お母さんの遺しもの

いつの間にか照りつける太陽の勢いが衰え始め。日が短くなった。登校時に自転車で風を切ると鳥肌が立つけれど、まだ日中は半袖で過ごす方が良さそう。

朝、教室に入る。視界に入った仲の良い子達におはようと言う。

席に着いてカバンの中を(あさ)っていると、さっき来たばかりの須藤くんが、私にしか聞き取れない声で通り間際に小さく挨拶をしてくれた。

わっ!

突然髪の毛をかき上げられたからびっくりしたけれど、こんなことをするのは誰なのかわかっている。


「もう!ケイ!普通に挨拶できないの?」

「元気付けてあげてるんだって。感謝しな」

「別に、落ち込んでないし」

「嘘つけ」


ミコが学校に来なくなってから1週間が経った。
何の前触れもなく突然姿を消すように不登校になったミコに対し、私は何もできないでいた。

何度か先生に欠席理由を訊いてみたけれど、個人的なことだからと詳しいことは何一つ教えてくれなかった。

元の時代に帰ってしまったのだろうか。


「良い加減返事くれたって良いのにね。でも不思議、伊智にだけ連絡先を教えていたなんて」


お母さんとのスレッドには、ミコの安否を心配する私のメッセージで埋まっている。メッセージには全部既読が付いていて、それが余計に私を歯痒(はがゆ)い気持ちにさせていた。

そのことを話したら、急にケイの表情が険しくなった。


「それって、本当にミコなの?ちゃんと本人に確認した?」

「してない」

「……呆れた」


ケイはわかりやすく溜息を吐いてから再び私の髪の頭をかき混ぜた。避けようと思えばできたはずなのに、身体がそうしようとしなかったのはどこかで喰らっておいた方が良いと思ったからだ。


「知らない人だったらどうすんのさ。そこの根暗な男子とか」


繊細な須藤くんは、ケイに指を刺されたのに気が付いてすぐに顔を上げる。関係ないのにいつもごめんね。


「須藤くんはそんなことしないって。それに、私のメッセなんて見ても誰も得しないよ」

「世の中にはヤバい奴ばっかだよ。あんた、そういうの疎いから気を付けな」


悔しいけど、学校以外にも居場所を持っているケイにそう言われると、何も言い返せない。


「そういえば、ミコってSNSやってたよね。そこから直接連絡すれば良いじゃん」

「知ってたらもう送ってる」

「あんたら、それでよく仲良くしてたね」


ケイは許可なく私の前の子の椅子に座ろうとしたから、私はすかさず窓際の方へと移動してケイを椅子から遠ざけた。


「もう1回アカウント探してみたら?どうせあの子、空しか写してないんでしょ」

「鳥の羽とか、虫とかも撮ってた」

「野生児か」


あまり気乗りしなかったけど、ケイに言われた通りSNSの検索機能で学校周辺の投稿情報を調べてみた。


「ストップ……これじゃない?」


画面をスクロールさせていたら、ケイは青空の写真の投稿を見つけた。

「まさか、こんなに早く見つかるなんて」

「アカウントの名前が”mikoko.suzuki”って、ほとんど本名じゃん」


おまけに自己紹介文が「高校一年生です。」って、これ、完全に危険なやつだ。今すぐ本名はやめておけって忠告した方が良いんじゃないのか。

アカウントのアイコンは夕焼けを背景にした海。フォロワー220人に対して、フォローの数は1人だけ。

ミコらしきアカウントの投稿を見てみると、淡白な一言と、ハッシュタグも何も付けられていない空や植物の写真ばかりだった。

ほとんどのハートマークが1桁なのに対し、(ほうき)にまたがった魔女の形をした雲の写真だけ4000も付けられていた。この写真がバズったのがきっかけで、フォロワーが一気に増えたのだろう。


