有栖と奉日本『幸福のブラックキャット』

「見方を変えるねぇ……」
 オフィスで一定の事務仕事を処理し、ほどほどに飽きた有栖はスマホに映る写真を見ながら、高本の言葉を思い返し呟いた。物理的にスマホを回転させ、時には裏側を見てみたが当然の如く何も見えないし、解らない。
「何、アホなことしてんねん」
 頭上から聞き覚えのある関西弁が聞こえたので、スマホから目を離し、背を反らすように座席にもたれ掛けながら見上げると、そこに一色がいた。
「イチさん、ども」
「ども、やないねん。仕事しろ」
「してますよ。イチさんの猫探し」
「それは事務仕事の前か、片づけてからやれ」
「事務仕事もやってます。今はちょっと休憩してたから暇つぶしです」
「さっき猫探しも仕事って言うてたやろ」
 一色はため息をつきながら、近くにあったイスを引っ張ってきて座る。
「イチさん、暇なんですか?」
「アホ、休憩中や。今はみんな忙しいわ……そういった意味では有栖の復帰も早まるかもな」
「マジですか?」
「マジよ、マジ。最近、事務処理多いやろ? あれは治安を荒らしてた奴を捕まえられそうやから、みんな走り回ってるからや」
「あぁ、あの違法ハーブの……」
 この二年間で、これまで以上に違法ハーブが急激に出回っていた。元々は法規制のされていない脱法ハーブだったが、既に規制対象になったのにも関わらず、それが売買されている。その理由が、特定のバイヤーが若者中心に広めている、という情報は有栖も知っていた。そのバイヤーの動きには波があるらしいが、今はまた活発になっていることも。
「ここで捕まえとかんと、また煙に巻かれる。どうやら卑怯な手段を使ってるみたいやしな」
「卑怯?」
「あぁ、実はな……」
「それは聞いてるだけでムカつきますね」
「せやろ?」
 一色の話を聞いた有栖は抱いた感情をそのまま吐き出した。
「違法ハーブによる被害と犯罪も増加しとる。バイヤーのアホ共は軽い金稼ぎのつもりやろうけど、影響が冗談じゃ片付けられん」
 一色の表情は険しい。それは被害にあっている多くは十代から二十代の若者だ。当然、その範囲には彼の娘も該当する。そこに私情を挟まないのは無理な注文だった。
「また同じ方法で逃げられたら次の機会が遅れる。そういった意味では人手は欲しいからな」
「あぁ、それで自分の復帰も早いってことっすか」
「そういうこと。ほら、確保対象の写真や。一応持っとけ」
 一色は胸ポケットから一枚の写真を取り出し、有栖に渡す。
「何ですか、これ? 新しい戦隊モノですか?」
「ある意味正解や。『カラーズ』って名乗ってるらしいで」
「センスないっすね」
 呆れた様子で有栖は写真を見る。そこにはレッド、ブルー、イエロー、ピンク、グリーンの髪色の男女が並んでいる。

 中肉中背でミディアムな長さの赤髪の青年。
 肩ぐらいの長さの青い髪に緩いパーマで口にピアスをしている細身の男
 金髪坊主で二メートルぐらいの長身の男
 濃い緑色のソフトモヒカンにぶら下げるように左耳だけにイヤリングを着けた中肉中背の男
 ピンクのロングヘアーに黒く日焼けをしているモデル体型の女性

 そんな派手な頭髪の若者達が仲良さそうに映っている。その切り取られた一部分だけを見れば、少し悪ぶっているそこらにいる若者にしか見えなかった。
「目立ちそうだけど、見つからないんスね」
「ホンマやで」
「一応、持っておきますけど、自分はしばらくはこっちの写真とにらめっこです」
 そういって、有栖はスマホに映った一色の娘と黒猫の写真を見せる。
「そっちはそっちで頑張ってや。娘が夜に出歩くんも物騒で心配や」
「そうですね。可能な限り頑張ってはいるんですけど、情報が少な――」
 有栖は愚痴るように、一色に見せていたスマホを自分で見る。そこに、一瞬だけど違和感を覚えた。視界の端に『それ』を捉えたのだ。

