学校からの帰りに、地元駅の改札で
中学時代に同級生だった女子に出会った。
「あっ、尾鳥…?」
「げっ、束刈かぁ…。」
束刈は戸惑い混じりに嬉しそうにしたが、
俺といえば自分の過去を知る人間に会って、
少し気恥ずかしいものがあった。
遠くの有名進学校に行った優等生の束刈と、
地元からわざと離れた底辺校に進んだ
落ちこぼれの俺は、中学時代、
男女は別だが同じバスケ部だった。
中学卒業と共に自然と疎遠になったが、
高校でも同じ部活に入ったようで、
先輩に対する愚痴で盛り上がった。
束刈は髪を肩まで伸ばした明るい栗色で、
ほのかに化粧と香水もしているらしく、
制汗スプレー以外のにおいがする。
中学時代から高身長だった彼女は
スリムなモデル体型になっていて、
横に並んで立つのは劣等感が湧いて
あまりいい気分ではない。
お互いにテスト期間だったが、
束刈に誘われて、駅近くの
ドラッグストアへ行った。
束刈と俺はしゃべりながら、
なにを買うのでもなく店内を見て回る。
部活で使うテーピング、好きなお菓子、
シャンプーや化粧水の値段を見て騒ぐ。
「あのお高いチョコ10個分だって。」
「束刈、これ買うの?」
「買うわけないじゃん、
そんなお金持ってないし。」
この冷やかし客ふたりによって、
中年の男性店員に睨まれる。
俺は遠足前のおやつ選びのような懐かしさと、
束刈と久々の再会に、自分でも驚くほど
楽しい時間を過ごせた。
その日は連絡先を交換して別れた。
「尾鳥、スマホ持ってるの?」
「そりゃ、もう高校生ですぜ、俺ら。
てか中学のとき、みんな持ってただろ。」
「知ってる。
みんなに自慢してた最新モデルのやつね。」
ドキリとした。思い出した。
「あーそうだ。俺のが忘れてるわ。」
「ははは。バカだなぁ。んじゃあまたな。」
「おう。」
それからお互いの部活が終わると会って、
いつものドラッグストアで駄弁った。
「これ欲しいけど、高!」
「バイトでもすれば?」
「こんな時間に帰ってきて、
できるバイトなんて
学校から許されねえんだわ。」
「そりゃそうか。」
未成年者の労働は22時までだ。
部活を終えて19時に帰って来られる俺たちに、
できる労働は家事手伝いくらいしかない。
しかも田舎だ。仕事はない。
「尾鳥は? せんの?」
「せんな。新しいバッシュ欲しいけど、
じいちゃんにねだると買って貰えるし。」
「うらやま。自慢かよ。
スマホもまたちゃっかり
いいの買って貰ってるしよ。」
「いいだろうが、スマホくらいは。」
俺はちゃんとしたスマホを
中学時代に持っていなかった。
正しくは買ってもらったばかりの
スマホを中学校で失くしたのだ。
そのスマホはブランドの最新モデルで、
記憶を抹消するほどショックな事件だった。
小さなプライドはへし折られ、砕け散った。
結局俺のスマホは見つからず、
親からは失くした罰として、
以前から渡された以前から使っていた
キッズスマホは、嘲笑の対象になった。
そんな忌々しいスマホを持ち歩く気もなく、
わざと家に忘れる日もあった。
しかし、俺と同じく中学を卒業するまで、
キッズスマホのままの生徒も当然ながらいた。
束刈もそのなかのひとりだったが、
からかわれるのは決まって
スマホを失くした間抜けな俺に集中した。
「ちょいスマホ見して。」
「あっちょっと。」
上着のポケットに入れた
スマホを簡単に奪われる俺。
「エロ画像どこ?」
「見せるわけないだろ。」
「入ってんのかよ。スケベ。」
スマホを取り返すと、家から連絡が来る。
「うえっ、買い出しだって。」
「なに買うん?」
「おむつ」
「おむつぅ?」
「ばあちゃんのストック切れたんだよ。」
「はー、拡大家族、大変だな。」
「バッシュのためだし、しゃーなし。」
「打算的な孫だわぁ。」
「束刈んちは?」
「あー…ウチは母子家庭だから。
介護する前に出てくな。
あの人、外で男作ってるし。」
「そっか。」
それ以上の詮索はせず、
俺がおむつ売り場に行って
会計を済ませる頃には、
束刈はひとり帰ってしまった。
俺たちは学校帰りに駅で落ち合い、
ドラッグストアを散策し、束刈は
いつの間にか帰っているのが恒例となった。
他人の家庭にとやかく言うものではない。
相手の気分を害していなければ、
また明日には会えるだろうと思っていた。
スマホを失くしたことに気づいたのは、
