気弱少女の最強喧嘩魔法伝説~私がスケバンになるんですか!?~

「へ?」

 リィンが呆然とするのも、仕方なかった。
 『エド女の頂点』。
 彼女にはさっぱり理解できなかった。山の頂点、図形の頂点、生態系の頂点。いずれにも該当しないワードを前に、思考停止してしまった彼女のリアクションなど無視してエマが話を続ける。

「さっきの喧嘩を見て、確信したんだ! リィンちゃんの力なら、このエド女の頂点を取れる! ここ数年以上誰も成し遂げてない、エド女の『スケバン』になれるんだよ!」
「す、スケバンって……?」
「またまた、エド女に編入してきておいて、スケバンを知らないってことないでしょ。ここで一番喧嘩が強い奴、一番注目を浴びる奴! それがスケバンだよ!」

 ずい、と顔を寄せて、嬉々としてスケバンの良さを話すエマの明るさと対照的に、リィンの顔が脳の活性化と活動に伴い、みるみるうちに青ざめていった。
 ようやく理解した。
 エド女の頂点とは、即ちスケバン。
 即ちスケバンとは、エド女において喧嘩で最も強い生徒。要するに、リィン・フォローズと世の中で最も縁遠い存在、立場、概念である。冗談ではないとしか言いようがない。
 エマの顔が詰めてきた距離を一気に突き放すように、リィンは目の中に渦巻きの模様を作りながら、両手を左右に勢いよく振って彼女の提案を拒んだ。

「む、む、無理です! 喧嘩なんて、私、一度だってやったことないですし!」

 彼女の言い分は嘘ではない。リィンは喧嘩などしたことがないし、そもそも苦手だ。
 山暮らしで人と接する機会すら少なかったのに、少ないタイミングで人に暴力を振るう余裕などあるはずがない。体を鍛えていたのは、あくまで両親の生業(なりわい)である狩りの補助の為。獣を追い込む手伝いをする為に過ぎないのだから。
 だから、リィンの返答は至極(しごく)当然だったのに、エマはからからと笑い飛ばす。

「いやいや、ここはエド女、喧嘩好きと無法者のたまり場だよ? そんじょそこらの男より強い連中がうようよいるような学校に、喧嘩未経験者が……」

 エマは謙虚(けんきょ)な乙女の言葉遣いなどしなくて良いと、大袈裟な手振りをした。
 わざわざエド女に籍を置きながらくだらない言い訳をするなど、エプロンをまとい、調理場に立って、料理ができないと公言するようなもの。誰が信じるだろうか。そう思った。

「…………え? マジで?」

 ――思っていたのだが、リィンの絶望的な表情を読み取れないほど間抜けでもなかった。
 後ろの二人を含めて、目元と口元に陰りが見え始める。リィンもまた、三人の希望が絶望に変わりゆくのを感じ取ったのか、事情を説明した。

「……両親が、他の学校と間違って編入届を出しちゃったんです。二人とも外国に行ってて、編入の取り消しができなくって、この学校に……」
「そ、そうなんだ、あはは……」

 あはは、と笑ってドリンクを飲んではいたが、エマの心境は全く笑っていなかった。
 リィンもまた、エマのリアクションからある程度考えを読み取れてしまったのか、あるいは自分の立場を思い出してしまったのか、がっくりとうなだれた。
 彼女の視線が地面に向いた隙を突いて、エマ、ダイアナ、ジェーンの三人は顔を見合わせた。そして口元を手で隠しながら、想定していなかった事態について相談を始めた。

「想定外すぎるよ。まさかズブの素人がエド女に来るなんて、想像できるわけないでしょ」

 勿論、リィンを横目でちらちらと見ながら、彼女に聞こえないような小さい声で。

「どうするの、エマ。こんな子がエド女の頂点なんて、無理でしょ」
「今からでも遅くないわ。気のせいでしたって言って、帰してやりなさいよ」

 カーン姉妹の言い分は正しい。喧嘩のできない、したこともない少女を、このエド女で最も喧嘩の強い人間に仕立て上げるなど不可能だ。二人にとっては、爬虫類(はちゅうるい)に言葉を教えて、意思疎通をさせるよりも難しく思えた。
 しかし、エマからすればそうでもないらしい。この程度で彼女の意志は揺るがず、不安げな姉妹とは裏腹にエマの口元は強気に吊り上がった。

