アドルフは堂々たる態度で取り巻きの先頭を歩いていたのだが、途中で監督生から三名以上の集団行動はしないようにと注意されていた。
取り巻きの気まずげな表情がなんとも言えない。
こっそり笑っていたつもりだったが、アドルフと目が合ってしまう。またしても親の敵のような視線を浴びてしまった。
朝食を食べたあとは、魔法書を片手に校舎へ向かう。廊下を歩いていたら、ランハートが肩を組んできた。
体当たりするような勢いだったため、驚いてしまう。
そういえば父も、知り合いとこういう触れ合いをしていたような。女性社会にはない、一種のスキンシップなのだろう。
「おい、リオル、お前、どの組だ?」
「僕は二組だよ」
「やった! 一緒じゃん」
顔見知りがいるので、ひとまずホッと胸をなで下ろす。
一限目は魔法生物学だ。最初の授業では使い魔を召喚するらしい。
使い魔というのは、魔法師の手足となって薬草採取をしたり、背中に跨がって移動したりする、妖精や精霊、幻獣である。
授業で召喚した使い魔は、魔法学校を卒業するまでの付き合いとなるのだ。希望すれば、その先も契約を交わすことができるらしい。
どの使い魔が召喚されるかは、完全にランダムである。運が重要というわけだ。
使い魔の召喚は魔法学校に入学が決まってから、一番楽しみにしていた授業である。
うきうき気分で教室に向かった。
朝届いたクラス分けの手紙には、席順も書かれてあった。指定された端の席に座る。
ランハートは少し離れた席だった。前は黄色いタイを結んだ小柄な男子生徒。後ろは青いタイを結んだ神経質そうな細身の生徒だった。
隣はいったい誰なのか。ソワソワしているところに、アドルフが入ってきた。
ザワザワと騒がしかった教室が、一瞬にして静まり返る。
四大貴族の生まれである彼は、有名人なのだろう。
ズンズンと大股で教室を闊歩し、あろうことか私の隣に腰を下ろした。
最悪だ。部屋も隣で頭を抱えていたのに、同じクラスで席も隣だとは。
アドルフは一切私のほうを見ようとせず、ぶすっとした表情でいた。
きっと、朝から監督生に注意された件に腹を立てているのだろう。
それにしても、彼と同じクラスだなんてついていない。普通は首席と次席は別のクラスに振り分けるだろうに。教師陣がいったい何を考えているのか謎だった。
ランハートがこちらを見つつ、大丈夫かと口をパクパクさせている。気にするなと手を振って示しておいた。
そうこうしているうちに、授業が始まる。魔法生物科の教師がやってきた。
黒く長い魔法衣(ローブ)を纏い、白い髭が特徴的なお爺さん先生である。
「ええ、新入生のみなさん、おはようございます。私は魔法生物科の教師、ザシャ・ローターです」
さっそく、授業へと移る。
全員に魔法巻物(スクロール)が配られた。中には魔法陣が描かれている。
「えー、魔法生物を召喚するので、机を教室の端に除けてください」
なんでも、大型の使い魔が召喚されることがあるらしい。そのため、魔法はひとりひとり教室の中心で試すという。
方法は簡単だ。魔法巻物の魔法陣に、体液を一滴落とすだけでいいという。
「血液、涙、唾液など、体液ならばなんでも構いません」
ザワザワと周囲が騒がしくなる。皆、どうしようか話し合っているらしい。
アドルフも取り巻きと一緒に言葉を交わしている。
私もどうしようかと考えていたら、ランハートが声をかけてきた。
「なあ、リオル、お前はどうするんだ?」
「涙は無理だし、唾液はなんか汚いから、血液かな」
「ヒュー! お前、勇気あるな」
勇気があるというか、消去法である。
「誰から挑戦しますか?」
手を挙げようとしたその瞬間には、ひとりの生徒が挙手していた。
アドルフである。
「では、えー、ロンリンギア君、挑戦してみなさい」