「綺麗に撮れていますね――色々と映ってる」
「有栖さんの探している猫の写真も見方を変えれば、色々とヒントが見えてくるかもしれませんよ?」

 自然と――高本の言葉が思い出された。

「有栖、どうした?」
 写真を見たまま言葉を止め、硬直する有栖を心配するように一色が尋ねる。言葉に反応しないので彼女の頭を軽く数回叩く。
「イチさん……」
「おぉ、生きとった。急に固まるから事務仕事のし過ぎで壊れたんかと思ったで。んで、何や?」
「ちょっと聞きたいんですけど――イチさんの奥さんって髪の色が緑だったりします?」
 時刻は十七時。もう少し経てばバーとしてドアの表示をオープンに変えなければならない奉日本は周囲を見渡し、準備に怠りはないか確認していた。
「大丈夫そうですね……」
 辺りを見渡し、そう呟くとカウンターの席に座って一息つく。店内の音楽も消している空間は無音が主役で彼の心を落ち着かせる。
 しかし、その空間は長くは続かなかった。騒がしい足音が聞こえたな、と思うとそれはすぐに近くなり、そのままの勢いで店のドアを開けた。
「すみません、高本さん! お邪魔します!」
 その言葉と共に有栖が店の中に入ってきた。奉日本は彼女の登場に驚くことなく、今の勢いならドアの鍵を閉めていたら壊されていたかも、とそんなことを考えていた。
「有栖さん、ランチなら食べましたよ」
「知ってる。まだ呆ける年齢じゃない」
 有栖は息を切らしながら、奉日本の冗談に返答する。彼の記憶では彼女は体力にも自信はあるはずだ。それでも、これだけ肩で息をしているのだから、全力で走ってきたことは想像に容易かった。
「どうしました? そんなに慌てて」
「高本さんに聞きたいことがあって……それと、お願いしたいことも」
 奉日本は店内の壁に掛けてある時計を見た。バーの開店まで、あと三十分以上はある。そして、有栖の話が彼の予想していることであれば、聞くのも答えるのも時間としては充分だった。
「とりあえず、話を聞きましょうか」
 奉日本はそう言うと、有栖をカウンター席に座るように促した。
 有栖が慌てて飛び込んで来た日から二日後――彼女の探していた人物が来店し、彼は言付けをそのまま伝えた。その人物は驚きながらも、有栖の名前と彼女が所属する組織を聞いて、全てを受け入れた。
 そして、その人物から更にもう一人の人物に連絡が取られ、翌日には有栖が望む状況が整うことになった。
 スゴいな、と奉日本は素直に驚いた。彼の見立てでは有栖の望む状況は一週間以上はかかると思っていたからだ。当然、運要素の強いことではあるが、強運、という言葉で片づけるのが失礼なぐらいに有栖を中心に引きつけられているように感じた。
「高本さんには、この人が来たら言付けを伝えて欲しい。それで、上手く状況が整いそうなら自分に連絡してください。毎日、ランチはここに食べに来るんで。あと、お願いばかりで気が引けるんですけど、もう一つ――」
 有栖からの要望はそんなに難しいことではなかった。先程の言付けも彼女への連絡も奉日本にとっては日常の中で行えることだからだ。
 そして、最後の一つも、
「仕事の邪魔にならないなら」
 という条件で引き受けた。
 それは、ランチの時間が終了しバーへと切り替わる時間まで、店の一席を貸して欲しい、ということ。
 実際はそれほど邪魔にならないことは解っていたし、目の前で話が聞けるのなら奉日本にとっても興味深いことだった。

 そして、本日――ランチタイムが終了した奉日本の店のテーブル席にリザーブの札が置かれた。もちろん、外から見れば閉店状態なので必要はない。これは彼がバーへ切り替える仕事をしながらでも状況を確認できて、聞き耳の立てやすい場所へと座って欲しかったからだ。
「失礼します」
 そう言って、クローズの表示がされたドアを恐る恐る開けながら顔を覗かせたのは一人の女子高生だった。本来なら学校の時間帯だが、この日の為にサボったのだろう。誉められたことではないが、それを問題なく実施できる要領の良さが彼女にはあるのだろう。また、今日という日が大事な日だ、という認識も。
 彼女の名前は――一色楓(いっしき かえで)。以前、有栖が猫探しの為に見せてくれた写真に映っていた女子高生だ。その顔を認識した奉日本は笑顔を作り、
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
 そう言って、準備していたリザーブ席に案内して座らせると、一度カウンターまで戻り、グラスに水を入れて彼女に差し出した。
「ありがとうございます」
 そう言った彼女だったが、その様子はやはりどこか緊張しているように奉日本には見えた。

