レイリアは大きく分けて四つの区画に分かれている。
 まずは、北側に位置するギルド区画。ギルドにかかわる人々がそれぞれの居を構えており、酒場兼本部や訓練場、武器庫や食糧庫などが揃っている。
 ギルド酒場は区画の南端にあり、そのまま南へ進むと、レイリアのほぼ中心にある大図書館を抜けて商店街区画に入る。エミリーの実家や魔道具の工房があるのがこの区画で、ギルド用の大量の物資は外へ買い出しに行く必要があるが、レイリアに住む人々が買い物をするときはほとんどがこの区画を利用する。
 レイリアの真ん中を縦断するような配置でギルド、大図書館、商店街が並んでいる形だ。
 東側の区画は一般の住民が暮らす居住区画、西側は議会区画だ。議員用の宿舎や専用の住居、事務所などは西側に連なって建っている。
 議会や居住区、商店の位置は都市によって様々だが、大抵の都市では中心部にギルド本部を構えている。大図書館が中心に据えられたレイリアは、この大陸においては少し変わった配置だと言えた。
 デイビットとサラをともなってギルド酒場に戻り、昼食をとったあと、片付けと掃除を手伝ってから、ノアたちはエミリーに連れられて、大図書館にやってきた。
 大図書館に入るのは、ノアにとってこれが初めてだ。
 レイリアにやってきた昨日は、時間の関係で遠くから眺めるだけだった。今日も先に工房へ行ったので横目に見た程度で、中には入れていない。
 改めて間近で見る大図書館は、大きくて立派だった。
 十階建ての塔になっていて、鈍色の壁に、壁より少し濃い色の金属細工が張り巡らされている。シーヴギルドの壁に細工してあった簡易結界に似ているが、建物から地面を伝い、都市へ散っていくラインを見るに、もっと大がかりな仕掛けがあるように見えた。
 ただし、今のところそれは機能していないらしく、魔力の流れやなんらかの力は感じられない。
 エミリーが言っていた、レイリアのためになって魔力量を測るのにもうってつけというのは、これのことだろうか。
 大図書館を巡るどころか、レイリア全体に伸びていくほどの仕掛けであれば、起動するのにどれだけの魔力量が必要なのか見当もつかない。
 確かにこれは、限界を測るのにちょうどいいかもしれない。そこまでの力が、自分にあればの話ではあるが。ノアはぎゅっと拳を握って、大図書館を見上げた。
「あんまり人の気配がしないね。今日は休館日だったりするの?」
 ふと、ノアは気づいたことを口にしてみる。
 これだけの立派な建物だ。時間もまだ午後の早い時間であるし、もう少しにぎわっていてもよさそうなものなのに、あたりはしんと静まり返っていた。
 正面に見える、ガラス張りの扉の奥も薄暗い。もしかしたら工房と同じように、魔法灯に魔力を供給する炉が停止してしまっているのかもしれない。
 立派な建物に似つかわしくないひっそりとした空気に、ノアの表情は思わず硬くなる。
 ちらりとエミリーを見やると、悔しそうな表情で大図書館を見上げていた。
「今日は別に休館日じゃないよ。ただ、ここに来る人がいなくなってるだけ」
「そう……なんだ」
「んふふふ、みんなそれぞれの生活で精一杯だからね。新しい知識や教養、好奇心を満たす余裕のある人は、今のレイリアにはほとんどいないはずだよ。ぼくの工房でも、残っている職人はぼくと娘のサラだけだしね」
「私は仕方なくだよ、父さん一人じゃまともに生活できないから」
 職人としての誇りをかけて残ったのではないのか、と言い争う親子をそのままに、図書館の扉を開けて中に入っていく。
 薄暗い館内はしんと静まり返っていて、空気もひんやりとしていた。デイビットたちの親子喧嘩がやけによく響く。
 正面には受付らしきカウンター、その両脇に上へと続く階段が伸びている。カウンターの後ろが巨大な柱になっていて、柱をぐるりと回る形でフロアを一周できる造りになっていた。
 壁にはところどころに細い柱が立っており、それ以外の麺はすべて、ぎっしり本が詰まった書棚になっている。一階だけでも、かなりの蔵書量だ。
 入口のガラス扉以外に、大きな窓はない。小さな窓はついているが、蔵書に直接日光が当たらないように工夫されているらしい。今は消えてしまっているが、等間隔に魔法灯が据え付けられており、本来はそれで明かりを担保しているようだ。
「ごめんください。どなたかいらっしゃいませんか?」
 ノアは声を出してみるが、返事はない。
 わんと響いた声が、空間の広さを物語っていた。親子喧嘩をしていた二人の興味が館内に移ったことで、静寂が訪れる。
 本当に人がいない。正面のカウンターにすら人の気配はなかった。
 カウンターまで近寄ってみる。小さな魔法灯が置いてあるが、こちらも光を宿してはおらず、他には何も置かれていない。
 知恵の都の象徴。大図書館のことをそう話していたときの、エミリーの少し寂しそうな表情の意味が、ノアはわかったような気がした。
「どうする?」
 ずかずかと踏み入っていくのも気が引けて、ノアはエミリーを振り返る。
「六階か、最上階に館長がいるはずだから、とりあえずそこまで行こう」
 エミリーはそれだけ言うと、カウンターの右側の階段を上がっていく。