「これ、うちらの学校じゃん、しかもあの場所。ほら、桜の樹もある」

「間違いない。ミコだ」

「最近の投稿は、岸壁、ヤドカリ、海辺の景色。あの子引っ越したんじゃない?」


写真に映るのは私達の街には見慣れない光景ばかり。よく見てみると、アイコンもその海で撮影したものみたいだ。


「伊智、あんた早く連絡してあげた方が良いよ。ほら、もう変なアカウントが寄ってきてるし、あの子律儀に返信しちゃってるよ」

「う、うん……!」


私はすぐにアカウントをフォローし、DMを送る。

長々と書いてしまいそうになったけれど、いきなりそんな文章を送られてきてもただ引いちゃうだけだと思う。あえて初めは挨拶だけにしておかなくちゃ。

どうか返事だけでも返してほしいと、私は願いを込めて送信ボタンを押した。

「ミコは、お母さんじゃなかった……」


時間差で襲ってくるのは今までしていた盛大な勘違いのツケ。申し訳なさとか、恥ずかしさとか、欲しくない感情がごちゃ混ぜになって押し寄せてくる。

本当に勘違いをしていただけなのだろうか。

でも、でもさ。それなら、どうしてお母さんとのやりとりに既読が付いたの?


「そんな顔するんだったらさ、ちゃんと会って確かめてきなよ」

「え?」

「伊智、あんた泣きそうになってんじゃん」

「うう、でも、どうやって」

「そんなの調べたら良いじゃん。ねえ!須藤!ちょっと来て!」

「ちょ、ちょっと!」

 
ケイは私からスマホを取り上げると、須藤くんのもとへと走っていった。


「この景色って、どこで撮れるか知らない?」


須藤君は突然迫ってくるケイに対してあからさまに警戒した素振りを見せていたけれど、ケイがスマホの画面を見せると、興味深そうに凝視して考え込んだ。


荒牧海岸(あらまきかいがん)、だと思う。2つ隣の県にある、日本でも有数の断崖絶壁で自殺の名所。まさかだと思うけど、自殺した人のアカウントでも見てるの?」


「そんな悪趣味なことするか。そこに伊智の母ちゃんがいるかもしれないんだ」

「ちょ、ちょっと、ケイ……!ややこしくなるから、その言い方はしないで」


慌てたせいで、須藤君の机の脚を思い切り蹴ってしまった。


「ごめんね、須藤君。それにしても、須藤くんは荒牧海岸に詳しいんだね」

「一応写真部だし、近辺の撮影スポットくらい把握している。荒牧海岸は有名な場所だよ。自殺の名所としてだけど」


物騒な言葉を聞いて背中に悪寒が走ったのは、その可能性を完全に否定できなかったからだ。


「荒牧海岸には、どうやって行くの?」

「途中までJRで行けるけど、そこから私鉄に乗り換える必要がある。ただ、1時間に1本あるかどうかの超ローカル線だから、計算して向かわないと、なかなか辿り付けないよ」

「……大丈夫かな」


自転車通学の私にとって電車移動自体は大冒険だ。ローカル線ってテレビでしか見たことがないし。

確か、ホームには改札すらなくて、車内で買わないといけないんだっけ。もう乗り方すらわからないんですけど。


「よし、決まり。須藤、明日伊智を荒牧海岸まで連れてったげて」

「どうして僕が」

「明日は祝日なんだし、須藤、あんた暇でしょ」

「ひ、陽木さんと二人で行くってこと?」


須藤君は狼狽えるように言った。そんなにあたふたしなくても。


「さてはあんた」

「べ、別に。自分達で行けば良いじゃないか」

「私はそんな遠いところ無理。どのみち明日は昼からバイトがあるし。ほら、写真部の活動の一環だと思って行って来なよ。それとも何?私の大事な友達に1人で行けって言うの?」

「それは……」


耐性が付いていない須藤君はケイの勢いに圧倒されてしまったみたいで、(しお)れるように机の木目に視線を落とした。須藤君、ほんとごめん。


「えっと、私一人で行けるから、大丈夫」

「行ってどうするの?」

「近くにミコがいるかもしれないの」

「鈴木さんって、体調不良で学校を休んでいるんじゃないの?」


私は再びスマホの画面を須藤君に見せた。


「さっき見せた写真、ミコが投稿したものなんだ。私、訳があって直接ミコに会って話したいの」
須藤君は腕を組んでしばらく考え込む。多分、彼は私以上に物事を慎重に考える人間なのだろう。


「わかった。僕も一緒に行く」

「え?」


ケイは口笛を吹いてから「見直した。男じゃん」と言った。


「い、良いよ。無理しなくても」

「ここの街からだと電車を使って3時間以上かかるから、1人で始めて行くのは相当ハードルが高い。それに、よく考えると、自殺の名所に1人で行かせるのも、ちょっと気が引ける」


