田舎町の無人駅周りは、ネットの画像から想像する以上に人も建物もなかった。唯一の救いは、カンテラ祭の時期ともあって、タクシーだけは駅前にとまっていてくれた。

 タクシーに乗り、日が暮れる前に目的地へと向かう。カンテラ祭は、田舎町のさらに人里離れた山の中で行われているため、今日は近くの宿で一泊することになっていた。

 タクシーで走ること一時間、カンテラ祭を主催する神社で大急ぎで受付を済ませた後、宿についた頃にはすっかり日も暮れていた。

「なんか、写真と違って雰囲気あったよね」

 タクシーからおりて空を掴むように伸びをしたすみれが、率直な感想を口にする。確かに、壮大に感じる山々を背にした神社には妙な格式高い威厳があったし、木々の隙間から見えた洞窟の入り口からは、この世の果てみたいなオーラが感じられた。

「チェックインしてくるね」

 リュックを背にし、すみれが足早に古民家のようなただずまいの宿に入っていく。その背中を追いかけていくと、人の良さが全身から溢れ出ている初老の男性が出迎えてくれた。

「長旅だったでしょう?」

 はるか東の都会から来たと告げると、初老の主人は糸目になって笑みを浮かべた。どうやら愛想がいいだけでなく話好きみたいで、一瞬迷ったけど主人につきあうことにした。

「毎年こんなに賑わっているんですか?」

 小さな宿とはいえ、明らかにカンテラ祭の参加者と思われる人が受付で列を作っていた。

「おかげさまで、この時期はたくさんのお客様がお越しになられますよ。昔は、自然しかない閑散地でしたが、今では町の目玉になっていますからね」

「そうなんですね」

「ところで、お二人さんもやっぱり誰かに会いに来られたのでしょうか?」

 軽く咳払いをした主人が、妙な質問をしてきた。カンテラ祭に参加するということは、目的は会いたい人に会うしかないはず。そう不思議に思っていると、主人は白髪頭をかきながら小さく頭を下げた。

「いえ、最近はカンテラ祭の目的とは違った目的で来る方もいらっしゃいまして。ほら、最近は色んな方が動画や写真を撮られていますからね。それはそれでかまわないのですが、中にはこの地で人生を終わらせるつもりで来る人もいますものですから。まあ、その点ではあなたは大丈夫だと思いますが」

 にこりと笑う主人の顔から、わずかに見えていた心配の色が消えたように見えた。どうやら主人は、来訪客の相手をしつつ来訪の真意を推し量っていたみたいだった。

「そんなに、自殺する人が多いのですか?」

「そうですね、まあ残念ながら少なくはないです。考えてみたら当然ですが、死者に会いに来るわけですから、なにかしらの不幸は抱えているものでしょう」

 すっと窓の外に視線を移した主人の横顔に、微かに影が広がっていく。考えてみたら、主人はこの場所で多くの命を断った者を見てきたわけだから、その胸に抱いてる悲しみは計り知れないものがあるのかもしれなかった。

「私はいつも思うのです。人の幸せとはなにかって。いや、たいそれたことを言うつもりはないのですが、ここにいると時々考えてしまうものでして」

「それで、答えは見つかったのですか?」

「いえ、残念ながら胸を張って言えるものはありません。ただ、人の幸せとは、なるとか感じるとかいうものではないのではと、最近思うようになったのです」

 目を細めた主人の呟きからは、妙な重みが伝わってきた。

「だとしたら、幸せとはなんですか?」

「いることだと思います」

「いること?」

「はい、幸せとはなにかについては人それぞれだと思います。しかし、どんな思いであろうとこの世に存在していなければ意味がありません。つまりですね、人の幸せの形というのは、ここにいて誰かに影響を与えることではないかと思うのです」

 言い終えた後、主人は照れ隠しのように白髪頭に手を伸ばした。その仕草に素直に笑えなかったのは、主人の言葉を受け入れられなかったからだった。

 なぜなら、僕は今、母親と兄の世話をうけなければまともに生きることができない。つまり、僕の存在は確実に家族に不幸をもたらしていることになるだろう。

 ――それに

 脳裏に浮かぶしわがれた男の声。娘の不幸を呪うかのように僕にぶつけてきたあの声に、幸せの欠片は微塵も感じられなかった。

「実は、僕は記憶障害を持っています。一日が終わって眠ってしまうと、記憶を失った状態から一日が始まります。なので、家族の助けがなければ一人で生きていくことができません。そんな僕であっても、存在することで誰かを幸せにしている、もしくはすることができるでしょうか?」

「できますよ。たとえあなたがなにもできなかったとしても、きっと誰かを幸せにすることはできると思います」

 半分は疑いを込めて、半分は期待を込めた僕の質問に、主人は迷いなく断言するように答えた。

「泰孝、行くよ」

 にっこり笑う主人の横から、チェックインを終えたすみれが姿を見せる。その姿に、一瞬胸が苦しくなるのを感じたのは、なぜかわからなかった。