 ノアはデイビットとサラにも声をかけて、後に続いた。
 階段の手すりに、うっすらとほこりが積もっている。館長がいるという話だったが、他には人がいないのだろうか。少なくとも、掃除までは手が回っていないようだ。
「ごめん」三階まで上がったところで、エミリーが前を向いたまま口を開く。
「え?」
「この間までは、受付にも人がいたんだよね……いなくなってると思わなくて、ちょっとショックだったから」
「……そっか、大丈夫だよ」
 エミリーの言葉がぶっきらぼうだったのは、必死に頭の中を整理していたからだった。
 ノアはそれ以上、何も言わなかった。心を痛めるエミリーに、ここで質問を重ねる意味はない。
 四階、五階と進んでいっても、やはり人の気配はしないままだ。
 デイビットたちの工房と同じように、ここも、色々な事情で少しずつ人が減っていったのだろう。
 ついには受付のカウンターにも人がいなくなって、もしかすると、残っているのは館長だけなのかもしれない。
 どの階も基本的には一階と同じ構造で、違うのはカウンターがないことくらいだった。
 中央に太い柱があり、壁を一周する形で書棚と細い柱が並び、左右に二か所ずつ階段がある。
 魔法灯が消えているので薄暗く、どことなく空気は重い。
「私ね、ここの館長と、魔力がよどむ原因を調べてるんだよね。よどみを元に戻す方法も」
 エミリーがぽつりと話し始める。
 六階に着いても人の気配はなく、魔法灯もついていないところを見ると、館長は最上階にいるのだろう。
 まがりなりにもギルドに所属していたノアと、日常的に魔物討伐などにも出ているエミリーは問題ないが、普段は工房にこもりきりのデイビットとサラは息を切らしていた。
 それに気づいたエミリーが、少しペースを落とす。
「パイクとか……ギルドのみんなも、それこそ他の都市への買い出しとか、前以上の依頼を受けたり、依頼以外でも自主的に魔物討伐に出かけたり、頑張ってくれてるけどね。根本的なところをなんとかしないと、レイリアは本当に駄目になっちゃうから」
「方法は見つかりそうなの?」
「いくつかあたりはついてきたけど、直接の原因特定はまだもう少しって感じかな」
 レイリアのよどみは、ここ数年でみるみるうちに深くなっているという。
 作物は育ちにくく、質が悪くなった。野生の動物は凶暴になり、魔物も増えた。ギルドや議会は都市の発展を考える余裕がなくなり、治安が少しずつ悪化していった。治安が悪くなり、魔物も多く食べ物もよくないとなれば、訪れる人は自然と減り、離れていく人も増える。まさしく負の連鎖だ。
 シーヴ近くの死の谷のように、よどみやすい場所は確かに存在する。よどみが深ければ深いほど、強力な魔物が大量に生まれやすくなるし、人間への影響も大きい。
 ただし、そうした場所が原因とは考えにくい。例えばシーヴでは、死の谷のせいで生活に影響が出るほどの影響は受けていなかった。
 レイリアの地下を流れる魔力流が直接影響を受けるような、そんな原因があるはずだ。それを、エミリーは調べているのだ。
 八階に到着したところで、後ろの二人を待ちながら、エミリーがくるりと振り返る。
「でもね、ノアが手伝ってくれたら、なんとかなるかもって思ってるんだ」
「僕が?」
「この大図書館のこともそうだし、魔力のよどみがどこからくるのかを調べる方法も、もしかしたら上手くいくかも」
 エミリーの声に、ようやく明るさが戻ってくる。
 ノアは大きくうなずいて、「僕にできることなら頑張るよ」と答える。
 エミリーやギルドの皆には、シーヴから連れ出してもらった恩がある。しかもレイリアは、亡き父親の故郷だという。ここまで自分に縁がある都市のピンチを、そのままにしておけるはずもない。
 ノアにしてみれば、自分の中に眠る能力と、その可能性を試す機会でもある。
 自分の能力の限界を知り、自分に合ったロッドを作ってもらい、詠唱速度をどうにかする方法を見つければ、幼い頃に憧れたギルドの仕事を、今度こそこなしていけるかもしれない。
 レイリアの窮地を肌で感じて、なんとかしたいという気持ちは本当だ。しかしノアの心には、不思議な高揚感も芽生えていた。
「もうすぐだから、頑張って」
 ようやく追いついてきた二人を励ましてから、エミリーを先頭に最上階を目指す。
 九階の階段はひとつしかなく、立派な扉がついていた。重たい扉を開いて階段を上がっていくと、他の階とは異なる造りのフロアが現れた。
 中央の柱こそ同じだが、ぐるりと一周する書棚はなく、かわりにいくつかの扉があった。
 どことなく、ギルド酒場の奥に似ている。
 エミリーは他の扉には目もくれず、まっすぐに一番奥、階段側からみて、柱を挟んで反対側にある扉の前までやってきた。おそらくここが館長の部屋なのだろう。中からはうっすらと光が漏れていた。
 ノックをすると、「どなた?」と女性の声が返ってくる。
「私よ。フローレンス、開けてくれる?」
「エミリー! ちょっと待ってね、すぐ開けるから」
 コツコツと靴の鳴る音がして、両開きの扉が開く。
 扉の先には、白と緑のローブに身を包んだ線の細い女性が、少し寂しそうな笑顔で現れた。