座敷童子のパティシエールとあやかしの国のチョコレート

(ふじ)(ほまれ)寿(ひさ)の二人だけに任せられるようになったので、翌日は久しぶりに瑠璃と一緒に Lupinus の店番をしていた。すると「ハイカカオチョコってありますか?」「ハイカカオチョコ五袋ください」と朝からハイカカオチョコを求めるお客様が列を作っている。
「どうしてこんなに?」
「最近はチョコレートを話題にした番組とか見てませんけど...」
あたふたしているところへ常連のお客様がやってきて教えてくれた。
「 SNS で見たのよ。ほらこの書き込み見て」
目の前に差し出された画面には『毎日少しずつハイカカオチョコを食べてたら肌荒れが気にならなくなったよ〜。それにおなかの調子もいいみたい。伏見稲荷近くの Lupinus っていうお店のチョコがおいしくてお気に入り!』と、チョコレートの写真付きの記事が表示されていた。
「なるほど...」
しかもすごい数のいいねと『今日買いにいこうかな』『仕事帰りでも残ってるかなぁ』などたくさんのコメントがついている。たぶん、少なくてもこれから数日間はハイカカオチョコを求めるお客様が増えるだろう。
けれど今朝コンチングを終えたチョコレートの分でカカオ豆の在庫はなくなっている。予定よりもたくさんのチョコレートを作るとなると、少しでも早く次のコンチングを始める必要がある。
「瑠璃ちゃん、ちょっとカカオの森へいってくるわ。すぐに戻るから」
私はいそいで保存してあるカカオ豆を持ってきて焙炒を始めた。
「穂香さん、ハイカカオチョコがあと五袋しかありません。どうしますか?」
「すぐに作るわ。でも固まるまでは少し時間が必要...あっ!茜様を呼んできてもらえる?」
「わかりました!いってきます」
茜様の力を借りれば、あっという間に固めることができる。型にチョコレートを流し入れ準備をしているところへ茜様と一緒に瑠璃が戻ってきた。
「茜様、すみません...」
「いいのよ。穂香ちゃんのためだもの~。あ、これを固めればいいのね」
茜様は「いつも食べているぐらいの固さでいいのよね」と言って、低すぎない温度で丁寧に冷やしていった。できあがったチョコのラッピングを瑠璃に任せ接客をしていると、残っていたハイカカオチョコもすぐに売り切れてしまい、もうすぐできると伝えると店内で待つと言うお客様が続出した。

「いらっしゃい...ませ」
え...どうして?青王様が術をかけて、この人はもうここへ来られないようにしてくれたはずなのに。
「 SNS で見たんだけど、ハイカカオチョコはあるかな?」
「えっ...と、まもなくお出しできますので少々お待ちいただけますか」
「それじゃほかのお菓子を見ながら待たせてもらうよ」
厨房では心配そうな顔の瑠璃と不安そうな顔の茜様がこちらの様子をうかがっている。
二人に「大丈夫です」と声をかけると、瑠璃は「もうここには入れないはずなのに。でもなんかこの前と様子が違うような...とりあえず青王様を呼んできます」と王城へ戻っていった。
「穂香ちゃん、はいこれ。ラッピング終わった分ね。わたしもお店のほうにいきましょうか?」
「ありがとうございます。一人で大丈夫です。危ないと思ったらすぐに逃げて来ますから」
たくさんのチョコレートが乗ったトレーを茜様から受け取り「おまたせしました」と、できあがりを待っていたお客様に渡していく。

「穂香さん、交代しますね」
青王様を連れて戻ってきた瑠璃が交代してくれたので、私は追加のチョコレートを作りに厨房へ。
「青王様、商品がまだ足りなそうなんです。私はもう少し作るので瑠璃ちゃんとオーナーの様子を見ていてください」
青王様は小さくうなずき店のほうを覗いている。
「茜様、もう少しお手伝いお願いできますか?」
「もちろんよ~。どうせならわたしもここで働かせてもらおうかしら」
「そんなことしたら私が白様に怒られちゃいます」
「怒ったりしないわよ。あっ、今はチョコレート作らないとね」
私たちはおしゃべりをやめハイカカオチョコを作り続けた。


「すみません、もう少しお待ちいただけますか?」
「だったら先にこのキャラメルクリームのボンボンショコラを一つもらおうかな。ちょっと味見してみたくて」
「はい、かしこまりました」
瑠璃がボンボンショコラを一粒小さな透明の袋に入れると、オーナーは「封はしなくていいよ。今すぐ外で食べちゃうから」と袋を受け取り、店の前でチョコレートを頬張った。


「おまたせしてすみませんでした」
店内で待っていた二名のお客様が店を出るのと入れ替えに、オーナーがゆっくり戻ってきた。
瑠璃は、指先の震えを必死に抑える私をかばうように前に出る。青王様も厨房の中で、何かあったらすぐに出てこられるよう構えているようだ。
「とてもおいしいチョコレートだった。それに、キャラメルクリームはなんだか懐かしい感じがしたんだ。ハイカカオチョコのほかに、ボンボンショコラを全種類一つずつもらおうかな」
「はい、すぐご用意しますね」
瑠璃が目で合図をしてきたので、私は恐々(こわごわ)とレジの前に立ち会計をした。
「今度はケーキを買いにくるよ」
「はい、お待ちしています。ありがとうございました」
オーナーが出ていくと私は体の力が抜けてしまい、倒れそうになったところを青王様が支えてくれた。
それでもなんとか追加のチョコレートを作り閉店までがんばると、片付けもそこそこに王城へ向かった。

「茜様、閉店までお手伝いさせてしまってすみませんでした」
「いいのよ~。わたしは穂香ちゃんとチョコレート作りができてうれしかったわ。さあ、夕食の準備を始めましょう」
「はい。今日は残りの芋煮にカレールウを入れるだけなので、あとはご飯を炊いてサラダを作るだけですね」

誉たちも戻ってきて、みんなでわいわいと夕食を食べる。二キロ分のお米を炊いたのに、七人であっという間に平らげてしまった。
「おいしかった~。また作ってください!」
「わたしはずっと芋煮と芋煮カレーの繰り返しでもいいな」
「青王ったら子どもみたいなことを言って。せっかく料理上手の穂香ちゃんがいるんだから、ほかにもおいしいお料理をたくさん食べさせてもらいましょうよ。ね、穂香ちゃん?」
「はい、いろいろ作りますから茜様も青王様もお手伝いしてくださいね」
「もちろん」とうなずいてくれた茜様。青王様は「わたしと穂香の二人だけで作ってもいいんだよ?」なんて言っている。
「あらあら、ふふふ。穂香ちゃん、子どもみたいで大変だと思うけれど青王をよろしくね」
みんなが青王様と私を交互に見ている。は、恥ずかしい...


片付けを瑠璃に任せて、青王様と一緒に家に戻ってきた。
「どうしてオーナーが店に入れたんでしょうか。それにペンダントも反応しませんでしたし」
「以前とは態度が全然違って穏やかな雰囲気だったから、ペンダントが危険だと判断しなかったんだろう。それに、穂香のことを認識していないようだったからあの男にかけた術は効いていると思う。きっとペンダントと同じように建物にかけた結界の術があの男を危険人物だと判断しなかったんだろう」
私のことを思い出さず、ただ普通に買い物をして帰ってくれるならかまわない。でも、もしまた罵声(ばせい)を浴びせられたら、と思うと不安でしかたない。
「できれば結界を強化したいところだが、そうするとほかの客にも影響するかもしれないから...今後またあの男が店に来たら今日のようにすぐに呼びに来ればいい。もし瑠璃がいなくても、穂香だって一瞬で私のところに来られるだろう」
「はい、わかりました。ありがとうございます」
青王様は「穂香はわたしが絶対に守るから」と、私の頭をやさしくなでた。

「私、明日は早朝からやることがあるのでそろそろ休みますね」
「早朝から?」
「はい、今コンチング中なんですけど、それが終わるのが明け方ぐらいなんです。終わったらすぐに作業したいので」
ん?なんだか期待に満ちた目をしている気がする...
「あの...お手伝いしたいっていう顔してますね」
青王様はうんうんと大きくうなずいている。
「やっぱり...うーん、では瑠璃ちゃんが来るまでお手伝いしてください。朝五時ごろに来てくださいね」
「わかった。おやすみ」
やさしく口づけをすると、スキップでもしそうな勢いでうれしそうに戻っていった。
「穂香、おはよう」
「おはよ...うございます」
テンパリングを終えたチョコレートを、ボールに移しているところで声をかけられ振り向くと、そこには割烹着(かっぽうぎ)を着て三角巾(さんかくきん)で頭を(おお)った青王様がにこにこしながら立っていた。
「えっと...三角巾までつけているとどこかの食堂のおかあさんみたいですね」
「初めて芋煮を食べた山形の店の女将さんもこんな感じだったな。あ、そういえばマスクもしていた」
「へぇ...」
私が着たら指先まで隠れてもまだあまりそうなほど長い袖も、青王様にはだいぶ短くて、それがなんとも滑稽(こっけい)で、何度見ても笑いそうになる。だけど、青王様はこの割烹着が気に入っているようだから笑ったりしたら落ち込んでしまうだろう。でも笑いを(こら)えるの、つらい...

