声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

 私は素敵だと思ったと伝えるために胸に手をあてて目を閉じ、その次に目を開けて微笑みました。
 どうやら思いは伝わってようで、「ありがとう」と言ってくださいました。

 お兄さまとそんな素敵な恋愛がしてみたいな、なんて思います。
 夢でもいいので、そんな未来が来ればいいな。
 私は紅茶を一口飲んで、お兄さまをまた見つめてしまいました。

 ああ、お兄さまがやっぱり大好きです──
 私がヴィルフェルト家にてお仕えするようになったのは、5年ほど前です。
 ですが、もともと母がラルスさまのお母上であるアデリナ様にお仕えするメイドでしたから、この家に小さい頃に来た事がありました。
 この家の皆様には大変よくしていただきましたので、私も大きくなったらここのお屋敷にお仕えにあがりたい!とよく思ったものです。

 そして私は病気になった母に代わるようにヴィルフェルト家のメイドとしてお仕えするようになりました。
 メイドで身でありながら家事スキルが低く、毎日失敗してはメイド長に頭を下げる、そんな日々でした。
 やがて段々メイドとして一人前に働けるようになった頃、私は彼女と出会いました。

 彼女は修道院の育ちではありますが、火事によって身寄りがなくなったため旦那様がこのお屋敷の娘として引き取られた方でした。

「14歳とお聞きしていますが、もう少し幼く見えます」

 細身で厳しい環境下におかれていたことがよくわかるお身体をされていて、少し気の毒に思いました。


「クリスタ、彼女の専属メイドになってもらえないだろうか?」
「ええ、もちろんでございますが、私でよろしいのですか?」
「ああ、君が適任だと思う」
「かしこまりました。精いっぱい努めさせていただきます」

 私は旦那様にお辞儀をして部屋をあとにすると、そのままラルス様の後について彼女の部屋に向かいました。


「私があなた様のお世話をさせていただきます、クリスタでございます。よろしくお願いいたします」

 その挨拶に声が出ない彼女は恭しい態度を私にとってみせました。
 自分でお掃除をしようとなさったり、ご自分でなんとかお役に立ちたいという思いがひしひしとこの数日伝わってきて、その奉仕精神は見習うべきものがあると感じました。
 だからこそ、私は彼女に仕えたいと思ったのかもしれません。

「ん? ああ! 伸ばすのか! リー!! ローゼマリー!!」

 ラルス様が彼女のお名前を聞いてようやく彼女が『ローゼマリー様』だとわかりました。
 なんて可愛らしくて彼女にぴったりな名だろうと思いました。

 それから私は彼女の身支度や伝達係、そして声が出せないことの補助などをおこないました。

「ローゼマリー様、痛かったらいってくださいね?」
「(ふんふん)」

 彼女の髪を毎日梳くのですが、なんて真っすぐで綺麗な美しい髪なのだろうといつも思います。
 私は妹の髪をよく結っていたので、同じように結って差し上げると、大層お喜びになって嬉しそうに動きで表現してくださいます。
 何度も角度を変えながら鏡を見ては、私にくるっと一周して見せます。
 そんなに喜んでもらえると、メイド冥利に尽きますね。

 読み書きを勉強するようになってからはより早く起きて一生懸命に練習をなさっています。
 食事の前の少しの時間でも本を開いて、その本の字を真似て書いたりします。
 私の袖を引っ張って、この文字の読み方は?というように尋ねてきたので、「それは、『希望』と読みます」などと、お伝えをします。


 そんな彼女の雰囲気が少しずつ変わってきたような気がしたのは、少し前の頃です。
 ローゼマリー様はなんだか楽しそうでよく横に音楽に乗るようにゆらゆらと揺れながらお勉強なさっています。
 毎日のお洋服選びもとても真剣な表情でお選びになるようになり、食事のときも嬉しそうにダイニングに向かわれます。
 そして、その理由がラルス様だと気づいたのは、彼女が食事中にずっと笑顔でラルス様を見ているからでした。

 ああ、恋をしているんだなあと女の勘で思いました。
 でもきっとローゼマリー様のご様子や性格から、兄にそのような気持ちを向けては失礼と思っているのでしょう。
 遠慮がちにラルス様をちらっと見てはすぐに目を逸らされ、小さく首を振っておられます。

 この恋が実ればいいと考えますが、そう単純なものではないのでしょう。
 おそらくラルス様もローゼマリー様のことを好きなのではないかと思います。
 しかし、ここで私がお手伝いをしても何も解決しないのです。

