幸せにならなきゃだめだよ!」
 私がまくしたてるのを、チヨミは黙って聞いていた。やがてそっと睫毛を伏せ、彼女は寂しげに微笑む。
「……そうだね。ソウビの言う通り」
(チヨミ!)
 チヨミは晴れやかににっこりと目を細めた。
「確かにテンセイの方がいいかも!」
「え?」
 チヨミが私の手の中からするりと抜ける。彼女は胸の前で手を組み、夢見るような目をして、その場で軽くステップを踏んだ。
「前から思っていたの。テンセイは誠実で優しいし、強いし純情で。ヒナツ選ぶくらいなら、テンセイの方がいいかな?」
「え、えっと、あの……」
 チヨミの言葉に、ザッと血の気が引く。
 彼女はこの物語の主人公だ。もしヒロイン補正がかかれば、本来悪役の私なんて太刀打ちできるはずがない。
「テンセイは、その、えぇと……」
「冗談よ」
 青ざめる私を振り返り、チヨミは茶目っ気たっぷりに舌先を見せた。
「ソウビがイジワル言うから、私もイジワル言っちゃった」
(イジワル……)
 言われてみればそうだ。親切心からのアドバイスのつもりだったけど、チヨミにしてみれば好きな人を悪く言われたことになる。余計なお世話と言うやつだ。
「ごめん、チヨミ」
「ううん」
 チヨミは寂しげに首を横に振る。
「普通の感覚なら、もっともな意見よ。こんなのソウビでなくとも反対するわ。特にお父様や、それにタイサイも」
(タイサイはキレ散らかすだろうなー……)
 どんな顔で何を言うか、想像に難くない。

 チヨミはベンチに座り直すと、空を見上げた。
「ねぇ、ソウビ。私がヒナツを好きになった時の話、聞いてくれる?」
「……うん」
 チヨミは足をぶらつかせ、話し始める。ここにいるのは威厳ある王妃などではなく、一人の恋する乙女なのだろう。
「私が9歳の頃、もうすぐ家に着くって時に馬車が盗賊に襲われてね。私もタイサイも攫われかけたんだ。お父さんも、危うく殺されるところだった」
 私の脳裏にゲームで見た場面が蘇る。
「そこに駆け付けてくれたのが、まだ12歳のヒナツだったの。小さなナイフ一本持っただけの」
 チヨミは頬をうっすらと染め、遠い目をする。
「かっこよかったんだよ。風のように駆け回りながら、盗賊を一人、また一人とヒナツは倒していったの。返り血を浴びながら月光の下に立つヒナツは、悪魔のように恐ろしくて、それでいてすごく素敵だった」
 私は頷く。恐ろしくも美しいあのスチルは、私もかなり好きだった。
「その後、ヒナツは私の父から仕事や身分を与えられ、活躍の場を広げたんだけど」
 チヨミはふと顔を曇らせる。
「彼はずっと劣等感を抱えてたみたい……」
「……うん」
「それを跳ね返すために、ヒナツががむしゃらに戦っていたの、私は知ってる。私はそんなヒナツから、劣等感を拭い去ってあげたかった。あなたはそのままで素敵だよ。私はあなたを認めてるよ、って」
(へぇ……)

 チヨミのこの感情は知らなかった。
(全キャラ攻略後にしか見られない、ヒナツ和解ルートのセリフかな)
 ネタバレは避けたい気もしたけれど、ここは黙って聞き役に徹することにした。
 チヨミは頬を染め、ヒナツのどんなところに心惹かれたのかを語り続ける。
 段差に躓いた時、抱き止めてくれた頼りがいのある腕。
 貴族の集まりで身分をからかわれた時、意地の悪い少年たちを一瞬で黙らせたヒナツの眼光。
「私が困っていると、いつも真っ先に駆け付けてくれた。前の、ウツラフ村の時だってそうだったでしょ?」
「そう、だね」
「……だけど、ヒナツは多分、誰のことも本気で好きになったことないと思うの」
「えっ」
「私のことも、ラニのことも。ヒナツは身分の高い女を手に入れたいだけ」
 そこには恐らく私も入るのだろう。王の娘が必要、彼はそうはっきり言っていたから。
「私を手に入れることで、ヒナツは貴族の仲間入りをした気分になった。そしてソウビやラニを手に入れることで王族の仲間入りをした気分を味わえた。それはとても子どもっぽい感覚だと思うけど、そうすることでしか彼は自尊心を保てない。……なんだか、ちょっとヒナツが可哀相になっちゃって」
 チヨミは一つ深呼吸をすると、私をまっすぐに見た。
「私はヒナツを支えたい。彼が彼であることにどれだけ魅力があるのか、心に届くまで隣で伝え続けたい。私の命を救ってくれたヒナツだから。今度は私が救いたいんだ、彼の魂を。ヒナツが助けてくれた、この命にかけて」
「チヨミ……」
「……だから、ヒナツを倒すためじゃなく、ヒナツを救うために私はイクティオに戻ろうと思う」
(えっ)
 チヨミの目には力と希望があふれていた。
 それは紛れもなく人の上に立つ者の眼差し。主人公のもの。
 彼女が私の手をそっと取る。
「戻ろうよ、ソウビ。私の大切なヒナツと、あなたの大切な妹、ラニを救うために」
「チヨミ……!」
 ラニのことまで気にかけてくれていたことに、心が震える。
(えぇえ、なんだこれ、熱い展開!!)
 チヨミの言葉に胸が躍り、体が熱くなる。
(そっか、ヒナツ和解ルートなら、ラニも救えるかもしれないんだ!)
 私はチヨミの手を握り返す。
 私たちはしっかりと目を合わせ、頷きあった。
 イクティオ王都への帰還に向けて、私にはやるべきことができた。
「はい、これも」
 書斎の机に、ユーヅツが魔導書を積み上げる。どさりと重い音を立てたそれからは、歴史を感じさせる特有の匂いがした。
(ぐほ……)
 顔を引きつらせながら、私はユーヅツを振り返る。
「えぇと……」
「戦力になりたいんでしょ? だったらこの魔導書の中身、どんどん頭の中に叩き込んでいって」
「ぁい……」

 王都への道行きは決して平穏なものではない。
 チヨミの命を狙う者はいまだ健在だろうし、私自身、ヘイトを集めているラニの身内と言うことで襲撃される可能性が高い。
 つまり、戦えない人間がのこのことついていける状況ではないのだ。同行するのであればその覚悟を持って、戦力にならなくてはならない。
 私の場合、魔力の値は高いらしいがほとんど使いこなせていない。前にユーヅツに一時間で叩き込まれた初級魔法は、私の世界で言えば小学生レベルのものだそうだ。
 そんなわけで、イクティオ随一の魔導士様であらせられるところのユーヅツ先生に、魔法の集中講義をお願いしたわけである。

(長文の暗記なんて受験以来だよ!)

 私は魔導書を開く。幸運なことに、内容はちゃんと理解出来た。

「前にも教えたけど、一旦復習しようか。魔法を使うのに必要なことが三つ。ソウビ、一つ目は何?」
「魔力、だよね?」
「そう、誰がどれだけ使えるかは素質にもよるけどね」
 言いながら、ユーヅツは黒板に図を描く。
「初期能力が低くても、トレーニングである程度は鍛えることもできる。ソウビは元の魔力が優れているから、ここは気にしなくていい」
 ありがとう、王家の血! ソウビの体!
「次に技術。どういうものだったか、ソウビ、やり方覚えてる」
 本当に学校の授業のようだ。
「体の中心でエネルギーの弾をイメージして、腕を通して手から放出する」
「正解。エネルギーの流れをしっかり意識しなければ、コントロールや威力が落ちてしまう。今の君は、これに一番苦労しているね」
 その通り。そもそも私の元の生活に魔法なんてなかったんだから。イメージとか放出とか言われても感覚が分からない。とりあえず、かめはめナントカのつもりでやっている。
「そして最後は記憶力。まぁ、呪文は頭に叩き込みさえすればいいから」
 ユーヅツの言葉に苦笑いする。
 確かにエネルギーのイメージをどうこうよりは、体感的に分かりやすい。
 分かりやすいが、「=できる」と言う意味ではないのだ。
 例えば、初級魔法の呪文は英語に例えれば「I play baseball」くらいの感じだ。
 ところが高等魔法になるとシェイクスピア劇のワンシーンみたいな呪文になる。
 それを間違えずによどみなく詠唱しなくてはならない。

 つまり魔法を発動するには、
 魔力を、
 体の中心から腕を通って手から放出するのをイメージしつつ、
 正しく記憶した呪文を正確に詠唱すること
 以上が必要となる。

 だが、やり方を知識として取り入れても、実践できるとは限らない。詠唱に集中すると、イメージを練ることが疎かになり、イメージに集中すれば、文章が頭から抜けて詠唱を失敗した。

「ソウビ、イメージが弱いよ」
(おぶぉ!)
「ソウビ、詠唱、一文飛ばした」
(あぅ)
「ソウビ、コントロール」
(うぎぃい!)