「……いいや、リィンちゃんは絶対に強い、頂点を狙える! 逆にチャンスだ!」
「何がそこまで、あなたを突き動かしてるのよ……」

 呆れた様子のジェーンをよそに、エマはもう一度リィンに向き直り、声をかけた。

「ねえ、リィンちゃん。だったら猶更(なおさら)、あたし達と一緒にいた方がいい。どっちかっていうとさ、あたしは善意で言ってあげてるんだよ」

 打って変わってさとすような声色の話し方に、リィンは思わず顔を上げた。

「ど、どういう意味ですか?」

 エマの顔も、さっきまでと変わっていた。声は確かに先程よりもずっと優しくなっているはずなのに、顔つきは神妙で、リィンの身を案じているようだった。

「あたし、分かるんだよねー。どうしてあいつが、リィンちゃんに絡んできたか。いかにも弱っちそうな編入生で、さしずめお金を出せ、なんて言ってきたんじゃない?」
 一部始終を見ていたのかと疑うように状況を代弁するエマに、リィンは驚く。

「どうして……?」
「なんとなく。けど、リィンちゃんの場合はラッキーだよ。中庭であいつをぶっ飛ばして実力を見せたから、もうナメた真似はしてこない。けど、もしそうじゃなかったら?」

 試すようにそう言ったエマの言葉の裏に潜む恐ろしい未来を、リィンは読み取れた。
 今回は銀髪の少女の助けもあったが、最終的にはリィンがつい手を上げて、結果としてお金は取られなかった。
 もしも、そうならなかったら。誰の助けもなく、暴力も振るわなかったら。

「喧嘩なんてしたことがないってバレて、お金を取られてたら? きっと、また同じようにお金を奪いに来てたよ。明日も、明後日も、明々後日も……」
「……ずっと、ゆすられ続けていた?」

 誰かの財布となり続ける未来に震えるリィンの問いに、エマは頷いた。

「そーゆーこと。でも、あたしの話を聞いて、提案を呑んでくれるなら、とりあえずはあたし達が一緒にいて、ああいうバカ共が来たら守ってあげる。自衛手段も教えてあげる。そう考えれば、悪い提案じゃあないと思うんだけど?」

 少女に寄り添うように発したこの台詞にこそ、エマの目的が凝縮されていた。
 このまま強引にスケバンになろうと押したところで、リィンは首を縦には振らない。意図せず編入された不良校の頂点に立つなど、弱気な彼女の性格上、今すぐにとはいかない。
 ならば、まずは自分から仲間になりたがる状況を作ればいいのだ。トラウマになりかねない事件を引き出し、有り得た未来を想像させる。そうならない対策を教え込みつつ、自分達に都合の良い環境に置かせる。
 協力と善意が主点に見えて、実は単なる懐柔(かいじゅう)
 こんな言い包めには前例があったのか、カーン姉妹は顔を合わせて肩をすくめた。

「何を見出したんだか……っていうか、エマって、昔から人を丸め込むのは得意よね」
「そうそう。将来は詐欺師になるんじゃないかってずっと思ってたもの」
「こらーっ! そこの二人、人聞きの悪いこと言うな!」

 口から火を吐く勢いで姉妹を制しながら、エマはもう一度リィンに向き直り、問う。

「ご、ごほん! とにかく、ひとまずは話を聞いてくれるってことで、オッケー?」

 幸い、リィンの中で、提案を呑むハードルは大きく下がっていた。スケバンになるのではなく、守ってくれる相手の話を聞くくらいなら無下にする理由もないだろう。
 何より、もとよりリィンは人の要求をそう断れない性格だった。

「まあ、話を聞くくらいだったら……大丈夫、です」

 だから、リィンは小さく、本当に小さく、頷いた。
 彼女の頷きは、全面的な合意と同意であるとエマに伝えてしまった。

「よっしゃーっ! 契約成立、言質取りました! ダイ、早速『あれ』を出して!」

 次の瞬間、エマは勢いよく椅子から立ち上がった。そして大きくガッツポーズを取ったかと思うと、ダイアナを指差して命令した。
 ダイアナはというと、エマを止めるのが不可能だと悟った。そしてやれやれといった調子で、パーカーの右ポケットから一枚の紙を取り出して机の上に広げた。
 小さく折り畳まれた紙を広げると、机の八割を占めるほどのサイズになった。複数の円の中に人の顔と何かしらの名称、人数等が書き込まれて、小説の目次に付け足された人物同士の相関図のようだ。