おむつを買って家についた時だった。
とりあえず自分のスマホに電話をかけたが、
着信を拒否されてしまい連絡がつかない。
中学時代に、最新モデルのスマホを
失くした時を思い出した。
自慢していたスマホを失くして
めそめそ泣き続ける俺を見て哀れんだのか、
あの日は束刈も泣いていたので
ほかの女子たちから同情された。
しかしそんな同情は続くはずはない。
というか同情された反動もあった。
キッズスマホを持ち歩かされた俺は、
ほかの男子たちに混じって、同情していた
女子たちからもからかいの対象となった。
家の電話で回線の利用停止手続きをし、
落ち込みつつ、懐かしい気分に浸った。
◆
「尾鳥、スマホ忘れてっただろ。」
「あっ俺の。」
束刈が俺のスマホを持って、駅で待っていた。
「いつ?」
「エロ画像見せてたとき。」
「見せてねえよ。
あー、束刈で良かった。
礼といっちゃなんだが、
なんか欲しいのある?」
お礼をしなければいけないが、
昨日のおむつ代で小銭は空っぽだった。
束刈は素の表情で首を傾げた。
「え…? なにそれ、告ってんの?」
「違うわ!」
見当違いも甚だしい。
「失くしてたらまたキッズスマホ、
持たされるとこだったな。」
「もう俺は、スマホ無しで
生きてくの覚悟してたとこだ。」
「そんなの生きてけなくね?」
「こちとら情報科だぞ。
束刈、なんか触った?」
自宅から自分のスマホにかけても、
着信を拒否されたのを思い出した。
「えっ…と、電源切っておいた。
せっかくだしエロ画像送っといたわ。」
「せっかくだが、いらんことするな。
帰ってから楽しむわ。」
「勉強疎かにするなよ。
ダンシコーセー。」
右手で輪を作って挑発する優等生。
「底辺校に勉強は必要ねえし。
束刈のとこって赤点あんの?」
「あんに決まってんじゃん。
言っとくけど、めちゃムズだかんな。
尾鳥だったら中間考査で留年確定。」
「そもそも入学できねえって。」
中間テストの結果で留年するはずはない。
というのは俺にもわかる。
え? …違うのか?
中学時代から優等生だった束刈は、
男女に別け隔てなく気さくで
おまけに人望があった。
高校で学校が離れても、こうして
冗談を言い合える相手は良いものだ。
今日もドラッグストアで店員に睨まれつつ、
迷惑代に買う必要があるか微妙なラインの
シャー芯をレジに持っていく。
スマホに補填する用のお金だったが、
スマホを失くす人間には大きすぎるお金だ。
「勉強せんのにな。」と、束刈には
あとで笑われるところだろう。
しかし会計を済ませると束刈の姿はなく、
店を出ると店員に引き止められた。
「ちょっと君、こっち来て。」
険しい顔をした中年女性の店員の
いかつい手で力強く肩を捕まれ、
背中を押されて店の奥の事務室に
ほぼ無理やりに連れて行かれる。
唐突なこの事態を、俺は瞬時に
新手のナンパかと馬鹿な勘違いした。
底辺校の思春期には刺激の強いイベントだ。
薄暗い事務室には店長と思しき中年男性と、
束刈がテーブルの奥の席に座らされていた。
「お、束刈…。」
声をかけたが雰囲気が怪しく、
俺は状況を見誤っていたとやっと気づく。
テーブルの上には束刈の学校鞄と、
1本だけ立て置かれた
高そうなパッケージの化粧水。
「お前はなに盗んだんだ?」
店長が俺に聞いてきた。
なんのことかわからず、俺は言葉が出ない。
束刈はめそめそと泣きはじめて黙っている。
「…買いましたよ? これ」
制服のポケットから、
買ったばかりのシャー芯を取り出した。
レシートはもらって無いが、
購入済みのシールは貼ってある。
「お前も万引きしたんだろ。」
「違うって言ってるだろ!」
「防犯カメラで撮ってんだよ!」
「なら、それ確認してから言えよ!」
「おい、学生証見せろ。家の電話番号は?」
この店長は俺を子供相手と見下して、
まったく聞く耳を持たない。
こんな横暴な店では
簡単に万引き犯にさせられる。
「束刈も買ったんだろ。」
「泣いたって無駄だぞ。
もう警察呼んだからな。」
店長がテーブルを叩くとその音に反応して、
泣いていた束刈は肩を驚かせる。
「だって…尾鳥が欲しいって言うから…。」
「はぁ?」
たしかにテーブルの上の化粧水は
束刈と見ていた記憶があるが、
それなら買えばいいだけだ。
「共犯か。」
「欲しかったら自分で買うわ!