「今日はハイカカオチョコをたくさん作ります。この型の中にこのくらいずつチョコを流していってください」
ボタンの形の型に絞り袋でチョコを流し入れながら説明すると、青王様は「気をつけないと(あふ)れそうだ」と言いながら真剣な表情を浮かべ慎重に作業を始めた。

二人で七十袋分のハイカカオチョコを作り終えると、青王様はボンボンショコラも作りたいと言う。
期待に満ちた顔でお願いされてしまい、すぐに調理台に材料を並べると青王様は慣れた手つきでボンボンショコラを作り始めた。
「もう完璧ですね」
「これなら従業員として雇ってもらえるかな?」
「なに言ってるんですか。従業員になったら、お手伝いじゃなくてお仕事ですよ」
青王様は「しまった!」という顔でこちらを見つめている。
「ふふふ、これからもお手伝いしてくださいね」
「穂香のためならなんでも手伝うよ」
私は笑顔でうなずき作業を再開すると、すぐに瑠璃がやってきた。
「おはようございます」
「おはよう。いつもより早いけど、どうしたの?」
「藤のほうでいちご大福五十個の予約が入っていて。青王様、なんだかすごい格好してますね...えっと、お願いしておいたいちごはどこですか?」
「あっ、すっかり忘れていた。すぐに収穫してくるよ」
「ちょっと待ってください」
バタバタと割烹着を脱いでいる青王様を呼び止め「私も使いたいのでたくさん収穫してきてください。瑠璃ちゃんも一緒にいってきてね」と声をかけ瑠璃に大きな(かご)を渡した。
二人を見送り、瑠璃から「これ、お願いします」と渡されたメモを確認すると、そこには瑠璃が今日作る予定のお菓子とそのレシピが書いてあった。
私はそれぞれのレシピに合わせたチョコレートを準備していく。


「戻りました!」
「おかえりなさい。うわぁすごい!」
真っ赤で大粒のいちごが山盛りに詰まった籠からは、甘くておいしそうな香りが漂ってくる。
「食べ頃のものが思ったよりたくさんあったんだ。少し取っておいて、あとでそのまま食べるといい」
「はい、そうします!」

「穂香さん、チョコの準備ありがとうございます」
私はコクンとうなずき、あっという間に元の割烹着姿になった青王様に「それでは続きをお願いします」と声をかけ、三人で黙々とお菓子作りを進めた。

お菓子を一通り作り終えると、青王様と瑠璃はたくさんのお菓子を抱え(ふじ)に向かった。
今日は私と寿(ひさ)が Lupinus の店番をする。瑠璃が寿を連れて戻って来るのを待ちながら開店準備をしていると、目の前に四人の人影が現れた。
「またあの男が来ると心配だからね」
「チョコレートが足りなくなっても、すぐに固めてあげるからね~」
「...ということなので、わたしは藤に戻ります!」
瑠璃は「わたしは青王様に連れていくように言われただけですからね!」と、逃げるように戻っていった。
「穂香さん、おはようございます。わたしは商品を並べてますね」
寿はサッとその場を離れ冷蔵ケースにケーキを並べ始めた。
「わたしは瑠璃に連れていってほしいと頼んだんだ。決して命令したわけではないから」
「青王様、なんだか目が泳いでますけど...」
きっと瑠璃に無理矢理ついてきたんだろう。青王様はとても過保護だから、きっと何を言ってもここに居座るんだろうな。たぶん本当の目的はお手伝いだと思うけど...
だけど、本音を言えば二人のお手伝いはとてもありがたい。
「わかりました。商品が足りなくなった時はお手伝いお願いしますね」
「もちろん!」
「わたしたちは邪魔にならないところにいるからね~」
そう言って厨房の奥にある椅子に座った二人。それにしても、割烹着に三角巾姿だと場違いというか、ここにいるととても違和感がある...

ハイカカオチョコは想定をはるかに上回る売れ行きで、午前中にボンボンショコラまで品薄になってしまった。青王様と茜様にお手伝いをお願いして追加のチョコレート作りをしていると、十四時を過ぎた頃にオーナーがやって来た。
「昨日購入したチョコレートがとてもおいしかったから、ぜひショコラティエさんとお話をしたいんだけど」
「私がここのショコラティエですが」
「ああ、あなたがこのチョコを作ってるんだ。ここで使ってるカカオ豆って、もしかしてチュアオ?」
「それは企業秘密です」
「そうか...俺はパティシエやってて、今度東京に店を出すんだ。君の腕は確かだし、もしよかったら俺の店に来てもらえないかな?」
その時、ワイシャツにスラックス姿でエプロンをした青王様が厨房から顔を出し「オーナー、二号店から電話ですよ」と声をかけてきた。
振り向いた私の耳元で「寿と一緒に厨房にいって、穂香は電話に出ているフリをして」とささやき私たちを避難させてくれた。

「彼女がここのオーナーなの?」
「そうですよ」
「なんだ、そうなのか...あ、ねぇ、君はこの店で使ってるカカオ豆の産地、知ってる?」
「それは企業秘密なのでお伝えできません」
「やっぱりだめか。それじゃ今日はザッハトルテを一つもらうよ」
「かしこまりました」
電話を耳に当てながら青王様の様子をうかがっていると、慣れた手つきでラッピングと会計をしている。今まで接客をお願いしたことなんてないはずなのに...

オーナーが退店したのを確認し店へ出ると、青王様が「大丈夫かい?」とそっと背中をなでてくれた。
「態度はいいとは言えないけれど、初めて来たときのような攻撃性は感じなかった。でもあの感じだとまた来るだろうな」
「何度か来るうちに私のことを思い出したりしないでしょうか。私が空良のことを思い出したみたいに...」
「術は効いているからそう簡単には思い出さないはずだよ。だけどこれからしばらくは穂香がここにいたほうがいい。もしあの男が来たときに穂香がいなかったら、瑠璃たちから二号店のことを聞き出そうとするだろうからね。さっきわたしが二号店から電話だと言ってしまったから」
ということは、またオーナーと顔を合わせる可能性が高いということ。怒鳴られなかったとしても何度もしつこく言われたら「言うことを聞かなければ...」と思ってしまいそうで怖い。
「穂香、ちょっと手を握らせてもらうよ」
青王様はそう言って私の両手をギュッと握り「うん」とうなずいた。
「え?」
「わたしもここにいるから大丈夫だよ。次にあの男が来たらしっかり記憶を消してやろう。その時は穂香の力を借りるために手を握らせてもらうからね」
「私の力...」
青王様が言う私の力とはなんなのか、それをどう利用するのか、まったくわからない。だけど、せっかくオーナーから逃れてここまで来たのだから、もうこれ以上邪魔されたくない。
「青王様、お願いします。もうオーナーが来ないようにしてください!」
閉店後、王城で夕食をいただき、カカオの森ですねこすりたちをなでて遊んでいると、突然目の前に瑠璃が現れた。
「穂香さん、白様がお話をしたいそうなんですけど、これからお部屋にいってもいいですか?ここだといつ青王様に見つかるかわからないですから」
「白様が?...まぁたしかに青王様がいるとゆっくりお話できないかも。それじゃあ先に帰っているから厨房のほうに来てね」
「わかりました」

すねこすりたちに「またね」と声をかけ伏見に帰り、厨房でお茶の準備をしていると、背中でなにかがゴソゴソと動いた。
「えっ、なに?!」
いそいでパーカーを脱ぐと、フードの中から一匹のすねこすりがぴょこんと顔を出した。
「あれ?なんで?」
そっと抱き上げると、すねこすりはきょとんとした顔でこちらを見つめている。どうやらフードの中で遊んでいるうちに眠ってしまったようだ。
普通の動物を厨房に入れることはできないけれど、この子たちはもふもふなのに毛が抜けたりしないから、まあいいかな...