「これは……?」

 口をつけられていないカップをどかしながら、リィンはエマに聞いた。
 エマはずい、とリィンに顔を寄せながら、どこからともなく取り出した木の棒で紙の中心をつつきながら答えた。

「喧嘩のやり方はさておき、頂点を取るには、このエド女の勢力を知っておかないとね。どんな相手がいるかを知っておけば、リィンちゃんが避ける相手も分かるでしょ?」

 言われてみれば、そうかも。

「なるほど、確かに……?」

 すっかりエマの言葉を信じ切ったリィンは、何も疑わなかった。
 物事が自分の思い通りに動きつつあるのを実感しながら、かつカーン姉妹のちょっぴり冷たい目線を背中に受けながら、エマは話を続けた。

「大前提として、さっきも言ったけど、この学校にはスケバンがいない。大小合わせて八個は下らないグループが、頂点を狙ってしのぎを削ってるんだ。あたし達も含めてね」

 一国の内乱の状態を語っているわけではない。
 彼女が語るのは、あくまで学校内の勢力争いだ。
 異常な話のように感じられたが、リィンは納得もしていた。
 あれだけ乱暴な連中が、もしスケバン――つまりは統一を狙っているのなら、個人で動いているとは考えにくい。蛮族が倒した相手を配下に置いて他の支族を統べていくように、グループが生まれていくと考えるのが妥当だ。
 内情はともかく、エマの提案を受け入れたのは正解だったとリィンは思った。
 多くのグループがいる中で孤立するなど、自殺行為にも等しい。

「そのうち、二つのグループが頂点に近いって言われてる。一つは、『ドラゴンクラン』」

 説明を続けるエマが指したのは、前髪の半分をかき上げた、赤い髪の女性の顔が描かれた、紙の右端の最も大きな円。中には、『ドラゴンクラン』とも書かれている。

「三年生の『ドラゴンロード』、竜人のヴァネッサ・ドラグリオが二年の頃に結成したグループで、人数は少ないけど粒揃い。特に頭のヴァネッサは、滅多にいない竜人だ。純粋な戦闘力だけならエド女でナンバーワンだね」

 竜人。リィンは聞き覚えがあった。
 人間でも、エルフでも、獣人でもない種族。かの伝説の魔物ドラゴンの系統であり、途上国においては竜の血をひくだけでも統率者として選ばれる場合もあるという。
 当然、ただ名前だけが独り歩きしているわけではない。武力、知力、あらゆるスペックが多種族を上回り、翼と爬虫類のような尾を有する種族だ。
 ならば、クランを率いるほど戦闘力が高いのも納得できる。そんな人種がどうしてエド女にいるかは、ともかく。

「竜の血を継いでる……だったら、このヴァネッサさんが、頂点じゃないんですか?」
「そう上手くはいかないのよ。『タイガークラン』がいる限りね」

 リィンの問いに答えたのはエマではなく、ダイアナだった。
 次にエマが指したのは、『ドラゴンクラン』の隣にある、次に大きな円。描き込まれているのは、黒いロングヘアーの女性の顔。やはりグループの名前も記載されている。

「人数はこの学校でも最大、派閥としての勢いも中々……でも、何よりヤバいのは、頭のコテツ・トラマエ姫だね。ヤマト東国から来たイカれ獣人だよ」

 エマの説明を聞いて、リィンが首を傾げた。

「ヤマト東国って、東の島国の……ヤバいって、何がですか?」

 アクワン王国の属する大陸からずっと東に進んだ先にある島国、ヤマト東国。閉鎖的で、他国文化をほぼ寄せ付けない国だと、人伝に聞いたことはある。
 そこは大した疑問にはならない。リィンが気になったのは、全体的に危険な要素しかないエド女の生徒をしてヤバいと言わしめる、姫と称される女性についてだ。

