「……そうなんですね」
リィンの行動に対するアビゲイルの反応の答えが、ここで分かった。
徒党を組まなければ我が身が危ういこのエド女で、二大派閥にスカウトされてもなお、ただ一人で居続けるくらい話しかけられるのが大嫌い。
孤独を好む人にお礼を言おうと追いかけ続ければ、どんな顔をするかくらい想像に難くない。見間違いではなく、彼女はリィンに対して嫌悪感を露にしていたのだ。
でも、お礼は言わなければ。
でも、アビゲイルは嫌がるかも。
一人でうんうんと悩み始めるリィンの悪循環を見かねたエマが、彼女に声をかけた。
「じゃあ、派閥のお勉強はお終い! 今度はあたし達から、ちょっとだけ質問したいことがあるんだけど、いいかな?」
明るい声が彼女の思考を止め、奈落の淵で辛うじて引き留めた。顔を上げたリィンの顔はまだ寂しそうだったが、エマの問いかけには応じられた。
「あ、はい。私に答えられることなら……」
「リィンちゃんさ、中庭であいつをぶっ飛ばした時、手から魔法の余波みたいなのが出てたよね。あんなの見たことないけど、どうやったの?」
リィンは首を横に振って、答えた。
「分からないんです。カッとなって、つい手を出したらあんなのが……」
「ふーん。魔法は使ったことはある?」
「独学ですけど、ちょっとだけ。でも、体をちょっぴり強化したり、火を灯したり、水を流したり。普通の魔法ばかりで、あんなのは一度もないです」
なるほど、と言って、エマは椅子にもたれかかって顎に指をあてがった。
魔法を学びに来ただけあって、独学且つ多少なりの魔法技術はあるようだ。彼女の話が正しければ、とんでもない高威力の魔法を使った経験はないらしい。
自覚がなければ、外見も性格も比較的頭脳派に属するリィンでも、説明をさせるのは難しそうだ。ならば、自分の目で見て能力を考察する方が早いだろう。
「そんじゃあ、実際にやってみよっか! ダイ、ジーン!」
エマが指を鳴らすと、姉妹はすたすたと倉庫の奥に歩いて行った。
「な、何をですか……?」
主語のないエマの提案にリィンが困惑していると、姉妹が倉庫から、白い大きな、分厚いマットを運んできた。
姉妹の身長よりも長く、二人を並べたよりも幅広いマット。授業ではまだ使ったことはないそれを、二人が前方に立てたのを見てから、エマが大袈裟に手を広げてリィンに言った。
「この二人がマットを支えておくからさ、ここに向かって、全力でパンチしてみて。もしかしたら、さっきみたいな衝撃波が出てくるかもよ」
とんでもない実験だ。
油断していたとはいえ、女子生徒を再起不能にした一撃を、まさか仲間もろともマットに叩き込んで見せろと言ってのけるとは。このエマ・パーカーという少女、薄々勘付いてはいたが、世間一般的な思考との差異がやはり大きいのでは。
「え、ええっ!? パンチなんてしたら、カーンさん達が……」
明らかに危険であり、抵抗を露にするリィンとは裏腹に、けらけらと話すエマも、マットの端から顔を覗かせる姉妹も、彼女のパンチに期待しているようだ。
「ダイのことなら心配しないで。鍛えてるし、マットも分厚いし!」
「ジーンも問題ないわ。実力を図る意味もあるから、思い切り来てちょうだい」
「二人とも、頑丈さはあたしのお墨付きだよ。リィンちゃん、遠慮なくやって!」
彼女の秘密に満ちた攻撃を待ちわびる、奇怪極まりない三人。
こうまで期待されれば、押しに弱いリィンとしては、どうにも断れない。リィンはおずおずと椅子から立ち上がると、マットの少し前に立ち、白く柔らかい壁を見据えた。
「……そういうことなら、一回だけ……すぅ、はぁ……」
呼吸を整える。ゆっくりと、拳を握り締める。エマも立ち上がり、リィンを見つめる。
生まれて初めて人を殴った瞬間を思い出す。
言われた通り、思い切り。
心の隅に、ちょっとの遠慮を残して。
心許ない助走をつけて、子猫のような武の欠片もない拳を振り上げて。
「――ええーいっ!」
リィンは拳の底で、マットが微かにたわむ程度の、渾身のパンチを繰り出した。
大したことのない、喧嘩に慣れない少女のパンチ。鼠よりも貧弱、虚弱。
「ううおおおおおおっ!?」
――とはいかなかった。
巨躯を誇る獣人を一撃で破壊し尽くした時と同じ、目が眩む金色の閃光が炸裂し、耳を劈く轟音が鳴り響いたかと思うと、マットと姉妹が後方に弾き飛ばされた。
明確な敵意がなかったからか、姉妹がエマの言う通りかなり鍛えられているからかは分からないが、二人は軽く退いて尻もちをついただけで済んだ。
もっとも、マットはそうはいかなかった。
姉妹の手から離れたマットは、衝撃に耐えきれなかったのか、白い外皮が半分以上破れて、中身が露出していた。人間よりも相応に耐久力があるはずの体育用マットですらこうなるのだから、ジョンソンが壊れてしまうのは、致し方なかったのだ。
エマも改めて、この魔法の性能に驚いていた。腕を組み、リィン・フォローズの小さく細い体に秘められた、異常とも呼べるスペックに舌を巻くばかりだった。
