やっと思い出してくれた。城の屋上から叫んでしまいたいほどうれしい。この気持ちをどこにぶつければいいのかわからないほど興奮している。
穂香が最初に京陽に来たときに、わたしからおまえは空良の生まれ変わりだと話してしまいたかった。けれど、そんなことを突然言われて素直に受け入れられる人間などいないだろう。
だからわたしは自分の気持ちを抑え込み、穂香が自分で思い出してくれるときを待つことにした。思い出すキッカケになればと、空良にしていたように頭をなでてみたり、手伝いをしたいと言ってみたり...
そんなとき、メニューをリクエストし一緒に料理を作れるチャンスが訪れた。
空良と二人で頻繁に作っていたトマトのカレー。当時はわたしが菜園で育てたトマトやナスを使っていた。
一緒に作り二人で食べることで、なにか少しでも思い出してくれればと期待した。
すると穂香は、あのフルーツサラダを作り、話がしたいと言ってきた。わたしは穂香がなにかを思い出したに違いないと確信した。でもまさか一度にすべてを思い出すとは思わなかった。
ただ、遙のことだけは忘れたままでいて欲しかった。きっととても怖かっただろうし悔しかっただろうから。
「瑠璃ちゃん、体調はどう?」
「すみません、お休みしちゃって...青王様に明日も休むようにって言われたんですけど、もう大丈夫ですから」
「明日は店もお休みにしたから、ちゃんと回復するまでしっかり休んでね」
その時、瑠璃のおなかがグゥ~っと大きな音をたてた。
「す、すみません...」
「ふふ、本当にもう大丈夫そうね。さっきね青王様と一緒にトマトのカレーを作ったの。食べられそう?」
「はい!いただきます!」
瑠璃は大喜びでペロッとカレーをたいらげた。
おなかが満たされ落ち着いたところへ青王様がやってきた。
「それだけ食べられれば大丈夫だな。でも明日までしっかり休むこと」
「はい、わかりました。そういえばこのカレー、青王様も一緒に作られたんですよね。なんだかとても優しくて懐かしい感じがしました。穂香さんが一人で作った時よりもっと懐かしい感じ...」
「それはね、私が空良だった頃のことを思い出して、あの頃入れていた隠し味が入っているからだと思うわ」
瑠璃はとても驚いた顔をして固まってしまった。
「青王様からそのカレーをリクエストされて、一緒に作っているときに思い出したの。いつもこうして一緒にお料理してたなって」
「...空良様...いえ、穂香さん、このカレーとってもおいしかった...あの頃、白王様も王妃様も、みんなで一緒に食べた味でした」
瑠璃は涙を流しながら、でも笑顔で「懐かしかった、思い出してくれてうれしい」とよろこんでくれた。
「あっ!瑠璃ちゃんに謝らないといけないんだっだ」
瑠璃は「ん?」という顔をして首をかしげている。
「せっかく瑠璃ちゃんが仕込みをしておいてくれた生地だったのに、焼くのを失敗してしまったの...ごめんなさい」
「いえ、あのオーブン、ちょっとクセがあって右側が少し強いんです。だから途中で入れ替えないと焦げちゃうんです。わたしがちゃんと穂香さんに言っておくべきでした。すみません」
「瑠璃ちゃんは悪くないわ。私、自分の店のことなのにちゃんと把握してなかった。今度からなにか気づいたことがあったら、お互いにしっかり伝えるようにしましょう」
オーブンを使うお菓子は、ほとんど瑠璃に任せきりにしてしまっていたのだ。逆に瑠璃にチョコレート製造のことはほとんど教えていなかった。これでは情報共有ができない自由が丘の店のオーナーと同じだ...
「私はカカオの森へ寄ってから帰るわ。明後日の朝待ってるから、明日はしっかり休んでね」
「はい、ありがとうございます」
「穂香、わたしも一緒に行くよ」
青王様と一緒にカカオの森へ行くと、すねこすりたちとお手伝いの妖たちが集まってきた。みんなが妖の本来の姿でいてももう怖いとは思わない。だって空良としてここにいた頃はたくさんの妖に囲まれて暮らしていたのだから。
「今、カカオ豆の在庫はたくさんあるから、今日はカカオパルプを集めてほしいの。カカオ豆のまわりの白いところね。とりあえずこの中に入れてね」
王城の厨房から持ってきた寸胴鍋を二つ、みんなの前に並べた。
すると一斉にカカオポットを取りに行き、次々とカカオパルプを集めていく。あっという間に二つの鍋がいっぱいになった。
「みんなありがとう。明日おやつを持ってくるから楽しみにしていてね」
私が懐中時計を取り出すと、妖たちは「待ってるね」と言って見送ってくれた。
青王様と一緒にたくさんのカカオパルプを持って Lupinus へ戻った私は、さっそくおやつを作ることにした。
「わたしも手伝っていいかい?」
「もちろんです」
とてもうれしそうにしている青王様に、まずはカカオパルプの味見をしてもらった。
「甘酸っぱくておいしいですよね。今日はこれでシャーベットを作ろうと思っています。まずはミキサーでなめらかにしましょう」
青王様にカカオパルプをミキサーにかけてもらっている間に、レモン果汁を準備する。
なめらかになったカカオパルプをボールに移し、レモン果汁を混ぜて大きめのバットに流し冷凍する。
「凍ったら泡立て器で崩して、また凍らせます。これを何度か繰り返しますね」
「凍るのを待つ間、お茶を飲みながら休憩しよう。紅茶を淹れてもらえるかい」
「はい、すぐ淹れますね」
紅茶とチョコレートを用意し、青王様に話しかけた。
「青王様は私をあの店で見かけたとき、空良の生まれ変わりだとわかったから瑠璃ちゃんに側で見守らせていたんですね。でも瑠璃ちゃんが空良のことを話さなかったのは、青王様が口止めしていたから、ですよね。そんなこと言われても私が困ってしまうと思ったから」
青王様は「穂香の言う通りだよ」と苦笑いの表情を浮かべ
「突然そんなことを言われても受け入れられないだろうから、穂香が自分で思い出すまでは絶対に言わないようにと言い聞かせていたんだ」
「待っていてくださってありがとうございました。私、青王様とお話したり頭をなでられたりしたとき、何度も安心感や懐かしさを感じる瞬間があったんです。それなのに、どうしてもっと早く思い出さなかったんだろう...」
「前世の記憶なんて、普通は思い出さないだろう。でも穂香は空良から妖の魂を受け継いでいる。だからなにかキッカケがあれば思い出す可能性もあるかと思って待っていたんだ」
「妖の魂...」
「空良も妖の魂を受け継いでいて前世の記憶を思い出したんだ。わたしの三代前の王に仕える妖だったと」
ということは、私は純粋な人間だから、私の生まれ変わりの人からあとは前世の記憶を思い出すことはなくなっちゃうのかな...