消毒液に浸かっていた魔法のナイフが差し出される。アドルフは無表情で受け取り、教室の中心に立った。
そして、なんの躊躇もなく手のひらを傷付け、血を魔法巻物に滴らせたのだ。
「ああ、そんなに切りつけなくても――」
ローター先生がそう言いかけた瞬間、アドルフの魔法巻物は眩い光りに包まれていった。
あまりの眩さに目を閉じる。
いったい何が召喚されたのだろうか。
光が収まり、ローター先生が「目を開けても大丈夫です」と口にした。
そっと瞼を開く。
教室の中心には、白くて大きな狼の姿があった。
「あれは――フェンリル!?」
私の呟きを聞いたローター先生が「そうです」と答える。
フェンリルは極めて稀少な、気高き幻獣だ。現代では目撃されず、おとぎ話にのみ登場する存在として伝えられていたのだが……。
ローター先生も驚いているようだった。一方で、アドルフはそこまで動じているようには見えない。
「ロンリンギア君、契約の命名を」
アドルフは頷き、フェンリルを指差しながら名付ける。
「我が名はアドルフ・フォン・ロンリンギア。そして汝の名は、〝エルガー〟」
フェンリルは姿勢を低くし、『ワン!』と低い声で鳴いた。
契約は受け入れられたようで、白く輝く魔法陣が浮かび上がり、パチンと音を立てて弾けた。
「ロンリンギア君、お見事です」
そう言いながら、ローター先生はアドルフの傷付けた手に回復魔法を施す。
元の位置に戻ると、取り巻きたちがワッと沸いた。他のクラスメイトもアドルフの周囲を取り囲み、さすがロンリンギア公爵家の嫡男だと誰もが口にする。
それを聞いたアドルフは、ちっとも嬉しそうではなかった。
未来の公爵さまともなれば、うんざりするくらい褒められながら育ってきたので、慣れっこなのかもしれない。
ここで、ランハートが思いがけないことを耳打ちする。
「なあ、あれ、仕込みだぜ」
「仕込みってどういうこと?」
「あらかじめフェンリルが召喚される魔法巻物を、公爵家が用意したんだ」
「どうしてそんなことができるの?」
「ロンリンギア公爵家が、魔法学校にたっぷり寄付したんだ。その結果だよ」
なんでも首席ではなく次席だったことに危機感を覚えたロンリンギア公爵家が、息子であるアドルフを活躍させるために仕込んだものだという。
ローター先生は驚いていたようだが、あれも演技なのか。
アドルフは喜んでいなかったので、もしかしたら知っていたのかもしれない。
「次は誰がしますか?」
誰も挙手しようとしない。フェンリルという高位の使い魔が召喚されたあとでは、誰だって見劣りする。そのため、二の足を踏んでいるのだろう。
私は別に気にしないので、名乗りでた。
「では、ヴァイグブルグ君、注意して挑戦しなさい」
「はい」
教室の中心に立ち、魔法のナイフを手に取る。
指先をほんのちょっとだけ傷付け、魔法巻物の魔法陣に血をなすりつけた。
魔法陣が眩いくらいに輝く。
その輝きはアドルフがフェンリルを召喚したときよりも強い光だった。
もしかしたら、彼よりもすごい使い魔を喚(よ)べるかもしれない。
孤高の幻獣グリフォンとか。それとも、火山の蜥蜴(とかげ)サラマンダーとか。
いやいや、使い魔最強と名高いドラゴンかもしれない。
胸を高鳴らせながら、使い魔の登場を待つ。
光が収まると、目の前に小さな真っ黒い鳥が飛び込んできた。
『ちゅり!』
「ちゅり?」
それは拳大ほどの黒雀(くろすずめ)であった。
『召喚いただき、ありがとうちゅり!』
「……」
『よろしくおねがいしまちゅり!』
私が三年間使い魔として契約するのは、お喋りな黒雀……。
シーンと静まり返っていたものの、アドルフの取り巻きのひとりが「ぷっ!」と噴き出した。それをきっかけに、クラスメイトは皆、大笑いし始める。