さっきまであんなに嫌がってたのに、須藤君はミコの名前を聞いた途端、スイッチが入ったかのように積極的になった。

思えばミコが倒れた時に1番初めに駆け寄ってくれたのは須藤君だった。彼はミコを介抱してくれてからも、ずっと気にかけてくれていた。


「ありがとう。須藤くんが来てくれると本当に助かるよ」

「それじゃ、明日の5時に、学校近くの美浜駅に集合しよう」


5時……。

それはちょっと早過ぎないかい、と言いかけたけど、せっかく一緒に来てくれるのにそこまで言っちゃ失礼だと口を(つぐ)む。ケイは隣で笑っているけど、あえて気付かないふりをしておこう。


「わ、わかった。明日、よろしくね」


ホームルームが始まるチャイムが鳴ると、須藤君は、まるでスイッチを押されたように、すぐに反射的に自分の席へと戻って行った。

ケイだけは相変わらず満足そうに鼻歌を歌いながら、ゆっくりと廊下に出て行ってしまった。
早朝にもかかわらず、駅のホームにはベンチに座れないほどの人がいる。

子供がすっぽり入ってしまうほどの大きなキャリーバッグを持ってきている人や、新聞を丸めてズボンのポケットに突っ込んでいる人。ずっとスマホをいじっている人。

あの人達は一体どこに向かうのだろうって思ったけれど、よく考えると私もその中に入っている。

パーカーの袖にすっぽりと手を収めて、ぶるると小さく身震いをする。

駅前のロータリーの隅にある草むらからは、コオロギの鳴き声が(かす)かに聞こえてくる。これから会いに行く誰かさんだったら、真っ先に草むらに駆け寄っていきそうだ。

4時間しか寝ていないのに睡魔が襲ってこないのは、慣れない場所にいる緊張感と、中学の部活の遠征以来に乗る電車へのわくわくの両方だと思う。


「おはよ。早いね」


5時丁度に現れた須藤君は、目を擦りながらこもり声でそう言った。

私が「今来たところ」と言うと、須藤君は少し安心したように微笑(ほほえ)んだ。


「コンビニで水買って来て良い?」

「10分発の電車に間に合うかな」

「すぐ戻ってくる。ちょっと待ってて」


須藤君は私の同意を得る前に駅前のコンビニへ走って行き、言葉通りにすぐに帰ってきた。そんなに慌てなくても別に怒らないのに。


「あれ?須藤君、切符を買わないの?」


真っ先に改札に向かう須藤君を私は慌てて引き止める。


「あ、そっか。陽木さんSuica持ってないんだっけ」


……これ、間に合うかな?

ちょっとむかついたけど、今はそんなことを思っている場合じゃない。


「ごめん、切符買ってくるから待ってて。ええと……何駅だっけ?」

「港駅。上の料金表で赤線の路線を探して辿ってみて、端の方に書いてあるはず」


くっそう。こんなことなら初めからコンビニなんか寄るなよ。

って、また余計な感情を抱いてしまった。とにかく今は、電車の出発に間に合わせることだけを考えないと。
ようやく切符を買い終え、ホーム続く階段を駆け降りる。既に電車はドアを開けて待っていた。

須藤君はスピードを落とすことなくドアに向かって直走(ひたはし)り、私はそれに引っ張られ、なんとか乗り込むことに成功した。

タイミングを見計らうようにドアが閉じられたから、ひょっとして私達を待ってくれたのかのかも、なんて思ったのも束の間。すぐに「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」とアナウンスで叱られた。