「穂香、頼みがあるんだ」
「え...?」
「今までと同じように Lupinus で働き、わたしにも会いに来てほしい。それと、たまには一緒に料理をし、チョコレートも作らせてほしい」
「もちろんです!」
青王様はまだなにか言いたげな表情をしていたけれど、結局それ以上はなにも言わなかった。
「そろそろ凍ったかな」
冷凍庫から取り出したカカオパルプはしっかりと凍っていた。泡立て器で崩しながら
「こうやって崩して空気を含ませると、口当たりがなめらかになるんです」
「これを何回か繰り返すんだね」
「はい。もう一度凍ったら、今度は青王様がやってみてくださいね」
青王様はうれしそうに笑顔でうなずいた。
あの頃も本当にたくさんお手伝いしてもらったなぁ...
嫁いで間もない頃は王太子という立場の人にお手伝いなんかさせてしまっていいのかと、とても悩んだ。
でも王妃様も白王様にたくさんお手伝いさせていて、悩んでいる私に「やりたいと言ってくれるのだから遠慮なく頼めばいい」と言ってくださった。
王になった今でも、変わらずお手伝いをしたいと言う。やっぱり白王様と青王様は親子なんだなぁ、と思い、つい口元が緩んでしまった。
空気を含ませる作業を三回ほど繰り返し、やっとできあがったカカオパルプのシャーベットを青王様が一口試食をし「おいしい」とよろこんでいる。
「これと、瑠璃ちゃんが作っておいてくれたバニラアイスにフルーツも使ってパフェを作りましょう」
オレンジ、マンゴー、それとナタデココを用意し、グラスに盛り付けていく。青王様も隣で「シャーベット多めがいいな」なんて言いながら一緒に盛り付けをしている。
できあがったパフェを二人同時に食べ始めた。
「さっぱりしていておいしい。やっぱり南国系のフルーツとあうわね」
「この四角い物体、どこかで見たことがあるが...思い出せない」
「それはナタデココと言って、ココナッツ果汁を発酵させたものです。ずいぶん前に日本で流行ったみたいですよ」
「ああ、ナタデココは聞いたことがある。食感がおもしろいな。でもわたしはこのシャーベットのほうが好きだ」
青王様はシャーベットをおかわりしている。本当に気に入ったみたいだ。
「明日、王城の厨房を使わせてください。カカオの森の妖たちにもおやつを持って行くと約束したし、瑠璃ちゃんにも食べさせてあげたいです」
「二階の厨房にはいつも料理番の妖がいるけれど、一階の厨房なら普段は使っていないから好きなときに使ってかまわないよ」
「はい、ありがとうございます」
「できれば少し多めに作って、父と母にも振る舞ってくれないか」
どうしよう...まだご挨拶もしていないのに、私が作ったものなんて召し上がってくださるだろうか。しっかりご挨拶をしてから、改めて伺ったほうがいいんじゃないかな...
私がどうしようかと考えていると、青王様が声をかけてくれた。
「穂香、大丈夫だよ。二人ともすぐに穂香を受け入れてくれる。きっと空良と同じように大切に思ってくれるよ」
「そうでしょうか...」
青王様は「心配ないよ」と頭をなでてくれる。
「わかりました。明日、準備します。チョコレートも持って行きますね」
青王様にもお手伝いをしてもらい、すべてのカカオパルプを冷凍庫に入れた。
「明日は荷物が多いから、十時頃に迎えにくるよ」
「ありがとうございます」
青王様は私の頭をポンポンとなでて、笑顔で帰って行った。
翌日、青王様は約束通り十時にお迎えにきてくれた。
「シャーベットとアイスはこのクーラーボックスに入れておきました。フルーツはこっちです」
「準備してくれてありがとう。懐中時計を使うときにクーラーボックスに触れていれば一緒に移動できるから」
「わかりました。では行きますね」
私たちは王城の厨房に直接移動した。
シャーベットとアイスを冷凍庫に入れ、まずは白王様と王妃様にご挨拶をするために、青王様と一緒に泉のそばの離れへ向かう。
「この泉、懐かしいです。よくここで、白龍の姿になった青王様と一緒に水浴びをしていましたね」
「そうだね。またあの頃のように水浴びするかい?」
「えっ...いえ、それはちょっと...あっ、離れは新しくなっていますね」
「わたしが王位を継承した後に父と母がゆっくり過ごせるよう建て直したんだ」
あの頃は二階建ての小さな木造の建物だったけれど、今はレンガ造りのゆったりした広さの平屋で、隣に物置に使うであろう、やはりレンガ造りの蔵が建っている。
「そろそろ行こうか。わたしが穂香と出会い京陽へ連れてきた経緯は話してある。二人とも穂香に会うのを楽しみに待っているよ」
「ちゃんと、攫ってきた、って言いましたか?」
「攫ったつもりはないけれど、穂香がそう思っているのなら申し訳なかった...」
「まぁ、あの時はいきなり連れてこられて、驚いたし困惑しましたけど...それより、なんだか緊張してきました」
「大丈夫だよ。二人とも、特に母はビックリするぐらいあの頃と変わらないから」
離れに入るなり、誰かがドドドッとすごい勢いで走ってきた。
「穂香ちゃん!待っていたのよ~」
ビックリしたぁ...王妃様、本当に変わってない...
「母上...穂香が驚いているよ」
「だって~、やっと会えたのよ。もう嬉しくて嬉しくて!」
「あ、あの、初めまして。空良さんの生まれ変わりの穂香です!」
緊張と驚きで変な挨拶をしてしまった...