「なんだよ、あれ! 雀の使い魔とか、聞いたことねえぞ!」
「前代未聞だな」
「笑わせてくれるぜ!」
口々に指摘するものだから、さすがの私も恥ずかしくなる。
ローター先生は静かにするようにと声をかけ、私に使い魔の命名をするように指示した。
黒雀は名付けが始まると知り、ドキドキするような視線を向けてくる。
『ドキドキするちゅり!』
「……」
黒雀を指さし、命名した。
「我が名は――」
ここで弟の名を言うのは契約に反する。そのため、黒雀を捕まえて傍に寄せると、小声で「リオニー・フォン・ヴァイグブルグ」と名乗った。
弟と私の名前はそっくりなので、まあ、周囲の人に聞こえていたとしても、聞き違いだと思われるだろう。
続けて、黒雀に名を授ける。
「そして汝の名は、〝チキン〟!」
『チ、チキン!!』
ここでも、大爆笑が巻き起こる。「鶏肉じゃねえか!」なんて指摘(つっこみ)も聞こえる中、黒雀改めチキンは、翼を頬に当てて嬉しそうにしていた。
『チキン……! チキン……! なんて崇高(すうこう)な響きちゅり!』
思いがけず、お気に召してもらえたようだ。まあ、なんというか何よりである。
『ふつつか者ですが、どうぞよろしくおねがいしまちゅり!』
白く輝く魔法陣が浮かび上がり、パチンと弾けた。
契約は受け入れられたわけである。
その後、私の黒雀召喚でハードルが下がったのか、クラスメイトは次々と使い魔を召喚する。
彼らは私を大笑いしたが、召喚したのは蛙(かえる)だったり、蛇(へび)だったりと、黒雀とレベルはそう変わらない。
結局、高位の幻獣を召喚したのはアドルフだけだった。
放課後に今日の授業の成績が張り出されるらしいが、間違いなくアドルフが一位だろう。
その日は一日、魔法の基礎的な座学ばかりだった。どれも家庭教師に習ったものばかりだったが、こうして授業を受けられるだけで幸せだ。
隣に座るアドルフは、思いのほか真剣に授業を受けている。意外だと思った。
放課後――掲示板に魔法生物学の成績が張り出された。三クラス、九十名の生徒全員の順位が張り出されていたわけである。
一位は、アドルフだった。取り巻きらしき一団が大盛り上がりしていた。
当の本人であるアドルフの姿はない。
いったいどこにいったのか、なんて考えていると、ランハートが肩をぽん! と叩いてきた。
「リオルすげえじゃん。二位だってよ」
「うん」
「お前の黒雀、意外と評価高かったんだな」
「みたいだね」
クラスメイトが召喚した使い魔のほとんどが、毛虫や蟻(あり)などの小さな虫だった。
そんな中で見たら、黒雀は優秀なほうなのだろう。
ちなみにランハートが召喚したのは蛙である。ポケットに入れて愛でているようだ。
「リオル、放課後はどうする? クラブの見学に行かないか?」
「いや、今日は購買部で買い物をしたくて」
「そっか。わかった」
一緒についてくる、と言ったらどうしようかと思ったが、ランハートは手を振りつつ去っていった。これが貴族令嬢だったら、絶対に同行を申し出るだろう。男女の付き合いの違いなのか。それともランハートがさっぱりした気質なのか。その辺はよくわからない。
購買部では声変わりの飴玉を作る材料を買いに行く。
入学前にたくさん作っていたのだが、購買部で売っている素材で作れるか試したいのだ。
放課後、生徒のほとんどはクラブ活動を行っている。
もっとも人気なのは魔法騎士クラブだ。従騎士としての活動を行い、希望を出せば卒業後は魔法騎士になれる。
魔法騎士に憧れる者は多く、卒業後は多くの生徒を輩出していると聞いた。
窓を覗くと校庭で魔石馬に跨がり、杖を手に駆けている様子が見えた。
魔石馬というのは、人工ユニコーンと言えばいいのか。額に水晶みたいな角が突き出し、強い魔法耐性を持つ馬である。