 特訓を始めてどれほどの時間が経っただろうか。
「休憩しようか」
 ユーヅツの声が聞こえたのは、私の集中力がボロボロとなり,自分が何をやってるかもわからなくなった頃だった。

(頭から、煙出そう……)
 私は机にばたりと突っ伏し、冷たい天板に頬をくっつける。
 脳を酷使したせいか、ぐるぐると眩暈まで起きていた。

「ソウビ、いい感じで上達してるんじゃない?」
 言いながら、ユーヅツはお茶を用意してくれる。のろのろとカップに手を伸ばし、中身を口に含むと、人心地がついた気がした。
「上達かぁ。……そっかな」
 実感がない。感覚的には、バスケで一本もシュートが入らなかったのに『いい感じ』と言われている気分だ。
 けれどユーヅツは顎に手をやり、うなずいている。笑ってはいないが、渋い顔もしていない。
「この間初級魔法を身に着けたばかりにしては、いい成長率だよ。さすが王家の血筋」
 それは褒められているのだろうか。
 しかし、すぐにユーヅツの眉根に軽いしわが寄る。
「ただ、戦場に繰り出すとなると微妙だな。手ごわいと思ってもらえなきゃ、相手は集中攻撃を食らわせてくるからね」
(ぐぅっ)
 これはすごくわかる。私も『ガネダン』のプレイ中、簡単に倒せる弱いキャラから集中的に撃破していた。敵の手数を減らすことで、味方のダメージが抑えられるからだ。
(……そのターゲットに自分がされるのか)

 ゾワリと寒気がした。

(ゲームなら、敵が来ない場所に配置して、経験値だけ稼がせるやつだよね)
『ガネダン』の戦闘マップ画面を思い出す。
 勢いで戦力になりたいなどと言ってしまったが、今更ながらかなり無謀な気がしてきた。
(てかさ、私って転生者みたいなものだよね? なんで、『詠唱なしでいきなり発動』とかできないの!? 『私何かやっちゃいました?』ムーブやりたいよ!)
『私、何かやらかしちゃいました?』は何度かやった気がするが。
(受験生並みに苦労しなきゃならないのは、なんでだよぉおお!!)

「はい、休憩終わり。特訓、再開するよ」
 ユーヅツは当たり前のように言ったけれど、「弱いと標的にされる」というどうしようもない事実が、ひどく不安を掻き立てていた。
 ゲームなら、敗北しても画面から一旦撤退するだけだ。戦闘後のストーリーでは何事もなかったかのように登場する。けれどこの世界で深い傷を負えば、そんなわけにはいかない。
 私は初めて、深刻な身の危険を感じていた。

「あのさ、ユーヅツ。もしかして私、戦場に出ない方がいい?」
「なんで?」
「いや、足手まといとか、迷惑になるだけじゃないかな、なんて……」
「まぁ、ソウビが戦力として頼りになるかと言えば、ならないけど」
(げふっ)
 さすがユーヅツ、淡々と容赦がない!
 けれど、私に実力以上の期待をしていないことに、少し安堵した。
「ソウビは元々の魔力が強いから、初級魔法でもそれなりの威力は出ると思うよ。後方支援としてはいいんじゃない?」
(後方支援か……)
「気が進まないなら、無理強いはしないよ。怖ければ戦場に出るのはやめておいたら?」
(うぅ……)
 正直なところ、そうしたい気持ちはやまやまだ。
 けれど、チヨミと『ヒナツとラニを救いに行こう!』なんて盛り上がっておきながら『やっぱり怖いので高みの見物しています』なんてのは言いづらい。
「ソウビはこれまで通り後方に控えて、治癒に専念してくれるのもアリだと思うよ。何も戦場で武器を振るうだけが戦いじゃないからね」
(ユーヅツのこの言葉はすごく有難い。だけど……)
 私の代わりに悪女の役を割り当てられたラニを、この手で救いたいと言う気持ちも本当なのだ。

  私は『GarnetDance』の戦闘マップ画面を思い出す。
(戦力になるかどうか怪しいレベルのキャラを出撃させるとしたら、私ならどこに配置するだろう……)
 やはり敵に直接ぶつからない、後方に配置する。ただ、背後から増援が来た時のことも考えて、近くに1人ほど戦えるキャラを置いておく。
 基本は治癒の役割に専念させる。あと僅かでも攻撃力がほしい、と言う時にだけ攻撃に加わる。
 出来るだけ強いキャラの背後について回り、そのキャラが常に万全の状態で戦えるように、優先して回復させる。

(こんなところかな)
 私は考えをユーヅツに伝えた。
 あくまでもゲームからイメージした配置なので、現実的ではないと否定されることは覚悟していたのだが。
「いいんじゃない、それで」
「えっ? いいの?」
「うん。自分の実力を冷静に俯瞰(ふかん)で見てて、理にかなっていると思うよ」
 ユーヅツはあっさりとうなずいた。
「そっか。じゃあ、そうしようかな」
「なら、ちょっと待ってて」
 ユーヅツは書庫へ向かうと、手際よく分厚い魔導書を引っこ抜く。それらを私の目の前へタワー状に積み上げると、今まで私の側にあった本を遠ざけた。
「覚えるのはこれとこれと、ここからこのページと」
「えっ? 魔導書が入れ替わった上、冊数増えてない?」
「攻撃魔法の書は減らして、治癒と状態異常回復の書を持ってきただけだけど?」
 ユーヅツはページを開き、一つ一つ説明を始める。
「これが火傷回復、これが混乱回復、これが盲目回復、これがマヒ回復……」
(ヴァッ!?)
 補助魔法、舐めていたかもしれない……。
 書斎に茜色の陽が射す頃、ユーヅツは魔導書を閉じた。
「この辺にしておこうか、ソウビ。お疲れ様」
「ご、ご指導ありがとう、ございました……」

 精魂尽き果てるとはこういうのを言うのだろう。
(五科目の教科書をそれぞれ暗唱させられた感じだ……)
 ぐったりと突っ伏していると、優しく頭に何かが触れた。
「んぁ?」
 反射的に頭を上げる。ユーヅツは手を振りながら、扉へ向かおうとしていた。
「魔導書、片づけておいてね」
「うぃす」
 ユーヅツの指先が触れたらしいところへ、私も手をやる。
(今、ユーヅツ、頭撫でたよね?)
「ソウビ」
「何?」
「自分に出来ることをしようと限界まで努力する姿、ボクはとても好ましいと思うよ」
「お、おぅ?」
 ユーヅツの姿が扉の向こうへと消える。
(すごい。さすが乙女ゲーの攻略キャラ、さりげなく決めていく)
 原作ゲームではまだこんなシーンを見ていないので、少し驚いた。
 ひょっとすると、ユーヅツを攻略するとチヨミが魔法を覚える展開があるのだろうか。
「さてと」
 私は目の前に積みあがった魔導書に目を向ける。
(片づけてって言われたけど。持ち帰って、部屋でも覚えようかな)
 崩さぬよう気を配りながら魔導書タワーを抱え上げ、自室へ引き上げようとした時だった。
 目の前で扉が開き、テンセイが顔を出した。
「ソウビ殿」
「わ、テンセイ、ナイスタイミング。両手ふさがってたから助かった」
「自分が持ちましょう」
 返事をする前に、私が抱えていた魔導書は全てテンセイに奪われる。
「え? 悪いよ、そんなの。私も半分持つよ?」
「軽いものです。それにユーヅツに頼まれましたので」
「ユーヅツに?」
「はい。もしも貴女が魔導書を自室に持ち帰ろうとしていたら、運んでやってほしいと言われました」
(なんと!?)
 ユーヅツに色々見抜かれていることに驚く。
(おっとりしてるように見えるのにな)
 テンセイルートを攻略しただけでは知ることのなかった彼らの別の顔。それがここに来て色々見えてきた気がした。

■□■

 数日が経った。
 メルクの離宮の前庭にはイクティオからの避難民が集まっている。
 そこへ姿を現したのは、戦闘スタイルの服を身に着けたチヨミだった。
 ちなみに私も、魔導士らしい白い装束をあつらえてもらっている。
 チヨミはぐるりと皆の顔を見回し、口を開いた。