「父上はいないのか?」
「なんかね、穂香さんに会うのにどの着物を着ればいいだろう、って悩んでいたわ」
青王様は、はぁ、とため息をついて「呼んでくる」と言って行ってしまった。
「穂香ちゃん、とにかく入って。話したいことがい~っぱいあるのよ」
「はい。お邪魔します」
王妃様と一緒にリビングへ入ると、青王様と白王様がソファーに座って待っていた。
「穂香さん、よく来てくれたね。空良妃はこんなにかわいらしいお嬢さんに生まれ変わったのか...よかった。本当によかった」
白王様は目を真っ赤にして今にも泣き出しそうな顔をしている。
「そうね。あんなことになってしまって...私たちは空良妃を守ってあげることができなかった。本当に申し訳なくて、せめて早く生まれ変わって幸せに暮らしていてくれたらと願っていたのよ」
空良は、遥に「人間の世界へ連れて行け」と迫られ、頑なに拒否をすると「俺の言うことが聞けないヤツはここから消えろ!」と、崖から谷底へ突き落とされてしまったのだ。きっと空良の体は今もその谷底に眠っているだろう。
「母上、せっかく穂香が来てくれたのだから、明るく楽しい話をしよう」
「そうね、ごめんなさい。穂香ちゃんは今、瑠璃と一緒にお菓子のお店をやっているのよね。そこではどんなお菓子を作っているの?」
私はラッピングをしておいたボンボンショコラを差し出しながら、
「私はショコラティエと言って、チョコレートを作るお仕事をしています。今日はボンボンショコラという、中にジャムなどが入っているチョコレートを持ってきました。お店の定番商品です。ぜひ召し上がってみてください」
「あら?これは青王がたまに持ってきてくれたものと同じね。もしかして、あれも穂香さんが作ったものだったの?」
「あれは穂香を見つけた店で、穂香が作っていたものを買ってきたんだ」
「えぇ~、穂香ちゃんが作っているって、どうしてもっと早く教えてくれなかったのよ~」
と青王様に文句を言い、すぐに四角い形でキャラメルソースが入ったボンボンショコラを持って、これが一番好きだと白王様と話し始めた。
青王様もこれが一番好きで、今も自ら買いに来ることがある。さすが親子、好みが似ているのね。
「あら?これ、いつものよりおいしい気がするわ。何が違うのかしら...」
「本当だね。まわりのチョコレートが違うのかな...」
「このチョコレートはカカオの森のカカオで作りました。私も驚いたのですが、京陽のカカオは人間の世界にある希少価値が高いカカオにとてもよく似た味で、本当においしいんです」
「あのカカオがこんなにおいしかったなんて...」
と、お二人とも驚き、「今までもったいないことをしていたね」と言いあっている。
「それと、お店で出しているものではありませんが、今日は白王様と王妃様に召し上がっていただこうと思い、もう一つおやつを用意してきました。すぐに厨房から持ってきますね」
「あらっ!楽しみだわ~。あっ、私たちのことは名前で呼んでね。もう王でも王妃でもないんだから」
「は、はいわかりました。白様、茜様、少々お待ちください」
青王様と二人で、急いで厨房へ向かった。
「今日はカカオパルプシャーベットを一番のメインにしたいので、ナタデココなしにしました。青王様も一緒に盛り付けしていただけますか?」
「わかった。わたしは穂香と自分のぶんを盛り付けるから、穂香は父と母と瑠璃のぶんを頼むよ」
「はい。あっ、青王様のぶんはシャーベット多めにしていいですよ」
青王様は、いたずらがバレた子どものような顔で耳を真っ赤にしている。
やっぱり初めからそのつもりだったんだ...こういうちょっと子どもっぽいところ、あの頃と変わらないなぁ。
青王様が一足先に盛り付けを終えたので、瑠璃を呼びに行ってもらうことにした。
その間に私も盛り付けを終わらせ、リビングへパフェを運び紅茶を淹れ、ちょうど準備が整ったところへ青王様と瑠璃がやってきた。
「うわぁ、なんですかこれ。おいしそ~!」
「ふふ、瑠璃ちゃん元気そう。明日は開店できそうね」
「はい!」
「白様、茜様、お待たせいたしました。これはカカオパルプシャーベットのパフェです。カカオパルプとは、カカオポットの中の果肉です。どうぞ召し上がってみてください」
「これもあのカカオ?早くいただきましょう!」
「では穂香さん、いただくよ」
「「「いただきます!」」」
白様たちが一斉に食べ始め、みんなの笑顔を見たところで青王様が、
「穂香、わたしたちもいただこうか」
「はい、いただきます」
みんなあっという間に食べ終え、紅茶を飲んで落ち着くと、
「あの硬い実の中にこんなにおいしいものが入ってたなんて!穂香ちゃんはすごいわぁ!ねぇ、ほかにはどんなものを作るの?まだ見たこともないようなものがいっぱいありそうね。あっ、お店にも行ってみたいわ。ねぇ青王、今度連れて行ってくれない?」
茜様は相変わらず明るくテンションが高くて、一度にいろいろな話題を投げかけてくる。その性格は、半妖であることに劣等感を抱いていた空良の心を、暖かく優しく包み込んでくれていたのだ。
「母上...ちょっと落ち着いてくれ。穂香、母上を Lupinus へ連れて行ってくれないかな?」
「もちろん大丈夫ですよ。商品が揃っている開店前の時間がいいと思います。明日、準備ができたらお迎えに来ますね」
「あら~本当に?どうしましょう!楽しみだわ~。今夜は眠れないかも!白様も一緒に行きますよね?」
「そうだね。穂香さん、二人で行っても迷惑じゃないかな?」
「迷惑だなんて、そんなことありません。ぜひお二人でいらしてください」
「穂香ちゃん、お迎え待っているわね!」
茜様は本当に楽しみで仕方がないのだろう。白様に「明日の着物は今夜中に決めておいてね」「わたしは何を着ようかしら」なんて話している。
片付けを終え、青王様と一緒に離れを出てカカオの森へ向かった。
お手伝いの妖たちにも約束通りパフェを振る舞うと、みんな「これがカカオ!?」と驚き「おいしい!」と言ってくれた。
みんなと別れ青王様と二人になると、
「穂香、今日はありがとう。二人ともずっと空良のことを悔やんでいたから、あんなにうれしそうな笑顔を見られてホッとしたよ」
「はい。喜んでいただけて私も安心しました。人間の私を受け入れてもらえるのか、実はとても不安だったんです」
「空良のときも自分は半妖だから、と言っていたね。でも父も母も差別なんてしなかっただろう。そんなことを気にするような性格じゃないから、なにも心配する必要はないよ」
「そうですね。明日はもっと喜んでいただけるよう、気合いを入れてお菓子を作りますね」
青王様は「ありがとう」と頭をなでてくれた。いつも以上に優しくゆっくりと...
今はこの手の感触が心地良いしとても安心できる。
青王様は王城へ戻り、私は店で明日の仕込みを始めた。すると瑠璃が「わたしも仕込みしますね」と言ってきてくれた。
「ありがとう。でもまだあんまり無理したらだめよ」
「はい、気をつけます。本当にすみませんでした」
「なにかあったら早めに言ってね。さて、仕込みしちゃいましょうか。明日は白様と茜様がいらっしゃるから、いつもより少し量や種類を増やしたいの」
「せっかくだから、カットケーキやボンボンショコラもちょっとかわいらしくデコレーションして、見た目もいつもと変えてみたらどうでしょう?」
「いいわね、そうしましょう!」
瑠璃は仕込みを終えると「レシピやデザインを考えてくる」と言って王城へ戻っていった。私もちゃんと考えて準備しておかなきゃ。
翌朝、私はいつものボンボンショコラ以外に、ホワイトチョコを抹茶やストロベリーパウダーなどの天然素材で着色し、カラフルで華やかなタブレットチョコなども作った。
「うわぁかわいい!これ、チョコペンで描いたんですよね。わたしにもチョコペン使わせてください!」
「ええ、どうぞ。ミルクチョコも色の濃さを変えられるから、欲しい色があったら言ってね」
「はい。あっ、蜂蜜味の黄色いチョコを作ってもらえますか?」
「わかったわ。ちょっと待っててね」
瑠璃はハニーレモンケーキに、蜂蜜味のチョコとビターチョコで作ったミツバチや花の形の飾りを使いかわいいデコレーションをし、チョコケーキやショートケーキも同様に飾り付けた。もともと考えていたデザインに、さらにチョコの飾りをプラスしたようだ。
ほかにも数種類のプリンやアイシングクッキーなど、いつもとは違うメニューも揃えてくれた。
「すごい...」
瑠璃は手際が良く、作業がとても早い。しかも繊細で丁寧なのだ。私も見習いたいと思うところがたくさんある。でもまぁ、そう簡単にはいかないのだけれど...
