第1話

 ――知っているか?
 俺たちエルフは肉を食べない。


 ある日の午後。
 世界樹の麓にある家をこっそりと抜け出した主人公のダージュ。
 その目的は里の掟で禁じられている、肉を食べるためだった。

「へへへ、ついに長年の夢が叶うぜ……!」

 森で集めた枯れ木に精霊魔法で火を点け、串に刺した生肉を炙り始める。
 香ばしい匂いが立ち上り、焚き火の前でだらしのない表情を浮かべるダージュ。
 しかし、いざ食べようとしたところで邪魔が入ってしまう。

「よし、それじゃさっそく。いただきま――グヘェッ!?」

 いざ串焼きを口へと運ぼうとしたその瞬間。
 突如飛来してきた巨大なウォーターボールによって、ダージュは持っていた肉ごと森の奥へと吹き飛ばされた。あまりにも突然の出来事に受け身もとれず、彼は地面の上を勢いよくゴロゴロと転がっていく。

「ダージュ、貴様ぁああ! よりにもよって儂の里で、肉を焼いて食おうとしたなぁああ!?」

「あああぁぁあ! 俺の串焼きがぁあ!」

 森の中を木霊する二つの咆哮。
 犯人はダージュの祖父であり、族長のリセルカだった。


「知るか! 儂は肉や炎が嫌いなんじゃ。生き物を殺し、大切な枝や葉を燃やすなど、精霊の友であるエルフの風上にも置けぬ! 我々エルフの民は世界樹の果実のみを食べて、静かに過ごせばいいのじゃ!」

 烈火のようなその怒りに近くに居る風精霊が影響されたのか、リセルカの周りをゴウッと落ち葉が舞い上がる。
 しかし我慢の限界だったダージュは立ち上がり反抗する。

 掟は菜食だけではなかった。
 里を出てはいけない。争いごとはするな、反論をするな。言われたことだけを続けろ。
 他にもたくさんあるが、どれも疑問を口にすることすら禁じられている。

 毎日毎日ひたすら同じ食事をして、与えられた仕事を繰り返してハイ終わり。
 何か違うことをしようと願うことすら許されない。

「夢を持つことより、掟の方がそんなに大事なのか? ジジイは俺たちに死ぬまでこんな生活を続けさせる気なのかよ!?」

 エルフの寿命は長い。普通のエルフですら三百年は生きる。
 ダージュは今年で二十歳になったばかりだが、残りの人生は約十万日。
 十万回も同じ日を繰り返すなんて、とてもじゃないが耐えられなかった。

「なにを馬鹿な……この平和な日々がどれだけ貴重なのか、貴様にそれが分からんのか!」

「まるで時が止まったかのような不変が、ジジイの言う平和なのか? 自分の意志を持たず言いなりになるのが、本当に正しいことのかよ!?」

「……お前は若さゆえに、人が抱く欲望の恐ろしさを理解できていないのだ。現実が見えておらぬ未熟者が、勝手なことを言うでない!」

 ピシャリと叱られるが、ダージュは納得できない。
 彼は亡き父から譲ってもらった本を取り出して、祖父の前に突き出した。

「そ、その本は……」

「尊敬する冒険家の本だ。俺も自分の眼で世界を見てみたいんだ」

 世間知らずなのは、彼も自覚していた。
 だからこそ自分の足で歩いて、実際に見てから何が正しいのかを判断したかった。
 自分の価値観を他人の意見で決められたくない、とダージュは祖父に訴える。


「第一、現実から目を逸らしているのは、ジジイの方なんじゃないのか?」

「なっ!?」

「ジジイは自分の信じているものが揺らぐのが怖いんだ。周囲が変わって自分が取り残されてしまうのが怖い、ただの臆病者だよ」

 里のエルフたちを長いあいだ導いてきたことは彼も認めている。
 一方でその間に何か一つでも変化はあったのか。成長や発展はあったのかという疑問があった。

「他人をコントロールしようというのは、あまりにも傲慢な考えだよ。ジジイは神にでもなったつもりなのか?」

「ダージュ、貴様はそんなふうに儂のことを……わ、儂はみなのためを思って……」

「果たしてそれは本当にみんなが望んだことなのか? 俺の眼には、誰にも縛られていない精霊の方が、よっぽど自由で楽しそうに見えるぜ!」

 そう言ってダージュは森の中を楽しそうに踊りまわる精霊を見つめる。

「はぁ……儂の教育が間違っておったようじゃな。精霊と接触させるべきではなかったのだ……」

「この期に及んで、俺から大事な友人まで奪う気かよ!」

 肉を焼いたぐらいで、ここまで言われる筋合いは無いとダージュは憤りを隠せない。

「おい、どこへ行くつもりだ。まだ話は終わっておらん!」

「そこまで言うのなら分かったよ。こんなクソみたいな里、自分から出て行ってやる!」

「――本気なのか、ダージュよ。一度吐いたその言葉は撤回できんぞ」

「嘘じゃねぇよ。世界を回って、そのうちジジイが泣いて認めるほどの美食(グルメ)を持って帰ってくるからな」

 そう啖呵を切るダージュ。こうして彼は家出も同然にエルフの里を飛び出した。
 ここで踏み出さなければ、一生この窮屈な場所で飼い殺しにされると思ったから。


 ――だが、現実はそう甘くなかった。

「ううっ……腹へった……」

 里があるヴェントの森は無事に越えたものの。人間族の住む下界へと繋がる風穴に迷い込み、彷徨うこと五日。

 ダージュは空腹が限界に達し、無様にも行き倒れていた。