「見た目はお淑やかなお姫様。だけど一度喧嘩となれば、死ぬ寸前まで痛めつける。笑いながら相手を血祭りに上げるから、『バーサークプリンセス』なんて呼ばれてるわ」

 こともなげに話すジェーンとは裏腹に、リィンは慄いた。
 ナンバーワンと言われるほど強い竜人と拮抗(きっこう)するくらいなのだから、相応に強いのは察せたが、まさか、たかだか喧嘩で人間を死ぬ手前まで痛めつけるとは。
 半殺しにされる自分の姿を想像で重ねるリィンの内情を無視して、エマは他の円についての説明をせず、二つのグループを交互につついて、エド女の今をまとめた。

「このドラゴンとタイガーが、ここ一年は睨み合ってるんだ。いざ戦うとなると学校を巻き込んだ大抗争になるし、双方疲弊(ひへい)する。その隙を突いてくる連中は校内外問わずいるだろうし、どちらも迂闊に動けないってのが、エド女の現状だね」

 片や、最恐の竜人。片や、狂っていると称されるほど危険な姫。
 怪物紛いの相手と戦って勝たなければ、スケバンとやらになれない。幾らお金を積まれても、リィンの委縮した体と心は、喧嘩をしようとは思わないだろう。

「……こ、こんな相手と戦って、スケバンなんて、絶対無理です……」
「まあまあ、今すぐにってわけじゃないし! 力をつけてから、ね!」
「力をつけても無理です……あ、そういえば」

 エマに肩を叩かれたリィンだったが、ふと思い出したように彼女に聞いた。

「この学校に、目の細い、銀髪の、エルフの女の子がいますよね? どこに所属してるか、分かりますか?」

 リィンが質問したのは、自分を助けてくれた女子生徒についてだ。
 話を逸らす意味もあったが、校内の情勢に詳しいエマ達なら、彼女についても知っているかもしれない。普段どこにいるかも、あわよくば知っておきたかったのだ。
 彼女に聞かれて考えこむエマに、思い出した様子で手を叩いてダイアナが告げた。

「銀髪のエルフ? ひょっとして、アビゲイル・ハイドのことかしら? 首にチョーカーをつけてる、サイドテールの?」

 アビゲイル・ハイド。
 ダイアナが話す特徴と、リィンを助けてくれた生徒の特長は合致していた。銀髪でエルフ、サイドテールとチョーカー、これらの特徴が被るなど、そうそうないだろう。

「間違いないです! 私、その人に助けてもらって、お礼が言いたくて……」

 彼女についてもっと聞きたいと思うリィンだったが、彼女の言葉を、エマが遮った。

「やめといたほうがいいよ。ハイドの奴、人に話しかけられるのが大嫌いだから」
「えっ? じゃあ、どこのグループに……」
「どこにも所属してないわ。入学してからずっと独りで、ドラゴンとタイガーからの誘いも断ってる。そのくせ喧嘩もしないし、何しにエド女に来たんだか、謎の多い奴よ」

 ジェーンの補足説明を受けて、リィンはしょげ返ってしまった。
「……そうなんですね」

 リィンの行動に対するアビゲイルの反応の答えが、ここで分かった。
 徒党を組まなければ我が身が危ういこのエド女で、二大派閥にスカウトされてもなお、ただ一人で居続けるくらい話しかけられるのが大嫌い。
 孤独を好む人にお礼を言おうと追いかけ続ければ、どんな顔をするかくらい想像に難くない。見間違いではなく、彼女はリィンに対して嫌悪感を露にしていたのだ。
 でも、お礼は言わなければ。
 でも、アビゲイルは嫌がるかも。
 一人でうんうんと悩み始めるリィンの悪循環を見かねたエマが、彼女に声をかけた。

「じゃあ、派閥のお勉強はお終い! 今度はあたし達から、ちょっとだけ質問したいことがあるんだけど、いいかな?」

 明るい声が彼女の思考を止め、奈落の(ふち)で辛うじて引き留めた。顔を上げたリィンの顔はまだ寂しそうだったが、エマの問いかけには応じられた。

「あ、はい。私に答えられることなら……」
「リィンちゃんさ、中庭であいつをぶっ飛ばした時、手から魔法の余波みたいなのが出てたよね。あんなの見たことないけど、どうやったの?」