「穂香さん、今日はお菓子がいつもと違うから、お知らせの張り紙かなにかしておいたほうがいいかなって思うんですけど...」
「そうねぇ、前にスペシャルカカオの日ってやったじゃない?今日はスペシャルメニューの日なんてどうかしら?」
「あっ、初めて京陽のカカオを使った時ですね!たまにスペシャルデーを開催するのも楽しいかも。今日は『スペシャルメニューの日』の張り紙しておきますね!」
瑠璃があっという間に二階へ走って行くと、ドンッ!と大きな音と悲鳴が聞こえた。
体調が戻ったら今度は怪我した、なんてやめてほしい...
「できました! POP も作ったのでショーケースの上に置いてみてください。わたしはこれ、貼ってきますね」
「ちょっと待って。さっき二階で転んだでしょ。どこか怪我しなかった?」
「あのくらい大丈夫ですよ。妖は丈夫なので」
「体調崩したばかりなんだから、説得力ないよ」
「あはは...」
瑠璃は苦笑いをしながら、逃げるように張り紙をしに出て行った。
「そろそろお二人をお迎えに行ってくるから、お茶の準備しておいてもらえる?」
「はい、わかりました」
王城では準備万端の白様たちが待っていた。
「おはようございます。おまたせいたしました」
茜様は私の腕をガシッと掴んで「穂香ちゃんおはよう!待ってたわよ~。さあ、早く行きましょう!」と、朝から元気いっぱいハイテンションだ。
白様も青王様もなにも言わず「茜様のことは穂香に任せた」と、目で訴えているような気がする...
店に移動すると茜様は、今度は白様をつかまえ商品を見て歩いている。
まずは一つずつラッピングされた焼き菓子を、次々と店内用のかごに入れていく。白様は両手にかごを持たされてなにも言わずについて歩いている。これもお手伝いと言うのかな...
次にショーケースの中を見て、さらにテンションが上がった茜様から質問攻めに遭った。
「これはどんな味?こっちはなにが入っているの?わたしが一番好きそうなのはどれだと思う?」
「母上、穂香も瑠璃も困っているじゃないか。落ち着いて一つずつ聞いたほうがいい」
「あらやだ。つい興奮しちゃって。それじゃあ穂香ちゃん、このピンクのはなにが入っているの?」
「それは、いちご味のホワイトチョコの中にミルクソースといちごジャムが入っています」
「おいしそう!それ二つ欲しいわ」
すると今度はケーキのほうをじーっと見てなにか考え込んでる。
「このシュークリーム、中が空のものはある?」
「え、空のものですか?」
瑠璃が「ありますよ」と伝えると、
「その中に、昨日いただいたバニラアイスを入れて欲しいの。お願いできる?」
「でも今日はドライアイスがないので、王城へ戻って冷凍庫に入れる前に溶けちゃうと思いますよ」
「それは、わたしがいるんだから大丈夫よ~」
「あ、そうか!わかりました。準備しておきますね」
厨房ではすでに瑠璃が準備を始めてくれていた。
茜様はそれからしばらく、あれこれ迷いながらたくさんのケーキやボンボンショコラを選び、もう一度店内を見て歩いていた。
「白様、茜様、紅茶を淹れたので、少し休憩してください」
「あら、ありがとう!ちょうど喉が渇いていたの」
「あと、こちらもどうぞ。ガトーショコラです」
「うわぁおいしそう!ありがとう。いただくわね」
お二人が休憩している間、選んだ商品を箱詰めしているところへ青王様がやってきた。
「今のうちに会計してくれるかい?」
「代金をいただくのはちょっと複雑な気分ですけど...」
「母上はきっと、これからもここへ来たがるだろうから、その時は普通に買い物にきた客として迎えてやって欲しい。あまり暴走させないように、ちゃんとわたしが一緒にきて見ているから」
「ふふ、わかりました」
「穂香ちゃんごちそうさま。ガトーショコラ、とってもおいしかったわ~!穂香ちゃんが作るチョコレートもおいしいし、瑠璃もお菓子作りが上手だし、ここのお菓子を食べられる人は幸せね~」
「ありがとうございます。そう言っていただけると私たちも幸せです」
「そろそろ帰るわね」と言う茜様に、シューアイスを渡すために厨房へ入っていただいた。
「クーラーボックスに入れておいたので、すぐに冷やしていただけますか?」
「ええ、少し離れていてね」
雪女である茜様がクーラーボックスの中に手をかざし、熱湯も一瞬で凍りそうなほどの冷気を充満させた。
「これで大丈夫。穂香ちゃん、次はいつ王城にくるの?いつでも待っているからね。今度は一緒にお料理しましょうね」
「母上、もう開店の時間になってしまう。穂香が王城へきたらすぐに声をかけるから、安心して待っていればいい」
「わかったわ。穂香ちゃん、今日は楽しかったわ」
「穂香さん、お邪魔したね」
笑顔で手を振るお二人を、青王様が連れて帰っていった。
「瑠璃ちゃん、お疲れ様。いそいで開店準備しましょう」
「はい!」
スペシャルメニューの日と張り紙をしておいただけあって、今日はいつも以上の賑わいだった。常連のお客様も「こんなにかわいいケーキ、もったいなくて食べられない」「スペシャルメニューは今日だけなの?」と声をかけてくれた。
「はぁ...さすがに疲れたぁ」
「お疲れ様でした。ミルクティー淹れましたよ」
「ありがとう。体調は大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です」
そのあと二人とも無言でミルクティーを飲んでいると、瑠璃がそっと話しかけてきた。
「空良様の頃のこと、思い出したんですよね...」
「ええ」
「青王様から、すべて思い出したようだって聞きました。あの...空良様を守れなかったわたしたちのことをその...穂香さんは...恨んだりしてないんですか?」
瑠璃はとても言いにくそうに、ゆっくり少しずつ言葉にしてきた。きっと瑠璃は空良を守れなかったことを今も悔やんで、苦しい思いをしているのだろう。
「恨むなんてそんな...王城へ逃げればいいのに、わざわざ崖のほうに向かって走ってしまった。あれは私の判断ミスが原因だもの」