「皆さん、傷は癒えましたか? 疲れの出ている人はいませんか?」

 助けを求めてチヨミの元へ集った民に、彼女は穏やかに、そして凛々しい声で語りかける。

「これより我々は、イクティオへと向かいます。目的地は東の離宮。本来私の居住地となる筈だった場所です」

 風がさらりとチヨミの前髪を揺らす。

「東の離宮に入るにあたって、それほどの抵抗はないでしょう。まずはあの地を拠点とすべく進軍します。ですが、我々の動きに気づいた時、王の側に何らかのリアクションがあるかもしれません。油断は禁物です」

 チヨミは腰から剣を抜き、高々と掲げる。陽の光が刃に当たり、キラリと輝いた。その姿はまるで、天から祝福を与えられたかのように神々しかった。

「行きましょう、皆さん! 安心して暮らせる場所を取り戻すために!」

 彼女の言葉が終わるや否や、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こる。チヨミの名を讃える群衆に、彼女は力強く微笑み、手を振った。
(頑張ろうね、チヨミ)
 私は心の中でそっと語り掛ける。
 ここに集う人たちの願いは、まず間違いなく「ヒナツを倒してくれ」だ。
 それを理解しつつ、チヨミは彼らを安心させるために微笑んで見せている。
 本当はヒナツを非難する言葉など、耳にするだけでつらいだろうに。
(チヨミの好きな人を救うため、そしてラニを傾国の役割から解放するため、頑張ろうね!)

■□■

 チヨミの言ったとおり、東の離宮へは特に問題なく入ることが出来た。
 使用人たちは初め、大勢の民を引き連れて入ってきた私たちにぎょっとなっていたが、チヨミやアルボル卿の姿を見て受け入れてくれた。
 屋根のある場所で民を休ませ、食事を振舞う。人々の顔に安堵の笑みが戻ったのを確認し、私たちは割り当てられた部屋へと引き上げた。

■□■

「ふぅ……」
 私は城壁の上へ出て、夜空を眺めていた。降り注ぐような満天の星空、これは元の世界ではお目にかかることのできない光景だった。

 今日は運よく、ヒノタテからイクティオの東の離宮まで移動しただけに終わった。けれど、いつ襲撃されてもおかしくないという緊張が続いたため、気疲れはかなりのものだった。

(あー、ゲームしたい)
 上水流めぐりとしての生活が、ふと恋しくなる。
(ゲーム機でもスマホでもいい。ベッドに寝っ転がってポチポチやりたい……。ゲームの夢を見ながらゲームしたいって思うのも、どうかと思うけど)

 ふと城壁に触れ、そのひやりと武骨な手触りに少し驚く。
(あ、ここ! よく見ればイベントで見た場所だ!)
 チヨミ主人公でプレイしていた時に、恋愛イベントの三段階目が起きた場所だと記憶している。色合いや形からして、間違いはなかった。

(あぁああ、今すぐゲーム起動して、思い出モードが見たい! 一日のご褒美に、テンセイとの恋愛イベントを全部まとめて見たい!)
 ルートクリア後も、何度か再生して聞いたテンセイの告白セリフ。
 目を閉じればBGMやボイスが耳の奥に蘇る。

―― 自分は貴女のことを愛しております。
 初めて出会った
 あの日より変わらず……――

(んふふふ~。何度も聞いたから、脳内でボイス再生余裕~)

 勝手に笑ってしまう顔半分を手で覆いつつ、にへにへと笑っていた時だった。
(……あれ?)
 心にひやりと氷が差し込む。
『GarnetDance』の主人公はチヨミだ。当然、テンセイのこの言葉を受け取ったのはチヨミということになる。
(ちょっと待って? 『初めて出会ったあの日より変わらず』……)
 ごくりと唾を飲む。
(『愛してます』ぅうう!?)

 このセリフだと、テンセイ加入イベントからずっと、彼はチヨミのことを愛してたと言うことになる。

(ちょっと待って、ちょっと待って!? 今のテンセイの気持ちはどうなの!?)
 心に差し込んだ氷が、スゥッと全身を冷やす。
(い、いやいや! この夢を見始めてから何度もテンセイとは甘い雰囲気になったよね? 愛してる、みたいな言葉も聞いたよね? あれ? でも、あれぇ……)

 打ち消しても打ち消しても、どんどんと不安が胸に迫ってくる。

(まさか今、チヨミと恋愛イベント第三段階が起きてたりしない?)
 私は辺りを見回す。第三段階イベントは城壁の上、つまりここだった。だが、このエリアは案外広い。ここから見えていない塔の反対側に二人がいたりはしないだろうか。
(ないよね? テンセイの様子を確認しに行こうかな?)
 彼が一人でいるのをこの目で確かめれば、こんな不安消えてなくなってしまう。簡単なことだ。
(でももしテンセイが、チヨミといい雰囲気になってるところを目撃してしまったら……)
 そう思うと、足がそこから動かない。
(このルートのチヨミはヒナツとの和解に向かってる。攻略対象はヒナツのはず)
 筋道立てて考えれば、こんな妄想は杞憂に過ぎないという結論に至るのだが。
(だけど、私とラニが入れ替わってるだけで、物語に大きな変更は起こってない……)
 不安で喉がカラカラになる。
(チヨミにとっての一番がヒナツでも、テンセイにとって一番好意を抱いてる相手は、やっぱりチヨミのままって可能性は……)
 胸に手を当て、何度も深呼吸する。
(テンセイに限って二股なんてことはないだろうけど。出会った時に既にチヨミに対して愛情を抱いていて、それがまだひそかに心の奥に残っていたら)
 物語でもよくある。本命が自分を想っていないことを知り、忘れようと別の人間との恋を選択するが、最終的に本当に愛している相手が誰なのか思い知り、かりそめの恋の相手に別れを告げる。そんな展開が。
(そしてその場合、かりそめの恋の相手が私と言う可能性も……)
 涙がジワッと浮かんでくる。
(もうやだ。怖くなってきたから部屋で休もう)
 そんな展開がこの先待っていたら、そう考えるだけで耐えられない。
(布団をかぶって、何も考えず眠ってしまおう……)

 きびすを返し、部屋へ引き上げようとした時だった。
 柔らかな壁に正面衝突した。
「んぎゃ!?」
「っと、ソウビ殿」
「テンセイ!?」
 私が鼻先をぶつけたのは、テンセイの広い胸だった。
「敷地内を見回っておりましたら、ソウビ殿がこちらにおられるのが見えましたので、自分も上がってまいりました」
 テンセイは微笑み、そして私と目が合うと怪訝な表情となる。
「ソウビ殿?」
「……」
 テンセイの大きな手が私の頬に触れる。その熱い指が、グイと私の目じりをぬぐった。
 指を見た後、テンセイは私の顔に視線を移す。
「ソウビ殿、泣いておられたのですか?」
「……」
「誰かに嫌なことでも言われましたか? もしや、ラニ殿の姉である貴女に対し心無い言葉をぶつける不届き者でも?」
「違うよ」
 私はテンセイの胸に頭を預ける。
「ソウビ殿?」
「テンセイ、今までどこにいたの?」
「は、敷地内を見回っておりました」
「一人で?」
「は。初めに見回りの志願者を募った際には分担を決めるため彼らとおりましたが」
「……チヨミとは一緒じゃなかった?」
「いえ、割り当てられた部屋に引き上げてからは顔を合わせておりません。なぜそのようなことを?」
 不思議そうに首をかしげるテンセイに、私は覚悟を決めて問うた。
「テンセイは、チヨミのこと好きだったんでしょ?」
「は!?」
 テンセイが目を大きく見開き、口をぽかんと開けた。
 だけど、私の記憶の中の『チヨミに告白したテンセイ』が、どうしても胸を締め付ける。
「チヨミと初めて会った時、彼女の策で命を救われた日、チヨミに好意を持ったでしょ? だから、今もチヨミと会ってたんじゃないかって、私……」
「お待ちください、ソウビ殿! もしや、自分の二心を疑っておいでなのでしょうか?」
「……」
「俺がチヨミ殿を好きなどと、一体誰が……!」
 テンセイは慌てたように声を荒げる。けれど私がじっと見つめているうち、彼のトーンはだんだんと落ちて行った。やがて観念したように、テンセイは眉根にしわを寄せ、苦し気に口を開く。
「……そうでしたね。貴女は様々なことを見通す力をお持ちの方だった。隠しても無駄なのでしょう」
「!」
(やっぱり……!)

