崩れゆく世界に天秤を

「暮人、ここって?」

 急にひとけのない細い道に連れてこられた真姫は、俺に現在地を尋ねる。

「ここは正人が眠っている場所だ」

 真姫は俺の言葉の意味を読み取り、そのまま押し黙る。

 俺はここに懺悔しに来た。正人からの、母親を頼むという最後のお願いすら叶えられなかった。無様に失敗した。謝って許されることでは無いけれど、それでもここにやって来た。

 さっきまでいた街の騒がしさが嘘みたいに静かだ。

 ここには星の使徒は現れない。ここに命は無く、すでに旅立ってしまった者達しかいないからだ。星の使徒は星の寿命を解放する者。墓地は、この地球上で唯一アイツらが現れない場所だ。

 やがて俺達が細い道を抜けると、正面には小ぶりな墓地が姿を見せる。

 正人の墓石を合わせてもせいぜい十数基……本当に小ぶりで静かな墓地だ。

 ここに来るのは何度目だろう?

 まだ正人が死んでから半年少々。

 崩壊病で亡くなった人の遺体は存在しない。遺骨も残らない。それらは全て崩壊し、無くなってしまう。崩壊仕切らなかった体の断片も、制星教会が持ち去ってしまうため、遺族には遺体をどうこうする権利すらも与えられない。

「真姫は初めてだよな」

「ええ。知ってたら来てたのに……なんで黙ってたの?」

 真姫は若干咎めるような口調で尋ねながら、正人の墓石に水を優しくかける。

「なんとなく……言い出すきっかけが無かったんだ」

 俺は咄嗟に噓をつく。

 本当はそんな曖昧な理由ではない。いや、曖昧と言えば曖昧か?

 俺が真姫に教えなかった理由は、正人に報告しづらかったからだ。

 俺の相棒は正人で、その彼が死んですぐに他の人とペアを組む。実際、前に桐ヶ谷が言っていたように、奴らは待ってはくれない。俺が納得するまで、心の整理が出来るまで待ってはくれない。それは正人だって分かっているだろう。

 だけどこれは俺の問題だ。どうしても、正人が眠るこの場所に新たな相棒を連れてくる気になれなかった。ただそれだけだ。特に具体的な理由ではない。曖昧だ。

「ねえ暮人?」

「うん?」

「十年前のあの日、暮人が私を選択してくれたお陰で私は今ここに立っている。こうやって亡くなった人の墓石に水をかけてあげられる……だけど、あの日暮人が私を選ばなければ、正人さんはここにはいないよね?」

 真姫の声は小さく震えていて、普段の強気な彼女はここにはいなかった。あの整った顔も、下を向いているせいか見えない。見せてくれない。鼻声で話す彼女はずっと墓石を見つめている。

「それは……」

 俺はそれ以上言葉が出ない。言ってはいけない気がした。そして俺には彼女がこの後口にする言葉が分かってしまう。

「暮人はさ……選択を間違えたんだよ。あの日、私を選ぶべきじゃ無かったんだ。私が生き残ったから、崩壊病で千人以上の人が亡くなっている。流石に、きついな……」

 彼女は今まで一度も口にしなかったそれを口にする。言葉にする。言われたくなかったし、真姫が今まで言わなかったのは、これが一線を越える言葉だと知っているから。絶対に言ってはいけない言葉だと認識しているから。

 俺が十年前の選択を間違えた……これを俺達が認めてしまうと、俺達の存在が許されなくなってしまう。

「真姫……君があの時の俺の選択を間違いだと言うのは自由だよ。実際、勝手に助けられた真姫は、自身に責任の無いまま罪悪感だけが迫ってくるから辛かったよね? それは分かってるんだ。でもさ……俺は、どうすれば良かったのかな? 好きな人が死にそうなタイミングで、世界とその人を選べと選択を迫られたら、俺はどうすれば正解だったのかな?」

 俺も真姫につられて声が震える。目が潤んで前がよく見えない。

 どうすれば良かったのかな? 俺はあの日、どうすれば……どうすれば正解を引けた? 正解なんてあったのか? むしろ正解が無かった気がする。勿論第三者からしたら、真姫を犠牲にして世界を選ぶのが正解だと言う人もいるだろう。なんならそう言う人の方が多いかも知れない。

 だけど当事者になった時、選べるか? 究極の選択を迫られた時、正しく選べるか? 

「そうだよね……ごめん。こんな事言うつもりじゃ無かったのに」

 真姫は静かに頭を下げる。

「いや、なんていうか……どうしようもない事だと思うんだ。真姫がそう思っちゃうのは仕方ないから……気にしなくていいよ。辛くなったら俺に当たってくれて構わない。原因は俺にあるんだから」

「そんなこと……でも、時々思っちゃうの。もしもあの日に戻ってやり直せるなら、暮人には世界を選んで欲しいって……」

 俺は真姫の言葉に答えることが出来なかった。考えるが、答えが出てこない。適切な答えが無い。



「おいお前ら! 今の話はいったいどういう事だ?」

 突如かけられた声に驚き振り返ると、そこには花束を持った荒木が立っていた。

 荒木、姫路ペアは現在活動停止中だ。原因は荒木さんの精神が不安定になってしまったからだ。先日殉職した星野さんと、半年前に亡くなった正人。二人を短い期間で失った反動で精神を病んでしまった。

「荒木さん……どうしてここに」

 俺は荒木に尋ねてから自らの失言に気がついた。花束を持って墓地に来ているのであれば、墓参り以外に何がある。

「俺は毎日ここに来ている。ここには正人も星野も眠っているからな」

 荒木は落ち着いて言葉を選ぶように話しているように見えた。彼はこんなタイプではなかったはずなのだが?

「それよりもさっきのお前達の話だ! 本当なのか?」

「どこから聞いてました?」

「全部だ! 悪いとは思ったが、全部聞かせてもらった!」

「そうですか……ではもう隠しても仕方ないですね。全て本当です。信じてもらえるかは分かりませんが」

 俺は正直に白状した。

 ここで取り繕ったって意味がない。

「本当なのか! じゃあ本当に、お前が世界を選んでいれば崩壊病は……」

「あの時の星の使徒が、どこまで本当のことを言っているのか分かりませんが、あれの言葉を信じるならそういう事になります」

 俺はやや事務的に答える。

「そうか……そうなのか。じゃあ真姫が生きているのが間違いなんだな!」

 そう話す荒木の眼は血走り、その表情は醜く歪んでいく。およそ人の顔とは思えない。彼本来の面影が無くなってしまっている。鼻息は荒く、視線も定まらない。正常じゃない。

「違う! 真姫が生きているのは決して間違いなんかじゃない! 俺の選択は間違っていたのかも知れないけれど、真姫が生きていることは、絶対に間違いじゃない!」

 俺はふざけたことを言う荒木に語気を荒げる。

 冗談じゃない! その選択を迫られたことが無かった人間にどうこう言われてたまるか! あの当時の俺を避難していいのは真姫だけだ! 易々と俺達の過去に介入するな! 俺達の覚悟に水を差すな!

「そうかそうか……お前はそういう態度なんだな」

 荒木は何が面白いのか、半笑いのまま俺達の横を通り過ぎ、正人の墓に花を生けると、そのままフラフラとした足取りで去っていった。

 俺達が正人の墓前で報告をし、制星教会に戻ってきたころにはすっかり日が落ちていた。

 四階の崩星対策室に入ると、桐ヶ谷をはじめとした先輩達が暗い顔をして座っていた。

「ただいま戻りました……」

 俺はおそるおそる席に着く。

 なんだか崩星対策室の空気が重い。何があったのだろう?

「おうお前達か、遅かったな」

 桐ヶ谷は俺達を一瞥し、そのままうつむく。

「何があったんですか?」

 俺は近くの席に座っていた先輩、牧下さんに声を潜ませて話しかける。

 彼女は俺の二つ上の先輩で、他の先輩達に比べるとまだ若い方だが、成績はかなり良かったはずだ。しかしほとんど話したことはない。というより、この組織は基本的に揃って何かをするという組織ではないため、他の先輩方も面識こそあれど、話したことがない人ばかりだった。

「多数の星の使徒出現で、一番任務成功率の高い龍崎、山下ペアが殉職したの……」

 彼女の返答を聞いた俺達は、驚きのあまりそのまま固まってしまった。

 彼ら龍崎、山下ペアは、この支部に所属しているペアの中でもっとも最年長で、もっとも任務成功率が高いペアだ。よく正人からも彼らの話は聞いていた。そんな彼らでさえも殺られてしまったのか!?