リィンの行動に対するアビゲイルの反応の答えが、ここで分かった。
徒党を組まなければ我が身が危ういこのエド女で、二大派閥にスカウトされてもなお、ただ一人で居続けるくらい話しかけられるのが大嫌い。
孤独を好む人にお礼を言おうと追いかけ続ければ、どんな顔をするかくらい想像に難くない。見間違いではなく、彼女はリィンに対して嫌悪感を露にしていたのだ。
でも、お礼は言わなければ。
でも、アビゲイルは嫌がるかも。
一人でうんうんと悩み始めるリィンの悪循環を見かねたエマが、彼女に声をかけた。
「じゃあ、派閥のお勉強はお終い! 今度はあたし達から、ちょっとだけ質問したいことがあるんだけど、いいかな?」
明るい声が彼女の思考を止め、奈落の淵で辛うじて引き留めた。顔を上げたリィンの顔はまだ寂しそうだったが、エマの問いかけには応じられた。
「あ、はい。私に答えられることなら……」
「リィンちゃんさ、中庭であいつをぶっ飛ばした時、手から魔法の余波みたいなのが出てたよね。あんなの見たことないけど、どうやったの?」
リィンは首を横に振って、答えた。
「分からないんです。カッとなって、つい手を出したらあんなのが……」
「ふーん。魔法は使ったことはある?」
「独学ですけど、ちょっとだけ。でも、体をちょっぴり強化したり、火を灯したり、水を流したり。普通の魔法ばかりで、あんなのは一度もないです」
なるほど、と言って、エマは椅子にもたれかかって顎に指をあてがった。
魔法を学びに来ただけあって、独学且つ多少なりの魔法技術はあるようだ。彼女の話が正しければ、とんでもない高威力の魔法を使った経験はないらしい。
自覚がなければ、外見も性格も比較的頭脳派に属するリィンでも、説明をさせるのは難しそうだ。ならば、自分の目で見て能力を考察する方が早いだろう。
「そんじゃあ、実際にやってみよっか! ダイ、ジーン!」
エマが指を鳴らすと、姉妹はすたすたと倉庫の奥に歩いて行った。
「な、何をですか……?」
主語のないエマの提案にリィンが困惑していると、姉妹が倉庫から、白い大きな、分厚いマットを運んできた。
姉妹の身長よりも長く、二人を並べたよりも幅広いマット。授業ではまだ使ったことはないそれを、二人が前方に立てたのを見てから、エマが大袈裟に手を広げてリィンに言った。
「この二人がマットを支えておくからさ、ここに向かって、全力でパンチしてみて。もしかしたら、さっきみたいな衝撃波が出てくるかもよ」
とんでもない実験だ。
油断していたとはいえ、女子生徒を再起不能にした一撃を、まさか仲間もろともマットに叩き込んで見せろと言ってのけるとは。このエマ・パーカーという少女、薄々勘付いてはいたが、世間一般的な思考との差異がやはり大きいのでは。
「え、ええっ!? パンチなんてしたら、カーンさん達が……」
明らかに危険であり、抵抗を露にするリィンとは裏腹に、けらけらと話すエマも、マットの端から顔を覗かせる姉妹も、彼女のパンチに期待しているようだ。
「ダイのことなら心配しないで。鍛えてるし、マットも分厚いし!」
「ジーンも問題ないわ。実力を図る意味もあるから、思い切り来てちょうだい」
「二人とも、頑丈さはあたしのお墨付きだよ。リィンちゃん、遠慮なくやって!」
彼女の秘密に満ちた攻撃を待ちわびる、奇怪極まりない三人。
こうまで期待されれば、押しに弱いリィンとしては、どうにも断れない。リィンはおずおずと椅子から立ち上がると、マットの少し前に立ち、白く柔らかい壁を見据えた。
「……そういうことなら、一回だけ……すぅ、はぁ……」
呼吸を整える。ゆっくりと、拳を握り締める。エマも立ち上がり、リィンを見つめる。
生まれて初めて人を殴った瞬間を思い出す。
言われた通り、思い切り。
心の隅に、ちょっとの遠慮を残して。
心許ない助走をつけて、子猫のような武の欠片もない拳を振り上げて。
「――ええーいっ!」
リィンは拳の底で、マットが微かにたわむ程度の、渾身のパンチを繰り出した。
大したことのない、喧嘩に慣れない少女のパンチ。鼠よりも貧弱、虚弱。
「ううおおおおおおっ!?」
――とはいかなかった。
巨躯を誇る獣人を一撃で破壊し尽くした時と同じ、目が眩む金色の閃光が炸裂し、耳を劈く轟音が鳴り響いたかと思うと、マットと姉妹が後方に弾き飛ばされた。
明確な敵意がなかったからか、姉妹がエマの言う通りかなり鍛えられているからかは分からないが、二人は軽く退いて尻もちをついただけで済んだ。
もっとも、マットはそうはいかなかった。
姉妹の手から離れたマットは、衝撃に耐えきれなかったのか、白い外皮が半分以上破れて、中身が露出していた。人間よりも相応に耐久力があるはずの体育用マットですらこうなるのだから、ジョンソンが壊れてしまうのは、致し方なかったのだ。
エマも改めて、この魔法の性能に驚いていた。腕を組み、リィン・フォローズの小さく細い体に秘められた、異常とも呼べるスペックに舌を巻くばかりだった。