 衝動的にその場から駆け去ろうとした私は、テンセイの逞しい腕に強引に絡めとられる。そして私が何か言う前に、彼は叫んだ。
「誤解なさらないでください、ソウビ殿! 自分は確かにチヨミ殿に好意を抱いておりました。それは否定いたしません! ですがそれは、敬愛もしくは信愛といったもの!!」
「敬愛……、信愛……」
「その通りでございます」
 テンセイの金色の目は、怒っているかのように光を放っていた。戦場で見た、敵を睨み据えた時の眼差しに似ていて、思わずびくりと身をすくめる。私の反応で察したのか、テンセイは私を縛める腕をわずかに緩め、声を落とした。
「以前、自分たちの軍が敵に囲まれ、危うく全滅と言う時に、我々を救ってくれたのがチヨミ殿の策でした」
 テンセイの声は普段通りの穏やかなものへと戻る。
「驚きました。生粋の武人である我々に思いつけなかった奇策が、年若い娘の口から出てきたのですから。戦場に立つ者として、畏敬の念を抱きました。それ以来チヨミ殿に一目置いております」
 そう言ってテンセイは一呼吸置き、付け足した。
「共に戦う仲間として」
(知ってる)
 私の胸はまだヒリヒリと痛んでいる。
(その流れは知ってるんだ。テンセイルート攻略したから。でも……)
「その、つまりですな……」
 テンセイは頬を染め、言いづらそうにしていたが、やがて覚悟を決めたように言葉を放つ。
「自分が女性として意識しているのはソウビ殿、貴女だけなんです!」
「……」

 ここまで言われて嬉しくないわけがない。彼を信じないわけじゃない。けれど私の強欲な魂は、まだ満足できなかった。
「やっぱりチヨミが羨ましいな」
 頭の中に、好感度の円グラフが浮かぶ。テンセイの心は200%私で満たしていたいのに、きっと数%はチヨミに振り分けられている。そう思うと苦しかった。チヨミは自分の分身でもある、そう考えようとしても切なさは消えなかった。
「テンセイに信頼してもらえるチヨミが羨ましい。私は、戦場では役立たずだから……」
「ソウビ殿」
 テンセイが困っている。心を尽くし言葉を尽くして、それでも私に安心を与えられない自分を不甲斐なく思っているのだろう。彼はそう言う人だ。
「変なこと言っちゃってごめんね。私、もう部屋に戻る」
 きっと一晩経てば気持ちの整理もつくだろう。そう思い私は立ち去ろうとしたのだが。
「お待ちください!」
「っ!」
 背中から、ぎゅっと強く抱きしめられる。痛いほどに力強く。肺から空気が押し出されるほどに。
「ソウビ殿、そんな悲しい顔の貴女を部屋に返すわけにはまいりません」
 テンセイの腕に、さらに力がこもる。
「これだけは知っておいてください。自分にとって、伴侶として生涯を共にしたいと願う女性はただ一人、ソウビ殿、貴女だけです」
「!」
 切なく掠れた低く甘い声が、耳朶をなぶる。
「ソウビ殿、我々はこれより王に反旗を翻す身。明日をも知れぬ命でございます。だからこそ、わだかまりを抱えたままにしておきたくない」
(あ……!)
「何度でも申し上げます。自分にとって最も愛しい人は、ソウビ殿、貴女です。もしも貴女とチヨミ殿が同じ危機に陥ったなら、自分は迷わず貴女を助けるでしょう。時代を変える傑物かもしれないチヨミ殿を後回しにしてでも……!」
「それは……、だめだよ。そんなことしたら」
 国が、物語が。
「わかっております、頭では。それでも、俺は貴女を選ぶ!」
 テンセイの嘘偽りのない、まっすぐな言葉。彼だから信じられる。
 テンセイの低い声は、いつしか私の心から不安を完全に拭い去っていた。
「テンセイ、やっちゃだめなことだよ、それは騎士として」

 私の体を縛める逞しい腕に、私はトントンと軽く触れる。それに応えるように、腕の力は緩められた。
 私は体を反転させ、テンセイへ向き直る。
「ありがとう、もう大丈夫。ごめんね、テンセイの心を疑うようなこと言って」
「ソウビ殿」
 テンセイがほっとしたように表情を緩めた。それはひどく子どもっぽく見え、愛しさが胸に募った。
「国の未来よりも私を選ぶなんて言っちゃう人、これ以上追いつめて実行に移されると困るもの。大丈夫、テンセイの気持ちは十分伝わったから。何よりも私を大切に思ってくれているの、わかったから」
 私は彼の熱い胸に手を添え、まっすぐに彼を見て微笑む。
「私も、テンセイが好き」
「ソウビ殿……」
 ごく当たり前のように、私たちは顔を寄せ唇を重ねた。
 頭の奥が真っ白に染まるほどの多幸感。
 同時に心に湧き上がる、「明日をも知れぬ命」という言葉の重さ。
 互いを失うまいと、私たちは愛しい温もりにきつく腕を絡める。

(部屋に戻ったら、頑張って覚えよう……)
 部屋に積み上げた魔導書を私は思い出していた。
 東の離宮での十分な準備期間を経た後に、私たちは王都へ向かって進軍した。

 森を抜け
 川を越え
 迂回し敵の目をかいくぐり。

 チヨミの指揮に従い、被害を最小限に抑えつつ私たちは進む。
 途中でチヨミを慕う民、ヒナツに反感を抱く民を、新たな仲間に加えながら。
 そうして私たちは、王都の門番とも言われているカタム砦へと到着した。

「この砦を抜ければ、王都は目の前ね」
 チヨミがそびえ立つ堅牢な砦を見上げる。
「う回路はなし。ここだけは正面から行くしかありませんな」
 テンセイの言葉にチヨミが頷いた。
「えぇ。だけど戦わずに済むかもしれない。ここを守っているのが、あの人ならば……」
(うん、大丈夫なはず)
 チヨミの台詞に私は心の中で頷く。
 このカタム砦はキ・ソコ将軍が守っている。彼はとても国想いの人で、アルボル卿とも親交が深い。
(少なくともテンセイルートでは、ここで戦闘は起こらなかった)
「ふぅん。問題なしって感じだな、姫さん」
「え?」
 不意に投げかけられた声に、振り返る。メルク王子が笑みを浮かべこちらを見ていた。
「姫さんのその顔、緊張感がほとんど感じられない。むしろ余裕さえうかがえる」
 口元は笑っているが、わずかな違和感も見逃すまいと瞳には鋭い光が宿っている。
「ねぇ、姫さん。ここはチヨミちゃんを、好意的に受け入れてくれる場所と思っていいのかな?」
「た、多分……」
 私がそう答えると、メルク王子はにんまりと目を細めた。
(ねぇ、私が先の展開を知ってる前提にされてない? メルク王子、テンセイルートではあまり関わってないけど、大雑把なのか懐が広いのか)
 だが私がクリアしたのはテンセイルートのみだ。そしてここが隠しシナリオのヒナツ和解ルートであるならば、それに関する情報をほとんど持ってないに等しい。どのルートも、主軸となる展開にほとんど差はないという噂だが……。

「そこの者ら、止まれ!」
 鋭い声に呼び止められ、私たちは足を止める。砦を守る兵士が、こちらを睨み据えていた。
(ん? なんか見たことある顔)
 そう思ったのは、気のせいではなかったようだ。兵士は私を見つけると、パッと目を輝かせる。
「ソウビ様! 良かった、おられた!」
「へ? え~っと……」
(誰だっけ? どこかで見た顔のはずなんだけど……)
 記憶を辿り首をひねる私に近づき、兵士は私の手を無遠慮に掴む。
「ソウビ様! ささ、こちらへ! そこはあなた様がおられる場所ではございません」
「ぇあ!? ちょ、ちょっと……!」
 その時、横合いから大きな手が伸びて来たかと思うと、兵士の肩を掴んだ。
「その人から手を離せ」
(テンセイ!)
 テンセイは険しい眼差しを兵士へ向けている。
「げっ! 近衛騎士団長のテンセイ・ユリスディ……!」
 若い兵士の顔がサッと青ざめた。
「い、いや、すでにその地位は失ったはず……」
「ソウビ殿から手を離せと言っているのが、聞こえんか」
 口の中でぶつくさ言っている兵士に、テンセイは更に威圧する。
「あっ!」
 私はようやく彼が何者であったかを思い出した。
「あなた、ウツラフ村にいた反乱軍の兵士!!」
「くっ!」
 兵士が砦を振り返る。そしてすかさず大声を上げた。
「敵襲ー――っっ!!」
(ぇえっ!?)
 チヨミが細身の剣を鞘から抜き、構える。
「しかたない! みんな、戦闘態勢!」
(うそ!? どうしてここで戦闘が!? これがヒナツルート!?)
 兵士の掛け声と同時に、砦の中から大勢の人間が雪崩のように飛び出してきた。
「おおおおお!!」
 テンセイが雄々しく吠えながら、敵を撫で斬る。しかし。
「ソウビ殿!?」
「テンセイ!」
 怯まず突進してきた兵士たちにより、私たちはあっという間に分断されてしまった。

(ぎゃああ!? 戦うときは後ろで控えるはずだったのに、まさかの最前線!)
 焦る私の手を、兵士がグイと引っ張る。
「ひっ!?」
「ソウビ様、あなた様はこちらでございます!」
 先程の兵士は笑顔でそう言うと、半ば無理やりに私を砦の中へと引きずって行こうとした。
(え!? ちょっとなんでなんで! ここの主はキ・ソコ将軍のはず! ウツラフ村にいた反乱軍の兵たちが、なぜここに!?)

