(いや、尊敬しているから治療係を盗られたくない、んだよね?)
「はい、エリオ、口を開けてください」
楽しそうな声に、思考が飛ぶ。
そもそもこの公爵家嫡男様は、恥ずかしくないんだろうか。
空気が読めていない男みたいな構図だと思いながら、ジークハルトを見つめ返す。席に戻ったフィサリウスとハロルドも含め、すごく見られている。
「……あの、今更なのですが、この体勢だとどうにも恥ずかし――」
「変更は無理です。ほら、あなたの好きなチョコケーキですよ」
「…………いただきます」
悩んだ末、目の前で誘われたら食わずにいられずぱくりと口にした。
ルディオが背を向けて「そこで食うのかよ……!」と小さく呻いていた。ハロルドも毒気が抜かれた顔をしていた。
(仕方がない。欲望には勝てない)
エリザは、緊張の糸が切れたみたいに笑い出したフィサリウスに恥ずかしさが増すのを感じながら、結局一切れ分のケーキをジークハルトに世話された。
その翌日。
ジークハルトが合同訓練に参加したタイミングで、エリザはフィサリウスの私室に呼ばれた。
「えーと……私がここにいていいのでしょうか?」
休憩がてら、王太子と紅茶を共に飲むことになって恐縮する。
エリザを男だと信じて疑わない使用人が去っていくのを、横目で追い見ながらフィサリウスは笑った。
「構わないよ。実はね、ずっと気になっていたことがあって――君とは一対一で話したいと思っていたんだ」
二人きりになったところで、フィサリウスがそう切り出した。
フィサリウスは優雅に長い足を組み、美しい微笑みで見据えていた。エリザが緊張を覚えて背筋を伸ばすと、安心させるように目元を和らげる。
「怖くないよ、大丈夫」
困ったように彼が言った。
「女の子にひどいことをするような男ではないから」
「そ、そういうことを言われると、一層緊張してしまうのですが……」
「ははっ、案外警戒心はあるんだね」
「師匠に、そういう風に育てられましたので」
どうにか答えたら、彼がにこりとする。
「そう、『育てられた』ね。そのへんについても聞きたいと思っていたんだ。ひとまず王子としてではなく、ジークの友人のフィーとして君と話したい。緊張しないで、どうぞお菓子も食べて?」
「お、お話を先に聞きます」
親切を断ることすら緊張を覚える相手だったので、首をぷるぷると横に振ったのも緊張が加算された。
正直、今は菓子を食べるような余裕はない。
(彼は――私に他の、なんらかの事情があると疑っている)
魔術師であると初めて聞かせたルディオと違い、彼は『魔術師の弟子』という肩書き以上の、その向こうを見据えている。そんな気がした。
「やれやれ。まるで、私が苛めているみたいだねぇ」
美貌の王子は、柔らかい雰囲気のまま小さく苦笑した。
「ルディオの報告で『魔術師の弟子』とあったけど、それは魔法使いと全く違ったもの、と認識していいのかな」
「違い、ますね。魔力を使う点では同じですが……」
「でも君は、魔力を持っていないね?」
断言されて、どきりとする。
「なぜ私が分かったか不思議かい? この国の王族は、みな魔法使いだ。私を含めて、ね」
「あ……」
そういえば、と思い出した。
「その中でも、私は重要な位置にいて【賢者の魔法使い】という呼び名が幼少の頃よりついている。君からは魔力の気配がしないのに、怪力の魔法やら身体の強化魔法やらを使っていると報告を受けて、不思議に思っていたんだ」
エリザは、どうしていいのか分からず戸惑った。
全て語ってしまったら、酷い目に遭うのではないかと怖くなる。
彼が知りたいのは、きっと魔力を持っていないのに、魔物を滅してしまう〝不思議な現象のカラクリ〟だろう。
「治療係としての本題入る前に、君のことを知りたいんだ」
いつの間にか下を向いてしまっていた。ハッと顔を上げると、困ったように微笑むフィサリウスがいた。
「本題の、治療……?」
「もしかしたらジークの〝病気〟は、体質でもなんでもないかもしれない。その推測を、より明確にするのには、君の正体を知る必要がある」
フィサリウスが真面目な顔で背もたれに身を預けた。
(……彼の女性恐怖症は、何か他に原因があるということ?)