おっさんはなんだよ、さっきから!」
「尾鳥、メッセしてきたじゃん。」
「してねえよ。」
束刈がスマホにメッセージを送ったのなら、
当然、そんな履歴も残っているはずだ。
スマホを取り出しアプリを開くと、
昨日、たしかに俺は束刈に盗むように
命じるメッセージを送っている。
「なんだこれ!」
記憶にないメッセージを見て、
俺は大声で驚いた。
「警察が来たぞ!
ちゃんと説明しろよ。」
しろと言われたところで、
心当たりがまるでないので
俺は説明のしようもない。
事情を知っているはずの
束刈はずっと泣いている。
「君が彼女に、盗むよう頼んだって?」
事務室にふたりの警察官がやって来て、
目の前に座って俺たちは聴取を受ける。
「いや、違います。そんなこと言いません。
欲しかったら、普通にお金払いますし。」
「金払えば済む問題じゃないだろ!」
事務室の隅で立っていた店長が叫んで、
ドラマの刑事を真似てテーブルを叩く。
「店長さん。大声出さないで。」
「メッセージを送ったという話しだが?」
「送ってません。いや、送られてますけど。」
スマホを供出して画面を見せたが、
馬鹿な俺はそれまでずっと気が動転していて
気づかなかった。
「あっ、昨日の夜、俺は
スマホ失くしたんですよ。」
「適当な言い訳をすんな!」
「うるさいから黙ってなさい!」
警察官のひとりが店長を叱責した。
俺も驚いた。
「いや、まだ回線停止したまんまなんで。」
「えっ?」驚いて顔を上げたのは束刈だ。
「そのスマホ、いま電波届いてないでしょ。
昨日、家に帰って失くしたことに気づいて、
家から電話しただけど拒否られて、
それで利用を停止したんだよ。ですよ。
まだ回線復旧させてないんで。」
束刈に命令したとされるメッセージは、
正しく送信できていなかった。
「お疲れ様でぇす…。
あのぉ、店長…。」
そんなとき、レジスタッフの
大学生らしき女性がひとり、
事務室に顔を見せた。
「そっちの男の子、そのシャー芯は
ちゃんと買いましたよ。昨日も
介護用のおむつとか買ってましたし。」
「えっ?」今度は店長が驚いた。
「だから、買ったって言ったのに、
なんで防犯カメラ確認しないんだよ。」
「いや、でも化粧水があるだろ。
俺は見たんだ!」
取り繕って矛先を変える店長。
「はい。そっちも防犯カメラ見たら
わかることなんで。」
警察官のひとりがそう言って、
興奮する店長を面倒くさそうにあしらった。
「束刈。俺、中学時代思い出したわ。」
「なに?」泣き声で返事をする。
「俺のスマホ盗んだの、お前だよな。」
「は?」
「そうやって泣いて誤魔化すの見て、
ようやく確信したわ。」
束刈は目を赤くしながらも、
俺を見る目は怒っている。
「あれは哀れみで泣いてたんじゃなくて、
自己憐憫ってやつなんだな。
そのウソ泣き。」
「違う!」
「中学のときに俺のスマホ盗んだのは、
まあ、過ぎたことだしいいよ、別に。」
「私じゃない!」叫んだ彼女の反論は虚しい。
「俺のスマホを盗んで、メッセで
主犯に仕立てようとしたのは
もちろん腹が立つけど、
自分が欲しいもんを盗むために、ずっと
カムフラに使われたのが一番腹が立つよ。」
「私じゃない! 私は悪くない!」
束刈は窃盗をした事実を、
否定しなくなってきた。
それから束刈は鋭く棘のある金切り声で、
俺に対して怒りをあらわにした。
「ムカつく! なんなんだよお前!」
「やめなさい。」
「お前さぁ!