 人垣の向こうから、剣戟の音に混じりチヨミの声が飛んできた。
「くっ! 私たちはヒナツ王の退位を望む者! あなたたちとは志を同じくするはず! なぜ私たちを攻撃するの!?」
「我々はヒナツの排除を望むが、貴様が王になることも認めていない!」
 チヨミの問いに何者かが答える。
「王座に就くはラニ様もしくはソウビ様のみ! 王位を望む以上、貴様もまた国に仇なす者とみなす!!」
(強火のアーヌルス家血筋オタク!?)
「やめてよ!」
 私は引きずられながら、人波に向かって叫ぶ。
「チヨミは民に請われてその役目を負おうとしてるだけ! チヨミ自身に野心があるわけじゃないよ!! 攻撃しないで!!」
「おぉ、お久しぶりでございます、ソウビ様」
「っ!」
 聞き覚えのあるねっとりとした声が近づいてきた。兵士が私から手を離し、一歩下がる。振り返った先には、愛想笑いを顔に貼り付けた小柄な老人が立っていた。
「カニス卿!? 投獄されたはずじゃ……!」
「現王に不満を持つ者は城内にも大勢おりましてな。その者の手引きでとっくに出ております」
 カニス卿はわざとらしく哀し気に、目頭を押さえる。
「あぁ、ソウビ様、少々痩せられましたか? あのようなならず者らといてはご苦労も多かったことでしょう。何とおいたわしい……」
「……っ」
「フィデリス! フィデリスはおるか!」
(フィデリス?)
 声に応じるように、一人の男が姿を現す。ウツラフ村で見た貴族の男だった。彼もまた、私を目にした途端にニッタリと笑う。
「おお、何やら騒がしいと思えば。ソウビ様にこのような場所はふさわしくございません。ささ、こちらへ」
「えっ、ちょ……!」
 手と腰をがっちりとホールドされ、彼らは更に私を砦の奥へと浚おうとする。
(無理やり引きずり込まれる!)
「キ・ソコ将軍はどこ!? この砦の主はあなたたちでなく、キ・ソコ将軍のはずだけど!?」
 引きずるように奥へ連れて行こうとする二人に、私は叫ぶ。
 だが、カニス卿とフェデリスは機嫌よく笑いながらただ足を進める。砦の入り口で起きている戦闘など、全く知らぬげに。
「ソウビ様が戻ってきてくださって実に良かった。尊き血筋のお方に王座についていただこうにも、ラニ様はすっかり民に嫌われてしまいましてなぁ」
「カニス卿、質問に答えて! キ・ソコ将軍はどうしたの!?」
「その点ソウビ様は、あの簒奪王を(いと)い逃げ出したお方。あの男を憎む民から共感を得られます。我々はソウビ様を女王にいただき、新しき国を立て直す所存にございます」
(質問スルーするな、フェデリス!!)
「ねぇ!」
 無駄だとは思いつつ、私は二人へ説得を試みる。
「ここに集まっているのはどういう派閥!? 現王を廃したい人たちだよね?」
 腕と肩と腰、全てを男の手でがっちり固められ、身を(よじ)ろうとも逃げられない。
「チヨミやあそこにいる人たちは、私の仲間なの! みんな、ヒナツを王位から下ろすために来たんだよ! 攻撃する必要ないでしょ!? 今すぐ攻撃をやめて! 目的は一致してるはずだから!」
 けれど私の言葉に対し、カニス卿は笑顔のまま首を横に振る。
「我々はただ、アーヌルスの血を次代に繋ぐを望むのみ! 民に王と望まれているあの女は、簒奪王と同じく敵にございます!」
(アーヌルス家支持過激派!!)
 私は引きずられつつも首をねじり、砦の入り口に目を向ける。
 チヨミ率いる軍勢は、人数こそ多いものの村人が中心で、武具や武器などがいきわたっていない。それに対し砦の軍勢は完全装備の上、戦闘訓練を受けた兵士だ。
拮抗(きっこう)? いや、押されてる……!)

 テンセイと目が合う。
 重く鋭い剣さばきはいつものままだが、こちらが気になり集中力がやや欠けているように見える。他のメンバーも同様だった。
 その光景を目にした瞬間、ひどく悔しい気持ちになった。
(これってアレかぁ。今の私、キャアキャア言うだけで役に立たず、人質にされて足手まといになるタイプのヒロインかぁ。乙女ゲーでもユーザーから、か~なり嫌われるんだよねぇ……)
 頭の奥がスッと冷える。
(やってやる……)
「い、いたっ! 痛い!」
 私が苦痛に顔を歪めると、カニス卿たちは足を止めた。
「ソウビ様、いかがなさいました?」
「目、目に砂ぼこりが! 痛い! ちょっと手を離して!」
 二人が慌てて手を離すと、私は目を押さえその場にうずくまった。
「ソウビ様、井戸のところまで参りましょう。そこまで行けば、きれいな水で目を洗えます」
「うん、そうする。ちょっとだけ待って。うぅ、いたた……」
 身を縮めたまま、私は意識を自分の中に集中させ、エネルギーの光弾が体の中で回転しているイメージを練る。
(あの魔法は、確か……)
 突貫で頭に叩き込んだ異国の言葉を小さく詠唱する。一字一句間違えないように。
 そして詠唱を終えるタイミングで立ち上がると、二人に向かって光弾を手から射出させた。

 バリバリバリッ!

「おわああっ!?」
「うぉお!?」

 電撃を浴びた二人が、後方へと吹っ飛び倒れる。
(よし!)
 私はすかさず裾を翻し、砦の外にいるみんなの元へ向かって駆け出した。
「そ、ソウビ様が逃げられた! 皆の者、お止めしろ!!」
 カニス卿の命令に、兵士たちが戸惑いながらもこちらへと向かってくる。
(上の命令に逆らえない皆さんには悪いけど……!)
 私は短い詠唱で済む初期魔法の雷撃をこまめに打ち、兵士たちをけん制した。

「ソウビ様は魔法を使われる!」
 まだ痺れる体を地面から起こし、フェデリスが叫ぶ。
「少々手荒いが詠唱を阻止するため口を塞ぐことを許す!!」
(おい! 本当に手荒いな!!)
 四方八方から伸びる手を、躱し、雷撃を打ちこみ、避ける。
 だが、そう長くは続かなかった。
「ソウビ様、失礼いたす!」
「あっ!?」
 詠唱を終えたタイミングで、兵士の1人が私の腕を掴む。
 急に捩じりあげられたせいで目標がはずれ、雷撃は城の壁へ向かって飛んでいく。咄嗟で魔力を制御できなかったため、雷撃の直撃した壁は土ぼこりを上げ派手に崩れた。
 中から「うお」という低い声が聞こえた気がした。
「ソウビ様! 申し訳ございません!」
(むぐっ!)
 背後から伸びてきた手に口を塞がれる。
 次々と駆けつけてくる兵士によって、あっという間に私の動きは封じられてしまった。
(これが女王に祭り上げようとする相手にすることかぁ~っ!!)
 逃れようと必死にもがくが、兵士たちは困惑したように目配せをしつつ、それでも手は緩めない。
「んんんっ、んんぅ~っ!!」
 その時だった。

 ――ソウビ様!――

「!?」
 私を呼ぶ声が聞こえた気がした。
 時を置かず、私を取り巻く兵士たちがどよめき始める。
 やがて兵士たちをはね飛ばし、私の元へと駆け付けたのはこの砦の本来の主だった。

