帰りの馬車に揺られながら、とんでもない提案をしてしまったものだと反省する。
 一人二役なんて、初めてだ。
 一瞬、リオルに協力を頼もうか迷ったものの、同級生に発見されたら大変だ。いくら似ている姉弟だからと言っても、性格はまるで違うから。
 クラスメイトに囲まれでもしたら、他人との接触を嫌うあの子は、きっと悪態を打つに違いない。
 私がこれまで築きあげてきたイメージを、壊すわけにはいかなかった。
 この身分が借り物であるというのはよくわかっている。
 わかっているから、卒業までは大切にしたいと考えているのだ。
 アドルフは魔法学校についてどう思っているのか。

「あの、第三学年に進級されたようで。監督生に指名されたとお聞きしました」
「ああ、そうだな。だが――」

 そう言いかけ、アドルフは窓の外に顔を向けた。そのまま、黙り込んでしまう。

「どうかなさったのですか?」
「いや、俺よりも相応しい奴がいたから、指名されても嬉しくなかっただけだ」
「あなたさまよりも相応しいお方なんて、いらっしゃいますの?」

 窓に映ったアドルフの表情は、どこか寂しげだった。
 なぜ、そのような表情を浮かべているのか。
 四大貴族のひとつである、ロンリンギア公爵家の嫡男である彼は、生まれたときからすべてのものを手にしているような男性(ひと)なのに。

「監督生は、リオニー嬢の弟、リオル・フォン・ヴァイグブルグがするべきだったんだ。あの男ほど公平で、生徒を俯瞰(ふかん)で見ることができる者はいない」
「ま、まあ。そう、でしょうか?」
「そうだ。俺は嘘を言わない」

 本当に、その通りである。怒りっぽくて尊大で、暴君な一面があるアドルフだが、根が曲がったことが大嫌いで、嘘を嫌悪している。
 一度、陰湿ないじめを発見したときは、いじめた生徒を徹底的に断罪し、最終的に魔法学校から追放してしまった。
 やりすぎではないか、なんて声もあった。
 けれども彼は非難する者たちを前に、「これは見せしめだ」と言ってのけたのだ。
 苛烈としか言いようがないが、自分の影響力や権力を使い、校内のいじめを徹底的に絶やした功績は認めざるをえない。

「正直、魔法学校は息苦しい場で、居場所がないと感じるときもある」

 それは完全に同意である。少年たちが箱庭に詰め込まれ、多感な年頃を過ごす。逃げ場なんかなく、ただただ決められた道をまっすぐに歩いていくしかないのだ。

「しかしながら、自らを高め合える戦友とも言える者との出会いは、貴重だった。彼のおかげで、魔法学校での日々は悪くなかったと言えるだろう」

 アドルフの取り巻きの中に、戦友とも言える友達がいるということなのか。
 だとしたら、彼の心の中の闇もそこまで深いものではないのかもしれない。

「魔法学校を卒業したら、その男と親友になれるだろうか?」
「今は、違うのですか?」
「違うな」

 アドルフが親友になりたいと望んだら、誰だって喜ぶだろう。そう伝えると、彼は珍しくはにかんだ。
 
「リオニー嬢、ありがとう」

 感謝の言葉を口にするアドルフに、私は微笑みを返したのだった。

「もう長い間、どう接していいのかわからないでいる。どうしても、彼を前にすると、闘争心が湧き出てしまい……」
「素直になれないのですね」
「そうだ」

 具体的に、どういうふうに打ち解けたらいいのか、と質問される。

「そうですわねえ。貸し借りをしてみるのはいかがでしょうか?」
「貸し借りというのは?」
「お友達同士で、自分の私物を貸したり、借りたりするのです。されたことは?」
「ない」

 ロンリンギア公爵家のご子息は、必要な物はすべて手元にある。きっと、貸し借りなんてする必要はないのだろう。

「普段、どういったものを貸し借りしているのだ?」
「たとえば、文房具を忘れたときに借りるとか」
「忘れ物をしたことがない」
「で、でしたら、本の貸し借りは?」
「ああ、なるほど」

 アドルフは「貸し借りか」などとボソボソ呟いていた。
 短い学校生活である。くだらない自尊心は捨てて、友達は大切にしてほしい。
 そんな話をしている間に、我が家へ辿り着いた。