「アイツらは、星の使徒に気がつかずにそばを歩いていた学生二人を庇ってやられたらしい。助けられた学生達の証言で判明した」

 桐ヶ谷は悲痛な面持ちのまま説明する。

 俺と真姫はここでの所属期間がそこまで長くはないからまだマシだったが、長い期間ここで戦っていた人ほど相当精神に来ているらしく、皆虚ろな目をして呆然としていた。

「真姫、行こう」

 俺はその場の空気に耐えられなくなり、崩星対策室のドアを潜り、自分の待機室に避難する。

 段々と状況が悪化してきている。

 なんなんだ?

 なんでこんなに負の連鎖が止まらない?

 待機室に入ると真姫はそのまま着替えもせず、ベッドに倒れこんでしまった。

 俺は俺で頭は混乱状態のまま、とりあえずやるべきことをする。弾丸を補充しパソコンを開いて報告書を作成する。

 報告書になんて書いたか覚えていない。

 ただただいつもの習慣で書いただけで、見直しもしていない。そもそも見直しとか報告書とかどうでもよくなっていた。

 もう全てを投げ出して楽になりたい。

 心の内にそういう感情が芽生えているのを自覚した。

 真姫はベッドに横になったまま何も言ってこない。彼女は俯いたまま、ピクリとも動かない。

 彼女も俺と同じ気持ちだろうか?

 先ほど正人の墓前で真姫が言っていたように、俺の選択で見知らぬ人が千人以上亡くなっている。それだけならまだ耐えられた。俺は薄情な人間なのかも知れない。見知らぬ千人という人数にいまいち実感が無いせいか、なんとか自分を騙してこれたけどもう限界だ。

 目の前で知っている人を、こうも立て続けに失うと、自分で自分を誤魔化すのにも限界を感じてしまう。あの時の選択を間違っていたと思う自分を押さえきれなくなってきている。

 俺には何が出来るのだろう?

 この相次ぐ知人の死は病気や災害、事故の様な偶然ではない。この仕事をしている以上、いつまでもつき纏う必然だ。それも星の使徒の出現ペースや行動の変化を考えると、仲間の死の可能性は跳ね上がっている。

「真姫」

「うん?」

 俺の問いかけに真姫のくぐもった声が帰ってくる。

「たまには帰ろうか?」

 俺はこう提案した。今は何も考えたくは無かった。

 普段はこの待機室で夜を明かしてしまう事が多く、たまに実家に帰っている状態だった。真姫は真姫で、この近くにアパートを借りて一人暮らしをしているが、俺と一緒にここに泊まることも少なくなかった。

「どっちに帰る?」

 真姫は自分のアパートか俺の実家かを尋ねているのだ。

 正直迷ったが、何も考えたくないときに二人っきりでいるのは良くない気がした。

「俺の実家にしないか? ばあちゃんが真姫にも会いたがってる。最近会ってないだろう?」

「良いねそれ。私も久しぶりに会いたいし」

 そう答える真姫の顔から、少し憑き物が落ちたような気がした。

 真姫と共に待機室を出ると、崩星対策室は暗く、閑散としていた。この部屋には窓が無いため、ほとんど真っ暗。かろうじて足元を照らすのは、うっすらと光る非常口プレートの明りだけだった。

 俺達はエレベーターで一階に降り、そのまま外へ。

 そして外に出た時、異変に気がついた。

 周囲が異常に暗いのだ。

 携帯の時計を確認すると、時刻は午後八時……おかしい。夜中だろうと煌々と光り続ける岬町の街明かり達が、すっかり息をひそめている。

 それにまだ八時。この時間に、制星教会の職員全員が帰宅なんてあり得ない。

 そもそもからして崩星対策室に誰もいないことが異常だったのだ。

「真姫……離れるなよ」

 俺は後ろにいるはずの真姫に右手を伸ばすが、いつまでたっても右手は真姫の体に触れない。

「真姫?」

 不審に思い振り返ると、そこに真姫の姿はない。

「どこ行った? 一体どうなっている?」

 俺は、自身の置かれた状況が理解できないでいた。

 この大都市、岬町が午後八時に真っ暗になるなどあり得ない。

 停電かと思ったが、さっきまで待機室で明かりがついていたので違うだろう。それに不可思議なのは明かりだけではない。

 岬町から人が消えている。真姫どころか、このビルの群れに挟まれた大通りに、人っ子一人歩いていない。

 俺以外、誰もいない。

 思い返せば制星教会のビルの中にも誰もいなかった。

「真姫ーーーー!!!」

 腹の底から声を絞り出し、愛する人の名前を叫ぶ。

 周囲に音が無いせいか、この大都市ではあり得ないことに、俺の叫び声がビルの狭間に木霊していた。

 ここは本当に岬町か?

 どこか違う町?

 それとも俺は夢を見ているのだろうか?

 遂に気が狂ってしまったのか? 否定できない。そうかもしれない。それだけの精神状態であったことには変わりないのだから……。

 俺は焦って走りだす。

 静まり返った岬町を一人走り出した。

 真姫を探して、人を探して、光を探して、音を探して、見知った街を走り続けたが、結果は芳しくなかった。

 どこまで行っても人はおらず、光も音もない。

「まるで、俺だけが取り残された気分だ……」

 散々走り続けた俺は、力尽きて冷たいアスファルトに座り込む。

 空を見上げると、ネオンの代わりだと言わんばかりに星々が強く輝いていた。

「本当に俺だけなのかもな……」

 そう呟いた俺の背後に、何者かの気配が一瞬にして現れた。

「誰だ!」

 俺はただ者ではない雰囲気にびくつきながら振り返る。

 そして唖然とする。

 振り返った先にいたのは人間などではなかった。

 その体長は二メートルと三メートルの間。頭はあるが顔はなく、当然喋りもしない。ただただ青白く、手足のようなものはあるけれど、そこまでくっきり部位が別れていない。あくまでも人型なだけな”アイツ”……人を崩壊させる張本人。

 星の使徒……振り返った俺の目の前、手を伸ばせば届く位置に奴が立っていた。

「な……なんで」

 俺はそれっきり言葉が出ない。

 恐怖で体が竦む。足が震え、心臓の鼓動が増す。冷汗がおでこを伝い、激しい頭痛がサイレンのように警告を発している。

 逃げろと脳が命じるが、体が言うことを聞かなかった。

 襲われると思っていた俺とは対照的に、星の使徒はそこから一歩たりとも動かず、触手を俺に向けて伸ばしてくる気配もない。

「なんなんだ?」

 少し落ち着いた俺はそう呟く。

 いきなり俺以外の人間が消え去った世界で、星の使徒と二人っきり……全くもって笑えない。

「ここは、そう遠くない未来だ」

 まるで俺の心の内を見透かしたように、星の使徒が言葉を発した。

 星の使徒が言葉を発する? コミュニケーションを取ろうとする? あり得ない。そんな事案は一度だって……

 そこまで考えてから思い至る。あったではないか。星の使徒が言葉を発した事案、人類で唯一星の使徒とコミュニケーションをとった事案が。

 なんてことはない。十年前、俺はコイツと会っている。実は全ての星の使徒が話しますなんてオチじゃなければ、コイツ以外の星の使徒とはコミュニケーションを取れないはずだ。

「久しぶりだな……であっているか?」

 俺は若干怯えながらも、現状の確認を行う。

「久しぶり? ああ、あっている。君達人間の感覚では”久しぶり”になるのだろうな……」

 やや遠回しな言い方だが、久しぶりであることはあっているらしい。それに「君達人間」というワードを使ってきたということは、星の使徒はやはり人間とは全く別の存在なのだろう。

「それで、ここがそう遠くない未来というのはどういう意味だ?」

 コイツが十年前のあの星の使徒だと分かって、何故だか少し安心した俺は、コイツの言葉の意味を尋ねる。そもそも俺達が今いるここは、本当に岬町なのだろうか?