勉強もできない馬鹿のくせに、
素直に騙された振りしてろよ!」
「おちついて、静かに。」
至近距離でイスの脚を強く蹴られ、
殴りつけるように腕で押された俺は
倒れたが、すぐに立ち上がらなかった。
事実を受け入れられず、立ち上がれなかった。
これまで束刈とこの店で一緒にいた数日が、
浮かれていた自分が、彼女の言う通り馬鹿で、
馬鹿でも馬鹿なりにショックを受けるものだ。
中年女性の店員が警察官に見せた
防犯カメラの映像には、束刈が
盗んでいる姿がはっきりと映っていた。
それも、きょうだけではなかった。
昨日もおむつを買った同じ時間帯に、
俺のスマホとは別に、化粧品を盗んでいた。
俺のスマホを盗んで
メッセージを偽装した理由は、
彼女の口からは一切出てこなかった。
束刈は泣きながら勉強でのストレスなどと
言い訳をし続けたが、窃盗に事情は関係ない。
俺は彼女の虚言の保身を無視し、
これから始まる両親への
事情説明で頭がいっぱいだった。
◆
事件発覚の日から、束刈と俺は
ドラッグストアにたむろすることも、
テスト期間に駅で偶然会うこともなかった。
それから数年して就職で地元を離れ、
年末に帰ってくると、いつの間にか
そのドラッグストアは潰れていた。
地元で就職した友人たちに飲みに誘われ、
潰れた事情を耳にした。
店長が客に暴行を働いた地元ニュースは
俺にはにわかに信じがたく、あの日の記憶も
すっかり薄れていた。
店長の話題から優等生の束刈の話になった。
彼女は詐欺と窃盗で捕まったという
風のうわさであっても、
俺はすぐに受け入れた。
あぁ、それと、これも忘れていた。
盗まれたスマホの回線利用を再開すると、
束刈が送ったとするエロ画像が届いた。
束刈は届いてないことに驚き、
同時に安堵したことだろう。
その画像は、鏡の前でなにも着ていない
彼女の自撮り写真だった。
(了)
中学時代に同級生だった女子に出会った。
「あっ、尾鳥…?」
「げっ、束刈かぁ…。」
束刈は戸惑い混じりに嬉しそうにしたが、
俺といえば自分の過去を知る人間に会って、
少し気恥ずかしいものがあった。
遠くの有名進学校に行った優等生の束刈と、
地元からわざと離れた底辺校に進んだ
落ちこぼれの俺は、中学時代、
男女は別だが同じバスケ部だった。
中学卒業と共に自然と疎遠になったが、
高校でも同じ部活に入ったようで、
先輩に対する愚痴で盛り上がった。
束刈は髪を肩まで伸ばした明るい栗色で、
ほのかに化粧と香水もしているらしく、
制汗スプレー以外のにおいがする。
中学時代から高身長だった彼女は
スリムなモデル体型になっていて、
横に並んで立つのは劣等感が湧いて
あまりいい気分ではない。
お互いにテスト期間だったが、
束刈に誘われて、駅近くの
ドラッグストアへ行った。
束刈と俺はしゃべりながら、
なにを買うのでもなく店内を見て回る。
部活で使うテーピング、好きなお菓子、
シャンプーや化粧水の値段を見て騒ぐ。
「あのお高いチョコ10個分だって。」
「束刈、これ買うの?」
「買うわけないじゃん、
そんなお金持ってないし。」
この冷やかし客ふたりによって、
中年の男性店員に睨まれる。
俺は遠足前のおやつ選びのような懐かしさと、
束刈と久々の再会に、自分でも驚くほど
楽しい時間を過ごせた。
その日は連絡先を交換して別れた。
「尾鳥、スマホ持ってるの?」
「そりゃ、もう高校生ですぜ、俺ら。
てか中学のとき、みんな持ってただろ。」
「知ってる。
みんなに自慢してた最新モデルのやつね。」
ドキリとした。思い出した。
「あーそうだ。俺のが忘れてるわ。」
「ははは。バカだなぁ。んじゃあまたな。」
「おう。」
それからお互いの部活が終わると会って、
いつものドラッグストアで駄弁った。
「これ欲しいけど、高!」
「バイトでもすれば?」
「こんな時間に帰ってきて、
できるバイトなんて
学校から許されねえんだわ。」
「そりゃそうか。」
未成年者の労働は22時までだ。
部活を終えて19時に帰って来られる俺たちに、
できる労働は家事手伝いくらいしかない。
しかも田舎だ。仕事はない。