「こんばんは穂香さん。こんな時間にすまないね」
「いえ、大丈夫ですよ」
「あれ?その子どうしたんですか?」
「フードの中で寝てたみたい。気づかなくて連れてきちゃった」
ササッと紅茶を淹れた瑠璃が「お話のあいだ、わたしが抱いてますね」と私の腕の中からそっと受け取った。

「白様、なにかありましたか?」
「穂香さんに少しお願いがあってね。茜のことなんだが...空良妃がいなくなってからずっと、表では明るく振る舞っていても、やっぱりどこか寂しそうだったんだ。でも穂香さんが来てから毎日とても活き活きと心から楽しそうにしている。もし穂香さんがよければ、茜にお菓子作りの手伝いをさせてやってもらえないだろうか」
「あの、私、白様と茜様にあの頃と同じように接してもらえて、帰ってきたんだなぁって感じがして、本当に嬉しかったんです。茜様とお料理をするのだってとても楽しくて。だから...ありがとうございます。私から茜様にお手伝いのお願いしてみますね」
「よかった、頼んだよ。それと、青王のことなんだけどね。彼は王位を継いでからこれまで王妃なしで一人で京陽を守ってきた。周りに弱みを見せず、寂しさを紛らわすため仕事に没頭し、わたしたちを含め城内の妖ともあまり会話をしない。そんな彼を見ているのが辛かった。だけどある時から様子が変わったんだ。顔つきがやさしくなったというか...きっとその頃こちらの世界で穂香さんを見つけたんだろうな」
「白様、青王様は私のことを絶対に守ると言ってくれました。私ももう青王様から離れないとお約束したんです。だからこれからは青王様が笑顔でいられるように、わたしがそばで支えていきます」
白様は涙を浮かべ「ありがとう」と何度も頭を下げた。自身も辛い思いをしながら、ずっと茜様を支え青王様の心配をしてきた白様は、やっとあの頃と同じやさしい笑顔を見せてくれた。


それから二日後、またオーナーがやって来た。
「このチョコ、やっぱりチュアオだよね?ねぇ、どこから仕入れてるのか教えてよ」
「企業秘密なので...」
「それじゃあやっぱりうちの店に来てよ。ここより東京のほうが客も多いし、君の腕があればすぐに人気店になれるからさ」
これ以上拒否を続けたらまた怒鳴られる。そう思うと声も出せなくなっていた私の隣に青王様がやってきて「そろそろ追い払おう」と耳元でささやきギュッと手を握った。
「ほかのお客様のご迷惑になりますから」
青王様はオーナーに向かってそう言うと、人差し指を唇に当てフーッと息を吐いた。するとオーナーは「あれ?ここどこだ?」と店内をキョロキョロと見回し始めた。
「お客様。なにかありましたか?」
「あ、いや...」
「出口はあちらですよ」
オーナーは「おじゃましました」と、青王様が指差すほうへ向かっていき、ドアの前で「駅ってどっちですか?」と振り向いた。
青王様も外に出ていき、駅までの道のりを説明しているようだ。

二人をボーッと眺めていると、厨房から出てきた瑠璃が「大丈夫ですか」と背中をさすってくれた。
「あ、ごめん大丈夫」
「お客様、待ってますよ」
気づくと会計待ちのお客様が数名、心配そうな顔でこちらを見ている。
「すみません、おまたせしました」
瑠璃と手分けをして接客をしていると、戻ってきた青王様が「ちょっと王城に戻るよ」と言い残し厨房の奥へ入っていった。


チョコレートもケーキも完売したため少し早めに閉店し片付けをしているところへ、青王様がやってきて真剣な顔で一言。
「穂香、これから引っ越しておいで」
「え......こ、これから?!」
一瞬なにを言われたのか理解できなかった。
「明日は休みだろう?機材は揃ったから一緒に厨房の整備をしよう」
本当は明日、青王様を誘ってお出かけしようと思っていたんだけど...
「わかりました。それではここの厨房のお掃除、お手伝いしてくださいね」
「もちろんなんでも手伝うよ!」
すると瑠璃が「掃除はわたしたちでやりますから、穂香さんはお部屋の片付けをしたらどうでしょう」と提案してくれた。
「そうね。そのほうが早くお引っ越しの準備ができるわね」
「この箱を使うといい。掃除が終わったら手伝いにいくよ」そう言って、組み立て前の段ボール箱をいくつかと粘着テープを渡してきた。

「とりあえずすぐに使う物だけでいいかな」
いつでも簡単に戻って来られるし、一度に全部持っていかなくても困らない。
あっという間に荷造りは終わり、部屋の掃除も終わるころ青王様たちがやってきた。
「穂香、厨房のほうは終わったよ。なにか手伝うことはあるかい?」
「お疲れ様でした。私のほうもこれで終わりです」
「うん。穂香は空良の部屋とわたしの隣の部屋、どちらを使いたい?どちらもすぐに使えるようにしてあるから、好きなほうへ移動するといい」
私は今まで空良の部屋でいいと思っていた。でも、やっぱり青王様の隣の部屋を使わせてもらうことにした。
「わかりました。それではいきますね」

「うわぁすごい!素敵です!」
木目が美しい家具で統一されたその部屋は、あたたかな空気に包まれたホッと落ちつく場所だった。
「気に入ってもらえたかな。穂香がゆっくりできるようにと、母上が一緒に整えてくれたんだ。まぁ穂香がこの部屋を選んでくれるかはわからなかったが」
「ありがとうございます。空良の部屋にはお着物もたくさんありますし、大切な物を置く場所として使わせてください」
「どちらの部屋も穂香の好きなように使うといいよ」
「さあさあ青王様、穂香さんも、そろそろダイニングにいきましょう。茜様が夕食の準備をしてくれてますから」

「あら~穂香ちゃんいらっしゃい!お部屋はどうだった?これからここが穂香ちゃんの家だからね。なにかあったらすぐにわたしに相談してね!」
「茜様、素敵なお部屋を準備していただいてありがとうございます。これからよろしくお願いします」
「穂香ちゃん、おかえりなさい」
茜様は「うれしいわ」と私をそっと抱きしめ背中をポンポンとなでた。
翌日、朝から厨房の整備をし、午後から青王様とお出かけすることにした。
「あとでわたしが着る着物を選んでもらえないかな」
「わかりました。ちょっと準備してからお部屋にいきますね」
「ああ、待っているよ」
私は空良の部屋の箪笥(たんす)の中から、流水の地模様が入った藍色の着物を選び、空色の帯に藍と金の帯締めを合わせた。
「お待たせしました」
「その着物...」
「はい。空良のお気に入りだったものです」
青王様は「よく似合うよ」と、そっと頬をなでた。
「あ、えっと、お着物選びましょうか」
私は青王様の箪笥の中から、露草色(つゆくさいろ)の着物と瑠璃色の帯を選んだ。
「廊下で待っているので着替えたら呼んでくださいね」
「ここにいてもいいのに...」
私は聞こえないフリをして廊下に出た。頬をなでられてから、ずっとドキドキして顔が熱くて大変だったのに、着替えているところに一緒にいるなんてとんでもない...
「穂香、できたよ」
ボーッとしているところへ声をかけられ、飛び上がるほど驚いてしまい、落ち着くために深呼吸をしてから部屋に入った。
「穂香と同じ色合いだね。揃いの感じでうれしいよ。ありがとう」
「あ、あとこれも...」
私は、藍と金の紐で組んだ組紐を差し出し「よかったらこれで髪を結んでください」と手渡した。
少し前に出来上がっていたけれど、自分の帯締めも仕上げてから渡そうと思い、今まで渡さずにいたのだ。
「これは私が組みました。この帯締めとお揃いです」
「穂香の手作り...しかもお揃い...」
青王様の様子が突然おかしくなった。耳まで真っ赤な顔をして組紐をみつめ、身体を小刻みに震わせている。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
パッと私の顔を見た青王様は、コホンと咳払いをし「すまない、少し取り乱した」とつぶやきながら私から目をそらした。
「まさか手作りの贈り物をもらえるなんて思っていなかったから、本当に嬉しくて。危うく白龍の姿になるところだったよ」
「あはは...よろこんでいただけてよかったです」
私の作った物が原因で王城の壁が破壊されるところだった。次からは渡す場所を考えないと...
「髪、結びますね」
青王様から組紐を受け取り、絹のように艶々(つやつや)さらさらな髪を後ろで一つにまとめた。
「できました」と、合わせ鏡にして後ろ姿を見せると「こうして着物と色を合わせるのも素敵だね。ありがとう、穂香」と頭をそっとなでてくれた。

