スナップ・パーソンズ

 親友の拓也から、急ぎで会いたい用事があると何度かメ―ルが入り、夕方、渋谷のスターバックスで待ち合わせすることになった。先に店に着いた僕は、混み合っている店内で、どうにかテーブル席を確保して彼が来るのを待った。
 拓也がこんなふうに急用で呼び出すなんて珍しいな。
 僕はホットのカフェオレを飲みながら、外の景色を眺めた。通りにはすっかり紅葉した木々が立ち並び、時折、寒そうな北風が吹き抜けた。僕はなんとなくスマホを手に取り、シャッターボタンを押してガラス越しの風景を切り取った。
 拓也と僕は、今年の春、同じ大学に入学した者同士だ。学部は違ったから本来なら顔見知りにすらならなかったかもしれない。
 彼と知り合ったのは、あるガールズ・バンドのファンが集まるSNSがきっかけだった。そのバンドを推していた僕たちは、互いに投稿した応援メッセージや写真に「いいね」を付け、すぐに相互フォローした。推しの子が同じで、好きな曲も似通っていたので、自然にコメントのやり取りもするようになった。
 ゴールデンウイークに都内で行われたライブに揃って参戦した僕たちは、初めてじかに顔を合わせた。そのライブの後の打ち上げの席で、ようやく二人が同じ大学の一年生で、出身も同じ九州だとわかったのだ。僕たちは、リアルの世界でも大の仲良しになった。今ではもう、お互いが住むアパートの部屋を頻繁に行き来して、朝まで語らいながら飲み明かすくらいの親友だった。

「ごめん、ごめん、遅くなって」
 約束の時間を少し回った頃、拓也が少し息を切らしてやって来た。
「別に、謝られるほど遅れてないよ」
 僕は笑いながら言った。と同時に、遅刻常習犯の拓也がこの程度のことで謝るのも、やはり珍しいなと思った。
 すると拓也の背後からネクタイを締めた男が現れた。手にはコーヒーのカップを三つ乗せたトレーを持っている。三十歳前後の、眼鏡をかけた真面目そうな人物だった。
「あ、紹介するよ。この人、投資コンサルタントの小野田さん」
「投資コンサルタント?」
 僕は戸惑った。
 男はトレーをテーブルに置くと、初めましてと言って名刺をよこした。
【さくらファンド マネージャー 小野田達郎】と書いてある。
「やあ、急にごめんね。小野田さんは僕の遠い親戚で、怪しい人じゃないから」
 拓也はどこからか余っている椅子を見つけてきて、男を座らせ、自分も席についた。
 わけがわからないまま、コーヒーを勧められた僕は、その後一時間にわたり長々と、ある投資商品の説明を受けることとなった。
「というわけで、めったにない絶対に儲かる投資話なわけ。一口百万。もちろん俺も速攻で申し込んだよ。募集口数がもう残り少ないらしいんだ。だから親友の悠真には急ぎで話したかったわけ」
 拓也が「わけ」「わけ」と何度も繰り返す。
 そんな業界人みたいな胡散臭い話し方をするやつじゃなかったのに。
 まるで人が変わったみたいだ。
 だいたい明日までに百万円用意しろなんて、どんなにいい投資先だとしても話が急すぎる。しかも金がなければこの小野田とかいう男のつてで、保険証だけで借りられるとか、あまりにも強引だ。
「今回はね、配当が五割だから悠真の五十万の儲けは確実なわけ。でもって、話はそれだけじゃないわけ。この投資商品、悠真の知り合いとかに勧めて契約取れれば、悠真の配当が倍になって、百万の儲けになっちゃうわけ」
 つまりそれは、いわゆるマルチ商法にも手を染めろってことか。
 まさか拓也にこんな一面があったとは知らなかった。それとも儲け話に目がくらんで、自分でも気づかぬうちに金の亡者と化してしまったのだろうか。
 僕は、ひどく悲しかった。上京してずっと一人ぼっちだった自分にやっと出来た友達だったのに。いや、それだけじゃない。拓也は自分にとって初めて「本物の親友」と言えるくらい何でも話せる、かけがえのない存在だった。
 でも、拓也とはこれ以上付き合いを続けるわけにはいかない。子供の頃から僕は、「友人絡みの金の貸し借りや儲け話には絶対乗ってはいけない」と母に教えられていた。父親は、そのせいで散々な目にあったのだ。
 ふと僕は思った。
 もしかしたら拓也は、最初からこの投資話に巻き込むために、SNSを通して自分に近づいてきたのではないか、と。
 考えてみれば、推しのバンドメンバーや大学や年齢や出身地が、すべて一緒というのも偶然すぎる。