エリザが話せば教えてくれるという。交換条件は卑怯ではあるが、彼にとってもジークは大切な騎士で、友人だ。
彼女もジークのことは改善してあげたいと思っている。
それに――彼の口ぶりからすると、解決策にはエリザの正体が取薬買う可能性も示唆していた。
「……私の、身の保証をしていただきたいです。師匠が、みんなが繋いでくれた十六年なんです、そして海を渡ってここにきました……生き続けると約束したんです」
そして二年、一人で生きてきた。
秘密にし続けていることが重い理由だと察してくれたのか、フィサリウスが小さく目を見開き、それから真剣な表情で頷いた。
「もちろんだ。君の安全は、私、この国の第一王子フィサリウス・レヴァンが守ると誓おう」
エリザはごっくんと唾を呑む。重い口を開きつつ、指輪を見せた。
「まず、これが怪力の正体です。私の指輪には、とても強い魔術が掛けられています。父と母が与えてくれた『怪力の指輪』になります」
フィサリウスが、興味深そうに覗き込む。
「なるほど。魔力にしては〝不思議な感じ〟がすると思っていたが、これも魔法具だったんだね」
「他人には外せません、それは私を守るために父と母が作ったからだと師匠は言っていました。必要がなくなった時には、他人に外させることができる、とか」
「それは興味深いね。君を守れる相手だと指輪が認めたら、外すことができるわけだ」
「そんなふうに考えたことはありませんでした……ほら、環境的な脅威がなくなると、とか?」
自分の考えを述べたが、彼ははぐらかすように指を差した。
「身体強化の効果も、この指輪が?」
「いえ、師匠から戦闘訓練をされたんです。彼は戦闘魔術師団長でした」
「そんな大物が、どうして君を育てることになったのかな」
「私の両親が――聖女と、勇者だったそうです」
まったく予想にしていなかった言葉だったのか、フィサリウスが目を丸くした。
エリザは生まれた際、自分が少しの間死んでいて、聖女の母と勇者の父が願った想いで蘇生してしまったのだと打ち明けた。
それが、彼女のいた国では禁忌だった。
生き返させられたなんて自分でも実感はない。けれど、師匠のゼットが捧げた十六年は、嘘を吐かない。
「生きる、と決めました。一人の旅になろうと師匠達が生かしてくれたこの命を、最後まで生きようって」
フィサリウスは、考えるようにしばらくテーブルの上を見ていた。
聞き終わった話を頭の中で整理し終えたのか、間もなく「なるほどね」と言って、そこにあるティーカップを持ち上げた。
「聖女に勇者か……そうだとすると、君か魔物を消滅させられる理由にも結び付くね」
「よく消滅だと分かりましたね」
部屋の主が紅茶を飲んでくれたので、エリザもようやくテーブルに置かれた菓子をつまんだ。緊張をほぐすように丹念に咀嚼する。
「聖女というと浄化のイメージが少なからずあるよ。魔力とは別の力なんだろう。我が国の古い時代に、その言葉が出てくる」
「へぇ。この国にもその文化はあったんですね」
「おとぎ話のレベルだけどね」
彼が肩をすくめて見せる。まさか事実として聞くとは思わなかったと、仕草と表情で語ってていた。
「大昔、精霊の力を借りて魔法が使えたそうだ。君の国にもあったかな?」
「ないですね。精霊はあくまで魔術の構成の記号要素にすぎないんです。元素を精霊にみたてて魔術陣に描き、必要道具を揃えます」
「その必要道具だけど、魔術の発動は魔力なしでできる?」
「できません。私が必要な道具を揃えても反応しないです」
「そう、魔力がないから、だよね?」
ティーカップを戻した彼の目が、求めていた回答だったと満足するように笑って、エリザはきょとんとした。
「私はジークの病気を疑っている。報告書を読んだけれど三日かけて検証しても、ジークは君には女性恐怖症の反応を一つの起こさなかったんだろう?」
試した日のことを思い返す。
「そうですね。そのあとも発症は確認されていません」
「私はルディオ達から話を聞いていた時から、ずっと疑問だったんだよね。ジークは、君なら触れても平気だろう?」
「はぁ。女と思われていないからなのでは?」
自分に色気も魅力もないことは分かっている。今回の治療係任命のせいで、ますます自信喪失したところだ。
すると、フィサリウスが「そんなことはないよ」と苦笑をこぼした。
「私から見れば、男の子だと勘違いする方が不思議なくらいに君はとても可愛らしい女の子だよ。多分、噂の先入観のせいじゃないかな? 君の髪と目も宝石みたいに綺麗だし、大きな目もキュートだよ」
お世辞にしても、くすぐったなる言葉ばかりだ。
さすがは王子様。エリザは一人の女の子としてここに座っているような、そわそわと落ち着かない気持ちになった。社交辞令として受け取っておくことにして話を進める。
「それで? 殿下の推測はどうなんです?」
「ジークは〝呪い〟にかかっているのだと思う」
思ってもみなかった言葉に目を丸くした。けれど――そうすると、腑に落ちることがすぐに見つかる。
「八歳の頃、年頃の近い貴族の子供達が集められた会の翌日から、突然ジークはああなったという。大昔の精霊云々の魔法は『まじない』だ。魔力によって発動し、精霊の力によって魔法が起こる。そうすると体内に魔力の痕跡は残らない」
「私の聖女の体質が影響して、呪いを抑えていると言われれば納得です」