「そろそろ出かけようか。今日はどこかいきたいところがあるのかい?」
「すみません、特にいきたいところはないんです。ただのんびりお散歩ができれば...」
青王様はしばらく「うーん」と考えると
「では、わたしの買い物に付き合ってくれるかい?」
「はい、もちろん」
わたしたちはまず懐中時計を使って伏見の家に移動し、伏見稲荷駅から祇園四条駅まで京阪電車に乗り、八坂神社、高台寺、そして二年坂を手をつないでのんびり歩いた。すると青王様が「ここだよ」と、一件のお店の前で足を止めた。
中に入ると、手ぬぐいや(かんざし)などの和雑貨が所狭しと並んでいる。
青王様はしばらく店内を見渡すと、私の手を引き、がまぐちが並ぶ棚の前までやって来た。
「賽銭用の小銭を入れておこうと思ってね。ええと、これなんかどうだろう」
青王様は藤の花の柄の小さながまぐちを手に取った。
「素敵ですね。いいと思いますよ」
「ではこれにしよう。あとは...」
今度は根付(ねつけ)の棚を眺めると、丸い銀色の水琴鈴(すいきんすず)が付いたものを一つずつ振りながら音を確かめている。
「これがいいな。では会計をしてくるから、穂香は店内を見ているといい」
「では、手ぬぐいのところにいますね」
「うん」
今まで手ぬぐいをじっくり見ることはなかったけれど、伝統的なものから現代風のものまで様々な柄がある。それに、正方形の手ぬぐいを結びつけてバッグのようにできる持ち手なんていうものも。これなら着物の色や柄に合わせて選べていいかも。
また今度見に来ようかな、と考えているところへ青王様が戻って来た。
「おまたせ。なにかいいものは見つかったかな?」
「あ、いえ。また今度改めて来てみようと思います」
「そうか。それじゃあ帰ろうか」

私たちはまた手をつなぎ、来たときと同じ道をのんびり戻っていく。
伏見の家に着き、お茶を飲んで一息つくと、私は気になっていたことを聞いてみることにした。
「この前、オーナーが来たとき、私の手を握ってなにか確かめていましたよね?青王様は納得したような感じでしたけど、あれってなにを確かめたんですか?」
「ああ、あれはね、穂香の妖力を見ていたんだよ。泉の水を摂取するようになってある程度の時間が過ぎたし、そろそろ空良の魂の力が戻ってきているだろうと思ってね」
「空良の魂の力...」
「穂香が王城へ初めて来たころは、妖たちに姿を消すか人間の姿になるように言い聞かせていたけれど、それができないすねこすりたちの姿は見えていただろう?でも、普通の人間には妖自身がわざわざ姿を見せようとしないかぎり、見えることはない。つまり、穂香には初めから妖が見える程度の妖力があったということだ。そこへ泉の水を摂取して、空良の魂の力をさらに引き出した」
それが茜様が言っていた「青王様と同じ性質を持つようになる」ということ?
「それじゃあオーナーの記憶を消すと言って手を握られていたとき、身体全体があたたかいなにかに包まれた感じがしたのは、私の中の妖力を使ったからですか?」
「そうだよ。空良の魂の力は、今ではもう穂香自身の力になっている。あの男から穂香の記憶を消すとき、その対象である穂香自身の力を使えば、より強固な術になるからね」
そうか...私は本当に青王様に近い存在になってきているんだ。あとは「青王様の子をおなかに宿す」って言ってたけど、それはまだちょっと無理かな...
「穂香?どうした?なんだか顔が赤い」
「えっ!あ、なんでもないです。大丈夫です」
「それならいいが。そうだ、これは穂香に」
青王様は小さなピンク色の包みを私の手のひらに乗せた。
「これは?」
「開けてごらん」
そっと包みを開くと、さっき青王様が選んでいたがまぐちが出てきた。しかもがまぐちの中からシャラン、と水琴鈴まで顔を出した。
「これって青王様が選んでいたがまぐち...」
青王様は「わたしとお揃いだよ」と、着物の(たもと)から同じ物を出して見せた。
「ここに根付を付けてがまぐちを帯に挟むんだよ」
そう言って、私の帯にがまぐちを挟んだ。帯の外に水琴鈴が下がり、シャラシャラとやさしい音が響いた。
「ありがとうございます。青王様とお揃い、うれしいです」
「そ、そうか。よかった」
耳を真っ赤にした青王様は「これから伏見稲荷へお参りにいこう」と、自分のがまぐちに小銭を入れ始めた。
私も同じように小銭を入れ「奥社までいきましょうね」と声をかけた。
私は茜様とお話をするため、自室から離れへ向かった。
「茜様、お願いがあるのですが...」
「あら、なになに?穂香ちゃんのお願いならなんでも聞いちゃうわよ~」
「あの、茜様にチョコレート作りのお手伝いをお願いしたいんです。王城の厨房も使え...」
「えっ!毎日お手伝いしていいの?うれしいわ~。あ、でも青王がヤキモチ焼くかしら?穂香を独り占めするな!とか言って怒ったりして。でもいいわ。わたしはなにをすればいいの?さぁ、今からお手伝いするわよ~。そうだ!割烹着(かっぽうぎ)持っていかなきゃ...」
いきなりテンションの上がった茜様は私の話を遮り、腕を組んだり頬杖をついたりしながら勢いよくしゃべり続けた。
「茜様、落ち着いてください。とりあえず厨房にいきましょう」
「わかったわ、先に向かってて。わたしはちょっと準備してからいくわね」
「わかりました」
私は懐中時計を手に取ったものの、やっぱり歩いていこうと思い外へ出ると、目の前の風景にちょっとした違和感を感じた。
「あれ...?あ、泉が!」
いつもは泉の底にある石の色まではっきりわかるほど無色透明な水が、今は少し緑がかって見える。とくに濁っているわけではない。だけど、今まで色が付くことなんて一度もなかった。
「あら穂香ちゃん、先にいってよかったのに」
「茜様!泉の水が!青王様になにかあったんじゃ...」
泉をのぞき込んだ茜様は「あらあら」と言いつつとても落ち着いている。
「青王がどこにいるか知ってる?」
「私が部屋を出るときは、まだお部屋にいらっしゃったと思います」
「それなら青王の部屋に移動しましょう。大丈夫よ。たいしたことないわ」
そう言われても不安は消えず、わずかに震える手で懐中時計を握りしめ青王様のお部屋の前まで移動した。
ドンドンとドアをたたき「青王、入るわよ」と声をかけ、返事を待たずにドアを開けて入っていく。私も茜様の後ろからついていくと、布団の上で毛布に包まった青王様がひょこっと顔を出した。
「青王、あなたそんなに妖力減らして何してるの?」
「ちょっと、あれこれ考えすぎて...」
話しについていけずその場でおろおろしている私に、茜様が振り向きニコッと笑いかけて「穂香ちゃん、青王に妖力を分けてあげてくれる?」と言ってきた。
「えっと...」
「ほら青王、早く手を出して」
青王様がもぞもぞと手を伸ばすと、茜様がその手をガシッと掴み私の手を握らせた。
「早く受け取りなさい」
茜様がそう言うと、私は身体中にふわっとした暖かさを感じた。
すると青王様がガバッと起き上がり「穂香、すまない!」と頭を下げた。
「あの、ちょっとなにが起きているのかわからなくて...」
「あのね、たぶん青王はね、結婚のことを考えたり~、隣の部屋にいる穂香ちゃんのことが気になったりして~」
「は、母上!白状するから...」
なにかもごもごと言い淀む青王様は、真っ赤な顔をしていて目も泳いでいる。
「穂香はここへ来てからちゃんと休めているか気になって、夜中に何度も部屋の前までいったり...あ!決してドアを開けたりはしていない!断じて!それから...」
「それから、何?早く言っちゃいなさい」
茜様、完全に子どもを叱る母親の顔になってる...
「穂香と、結婚や、その...子どもについて話をしたいと思っているのに、なかなか言い出せなくて...」
「それで、一人で悶々(もんもん)と考え続けて睡眠不足で妖力まで弱まってしまった、ということね。まったく、なにやってるの?あなたはこの国の王なのよ。しっかりしなさい!」
「面目ない。穂香、今夜少し話す時間をもらえないだろうか」
「はい、大丈夫ですよ」
その後、青王様は泉に妖力を注ぎ、水は無事に無色透明に戻った。