「キ・ソコ将軍!!」

 背はそれほど高くないが、小山のような体つき。日に焼けた禿頭。鬼瓦のような顔つきの男が、両手に鎖をぶら下げたまま兵士たちを掴んではぶん投げている。その身に鎧はなく、擦り切れた布の服を纏っているきりだった。
「ソウビ様!! うぉおおおお!! 貴様ら、姫様に無礼は許さんぞ!!」
「ひ、ひぃ!?」
 将軍の獅子奮迅の暴れっぷりに、カニス卿はまだ痺れの残る足を引きずり、その場から逃げようとする。
「なぜだ!? キ・ソコの奴は牢に厳重に繋いであったはず!?」
「カニス!! フィデリス!!」
 青ざめじりじりと後退する二人へ、キ・ソコ将軍は指の関節を鳴らしながら迫る。
「貴様ら、よくも汚い手を使ってくれたな!!」
「ひっ、兵士ども! 逃げるな!! こいつを止めろ!!」
 だが、キ・ソコ将軍の鬼のような姿に圧倒され、フェデリスの言葉に従う兵士はいない。
「おらぁあああ!!」
「うわぁああああ!!」

(強い……!)
 私はキ・ソコ将軍の圧倒的パワーに息を飲む。
(原作ゲームでも強キャラだったけど、実際に目の前で見るとすっごい迫力!)
「ソウビ殿!!」
 キ・ソコ将軍の戦いぶりに目を奪われていた私の耳に、愛しい人の呼び声が届いた。
「テンセイ!」
 振り返ると、入り口を埋め尽くしていた兵士たちの壁を突破し、テンセイたちが駆け付けてくる。テンセイは真っ先に私の元へ到着すると、無言で私を抱きしめた。
「ソウビ、大丈夫?」
「チヨミ! うん、そっちに怪我はない?」
「てめぇが他人の心配できる立場かよ、アホ。あっさり連れ去られやがって!」
(ぐぬぅ)
 悔しいが、今回はタイサイに反論できない。
「でも、雷撃をかなり上手に扱っていたよね。練習した甲斐あったじゃない」
「ユーヅツ! へへっ、そうかな?」
「ソウビ殿」
 テンセイの大きな手が私の頬に触れる。
「ご無事でよかった、……本当に」
「うん」
 はちみつ色に輝くテンセイの瞳に微笑を返し、私はその胸に身を預けた。

 カニス卿やその一派は、小一時間も経たぬうちキ・ソコ将軍率いる部隊に制圧されてしまった。
 私たちは、カタム砦の本来の主によって、内部へと招き入れられた。

「実に面目ない。あ奴らの姦計(かんけい)にうっかりはめられてしまいましてなぁ!」
 キ・ソコ将軍は頭を搔きながらも豪快に笑う。
 私たちは食事をいただきつつ、ここで何が起きていたかを彼に問うた。
「恥ずかしながら、慰労と言う名目でここへ訪れた奴らに一服盛られましてな。気を失い、目覚めた時は牢の中でした」
 隆々と筋肉の盛り上がる腕を胸の前で組み、将軍は眉を下げてうなだれる。
「その時には部下ともども手足を厳重に鎖で繋がれ、ほぼ身動きのとれぬ状態。砦は奴らの手中に収められてた次第で」
(また他人のエリア乗っ取ってたのかよ、あいつら)
 ウツラフ村の時のことを思い出した。
「ではどうやって牢から出て来られたのだ? ここの牢の鎖は、そう簡単には切れぬはずだが」
 長年共に忠臣として名を馳せてきた仲間に、アルボル卿が問う。キ・ソコ将軍は顎に手をやり、ふむ、と一つ頷いた。
「それが、先ほどの騒ぎの中、突如牢の壁が破壊されましてな」
(ん? 壁が破壊?)
「鎖の端はその壁に埋め込まれておったため、壁が崩れると同時に手足が自由になったのだ。解放された直後は、少々手足に痺れを感じておったがな、がははは!!」
(それって、私がうっかり当てちゃった雷撃のせいじゃ!?)
 あの時、「うお」という声が聞こえた気がしたが、この人だったのか。
(雷撃の直撃した牢に、鎖で繋がれていて、手足に痺れ程度で済んだんだ。すみませんでした、よくぞご無事で)
「なんにせよ、無事でよかった。将軍が突然姿を消したので、心配しておったのだ」
「ははは、そちらも。国外追放になったと聞いた時は、驚きましたぞ、アルボルの」
 忠臣二人は楽しげに笑いながら酒を酌み交わす。
 ぐいと盃を空けたキ・ソコ将軍が、ふとチヨミに目を向けた。
「それでチヨミ嬢、いや、正妃チヨミ。あなたはどうするおつもりかな?」
 酒のため赤ら顔ではあるが、将軍の眼差しは鋭かった。
「大勢の民を引き連れ、まるで反乱軍の様相で城へと向かっているようだが」
「ヒナツには王座から下りてもらいます」
 チヨミはキ・ソコ将軍をまっすぐに見返し、言葉を続ける。
「ヒナツは王の器じゃありません。視野が狭く、国を治めるだけの知識がなく采配も拙劣」
(はっきり言った……)

 恋する相手に対しても、冷静な評価を下すチヨミ。彼女の恋は盲目じゃない。
「この国の民を不幸にしないためには、ヒナツを王座から下ろし、統治できる人間が王にならなくてはなりません」
「そして、その人間は正妃チヨミ、あなただと?」
「とは限りません」
(え?)
 戦慣れした将軍の眼光に怯むことなく、チヨミは落ち着いた声で返す。
「多くの民は私を王にと望んでくれています。それはとても嬉しいことです。ですが一方で、長く続いたアーヌルスの血筋が王位に就くことを望む貴族も多い」
(そっか、アーヌルス……って。えっ、こっち来た!?)
「私は、ソウビが王位に就くのが良いと考えています」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってチヨミ!?」
 完全に、主役のチヨミを見る傍観者になっていた私は、いきなり前面に押し出されて慌てる。
「女王とか、心の準備、全っ然出来てないんだけど!?」
「……」
「あと、国を治めるとか正直よく分からないし。ヒナツほど無茶苦茶じゃなくても、穴だらけの治世になっちゃいそうで怖いよ!」
「大丈夫よ、ソウビ。その辺は私たちがしっかり支える。そのための家臣じゃない」
「で、でも……」
(それに、家臣って……)
「正妃チヨミ」
 将軍の重々しい声が、その場の空気を震わせた。
「この私は王に使える将軍ですぞ? 王妃と言えど、反乱の意思ある人間を、おとなしく見逃すとお思いか?」
 厳めしい表情のキ・ソコ将軍が、チヨミを睨み据えている。先ほどと同じ姿で椅子に座ったままだが、既に刃をチヨミの首筋に当てているかのような気迫だった。私たちの間に緊張が走る。タイサイは剣の柄に手をかけていた。
 けれどチヨミは落ち着いた表情で言葉を続ける。
「キ・ソコ将軍。あなたが仕えているのは、現王でなく、国そのものですよね?」
 そこにいたのは、人々の信頼を集め前進する、しなやかで凛としたリーダー。
「キ・ソコ将軍、あなたはこのイクティオを愛している。そして国を傾けんとする人間を、王と認める方とは思えない。きっと私たちの味方になってくれます」
 冷静で、それでいながら柔和な表情のチヨミが、キ・ソコ将軍と真正面から視線を合わせる。二人はそのまま、微動だにせず見合った。私たちも、呼吸音すら許されない緊張感に、身を固くする。

 どれほどの時が経っただろう。実際は数秒のことだったかもしれないが。
「ふふ、はーっはははは!」
 キ・ソコ将軍が豪快に笑いだした。チヨミがそれに合わせるように、目を細め口端を上げる。
 将軍は自分とアルボル卿の盃に酒を注ぐと、アルボル卿の肩にグイッと腕をかけた。
「相変わらず、勘が鋭いだけでなく肝の据わったお嬢さんですな、アルボル卿。わっははは!」
「ははは、これでも昔は、野盗に怯えて泣く娘だったのですが」
(いや、そこ笑うところ!?)
 キ・ソコ将軍はチヨミの盃にも酒を注ぐ。その勢いのまま、皆に盃を向けるように促す。皆の盃が満たされたのを確認すると、彼は「乾杯」と言った。
「あなたのお気持ちはよく伝わりました、正妃チヨミ。このキ・ソコ、あなたの力となりましょう」
 将軍は、恭しい仕草でチヨミにそう告げる。そしてすぐさまその鬼瓦のような顔に、力強い笑みを浮かべた。
「王座には誰がふさわしいか。それはもう少し時間をかけて考えるとして。今日は大変な一日だったでしょう。まずはゆっくりと疲れを癒してください」

