そこは輸入の陶磁器を販売する小売店である。店頭にあるガラスのショーケースには、美しいカップとソーサーが並べられていた。

「前にリオニーへ紅茶を振る舞ったとき、カップを褒めていたんだ。きっと、贈ったら喜んでくれるに違いない」

 たしかに、カップならば大いに興味がある。それにヴァイグブルグ伯爵家には私専用のカップなんてない。さらに、実家のカップは半世紀前に購入した品々で、年季と茶渋が入りまくりだった。
 カップは宝飾品ほど高価でないものの、値段はそこそこする。アドルフが人気が高い窯元の品を選ばなければいいが……。

「リオル、どう思う?」
「姉上は絶対に喜ぶ」
「そうか! よかった」

 店内に入ると、茶器がずらりと並べられている。さまざまな柄や形状があり、同じ商品はふたつとしてないように思えた。
 入店してすぐに、店主と思われる品のよい初老の男性が迎えてくれた。

「いらっしゃいませ。どうぞごゆっくりご覧ください」

 アドルフが頷くと、店主は店の奥に消えていった。
 まずは店員の目がない状態で、商品を見せてくれるのだろう。賛否はあるだろうが、個人的にはいい店だと思ってしまう。

「リオル、リオニーが好きな花を知っているか?」
「フリージア」

 無意識に答えたあと、ハッと口を閉ざす。
 好きな花なんて、リオルが知るわけがない。そもそも、私に好きな花なんてなかったはずだ。それなのになぜ? と考えたところで、気付いてしまった。
 フリージアはアドルフとの最初の面会で、貰った花である。それが印象的だったのだろう。
 今思い返すと、とても美しい花束だった。
 突然アドルフとの婚約を言い渡され、戸惑いの気持ちが大きかったのだが、初めてもらった花束だったので、記憶に残っていたのだろう。

「フリージア? リオニーはフリージアが好きなのか?」
「あ、いや、前にフリージアの花束を、大事そうに持ち帰ってきたから」

 これくらいの情報ならば、リオルが知っていてもおかしくないだろう。とっさによくでてきたものだと、自分を褒めたい。

「そうか。リオニーはフリージアが好きだったのか。実は以前、リオニーにフリージアの花束を贈ったことがあったんだ」
「どうしてフリージアだったの?」

 薔薇のような華やかさはなく、花束の引き立て役を担うような花だ。フリージアだけの花束、というのは珍しいだろう。

「フリージアの花言葉は、〝無邪気〟。当時のリオニーのイメージだったんだ」

 夜会で輝跡の魔法を目にし、はしゃいでいる私がそう見えたのだろう。
 社交界デビュー当時の私は、子どもだったのだ。今思うと、人の目があるかもしれない場所で奔放な振る舞いをするなんてありえないだろう。
 それにしても、アドルフがフリージアの花言葉について知っていたなんて思いもしなかった。婚約者に竜の胸飾りを贈るくらいのセンスの持ち主だったから。
 
「だったら、フリージアのカップを探してみよう」

 目を皿のようにしつつ、フリージアのカップを探す。しかしながら――。

「リオル、あったぞ」
「それはフリージアではなくて、〝スパラキス〟だから」
「フリージアにしか見えない」
「ちょっと違うよ」

 思いのほか、フリージアに似た花のカップが置かれていた。
 十五分ほど捜索したが、キリがないと思ったのだろう。アドルフは店主を呼ぶ。

「すまない。フリージアのカップ一式はあるだろうか?」
「はい、ございます」

 店主はテキパキとした動きで、ショーケースの上にカップを並べていく。
 思いのほか、フリージアが描かれたカップを取り扱っているようだ。
 中には、一度見たところから運ばれてくる。どうやら見落としていたようだ。