「青王様は少し休んでいてくださいね。私たちは厨房にいますから、なにかあったら声をかけてください」
「穂香のおかげでもう大丈夫だから、わたしにも手伝わせてほしい」
「それでは...トマトを収穫してきてください」
「わかった、いってくるよ!」
茜様は、うれしそうに走っていく青王様を目で追い「はぁ~」と大きなため息をついた。
「まったく、泉の水は元に戻ったけど体内の妖力はまだ戻りきっていないはずよ。また動けなくなっても知らないんだから」
茜様はだいぶ呆れているようだけど、私はチクッと胸が痛んだ。青王様が妖力を弱らせたのは、私が結婚の話をうやむやにしていることも原因だと思ったから...
「青王様が戻ってきたら、もう一度妖力を渡しますね」
「無理しなくていいのよ。穂香ちゃんはなにも悪くないんだからね。でも青王の気持ちもわかるのよね。空良妃を亡くしたとき、ずいぶん落ち込んでいたから。その記憶が(よみがえ)ってきて、穂香ちゃんまで離れていってしまったら、って考えてしまうから怖くてしかたないのよ」
「そうですか...今夜、青王様とこれからのことをしっかりお話してみますね」
茜様は「青王のこと、よろしくね」と微笑み「さあ、早くチョコレート作りましょう」と厨房へ向かった。

「穂香、トマト持ってきたよ。それと、ちょっと前に収穫しておいたバナナもしっかり熟して食べ頃だった」
「バナナの木なんてありましたっけ?」
「カカオの森の中に温室を作ったんだ。もうすぐマンゴーも収穫できる」
「いつの間に...」
青王様は「褒めて」とでも言いたげな瞳でこちらを見つめてくる。
「ありがとうございます。青王様が育てた果物はおいしいですからね」
上機嫌の青王様は「割烹着持ってくる!」と言って厨房を出ていった。

「茜様、今日はハイカカオチョコとトマトジャムのボンボンショコラ、それと、せっかくなのでバナナクリームのボンボンショコラを作ろうと思います。まずはバナナクリームを作りましょう」
茜様にバナナを潰してもらっている間に、ほかの材料を準備する。
少しつぶつぶが残るぐらいまで潰したバナナに、砂糖、レモン汁、コーンスターチを入れてよく混ぜ、牛乳を少しずつ加えながらさらによく混ぜる。
これを火にかけ、とろみがつくまで焦げないように混ぜながら加熱する。
そこへ割烹着に三角巾姿の青王様が戻って来た。
「わたしはなにをすればいい?」
「青王様はトマトの湯むきをお願いします。でもその前に私の妖力を受け取ってください。また動けなくなったらお手伝いできなくなっちゃいますからね」
そう言って手を差し出すと、ちょっと困ったような顔をしながら「ありがとう」と言って私の手をそっと握った。
身体がふわっとあたたかくなるのを感じると、青王様の顔色が良くなったように見える。やっぱりまだ妖力が足りなかったのだろう。
そうしている間に、バナナクリームがちょうどいい感じになっている。バターとバニラエッセンスを加えてバターが溶けるまで混ぜたら、あとは冷ますだけ。それは茜様にお願いして、私はトマトジャムのほうへ。
湯むきをしたトマトを刻み砂糖を加えて火にかけ、とろみがつくまでゆっくり煮詰める。青王様には焦げないように混ぜているようお願いして、茜様と私はハイカカオチョコを作り始めた。

「これはこの前と同じね。さあ、どんどん固めるからね~」
やる気満々の茜様は、チョコを型に流す作業が間に合わないほどのスピードで、どんどんと固めていく。

青王様に任せていたトマトジャムもできあがり、今度はみんなでボンボンショコラを作る。青王様と私が作ったものを茜様が固めていく。
もうずっとこうしてやってきたような見事な連携で、想定よりずいぶん早く作業が終わった。
「ありがとうございました。紅茶を淹れたので、できたてのボンボンショコラを食べて休憩してください。もうすぐ瑠璃ちゃんがケーキを作りに来ると思うので、私はその準備をしますね」
「わたしたちにできることはもうないの?」
「今日はもう大丈夫です。でも、明日ちょっとやりたいことがあるので、その時はまたお手伝いしてくださいね」
「わかったわ」と言ってトマトジャムのボンボンショコラを口に放り込む茜様。
その隣でバナナクリームのボンボンショコラを頬張る青王様。
そして、一度顔を見合わせた二人は、同時に私のほうへ向き直り「おいしい!」と声を揃えた。
「青王様がバナナを持ってきてくれたの。あと、トマトも」
「それじゃあ、バナナのタルトとチョコバナナのアイスを作りますね」
「アイスを作るならわたしもお手伝いするわ!」
瑠璃がアイスと言ったのを聞き逃さなかった茜様が、わたしの出番とばかりに瑠璃の隣へ駆け寄っていった。
「あ、ありがとうございます。先にタルト生地を作ってしまうので、しばらく待っていてください」
茜様は「準備ができたら声をかけてね」と言って椅子に座り直し、おかわりした紅茶を飲み始めた。
私は、アイス用のチョコレートを用意し、ついでにチョコバナナを作ることにした。縁日(えんにち)にあるような一本まるごと串に刺さった形だと食べにくいので、輪切りにして串団子のような形にしようと思う。それと、コーティング用のチョコはミルクとビター、ホワイトの三種類。
バナナをカットしていると、左側からものすごく熱い視線を感じる。
その視線を送っているのはもちろん青王様。しっかり割烹着を着て準備万端だ。
「青王様...お手伝い、お願いします。バナナをこうして串に刺してチョコでコーティングしてください」
一本に四切れのバナナを刺して作って見せると、青王様はにこにこしながら「わかった」と言ってすぐに同じように作り始めた。
「なんだか物足りないな。少し飾りつけをしたらどうだろう」
「そうですね...ちょっと待っててください」
青王様からの意見を聞いて、私はカラフルなチョコペンやアラザンなどを用意した。
「これで、まずは一つだけ青王様の好きなように飾り付けしてみてください」
しばらく串に刺したバナナとチョコペンを眺めて考え込んでいた青王様は、新しい串に三切れのバナナを刺してチョコでコーティングしていく。真剣な顔で黙々と作業しているので声をかけずにいると、しばらくして「できた!これは穂香に」とうれしそうに渡してきた。
「えっと...」
どう反応していいものかわからず、少しのあいだ固まってしまった。青王様が手にしているチョコバナナには、チョコペンで小さな花柄と「ほのか」の文字が書かれていたから。
「ありがとうございます。こんなに細かい柄が描けるなんて青王様は器用ですね。でも、商品に文字は書かないでくださいね」
「穂香の分しか書かないから大丈夫だよ」
「はい。あっ、その花柄はすごくいいと思いますよ。かわいい柄のほうが喜ばれるので」
青王様は頬を赤くしながら笑顔でうなずいてチョコペンを手に取った。
私も同じように「青王様」と書いたチョコバナナをこっそり作って、青王様からもらったチョコバナナと一緒に隠しておいた。休憩の時に一緒に出したらきっと喜んでくれるだろう。