「尾鳥は? せんの?」
「せんな。新しいバッシュ欲しいけど、
じいちゃんにねだると買って貰えるし。」
「うらやま。自慢かよ。
スマホもまたちゃっかり
いいの買って貰ってるしよ。」
「いいだろうが、スマホくらいは。」
俺はちゃんとしたスマホを
中学時代に持っていなかった。
正しくは買ってもらったばかりの
スマホを中学校で失くしたのだ。
そのスマホはブランドの最新モデルで、
記憶を抹消するほどショックな事件だった。
小さなプライドはへし折られ、砕け散った。
結局俺のスマホは見つからず、
親からは失くした罰として、
以前から渡された以前から使っていた
キッズスマホは、嘲笑の対象になった。
そんな忌々しいスマホを持ち歩く気もなく、
わざと家に忘れる日もあった。
しかし、俺と同じく中学を卒業するまで、
キッズスマホのままの生徒も当然ながらいた。
束刈もそのなかのひとりだったが、
からかわれるのは決まって
スマホを失くした間抜けな俺に集中した。
「ちょいスマホ見して。」
「あっちょっと。」
上着のポケットに入れた
スマホを簡単に奪われる俺。
「エロ画像どこ?」
「見せるわけないだろ。」
「入ってんのかよ。スケベ。」
スマホを取り返すと、家から連絡が来る。
「うえっ、買い出しだって。」
「なに買うん?」
「おむつ」
「おむつぅ?」
「ばあちゃんのストック切れたんだよ。」
「はー、拡大家族、大変だな。」
「バッシュのためだし、しゃーなし。」
「打算的な孫だわぁ。」
「束刈んちは?」
「あー…ウチは母子家庭だから。
介護する前に出てくな。
あの人、外で男作ってるし。」
「そっか。」
それ以上の詮索はせず、
俺がおむつ売り場に行って
会計を済ませる頃には、
束刈はひとり帰ってしまった。
俺たちは学校帰りに駅で落ち合い、
ドラッグストアを散策し、束刈は
いつの間にか帰っているのが恒例となった。
他人の家庭にとやかく言うものではない。
相手の気分を害していなければ、
また明日には会えるだろうと思っていた。
スマホを失くしたことに気づいたのは、
おむつを買って家についた時だった。
とりあえず自分のスマホに電話をかけたが、
着信を拒否されてしまい連絡がつかない。
中学時代に、最新モデルのスマホを
失くした時を思い出した。
自慢していたスマホを失くして
めそめそ泣き続ける俺を見て哀れんだのか、
あの日は束刈も泣いていたので
ほかの女子たちから同情された。
しかしそんな同情は続くはずはない。
というか同情された反動もあった。
キッズスマホを持ち歩かされた俺は、
ほかの男子たちに混じって、同情していた
女子たちからもからかいの対象となった。
家の電話で回線の利用停止手続きをし、
落ち込みつつ、懐かしい気分に浸った。
◆
「尾鳥、スマホ忘れてっただろ。」
「あっ俺の。」
束刈が俺のスマホを持って、駅で待っていた。
「いつ?」
「エロ画像見せてたとき。」
「見せてねえよ。
あー、束刈で良かった。
礼といっちゃなんだが、
なんか欲しいのある?」
お礼をしなければいけないが、
昨日のおむつ代で小銭は空っぽだった。
束刈は素の表情で首を傾げた。
「え…? なにそれ、告ってんの?」
「違うわ!」
見当違いも甚だしい。
「失くしてたらまたキッズスマホ、
持たされるとこだったな。」
「もう俺は、スマホ無しで
生きてくの覚悟してたとこだ。」
「そんなの生きてけなくね?」
「こちとら情報科だぞ。
束刈、なんか触った?」
自宅から自分のスマホにかけても、
着信を拒否されたのを思い出した。
「えっ…と、電源切っておいた。
せっかくだしエロ画像送っといたわ。」
「せっかくだが、いらんことするな。
帰ってから楽しむわ。」
「勉強疎かにするなよ。
ダンシコーセー。」
右手で輪を作って挑発する優等生。
「底辺校に勉強は必要ねえし。
束刈のとこって赤点あんの?」
「あんに決まってんじゃん。
言っとくけど、めちゃムズだかんな。
尾鳥だったら中間考査で留年確定。」
「そもそも入学できねえって。」
中間テストの結果で留年するはずはない。
というのは俺にもわかる。
え? …違うのか?
