「ティア……。この馬鹿、ムチャをしおって」
 かすれがちで消え入りそうな囁きが降ってきます。誰の者よりも聞きなれたお声です。

「女神さま」
 見上げたわたしの頬にしずくが落ちてきます。
「馬鹿が……っ。わらわを置いて、行こうとしおってからに」
「女神さま……」
 緑の瞳が濡れて、そこからいくつもしずくがこぼれます。女神さまが泣いていらっしゃいます。
「ごめんなさい、女神さま。もう二度といたしません」
「あたりまえじゃ。このようなこと」

 わたしが自力で舞い上がって女神さまのおでこに触れると、女神さまは右手の甲で濡れた頬をぬぐわれました。白い頬に淡い金の御髪(おぐし)が張り付いてしまっています。わたしは少し移動してその御髪を梳いて差し上げます。豊かな金髪は柔らかく華奢な肩を覆って……。

「あれ?」
 わたしはすっとんきょうな声をあげてしまいます。
「め、女神さま。お姿が戻ってます!」
「なにい?」
 女神さまは目を丸くしてご自分のおからだを見まわします。
 すらりとした長い手足にほっそりした腰つき。ぺったんこのお胸……そうでした、女神さまのお胸が小さいのは元からなのでした。

「ううむ。戻っておる」
 指先に光を灯して神力を出せることも確認され、女神さまは行儀悪く頭をかきました。
「なんでじゃ? 誰ぞ、わらわを好いた男がいたというわけか?」
「…………」
「おかげでおまえを止められたのだがな。まったく肝を冷やしたぞ」
「うう、すみません……」

「おおー。姉上、戻ってる」
 傍らにいらした弟君も目を丸くされています。
「どうして?」
「さあなあ、ヒャッハーのついでに父さまが戒めを解いてしまわれたのだろうか」
 勝手に解釈してうんうんと決めつけている女神さまの横から、弟君がわたしに疑いの目を向けているのを感じます。いえ、ほんとのところはどうかなんてわたしにだってわかりませんし。

「また兄上においしいところを持っていかれたな」
 煌めく瞳の叔母君はお怒りのごようすです。
「自分ばかりやりたい放題。あの人はいつもそうだ。今度こそ皆で抗議しないか?」
「いいですね! ぜひやりましょう」
「あまり大事にはするなよー」
 すっかり砕けたごようすでお三方は相談を始めます。その足元では、秩序を取り戻した兵士たちがそれぞれの帰路につこうとしていました。