魔法騎士の家系であるランハートはきっと、あのクラブに入部するのだろう。
太陽が傾き、あかね色の日差しが差し込んでくる。廊下に窓枠の模様を描いていた。
コツコツと前方から歩いてくる足音が聞こえ、視線を向ける。
やってきたのはアドルフだった。
そのまま無視して通り過ぎようと思ったのに、アドルフはなぜかズンズンと私のほうへやってくる。
いったいなんの用なのか。思わず身構えてしまった。
「教師も、生徒も、……も、皆が皆、馬鹿共ばかりだ」
なぜ、悪態を聞かされなければならないのか。
魔法生物学の成績は一位だったのに、ずいぶんとご機嫌斜めである。
「お前、魔法生物学の順位を見たか?」
「見たけれど」
「どう思った?」
「別に。思ったよりも良かったな、としか」
そう口にした瞬間、アドルフは舌打ちする。
「お前も大馬鹿だったのか」
「は!?」
二位を取っているのに大馬鹿呼ばわりとはどういうつもりなのか。
もしかしたら、自分よりも下位に位置する者は全員馬鹿なのかもしれない。
「お前が一位だったはずだ。それに気づいていないとはな」
「いや、でも……」
フェンリルよりも黒雀が勝っているなんてありえないだろう。
「俺のフェンリルは実家の仕込みだ」
やはり、アドルフは知っていたようだ。なんというか、こういうことをされるのは本人としても悔しいだろう。
「教師に訴えたが、聞き入れてもらえなかった」
「そう」
アドルフは眉間に皺を寄せ、苦悶の表情でいた。
なんというか、良家に生まれた子にも悩みはあるのだろう。
「でもまあ、フェンリルを喚べたとしても、契約するかはフェンリル次第だから。契約できた実績は、あなたの本当の実力だと思う」
これ以上悪態を吐かせないため、私は彼の前から去る。どんな表情をしていたかは、わからなかった。
この日から、アドルフとの熾烈(しれつ)な成績争いが始まったというわけである。
取り巻きの気まずげな表情がなんとも言えない。
こっそり笑っていたつもりだったが、アドルフと目が合ってしまう。またしても親の敵のような視線を浴びてしまった。
朝食を食べたあとは、魔法書を片手に校舎へ向かう。廊下を歩いていたら、ランハートが肩を組んできた。
体当たりするような勢いだったため、驚いてしまう。
そういえば父も、知り合いとこういう触れ合いをしていたような。女性社会にはない、一種のスキンシップなのだろう。
「おい、リオル、お前、どの組だ?」
「僕は二組だよ」
「やった! 一緒じゃん」
顔見知りがいるので、ひとまずホッと胸をなで下ろす。
一限目は魔法生物学だ。最初の授業では使い魔を召喚するらしい。
使い魔というのは、魔法師の手足となって薬草採取をしたり、背中に跨がって移動したりする、妖精や精霊、幻獣である。
授業で召喚した使い魔は、魔法学校を卒業するまでの付き合いとなるのだ。希望すれば、その先も契約を交わすことができるらしい。
どの使い魔が召喚されるかは、完全にランダムである。運が重要というわけだ。
使い魔の召喚は魔法学校に入学が決まってから、一番楽しみにしていた授業である。
うきうき気分で教室に向かった。
朝届いたクラス分けの手紙には、席順も書かれてあった。指定された端の席に座る。
ランハートは少し離れた席だった。前は黄色いタイを結んだ小柄な男子生徒。後ろは青いタイを結んだ神経質そうな細身の生徒だった。
隣はいったい誰なのか。ソワソワしているところに、アドルフが入ってきた。
ザワザワと騒がしかった教室が、一瞬にして静まり返る。
四大貴族の生まれである彼は、有名人なのだろう。
ズンズンと大股で教室を闊歩し、あろうことか私の隣に腰を下ろした。
最悪だ。部屋も隣で頭を抱えていたのに、同じクラスで席も隣だとは。