中学時代から優等生だった束刈は、
男女に別け隔てなく気さくで
おまけに人望があった。
高校で学校が離れても、こうして
冗談を言い合える相手は良いものだ。
今日もドラッグストアで店員に睨まれつつ、
迷惑代に買う必要があるか微妙なラインの
シャー芯をレジに持っていく。
スマホに補填する用のお金だったが、
スマホを失くす人間には大きすぎるお金だ。
「勉強せんのにな。」と、束刈には
あとで笑われるところだろう。
しかし会計を済ませると束刈の姿はなく、
店を出ると店員に引き止められた。
「ちょっと君、こっち来て。」
険しい顔をした中年女性の店員の
いかつい手で力強く肩を捕まれ、
背中を押されて店の奥の事務室に
ほぼ無理やりに連れて行かれる。
唐突なこの事態を、俺は瞬時に
新手のナンパかと馬鹿な勘違いした。
底辺校の思春期には刺激の強いイベントだ。
薄暗い事務室には店長と思しき中年男性と、
束刈がテーブルの奥の席に座らされていた。
「お、束刈…。」
声をかけたが雰囲気が怪しく、
俺は状況を見誤っていたとやっと気づく。
テーブルの上には束刈の学校鞄と、
1本だけ立て置かれた
高そうなパッケージの化粧水。
「お前はなに盗んだんだ?」
店長が俺に聞いてきた。
なんのことかわからず、俺は言葉が出ない。
束刈はめそめそと泣きはじめて黙っている。
「…買いましたよ? これ」
制服のポケットから、
買ったばかりのシャー芯を取り出した。
レシートはもらって無いが、
購入済みのシールは貼ってある。
「お前も万引きしたんだろ。」
「違うって言ってるだろ!」
「防犯カメラで撮ってんだよ!」
「なら、それ確認してから言えよ!」
「おい、学生証見せろ。家の電話番号は?」
この店長は俺を子供相手と見下して、
まったく聞く耳を持たない。
こんな横暴な店では
簡単に万引き犯にさせられる。
「束刈も買ったんだろ。」
「泣いたって無駄だぞ。
もう警察呼んだからな。」
店長がテーブルを叩くとその音に反応して、
泣いていた束刈は肩を驚かせる。
「だって…尾鳥が欲しいって言うから…。」
「はぁ?」
たしかにテーブルの上の化粧水は
束刈と見ていた記憶があるが、
それなら買えばいいだけだ。
「共犯か。」
「欲しかったら自分で買うわ!
おっさんはなんだよ、さっきから!」
「尾鳥、メッセしてきたじゃん。」
「してねえよ。」
束刈がスマホにメッセージを送ったのなら、
当然、そんな履歴も残っているはずだ。
スマホを取り出しアプリを開くと、
昨日、たしかに俺は束刈に盗むように
命じるメッセージを送っている。
「なんだこれ!」
記憶にないメッセージを見て、
俺は大声で驚いた。
「警察が来たぞ!