「わるいけど、こういう話、まったく興味ないから」

 そう言って、僕は席を立った。

 金輪際、二度と拓也の顔を見ることもないだろう。

 僕はきっぱり、拓也と友達の縁を切る決意をした。
 
 悠真が立ち去っていくのを、俺は安堵と悲痛な思いが入り混じった、複雑な気分で見とどけた。
 予定通り、悠真とは離れることができた。とはいえ親友を失うのはつらいものだ。
 だが、親友だからこそ、俺はこうするしかなかったのだ。

 その理由は、俺が三ヶ月ほど前からストーカー被害にあっていたからだった。
 日常のスナップ写真を撮るのが趣味だった俺は、写真関係のアカウントを作り、同じ趣味の人たちとSNSで交流をしていた。
 フォロワーの中に、写真を始めたばかりだという女性がいた。一眼レフやミラーレスカメラの選び方や撮影方法についてあれこれ質問していたので、俺は時々リプライして、親切に教えてやった。いつも俺の写真に「いいね」をくれていたので、お返ししてあげたい思いもあったのだ。
 
 女性の質問はやがて職場の人間関係や心身の悩みなど、写真以外のことにも及ぶようになった。時折切羽詰まったメッセージを送ってくる彼女を見かねた俺は、出来る範囲で相談に乗った。
 彼女の俺に対する依存と好意は徐々に増していき、どうやって調べたのか(おそらく投稿したスナップ写真を細かくチェックしたのだろう)、自宅や顔を特定されてしまい、彼女から様々なプレゼントが届くようになった。
 自分で言うのも何だが、俺は優しいだけでなく、見た目も韓流スターみたいなスラッとした二枚目だったから、二十代前半の彼女があっという間に恋に落ちるのも無理はなかった。
 けれども、高価なカメラのレンズやブランド物のバッグが送られてきたり、一緒にどこかに行きたいという趣旨のメッセージが頻繁に届いたりと、彼女の行動はどんどんエスカレートしていった。しまいには自宅前で待ち伏せを受け、自分と付き合ってほしいと懇願された。俺はできるだけ彼女を傷つけないように配慮しながらも、きっぱり申し出を断り、プレゼントもすべてつき返した。そして、二度と送ってこないよう念押しした。
 泣きながら去って行った彼女は、その後しばらくの間沈黙していたが、一週間ほどすると、再びこちらへコンタクトをとるようになってきた。
 ある日、彼女は俺と悠真のツーショット写真を大量に送りつけてきた。一緒に食事に行ったり、悠真のアパートに出向いた際に、いつのまにか尾行され、隠し撮りされたらしい。
「私の方に振り向かないのは、あいつと付き合ってるからね?」
「あいつなんかのどこがいいの?」
「私は男に負けるほど魅力がないの?」
「あいつさえいなくなれば、私と付き合ってくれるよね?」
 写真に続いて送られてきたメッセージを読んだ俺は、強い危機感をもった。
 何の因果か、俺は高校時代にも社会人女性からストーカー被害を受けたことがあったのだ。その時には女性が刃物を持って俺に心中を持ちかけ、警察を呼ぶ騒ぎとなった。
 ストーカーの狂気に直にふれた経験のある俺は、このままでは彼女が見当違いの思い込みから、親友に危害を加えかねないと感じた。
 俺はすぐに対応策を考えた。
 とりあえず悠真にこの件を話して、気をつけてもらわなければ。二人で会うのも当分やめた方がいい。でもそれで大丈夫だろうか?
 きっと悠真は、自分は平気だから一緒に彼女を説得して問題を解決しようなんて言いかねない。あいつはそういう奴だ。そうやってやり取りを続けている俺たちを、きっと彼女は常に監視しているに違いない。そしていつか凶行に及ぶかもしれない。
 もっとはっきり悠真と離れられる状況にしなければだめだ。
 でも、どうやって?
 俺は誰かに相談したかったが、悠真に相談するわけにもいかなかった。とはいえ実家の親に相談するのも、余計な心配を掛けるのが嫌で抵抗があった。
 ネットでストーカー被害への対応について調べてみたが、今の状況に対処する具体的な方法はなかなか見つからなかった。
 何時間かネットの中を駆けずり回った俺は、とある探偵事務所のホームページに目を留めた。「別れさせ屋的な方法も含め、ストーカーへのありとあらゆる対抗手段を親身になって検討します」と謳っていた。そして「24時間体制で迅速に対応」とも書かれていた。
 俺は藁にもすがる思いで、すぐにその事務所に電話をかけた。
 大まかな状況を電話で確認した探偵事務所の受付所員は、深夜にもかかわらず、さっそく佐々木という探偵が直接打ち合わせに伺うので、ストーカーに気づかれにくい場所を指定してほしいと言った。俺は、自宅の最寄り駅から一駅離れた駅前のカラオケ店で待ち合わせることにした。
 約束の時間に現れた佐々木探偵は、すでに具体策を用意していた。
「私とあなたで、悠真君に怪しげな投資話を持ちかけるのはどうでしょうか?」
 先ほどの電話ヒアリングで、俺は悠真に関する情報をできるだけ教えてほしいと言われ、あいつの父親が投資詐欺に遭って苦労したことなども話していた。
「友人からいきなりマルチ商法的な投資話を強引に勧められたら、かなりの抵抗感があると思います。父親が詐欺被害に遭っている悠真君でしたら、余計に拒絶反応を示すと思います」   
 なるほどと思った俺は、自分は何をすればいいのか聞いた。
「用件を告げずに急用とだけ言って、悠真君をどこかの喫茶店に呼び出してください。私が小野寺という偽名で投資コンサルタント役をやりますので、あなたはできるだけ彼が嫌いそうなタイプの人物になりきって、一緒に勧誘してください」