「こちらの五つが、フリージアが描かれた物になります」
「なるほど」

 どのカップも、美しく描かれている。甲乙つけがたい。

「迷うな。いっそのこと、全部買ってしまおうか」
「アドルフ、姉上はそんなにいらないと思う」
「うーむ、やはりそうか」

 この中からひとつだけ選んでくれ、と心の中で願った。

「店主よ、これらのカップはどう違う?」

 アドルフがそう尋ねると、店主の瞳がよくぞ聞いてくれたとばかりにキラリと輝いた。

「こちらにございます四つのカップは〝軟質(なんしつ)磁器(じき)〟と申しまして、白土、石膏、水晶などのさまざまな素材を混ぜ、焼き物としては低温で仕上げた物となっております。異国の地でしか作れなかった磁器に憧れた貴族が錬金術師に作らせた物でして、軟質磁器の多くは貴族の趣味やこだわりを取り入れているため、大変美しい仕上がりになっているようです」
「たしかに、四つのカップに描かれたフリージアは華やかで、パッと見て目を引くな」
「ええ、ええ、そうでしょう?」

 なんだか錬金術の授業を聞いているような気分になってしまう。店主の雰囲気が、少しローター先生に似ているからかもしれない。
 国内で多く流通している磁器の多くが、この軟質磁器らしい。錬金術師が作った物だとは知らなかった。

「そしてこちらにございますカップは、〝硬質(こうしつ)磁器〟と申しまして、カオリン、長石、白色粘土が混ざった素地(きじ)を高温で焼き上げた物になります」

 硬質磁器の作り方はいまだに解明されておらず、現在も輸入でしか入手できないらしい。大変人気で、入荷してすぐに好事家が買ってしまうようだ。
 フリージアはカップの意匠としてはいささか地味なものだから、今日まで売れ残っていたのだろう。

「硬質磁器はなんといっても、真珠のような美しい照りが特徴です。さらに、指先で弾くと、金属のような美しい音が鳴ります」

 言われてみたら、確かに軟質磁器とは見た目が異なるように思える。手に持ったときも、軽く感じた。

 店主は私物の硬質磁器のカップを持ってくる。手で弾いてもいいというので、お言葉に甘えさせてもらった。
 指先でピンと跳ねると、キーンという高い音が鳴った。

「きれいな音……」
「でしょう」

 ちなみに、軟質磁器と硬質磁器は値段が異なる。
 軟質磁器四つの価格と、硬質磁器ひとつの値段はほぼ同じだった。
 すでに、アドルフはどのカップを購入するか決めていたようだ。

「店主、この硬質磁器のカップを包んでくれ」
「かしこまりました」

 商売上手な店主である。けれども説明を聞いたら、硬質磁器がいかに稀少で、美しいものか理解してしまった。

 アドルフは腕組みしながら、満足げな表情でいる。

「いい品が手に入った。これならば、そこまで高価ではないし、リオニーも喜ぶだろう」
「まあ、そうだね」
「ん? これも高価なのか?」
「大丈夫、大丈夫。心配しないで」

 あまりにも贈り物の値段についてやいやい言うものだから、アドルフからヴァイグブルグ伯爵家の財政を心配されてしまった。

「昔よりはお金あるから。単に貧乏性ってだけ」
「そうか」

 何かあったら相談してほしい、と真剣な表情で訴えられてしまった。

 あともう一軒、アドルフは行きたいお店があるらしい。

「どこに行くの?」
「魔法雑貨店の本店だ」

 それは購買部に商品を卸している、薬草や鉱石、魔法インクなど、魔法を使うさいに使用するさまざまな道具を取り扱う商店だ。
 品数は購買部で取り扱っている物とは比べものにならないらしい。

「僕も行きたい!」
「そう言うと思っていた」

 アドルフと共に、中央街にある魔法雑貨店を目指した。
 貴族の商店街から徒歩十分ほどで到着する。
 青い煉瓦に白い屋根が特徴的な、三階建ての大きな建物だった。

「ここが魔法雑貨店だったんだ。何度か見かけたことはあったんだけれど」
「これまで来たことはなかったんだな」
「うん」

 貴族令嬢は理由もなく好きなときに外出なんかできないし、買い物をするお金すらなかった。今は、魔法学校に通っているため、自由にできるお小遣いがいくらかある。
 声変わりの飴玉がそろそろなくなりそうなので、買っておこうか。

「一階は魔法書と魔法に使う媒介をメインに取り扱っている。二階は薬草などの、魔法薬に使う素材をメイン。三階目は錬金術に使う道具をメインに扱っているらしい」
「なるほど。僕は二階を見ようかな」
「だったら、買い物を終えたら、外で落ち合おう」