ちゃんと説明しろよ。」
しろと言われたところで、
心当たりがまるでないので
俺は説明のしようもない。
事情を知っているはずの
束刈はずっと泣いている。
「君が彼女に、盗むよう頼んだって?」
事務室にふたりの警察官がやって来て、
目の前に座って俺たちは聴取を受ける。
「いや、違います。そんなこと言いません。
欲しかったら、普通にお金払いますし。」
「金払えば済む問題じゃないだろ!」
事務室の隅で立っていた店長が叫んで、
ドラマの刑事を真似てテーブルを叩く。
「店長さん。大声出さないで。」
「メッセージを送ったという話しだが?」
「送ってません。いや、送られてますけど。」
スマホを供出して画面を見せたが、
馬鹿な俺はそれまでずっと気が動転していて
気づかなかった。
「あっ、昨日の夜、俺は
スマホ失くしたんですよ。」
「適当な言い訳をすんな!」
「うるさいから黙ってなさい!」
警察官のひとりが店長を叱責した。
俺も驚いた。
「いや、まだ回線停止したまんまなんで。」
「えっ?」驚いて顔を上げたのは束刈だ。
「そのスマホ、いま電波届いてないでしょ。
昨日、家に帰って失くしたことに気づいて、
家から電話しただけど拒否られて、
それで利用を停止したんだよ。ですよ。
まだ回線復旧させてないんで。」
束刈に命令したとされるメッセージは、
正しく送信できていなかった。
「お疲れ様でぇす…。
あのぉ、店長…。」
そんなとき、レジスタッフの
大学生らしき女性がひとり、
事務室に顔を見せた。
「そっちの男の子、そのシャー芯は
ちゃんと買いましたよ。昨日も
介護用のおむつとか買ってましたし。」
「えっ?」今度は店長が驚いた。
「だから、買ったって言ったのに、
なんで防犯カメラ確認しないんだよ。」
「いや、でも化粧水があるだろ。
俺は見たんだ!」
取り繕って矛先を変える店長。
「はい。そっちも防犯カメラ見たら
わかることなんで。」
警察官のひとりがそう言って、
興奮する店長を面倒くさそうにあしらった。
「束刈。俺、中学時代思い出したわ。」
「なに?」泣き声で返事をする。
「俺のスマホ盗んだの、お前だよな。」
「は?」
「そうやって泣いて誤魔化すの見て、
ようやく確信したわ。」
束刈は目を赤くしながらも、
俺を見る目は怒っている。
「あれは哀れみで泣いてたんじゃなくて、
自己憐憫ってやつなんだな。
そのウソ泣き。」
「違う!」
「中学のときに俺のスマホ盗んだのは、
まあ、過ぎたことだしいいよ、別に。」
「私じゃない!」叫んだ彼女の反論は虚しい。
「俺のスマホを盗んで、メッセで
主犯に仕立てようとしたのは
もちろん腹が立つけど、
自分が欲しいもんを盗むために、ずっと
カムフラに使われたのが一番腹が立つよ。」
「私じゃない! 私は悪くない!」
束刈は窃盗をした事実を、
否定しなくなってきた。
それから束刈は鋭く棘のある金切り声で、
俺に対して怒りをあらわにした。
「ムカつく! なんなんだよお前!」
「やめなさい。」
「お前さぁ!
勉強もできない馬鹿のくせに、
素直に騙された振りしてろよ!」
「おちついて、静かに。」
至近距離でイスの脚を強く蹴られ、
殴りつけるように腕で押された俺は
倒れたが、すぐに立ち上がらなかった。
事実を受け入れられず、立ち上がれなかった。
これまで束刈とこの店で一緒にいた数日が、
浮かれていた自分が、彼女の言う通り馬鹿で、
馬鹿でも馬鹿なりにショックを受けるものだ。
中年女性の店員が警察官に見せた
防犯カメラの映像には、束刈が
盗んでいる姿がはっきりと映っていた。
それも、きょうだけではなかった。
昨日もおむつを買った同じ時間帯に、
俺のスマホとは別に、化粧品を盗んでいた。
俺のスマホを盗んで
メッセージを偽装した理由は、
彼女の口からは一切出てこなかった。
束刈は泣きながら勉強でのストレスなどと
言い訳をし続けたが、窃盗に事情は関係ない。
俺は彼女の虚言の保身を無視し、
これから始まる両親への
事情説明で頭がいっぱいだった。
◆
事件発覚の日から、束刈と俺は
ドラッグストアにたむろすることも、
テスト期間に駅で偶然会うこともなかった。
それから数年して就職で地元を離れ、
年末に帰ってくると、いつの間にか
そのドラッグストアは潰れていた。
地元で就職した友人たちに飲みに誘われ、
潰れた事情を耳にした。
店長が客に暴行を働いた地元ニュースは
俺にはにわかに信じがたく、あの日の記憶も
すっかり薄れていた。
店長の話題から優等生の束刈の話になった。
彼女は詐欺と窃盗で捕まったという
風のうわさであっても、
俺はすぐに受け入れた。
あぁ、それと、これも忘れていた。
盗まれたスマホの回線利用を再開すると、
束刈が送ったとするエロ画像が届いた。
束刈は届いてないことに驚き、
同時に安堵したことだろう。
その画像は、鏡の前でなにも着ていない
彼女の自撮り写真だった。
(了)