「でも...」
涙を流す瑠璃をそっと抱きしめ背中をさすり、
「恨んだりしてないし、瑠璃ちゃんも青王様たちも悪くない。みんな空良を大切にしてくれたじゃない。それに今は私を守ってくれているでしょ」
瑠璃はそのまましばらく泣き続け、落ち着いた頃にとんでもないことを言い出した。
「穂香さん、青王様のお嫁さんになってください!」
「はっ!?突然なにを言い出すの!?」
「青王様のこと、お嫌いですか?」
「そんなことないけれど、青王様のお気持ちはわからないし...いきなりすぎてなんて言ったらいいか...」
「じゃあ、青王様に聞いてみましょう!」
「ちょっと待って!今日はもう仕込みをして休みましょう。瑠璃ちゃんだって疲れたでしょ」
瑠璃は不満そうな顔をしながらも「わかりました...」と仕込みを始めた。
瑠璃があんなことを言い出して、一瞬なにを言われているのかわからないぐらい驚いた。でも、前世の記憶を思い出した私には、空良の気持ちがはっきりわかる。長い時を経てやっと再会できたのだ。またあの頃のようにしあわせな時間を過ごしたい。失った時間を取り戻したい。青王太子様のことを深く愛していたし、深く愛されていたのだから…
空良は半妖とは言っても妖の血が流れている。人間よりもはるかに長く生きられるのだから、あんなことさえなければ今も変わらず幸せに暮らしていたに違いない。
穂香として生まれ変わった私も、たぶん青王様のことが好きだ。
頭をなでられたりあの手で触れられることが心地いいと思うし、一緒にいるととても安心できる。
でも青王様はどう思っているだろう。
青王様の反応を見るかぎり、少なくても嫌われてはいないと思う。
だけど青王様が愛しているのは空良であって穂香ではない。
いくら空良の魂を引き継いだ生まれ変わりだろうと、空良ではない私を、青王様は同じように愛してくれるだろうか...
「おはようございまーす!穂香さん、今夜お店を閉めたら王城へ行きましょう!」
「え、どうして?」
「青王様の気持ちを聞きに行くに決まってるじゃないですか!」
「ちょっ...ちょっと待って。とりあえず一回落ち着こう」
瑠璃は、不満というか不安というか、なんともいえない顔をしている。
瑠璃なりに思うところがあるのだろうけど、焦っても仕方ないし、私だってなにも考えていないわけではないのだ。
「私もね、自分の気持ちはどうなのか、青王様のことをどう思っているのか、いろいろ考えているところなの。瑠璃ちゃんの気持ちもわかるわ。でも、もう少し待っていてくれる?」
瑠璃は少し悲しそうな顔をしつつ「はい、すみませんでした...」と、いつも通りお菓子を作り始めた。
私も、ケーキ用のチョコレートを瑠璃に渡し、ボンボンショコラを作り、開店準備を進めた。
今日もたくさんのお客様に声をかけていただいた。「昨日みたいなかわいいケーキ、また作って」「次はどんなスペシャルデーか、楽しみにしてるわね」お客様に喜んでいただけると、やっぱりうれしい。
「明日はお休みだから、片付けが終わったら今日はもう王城に戻って休んでね」
「はい。お疲れ様でした」
瑠璃は仕事のあと王城に戻ると、ほとんど部屋から出ないと言っていた。なので、私は瑠璃が戻ったのを確認してから、こっそり青王様に会いに行くことにした。
「あれ?穂香、どうした?なにかあったのかい?」
「いえ、あの、少しお願いがありまして...」
「ん?なんだろう」
「明日お休みなのでちょっとお出かけしようと思っているんですけど、よかったら一緒に行っていただけませんか?」
青王様は驚いた顔で耳を真っ赤にしている。
「穂香に誘ってもらえるなんてうれしいよ。それで、どこへ行くんだい?」
「朝九時頃に出発して、初めに伏見稲荷を参拝して、それから宇治まで行きたいんです。やりたいことと、あとちょっとお買い物したくて」
「そうか、それでは九時前に迎えに行くよ」
「ありがとうございます。あっ、瑠璃ちゃんには絶対に内緒にしてください」
青王様は「わかった。誘ってくれてありがとう」と、私の頬に手をあてる。
顔が熱くなっていく。どうしよう、ドキドキする。恥ずかしくてうつむいていると、青王様は手を離し、そしてそっと頭をなでた。
顔を上げられないでいる私に「すまない。穂香の気持ちをもっとしっかり考えるべきだった」と頭を下げる青王様。
「いえ、大丈夫です。なんだかちょっと恥ずかしくなっちゃって...」
「...そうか。では明日のためにそろそろ休んだほうがいい」
「そうします。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
部屋に戻ってもまだドキドキしている。
青王太子様は空良の頬に手をあて、そのままそっと口づけをするのが「おやすみ」の挨拶だったから。その時の光景が頭に浮かび、どうしようかと焦ってしまった。青王様が、今の私にそんなことをするはずがないのに...
ほとんど眠れないまま朝を迎えてしまった。シャワーを浴びて気持ちを落ち着かせ、朝ご飯には具だくさんのお味噌汁を食べた。
宇治では少しのんびりとお散歩をしたいから、紅茶が入った水筒と、キャラメル味やいちご味のガナッシュを入れた球体のチョコレートにスティックを刺したロリポップをバッグに入れた。
それから、この前デパートでたまたま見つけた青王様の髪の色と同じ水色のワンピースを着て、ストラップ付きローヒールの黒いパンプスを履いたところに青王様がやってきた。
「おはよう、穂香」
「おはようございます」
青王様は、髪の色より少し濃い水色のボタンダウンシャツに細身の黒いデニム、黒のハイカットスニーカーを合わせている。
普段の着物姿も素敵だけど、スラッとした長い手足に、モデルのような体型がよくわかるピッタリとした服を着こなし、今日は一段とかっこよく見える。しかもこれってリンクコーデって言うのかな。どうしよう、またドキドキしてきた...
