高台にある屋敷には襖で仕切られた部屋が3つ。化け物の寝所1つと謁見の間が2つ。それらは続き間になっており、あとは土間と人が暮らすための必要最低限の水回りが用意されている。

 ここに軟禁される世話役の女は玄関へ出ることが禁止されている。外との繋がりと言えば明継が最初に覗いた格子窓のみだ。

 春瑠(はる)と呼ばれた少女は格子窓のある部屋で、手の中のガラス細工をコロコロと転がし続けていた。目に光はないが、その唇は笑みを浮かべている。
 春瑠の心に宿るのは、

 ようやくこの生活から解放される。

 それだけだった。


 彼女は自分の運命を知っていた。
 新しい巫女が決まれば前任の巫女は喰われ、溶かされ、あの化け物の養分となる。
 逆らうつもりは微塵もなかった。早く自分の人生を終わらせてしまいたかった。穢された体のまま生きていくことは彼女にとって苦痛でしかなかった。

 指から零れおちたガラス細工が畳の上を転がっていく。慌てて拾い上げると、その目に微かに光が宿った。

大紀(だいき)……」

 その名前を呟いて、記憶を巡らせる。






 春瑠と大紀は霞月(かげつ)の里で産まれたが、里を抜けた時はまだ幼く、二人の記憶の始まりは二峯村(ふたみねむら)からだった。
 親の記憶がない大紀は春瑠の母を自分の母親のように思い、その母も大紀の事を自分の子供のように可愛がった。
 二峯村での暮らしは決して裕福ではなかったが、働き者の母と、面倒見の良い春瑠、やんちゃだが家族思いの大紀はお互いを支え合い、幸せな暮らしを送っていた。

 そんな暮らしに影が落ちたのは、春瑠の母が大神様(だいじんさま)と呼ばれる化け物――栖洛(すらぐ)に見染められてからだ。
 子供の生活は村に保証されたものの、親のいない生活は幼い二人には寂しく辛いものがあった。少しでも母の顔を見ようと春瑠と大紀は毎日神殿に通い続けた。母はすっかり痩せこけたが、二人がこっそりと会いに来てくれる時だけは微笑みを絶やさなかった。

 そんなある日の事、栖洛は春瑠に接見を求めた。春瑠は母と同じ場所で働けると思い、目を輝かせて神殿へ向かった。与えられた着物を着て行くと、暖簾の傍で母が泣きはらした顔で座っている。春瑠は不思議に思ったが、その涙が自分のための涙だったのだと知ったのは母が骨になってからだった。

 春瑠が巫女として働くための儀式を予定していた朝の事。春瑠と大紀が外に出るとそこには何かを引きずった後のような血痕が残されていた。それは高台に繋がる坂道から屋敷まで繋がっており、その中には血まみれの栖洛がいた。母は春瑠と大紀をこの村から逃がそうと、喰われながらも這いまわったのだ。
 村の人々は容赦なくそれを春瑠に伝えた。巫女という者の最期を知らせるためでもあった。
 春瑠は現実を受け止めきれずに泣き崩れ、大紀は”次は春瑠がこうなるのだ”と危惧した。力なく座り込んだ春瑠を村の男たちが栖洛の元へ引きずっていく。大紀は男たちを止めようと掴みかかったが子供が複数の大人の力に敵うはずもなく、儀式はあっけなく執り行われた。

 儀式の最中、顔をはらした大紀は屋敷の裏に座り込んでいた。
 屋敷中に響き渡る春瑠の悲鳴が永遠と聞こえるその場所で、膝に顔をうずめながら、力のない自分を呪って泣き続けた。



 儀式が終わると春瑠は軟禁され、大紀は栖洛の意志に歯向かった罰として家を追われ、誰もやりたがらない葬送の仕事や屋敷の触穢物処理などの仕事に従事させられた。顔を布で覆い始めたのもこの頃だ。

 それでも大紀は春瑠の傍で働けることに感謝した。今は自分にできることをやるのだと決め、毎日高台へ登っては清掃の仕事に励んだ。
 春瑠を一目見る事すら叶わなかったが、彼の頭に諦めるという文字はなかった。

 そのうちに季節は廻り、春瑠が巫女となったあの日と同じ季節がやって来た。
 いつものように大紀が高台の清掃をしていると、格子窓の向こうにぼんやりと座っている春瑠を見つけた。その瞳に光はなく、服も髪も乱れ、まるで別人のようだった。
 大紀は咄嗟に近くにあった花を摘んでその窓から散らすと、それに気がづいた春瑠の瞳に光が宿った。
 そして大紀の顔を見るやいなや、窓まで駆け寄り格子に腕をねじ込んで手を繋いだ。
 栖洛に見つかることを危惧して声は出せなかった。
 それでも優しげに微笑むその姿は元の春瑠そのものだった。

 その時、大紀は春瑠の笑顔を取り戻したいと心の底から思った。




 2人は時間を示し合わせて格子窓ごしに顔を合わせるようになった。
 大紀は毎日、美しいガラス玉や髪飾り、花を差し入れた。大紀の身分でそれらを手に入れるのは容易ではなかったが、春瑠の笑顔を見るためならばと手段を選ばなかった。
 毎日泣きながら奉仕を続けていた春瑠も、この時だけが日常を取り戻せる幸せな時間だった。

