僕の話をクラスのみんなは静かに、そして真剣に聞いていた。
 知られざる天才の生い立ちに興味があったのだろう。

「彼が物心ついたころ、琴雅の英才教育の甲斐もあり、彼は今の地位を手に入れていた。世界に誇る天才ピアニストの誕生だ。二世代にわたって天才とされた人間はそう多くない。ハッキリ言ってメディアの菅原君に対する期待と反応は異常だった。実力以上に騒がれていた」

 僕は当時あまり琴雅と連絡を取り合ってはいなかったが、第三者目線で見てみると菅原家は、メディアと才能によって潰された家という印象だった。
 菅原家には普通の幸せは無く、ある意味名家としての振る舞いを求められていた。

「じゃあさっき言ってた享受できなかったものって……」

 遠野さんが声を上げる。
 いい加減彼女たちにも分かってきたようだ。
 
「そう。彼には普通の生活など望めない。どこに行くにもカメラがついて回り、何かないかと常に嗅ぎまわられる。それが思春期の彼にとってどれほどのストレスだったか、僕には想像することしかできない」

 僕はそう結論付ける。
 彼の気持ちが分かるなどと言うつもりはない。
 こんなものは当事者になってみないと分からないからだ。

「彼の小学生までの生活はそんな感じだ。さらに小学六年生の時に、彼の父親であり僕の友人だった琴雅が病死した」

 僕は病死と言い切る。
 本当の死因については言わない。
 とても受け入れられそうに無かったから。

「その当時のことは鮮明に憶えているよ。もちろん僕も悲しかったが、一番ダメージを受けたのは菅原君のお母さんと、菅原君本人だ。母親の方は琴雅が亡くなって以降、菅原君への態度がややおかしくなった。自分の子供に琴雅の才能を感じていたのか、彼女は菅原君を自分の子供としてではなく、天才ピアニストとしての側面を愛でるようになっていった。その違和感は今も消えていない」

 クラス中が静まり返っている。
 まさかクラスメートが、それも煙たがっていた生徒の半生が、ここまで壮絶だとは考えてもみなかっただろう。

「そしてもっとも菅原君に負担をかけたのはメディアだ。いま思い返してみても、本当に胸糞悪い光景だった。彼はまだ十二歳。父親を亡くした十二歳の少年に対し、十数人の大人が一斉にマイクを向けて、今の心境は? などと尋ねている場面。異常だと感じたし、それは当時の彼もそう思っただろう。まだ琴雅が死んですぐだったこともあり、心の整理が出来ていない状態で尋ねられた彼はどうしたと思う?」

 僕は一度ここで言葉を切った。
 話しながら泣きそうになる。
 当時の彼の心境を思うとやるせない。

「”ちょっとまだ実感が無いですね”と答えたんだ。それもにっこり笑って、笑顔を作って……。これがどれだけ異常なことか分かるかい? どれだけおかしな光景か分かるかい? まだ弱冠十二歳の少年が、親が死んだ直後にマイクを向けられ、心境を答えさせられる。しかもそれがそのままニュースになって世界を回る。そんな状況、そんな場面で笑顔を浮かべられてしまった彼は、もうどこかおかしくなってしまったのだと、僕は心の底からそう思った」

 僕は一息に話し終える。
 彼の父親が亡くなるまでの話を。
 すでにクラスのみんなは沈黙の中だが、まだまだ話は続く。
 
「そうして父親を亡くした彼を、メディアはこぞって悲劇の主人公として取り扱った。天才ピアニストに悲劇の主人公というキャラ付けまでされてしまった。そこからは君たちの知っている通りの彼だろう。だけど知っていることの裏には、彼の並々ならぬ努力があることを忘れてはいけないよ? 彼にかかる世間からの期待は常軌を逸していた。日本が世界に誇る天才音楽家であった、琴雅が亡くなってしまったことも拍車をかけた。菅原君にかかる期待と重圧は異常なものだっただろう。一番身近で味方であったはずの彼の母親でさえ、その重圧に耐えきれず、菅原君を子供としてよりも天才ピアニストとして扱いだした」

 それだけの重圧の中、それでも耐えていけていたのは皮肉にも琴雅による英才教育の結果だろう。
 彼に施された英才教育の中には、ピアノのことだけではなく、精神的な部分も多分に含まれていたという。
 そうでなければ、世間からの重圧に潰されてしまうと琴雅は知っていたのだろう。 

「そんな重圧の中で起きた事件が彼の耳の件だ。これはよく知っているだろう?」

 僕はようやく本題に入る。
 ここまで聞けばみんなも分かったはずだ。
 彼が失ったものがどれだけ多いか。

「……私たちが間違っていました」

 しばしの沈黙の後、遠野さんの声だけが静かに響く。
 流石にわかっただろう。
 自分たちがどれだけ狭い視野で人を判断していたのか。
 どれだけひどい仕打ちを彼にしてきたのかを。

「最初に言ったように、別に君たちを一方的に悪者にするつもりはない。彼も彼で人との付き合い方には問題があった。だけどそうならざるを得なかったということだけは分かって欲しい。彼には人を見下す余裕などなかった。相手にするだけの精神的余裕がなかっただけだ」

 結論はそこに行きつく。
 長々と話したが結局はそこだ。
 菅原真希人には、誰かに愛想良くしたりするだけの余裕が無かっただけなのだ。

「……私、本当に最低なことを天音に言ってしまった」

 遠野さんは後悔の言葉を口にする。
 クラス中の視線が彼女に注がれる。
 
「早坂さんは一人暮らし。詳しくは僕も知らないが、父親はずっと海外でお仕事をなさっていて、母親は彼女が幼いころに事故で亡くなっている。お隣さんだったのもあり、彼女はずっと菅原君たちと一緒にいた。僕も何度かは見たことがある。壮絶な人生を歩む彼を一番側で見て、支えてきたのはおそらく彼女だろう。菅原君にとって、また早坂さんにとって、一番の理解者は周りの大人や家族ではなかった。彼ら二人はお互いに依存しあっている関係だったのかもしれない」

 僕の言葉に遠野さんは思いっきり泣き出してしまった。
 無理もない。
 知らなかったとはいえ、早坂さんに対して相当言ってはいけないことを言ってしまったのだから。

「……謝りたい。先生、謝りたいです!」

 遠野さんは涙をぬぐってそう言った。