アドルフは一切私のほうを見ようとせず、ぶすっとした表情でいた。
きっと、朝から監督生に注意された件に腹を立てているのだろう。
それにしても、彼と同じクラスだなんてついていない。普通は首席と次席は別のクラスに振り分けるだろうに。教師陣がいったい何を考えているのか謎だった。
ランハートがこちらを見つつ、大丈夫かと口をパクパクさせている。気にするなと手を振って示しておいた。
そうこうしているうちに、授業が始まる。魔法生物科の教師がやってきた。
黒く長い魔法衣(ローブ)を纏い、白い髭が特徴的なお爺さん先生である。
「ええ、新入生のみなさん、おはようございます。私は魔法生物科の教師、ザシャ・ローターです」
さっそく、授業へと移る。
全員に魔法巻物(スクロール)が配られた。中には魔法陣が描かれている。
「えー、魔法生物を召喚するので、机を教室の端に除けてください」
なんでも、大型の使い魔が召喚されることがあるらしい。そのため、魔法はひとりひとり教室の中心で試すという。
方法は簡単だ。魔法巻物の魔法陣に、体液を一滴落とすだけでいいという。
「血液、涙、唾液など、体液ならばなんでも構いません」
ザワザワと周囲が騒がしくなる。皆、どうしようか話し合っているらしい。
アドルフも取り巻きと一緒に言葉を交わしている。
私もどうしようかと考えていたら、ランハートが声をかけてきた。
「なあ、リオル、お前はどうするんだ?」
「涙は無理だし、唾液はなんか汚いから、血液かな」
「ヒュー! お前、勇気あるな」
勇気があるというか、消去法である。
「誰から挑戦しますか?」
手を挙げようとしたその瞬間には、ひとりの生徒が挙手していた。
アドルフである。
「では、えー、ロンリンギア君、挑戦してみなさい」
消毒液に浸かっていた魔法のナイフが差し出される。アドルフは無表情で受け取り、教室の中心に立った。
そして、なんの躊躇もなく手のひらを傷付け、血を魔法巻物に滴らせたのだ。
「ああ、そんなに切りつけなくても――」
ローター先生がそう言いかけた瞬間、アドルフの魔法巻物は眩い光りに包まれていった。
あまりの眩さに目を閉じる。
いったい何が召喚されたのだろうか。
光が収まり、ローター先生が「目を開けても大丈夫です」と口にした。
そっと瞼を開く。
教室の中心には、白くて大きな狼の姿があった。
「あれは――フェンリル!?」
私の呟きを聞いたローター先生が「そうです」と答える。
フェンリルは極めて稀少な、気高き幻獣だ。現代では目撃されず、おとぎ話にのみ登場する存在として伝えられていたのだが……。
ローター先生も驚いているようだった。一方で、アドルフはそこまで動じているようには見えない。
「ロンリンギア君、契約の命名を」
アドルフは頷き、フェンリルを指差しながら名付ける。
「我が名はアドルフ・フォン・ロンリンギア。そして汝の名は、〝エルガー〟」
フェンリルは姿勢を低くし、『ワン!』と低い声で鳴いた。
契約は受け入れられたようで、白く輝く魔法陣が浮かび上がり、パチンと音を立てて弾けた。
「ロンリンギア君、お見事です」
そう言いながら、ローター先生はアドルフの傷付けた手に回復魔法を施す。
元の位置に戻ると、取り巻きたちがワッと沸いた。他のクラスメイトもアドルフの周囲を取り囲み、さすがロンリンギア公爵家の嫡男だと誰もが口にする。
それを聞いたアドルフは、ちっとも嬉しそうではなかった。
未来の公爵さまともなれば、うんざりするくらい褒められながら育ってきたので、慣れっこなのかもしれない。
ここで、ランハートが思いがけないことを耳打ちする。
「なあ、あれ、仕込みだぜ」
「仕込みってどういうこと?」