そうこうしているあいだに、茜様と瑠璃はできあがったアイスを試食するところだった。
瑠璃が「茜様のおかげでアイスがあっという間にできちゃうんです!」と喜んでいる。
ビターチョコチップ入りのミルクチョコアイスとバナナアイスのマーブル、それとトマトのシャーベット。私も両方試食させてもらうとどちらもとてもおいしい。今は(ふじ)でしかアイスを扱っていないけど、せっかくこうして短時間で作れるようになったのだから Lupinus でも販売できるようにしよう、と考えながらなんとなく青王様のほうを振り向くと、青王様は作りかけのチョコバナナを片手にこちらを向いて口を開けて待っている。すると、そんな青王様に気づいた茜様がトマトのシャーベットを食べさせにいった。少し不満そうにしながらも一口食べると「おいしい」と笑顔を見せる。そこへ今度は瑠璃がチョコバナナアイスを持っていった。
やっぱり不満そうにしながらも瑠璃からアイスを食べさせてもらった青王様は「これもおいしい」とうれしそうにしている。「でもやっぱり穂香に食べさせてほしい...」とつぶやいたのは聞こえなかったことにする。

バタバタと準備をし、開店してからも追加のお菓子を作り、今日も大盛況のうちに閉店した。
チョコバナナは、縁日以外ではあまり見かけないことと片手で簡単に食べられる手軽さが好評で、作るそばからどんどん売れていき、予約まで入った。


「穂香、私の部屋で話をしよう。瑠璃にお茶を持ってきてくれるよう頼んだから」
「わかりました」
私は、忙しくて出すタイミングがなかった名前入りのバナナチョコを持って、青王様のお部屋へ一緒に移動した。
すぐに瑠璃がお茶を持ってきて「夕食の準備ができたら呼びに来ますね」と言って戻っていった。
「チョコバナナ持ってきましたよ。これは青王様に」
青王様に名前入りのバナナチョコを渡すと、とてもよろこんで「ありがとう」と頭をなでてくれた。
紅茶とチョコバナナで一息つくと、青王様は真面目な顔をして私のほうへ向き直り目を見つめてきた。
「穂香、わたしは穂香のことをとても愛しているし大切に思っている。これからずっとそばにいてほしい。わたしと結婚してくれるかい?」
「はい。ずっと青王様のそばにいます」
「ありがとう。店は今まで通りに営業するといい。母上は穂香と料理やお菓子作りをするのを楽しみにしていて、従業員として頑張ると意気込んでいるからこれからも手伝わせてやってほしい。それに、わたしも穂香の手伝いができることが幸せなんだ」
青王様は「大切にする」と言ってギュッと抱きしめてくれた。
「次の休みの日、なにか予定はあるかい?」
「いえ、なにもありませんよ」
「では買い物にでかけよう。二人で過ごすための部屋を作ろうと思うから、家具類を一緒に選ぼう。ほかにも必要な物があれば購入するといい。あ!あとあれも選ぼう。うんそうしよう」
青王様は一人でなにか納得して楽しそうにしている。私は青王様がなにを考えているのか気になったけれど、あえて聞くことはせず青王様の横顔を眺めていた。
「そうだ穂香。穂香の実家はどこだろう。ご両親に挨拶をしたいと思うから予定を聞いておいてもらえるかい」
「あの...実家はありません。両親は私が小さい頃に亡くなりました。育ててくれた祖父母も...」
「すまない、きちんと調べるべきだった...わたしは穂香を見つけて一緒にいられることに浮かれてしまって...穂香のことをなにも知らないんだな...少しずつでいいから、君のことを教えてほしい」
「...はい」
「では、せめてお墓参りをさせてほしい」

お墓参りかぁ...就職をして以来、もう何年もいっていない。法事にも参加できなかった。久しぶりに来たと思ったら結婚の報告だったなんて、お父さんたちはビックリするだろうな。

「両親のお墓は山梨にあります。普通にいったら日帰りはちょっと難しいかも。懐中時計を使っていきますか?」
「せっかくだから旅行を兼ねて一泊してこよう。店のこともあるし、日程は穂香に任せるよ。それと宿の予約も穂香に任せてもいいかい?」
「わかりました。ちょっと調べてみて予約しておきますね」
今夜、電車の時間や宿、それにおいしいご飯とお土産の情報も調べてみようと思う。

「夕食の準備ができましたよ」
瑠璃が呼びに来てくれたので、食後にもう少しお話をしようと青王様と約束をしダイニングへ向かった。
翌日、鉄鼠(てっそ)白沢(はくたく)たちに王城の厨房に集まってもらっていた。
茜様と青王様にお手伝いをお願いして、チョコレートができるまでの工程をみんなに見てもらおうと思ったのだ。
「みんなが丁寧に発酵と乾燥をしてくれるお陰で、こうやってチョコレートが作れるの。いつもありがとう」
「ぼくたちいつもおいしいチョコレート食べさせてもらってるし、穂香のお手伝いするの楽しいよ」
「そうだよ。これからも穂香さんのためにいっぱいお手伝いするよ」
みんな、どんどん変化していくカカオ豆を楽しそうに興味津々で眺めている。

コンチングを始めると、
「この工程は十時間以上かかるの。終わるのは今夜十時頃の予定ね」
「そんなに時間かかるんだね。ねぇ、終わる頃にまた来てもいい?」
「そうだ穂香ちゃん、できたてのチョコレートの試食をさせてもらえないかしら」

できたてを試食かぁ...
茜様の願いを聞きいろいろと考えていたら、ふといいことを思いついた。
「わかりました。試食できるように準備しますから今夜またここに集合してくださいね」
みんなそれぞれに戻っていき、青王様と瑠璃だけが残っている。
「青王様、あとでいちごを収穫してきてください。瑠璃ちゃんは六センチぐらいのタルトカップを焼いてくれる?」
なにをするかは後ほど...と言うことで、まずは開店の準備に取りかかることにした。

今日は(ふじ)のほうが大盛況だった。昼過ぎには(ほまれ)たちだけでは回せなくなり、急遽(きゅうきょ)瑠璃が手伝いにいき Lupinus は青王様と茜様がお手伝いをしてくれてなんとか乗り切った。
瑠璃がタルトカップを焼き始めると、青王様はいちごの収穫をしにバタバタと菜園へ向かった。

約束通り鉄鼠たちが集まってきた頃、ちょうどコンチングが終了した。
コンチェからチョコレートを取り出すと、(あやかし)たちは「とろとろだね~」「甘くておいしそうな匂いがするね」と目を輝かせている。
「穂香ちゃん、おまたせ~!チョコレートはできた?」と、茜様と白様もやって来た。
「できましたよ。これから試食の準備をしますね」
瑠璃にタルトカップといちごを配ってもらっている間に、私はチョコレートのテンパリングをした。
できあがったチョコレートをそれぞれのタルトカップに入れていくと、みんなから「おぉ~!」と歓声が上がった。
「まずはいちごをチョコレートにつけて食べてみてください。しばらくするとチョコレートが固まってくるので、最後はタルトごと食べてくださいね」
「やったぁ、いただきまーす」
まずはチョコレートだけ舐めてみる者、甘い香りに酔いしれている者、あっという間にいちごだけを食べきって「おかわり!」と言っている者など、それぞれに楽しんでいるところへ、青王様が「これも食べ頃だと思う」とバナナを持ってやってきた。
「ありがとうございます。さっそくカットしますね」
一口大にカットしたバナナと追加のチョコレートを配っていくと、みんな更に嬉しそうな笑顔を見せた。
「穂香ちゃん、こんなに豪華な試食を準備してくれてありがとう!本当に幸せだわぁ~」
「できたてとろとろのチョコレートも、さくさくのタルトもおいしかった!」「また食べさせてね~」と戻っていく鉄鼠たちを見送り、茜様と白様、それに瑠璃も戻ったあと、青王様とお話をすることにした。