 リザーブ席の一つが埋まってから五分後。テーブルの上に置いた一色楓のスマホが振動し、静かな空間にその音を響かせた。数回で止まった様子から電話ではなくメッセージアプリの通知のようだ。彼女がスマホの液晶を見て、席を立つ。
「ちょっと、すみません」
 そう言って、彼女は席を立つと出入口のドアに近づく。そして、そこを開けると、
「あぁ、開いてたんだな」
 ドアの隙間から顔を出した彼女を見て、一人の青年が入って来た。どうやら、待ち合わせの場所はここだと解ってはいたが、ドアにクローズと表示されているので入って良いのか解らず、立ち往生していたようだ。
「いらっしゃいませ」
「は、はい……失礼します」
 奉日本の声に、その青年は気弱そうな声で返した。だが、その風貌は中肉中背でグレーのカットソーに紺のダメージジーンズ。髪型はウルフヘアーで色は緑、なので不良のように見えた。
 その青年は一色楓に手を引かれ、先程のリザーブ席に向かい合って座る。そこに奉日本は再び水を持って行った。その青年の分と、もう一つ――
「え? 一つ多いんですけど……」
 テーブルの上に置かれた三つのグラスを見て、青年は当然の反応を示した。だが、奉日本がそんなミスをするはずがない。必要だったから三つ置いたのだ。
 後方でがちゃり、と音がしドアが開く。そのタイミングの良さから外で二人が入ることを確認していたのだろう。そのまま真っ直ぐ、この席に向かって来ると一色楓の隣に――有栖がどしん、と座った。
 それを確認すると奉日本はリザーブの札を回収し、
「どうぞごゆっくり」
 そう言ってカウンターへと戻っていた。
「初めまして、右京 縁(うきょう えにし)くん」
「あんた、誰だよ? というか、何で俺の名前を……」
 有栖達の声もその様子も、片耳で聞き取り横目で確認することが出来るな、と解ると奉日本は器用にバーの開店準備を進めた。
 右京、という青年は明らかに動揺していた。しかし、それは当然かもしれない。彼を呼んだのは一色楓だが、そこで誰が来て何の話をするのか、そこまで詳細に聞いていないのだろう。それはまた、一色楓が故意的に言わなかったことでもあった。
 それでも、右京がここに来たのは交際している彼女のお願いをあれこれと詮索せずに応えた……彼の優しさに過ぎない。
「自分は有栖。こういう者よ」
 そう言って有栖は名刺をテーブルの上を滑らすようにして右京に差し出した。かつて、奉日本も貰ったものでもある。右京は視線だけで名刺に記載されている彼女の所属する組織名――『ユースティティア』の名前を見て、表情を明らかに変化させた。目を大きく開き、有栖を一瞥すると、次に自分の交際相手へと顔を向ける。
「楓、お前……」
「ち、違うよ、縁。私は――」
 少し震えた右京の声からは裏切られた感情が容易に察することが出来て、それを否定するように一色楓は慌てて大きな声を出す。場は一気に混沌とし始めた。そこに、
「はーい、勝手に騒がない」
 有栖が二回手を叩き、場を沈める。
「色々話すことはあるんだけど、まず、楓ちゃんはキミを裏切ってない。キミのことは自分が偶然見つけただけ。そして、今、キミに起きている事態は大体把握している。今から話すことはキミの知らない事実と救いになる話よ。困ってるんでしょ?」
 有栖の真っ直ぐな視線と言葉に右京は戸惑いながらも、頷くしかないように、静かにゆっくりと首を縦に振った。それほど切羽詰まった状況なのだろう。
「じゃあ、話す――前に、ちょっと何か飲もっか。あー、当然、自分の奢りね。高本さん、注文しても良い?」
 張りつめた場の空気を壊すように有栖はくだけた感じで言った。突然の緩和に右京も楓も呆気に取られている。
「もちろん、喜んで」
 その緩んだ雰囲気に沿った笑顔を見せながら、奉日本はメニューを持って、近づいて行った。
「自分がキミに気づいたのは、この写真のおかげなの」