「そのままの意味だ。ここはそう遠くない未来だ。全ての人間は崩壊し、星が元の状態に戻った姿。人間たちの崩壊が終了した未来だ」

「ということはここは現在ではなく、お前が俺に見せている幻覚みたいなものと思っていいのか?」

 俺はそう言って周囲をもう一度見渡す。

 さっきまでは気がつかなかったが、よくよく見てみれば、ビルや放置された車等にはツタが這っていて、アスファルトには大きな亀裂が走り、その亀裂から白い花が咲いている。まるで映画やゲームで見た終末世界そのものだ。

「半分正解。ここが、お前がさっきまで存在していた時間軸ではないという点においては正しい。ただこれは幻覚、すなわち我々が作った幻想ではない。現実の未来だ。私が未来の岬町にお前を引っ張り出した。だからこれは幻覚ではない」

 星の使徒は思った以上に饒舌だ。思えば、十年前もこれくらい喋っていたかも知れない。

「それは分かった。分かりたくはないが、お前の言ったことは理解した。じゃあ真姫はどうした? 俺と一緒にいた彼女は何処に飛ばした?」

「真姫……ああ、選択の子か。十年前、お前が世界と天秤にかけて傾けた少女か。彼女ならここにはいない。現代の時間軸にもいない。彼女は過去にいる」

 星の使徒は淡々とそう告げる。

 過去と言ったか? 過去? 真姫だけ過去に送ったのか? なんのために? それにどうして俺は未来に飛ばされた? 何が目的だ?

 俺の頭に複数のクエスチョンが浮かぶ。だいたいなんで今になって現れた? 今さら俺達に干渉してなんになる?

「順番に説明しよう。お前を未来に飛ばしたのは、現実を知ってもらうためだ。お前が十年前に下した選択によって、人類がどうなるのかを知っておいて欲しかった」

「何故だ? 俺は選択したぞ? 十年前にお前からこうなると聞かされて俺は決断した。お前だって知っているだろう?」

 何を今さらと思った。真姫と世界を天秤にかけたことなど重々承知だ。それでどれだけ俺が苦悩したと思っている? どれだけの罪悪感を抱えながら生きてきたと思っている?

「ああ知っている。だがお前はあの時、まだ子供。しっかりと選択できる判断能力があったかは疑わしい。だから、今一度お前に問おう。あの少女と世界、どっちを選ぶ?」

 星の使徒は再び俺に選択を迫る。

 究極の選択。悪魔の選択。この選択を躊躇なく選ぶ人間はきっといないだろう。だが俺はこの二択の他に、第三の選択肢を提示する。

「ずっと疑問だったんだが、どうしてその二択なんだ? どっちも助かる道はないのか? それにどうして俺と真姫なんだ?」

「どうしてあの少女なのか。お前ももう知っていると思うが、人間の細胞を結び付けているのは星の寿命だ。この星の寿命が糸の役割を担い、人間をはじめとした全ての生物は、体を維持できている」

 それは知っている。制星教会は勿論のこと、崩壊病が発生した時、世界各国の機密組織が崩壊病患者の遺体を調べてはじめて分かったことだ。

「そして生物としての複雑さから、人間にもっとも星の寿命が多く使われている。それでも昔は良かった。星の寿命のリソースは足りていた。だがもう限界だ。お前たちは増えすぎた。星のリソースを越え始めている。だから、星は泣く泣くお前たちの分解を開始した。それが崩壊病だ」

 星の使徒は、俺の質問には直接答えず、崩壊病について語った。それにしてもその物言いは気に食わない!

「随分と他人事のように話すんだな。崩壊病を発生させている実行犯はお前達だろう? そしてお前には知性がある。人を崩壊させる時、胸が痛まないのか?」

「胸が痛む? お前たちはステーキを食べる時に毎回胸を痛めるか? それと同じだ。我々は星の一部。先端だ。要するに星の手足だ。人間から星の寿命を解放するのはただの作業だ」

 星の使徒は当然のようにそう言い放った。俺は怒りを抑え、出来るだけ冷静になろうと深呼吸する。まだ真姫について何も聞き出せていない。この機会をみすみす逃すわけにはいかない。

「それは分かった。じゃあもう一度聞くが、その中でどうして真姫なんだ?」

 俺は再び質問をぶつける。なんとなく、真姫が選ばれた理由を知れれば、二択の理由も分かる気がした。

「人間にも生物にも個体差があるように、星の寿命を多く使っている人間から狙われる。それが崩壊させられた人間の理由だ。その中でもここ十数年、変異種が登場し始めた」

 変異種? 言っている意味が分からない。

「変異種といっても、それは我々側から見たらという話しだ。お前達の言うところの生物学的には、他の人間たちとの差異はない。まだほんの数人だが、生きているだけで星の寿命を吸い続ける者達が発生しはじめた。それがお前たちの世代に急に発生した。我々も想定外の事態だった。その数人は、数分もあれば人一人分の星の寿命を吸い上げてしまう。垂れ流してしまう。実際、彼らが発生しなければ、人類は崩壊しなかった」

 コイツの言うところの変異種。人間サイドからすれば全く持って普通の人間だが、星側からすると脅威となる人間というわけだ。

「しかし問題は無いかのように思われた。過剰な星の寿命は人体に毒となる。そうやって生まれてしまった子供たちは、皆幼少期に死んでしまうはずだった」

 俺はここまで聞いて、どうして真姫だけが狙われてしまうのか分かってしまった。分かりたくないけど、そこまで読めてしまった。何故真姫があの日、急に倒れてしまったのか。何故、命を吸い取り続ける人間が数人いるにも関わらず、真姫の生死が人類の崩壊を招くのか。

「それであの時の問答か」

 俺はようやく理解した。あの日倒れた真姫は、星の寿命を吸い取り続けた結果だ。放っておけば死んでしまうのも本当だった。そして死んでしまえば世界の崩壊はまだまだ先延ばしに出来ただろう。

「そうだ」

 それでは一体なぜ俺に選択権を与えた? 他の数人がどうなったかは、分かりようがないが、何故俺に選ばせた?

 星の使徒からすれば、真姫が死ねばそれで良かったはずなのに、どうして俺を試した?

「我々の中で、この個体が最初の個体だ。意味が分かるか? 変異種の発生に対応するために産み出されたのが、お前達の言葉を借りるなら”星の使徒”だ。そして他の我々は、お前があの少女を救うと決断した瞬間に発生し始めた」

 つまりコイツがオンリーワンの星の使徒……だからコミュニケーションが取れるし、知性もある。他の星の使徒はコイツの劣化コピーのようなものなのか。

「それは承知したが、どうして俺達に選択肢を与えた? なぜ選ばせた? お前たちからしたら、有無を言わさず殺してしまったほうが楽だっただろうに」

 暫しの沈黙の後、さっきまでの明瞭な回答が嘘のように、随分と迷った様子で答え始めた。

「それは…………泣いてた、から? お前が泣いてたから? 分からない。分からない。我々には分からない。それでも、初めて見たのだ。人が他人のために泣いているのを……だからかも知れない。思考に変なノイズが走ったのかも知れない。あの時のお前があまりに必死だったから……」

 そのまま星の使徒は何も言わなくなった。

 理由は俺が泣いてたから? 確かにコイツには言葉を発する知性があるが、感情なんてものがコイツにあるのか? でもさっきのコイツの言うことを信じるのなら、俺は星の使徒に同情されたということになる。

 おかしな話しだ。

 星の寿命を伸ばすために、人間を殺し始めた星の使徒に同情されるなんて……人類初ではないか? そんなに当時の俺は必死だったのか?

 分からないけれど、確認しようが無いけれど、たぶん必死だったのだろう。なにせ子供ながらに好きだった女の子だ。両親もいない俺にとって、真姫は大切な繋がりだった。それが急に倒れたら……気が狂うほど必死に助けを求めたに違いない。

「それは分かった。じゃあいい加減、俺を真姫と会わせろ。それだけ必死になって救ってもらった命だ。その彼女を俺から奪うな」

 そうだ。ここが未来だろうが、人がいなかろうがどうだっていい。ただ真姫が隣で笑ってくれてさえいればそれでいい。だからこそ今最優先されるべきは真姫の安全だ。

「彼女なら過去に行った」

「さっきも言っていたがどういう意味だ? 過去に行ったって? そんな簡単に行けるものなのか?」

 過去に行った? 

「彼女自身が望んだことだ。彼女はここ最近、精神的に疲れていた」

 真姫が望んだ? 嫌な予感がする。嫌な考えが頭をよぎる。

「ちなみにいつに戻った?」

 俺は知っている答えを星の使徒に求める。精神的に不安定になっていた彼女が過去に行く理由なんて一つしかない。信じたくない。そんなことは耐えられない。

「十年前のあの時、あの場所だ。分かっているだろう?」

 星の使徒から告げられた答えに、俺は背筋が凍る。まるで本当に体が冷たくなったと錯覚するほどに。確かにこの場所は寒い。人も電気も明かりもない。ただただ暗いだけの廃墟の街。だけどそうじゃない。この冷たさは内面から来るものだ。

「何のために?」

 俺は彼女の目的を聞き出す。

「自分が助かる過去を変えるため。分かっているだろう?」

 星の使徒はさっきと全く同じ口調で答える。

 ああ分かっている。分かっているさ。だから聞いたんだ。信じたくないから聞いたんだ!