 アドルフと一緒でないことがわかり、ホッと胸をなで下ろす。
 それはなんに使うのか、と聞かれたら、上手く誤魔化す自信なんてないから。

「では、またあとで」
「じゃあね」

 アドルフと別れ、私は声変わりののど飴の材料を買い物かごに放り込んでいく。
 先に会計を済ませたところ、あることに気付いた。

「あれ、これ、いつもより高い?」

 独り言のように呟いた言葉に、会計を担当していた女性が反応する。

「あ、もしかして、魔法学校の生徒さんですか?」
「そうだけれど」
「やっぱり! ここ、魔法学校の購買部より、一割高いんですよ」
「え!?」

 なんでも、魔法学校は生徒割引があるようで、街にある魔法雑貨店で購入するよりも安価で購入できるらしい。
 そんな盲点があったとは、知らなかった。

「あ、でも、魔法学校の制服で着て、生徒手帳を提示した場合に限り、ここの店舗は二割引なんですよ」
「嘘でしょう……!?」

 なんでも魔法雑貨店のオーナーは魔法学校の卒業生かつ、苦学生だったらしい。
 そういう生徒達を助けるために、こっそり行っているサービスなのだという。

「知らなかった」
「魔法雑貨店の裏技みたいなものですので、知らない生徒さんは多いと思います」

 店員の女性は特別なおまけだと言って、火の魔法巻物をくれた。

「あまり大きな火は出せませんが、暖炉の火を点ける程度だったら十分使えますので」
「ありがとう」

 一階では魔法巻物の買い取り及び販売もしているらしい。

「ここって、転移魔法の魔法巻物は売っているの?」
「いやー、ないですねえ。うちの国で転移魔法を使えるのは、ほんの一握りですから」

 隣国であれば、専門に作る職人がいて、転移魔法の魔法巻物が出回るという。
 やはり、以前、降誕祭パーティーで私を襲ったのは、隣国の者だったようだ。

「ありがとう」
「またのお越しをお待ちしております」

 一階で魔法巻物を見ていると、これまでポケットの中で爆睡していたチキンが顔を覗かせる。

 強い風を巻き起こす、嵐のスクロールは金貨一枚もする。私のお小遣いでは、とても購入なんてできない。

『ご主人、そんなものを購入しなくても、チキンが見事に嵐を巻き起こしてみせるちゅりよ!』
「はいはい」

 チキンの特技は鋭いパンチ、可愛い見た目に反して凶暴なところがあるチキンは、嵐のような存在だろう。そういうことにしておく。

 アドルフがやってくる気配はないので、魔法に使う媒介も見て回る。
 呪文が刻まれた箒に、魔力がこもった指輪、魔法を使うための特別な魔法書、定番の杖など、さまざまな形状が存在する。
 私が使う魔法は魔法陣を使うものばかりなので、媒介は特に必要ない。しかしながら、見ているだけで楽しくなってしまう。

 養育院で輝跡の魔法を使うときは、杖でもあったほうが魔法使いっぽいのか。子ども達はきっと、物語に登場する魔女みたいに杖を握っていたほうが喜びそうだ。

 客の数が多くなってきたので、お店の外に出る。
 ぼんやりと空を眺めていたら、アドルフが戻ってきた。

「リオル、待たせたな。寒くなかったか?」
「平気」

 寒空の下、ドレスだったら震えていただろう。けれども素地が分厚いジャケットを着ていたので、そこまで寒くなかった。

「アドルフ、ここって魔法学校の制服を着ている状態で、生徒手帳を提示したら、二割引をしてくれるんだって」
「そうだったんだな」

 アドルフはさすがお金持ちと言うべきなのか。割引率について聞いても、まったく悔しがっていなかった。

「帰るか」
「そうだね」

 家に到着したさい、アドルフが「リオニーと会いたい」と言ったらどうしようと思っていたものの、そういう発言はなかった。
 その辺は、体裁を取り繕った状態でないと会えない婚約者と、気軽に会える友達の違いなのかもしれない。
 何はともあれ、アドルフと一緒に楽しいひとときを過ごした。