「穂香、具合でも悪いのかい?」
「え...あっ!いえ、大丈夫です」
「では行こうか。途中で具合が悪くなったらすぐに言うんだよ」
「わかりました」
伏見稲荷まで歩き、本殿でお参りをする。本当は山頂まで行きたいけれど、今日は別の目的があるからまた次の機会にゆっくり登ろうと思う。
「宇治までは、JR奈良線で二十分かからないのですぐに着きますよ」
「宇治でもどこかの神社に参拝するかい?」
「はい。宇治神社と宇治上神社に行こうと思っています」
「わかった。では行こうか」
稲荷駅は伏見稲荷の目の前だ。そんなに大きくない駅だけれど観光のお客さんがたくさんいて、様々な国の人たちで賑わっている。
ホームに着くとちょうど電車が入ってきた。満員の車内からはたくさんの人が一斉に降りてきて、ここから乗車した私たちはゆったりと座ることができた。
斜め向かいに座っている若い女性四人組が「あの人かっこよくない?」「声かけてみない?」「一緒に写真撮ってくれるかな?」と、キャーキャー騒ぐ声が聞こえる。きっと私のことは視界に入っていないのだろう。なんとなく心がモヤモヤして居心地が悪い。すると青王様が、
「穂香、今だけ君に触れていてもいいだろうか」
「え?」
「あまりいい気分ではないのだろう?」
青王様は私の気持ちを察し声をかけてくれたようだ。小さくうなずくと、私の肩に手を回しグッと自分のほうへ引き寄せ頭をなでてくれる。やさしくて、心地よくて、こんな時間がずっと続けばいいと思ってしまった。でもこれはきっと空良の気持ちだ。今の私は青王様に対する自分の気持ちがまだよくわからないから...
睡眠不足と電車の揺れ、それに青王様の腕の中という安心感から、ついウトウトしてしまったらしい。「穂香、もう着くよ」という声で目を覚ますと、電車は宇治駅に到着するところだった。
「あっ、すみません、私...」
「かまわないよ。夕べはあまり眠れていないのだろう。朝から少し目が赤い」
「えっ、あ...それは...」
「まぁ穂香が大丈夫なら行こうか。でもあまり無理はせず、途中で休憩をしながらのんびり歩こう」
私は電車を降りるとまずホームのベンチへ向かい「ここで少しお茶を飲んで行きましょう」と腰を下ろした。隣に座った青王様に水筒とロリポップを渡すと「チョコレートまで持ってきてくれたのか。ありがとう」と笑顔を見せた。
「ん?これはいつもと少し違うね」
「そうなんです。今日は歩いて疲れると思ったので、ガナッシュはいつもより甘めにしました。でも甘くなりすぎないように、まわりのチョコはハイカカオのビターチョコにしたんです。でもやっぱりいつものほうがよかったですか?」
「いや、いつものもこれも、どちらも好きだよ。それに手で直接持たずに食べられるのもいいね」
「よかった。まだあるので、またどこかで休憩したときに食べましょう」
「そうだね」と、私の頭をそっとなでた。
ゆっくりお散歩をしながら宇治神社に着くと、まずは授与所へ『うさぎ絵馬』をいただきに行った。
「この絵馬にお願い事を書いてからお参りをしましょう」
「願い事か...穂香には内緒にしてもいいかな?」
「え~、内緒ですかぁ...ふふ、いいですよ。気になるけど、嫌なら無理に見たりしませんから」
「よかった。ありがとう」
お願い事を書き終えお参りをしたあと、青王様にここでの一番の目的を説明した。
「うさぎさん巡りと言って、この絵馬を持って本殿を時計回りに三周するあいだに三つのうさぎの置物を見つけられると、ここに書いた願い事以上のご利益を授かれるんです」
「それならわたしも、この願い事を叶えてほしいから真剣に探すよ」
「妖力を使って見つけたらだめですよ」
「絶対に叶えて欲しいからね。そんなずるいことはしないよ」
「ごめんなさい。青王様はそんなことしないって、ちゃんとわかってますよ。では行きましょうか」
それから私たちは本気で探し始めた。
二周して二つのうさぎを発見した。でも、どうしても最後の一つが見つからない。ちょっと焦る気持ちもあるけど、あと一周してこの場所に戻ってくるまでにもう一つ見つければいいのだ。必ず見つけられると信じ一歩踏み出した。
蟻一匹も見逃さないぐらいの気持ちで、あっちこっちのぞき込んだりしながらゆっくり見て歩き、それでもどうしても見つからなくて諦めかけたとき「あ、あった...!」やっと見つけた最後の一つ。なんだかホッとして力が抜けていくのがわかる。体全体が緊張していたみたいだ。
「穂香、全部見つけられたみたいだね。わたしもやっと見つけたよ。さぁ、絵馬を掛けに行こうか」
私は笑顔でうなずき、お互いのお願い事が見えないように絵馬掛けに絵馬を結びつけた。
青王様はどんなお願い事を書いたんだろう。私のお願い事も叶うといいな。
続けて宇治上神社にもお参りをして、近くのお茶屋さんで休憩をしたあと、もう一つの目的だったお買い物に行くことにした。
宇治川に架かる朝霧橋の上で、ふと空を見上げると綺麗な彩雲が出ていた。
空を指さしながら青王様に声をかけると、私と同じように空を見上げ「彩雲か。わたしたちがここへ来たことを歓迎してもらえているのかな」と私の顔を見て微笑んだ。
「なんだか良いことがありそうですね。これから行くお店でいいものを見つけられそうな気がします」
目的のお店に着き色とりどりの雑貨やアクセサリーが並ぶ店内に入ると、そのかわいらしさに目を奪われた。つい見入ってしまったけれど「いけない。ちゃんとした目的があって来たのに...」なにも言わず後ろからそっと見守ってくれていた青王様に
「ここは組紐のお店なんですよ。実は青王様にこの組紐をプレゼントしたくてここに来たんです」
「わたしに?」
「はい。青王様はいつも、着物の端切れで作った紐で髪を結ってますよね。でもせっかく綺麗な髪なのだからこういう綺麗な組紐で結ってほしくて」
「穂香...」
私は何本もの組紐を、あれでもない、これでもないと、一本ずつ青王様の髪に合わせていく。
「あっ、これがいいと思います。どうですか?」
「うん、わたしもこの色がいいと思う」
「ではこれにしましょう」
薄いベージュと白の糸で組まれた組紐を店員さんに渡し、会計をして包んでもらう。
店を出たあとは宇治川のほうへ戻り、宇治公園で休憩することにした。
公園のベンチに座ってお茶を飲んでいると、私たちの前を、手をつないでお散歩をしている老夫婦や犬のお散歩をしている親子が通り過ぎていく。
わた雲が浮かぶ空を見上げていると穏やかな気持ちになる。そういえば、あの頃も青王様とよくこうして空を見上げて、雲の流れや星の瞬きを眺めていたなぁ。
「こうしてゆっくり空を眺めるのはいつぶりだろう。空良がいなくなってから、わたしはこういう穏やかな時間があることを忘れていたよ」
「青王様...私も今、あの頃のことを思い出していました。懐かしいですね」
「穂香、もしよかったら...あ、いやその...先ほどの組紐で髪を結ってくれるかい?」
「わかりました。少し横を向いてください」
青王様のサラサラとした絹のような髪を後ろで一つに結う。組紐が解けてしまわないようにしっかりと。
スマホで写真を撮り「こんな感じです」と青王様に見せた。
「素敵だね。この色にしてよかった。ありがとう、穂香」
「いえいえ、よくお似合いです」
さっき青王様は、もしよかったら...このあと本当はなにを言おうとしたのだろう。きっと髪を結って欲しかったわけではないと思う。
「そろそろ帰りましょうか。伏見稲荷駅の近くでちょっと買いたいものがあるんです」
「ではゆっくり行こうか」
「はい。帰りは京阪に乗るのでこっちです」
青王様の少し後ろで、大きな背中を見ながら歩いていると「やっぱり私は青王様のことが好きなのかも」と思う。でも私はただの人間で、青王様とは住む世界も生きる時間も違いすぎる。
伏見稲荷駅に着き、近くにあるお店へ向かう。
「ここの生姜のおせんべいが大好きなんです。とってもおいしいですよ」
薄く焼いた玉子せんべいを折りたたみ生姜味の砂糖蜜をかけたもので、サクサクした食感としっかりした生姜の風味がクセになるお菓子なのだ。
「それではわたしも買っていこう。穂香のおすすめなら母上もよろこぶだろう」
生姜のおせんべいを二袋ずつ購入すると、お店のお姉さんが「これ失敗作だけど、おまけに入れておきますね」と、耳の先が少し割れてしまった狐のお面のような形のおせんべいも入れてくれた。
「今日はとても楽しかった。ありがとう。それにこの組紐はわたしの宝物だ。大切にするよ」
「いえ、こちらこそありがとうございました」
青王様は「穂香...」と、なにか言いかけて黙ってしまった。宇治公園で休んでいるときもなにか言いたそうだった。もしかして、絵馬になにを書いたか聞きたい...とか?