「次に会うのは、グリンゼルでだろうか?」
「ええ」
「楽しみにしている」

 どんな反応をしていいのかわからず、私は頭を深く下げるばかりだった。
 帰宅すると、侍女が慌てた形相で駆けてくる。いったいどうしたというのか。

「リオニーお嬢さま、旦那様が部屋でお待ちです」
「お父さまが?」

 侍女の様子から、きっと何かあったのだろう。
 詳しい話は知らないようで、父から直接聞くしかない。
 しぶしぶと父の執務室へと向かうと、入った瞬間に怒鳴られてしまった。

「リオニー、これはどういうことだ!!」

 父が手にしていたのは、ルミに送るはずだった便箋である。端にインクを零してしまったので、ゴミ箱に捨てていたのだ。

「お前は、アドルフ君との婚約を破棄する計画を立てていたとは――!!」

 なんでもメイドが捨てられた便箋を回収したときに、婚約破棄の文字を発見してしまったようだ。その後、執事に情報が行き渡り、最終的に父が知ってしまったわけである。
 これは、便箋を燃やさなかった私も悪い。一旦、叱咤を受けよう。

「魔法学校にも行かせてやったというのに、お前はどうしてそんな勝手なことをする!?」
「父上、行かせてやったと申しておりますが、学費はリオルが稼いだものではないのでしょうか?」

 父は一瞬うろたえたものの、「そういう意味ではない!!」と言葉を返す。
 魔法学校に通うには、親の許可が必要だ。それを顧みると、父のおかげで魔法学校に行けている、ということで間違いないのだろう。

「婚約破棄して、卒業後はどうするつもりだったんだ? 叔母上のように、慈善活動だなんだって、あちこち放浪するつもりだったのか?」
「それは悪いことなのですか?」
「貴族の家が、結婚していない娘を抱えることの恥を、お前は理解していないようだ」

 貴族女性は家の、はたまた国の繁栄のために結婚しなければならない。そのために美しいドレスを与えられ、恵まれた環境の中で暮らしているのだろう。

「お言葉ですが、子どもというのは、何も自分で産んだ者でなくてもよいと思うのです。養育院の子どもたちを支援し、その子たちが国の未来を作る。そうなっても、貴族女性としての役割は果たせていると――」
「黙れ!!」

 口にしてから、父は言いすぎたと思ったようだ。
 それがわかったので、私は盛大に傷ついた表情を浮かべる。
 そして、思いの丈を父にぶつけた。

「お父さまの石頭!! 一度地獄に堕ちて、サラマンダーの餌になってくださいませ!!」

 そう叫び、部屋を飛び出す。そのままの勢いで私は魔法学校に戻ることとなった。

 父が言っていたことは正論だ。けれども、いい家柄の男性と結婚することが存在理由のすべてでありたくなかったのかもしれない。

 ◇◇◇

 誰とも会いたくないし、話したくない。そう思いつつ、寮の裏口から私室を目指す。
 こういうとき、閑散としている三学年の寮は助かる。なんて思っていたら、背後から声をかけられてしまった。

「おい、リオル・フォン・ヴェイグブルグ、立ち止まれ」

 この尊大で生意気な物言いをするのは、アドルフ以外にいない。
 無視するつもりだったのに、立ち止まってしまった。
 振り返ると、アドルフがつかつかと歩いてくる。また、あら探しでもしていたのか。呆れつつ、腕組みして彼の発言を待った。

 アドルフは視線を斜め下に向け、私に一冊の本を突き出してくる。
 それは、薬草魔法について書かれた魔法書であった。

「な、何?」
「これを貸してやる」
「え!?」

 よくよく見たら、表紙にロンリンギア公爵家の家紋があしらわれた封蝋が押されていた。貴重な魔法書は、盗まれないようにこうして印を入れているのだ。

「以前、薬草学の教師から、お前がこれを読みたがっていたという話を聞いていた。ちょうど家にあったから、貸してやる」

 この本はすでに絶版で、国内でも一部の国家魔法師にのみ閲覧を許可された一冊である。ちなみに父は一部の国家魔法師の中に入っていないため、読むことができない。

 薬草学の先生ですら、目にする機会すらなかったと話していた本である。
 それをなぜ、私なんかに貸してくれるのか。
 首を傾げた瞬間、アドルフは少し照れた様子で物申す。

「これを貸す代わりに、お前が持っている本を貸せ」

 その発言を聞いた瞬間、ピンとくる。
 先ほど、私は彼に言った。

 ――そうですわねえ。貸し借りをしてみるのはいかがでしょうか?