 そう言って、有栖はスマホの画面を右京に見せた。奉日本は一色楓にオレンジジュースを、他の二人にはアイスコーヒーを出し終えてカウンターに戻る最中だったが、彼女が見せている写真が以前、猫探しのときに見せてもらった一色楓と黒猫が映っているものだと想像できた。そして、有栖が気づいたことは、最初に彼が見せてもらったときに気づいたことでもあった。
「これ、撮ったのキミでしょ?」
「え? そうだけど……なんで?」
「よく見たら、解る」
 右京は有栖が見せているスマホの画面に顔を近づけて首を右、左、と傾けては目を細めたり、見開いたり……そして、
「解んないです」
 顔を離して、ため息を一つ。右京は諦めたことを意思表示するかのようにアイスコーヒーに刺さっているストローをくわえる。
「ステンレスボウル」
「へ?」
「ほら、テーブルの上にあるお菓子づくりに使うステンレスボウル。そこに写真を撮ってるキミが映ってるのよ」
 有栖がその部分を拡大して、再び、右京に見せる。彼もまた顔を近づける。
「あ、本当だ。確かに……」
「まぁ、顔がしっかり認識できるわけじゃないけどね」
 ステンレスボウルには確かに右京の姿が映っていた。しかし、それは銀色の曲面の影響で形は歪み、顔立ちの特定などは不可能に近い。それでも、確実に認識できる箇所があった。それが、彼の髪色だった。緑色の髪だけは見間違うことなく認識可能だったのだ。
「ここに楓ちゃんが彼氏と来ている情報があったから、その彼氏の髪色を聞いたあと、楓ちゃんに直接話を聞いた。まぁ、的外れの可能性もあったけど、結果はビンゴ。それで、この場を設けたってわけ」
 一色楓の彼氏の髪色を聞かれたのは、他でもなく奉日本だ。そして、それを聞かれたことで彼は彼女が一つの考えにたどり着いたことを察した。
 そして、この場を貸してほしい、という有栖の要望も快く了承して、現在に至る。
「ということは、有栖さんは俺が何に所属しているか知ってるんだ?」
「えぇ、違法ハーブのバイヤーチームの一員――」
「うん、そう……」
 右京は表情に陰りを見せながら、頷くが、
「のようになってるけど、本当は違う。そうでしょ?」
 それを戸惑いに変えてしまうほどに、有栖は白い歯を見せて、笑ってみせた。
「今回の件は、キミが知っていることもあるけど、キミの知らないことも多くある。まぁ、それなりに複雑でムカつくことが起きてる」
 有栖は少しだけ顔をしかめると、スマホをテーブルの上に置いて真っ直ぐに右京を見た。その表情は真剣で同席の二人も今から重要な話をされることを察してか、姿勢を正した。
「右京くん……キミは警察に自首しようとしていた。これは合ってる?」
 その発言を聞いて、右京は一色楓を一瞥した。その視線を受けた彼女は首を横に振る。話したのかどうかを尋ねるアイコンタクトが交わされたのは明らかだったが、彼女の回答を素直に受け止めたところを見ると彼も相手のことを信頼しているのがよく解る。
 右京は一度だけ強く目を瞑り、
「はい、その通りです」
 そう答えた。僅かな時間だったが、その間に決心をしたのだろう。いや、もう彼なりに追い詰められていて、縋り付きたい、助けてほしい、といった感情が既に臨界点まで達していたのかもしれない。
「そっか……」
 それを聞いて、有栖は大きく息を吐いた。それは安堵から自然に漏れたものであった。
 ――彼が自首していたらアウトでしたからね。
 奉日本は有栖の安堵の意味を理解し、そう思う。もちろん、彼の表情に一切の変化はない。
「ギリギリセーフ。まだ、自首しなくて良かったわよ、本当に」
「どういう意味ですか?」
「キミは助かるチャンスがあるってこと。そんで、巨悪を潰すチャンスが生まれたってこと」
 有栖はそう言って不敵に笑う。
「じゃあ、確認とキミの知らない情報を補足するから、自首しようとした経緯を教えてくれる?」