男装魔法使い、女性恐怖症の公爵令息様の治療係に任命される

「外国の術者?として、何かアドバイスないか」
「何、治療そんなにうまくいってないの?」

 ルディオが、何やら思い返したくない不都合な事実を思った顔をした。

 しばらく間があった。外から鳥の鳴き声が、数回聞こえてくルディオらいの時間がたっぷり流れていく。

「……まぁ、そう。全然進歩もしていない」
「何が起こったのかは聞かないけど、私は外国の術者だから役に立てないよ。この国の魔女か、魔法使いをあたった方がいいと思う」
「外国の術者って、つまり魔法の術ってことだろ?」
「違うよ。魔術」

 ルディオが小首を傾げた。これも、何度目かのやりとりだ。

(魔力を使うのは同じだから、私も説明できないんだよなぁ)

 基本というか、その仕組みの何もかもが違っているのだ。エリザはずっと師匠ゼットの手を見て育ったから、魔法の方がちんぷんかんぷんになる。

(この国を出て、ずっと歩き続けたら魔法がない国もあるのかな)

 その時、ルディオが立ち上がる。
「そろそろ行くの?」
「おう、演習場は近くだから休憩時間内で戻れるし」

 すると彼が、一歩を進めようとしたところでハッと振り返ってくる。

「まぁ、また次に来てもここにいるよな?」

 いつからか、彼はそんなことを確認するようになった。

 流れていくような旅だと言ったせいだろう。

 この国の本は魔法仕掛けで、読み手の言語へと自動変換された。とくに王都とその近くは本に困らなくて、つい余暇を楽しむように居座ってしまっていた。

 何より、しばらくエリザも誰かとお喋りしていたかったからだ。

 もうホームシックはなくなった。大人になったから。

(――でも)

 ルディオがおずおずと窺う顔は、まだお別れの準備ができていないみたいだった。一つ年上のくせに、別れを恐れているみたいだ。

「まだいるよ」

 だから、エリザは残り少ない紅茶を飲んでそう答えた。

「王都に入ったところにある図書館の許可証、ようやく【赤の魔法使い】の活動証明でとることができたから」

 欲を言えば、もっと本を読んでみたい。

 それは、ここを出てもできることだ。けれどエリザがそう答エリザと、ルディオが子供のように瞳を輝かせて「また」と笑った。
 あまり日も開けず、またしてもルディオはやってきた。

「……はぁ。あいつが数日熱で寝込んだ」
「どういうこと?」

 手土産の料理を食べながら、話を聞いた。

「婚約者にどうかと魔法写真を見せられてぶっ倒れた。診察の結果は、心労だってさ」

 なんて脆弱な精神力なのだ。

 上司の部屋を破壊する図太さを、そちらに回せばいいのに。

「何が言いたいのかは、よく分かる。けどな、ほんと病気みたいなもんなんだよ」
「私の心を勝手に読まないでほしいな」
「だから、遠慮がないくらい顔に出てるんだってば。あの怖がり方は異常だって。ちょっとでも女の子に触れると真っ青になって、蕁麻疹が出る」

 医者、精神科、魔女、魔法使い、同性の友人達――と色々治療は続けられているが、改善の進展は微塵も見られないとか。

「恋でもしたら治るんじゃないの? もしくは、結婚すれば周りも納得して落ち着く」
「それ根本の解決になってないだろうが。さては飽きたな?」
「私、そもそも興味は持ってないよ」

 ――だがエリザは、この時投げた軽い言葉を後悔することになる。
 二日後、唐突に扉が開けられて驚いた。

「エリオおおおおおお!」
「うわぁあぁあ!?」

 読書に集中していると、ルディオが突入してきた。

 彼の表情は蒼白だった。一体何があったのだろうとエリザが見つめていると、彼は家に入るなり膝から崩れ落ちた。

「俺、俺……あいつと結婚させられたらどうしよう!」
「……は?」
「サロンで聞いちまったんだ。隊長たちが笑いながら『このままだとあいつは幼馴染にもらわれちまうかもな~永遠の世話係で』って!」

 エリザは、ぽかんと口を開けた。

 それは先日、自分が『結婚すれば』と言った解決策だと気付いた。

 女性がだめであれば男性に走る、というのはある気がする。

(でも貴族の跡取りなら、さすがにないんじゃない?)

 その時、床に這いつくばっていたルディオが突然泣きついて来た。

「そんなの嫌だ! 助けてくれ! このままだと俺が幼馴染の生贄にぃ!」
「ぐぅっ、腰が痛いからバカ力で抱きつくな! 別に問題ないでしょ男同士ぐらい!」
「俺は女の子が好きなんだ! ぶっちゃけると酒屋のマリーンみたいな、ぼんっきゅっぼんのお姉様系美女が好みなんだよぉぉおおおおお!」
「知るかぁぁあああ!」