「山梨までの電車を調べてみたんですけど、京都からだと六時間以上かかるみたいなんです。さすがにそれは大変なので懐中時計で移動しましょう」
「そうか。せっかくだから列車で移動して旅気分を味わいたかったんだけどね」
私だって青王様と旅行をしたいと思う。でも往復だけで半日以上かかるのはやっぱり大変だろう。
「あっ、それなら途中の駅まで懐中時計で移動して、そこから電車に乗るのはどうでしょう?」
「なるほど、ではそうしよう」
懐中時計を使えば日帰りができる。でも青王様が一泊しようと言っていたので、とりあえず宿の情報もいくつか調べておいた。
「あの、やっぱり宿泊したいですよね?」
「それはもちろん。穂香と泊まりがけで出かける機会はあまりないからね。なんなら二泊でも三泊でも...」
「ええと...それでは二泊で」
「穂香、ありがとう!」とすごい勢いで抱きついてきた青王様。尻尾をぶんぶん振っている大型犬に飛びかかられた気分だ。
「ちょっと、あの、落ち着いてください!」
「あ、すまない。だめだな、どうにも気持ちが抑えられない」
私は「深呼吸してください」と青王様の背中をさすりながら、プリントしておいた宿の情報を見せた。
その中から、二人の意見が一致した宿を予約すると、青王様はカレンダーを見ながらソワソワし始めた。
「青王様...お出かけは来週ですよ?」
「わかっているんだが、なんと言うか、落ち着かなくてね」
「きっと眠れない...」とつぶやいている青王様をなんとか(なだ)めて部屋に帰らせ、私は厨房へ向かった。

「瑠璃ちゃん、片付けさせちゃってごめんね」
「いえ、大丈夫ですよ。お話は終わりましたか?」
「ええ、出かける日程も決めたから瑠璃ちゃんにも伝えておくわね」
瑠璃に詳細を伝えると、お休みの告知をする貼り紙も作ってくれた。明日から店頭とレジ前に貼っておいてくれると言う。


いつも通りの日常を過ごし、やっと迎えたお出かけの日。
庭でお供え用の花を摘み、忘れ物がないかチェックしているところへ青王様がやってきた。
「準備はできたかい?」
「はい。ではいきましょうか」
まずは懐中時計で小淵沢(こぶちざわ)という駅までいき、小海線(こうみせん)に乗って清里(きよさと)まで向かい、そこからお墓のある場所まではタクシーに乗る。
私は目的地まで懐中時計を使って移動すればいいと思うけど、青王様は時間をかけても電車やバスに乗り、景色を楽しみたいらしい。

小淵沢はとても綺麗な駅で、展望台もあり八ヶ岳や南アルプスが見渡せる。
「気持ちいいですね。晴れてよかった」
「そうだね。ついのんびりしてしまうね」
私たちは時間を忘れて景色を堪能し、発車時間ギリギリで小海線に飛び乗った。
清里駅からタクシーでお墓の近くまでいくと、そこは自然に囲まれた長閑(のどか)でおだやかな時間が流れる場所だった。
「お父さんたちはこんなに気持ちのいい場所で眠っていたんですね。今日、来ることができてよかったです」
「うん。ではしっかり挨拶をしなくては」
二人でお墓の周りを掃除し、お花を供えてお線香に火を点けようとしたところに、突然瑠璃が現れた。その隣には白様と茜様も。
「え?なんで...」
「穂香ちゃんたちがお墓参りにいくって聞いたから、わたしたちにもご挨拶させてほしくて。大切なお嬢さんを、これからはわたしたちの家族として迎えるんだから」
「わたしたちみんなで穂香さんを守ると、ご両親とも約束するからね」
「茜様...白様も、ありがとうございます」
改めて、みんなで手を合わせていると、またあの声が聞こえた。

『この人たちはあなたをずっと大切にしてくれるわ。おめでとう穂香。幸せになるのよ』

これってお母さんの声だったんだ。当時の私はまだ幼かったから、両親の声も顔もはっきり覚えていない。ただなんとなく懐かしい感じがするな、と思っていたぐらいで。

「お母さん、大丈夫だよ。ちゃんと幸せになるからね」
ずっと見守っていてくれたんだって思ったら、涙が止まらなくなってしまった。
青王様は私が落ち着くまで、ずっと頭をなで、背中をさすっていてくれた。

いつの間にか青王様と二人きりになっていた。
「白様たちは帰ってしまったんですね」
「ああ。ゆっくりしておいでと言っていたよ」
「帰ったらちゃんとお礼しないといけませんね」
青王様は「うん」と微笑みながらもう一度頭をなでてくれた。


その後、清泉寮(せいせんりょう)という施設でミルクが濃厚なソフトクリームを食べたり、みんなへのお土産を選んだり、広い空をのんびり眺めたりして過ごした。

宿へ着き、まずはお風呂に入ることにした。
「わたしは大浴場にいってくるけど、穂香はどうする?」
「私は内風呂でのんびりさせてもらいますね」
「わかった。戻ったら居間でテレビでも見ているから、ゆっくり入っておいで」
青王様はすぐに部屋を出ていった。きっと私がのんびりできるように気を遣ってくれているんだろうな...

お風呂の後はお待ちかねの夕食だ。
仲居さんが次々と運んできてくれるおいしそうな料理で、居間のテーブルはいっぱいになった。
箸で簡単に切れるほど柔らかい甲州ワインビーフのステーキや、甘いカボチャが入った味噌煮込みほうとうを堪能した。

食休みがてら宿の外へ出ると、空にはたくさんの星が輝いていた。
「綺麗ですね。静かだし、本当に癒やされますね」
「そうだね。これからもたまにはこうして旅行に出かけよう。さあ、そろそろ戻ろうか」

部屋に戻ると、居間の真ん中に二組の布団がぴったりとくっつけて敷いてあった。
二人で顔を見合わせしばらくの沈黙が流れる。
「これでは穂香も落ち着かないだろう。わたしは小型の龍の姿になって眠るから安心していいよ」
なんだか申し訳ないような気もするけど、二人並んで布団に入っても緊張で眠れないだろうからお言葉に甘えることにした。
青王様の気遣いのおかげで夜はゆっくり休めたし、何よりとても楽しい二泊三日だった。
「青王様、両親のお墓参りにいこうって言ってくれてありがとうございました。ちゃんと報告ができてよかったです」
「わたしも、穂香の両親に挨拶ができてよかったよ」

王城に帰ると、茜様を中心として、王城内が結婚の話で大騒ぎになっていた。
「おかえりなさ~い!ねぇ、結婚式のときのドレスはどんなのがいい?穂香ちゃんにはピンクが似合うと思うのよ。あっ、でもやっぱり水色もいいかな~」
「茜様、結婚式って...まだ青王様ともお話してませんし」
「穂香がよければ私は明日にでも結婚式がしたい!」
「そうよ~、善は急げって言うじゃない?早く準備しましょうよ~」
このやりとりを見ていた白様と瑠璃、それに(ほまれ)寿(ひさ)も驚きと呆れが入り交じったような顔をしているし、私ももうなんと言ったらいいかわからない。
「茜様、青王様、とりあえず落ち着いてちゃんとお話しましょう」
青王様の手を引き、みんなでリビングに移動すると、瑠璃が紅茶とアップルパイを用意してくれた。
「青王様が話しかけながら大切に育てたりんごを使いました。甘くておいしいですよ」
「瑠璃、どうして話しかけているのを知っている...」
「青王様、正直に言いますけど、青王様が植物に話しかけながらかわいがって大切に育ててること、みんな知っていますよ」
青王様は耳まで真っ赤にして「バレていたなんて...」と恥ずかしそうに頭を抱えている。
「でも、そのお陰でみんなおいしく育っているんだからいいじゃないですか」
「そうですよ。青王様の優しい人柄が出ていて、みんなが幸せになれるのだから恥ずかしいことなんてないですよ」
「そう言ってもらえるなら...」と顔を上げた青王様は「これからもおいしい果物を作るよ」とぎこちないガッツポーズをして見せた。


京陽の王族の結婚式は、関係者や付き合いのある親しい(あやかし)たちを招いて、王城で立食パーティーをする。
そして、豪華なドレスを(まと)った新婦が大きな龍の姿になった新郎の背中に乗り、京陽の街の上空を飛び回るのだ。
空良も薄い水色のドレスに身を包み、白龍の姿の青王太子の背中に(また)がり京陽中を飛び回った。
その時の幸せな気持ちを思い出していた穂香は、自分が結婚式を楽しみにし始めていることに気づいた。