「俺もそこに飛ばせ」

「何のために?」

 星の使徒は、さっきの俺と全く同じ役回りを演じる。

 何のためにだと? そんなの決まっているだろう!

「俺が真姫の自殺を止めるためだ。分かっているだろう?」

 今度は俺が答える番だった。

 俺の言葉を聞いた星の使徒は、一瞬躊躇したあと、触手を一気に広げる。

 どこまでも伸び続ける青白い触手達は、俺と星の使徒自身を包み込む。

「良いだろう。あの日の教室に戻してやる。その後はお前たち自身で解決しろ」

「ちょっと待て。結局、お前はどっちの方が望ましいんだ?」

 最後にそれだけ気になった。

 どうしてここまで俺達に執着する? 別に俺と真姫はどっかの物語のように、選ばれた英雄でも主人公でもない。至って普通の若者だ。星の寿命を取り戻すのが目的なら、躊躇なく真姫を殺せば良いはずだ。ついでに俺も殺したって良い。何故そうしない?

「我々には正確な回答が難しい。だが一つだけ言えることは、子供を殺したい母親が何処にいる?」

 それだけ言って、星の使徒は全身を神々しく光らせ始める。

「待ってくれ! それじゃあお前たちは一体……」

 俺の最後の質問も言い終えぬまま、光はさらに激しく輝き、俺を徐々に飲み込んでいく。

 体は動かせず、声も発せないが、意識だけはハッキリとしている。

「子供を殺したい母親が何処にいる?」か……そうだよな。そりゃそうだ。

 たぶんアイツが言いたかったのは、星の使徒が俺達の親とかそう言うんじゃなくて、星からしたら全ての生命は子供と同義なのだろう。だから俺達に選択権を与えたのか。

 他の子供達(人間)は殺しておきながら、どの口がそれを言うのか……だが初めて泣いているのを見たと言っていた。そんなはずは無いと思う。人は誰だって大切な人のためには泣くものだ。

 おそらく星の使徒という形で、初めて俺達と同じスケール感になって気づいたのだろう。人間がどれだけ必死に人のために泣き続けるか見たのだろう。それは星という単位では分からないかも知れない。

 だから初めて目の当たりにしたのだ。知っているのと体験するのとでは全く違う。この星は、初めて星の使徒という実体を持って”体験”したのだ。だからノイズが走った。だから俺達に選択させるなんていう、非効率で不確定な事をしてしまったのだ。

 俺はそう結論付けた。

 勿論これは俺の勝手な解釈だ。間違っているかも知れない。というよりどこかしらは間違っているだろう。でもそれで良い。これは完全を不完全が理解しようとした結果だ。だったら、導きだされる答えが不完全で何が悪い。



「ここは?」

 ようやく目が開けられるようになり、空を見上げると見覚えのある夕焼けが広がっていた。こうして見てみると、この夕暮れもどこかおかしい。不自然だ。自然のそれじゃない。それでも当時の記憶と一致しているということは、あの夕暮れの教室は、すでに普通の空間ではなかったのかも知れない。

「それはそうとここは……」

 俺は自由になった体を動かす。地面に横たわっていた体をゆっくりと起こす。背中には土特有の温度感がある。つまりここはアスファルトの上じゃない。

 立ち上がり周囲を観察すると、ここは公園だった。小学生の時によく遊んでいた公園。今では無くなってしまった公園だ。それが当時の姿のまま存在している。

「本当に過去なんだな……」

 俺は感傷に浸りながらも、真姫を止めるためにあの教室を目指す。

 ここから俺と真姫が通っていた小学校までは、歩いて十分程度。子供の足でそれなのだから、大人の今ならもう少し早いかな? 

 そうして今とは色々と変わってしまった街並みを眺めながら、学校に向かう。記憶の中にある景色そのままの街並みを、視線の高さだけを変えて歩く。何だか変な気分だ。

 近くに巨大なショッピングモールが出来た影響で消えていったはずの、岬商店街の入り口を横目に、古びた郵便ポストの角を曲がる。

 小学校はもう目と鼻の先。空は何かで固定されているかのように、雲一つ動かない。風も吹かず、夏のはずなのに暑さもない。そして人もいない。さっきまで俺がいた未来の岬町と同じだ。過去に送ると言っても、現実の過去ではないのだ。星の使徒は否定していたが、つまりはさっきの未来も作り物だろう。

 それでもこの空間からは、ここで何かを変えると、本当に未来が変わってしまうような印象を受けた。

「本当に懐かしいな……」

 俺は開け放たれた校門を通過し、下駄箱にやって来た。教室は確か南校舎の三階だ。

 幸い今いる場所が南校舎なので、そのまま階段を登っていく。

 ここは俺と真姫が過去をやり直せるように特別に作られた空間なのだろう。別の軸の別の過去。それでも俺と真姫が関係する部分だけは本物だ。ここでの結果が現実に反映されるに違いない。

 ここで真姫が自分を助けるという選択を当時の俺にさせなければ、まだ幼い泣き叫ぶ俺の願いを星の使徒に無視させれば、真姫という人間の時間はこの夏の教室で途絶えることになる。

 そして彼女の命を代償に世界は回る……頭では分かっている。それが正しいのだろう。人類を存続させるには、真姫が死ぬしかない。だけど俺は見ず知らずの数千、数万の命よりも、見知ったたった一人を選ぶ。

 俺はヒーローではない。映画の主人公でもなければ善人でもない。

 小汚い欲にまみれた人間だ。

 だから俺は俺のエゴを押し通す。

「だから早まるなよ!」

 俺は自然と階段を駆け上がる。息が切れ、熱くも寒くもない無機質な空気が肺を満たしていく。真姫の自殺を止める。それ以外どうでもいい。

 速度を落とさず三階まで登り切った俺は、廊下の一番奥。突き当たりの教室の前で立ち尽くす人影に声をかける。

「真姫! 戻ってこい!」

 俺はそう叫ぶ。目一杯叫ぶ。

 真姫と呼ばれた人影は、ゆっくりと振り返る。

 廊下の窓から差し込む斜陽が、恐ろしく整った彼女の顔を照らす。

 その顔は泣いているのか笑っているのか分からない。表情から感情が読めない。

「暮人? どうやってここに?」

 真姫は俺の名を口にする。

「どうやってって……たぶん真姫と同じ手段だぜ?」

 俺はあえて軽い口調で話しながら、廊下を進んでいく。焦る内心とは裏腹に、彼女を刺激しないように、普通の速度で近づいていく。方法は違えど、彼女は自殺を試みようとしている人間だ。駆け寄ったりして、プレッシャーを与えるべきではない。

「そう……あの星の使徒。絶対邪魔が入らないようにしてって言ったのに」

 真姫はうつむきながら答える。

「アイツからしたら、俺は邪魔だと思わなかったんじゃないか?」

 俺は冗談めかしてさらに距離を詰める。

 そこまで近づいて、真姫が片手を俺に向けた。

「止まって。私の話を聞いて?」

「ああ。そのつもりだ」

 俺は彼女の要求通りに止まる。ここは従うしかない。それに、ここで過去を払拭できなければ、仮にこの場を上手く収めても意味がない。あの星の使徒がいる限り、真姫が望めば再びこの空間を作り出すだろう。

「私ね、ずっと辛かったの」

 真姫はゆっくりと話し始めた。

「この半年間、暮人から本当のことを聞かされた時から、ずっと辛かった。表情には出さないようにしていたけど、やっぱり辛かった。この半年間で、ドンドン状況が悪くなっていって、崩壊病で亡くなる人も少しづつ増えていって……自分達の周囲の人達も死んでいって……暮人は私の存在を肯定してくれたけど、やっぱり心のどこかでこう思うの『私は生きてて良いのかな?』って……それがこの半年間ずっと私の頭の中をグルグルしてるの」

 真姫はただただ真っすぐに俺を見据えて語る。彼女の言葉が発せられるたびに、空間が共鳴するかのようによじれる。

「暮人も星の使徒に聞いたかもしれないけど、私って生きているだけで星の寿命を無駄に吸い続けるみたい。そんなのが今地球上に数人……それじゃあ星の寿命が足りなくなっても不思議じゃないよね?」

 やっぱり真姫も星の使徒に俺と同じ質問をしたのだろうか? それとも星の使徒が自ら説明した? どちらにせよ、ただでさえ罪悪感で死のうとしている真姫が、そんなことまで聞いてしまったらこうなるのは目に見えていただろう。それがあの星の使徒の狙いか? 選択権を俺達に委ねるということは、責任を取りたくないということだ。自ら手を下したくないという感情だ。全く持って無責任な星の”使い”だ。

「だから私は星の使徒にお願いしたの。この場所に連れていって欲しいって。たぶん暮人も見てきたと思うけど、懐かしい景色だったよね? ここまでの道のり。今はなくなってしまった商店街や公園、憶えてる? 私達何度も遊んでたんだよ?」

 語り続ける真姫は、しかし途中から涙声に変わる。

 勿論憶えている。忘れもしない。あの公園、あの商店街。子どもの頃に真姫とよく通っていた場所だ。

「その風景を見ていたら、ちょっとずつ私の決心が崩れていった。死のうと思ってここに来たのに、私はまだまだ生きたいと願ってしまった。あの公園や商店街を見ていたら、頭に子供の頃の暮人の顔と、今の暮人の顔が両方浮かんで……ずっと君の隣にいたいと思ってしまった……どう? 私って身勝手でしょ?」 

 真姫は、そう自嘲する。泣きながら笑う。自分の我儘さ加減に笑う。

 でも……どこが我儘だろうか? 