「あっ、そろそろ藤の開店準備を始めたいので、明日の閉店後に誉と寿に会えますか?」
「あ、ああ、わかった。二人に声をかけておくよ」
「では明日、王城にうかがいますね。よろしくおねがいします」
青王様は笑顔でうなずき「店まで送るよ」と言って一緒に帰ってくれた。
部屋に戻り一人になったとき「もう少し青王様と一緒にいたかったな」と、少し寂しさを感じた。
一緒にお出かけをして楽しい時間を過ごしているうちに、青王様に対する自分の気持ちを確信した。空良ではなく穂香として、今の私として青王様のことが好きなんだ。
でもそんなこと絶対に言えない。人間の私に好きだと言われても、きっと青王様は困ってしまうだけだ。
「青王様おかえりなさい。どこに行ってたんですか?」
「ちょっと散歩にね」
「おしゃれして、デートですか?ん?その組紐は...」
瑠璃は目敏く組紐を見つけわたしに詰め寄ってくる。
「いや、これは...しかもデートって...いいか、ただの散歩に行っていただけだ」
「ごまかさなくてもいいじゃないですか。穂香さんと一緒だったんですよね」
顔がどんどん熱くなっていく。瑠璃には隠し事ができないようだ。穂香、すまない...
「穂香から瑠璃には内緒にしてほしいと言われているんだが...」
瑠璃はちょっといじけたような恨めしそうな目で見てくる。
「出かけるから一緒に来てほしいと言われて、宇治まで行ってきた。いつもの端切れの紐ではなく綺麗な組紐を使ってほしいからと、組紐の店でこれを選んでくれたんだ」
「まぁたしかに、青王様の髪にあの紐は合わないですからね。それで、青王様は穂香さんに誘われたとき、どう感じました?うれしいと思いましたか?」
「もちろんうれしかった。つい...その...口づけをしそうになってしまった...でも穂香は下を向いたまま顔を上げてくれなかった。恥ずかしくなったと言っていたけれど、穂香に不快な思いをさせてしまったかもしれない」
「はぁ...見ていればわかりますけど、青王様は穂香さんのことがお好きなんですよね。どうしてちゃんと穂香さんの気持ちを聞こうとしないんですか?」
「それは...穂香のことはしっかり考えるからそんなに焦るな」
瑠璃はため息をつき呆れたという顔をしている。けれどわたしも、どうすればいいかわからないのだ。穂香の気持ちもわからないのに、自分の気持ちを伝えることで彼女を苦しめることになってしまったら...と思うと怖いのだ。
「あっそうだ。穂香が藤の開店準備のために誉と寿に会いたいと言っていた。二人に、明日の夕方王城へ来るよう伝えておいて欲しい」
「わかりました。伝えておきます」
もう!青王様も穂香さんも本当にじれったい!
あんなに長い時間一緒にいたんだから、お互いの考えていることぐらいわかるでしょ、って思う。
でも、穂香さんは人間であることを気にして、自分の気持ちに蓋をしているように見える。きっとそれさえなければ、青王様にしっかり気持ちを伝えることができる人だ。
青王様に組紐を贈ったのはたぶん、空良様が青王太子様の髪を短く切り手入れをしていたことを思い出したから。
穂香さんはよく青王様の髪をチラチラと見て、なにかを気にしている感じだった。自分がいなくなってから伸ばしっぱなしにしている髪を、あんな粗末なもので結っていることに心を痛めていたんだろう。
青王様だってずっと穂香さんのことを気にしてて、大切に思っているし好きなんだよね。だけど穂香さんの気持ちはわからないからなんて言って、ただ聞く勇気がないだけじゃない!
お互いに、相手がどう思っているかわからない、気持ちを伝えても困らせてしまう、って勝手に思ってなにも言えないでいるなんて、そんなのもったいないよ...