■□■

 キ・ソコ将軍とアルボル卿が部屋に引き上げてからも、私たちはその場にとどまった。

「少し予測とは違ったようだが、おおむね君が知ってた流れかな、姫さん?」
「へ?」
 メルクが私の顔を覗き込むようにして笑っている、
「知っていたよな、姫さん? ここの人間がチヨミちゃんの味方になってくれるって」
「えぇ、まぁ……」
 キ・ソコ将軍を味方として得られ、ほっとした空気になったのもつかの間。
 メルクは、私の先読みの力についての説明を求めた。
(なんでここで波風立てるようなこと言い出すのよ! 今日はもう、ゆっくりとした夜を迎えたかったのに)
 だが、これがメルクなのだろう。人当たりのいい笑顔を見せながら誰に対しても油断をしない、冷静沈着な人。
 メルクの言葉に、その場にいたメンバーが表情を引き締め、私を見る。
 やはり気にはなっていたのだろう。追及をしなかっただけで。
 メルクは朗らかに笑いながらも、油断なく私を見据えている。
「敵の本拠地は目の前だ。そろそろ話してもらってもいいかな、姫さん。君が何者なのか。そして、なぜ未来を予知するような真似ができるのか」
 その瞳に、逆らうことを許さぬ鋭い光が宿る。
「最後の戦いを共にする仲間に、出来れば種明かしをしてもらいたいんだが」
(最後の戦いを共にする仲間……)
 私はテーブルを見回す。仲間たちは神妙な面持ちでこちらを見ていた。
「そう、だね……」
 命がけの戦いに、得体のしれない人間を同行するのはやはり不安だろう。疑念は何かのはずみで、良くない影響を及ぼすかもしれない。
「信じられないかもしれないけど……」
 私は正直に全てを話すことにした。

 私は元の世界で上水流(かみずる)めぐりという名であること。
 この世界は、私がプレイしていたゲームの内容と酷似した、私の見ている夢であること。
 私はそのゲームを一周したことで、大体の流れや個人の情報を掴んでいることを。

「カミズル、メグリ……。この世界の全てはあなたの夢の中だと言うの?」
 チヨミは信じられないと言った顔つきで、首を横に振る。他の皆も似たような反応だった。
 その中で、メルクだけが表情を変えない。
「ゲーム、か。カードとはずいぶん趣の違う遊戯のようで、よく分からんが。つまり、俺たちのことを描いた物語が幾通りか存在している。そのうちの一篇を君は読破済で、今我々は君の読んだものとは別の物語の中を進んでいる、そんな解釈でいいか?」
「うん、大体あってる」
「じゃあ、これからどうなるんだ?」
 タイサイが音を立てて椅子から立ち上がった。
「俺たちは勝てるのか? あの腕っぷしだけは妙に立つ、獣のような男にどうやって!?」
 タイサイの問いに、私は言葉を詰まらせる。
(う~ん、この先のことは正確には知らないし、タイサイには特に答えづらいな)
 ここはヒナツ和解ルートの可能性が高い。ヒナツを倒せたとしても、結局チヨミはタイサイでなくヒナツを選ぶわけだ。
 ここへ来てタイサイ×チヨミのカプにハマった身としては、少々胸が痛い。
「ごめん、タイサイ。プレイしてないルートだから知らない」
「チッ、肝心なところで役に立たねぇな」
 相変わらずの物言いに少々腹は立ったが、この先、タイサイが報われないと思うと、あまり強い態度に出られなかった。
 私は彼の憎まれ口をスルーし、説明を続ける。
「先がわからない理由はそれだけじゃないんだ。本来ならソウビ・アーヌルスは皆と一緒に反乱軍なんてやってない。ヒナツの寵姫のまま民衆に憎まれて最期を迎えるんだよ。……テンセイに剣で貫かれて」
 私がそう言うと、テンセイは小さく息を飲む。
「そう言えば、以前もそのようなことをおっしゃっていましたね」
「うん」
「……信じがたいことだ」
「でも、私は今ここにいる。ヒナツの側じゃなく、みんなと一緒にこのカタム砦に。この時点で、私の知っている展開とは異なってる。それにキ・ソコ将軍の件だって」
「キ・ソコ将軍の件?」
私はチヨミに頷いて見せる。
「彼が捕らえられる展開なんて、私は知らなかった。別ルートのせいかもしれないけど、ひょっとすると私がここにいるせいで起こった、イレギュラーな事象かもしれない」
「なるほど」
 メルクはテーブルに肘をつき、指を組むとその上に右頬を乗せた。
「で、姫さん。我々があの暴君に勝てるかどうかは? こちらとしてはそこが一番知りたいんだけど」
 彼の問いに私は即答できない。
 チヨミはゲームの主人公だから、勝利でエンディングを迎えるのはまず間違いない。
 けれど、戦闘に負けてゲームオーバーと言うパターンもこの世界には存在する。
「タイサイにも言ったけど、わからない」
「また『わからない』かよ。大勢の命がかかってんだぞ!?」
 気色ばむタイサイを、チヨミがそっと制する。
「ううん、十分よ。ありがとうソウビ」
「チヨミ……」
「きっと運命に勝利して、この物語をハッピーエンドに繋いで見せる。それがあなたの知る物語の中の、私の役割なんでしょ?」
「うん」
 チヨミはやはり主人公だ。誰よりも先頭に立ち、前に進もうとする。力強く、そしてしなやかに。
「けど、信じがたいぜ」
 タイサイが面白くなさそうに呟く。
「俺らが物語、つまり作り物の中の存在なんてよ」
 だが、タイサイの言葉に思わぬ反応を見せたのはユーヅツだった。
「ボクはそう思わないな」
「は?」
「ボクらが、メグリの世界における作り物の中の存在だとして。メグリ自身が誰かの創作物の中の登場人物じゃないって、言い切れないでしょ?」
(はい!?)
「ど、どういう?」
 困惑する私に、ユーヅツは魔法を教えてくれた時のように、淡々と語る。
「メグリ、君の世界も誰かによって作られたってこと。つまり君自身、己の意思で動いているつもりでも、創作者の意思の伝達役に過ぎないかもしれないってことさ」
 はぃい!?
「面倒くさいから話まとめるけど。ボクらも君も大して違いはないんじゃないかな、多分」
 いや、まとめ方、雑!
「ボクとしては、ソウビはこちらに有利な情報をくれる便利な存在だし。君が別世界の人間の意識を持ってても、問題視する必要全くないな、って思ってる」

 その場にいる全員、呆気にとられた表情でユーヅツと私を見比べる。やがて、小さく吹き出す音が聞こえた。
「はは、確かにな!」
 メルクが王子らしからぬ大口を開けて笑っていた。
「ソウビが意図的に、僕らに不利益な行動を取ったことはないし。問題ないと言えば問題ないよな」
 ないの!?
「じゃ、この話はこれでお開きにすっか!
「ええ!? 軽っ!」
 呆気なく終わった審問。私は流れについて行けず、うろたえる。
 メルクは頭の後ろで手を組むと、意地の悪い笑みを浮かべる。
「なに、姫さん? もっといろいろ追及してほしい? ねちねちと問題提起して責め立ててほしかった?」
「いや、そうじゃないけど!」
 本当にいいのだろうか? この世界の人からすればかなりあり得ない内容を語ったはずだが。むしろ更に疑いが深まってもおかしくない、異常な内容だったわけだが。
「そうね。私もこの話はここまででいいと思う」
「いいの!?」
 思わず出た声に、チヨミがうなずいて返す。
「この先の展開を知らないとはいえ、これまでにソウビの情報に助けられたこともあったから。ソウビは私たちの味方だと信じていいと思うの」
「チヨミ……」
「あと、この世界が君の見ている夢って話だけど」
 話すユーヅツに、私は目を向ける。
「夢とは、魂が異世界で過ごした際の出来事って説もあるんだよ」
「魂が、異世界に?」
 初耳だ。いや、もしかして「胡蝶之夢(こちょうのゆめ)」とかあの辺もそうなのだろうか。
 ユーツヅはさらに続ける。
「その説が正しいなら、メグリって人の魂は寝ている間、ここでソウビとして生きているってことになる。ついでに創作や夢、つまり架空の世界と思われているものは、実在している異世界の可能性もあるとボクは考えてる」
「ぇえ……」
 何と言うか、滅茶苦茶だ。
 だが、私の気持ちを察してか、ユーヅツはあっけらかんと言う。
「証明のしようがないからね。噓とも本当とも言えないでしょ? 想像は自由」
「そうだけど……」
(この、私が夢に見ている世界が実在している他の世界? そして、私の元の世界も誰かの創作物? あ~っ、何が何だか!)