「そんなことない! 人が生きたいと願うのは当然の願望だ! 誰もそれを奪うことは許されないし、笑う権利もない!」

 俺は、もっと気の効いた言い回しは無かったのかと後悔しながら、思ったことをそのままストレートにぶつける。

「それに何度も言うが、真姫を選んだのは俺だ! 勝手に加害者面するな! 世界に対して、人類に対して加害者なのは俺だ! 俺一人だ! あの時、俺の我儘で真姫と一緒にいたいと星の使徒に願った。責められるべきは俺なんだ」

 そう。真姫が思い悩むことなどありはしない。それは俺の役目だ。俺への罰だ。だから真姫にはいつまでも俺の隣で笑っていて欲しかった。

「暮人……こっちに来て? こっちに来て中を覗いて? そこからじゃ聞こえないかもしれないけど、ずっと中で泣いてるの。まだ幼い暮人が泣いてるの」

 真姫は俺の言葉を飲み込むと俺を手招く。俺は真姫に言われた通り、ゆっくりとした足取りで歩を進める。

 真姫まで後数メートルといったところで、俺の耳に泣き声が聞こえてきた。酷く聞き覚えのある……いや、発した覚えのある声だ。この声は間違いなく俺だ。まだ八歳だった俺の泣き声だ。それが真姫の目の前の教室からここまで漏れている。

「でもこれって……」

 俺は不思議に思いながら、真姫の隣まで移動する。

 俺の記憶では、確かに泣いていたのは憶えているのだが、こんなに長いこと泣いていただろうか? 真姫が「ずっと泣いてる」と言っていたのを考えると、本当にずっと泣き続けていることになる。

「見てみて」

 真姫はうっすらと涙を流しながら俺を促す。

 彼女に促されるがまま教室の窓からそっと中を覗くと、俺の全身に鳥肌が立つ。身震いする。目を見開く。

「ああ、そうだ。これだ。この風景だ……」

 俺は一人、誰に言うでもなく口にする。

 それは窓から夕日が差し込む教室。真姫がぐったりとして机に体を預け、どうしたらいいか分からなくて、途方に暮れて泣き続けている俺。そうだ。この景色だ。

 俺は今まで以上に鮮明に思い出す。今思い返せば、確かに異常だった。教室が歪んでいたようにも思える。とにかくいつもの教室では無かったことは記憶している。そんな過去の記憶と照らし合わせながら、目の前の幼い俺達を見る。

 何もかもが分からない状況で、俺は泣き続けていた。

 その泣き声は悲痛で、苦悩に満ち溢れていた。こうして客観的にみると、どうにかしてあげたくなる必死さだ。

「私はここに来る途中でさえ決心が揺らいでいたけど、それでも死のうと考えていたのよ?」

 俺と同じく隣で教室内を眺める真姫が語りだした。
「でもあの声を聞いてしまったら無理だった。耐えられなかった。あんなに泣き叫ぶ暮人を見たのは初めてだったから……あの時私は意識がなかったから知らなかったけど、私のためにあんなに泣いてくれたんだ、あんなに泣かしてしまったんだと思ったら、中々このドアを開けれなくて……あまりにもこの幼い暮人が気の毒で、可哀想で、あの子から当時の私を奪う、それも今の私が奪う権利があるのかなって。そう考えていたら、今の君が来ちゃったの」

 そう言って俺を見つめる真姫の表情は柔らかかった。

「たぶんあの子、私が意を決して扉を開けるまでずっとあのままよ。ここはそういう空間だと思うから」

 確かに彼女の言う通り、俺もこれほど長い間泣いていた記憶はない。ここはあくまで、俺と真姫が選択をやり直せるように仕組まれた場所なのだろう。

 ドアの向こうでは、ずっとあの日のシーンが繰り返されている。真姫は倒れ、俺は泣き叫ぶ。そろそろ終わらせてあげたくなる。

「私決めたから」

 真姫は覚悟を決めた顔で、俺を見据える。

「どっちに決めた?」

 俺は不安ながらも確認する。

「私は死なない。絶対に生きて、暮人と共に生きていきたい」

 そう宣言した彼女の動きを真似て、教室のドアに手をかける。

「準備は良い?」

「勿論!」

「「いっせーの!!」」

 俺達は同時にドアを開ける。

 まるで子供のころに戻ったかのように、無邪気に、それでいて強い覚悟を決めて。

 俺達が教室のドアを開け、中に入ると同時に当時の俺は泣き止んで俺達をジッと見つめる。

「なっ!?」

 俺は予想外の動きに動揺した。どうせ中に入っても、壊れたビデオテープのように同じシーンを繰り返すだけだと思っていたから……まさか幼い俺が泣き止んで、あまつさえこっちを凝視してくるとは思わなかった。

「もう決まったの?」

 子供の俺は真っすぐな瞳を俺達に向ける。

「え?」

 真姫もうろたえる。

「お姉さんが死ぬのか生きるのか、もう決まったの?」

 子供の俺は再び尋ねてくる。物凄く純粋な瞳で、物凄く残酷な二択を迫ってくる。これもアイツの演出か?

「ええ、私は決めた。私は生きる。他の要因で死ぬことはあるのかも知れないけれど、今この瞬間には死んでやれない。私は暮人を残して先に死ねない。こんなにも私のために泣いてくれる人を残して死ねない」

 真姫は堂々とした態度で、高らかにそう宣言した。

「それって生きる理由を他人に求めるってこと?」

 子供の俺がさらに謎を重ねる。しかしあまりにも当時の俺とかけ離れている。子供が口にするような台詞じゃない。

「そうよ。何か悪い? 人間なんてそんなもんよ? 私達に夢を見すぎじゃない?」

 真姫はやや突き放すように答える。

「お兄さんはそれでいいの?」

 最後の確認だとでも言いたげな表情で、俺を指さす。

 俺がそれで納得するかって? 何を今さら……

「当たり前だ。俺だって真姫を生きる理由にしている。真姫を選んだ瞬間から、俺は真姫のために生きているようなもんだ。人間は共依存の生き物だ。お前には分かりにくかったか? お前がその形状になってからおよそ十年。人という単位で見たら、俺達の方が先輩なんだぜ? だからいい加減、この悪趣味な子芝居を終わらせろ」

 俺はそう言って、子供の俺の姿をしている星の使徒を指さす。

 指をさされた少年は、一度口角を上げると、そのまま体がぐにゃりと歪み、見覚えのある星の使徒本来の姿に戻っていた。

「お前たちの選択は変わらないのだな? 良いのか? 本当に世界は崩壊するぞ?」

 正体を現した星の使徒は、脅しともとれる発言を繰り返す。そんなに死んでほしいのなら、問答無用で俺達を消せば良いだろうに……だけどそれは出来ないと吐かすのだ。

 一体どっちが我儘なんだ?