「あらかじめフェンリルが召喚される魔法巻物を、公爵家が用意したんだ」
「どうしてそんなことができるの?」
「ロンリンギア公爵家が、魔法学校にたっぷり寄付したんだ。その結果だよ」
なんでも首席ではなく次席だったことに危機感を覚えたロンリンギア公爵家が、息子であるアドルフを活躍させるために仕込んだものだという。
ローター先生は驚いていたようだが、あれも演技なのか。
アドルフは喜んでいなかったので、もしかしたら知っていたのかもしれない。
「次は誰がしますか?」
誰も挙手しようとしない。フェンリルという高位の使い魔が召喚されたあとでは、誰だって見劣りする。そのため、二の足を踏んでいるのだろう。
私は別に気にしないので、名乗りでた。
「では、ヴァイグブルグ君、注意して挑戦しなさい」
「はい」
教室の中心に立ち、魔法のナイフを手に取る。
指先をほんのちょっとだけ傷付け、魔法巻物の魔法陣に血をなすりつけた。
魔法陣が眩いくらいに輝く。
その輝きはアドルフがフェンリルを召喚したときよりも強い光だった。
もしかしたら、彼よりもすごい使い魔を喚(よ)べるかもしれない。
孤高の幻獣グリフォンとか。それとも、火山の蜥蜴(とかげ)サラマンダーとか。
いやいや、使い魔最強と名高いドラゴンかもしれない。
胸を高鳴らせながら、使い魔の登場を待つ。
光が収まると、目の前に小さな真っ黒い鳥が飛び込んできた。
『ちゅり!』
「ちゅり?」
それは拳大ほどの黒雀(くろすずめ)であった。
『召喚いただき、ありがとうちゅり!』
「……」
『よろしくおねがいしまちゅり!』
私が三年間使い魔として契約するのは、お喋りな黒雀……。
シーンと静まり返っていたものの、アドルフの取り巻きのひとりが「ぷっ!」と噴き出した。それをきっかけに、クラスメイトは皆、大笑いし始める。
「なんだよ、あれ! 雀の使い魔とか、聞いたことねえぞ!」
「前代未聞だな」
「笑わせてくれるぜ!」
口々に指摘するものだから、さすがの私も恥ずかしくなる。
ローター先生は静かにするようにと声をかけ、私に使い魔の命名をするように指示した。
黒雀は名付けが始まると知り、ドキドキするような視線を向けてくる。
『ドキドキするちゅり!』
「……」
黒雀を指さし、命名した。
「我が名は――」
ここで弟の名を言うのは契約に反する。そのため、黒雀を捕まえて傍に寄せると、小声で「リオニー・フォン・ヴァイグブルグ」と名乗った。
弟と私の名前はそっくりなので、まあ、周囲の人に聞こえていたとしても、聞き違いだと思われるだろう。
続けて、黒雀に名を授ける。
「そして汝の名は、〝チキン〟!」
『チ、チキン!!』
ここでも、大爆笑が巻き起こる。「鶏肉じゃねえか!」なんて指摘(つっこみ)も聞こえる中、黒雀改めチキンは、翼を頬に当てて嬉しそうにしていた。
『チキン……! チキン……! なんて崇高(すうこう)な響きちゅり!』
思いがけず、お気に召してもらえたようだ。まあ、なんというか何よりである。
『ふつつか者ですが、どうぞよろしくおねがいしまちゅり!』
白く輝く魔法陣が浮かび上がり、パチンと弾けた。
契約は受け入れられたわけである。
その後、私の黒雀召喚でハードルが下がったのか、クラスメイトは次々と使い魔を召喚する。
彼らは私を大笑いしたが、召喚したのは蛙(かえる)だったり、蛇(へび)だったりと、黒雀とレベルはそう変わらない。
結局、高位の幻獣を召喚したのはアドルフだけだった。
放課後に今日の授業の成績が張り出されるらしいが、間違いなくアドルフが一位だろう。
その日は一日、魔法の基礎的な座学ばかりだった。どれも家庭教師に習ったものばかりだったが、こうして授業を受けられるだけで幸せだ。
隣に座るアドルフは、思いのほか真剣に授業を受けている。意外だと思った。