 エリザは力を加減しつつ、腰に抱きついてきたルディオの頭に手刀を落とした。
「ぐぇっ」とくぐもった声を上げて彼が床に崩れ落ちる。

「さ、さすがの怪力魔法だぜ」

 魔法ではなく、魔術だ。

 けれど指輪の事情を話していないエリザは、何も言わず睨み付けていた。

「頭は冷めた?」
「冷めた。俺が結婚相手にさせられたら最悪だ」

 まだ冷静に戻れないらしい。

 するとすぐに復活したルディオが、その場で正座して真剣な眼差しでエリザを見上げた。

「幸い、【赤い魔法使い】は男だと思われてるし、あんたならきっとなんとかできると思う!」
「その根拠のない自信はどこから来た!? 相手は極度の女性恐怖症なんだから、無理でしょ! 凛々しい表情したって引き受けないからねっ」
「外国の術者として、全力であいつを治療してやってくれ。ついでに男色家にならないように外国流の不思議な魔法をかけ――」
「そんなものねぇよ!」

 エリザは、師匠との旅ですっかり悪くなった口調で出てハタとする。

「そもそも、相手の幼馴染もそういう気持ちは持ってないんでしょ」

 咳払いを一つ挟み、言葉を続ける。

「うん、あいつは俺にそういう感情は持っていない」
「なら大丈夫でしょ、結婚を決めるのは本人なんだから」
「けど周りにいる権力者なら、俺をあいつの一生涯の世話役として、花嫁に仕立て上げるのが容易に想像できる」

 お前の周り、どんな貴族がいんの! 怖ぇよ!

 いよいよ関わりたくない。

 エリザは「えぇい、とにかくッ」と言うと、ルディオの襟首を躊躇なく掴み猫のように持ち上げた。

「噂くらいでいちいち騒ぐなっ。いっぺん戻って、自分で状況を確かめて来い!」

 そう告げて家の外に放り出した。

 ルディオが尊敬する眼差しを向けて「腕一本で俺を持ち上げるとか、かっこいい」とか聞こえたが、彼女は無視して扉を閉めた。
 その翌日。

「う、わぁ……」

 エリザは、そこが個人の家だと思えず立ち竦んだ。

 大理石の階段と、埃一つない磨き上げられた床。豪華なシャンデリアが高い天井を彩り、まるで一つの城のようだ。

 真っ黒い色に身を包んだ自分が訪れるのは、場違いだと感じる。

 玄関ホールへ通されると、そこには燕尾服に身を包んだ高齢の執事が待っていた。

「ようこそお越しくださいました。私は屋敷を任されております執事のセバスチャンと申します。たしかに可愛らしい方ですね。先に話は聞いておりましたが、【赤い魔法使い】の『エリオ』が女性だったとは驚きました」

 彼はフードを下ろしたエリザを見ると、にっこり微笑んだ。

「こちらへどうぞ」

 促されてしまい、共に足を前へと進める。

 豪勢な屋敷の中にいるという現状に緊張した。変に見られてはいないだろうかと、こちらに向かってお辞儀をするメイド達が気になってしまう。

 そわそわと落ち着かないまま、広々とした客間に通された。
「主人を呼んでまいります」

 メイド達が紅茶を入れるのを見届けると、セバスチャンが一緒に下がって、いったん一人で部屋に残された。

 詰めていた息を吐き出し、ようやく固まっていた思考回路が動き始める。

(どうして、こんなことになっているのか)

 すごく良い香りのする紅茶を前に、エリザはぼんやりと回想した。

 ルディオを追い返したのは、つい昨日のことだ。

 今日、エリザは朝からゆっくりしていた。するとノック音が響いたのだ。

『ラドフォード公爵家の者ですが』

 聞き覚えのない名前だった。貴族、ということに緊張した。

 用心しつつ開けてみると、そこには見慣れない二人の兵士が立っていた。

 彼らは気付いて視線を少し下ろし、エリザを見て僅かに目を見開いた。戸惑うように視線を彷徨わせたあと、若干緊張した様子で告げてきた。

『……【赤い魔法使い】様ですね? お迎えに上がりました』

 そして「お手をどうぞ」と、レディに対するように手を差し伸ばして来たのだ。
 ラドフォード公爵から招待されている旨だけが伝えられ、エリザはわけが分からないまま、兵士の一人に手を取られて森を歩き出た。

 道路には、その場所に不似合いな高級馬車が停められていた。

 エリザはエスコートされて乗せられ、豪華な馬車の中で茫然としている間に、王都に入り城のような公爵邸に到着したのだ。

(なぜ、私が指名されたのだろう?)

 公爵家という重い肩書きに頭を悩ませていると、と、伯爵家であるルディオの存在が脳裏をよぎった。

 そういえば、彼の幼馴染は公爵家の嫡男だと言っていた。

(――まさか)

 ようやくそう思い至った時、人の気配がしてびくっとした。

 先程のセバスチャンに導かれ、一人の恰幅がいい中年の男がやって来た。後ろからメイド達が紅茶の乗ったワゴンを押して続く。

「待たせてすまないね。私は、ラドフォード公爵、ラドック・ラドフォードだ」

 眉がやや下がった、優しげな雰囲気の顔立ちをしていた。

 エリザが想像していたような、プライドの高い怖い貴族という感じはなかった。