空いている席に座ると、大きく深呼吸をする。

毎日自転車通学をしているから体力はある方だと思っていたけれど、いつぶりかわからない全速力に心臓が悲鳴を上げていた。


「ごめん。いつものように部活の友達と出かける感覚でいたよ」


須藤君がさっきコンビニで買ったミネラルウォーターを渡してくれた。


「ありがと。私の方こそごめんね」


謝られた時は、大抵こちらも謝り返して立場を平等に持っていく。いつの間にかそういう癖を身に付けていた。

気を紛らわすように、窓から見える景色を撮影してSNSに投稿する。通知欄のマークを期待したけれど、いつもと同じ光景だった。


「そう言えば、鈴木さんって陽木さんのお母さんなの?」

「え?」

「だって、昨日言ってたじゃん」


唐突にそう言われて、思わず声を失う。あの時ケイの失言を上手く誤魔化せたと思っていたのに、しっかりと記憶されていた。

常識的に考えてあり得ないことをわざわざ訊いてくるのは、揶揄(からか)っているだけなのだろうかと勘繰(かんぐ)ってしまう。

それでも、思い切って話してみたいと思ったのは、決して須藤君がそういう人間じゃないって思ったから。


「ミコは亡くなったお母さんにそっくりなんだ」

「もしかして、陽木さんが鈴木さんに会いに行くのって……」

「うん。半分はお母さんに会いに行くって思ってる。変だよね」


須藤君は何も言わず、反対側の窓から見える外の景色に視線を移す。つられるように私もぼんやりと外の景色を眺めた。
景色に緑が増えてきたなあ、なんて呑気(のんき)に考えていたら、須藤君は突然控えめな声で、でもはっきりと言い切った。


「変じゃない」

「……え?」

「変じゃないよ」

「どうして、そんなことが言えるの?」


須藤君は外の景色を眺めたまま言った。捉えているのは別の景色のように思えた。


「僕の両親は、中学の時に離婚したんだ」

「え?」

「僕は父方に引き取られることが決まっていたから、突然お母さんが出ていった。でも僕はそれが受け入れられなくて、ひどくショックを受けた。

それで何度もお母さんを探していた時期があって、今でも後ろ姿が似ている人がいると、もしかしてと思って、見てしまうんだ。だから陽木さんの話を聞いて、勝手に共感した」


言い終えてから須藤君は「変なこと言ってごめん」と謝ると、黙り込んでしまった。

そのうちリュックから持ってきたカメラを取り出すと、電源を入れて撮った写真を眺め始めた。訊いてみると、文化祭に写真部として出展する展示会用のものらしい。

そのうちに楽しくなってきたのか、須藤君はずっと写真のことを話していた。スイッチが入るとこんなにも楽しげに話すなんて、意外な一面が見れたのかもしれない。
乗り換えの駅に着く頃になると、既に一生分電車に乗っていたんじゃないかって思うくらいに背中が痛くなっていた。

脚に血が溜まってくるし、背中や腰はもうバキバキ。

なのに須藤君は「今から乗る列車はエンジンで動くから電車とは言わないんだよ」なんて、別に訊いてもいないことを得意げに話してきたから、あえて聞こえないふりをした。

2両しか繋がっていないクリーム色のくたびれた列車に乗り変え、今度は40分くらい揺られ続ける。ここまで来ると席に座っているのも中々の苦行だ。

目的の駅に到着してホームに降りると、一目散に「うーん」と声が出るほど大きく伸びをしたり、腕や首ををぐるんぐるん回したりして身体をほぐす。

到着した駅周辺の街並みは想像よりもずっと都会的だった。

もちろんビルのような高い建物はないけれど、代わりに最近できたような真新しい居酒屋やカフェが連なっていた。

途中で景色が田んぼばかに変わったから、てっきり昔話に出てくるような茅葺(かやぶ)き屋根の建物を想像していたんだけど。

お洒落なカフェは気が引けるからという理由で、私達はわざわざ見慣れたチェーン店のカフェに入ることにした。ここだと無料のモーニングもあるし、学生の私達には合っている。


「間違いない。今日の投稿も荒牧海岸だ」

「でも、予約投稿をしているかもしれないから、そこに行ったとは限らないんじゃない?」

「わざわざ日記みたいに日付まで書いてるし、干潮の写真を投稿しているから、朝撮ったことは間違いないと思う。ところで、DM来てるよ」

「ミコからだ……!」


モーニングを食べ終え一息ついてSNSを見ていたrあ、突然通知欄に赤いマークが付いた。


「”あなたは誰ですか?”って、めっちゃ警戒されてる」

「陽木さんに気が付いていないんじゃないかな。近くに来てるって言ったら喜ぶんじゃない?」


いや、でも、こちとら結構無視されてるし、って違うか。全部私の勘違いだったっけ。

でも、今まで誰とも連絡先を交換していないのは、きっと踏み入れられたくないことがあるからだ。

望んでいないのにわざわざこんなところまで出向いてきたことを、ミコは素直に受け入れてくれるだろうか。

先に進むのが怖くなってきた。