隣のクラスに在籍する彼は、一八五センチの長身と整った容姿、つり上がった眼力に加え、垣間見える気怠そうな態度で問題児扱いされるほど有名だった。話しかけても大体の生徒に対して見下ろす形になってしまい、怖がられることも日常茶飯事だという。
差し出された手を前に穂香が躊躇っていると、「はぁ……面倒くせぇ」と大きな溜息をついた敷島が強引に手を取った。自分と二十五センチも差がある彼に引っ張られ、穂香はあっという間に立ち上がる。そして手を握ったまま、ざっと全身を見ると、敷島の眉間に寄っていたシワが消えていった。
「怪我は……なさそうだな。よかった」
「あ、ありがとう……」
震える声でぎこちなく礼を言うと、ぶっきらぼうに「気にすんな」と穂香の手を離した。
穂香は思わず身構えた。いきなり話しかけられたからということもあるが、何より敷島尚は校内で『一匹狼』と謳われるほど有名なのだ。
今から一年前――穂香が高校に入学した年に行われた文化祭でのことだ。
鈴乃から聞いたため詳しい話はわからないが、開催されていたミスコンテストで優勝した当時三年生の女子生徒からの猛烈なアプローチを完膚なきまでに無視し続けたと聞いた。女子生徒は諦めずに声をかけ続け、ようやく目が合って話をしたが彼は悪びれもなく「どちら様ですか?」と一言で終わらせたという。
それがきっかけで血も涙もない冷徹な人間だと批判され、上級生の目の敵にされていた。
穂香との接点は今まで一度もないが、一匹狼の話しか知らない彼女にとって、敷島尚が人を助け、手を差し出すなどという行動を目の当たりにして躊躇うには充分だった。
敷島は周囲を見渡し、横断歩道の向こう側に渡った小学生に向けて舌打ちをした。
「あのガキンチョ……謝りもしないで行きやがった」
「ガキンチョ?」
「お前を突き飛ばした奴らだよ。それが気になって引っ張ってた」
それ、といって敷島が指さしたのは、リュックのつけているウサギのキャラクターが描かれたキーホルダーとオレンジ色の石がついたチャームだった。
敷島の話によれば、穂香が横断歩道前で信号機に早く変われと念じていた最中、高校に行く道中にある小中一貫校の制服を来た小学生が、キーホルダーを引っ張っていたのだという。キーホルダーは穂香の親戚が趣味で作ったものであり、銀のプレートにウサギのキャラクターが描かれている。よくテレビで見かける人気のキャラクターであり認知度は高いが、よくもこんな小さなものを見つけられたものだ。
しかし、敷島は首を横に振った。
「ガキが気になったのは、一緒についているチャームのほうだよ」
「チャーム?」
「寒さに耐え切れずお前が小刻みに揺れたせいで、反射でキーホルダーが光って見えたんだ。気になって思わず手に伸ばしちまったってところだな。別のガキが俺の横を通り過ぎて行って嫌な予感がしていたら、そいつがキーホルダーに夢中になっていた奴の背中を叩いて、驚いた反動でお前を突き飛ばすように倒れたってわけ。ま、ウサギよりかはキラキラしたものに目に入ったってところだな。手に取らないとわからないくらい小さければ、余計気になるだろうし」
「どうして敷島くんは、ウサギだって見えたの?」
穂香はプレートに描かれたものがウサギだとは一言も告げていない。自分よりも二十五センチ差もある身長では屈まないと見えないはずだ。もちろん一点ものでもあるため、類似品が売っているはずもない。それに対して敷島は「あー……それは」と言葉を詰まらせた。
「リュックを掴んだときに見えたから。長い耳があれば大体ウサギだろ?」
「そ、そう……」
良いように言い包められた気がしたが、これ以上問い詰めても答えてはくれないだろう。早々に切り上げると、敷島の表情が少しだけ和らいだように見えた。
「キーホルダーが千切れなかったことが幸いだったな。……ったく、お前もボーッとしすぎ。考え事でもしていたのか」
「そういうわけじゃ……」
初対面の彼に話すことじゃない。内心モヤモヤしながら穂香は目線を逸らした。
鈴乃からの忠告が効いていることが大きいからかもしれない。助けてもらったことに代わりはないが、それだけで信頼できるとは限らないのだ。詳しい話をするつもりは毛頭なかった。
(今日はなんて運がないんだろう)
朝から寒いし、車に轢かれそうになるし、更には関わるとろくなことがないとまで噂される学校の問題児に遭遇してしまった。
項垂れている穂香をよそに、敷島はあっけらかんとした口調で問う。