「ねぇ穂香ちゃん、本当は結婚式を楽しみにしているんじゃない?」
「えっ...あの...」
「ふふふ、ほらもう正直に言っちゃいなさい」
「はい...私、青王様の髪と同じ色の...空良が着たドレスをもう一度着て結婚式したいです」
茜様は「うん」と笑顔でうなずき私の肩をポンポンとたたいてどこかへ向かって歩き出した。
「青王様...」
「穂香、今から買い物にいこう。すぐに結婚式の準備を始めるよ」
突然私の手を引き歩き出したと思ったら、王城の外へ出たところで突然止まった。
「穂香、カヌレのリングの店まで連れていってくれないか」
「は?はい、わかりました」
懐中時計を使いジュエリーショップまで移動すると、青王様はなんの迷いもなく店に入り店員さんに「これとこれ、見せてもらえるかな」と声をかけた。
「穂香、左手を出して」
「え?」
「この前来たときに、婚約と結婚のリングはこれにしようと決めていたんだ。穂香が嫌じゃなければ、だが...」
青王様が選んでいたリングは、一粒のダイヤを五本の爪で花のような形に留めてあるものと、流れるようなウェーブがポイントになったデザインのペアリングだった。
青王様は私の左手の薬指にリングをはめ「どうだろう」と少しだけ不安そうな目で見つめてくる。
「素敵です。うれしい...!」
私は涙が溢れてしまい、それ以上なにも言えなくなってしまった。そんな私の背中を青王様がそっとなでながら薬指からリングを外し店員さんに渡した。
「十日ほどで新しいものをご用意しますね」と差し出された引換票を受け取った青王様に手を引かれ、店を出た私たちはすぐに王城へ戻った。

リビングで待ち構えていた茜様は、私の手を掴むと同時に空良のドレスを広げ、
「おかえりなさ~い!ねぇ、空良妃のドレス、穂香ちゃんに合わせて少し直すわね。それと、装飾ももうちょっと豪華にしましょう。わたしに任せてもらえるかしら?」
「ありがとうございます。茜様にお任せします」
「よかったぁ。穂香ちゃんにピッタリのドレスにするからねっ!」
茜様はそう言うと私を壁際に立たせ、パパッと採寸をし、バタバタと離れに戻っていった。
「母上は相変わらず賑やかな人だな...」
「私は明るい茜様のこと、大好きですよ?」
「まぁ、あの明るさに助けられることもあるからね。穂香、これから母上のこともよろしく頼むよ」
「はい、もちろんです!」

それから青王様は瑠璃や王城内の妖たちを集め、話し合いや指示をし、結婚式は二週間後と決まった。
王城の中では(あやかし)たちが結婚式の準備でバタバタとしていて、とにかく慌ただしい雰囲気に包まれている。
でも私は毎日チョコレートやお菓子を作り、お店を営業し、カカオの森ですねこすりたちと(たわむ)れる、そんないつもと変わらない日常を過ごしていた。
少し違うのは、ドレスを作り直している茜様にあまりお手伝いをお願いできないことと、青王様がずっとソワソワしていて、たまにボンボンショコラ作りを失敗することぐらい。...と思っているのは自分だけで、私もボーッとしている瞬間が結構あるようで。
「穂香さん、大丈夫ですか?チョコレート、(あふ)れてますよ」
「あっ!ごめんなさい...」
「もしかして、何か悩んでますか?」
「そうなのか?!やっぱり結婚が(いや)になったか?わたしのことが(きら)いになったか?わたしはまた穂香の気持ちも考えないで...」
青王様が頭を抱えて悲しそうな顔をしながら座り込んでしまった。
私はオロオロしながら「そんなことないですよ。青王様と結婚できること、とっても嬉しいです」と声をかけると「穂香がいなくなったら、わたしは生きていけないよ」とギュッと抱きついてきた。
このやりとりを見ていた瑠璃は「早く準備しないと開店時間になっちゃいますよ~」と呆れ顔で青王様を私から引き剥がし、作業に戻るよう促してくれた。

どうにか今日の営業を終え王城に戻ると、私は茜様に捕まり離れへ連れていかれた。
「ドレス、出来上がったの。ちょっと着てみてくれる?」
「うわぁ〜!」
茜様の手を借りながら(そで)を通したドレスは、私の身体にピッタリとフィットし、豪華な装飾も施され、本当に素敵に変身していた。
「ありがとうございます!素敵です~。青王様にも褒めてもらえるかな」
「ふふふ、抱きしめて離そうとしないかもね」
「はは、なんだか想像つきますね...」
そこで、ふと真面目な顔をした茜様が、
「ねぇ穂香ちゃん、なにか悩んだりしてない?」
「え?」
「子どものこと、かしら」
茜様には見抜かれていた。私には、青王様のように神に近い、尊い存在の龍の子を産める自信がなくて、だけど結婚すれば青王様は子どもが欲しいと言うだろう。空良にはそれを叶えることができなかったから、青王様のその気持ちは余計に強いものだと思うのだ。
「はい...私...立派な龍の子を産める自信がないんです」
「そんなに悩まなくて大丈夫よ。青王だって子どもの頃はわがままで悪戯(いたずら)ばっかりして、世話をする妖たちを困らせて楽しんでいたのよ。でも今は、優しくて穏やかで、しっかりと王としての役目を果たしているじゃない」
空良が出会った頃にはもう、王太子としてしっかりと白王様のサポートをしていた。だから子どもの頃はそんな性格だったなんて知らなかった。
「焦る必要はないわ。子どものことは、もうそろそろいいかなと思ったら考えればいいの。穂香ちゃんは今まで通りおいしいチョコレートを作って、京陽の国民がいつでも手軽に食べられるように広めてあげて。それだってあなたにしかできないことなのよ」
「茜様...ありがとうございます」
なんと言うか、心に張り付いていたトゲトゲの重りが消えて気持ちがスッと楽になった。
「さぁ、王城へ戻りましょう。いつまでも穂香ちゃんを独り占めしてたら青王に怒られちゃうわ」


結婚式当日。
茜様と瑠璃の手によって飾り付けられ、自分だとは思えないほど綺麗になった私は、白龍姿の青王様の背に乗り王城を飛び立った。
「穂香、怖くないかい?」
「はい、大丈夫です」
太陽の光を浴びた青王様の身体が、キラキラと輝いていて本当に美しい。
柔らかな毛並みをそっとなでると、青王様は気持ちよさそうに目を細める。
眼下では京陽の妖たちが家の外へ出て手を振ってくれている。
「青王様~、おめでとう!」「穂香さん、とっても綺麗だよ~」「またチョコレート買いにいくね」
あちこちから声をかけてくれる妖たちに手を振りながら、一時間ほど空を飛び回った私たちは、やっと王城へ戻ってきた。
王城ではみんなが立食パーティーの準備を整えてくれていて、招待した妖たちも集まってきている。
そこへ瑠璃たちがウェディングケーキを運んできた。繊細(せんさい)可愛(かわい)らしいデコレーションが施された、五段重ねの豪華なケーキだ。
「すごい!瑠璃ちゃん、ありがとう!」
(ほまれ)寿(ひさ)も手伝ってくれたんですよ」
「誉、寿、ありがとう。二人にはこれからお菓子作りも手伝ってもらおうかな」
「ぼくたちにも作らせてもらえるの?やった~!」
二人ともピョンピョンと跳びはねて喜んでいる。実は二人ともお菓子作りをしたいと思っていたんだそうだ。


おいしいケーキやご馳走をいただきながら、みんなで和気藹々(わきあいあい)と歓談し楽しい時間を過ごしたパーティーもそろそろお開きという頃、警備の鬼が困ったような顔をしながらやってきて青王様に声をかけた。
「穂香様のお店で働かせて欲しい、と言う妖たちが門の外へ詰めかけてきているんです。どうしましょうか」
「うーん...穂香はどう思う?」
突然そんな話が舞い込んできても、どうすればいいかわからない。
「少し考える時間が欲しいです。妖たちには二日後にもう一度来てもらってください」
「わかりました。伝えておきます」
警備の鬼は深々と頭を下げてから戻っていった。
「青王様、あとで少しお話しましょう」
「わかった」とうなずいた青王様は、妖たちに挨拶をし、お礼の言葉を伝えパーティーはお開きとなった。