 翌日の夕方、俺はさっそく悠真を渋谷のスターバックスに呼びつけ、探偵と一緒になって打ち合わせ通り、ことを進めた。そして親友と離れるというミッションを見事に遂行したのだった。
 金銭関係で悠真と決別した事実を彼女に突きつければ、当面、悠真が狙われることはないだろう。実際、あいつとはもう、顔を合わせることもないのだから。
 
 悠真を避難させた俺に残された問題はただ一つ、いかにして彼女から離れるかだった。

「悠真とは、金絡みでトラブって、もう縁を切ったから」
 ワタシのスマホに、拓也からそんなメッセージが届いていた。
 最初は嘘に決まってると思って、しばらくの間、様子を見ていたけれど、二人がどこかで会ったり連絡を取り合う気配は、本当になかった。
 ワタシは、これで拓也が自分の方を向いてくれるに違いないと思った。
 拓也はメールを送ったきり、相変わらず自分を無視し続けた。でも最大のライバルがいなくなったのだから、焦らず拓也への思いを伝えていこうと考えた。
 毎日こまめにチェックしている拓也のSNSのアカウントに、変化が現れ始めていた。
 以前は頻繁に投稿していた趣味の写真は一切無くなり、代わりに投資や経済関係のニュースや書籍の情報などの投稿が続くようになった。
 一方、ワタシのSNSのアカウントにも変化が現れていた。ワタシが過去に投稿した写真へのアクセス数や好評価が急に増え始めたのだ。
 以前はほとんど見られることなんてなかったのに。
 中には「すごく素敵な写真ですね」とか「構図が斬新!」とか、コメントまでくれる人もいた。それが拓也ならどんなにか良かったのにと思ったけれど、拓也じゃなくても褒められるのは嬉しかった。
 やがてコメントをくれる人の中に、プロの写真家や大学教授、キュレーターなども度々登場するようになった。
 その中の一人で、現代美術を扱う若い画廊のオーナーから「うちで個展を開きませんか」とお誘いがあった。飛び上がるほど嬉しかったワタシはすぐにOKし、銀座にオープンしたばかりだという彼の画廊に出向いた。
 裏通りの雑居ビルの二階にその画廊はあった。20㎡ほどの小さなスペースだけれど、細かな内装デザインにセンスが感じられ好感が持てた。何よりモノトーンのコーデでまとめた若きオーナーが、顔立ちの整った、知性と憂いを感じさせる独特の雰囲気の人物で、ワタシはここで個展を開けることの喜びを改めて噛みしめた。
 一ヶ月後に個展を開くことに決まったワタシは、このことを拓也にも伝えようかなと思った。
 こればっかりは、きっと彼も喜んでくれるはずだ。
 でも……、とワタシは考え直した。
 今、自分が真っ先にやらなければいけないことは何か。
 それは大急ぎで、個展に出すための作品をセレクトすることだ。こんなチャンス、ワタシの人生には二度と訪れないに決まっている。
 それに……拓也への気持ちが以前より薄れているのも、否定のしようのない事実だった。既にワタシの気持ちは、ワタシの作品を認めてくれる人々、とりわけあの若き画廊オーナーに、すっかり方向転換していたのだから。