「別にいいけどさ。ところでお前、学校までバス通学?」
「そうだけど、何?」
「最終便、そろそろ出るぞ」
ああ、本当についていない。
差し出された手を前に穂香が躊躇っていると、「はぁ……面倒くせぇ」と大きな溜息をついた敷島が強引に手を取った。自分と二十五センチも差がある彼に引っ張られ、穂香はあっという間に立ち上がる。そして手を握ったまま、ざっと全身を見ると、敷島の眉間に寄っていたシワが消えていった。
「怪我は……なさそうだな。よかった」
「あ、ありがとう……」
震える声でぎこちなく礼を言うと、ぶっきらぼうに「気にすんな」と穂香の手を離した。
穂香は思わず身構えた。いきなり話しかけられたからということもあるが、何より敷島尚は校内で『一匹狼』と謳われるほど有名なのだ。
今から一年前――穂香が高校に入学した年に行われた文化祭でのことだ。
鈴乃から聞いたため詳しい話はわからないが、開催されていたミスコンテストで優勝した当時三年生の女子生徒からの猛烈なアプローチを完膚なきまでに無視し続けたと聞いた。女子生徒は諦めずに声をかけ続け、ようやく目が合って話をしたが彼は悪びれもなく「どちら様ですか?」と一言で終わらせたという。
それがきっかけで血も涙もない冷徹な人間だと批判され、上級生の目の敵にされていた。
穂香との接点は今まで一度もないが、一匹狼の話しか知らない彼女にとって、敷島尚が人を助け、手を差し出すなどという行動を目の当たりにして躊躇うには充分だった。
敷島は周囲を見渡し、横断歩道の向こう側に渡った小学生に向けて舌打ちをした。
「あのガキンチョ……謝りもしないで行きやがった」
「ガキンチョ?」
「お前を突き飛ばした奴らだよ。それが気になって引っ張ってた」
それ、といって敷島が指さしたのは、リュックのつけているウサギのキャラクターが描かれたキーホルダーとオレンジ色の石がついたチャームだった。
敷島の話によれば、穂香が横断歩道前で信号機に早く変われと念じていた最中、高校に行く道中にある小中一貫校の制服を来た小学生が、キーホルダーを引っ張っていたのだという。キーホルダーは穂香の親戚が趣味で作ったものであり、銀のプレートにウサギのキャラクターが描かれている。よくテレビで見かける人気のキャラクターであり認知度は高いが、よくもこんな小さなものを見つけられたものだ。
しかし、敷島は首を横に振った。
「ガキが気になったのは、一緒についているチャームのほうだよ」
「チャーム?」
「寒さに耐え切れずお前が小刻みに揺れたせいで、反射でキーホルダーが光って見えたんだ。気になって思わず手に伸ばしちまったってところだな。別のガキが俺の横を通り過ぎて行って嫌な予感がしていたら、そいつがキーホルダーに夢中になっていた奴の背中を叩いて、驚いた反動でお前を突き飛ばすように倒れたってわけ。ま、ウサギよりかはキラキラしたものに目に入ったってところだな。手に取らないとわからないくらい小さければ、余計気になるだろうし」
「どうして敷島くんは、ウサギだって見えたの?」
穂香はプレートに描かれたものがウサギだとは一言も告げていない。自分よりも二十五センチ差もある身長では屈まないと見えないはずだ。もちろん一点ものでもあるため、類似品が売っているはずもない。それに対して敷島は「あー……それは」と言葉を詰まらせた。
「リュックを掴んだときに見えたから。長い耳があれば大体ウサギだろ?」
「そ、そう……」
良いように言い包められた気がしたが、これ以上問い詰めても答えてはくれないだろう。早々に切り上げると、敷島の表情が少しだけ和らいだように見えた。
「キーホルダーが千切れなかったことが幸いだったな。……ったく、お前もボーッとしすぎ。考え事でもしていたのか」
「そういうわけじゃ……」
初対面の彼に話すことじゃない。内心モヤモヤしながら穂香は目線を逸らした。
鈴乃からの忠告が効いていることが大きいからかもしれない。助けてもらったことに代わりはないが、それだけで信頼できるとは限らないのだ。詳しい話をするつもりは毛頭なかった。
(今日はなんて運がないんだろう)
朝から寒いし、車に轢かれそうになるし、更には関わるとろくなことがないとまで噂される学校の問題児に遭遇してしまった。
項垂れている穂香をよそに、敷島はあっけらかんとした口調で問う。
「別にいいけどさ。ところでお前、学校までバス通学?」
「そうだけど、何?」
「最終便、そろそろ出るぞ」
ああ、本当についていない。