 たしかに貸し借りを勧めた。それを、アドルフは素直に実行した、というわけである。
 それにしても、彼は素直になれない相手と親友になりたい、と言っていた。
 もしかして、それが私(リオル)だった?
 いやいやいや、ありえない。
 彼にとって私は、嫌悪する相手に違いない。
 きっと親友になりたい相手は他にいて、本当に貸し借りで仲良くなれるか試したいのだろう。
 リオニーだけでなく、リオルでも利用しようとしているのか。
 お断りと申したいところだが――薬草魔法の魔法書は読みたい。
 逆に、彼を利用したと思い込めばいい。本だって、その辺にあるものを貸してやればいいのだ。

「わかった。じゃあ、本を貸してあげるから、部屋に来て」
「あ、ああ」

 てくてくと、アドルフと並んで歩く。リオルの姿では初めてだ。なんとなく、リオニーでいるときよりも居心地が悪いのは気のせいだろうか。

 私たちは二年間隣同士だったが、こうしてアドルフを部屋に招くのは初めてだ。
 妙な緊張感がある。

「そこに座って」

 いつもはランハートの特等席になっているひとり掛けの椅子を、アドルフに勧めた。

「なんだ、この古びた椅子は?」
「一年生のときに、監督生をしていた人から貰ったんだ」
「ああ、眼鏡にオールバックの……エルンスト・フォン・マイか?」
「そう」
「なぜ、彼と親しかったんだ?」
「親しくないよ。一学年のとき、縦割りの掃除区域が同じだったから、少し話す関係だっただけ」

 彼も首席だったので、勉強方法や学校での振る舞い方についていろいろ習った。皆の前にいるときは厳格な監督生、という感じだったものの、個人で話すときは親切な上級生、といった雰囲気だった。

「首席が使う角部屋にだけ、ここに窓があるだろう? そこに椅子を置いて景色を眺めると違った風景が見えるからって、くれたんだ」

 ちなみにこの椅子は四十年もの間、魔法学校の生徒に受け継がれているものらしい。私も頃合いを見て、首席の一学年にこの椅子を譲らなければならないのだ。

「ちなみにこれを貰ったのは先輩の卒業前だったんだけれど、二学年は残念ながら次席で――」
「ああ、そうだったな」

 一年間は角部屋を使えなかったので、なんとも悔しい思いをしていたのだ。
 そのため、三学年でこの椅子を窓の前に置けたとき、どれだけ嬉しかったか。
 アドルフがいなければ、私は三年間首席だったのに。

 そんな話はさておいて。アドルフに貸す一冊が決まった。それは、薬草学の基礎について書かれた一冊で、中には私が調べたことのメモや、授業中に教師が話していた内容などがびっしり書かれてある。
 つまりは、落書きだらけの本というわけなのだ。

「これを貸してやるよ」

 差し出された本を、アドルフはキョトンとした表情で受け取る。彼も持っているであろう、どこにでもある本なので、なぜこれを? と思っているに違いない。

 本をパラパラ捲ると、アドルフはハッと肩を震わす。わなわなと震えているように見えた。
 ほら、言ったことか。
 友達の貸し借りというのは、対等な品でできるとは限らない。その辺は、友情をもって補うのだが。
 顔をあげたアドルフは、瞳を輝かせていた。

「ん?」

 思っていた反応と違う。ぜんぜん怒っているようには見えなかった。

「お前、これを借りてもいいのか?」
「え、うん。いいけれど」
「本当に?」
「嘘は言わないよ」

 それはそんなに何度も確認して借りるような本ではない。そう思っていたのだが――。

「私はあまり薬草学が得意ではないのだが、お前の補足を読んでいたら、よく理解できた」
「え、君、薬草学の成績よかったじゃん」
「あれは、丸暗記していただけだ。きちんと理解はしていなかった」

 一学年のとき、よくわかっていなかったものが、私の補足説明を読んだら理解できるようになったという。

「リオル・フォン・ヴェイグブルグ――いいや、リオル。素晴らしい本を貸してくれてありがとう」
「あ、ああ、うん」
「これはお前の努力の結晶だ。心して読ませてもらおう」

 アドルフは爽やかに言って、部屋を去っていった。
 どうしてこうなってしまったのか。部屋にいたチキンに問いかけてみたが、『わからないちゅり』と言われてしまった。