「ああ構わない。最初から俺の意志は決まっていた。今回は真姫の意志を確かめたかったんだろう?」

 俺は隣にいる真姫の手をそっと握り、綺麗な横顔を見つめる。途中で俺の視線に気がついた真姫と目が合う。どこまでも透き通るような真姫の瞳に、吸い込まれそうと錯覚した。

「それと気になっていたことがあるんだけど」

「なんだ?」

 真姫の意外なタイミングでの疑問に、星の使徒もやや驚いているように感じた。コイツにも驚くなんて感情があるんだな。

「本当に世界が崩壊するの?」

 真姫の質問はシンプルでもっとも的を得ていた。

 実際、世界が崩壊すると言われてもざっくりとし過ぎていて、いまいちピンとこない。

「お前たちにはそれぞれ、未来の岬町を見せたはずだが?」

 確かに見た。見させられた。だが、あれが現実にやって来るのかなんとも疑わしい。

「見たよ。見たけど、いきなりあれだけ見させられたって、唐突過ぎて……もしも私がここで死を選択したら、本当に世界は助かったの?」

 俺はまさか真姫がそれを聞くとは思わなかった。世界を犠牲にしてでも生きると決断した彼女からしたら、もっとも避けたい話のはずなのに。それでも彼女は聞き出そうとしている。

「世界が完全に助かるという保証はない。前にも言った通り、お前以外にも何人か、星の寿命を吸い続けている人間がいる。そいつら次第だ」

「それは後何人残っているの?」

 真姫はこの際に全てをハッキリさせようとしているのか、ガンガン質問を繰り出す。

「分からない。しかしお前を入れてもあと数人程度だろう。けれどまもなく死を選ぶはずだ」

「どういうこと?」

 俺は嫌な予感がした。おそらく今目の前にいる星の使徒が、一番古い使徒。最初の星の使徒だというのは間違いない。そして初めて等身大の俺達を目の当たりにして、俺達に選択肢を与えてしまった。

 そして後の変異種にも同じような境遇を用意し、試しているとしたら? 星の使徒が、地球が、人類というものを試しているとしたら? この崩壊病騒ぎで、人間たちがどういう動きをするのかを観察しようとしているとしたら?

「簡単な話しだ。お前たちと似たような境遇を用意し、選択させている。他の個体からの連絡待ちだが、おおよそ死を選ぶだろうと思われる。自殺するだろうと」

 やっぱりそうだ。コイツは俺達人類を試していやがる。

「もしも他の変異種が死んだ場合は、どうなる?」

「それでも崩壊病は無くならない。前にも言ったが、人類は急速に数を増やしすぎた。その数の修正は行わなければならない。だが、もしも仮に他の変異種が死んで、そこの少女が生き残ることを選んだ場合、世界は崩壊しない。だが、緩やかに一億人程には崩壊してもらう」

 星の使徒は無遠慮に、簡単にそう吐き捨てた。

 一億人? 一億人と言ったか? 嘘だろ? 日本の人口とそんなに変わらないぞ?

 それだけの数が犠牲になるというのか?

「じゃあ絶対にさせないが、真姫も死を選んだ場合はどうなる?」

 俺は一応の可能性を聞き出す。さっきから微動だにしない星の使徒に尋ねる。

「その場合であれば、今の人口の増え方が変わらなければおよそ一万人程で済む」

 それでも一万人。この崩壊病という悲劇が、あと一万回は繰り返されるということか。
 
「以上を踏まえてもう一度聞くぞ? 本当に死ななくて良いのか?」

「お前!」

 俺は頭に血が昇り、星の使徒に殴りかかりそうになるが、握っていた手を真姫に強く引かれる。

「いいの暮人」

「でも!」

「いい。私は平気……」

 そう言って真姫は深呼吸をする。

 真姫は良いと言ったが、コイツ……「死ななくて良いのか?」だと!? ふざけるなよ! 人をなんだと思っていやがる! やっぱりコイツは星の使徒だ。いくら話せるからって、コミュニケーションを取れるからって関係ない!

「答えるわ。私は死なない。例え一億人を犠牲にしようとも、私は生きる。生きて暮人の横にずっと居続ける。もう何度問われたって変わらない!」

 星の使徒は真姫の答えを聞いた後、しばしの沈黙の後、触手を左右に広げ始める。

「分かった。お前達にはもう尋ねない。選択させない。我々はある意味子供たちであるお前達の意見を尊重する」

 そう言って伸ばした触手で、左右から俺達を囲っていった。
 再び青白い光の中、体が宙に浮いたような感覚の後、俺は足裏に固いアスファルトの感触を得た。

 俺達を囲っていた触手が光の粒となって消えていき、視界を取り戻して目を開ける。

 そこは制星教会本部目の前にある、歩道のど真ん中だった。

 だが何かがおかしい。確か俺達が制星教会のビルから出たのは夜だったはず。なのに空は青く晴れ渡っている。

「一体どうなってる? 元の時間に戻ったわけじゃないのか?」

「見て!」

 真姫はうろたえる俺に携帯を見せる。

 そこには十二月二十四日の午前十時と表示されている。そんなはずは無い。俺達が正人の墓に行ったのは十二月二十日。そしてその日の夜にビルを出たはずだ。

「これも何か意味があることなのか?」

 俺はあの星の使徒がわざと戻す時間を変えたのではと内心疑う。何となくだがミスをするようには思えなかった。

「どうなのかな? でもとりあえず一回桐ヶ谷さんに……」

 振り返ってビルの方を向いた真姫は、そう言いかけて黙ってしまった。

 俺も振り返ると、真姫の視線の先にはその桐ヶ谷本人が立っていた。それも仁王立ちで。

「お前達、ここにもう一度戻ってくるとは大した度胸だな!」

 桐ヶ谷は明らかに怒っている。それに今何て言った? まるでこの場所に戻ってくること自体がおかしいみたいではないか。

「すみません。話が見えないのですが……」

 俺は酷く困惑する。桐ヶ谷が俺達に向ける眼差しは、犯罪者に向けるそれだった。

「荒木から聞いたぞ? お前達が我々に隠していることを!」

 ああそうか。そういうことか。荒木の奴、話したのか。まあ話すよな。話せば自分の友人二人が死んだのは、俺達のせいだと言えるから。だが、そう易々と認めるわけにはいかない。俺が何のために隠してきたと思っている!

「荒木さんが言ったことをそのまま信じたのですか? あんな荒唐無稽な話を? あれは作り話で……」

「黙れ! 下手な言い逃れは許さん! あんな作り話を正人の墓前でするような奴ではないだろお前は! それにもう一度小西真姫の血液サンプルを検査し直したら、驚くべきことが分かった」

 俺は額から汗が流れているのを感じる。十二月の冬の外気が、汗で濡れた額を冷たく拭う。

「血液だけの状態であっても、小西真姫の血液は命の寿命を吸い取り続けていることが判明した。これは今までにない発見だ。この結果から、お前達の過去の選択の話の信憑性が増したわけだ。加えてお前達はここ数日間、音信不通だった。もしも本当にお前のほら話なら、逃げ出す必要などないだろ」

 痛いところをついてくる。それにしても血液だけになっても星の寿命を吸い続けるとはな……大した生命力だ。しかしどうする? 星の使徒が戻す時間を変えたことで、話が悪い方向に進んでいる。

「いや、逃げてなんて……」

 逃げてないなんて言えるか? 状況的にはどう言い繕ったところで無理がある「星の使徒に過去に飛ばされてました」なんて言おうもんなら、余計ややこしくなるし、それこそ十年前のあの日が本当だったと宣言しているようなものだ。


 こうなったら……

「逃げるぞ!」

「うん!」

 俺は隣に立つ真姫の手を握って走りだす。

 俺達が振り返って走り出した瞬間、一歩先の地面に銃弾が突き刺さる。

「なっ!?」

 驚いて振り返るが、桐ヶ谷は銃をもってはいない。じゃあ一体誰が? 確かに銃弾の角度からして、同じ高さに立っている桐ヶ谷が撃ったわけではなさそうだ。もっと高いところからだ。

「逃がさねえよ」


 声のする方に視線を向けると、すぐそばの歩道橋の上に荒木が立っていた。墓地で話をした時よりも目が血走り、クマが濃くなっている。顔も青白く、体はやせ細っている。

「なんでここに!」

「なんでってか? そんなもんお前達を逃がさないためさ! もう俺には何も残ってやしないんだから……」

 荒木は明らかに正気を失っている。一体この数日間に何があった?

「お前達は知らないだろうな~先日沙也加も逝ったよ。それはもう綺麗に崩壊しちまった……ヒデェだろう? あっという間だったぜ? キャハハハ!!!」

 姫路も犠牲に? だからより一層おかしくなったのか?