 画廊で彼女との打ち合わせを終えた私は、依頼人である三浦拓也にメールを送った。

【ストーカー被害に関わる私どもの対応、本日にて一応の完了とさせていただきます。今後、田崎遥花からあなたへのコンタクトは、さらに減るものと思われます。万が一、彼女から連絡があった際は、引き続き無視していただければ結構です。三浦様におかれましては、SNS上での写真関係の交流につきましても、引き続き避けていただきますようお願いいたします。また、成功報酬としておりました費用の請求書を郵送にて送らせていただきましたので、ご確認の上、期日までに指定の口座にお振り込みください。今回は当事務所をご利用いただき誠にありがとうございました】

(本当に「ありがとう」と心から言いたい気持ちだね)

 私は誰もいない画廊の中で、一人笑みを浮かべた。
 今回の仕事は、私にとっても大きな転機になるものだった。三浦拓也と親友の石川悠真を離れさせたあと、私は三浦拓也から依頼を受け、田崎遥花を三浦拓也から引き離す作戦を練った。
 私は田崎遥花について調べていくうちに、彼女がSNSに投稿していた数々のスナップ写真に注目した。美大の写真学科を卒業していた私は、まだ初心者だという彼女の写真に、SNS映えするような派手さはないが、その独特の視点に並々ならぬ魅力があることに気づいた。大学時代の知り合いにも意見を聞いてみたが、私と同じ感想を持つ者がほとんどだった。
 私は確信した。彼女の写真は、現代アートとして今後価値を上げていき、とんでもない高値がつくものになる、と。
 浮気調査ばかりで、探偵事務所の仕事に辟易していた私は、自らが画商となって彼女の作品を売り出そうと考えた。そもそも依頼人へのストーカー行為は、彼女の人並み外れた感受性から来る危うさであり、彼女の作品を評価し、彼女自身の存在価値を認めてあげれば、その行動も自ずと変わるはずだと思った。
 私は探偵として依頼人からの要請に応えつつ、画廊をオープンさせる準備を着々と進めていくことにした。
 三浦拓也には事前に写真関係の交流を断つようにお願いし、代わりに彼女が興味を持ちそうもない経済や投資の情報を投稿してもらうようにした。彼女と依頼人との接点を極力無くすのが狙いだった。もちろん、自分が彼女の作品を売りだそうとしている動きを依頼人に悟られないためには、その方が何かと都合が良いという判断もあった。
 一方で写真関係の知り合いには、彼女のSNSの写真を見てもらい、できればコメントも書いてもらうようお願いした。そして画廊の準備が整うタイミングで彼女にアプローチした。
 実際、私の読み通り、作品への評価が積み重なるにつれ、彼女の精神状態も安定し、依頼人へのストーカー的行為は無くなっていった。
 いずれ、ことの真相を石川悠真に伝えることもできるだろう。そうすれば彼と三浦拓也との関係も、修復可能なはずだ。

 一ヶ月後、私は新しくオープンさせた画廊で彼女の個展を開く。その頃には探偵事務所にも辞表を出しているだろう。
 私自身にはアートを創り出す才能はないが、見る目だけは確かだと思っている。彼女という才能に出会い、私はようやく自分が本当にやりたかった仕事ができる気がしている。

 ところで彼女と私は、今後どうなっていくだろう。
 彼女の気持ちが三浦拓也から離れ、自分へと向かいつつあるのは、鈍感な私でもわかる。私自身も、その才能だけでなく、女性として彼女に惹かれる想いがあるのは事実だ。
 けれども、それもこれも、やがては霞んで遠のいていく、不確かな蜃気楼みたいなものかもしれない。人間ってやつは、そうなってしまう原因を絶えず作り出してしまう不可思議な生き物なのだ。
 そういえば、スナップ写真の「スナップ」は、英語のsnapが持つ「すばやく、パっとする」という意味合いからきているらしい。

 パッと近づいては、パッと離れてしまう──

 膨大な情報と人々が行き交うSNSの世界が、そんなドライな人間関係に、ますます拍車をかけているのかもしれないな。

 私はスマホを開き、タイムラインの画面を素早くスクロールし始めた。フォローワーたちが撮ったスナップ写真が、走馬灯のように視界を次々と通り過ぎていった。



 

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