「あ! そうそう」
 頭を抱える私に、チヨミが話しかけてくる。
「ソウビの本当の名前はメグリなんだよね? 今後はそっちで呼ぶ方がいい?」
「えっ、ううん、ソウビのままで。ここではそう呼ばれる方がしっくりくるから」
「わかった。じゃあソウビのままね」
 オフ会では本名ではなく、ハンドルネームで呼び合う。その感覚に近いかもしれない。
「ソウビが別世界の人間の意識を持ってるなんて驚いたけど、掴んでる情報を元に、私たちを困らせたことなんてなかったもんね。味方だってことは疑わなくていいんじゃないかな?」
 その言葉にタイサイが顔をしかめる。
「いや、俺は知られたくないことまで知られてたけど」
「枕の下?」
「言うな!」
 そっちから振ったくせに、キレないでほしい。今のはどう考えてもツッコミ待ちだった。

■□■

(今日は色々あって、疲れたなぁ……)
 砦の中の割り当てられた部屋で、初めての夜を迎える。
 大移動して、戦闘があって、説明があって、心身ともに疲労困憊だった。
 ベッドに身を預けると、すぐさま睡魔が襲い掛かってくる。
(ねむ……)
 そのまま白む意識の中へ飲み込まれようとした時だった。
 コンコン
 ノックの音が聞こえた気がした。
(ん? 誰?)
 身を起こして対応したい。けれど指一本動かすのすら億劫なほど、私の体は疲れ切っていた。
(あ、だめだ。瞼がもうくっつき……)

『ソウビ殿、入ってもよろしいでしょうか?』
「!?」
 この世で最も尊く愛しい、低く甘い声に、一瞬にして意識は呼び戻される。
(テンセイ!? 夜這いイベント!? いや、そんなのなかったはず! このゲームはCERO Bだったし!)
 勢いよく働きだした意識は、おかしな方向に猛スピードで飛んでいく。
 再びノックの音が耳に届いた。
『ソウビ殿? もうお休みでしょうか?』
「は、はーい! 起きてまーす! どうぞ!」
 ベッドに身を起こし慌てて返事をすると、すぐに扉は開かれた。
「ソウビ殿、夜分遅く失礼いたします」
「ううん、テンセイなら歓迎。何かあった?」
「……」
 テンセイは部屋に入ると、扉の前で立ち尽くす。何やら逡巡しているようだった。
 こちらを見たかと思えば、そっと視線を逸らし、何か考え込む仕草をしたかと思うと、またこちらに視線を向ける。
 やがて彼は、覚悟を決めたのか口を開いた。
「いつから、なのでしょうか?」
「? いつから、とは?」
 テンセイの顔が苦し気に歪む。
「メグリ殿、とおっしゃいましたか。あなたがソウビ殿としてこの世に降臨したのがいつからなのか、それをお聞きしたい」
(あ……)
 スッと頭の奥が凍り付いた。
(そっか、テンセイにとってソウビは婚約者。私は途中からその地位を乗っ取ったようなものだ)
 頭から喉元へ、私の体からはどんどんとぬくもりが去ってゆく。
(気分、よくないよね。見知らぬ他人が、自分の婚約者のふりをして側にいたなんて。気付かれてないのをいいことに、馴れ馴れしくしていたなんて……)
「ひょっとしたら、ですが」
 テンセイの金色の眼が、私を見据える。暗がりの中、月の光を返すその瞳は猛獣のもののようだった。
「今の貴女となったのは、ヒナツが王位についたことを祝った宴の日ではございませんか?」
「! あ、あの……、ごめん、騙すつもりじゃ……」
「やはり、そうなのですね」
 テンセイが手で目元を覆い、ため息をつく。金の瞳が見えなくなった瞬間、「終わった」そう感じた。
 テンセイは手を下ろすと、みしりみしりと足音を立てながら近づいてきた。私はびくりと身をすくめ、自分の膝へ目を落とす。やがて頭上から、低く静かな声が届いた。
「あの日、貴女を部屋まで迎えに行った際に違和感を覚えたのです。ソウビ殿とはこのように可愛らしい表情をする方だったかと」
(え……?)
 テンセイの口から発せられた、思いがけぬ柔らかい言葉。けれど私はまだ目を上げられない。
「前王の命により婚約者となって以来、自分とソウビ殿はろくに会話らしい会話をしておりませんでした。自分は面白い話などできぬ男で、そんな自分といるソウビ殿はいつも退屈そうにされておりました」
 テンセイの足が視界に入る位置まで来る。
「あの頃の自分たちの間に、愛情と呼べるものはまるでなかったと言っても過言ではないでしょう。立場や利害最優先の形だけの繫がりでした。……よくある話です」
 テンセイが私のベッドに腰かける。マットの沈む感覚があった。
「ですが、あの夜のソウビ殿は違ったのです。こちらを見た瞬間に目を輝かせ、頬を染め、嬉しそうに微笑まれました。妙なことを口走ってはおられましたが、自分に対する温かな好意が伝わってきたのです」
 大きく熱い指先が私の顎に触れ、軽く持ち上げる。見上げた先のテンセイの眼差しは、はちみつ色に揺れていた。
「あの日から、貴女だったのではないですか?」
 罪の意識に凍り付いていた私の体が、テンセイの熱で優しく溶かされる。
「……、そんなところ」
 その瞳の優しさに誘われるように、私は告白をする。
「正確には、牢から助け出された時。気付いたら私はあの場所にいたんだ」

「そうでしたか。では」
 テンセイが一度睫毛を伏せ、そして目を開くと私をまっすぐに見る。
「自分が心惹かれたのはソウビ殿ではなく、メグリ殿だったのですね……」
「!」
 心臓が止まるかと思った。真摯な金色の眼差しが私を貫く。
(テンセイが私を……? 婚約者のソウビじゃなく、上水流めぐりとしての私を?)
 引き絞った弓が勢いよく矢を放つように、一度凍り付いた私の胸が早鐘を打ち始める。
 私はこの世で最も愛しい人に愛されている。そう思うだけで気絶しそうなほどの幸福を感じていた。
 けれどテンセイの瞳からはまだ、切なさが消えない。
「テンセイ?」
「教えてください、ソウビ殿。貴女はいつまでここにいられるのでしょうか」
「えっ……」
「この命尽きるまで、自分は貴女に寄り添っていられるのでしょうか……」
 言われて初めて気づく。
 この世界へ訪れたのが突然なら、去るのも突然である可能性は十分にあるのだ。
「わからない……」
 私は掛布団を握りしめる。テンセイの真剣な眼差しが、私の胸を苛む。
「わからないよ。私だってずっとテンセイといたいけど、でも……」
 肝心な部分を思い出した。
「これは、私の見ている夢だから……。いつ覚めるか、私にもわからない」
 そう、夢はいつだっていいところで終わる。
「それに物語は終盤に向かってる。ひょっとすると物語のクリアと共にこの夢は……」
「……っ」

 テンセイの力強い腕が伸びて来たかと思うと、私をきつくかき抱く。グッと押しつぶされた肺から息が漏れる。
「儚いお方だ。今にも、この腕の中から消えてしまいそうだ。俺は、それが怖い……!」
 魂を切り刻むほどの悲痛な声。
「魂の捕らえ方など俺は知らない。こうして手に触れられる相手であるなら、無理やりにでもつかまえていられるものを……!」
 私を抱きしめる腕に、更に力がこもる。
「愛している、ソウビ。いや、メグリ。俺から離れないでくれ」
(テンセイ……!)
「貴女でなければだめなのだ!」

 胸が焼け付くように痛む。
 幸せなのに苦しい。
 気が付けば、涙が頬を濡らしていた。

 私は腕を彼の広い背へと回す。
「私だって、このままテンセイと一緒にいたいよ……。だけどわからないんだ、本当に。自分がこの先どうなるのか……」
「……っ」
 テンセイの大きな手が私の後頭部を包む。それは震えながら、幾度もそこを撫で下ろした。
「メグリ……、メグリ……、メグリ……!」

 上ずって掠れた、切なく甘い声。
 それが幾度も私の名を呼ぶ。
 私の髪を、愛し気に指で漉きながら。

 テンセイの声が耳に届くたび私の体から力が抜け、こわばりがとけてゆく。
「どんな形でもいい。貴女と同じ世界で寄り添えるなら……、俺は、何を捨てても構わない!!」
(あぁ、私はなんて幸せ者なんだろう……)
 狂おしいほどに切ない、テンセイのふり絞るような声を聞きながら、私は思う。
(推しの姿を、ただ近くで見られるだけでよかった。声が聴けるだけで幸せだった。なのに、こんなに愛してもらえた……)
 それぞれの涙が、互いの体を濡らす。
(もう悔いはない。でも……、だけど……)
 私も彼を離すまいと、背に回した指に力を込めた。
(やっぱり、テンセイとずっと一緒にいられたら幸せだろうな……)