 リィンは首を横に振って、答えた。

「分からないんです。カッとなって、つい手を出したらあんなのが……」
「ふーん。魔法は使ったことはある?」
「独学ですけど、ちょっとだけ。でも、体をちょっぴり強化したり、火を灯したり、水を流したり。普通の魔法ばかりで、あんなのは一度もないです」

 なるほど、と言って、エマは椅子にもたれかかって顎に指をあてがった。
 魔法を学びに来ただけあって、独学且つ多少なりの魔法技術はあるようだ。彼女の話が正しければ、とんでもない高威力の魔法を使った経験はないらしい。
 自覚がなければ、外見も性格も比較的頭脳派に属するリィンでも、説明をさせるのは難しそうだ。ならば、自分の目で見て能力を考察する方が早いだろう。

「そんじゃあ、実際にやってみよっか! ダイ、ジーン!」

 エマが指を鳴らすと、姉妹はすたすたと倉庫の奥に歩いて行った。

「な、何をですか……?」

 主語のないエマの提案にリィンが困惑していると、姉妹が倉庫から、白い大きな、分厚いマットを運んできた。
 姉妹の身長よりも長く、二人を並べたよりも幅広いマット。授業ではまだ使ったことはないそれを、二人が前方に立てたのを見てから、エマが大袈裟に手を広げてリィンに言った。

「この二人がマットを支えておくからさ、ここに向かって、全力でパンチしてみて。もしかしたら、さっきみたいな衝撃波が出てくるかもよ」

 とんでもない実験だ。
 油断していたとはいえ、女子生徒を再起不能にした一撃を、まさか仲間もろともマットに叩き込んで見せろと言ってのけるとは。このエマ・パーカーという少女、薄々勘付いてはいたが、世間一般的な思考との差異がやはり大きいのでは。

「え、ええっ!? パンチなんてしたら、カーンさん達が……」

 明らかに危険であり、抵抗を露にするリィンとは裏腹に、けらけらと話すエマも、マットの端から顔を覗かせる姉妹も、彼女のパンチに期待しているようだ。

「ダイのことなら心配しないで。鍛えてるし、マットも分厚いし!」
「ジーンも問題ないわ。実力を図る意味もあるから、思い切り来てちょうだい」
「二人とも、頑丈さはあたしのお墨付きだよ。リィンちゃん、遠慮なくやって!」

 彼女の秘密に満ちた攻撃を待ちわびる、奇怪極まりない三人。
 こうまで期待されれば、押しに弱いリィンとしては、どうにも断れない。リィンはおずおずと椅子から立ち上がると、マットの少し前に立ち、白く柔らかい壁を見据えた。

「……そういうことなら、一回だけ……すぅ、はぁ……」

 呼吸を整える。ゆっくりと、拳を握り締める。エマも立ち上がり、リィンを見つめる。
 生まれて初めて人を殴った瞬間を思い出す。
 言われた通り、思い切り。
 心の隅に、ちょっとの遠慮を残して。
 心許ない助走をつけて、子猫のような武の欠片もない拳を振り上げて。

「――ええーいっ!」

 リィンは拳の底で、マットが微かにたわむ程度の、渾身のパンチを繰り出した。
 大したことのない、喧嘩に慣れない少女のパンチ。鼠よりも貧弱、虚弱。



「ううおおおおおおっ!?」

 ――とはいかなかった。
 巨躯を誇る獣人を一撃で破壊し尽くした時と同じ、目が眩む金色の閃光が炸裂し、耳を劈く轟音が鳴り響いたかと思うと、マットと姉妹が後方に弾き飛ばされた。
 明確な敵意がなかったからか、姉妹がエマの言う通りかなり鍛えられているからかは分からないが、二人は軽く退いて尻もちをついただけで済んだ。

 もっとも、マットはそうはいかなかった。
 姉妹の手から離れたマットは、衝撃に耐えきれなかったのか、白い外皮が半分以上破れて、中身が露出していた。人間よりも相応に耐久力があるはずの体育用マットですらこうなるのだから、ジョンソンが壊れてしまうのは、致し方なかったのだ。
 エマも改めて、この魔法の性能に驚いていた。腕を組み、リィン・フォローズの小さく細い体に秘められた、異常とも呼べるスペックに舌を巻くばかりだった。

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