 恋は勝ち取ってこそ、幸せが待っています。
 私はローゼマリー様がこれからも幸せであるように、今はただ、そっと傍にお仕えして支えるのみです。


 私の声が出なくなってから半年ほどが経過しました。
 あれから皆さんに支えられて生活ができ、そして読み書きやマナーの勉強をして少しずつ貴族令嬢としての勤めを果たせるようになってきました。

「数日後、フェーヴル伯爵家でお茶会が開かれる。ローゼマリーに招待状が来ているんだが、行ってくれるか?」
「(かしこまりました)」

 私はドレスに特注でつけていただいたポケットから紙とペンを取り出すと、するすると文字を書きます。
 そしてそれをお父さまに見せます。

「ああ、今回はご令嬢のみのお茶会らしくてね。クリスタも同行させるから一人で大丈夫そうか?」
「(はい。行ってまいります!)」

 私はお父さまにお辞儀をすると、執務室をあとにしました。


 お兄さまに教わった読み書きの成果もあって、大方の文字が書けるようになり、質問などがあるときはこうして文字に起こして書いて伝えます。
 お父さまやお兄さま、クリスタさんは筆記がなくてもある程度意思疎通できるようになりましたが、初対面の方には筆記があると便利です。
 お医者さまに定期的に診察していただくのですが、まだ声は出ないようです……。

「ローゼ」

 その声に振り向くとそこにはお仕事を終えたであろうお兄さまがいらっしゃって、その手には何か包みのようなものを持っていらっしゃいます。

「今日は天気がいいから外で勉強しようか。クリスタにサンドウィッチを作ってもらったんだ」
「(サンドウィッチっ!! はいっ!)」
「たく、勉強がメインがサンドウィッチが楽しみなだけかわからないな」
「(どちらも楽しみですっ!)」

 身振り手振りもつけながら会話をすると、外の大きな木のある庭に行きました。

 いつもの庭園とは違い、ここは特にテーブルや椅子はないので木陰に座って木にもたれかかりながら腰かけます。
 ドレスが汚れるなんて最初は迷っていたんですが、何度かするうちに慣れてしまって、クリスタさんにも「洗濯は私がしますからどうぞご遠慮なさらず!」と言われています。
 少し気温も高くなってきていたので、木陰は涼しくて気持ちいいですね。

「今度お茶会に参加するんだって?」
「(はいっ!)」

 そうでした。
 お父さまから言い渡されていたお茶会の招待状を取り出してお兄さまに見せます。
 しっかりヴィルフェルト家の名に恥じぬよう、お役に立たなければなりませんね。

「もうマナーも身についているし、ローゼなら安心だね」

 そう言っていただけると、すごく嬉しいです。
 余計に頑張らなければなりませんね!
 そう紙にも書いてお兄さまに見せます。

「ふふ、張り切りすぎて転んだりしないようにね」
「(もうっ! そんなドジはいたしません!)」

 私は少し怒るような表情を見せてお兄さまに見せると、お兄さまは大きな声で笑いました。
 なんだか、前に比べたらよく笑うようになったな、なんて思います。
 もしかして好きな人でもできたのでしょうか。

 そう思うと胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に陥ります。

「ローゼ、勉強でもはじめようか。これはね──」

 お兄さまは私にいつものように本を見せながら言葉や意味を教えてくださいます。


 そんな風にお兄さまの声を聞いていると今日は段々眠くなってきてしまって。
 いけない、勉強をしないと、と思うのですが、眠気には抗えず、うとうとと段々瞼が重くなってしまいました。

「ローゼ?」

 お兄さまがそんな風に呼んでいたような気がするのですが、私はもう夢の中に入ってしまいました──


 ふと目が覚めると、私は何かにもたれかかっていました。
 あれ? そういえば、勉強をしていて……それで……。

 パッと横を見るとなんとお兄さまが顔がそこにあって、それで、それで、眠っていらっしゃって。
 私は驚いて飛び退きそうになったのですが、お互いがもたれかかっていて支えているようで、このままではお兄さまを起こしてしまいます。
 私は仕方なくそーっとそのままじっとしていたのですが、お兄さまの顔を思わず見てしまって。

 黒髪に少し日が差し込んで、それで綺麗なお顔立ちですやすやと子供のように眠っておられます。
 思わず見とれてしまうような綺麗さで、胸がドキドキとしてその鼓動で起こしちゃうのはないかと思うほどです。
 天国のような地獄のような、そんな状態で、私はどうしたらいいのかと戸惑いながらお兄さまが起きるまで一緒に寄り添っていました──