「だからよ~お前達が原因なんだろう? いや、正確に言えば真実なんてどっちでも良いんだよ……ただ俺がそう信じてるだけなんだぜ? だからさ、正人や星野、それに沙也加の仇を撃たなきゃと思ったんだよな~だから俺は今、ここに立っている!!」

 大声で喚く荒木に目を向けていると、道行く一般人達が集まってきていた。

 時間帯的には人がそんなに多く出歩いている時間では無いのだが、あれだけ天下の往来で騒げば目立つのは当たり前だ。

「事実かどうかは我々が判断することだ。そして、我々制星教会は事実と認定した」

 桐ヶ谷が荒木に代わって説明をする。

 冗談じゃない。捕まったら何をさせるか分かったもんじゃない。しかし逃げようにも荒木がずっと拳銃でこっちを狙っている。

「おっと動くなよ~殺しちまうぞ?」

 荒木は一瞬動いた俺に照準をあわせる。

「そのまま撃ったら真姫にも当たるかもしれないぞ?」

「構わないさ。俺は確かにその女を気に入ってはいたが、手に入らないならもうどうでもいい!!」

 それを聞いた真姫は、明らかな侮蔑の色を浮かべている。

 手に入らなければどうでもいい? コイツが今狂っているせいなのか、それとも元々そういう精神性なのか? 人として大切な何かが欠落してしまっている。

「もうそこまでだ! 逃げられると思うな!」

 桐ヶ谷がそう宣言すると、警棒を持った男十数人が俺達の周囲を取り囲んでいた。皆警察官の格好をしてはいるが、全員制星教会の者達だろう。

 周囲の人だかりも、警察が出てきたことで散って行った。

「どけ!」

 俺は男達が、荒木の銃口から俺達を隠していることに気づき、走りだす。一度加速してしまえば、正確に拳銃で射貫くのは難しい。

 そう思い、一点突破を試みる。一人を足蹴にし、二人目を突き飛ばしたタイミングで頭部に衝撃が走る。

 遠ざかる意識の中振り返ると、左右から迫ってきた男達が警棒を振りかざしていた。

 そしてそれらは容赦なく俺の体に撃ち込まれていく。しかし徐々に痛みを感じなくなっていく。それと同時に意識も手放してしまった。

 目を覚ますと、俺はうつぶせに倒れていた。眼前には、冷たくひんやりとした白い床が広がっていて、見慣れたその床が、ここが制星教会の本部ビルだと知らせてくれている。そしてこの部屋は制星教会の本部ビルの十三階。所属メンバーからは謹慎部屋と呼ばれている部屋だ。

 俺は痛んだ体をゆっくりと起こして部屋を観察する。

 この謹慎部屋は、木製の椅子が一脚だけ中央に設置されている以外に何も無い部屋だ。当然窓もなく、照明もLEDの白い明かりのみで、壁も床同様に真っ白で統一されている。この部屋の存在は、先輩達から聞かされてはいたが、入るのは初めてだった。

「痛たた……」

 俺はゆっくりと立ち上がり、重い体を引き摺りながらなんとか唯一の家具に座る。長らく使われていないのか、椅子が軋む。

 そして曖昧だった意識が戻ってきたころ、真姫がいないことに気がついた。焦った俺は立ち上がり、のろのろと出口である真っ白なドアに近づき、ドアノブを捻る。しかし鍵がかかっているせいかビクともしない。

「クソ!」

 俺は怒りに身を任せてドアを激しくノックする。

 あの時どうしていれば正解だった?

 先ほどの場面に思いを馳せる……星の使徒によって現代に戻され、桐ヶ谷に見つかり、荒木に拳銃で牽制され、その後は警棒を持った男達に囲まれた。ダメだ。見つかった時点で手の打ちようがない。

 逃げるべきだったんだ……現代に戻って、場所が制星教会の目の前だと分かった時点で。荒木に俺達の過去についての話を聞かれ、その荒木が墓地から出ていく際の意味深な言葉「そうかそうか……お前はそういう態度なんだな」この言葉の意味をもっと考えるべきだったんだ。

 荒木は先日亡くなった姫路も含めて、近しい人間がここ半年間で三人も星の使徒に殺られている。そんな状態で俺達の話を聞けば、当然制星教会に報告するだろう。しかも以前、真姫にきつめに拒絶されている。そんな真姫と一緒にいる俺を良く思っていない。

「正人が言っていた意味がよく分かった」

 俺は真っ白に閉じられた部屋の中、一人そう呟いた。

 以前正人に十年前の話をした時、彼はひどく驚いていたが、それ以上に制星教会の連中には絶対に話すなと言っていた。きっとこうなることが分かっていたのだろう。もしかしたら俺が正人に話をした時よりも、状況が悪化することも想定していたのかもしれない。

 星の寿命のことを知っている制星教会にとって、真姫は好奇心と救いの可能性であると同時に、絶対に殺さなければならない存在だ。対して俺も、人類で最初に星の使徒と遭遇し、あまつさえ会話をした人間。コミュニケーションが取れないとされていた星の使徒と会話をし、その上で人類よりも一人の女の子を選んだ重罪人。どっちもが研究対象であり、処刑対象だった。

「こうなる未来もあったのか」

 俺は力なく真っ白なドアに背中を預ける。この部屋から出られる気がしなかった。

 それに真姫は大丈夫だろうか? 一体どこに連れて行かれた? もしかしたらもうすでに……

 頭の中を嫌な妄想が渦巻く。まだ妄想の域を出ないが、実際に行われる可能性が高い妄想だ。真姫を殺した後、彼女の体を余すことなく調べ上げ、崩壊病に対抗するアンサーを見つけるか? それか俺達の話を鵜呑みにして、真姫さえ死ねば崩壊病を無くせると思うのか。

 だが実際は、あの星の使徒の言うことを信じるのならば、真姫が仮に今死んだところで崩壊病は無くならない。本当に真姫を含む変異種が全て死んだ場合でも、崩壊病で後一万人は死ぬ。それだけは変わらないのだ。

「ちょっと離して!」

 俺が自身の頭の中の妄想を振り払っていると、ドアの外で愛しい声が聞こえる。それは紛れもなく真姫の声で、まだ殺されてはいないのだと安心した。

「大人しくしてろ! 会わせてやるから!」

 真姫に対して言っているであろう台詞を吐く声は、聞き覚えがない男性の声だ。しかも結構年配の……。この制星教会にそんな高齢のスタッフなんていたか? 今まで見た記憶がない。

 そんな思案をしていると、複数人の足音が俺が背を預けているドアの前で立ち止まる。

 俺は急いでドアから離れ、今にも開けられそうなドアを凝視する。すると勢い良くドアが開けられ、一人の少女が中に飛びこんでくる。

「暮人! 大丈夫?」

 部屋に飛び込んできた真姫は、両手を一杯に広げて俺の体を優しく包み込む。

「大丈夫、大丈夫だから一旦離れて」

 俺は嬉しい気持ちとその反面、真姫の背中越しに目に入った、見覚えのある男の顔に意識を向ける。彼の顔は良く知っている。実際に話すのは初めてだが、この制星教会に所属している者なら誰でも知っている。

 彼はこの制星教会の会長、星野厳正。先日亡くなった制星教会のメンバーの一人、荒木の友人であった、星野さんの実の父親にあたる人物だ。

「こうして面と向かって話すのは初めてだね? 知ってはいると思うが念のため……私は制星教会岬町支部会長、星野厳正。世界中の研究機関と協力し、崩壊病を食い止めるためにはなんでもやると覚悟している者だ」

 最後の「なんでもやる者」というのが、今一番俺達に伝えたい事なのだろう。暗に崩壊病の為に死んでくれと言っているのだ。

「俺達を捕らえてどうするつもりですか?」

 俺は一応尋ねる。

「そんなもの、君達が一番分かっているのではないのか?」

 星野厳正は、その目つきをより鋭くさせる。その鋭い視線は、俺と真姫を交互に貫く。

「俺達を殺すと?」

「不本意ながら」

 何が不本意だ。自分の息子までが崩壊病で亡くしたこの男が、不本意な訳がない。俺が真姫ではなく世界を選んでいれば、崩壊病は発生せず、彼の息子が死ぬことは無かったのだから。

「ただ殺すのか?」

「いや、麻酔で眠らした後、散々その不思議な体質を調べ上げてから処分する。解剖するのは、星の寿命を吸い続けているそこの小娘だけではなく、錦暮人君、君もだ。何故君が星の使徒とコミュニケーションを取れていたのか、それも気になっているからね」

 星野厳正はそう言って、残忍な笑顔を浮かべる。子を失った親が狂ったというよりも、マッドサイエンティストの顔だ。コイツにとって息子の死など、ただの体のいい動機づけなのだろう。

「断ると言ったら?」

 俺は一応の抵抗を試みる。ただやられるわけにはいかない。

「選択権が君にあるとでも? 今この瞬間にも世界のどこかで、崩壊病で亡くなっている人がいるんだ。それも君達の愚かな選択によって……分かるかね? 君達の選択の重さを、君達はキチンと計れているのか?」

 星野厳正は如何にも正論だとでも言いたげに、ご高説を垂れる。

 俺達の選択の重さ? どの口が言っている? 誰に向かって言っている? 

