一週間後、職人街の男衆たちが丸太を満載した台車をひいてヴィスタネージュの大庭園にやってきた。
 彼らはあらかじめ開放されていた北苑の通用門を通り、そのまま東苑へと入っていく。

 その知らせを聞いた宮廷女官長グリージュス公爵は血相を変えて、アンナも前に現れた。

「グレアン侯爵!」
「これは女官長殿、そのような格好でどうしたのですか?」

 アンナが「そんな格好」と評した彼女の出立ちは、薄いシャンパンゴールドのドレスと、高く結い上げ花飾りをつけた髪という、宮廷の女性に求めらる姿そのものと言って良いものだった。
 それに対してアンナはブーツとパンツ。髪は後ろで束ねたのみ。宮廷ではタブーとされている男装に近い。が、大勢の職人が出入りし、誇りや木屑が舞う改装中の大広間に相応しいのがどちらかは、一目瞭然だった。

「御用があるのでしたら、私から出向きましたのに」
「白々しい……アレはどういう事かしら?」
「アレ、とは」
「東苑に入っている職人のことです!」

 女官長グリージュス公爵は、鋭い視線をアンナにぶつけてくる。こうなるのは予想通りだが、まさかこの女が埃の舞う現場まで押しかけてくるとは。
 自分の思う通りにならないのが、よほどお気に召さなかったらしい。

「申したはずよ。皇妃様の館は、一旦工事を見合わせなさいと」
「ああ、ご安心ください。彼らを雇うのに宮廷費は一切使っていませんので」
「なんですって?」
「後ほど帳簿を提出しますが、彼らは家財管理総監の権限で雇っているわけではありません。費用は、皇妃様のポケットマネーから出ています」
「ポケットマネー?」
「はい。皇妃様に工事中止のご相談をしたところ、私物の宝石を工費に充てて欲しいとのことでしてので。それならば大広間(こちら)の工事にも影響しませんので、問題はないでしょう?」

 実際は違う。ケントたちに説明した通り、あの宝石はこの大広間を飾り立てていたものの一部だ。
 それを、アンナは皇妃の私物として取り扱っていた。本来ならすぐにバレるような不正行為だが、アンナは押し通せる自信があった。

「皇妃様が皇帝陛下とご婚約されたとき、先帝陛下から贈られた宝石がございます。その一部を使って工事を続けたいとの仰せでした」
「先帝陛下の……?」

 その一言で、グリージュスは全てを理解したようだ。

 話は皇妃マリアン=ルーヌがこの国に嫁いできた頃に遡る。先帝アルディス2世は、皇太子アルディスとの婚約祝いとして幼児が中には入れるほど大きな宝石箱が贈られたという。もちろん中には超大国の皇太子妃にふさわしいきらびやかな装飾品の数々が満載され、百科事典一冊ほどもあるリストが付属していた。
 その直後に、先帝は崩御。程なくマリアン=ルーヌは皇妃となるのだが、その直後に例の毒殺未遂事件が起こり彼女は失明してしまう。
 彼女の見舞いには多数の貴族の令嬢が訪れたというが、その度に皇妃の部屋に置かれた宝石箱の中身が減っていったのだという。

 エリーナがアルディス3世の寵姫として参内したのはそれから少し後のことだ。
 様々な政治的思惑と、真心の行き違いが重なり、彼の心が皇妃から完全に離れた後だったから、アンナが宝石箱の話を知ったのはつい最近になってのことだった。
 皇妃自身も、宝石類にはあまり興味がなかったため、彼女に古くから仕える侍女のみが心を痛めていた。それをアンナに教えてくれたのだ。
 今さら宝石箱の中身を返せなどと、貴族のご婦人方に詰め寄ったところで、証拠も残ってないからどうしようもない。しかし裏を返せば、もともと皇妃の所有物でない宝石を、リストに乗っている宝物のひとつと言い張ったところで、誰もそれを否定しようがないのだ。

 帝国の最も高貴な空間で行われている、あまりにもセコく情けない悪事。それを利用することで、アンナは館の建設資金を得ることに成功したのだ。

「しかし……庶民の大工に東苑の館を任せるとはいかがなものかと。宮廷の建築術をわきまえたお抱えの職人に任せるべきでしょう? もちろん、大広間の工事のあとで、ですが」

 そう来ると思った。金で攻められなければ、次は人だ。女官長のついてくる所は、何もかもアンナの想定通りだった。

「ぷっ……ふふふふっ!」

 事さらに大げさに吹き出し、そのまま笑って見せる。

「何がおかしいの?」
「女官長殿。この宮廷を統べるお方でありながら、皇妃様のご趣味を何ひとつ理解してらっしゃらないのですね?」
「なんですって?」
「いま大広間で、大理石の床や鏡張りの壁を作っているような職人に、任せられる訳がないでしょう。皇妃の村落(ル・アモー・ドゥ・ランペラトリス)を」