「穂香さん、誉と寿に今夜王城へ来るように伝えておきましたよ」
「ありがとう。開店にむけてそろそろ本格的に打ち合わせを始めないと」
「そうですね。もう少しメニューやレシピも考えないといけないし...」
「店内の備品は青王様が揃えてくれているはずだから、セッティングは私たちでやりましょう」
「それはわたしの妖力でササッと終わらせちゃいますよ!」
そうだ。瑠璃には転移の力があるんだった。物を移動させるのなんて簡単なこと。あの頃も大掃除のときなんかに家具を動かしてもらっていたな。
「ふふ、頼りにしてるからね」
瑠璃は大きくうなずきながら、商品を持って店のほうへ向かった。時計を見るともうすぐ開店の時間だ。私もいそいで準備しなきゃ。
「いらっしゃいませ」
西の空がオレンジ色に染まりつつあるころ、ある一組の男女のお客様がやってきた。
「うわぁどれもおいしそう。あれ?これって...」
「ん?ああ、あの店でもこういう印、付いてたよね」
二人がボンボンショコラを見て話す内容に、私はドキッとして背中が冷たくなるのを感じた。
こういう印とは、中のガナッシュやフィリングを区別するために、ボンボンショコラの側面に色づけをしたホワイトチョコで付けた小さな点のこと。
自由が丘の店では、同じ形だけど中身が違うボンボンショコラがいくつもあったから、混ざってしまわないように付けていたのだ。本当はもう必要ないけれど、今も癖でなんとなく付けてしまう。
「もしかして、自由が丘のお店にいた店員さん?」
「あ...はい、そうです」
「やっぱり!突然この印がなくなったと思ったら間違いが増えて、しかも味も落ちちゃったのよ。すごくおいしくてお気に入りだったのにショックだったわ」
「すみません、突然辞めてしまって...」
「あの店のオーナー、パワハラがすごいって噂で聞いたんだ。最近ほとんどお客さんが入らなくて今月いっぱいで閉店するらしいよ。辞めて正解だったんじゃないかな」
「そうだったんですか。でも、お客様にはご迷惑をおかけしてしまって申し訳ありませんでした」
二人に頭を下げると「謝らなくていいよ。大変だったね」と声をかけてくれた。
苦しかった毎日を思い出してしまい、やさしい言葉を聞いたとたん涙があふれてしまった。
「すみません...」
「穂香さん、テンパリング終わりましたよ」
「え?あの、ちょっとチョコレートの様子を見てきます。すぐ戻りますね」
本当は今、テンパリングなんてしていない。きっと瑠璃が気を利かせて涙を拭く時間を作ってくれたのだ。
冷たいタオルで目元を拭いたあと、二種類のボンボンショコラをそれぞれ半分にカットしピックを添えて店内へ戻った。
「すみません、おまたせしました。よかったら試食してみてください。あの店とは別の種類のカカオを使っているので、だいぶ味が違うと思います」
「ありがとう。いただきます」
「お、うまい!」
「ホントにおいしい!やだ、どうしよう」
女性のお客様が「太っちゃうよぉ」と言いながら、でもとても楽しそうに話している。
「彼の仕事の都合でね、京都に引っ越すことになったの。だからこのタイミングで結婚することにしたのよ。それで今日はやっと引っ越し荷物が片付いたから伏見稲荷にお参りに行ってきたの。そうしたらまさかまたあなたのチョコレートに出会えるなんて!」
「そうだったんですか。ご結婚おめでとうございます」
「ありがとう。これからよろしくね」
「こちらこそ。いつでもお待ちしています」
二人は店内を行ったり来たりし、たくさんのお菓子を抱える奥様に旦那様が「いつでも来られるんだから、少しずつ買ったほうがいいよ」と声をかけると「そうね、新しいうちに食べたほうがおいしいよね」と仲良く選んでいる。幸せそうでちょっとうらやましいな。
長い時間ずいぶんと悩みながら焼き菓子を選び、今度は冷蔵ケースの前でケーキとチョコのどちらにするか悩んでいる。
「チョコレートは、ご結婚のお祝いに私たちからプレゼントさせてください」
「え、うれしい!ありがとう!」
「ありがとう。それじゃあ今日はケーキを買おうかな」
二人が選んだ二つのケーキを、瑠璃が厨房へ持っていきデコレーションをして戻ってきた。
「今日は特別にデコレーションさせていただきました」
「うわぁ、かわいい!」
「本当に、いろいろありがとう」
笑顔で帰って行くお客様を見送ると、瑠璃が私の顔をのぞいてきた。
「穂香さん、いやなこと思い出しちゃいましたよね。大丈夫ですか?」
「ありがとう。もう大丈夫」
「よかった。それで、あの、穂香さんは青王様のことがお好きですよね。見ていればわかります。青王様に気持ちを伝えたりしないんですか?」
「え...だって...人間の私がそんなことを言っても、青王様を困らせるだけでしょ」
瑠璃が口を開きかけたとき、数名のお客様が来店された。そろそろ会社帰りのお客様で賑わう時間だ。
「いらっしゃいませ」
「よかった。今日はチョコレートのモンブラン残ってた」
「ありがとうございます。お電話いただければお取り置きもできますよ」
「それじゃあ今度からお願いするね」
瑠璃が箱詰めしたケーキを渡すと、とてもうれしそうな笑顔で帰っていった。
次は大量注文のお客様。
「明日、チョコチップクッキーと蜂蜜のフィナンシェ、三十個ずつ欲しいんだけどお願いできますか?」
「大丈夫ですよ。ご来店は何時頃のご予定ですか?」
「お昼過ぎには来られると思います」
「かしこまりました」
その後もバタバタしているうちに、あっという間に閉店時間になった。
「先に仕込みしちゃう?」
「いえ、誉たちが待ってると思うので先に王城に行きましょう」
おやつにシュークリームを持って行き、瑠璃に紅茶を淹れてもらい打ち合わせを始めた。「シュークリーム、おいしい!」
「寿、口のまわりがクリームだらけだよ」
誉は寿の顔を拭き、クリームがこぼれない食べ方を教えていた。二人はとても仲が良くて微笑ましい。
一息ついたところで店内を整備する日程や商品ラインナップを決め、研修のために明日から Lupinus に来るよう伝えた。
今まで何度か試食会をしたり瑠璃に持って行ってもらったお菓子を食べて、二人はほとんどの味と商品名を覚えていた。記憶力がいい二人なら、接客や箱詰めの方法など必要なことをすぐに覚えられるだろう。
「明日は初日だから、わたしも朝から閉店まで二人の様子を見ていようと思う」
「わかりました。それなら夕食にトマトのカレーを作りますね」
「ありがとう。せっかくだから王城で作ったらどうだろう。実は離れのそばでトマトとナスを育てているんだ。もうたくさん実っているからそれを使うといい。それに父上と母上にも食べさせてやりたい」
誉と寿も「カレー食べたい!」と期待に満ちた顔をしている。
「青王様が育てたトマト...はい、がんばってあの頃と同じカレー作りますね」
「わたしも手伝うよ」
「えぇ~、お手伝いはわたしがします!」
青王様と瑠璃がお手伝い権を取り合っている。「瑠璃はいつも穂香と一緒にお菓子作りしてるじゃないか」「それはお手伝いじゃなくてお仕事ですっ!」青王様はちょっと困った顔で言葉に詰まっている。瑠璃は結構気が強くて、青王様にもしっかり言い返す。
「二人とも、王城の厨房は広いんだから三人で作りましょう。あ、四人かな?きっと茜様も来てくださると思うし」
青王様と瑠璃のやりとりを、ぽかんと口を開けて見ていた誉と寿。きっと青王様のあんな子どもっぽいところ、初めて見てビックリしただろうな。
「瑠璃ちゃん、そろそろ戻って仕込みしましょう」
「あっ、そうだった!」
「明日の朝、待ってますね」と手を振ると、青王様たちも手を振りながらお見送りしてくれた。