「選択の重さ……?」

 俺はゆっくりと立ち上がる。

「暮人?」

 真姫は急に立ち上がった俺を不安そうに見つめている。

「今、選択の重さと言ったか? 一体誰に向かってその言葉を吐いている? 俺がどんな思いで十年間過ごしてきたと思っている?」

「そんなこと知るわけ……」

 星野厳正は言い淀む。それだけ俺の顔が恐ろしかったのだろう。歪んでいたのだろう。

「だったら黙ってろよ。一体誰に向かって選択の重さを説くつもりだ? お前はしたことがあるのか? 世界で一番大切な存在と世界を天秤にかけられたことが、お前にあるのか? 仮にあったとして、お前はその選択の重さとやらをキチンと認識出来ていたか?」


 俺は自身が、冷静とはほど遠い状態であることを理解していた。

 体が熱い。血が湧き上がる。喉が渇く。全身がこわばり、少しふらつく感覚。ここまで怒りを覚えたのは初めてかもしれない。まさかあの日の選択をこんな奴にどうこう言われるとは思わなかった。

 他の制星教会のメンバーに言われるならまだ良い。良いというより、仕方がない。彼らは俺の選択の結果、前線で体を張り続けているのだから。

 だがコイツは違う。星野厳正は違う。一度も前線に顔を出さず、指示すら出さない。それらの管理は全て桐ヶ谷に押し付け、自身は安全なところでブクブクと私腹を肥やしていただけの男だ。こんな奴に選択の重さを説かれるとは思いもしなかった。

「前線で戦うわけでもなく、その選択の当事者ですらないお前が、選択の重さを語る資格は無い! その資格があるのは崩壊病の被害者と、一緒に戦っている制星教会のメンバーと真姫だけだ! 断じてお前ではない!」

 俺はそれだけ言い終えると、肩で息をする。全身に無駄な力が入っていたせいで、ただでさえ痛んでいる体はさらにボロボロだった。関節という関節が軋むように痛い。

「暮人大丈夫?」

 真姫は俺を案じながら、その視線は厳正に向けられている。

「暮人君。君の言いたいことはそれだけか? 確かに私は現場で戦っているわけではないし、選択の当事者でもない。だが君達をここで殺さないで、どうやってこの状況を収めるつもりだ? 我々には情報が必要だ。君達のような特殊なケースは確実に調べなければならない!」

 厳正は再びあの残忍な笑顔を浮かべる。

 おそらくコイツは、崩壊病などどうでも良いのではないだろうか。そう思えた。

 下手したら崩壊病で死んだ自身の息子さえも、研究材料程度にしか思っていないのかも知れない。彼自身の知識欲を満たすための道具としてしか、俺達を見ていない気がする。

「アンタの主張は分かったが、こっちもこっちで主張を変える気はない。俺達は生き延びるし、お前達に体を好き勝手弄られるつもりも毛頭ない。俺は自分の選択の重さを理解している。理解しているからこそ、ここでその選択を変えることはできない。ここで変えるのは、関わった全ての人に対する侮辱だと俺は思うから」

 自身の選択で多くの人の運命が捩じれた。狂った。それは分かっている。だが、今になってその選択を後悔し、方針を変えることは出来ない。今までに死んでいった者達はもう帰ってこない。だったらせめて、貫き通すべきだ。自分が選んだ道で罪を背負うべきだ。ここでそれらを投げうってしまうのはあまりに無責任だ。

「俺のこの考えを偽善だと思うなら好きに罵ればいい。だが亡くなっていった多くの者達は戻ってこないし、俺達は生き延びる。何人の人を犠牲にしてでも俺は真姫を選ぶ。俺達はお互いを選ぶ」

「なんだそれは。とんだ我儘ではないか! 自分達さえ良ければ後はどうでもいいと?」

「どうでも良いとは思っていない。俺はただ、見知らぬ数千より見知った一人を選んだまでのこと。アンタがここで私腹を肥やしている間にも、世界中で餓死している人間は大勢いる。それと何が違う? 俺達はこの両手が届く範囲の人間しか救えない。だから俺は選んだ。それだけのことだ」

 俺は自身の中に蠢いていた思想を全て吐き出した。周囲からすれば言っていることが滅茶苦茶なのは分かっている。とんだ悪人にも見えるだろう。だがそれでいい。もともと善人である自覚はない。

「屁理屈をこねるな! 現実を見ろ! 今お前達を犠牲にしないというのなら、対案を出せ!」

 星野厳正は強い口調で命令する。

 屁理屈か……確かにそうかもしれない。だけどそれがどうした。これは正解不正解の話ではない。答えは無い。これは選択の問題だ。

「屁理屈と言うのなら好きにするがいい。俺の言葉は確かに屁理屈だろう。無責任だろう。だが、お前こそ責任という言葉に逃げるな! 安易に結論を下そうとするな! 対案? そんなものがあるわけが無いだろう? 相手は人間ではない。星が相手なんだ。俺達が出来ることなど限られている! 一つの案がダメなら次の案を。対案を出すべきはアンタだ! 別の案を出して次の道を提示するのが、お前達施政者の仕事だろ!」

 俺は頭に血が昇り、滅茶苦茶なことを口にする。対案を出せと相手に責任転嫁までしている。だけど仕方ないだろう? それだけこっちは必死なんだ。こんなところで最愛の人を亡くしてたまるか!

「生意気な小僧だ! ならいっそ力づくでも……」

 星野厳正がそう言って拳銃を真姫に向けた。その瞬間、この真っ白な謹慎部屋の中央、俺達と厳正の間の空間が青白く歪んでいく。見覚えのある光景。まさかこのタイミングでこの場所に出現する気か?

「人間同士醜いな」

 そんな台詞とともに現れたのは星の使徒。それも話せる個体。十年前に俺達に選択権を与えた個体だ。

「なっ!? なぜここに……」

 星野厳正は突如現れた敵に対して言葉を失う。その声は震え、手に持っている拳銃を構えることすら忘れてしまっている。

「それに……言葉を介するだと?」

 固まった厳正がやっと絞りだした言葉はそんなものだった。そうだろうな。コミュニケーションが取れる星の使徒など驚きでしかないだろうな。

「我々の中でもこの個体くらいだ。話すのは。それよりもさっきから聞いていれば、醜い争いだな。人間同士で。星が泣いているぞ?」

 星の使徒は前に会った時よりも若干饒舌になっている。よっぽど厳正の言葉が気に食わなかったのだろうか? 星の使徒はそのまま厳正の方を向き、威嚇のつもりか触手を構えた。

「お前達人間は増えすぎた。そこの娘が死んだところで星の寿命を少しばかり伸ばす程度。大差ない。どのみちお前達は崩壊するしかない」

 星の使徒は残酷な結末を告げる。

 人類が完全に絶滅することは無い。それは俺達も、おそらく制星教会だって分かっていることだ。しかし、人類の崩壊という言葉は重すぎた。人が崩れていくというのは衝撃的過ぎたのだ。確かに人類は生き残るだろう。だがその数を減らしてだ。それを人類が滅ぶといえるのかどうかという話だ。

「何を他人事のように! もとはと言えばお前達が……」

 驚きのあまり固まっていた厳正は、再び拳銃を構える。

「いや違う。お前達が増えすぎたために行われている、星の救済処置だ。このまま人類が増え続け、星の寿命を消費し続けてしまえば、確実に星が”枯れる”枯渇する。そうなればいよいよ終わりだ。お前達の言うところの崩壊病は、星がお前達を救うための処置だ。これはそういう規模の話しだ。この娘一人殺したところで、大勢に変わりない」

 星の使徒は、さんざん真姫に死ぬように仕向けていた癖に、ここにきて大した意味が無いと告げる。

 意図が読めない。コイツも最終的な選択は俺達に託してはいたが、どちらかというと真姫に死んでほしかったのではないのか?

「し、しかし……」

 厳正はそのまま言葉を失う。

「それにこの少年達は、我々が選択を与えた子らだ。お前の一存で殺すなど許さん。それは星の意志に反する。我々は人という種族の選択の果てが見たいのだ。そのための崩壊病。そのための救済措置だ。それを忘れるな!」

 星の使徒はそれだけ言い終えると、徐々にその存在を崩していき、やがて塵となってこの真っ白い空間から姿を消した。