放課後――掲示板に魔法生物学の成績が張り出された。三クラス、九十名の生徒全員の順位が張り出されていたわけである。
一位は、アドルフだった。取り巻きらしき一団が大盛り上がりしていた。
当の本人であるアドルフの姿はない。
いったいどこにいったのか、なんて考えていると、ランハートが肩をぽん! と叩いてきた。
「リオルすげえじゃん。二位だってよ」
「うん」
「お前の黒雀、意外と評価高かったんだな」
「みたいだね」
クラスメイトが召喚した使い魔のほとんどが、毛虫や蟻(あり)などの小さな虫だった。
そんな中で見たら、黒雀は優秀なほうなのだろう。
ちなみにランハートが召喚したのは蛙である。ポケットに入れて愛でているようだ。
「リオル、放課後はどうする? クラブの見学に行かないか?」
「いや、今日は購買部で買い物をしたくて」
「そっか。わかった」
一緒についてくる、と言ったらどうしようかと思ったが、ランハートは手を振りつつ去っていった。これが貴族令嬢だったら、絶対に同行を申し出るだろう。男女の付き合いの違いなのか。それともランハートがさっぱりした気質なのか。その辺はよくわからない。
購買部では声変わりの飴玉を作る材料を買いに行く。
入学前にたくさん作っていたのだが、購買部で売っている素材で作れるか試したいのだ。
放課後、生徒のほとんどはクラブ活動を行っている。
もっとも人気なのは魔法騎士クラブだ。従騎士としての活動を行い、希望を出せば卒業後は魔法騎士になれる。
魔法騎士に憧れる者は多く、卒業後は多くの生徒を輩出していると聞いた。
窓を覗くと校庭で魔石馬に跨がり、杖を手に駆けている様子が見えた。
魔石馬というのは、人工ユニコーンと言えばいいのか。額に水晶みたいな角が突き出し、強い魔法耐性を持つ馬である。
魔法騎士の家系であるランハートはきっと、あのクラブに入部するのだろう。
太陽が傾き、あかね色の日差しが差し込んでくる。廊下に窓枠の模様を描いていた。
コツコツと前方から歩いてくる足音が聞こえ、視線を向ける。
やってきたのはアドルフだった。
そのまま無視して通り過ぎようと思ったのに、アドルフはなぜかズンズンと私のほうへやってくる。
いったいなんの用なのか。思わず身構えてしまった。
「教師も、生徒も、……も、皆が皆、馬鹿共ばかりだ」
なぜ、悪態を聞かされなければならないのか。
魔法生物学の成績は一位だったのに、ずいぶんとご機嫌斜めである。
「お前、魔法生物学の順位を見たか?」
「見たけれど」
「どう思った?」
「別に。思ったよりも良かったな、としか」
そう口にした瞬間、アドルフは舌打ちする。
「お前も大馬鹿だったのか」
「は!?」
二位を取っているのに大馬鹿呼ばわりとはどういうつもりなのか。
もしかしたら、自分よりも下位に位置する者は全員馬鹿なのかもしれない。
「お前が一位だったはずだ。それに気づいていないとはな」
「いや、でも……」
フェンリルよりも黒雀が勝っているなんてありえないだろう。
「俺のフェンリルは実家の仕込みだ」
やはり、アドルフは知っていたようだ。なんというか、こういうことをされるのは本人としても悔しいだろう。
「教師に訴えたが、聞き入れてもらえなかった」
「そう」
アドルフは眉間に皺を寄せ、苦悶の表情でいた。
なんというか、良家に生まれた子にも悩みはあるのだろう。
「でもまあ、フェンリルを喚べたとしても、契約するかはフェンリル次第だから。契約できた実績は、あなたの本当の実力だと思う」
これ以上悪態を吐かせないため、私は彼の前から去る。どんな表情をしていたかは、わからなかった。
この日から、アドルフとの熾烈(しれつ)な成績争いが始まったというわけである。