 今手の上で転がされているガラス玉も大紀が持ってきてくれた宝物の中の一つだ。
 心が乱れる時にこのガラス玉を握ると大紀が側に居てくれるような気がした。




 記憶の中の日々に目を輝かせていると

「春瑠」

 と、襖の向こうから名を呼ぶ声がした。それはおぞましく、この世のものとは思えぬ声色だった。
 春瑠はびくりと体を跳ねさせて小さく

「はい」

 と返事をして振り向く。
 するとそこには異形の者の触角がぬらぬらと体液を滴らせながら襖を開けている。

「明日、お前を喰う。その前に、今日はお前の力を存分に味わうとしよう」

 春瑠は唇を噛み、震えながら深々と頭を下げる。

「身に余る光栄でございます」
 春瑠(はる)は額に汗をにじませながら唸っていた。
 化け物に触れられる瞬間は何度経験しても全身が粟立つ。
 耐えるように強く目を瞑り、体を震わせた。

 二峯村(ふたみねむら)で大神様と崇められている化け物――栖洛(すらぐ)の顔には大小の触覚があり、10数本並ぶ大触覚の先には目がついている。その下には小さく平べったい小触覚、そして横に大きく広がる口。体の色は漆黒で、背中にはてんてんと赤色の斑点が浮かんでいた。全身に粘り気のある体液を纏い、月明かりに反射してぬらぬらと光る様はナメクジのようだ。
 その小触角を春瑠の足に滑らせながら少しずつ上に這い上がる。触角の下に開いた穴から触手を伸ばすと口の中にねじ込んだ。
 春瑠の体が桃色に発光すると、触手を通して光が吸い取られていく。春瑠はめまいと吐き気を催しながら意識を手放さんと必死に耐えた。

 以前意識を飛ばしたとき、春瑠が目を覚ますと一糸纏わぬ姿に透明の液体が纏わりついていた。それは体の表面どころか内側まで浸食し、体を動かすたびに中から溢れだした。自分の体に何をされたのか想像する事すら恐ろしく、余りのショックに毎日泣き続けた。
 だが意識があれば、栖洛は口以外を侵すことは無かった。

 口から触手を引き抜いた栖洛は、今度は春瑠の体を這って下へ下へと降りていく。小触角が下腹部で止まると春瑠は青ざめながら両足に力を込めた。その先を探るように小触角を押し込む栖洛に春瑠が必死に抵抗する。

「こちらの方が力を吸い上げやすい。力を抜きなさい」

「嫌!!!それだけは嫌!!!!!」

 何降りかまわず身を捩り抵抗する春瑠に、栖洛は複数の大触覚を春瑠の眼前に並べて言った。

「お前が大切にしているあの男を殺してやろうか?」

 春瑠の脳裏に大紀(だいき)の顔が浮かんだ。
 2人でこっそりと作り上げてきたあの時間も、栖洛には筒抜けだった。

「…………大紀を巻き込まないで」

 春瑠は大粒の涙をいくつも流しながら、全身から力を抜いてそれを受け入れる意思を見せた。

「いい子だ」

 栖洛は春瑠の体にねじ込むための触手をゆっくりと伸ばし始めた。
 春瑠は震える小さな手で顔を覆い隠した。



「もう我慢ならない!」

 その言葉と共に飛び込んだのは漆黒の衣装を身にまとった緋咲(ひさき)だった。
 天井から飛び降りると振りかぶった小刀で栖洛の頭を真っ二つにたたき割る。着地と同時にひらめく羽織を外して春瑠に投げ渡した。

「これを着て逃げなさい!」

 呆気に取られていた春瑠が緋咲を見つめたが、もう一度怒気を含ませた声で催促すると慌てて部屋を飛び出した。
 その間にも栖洛の頭は再生されていく。
 緋咲は舌打ちをしながらも春瑠が立ち去るのを見て微かに安堵の表情を見せた。


「旅の者……か。お前には強い力を感じていたが何者だ?」

「お前みたいな虫ケラに言う必要などない」

「あぁ、恐ろしい。だが……実に旨そうだ」

 栖洛が歯をむき出しにして笑う。

「アンタみたいに女を虚仮にする化け物が一番ムカつくのよ!」

 緋咲が小刀を構えて突進すると、栖洛の体中から触手が現われた。薙ぎ払いながら床を踏み込んで飛び上がり、一振りで目玉の着いた触角を全て切り落とす。
 ぼとぼとと音を立てて落ちた触角は意思を持ったようにうねうねと動き回り、着地した緋咲の体を浸食しようと纏わりついた。
 しかし緋咲は躊躇うこともなくそれらを鷲づかみにするとぶちぶちと引きちぎる。

「女の体に気安く触んな」

 その冷ややかな視線からは栖洛への嫌悪がありありと感じられた。
 枯れて縮んだ触角を捨て、踏みつけるともう一度栖洛に向かう。胴体を切り付けるが、桃色に発光した状態での自己回復力の速さは尋常ではなかった。切り落としたはずの触角も元の状態まで復元されている。

「家畜に過ぎん人間風情が!」

 体を再生させながら怒りに任せて緋咲を薙ぎ払うと、口の横からメリメリと皮膚を割いて複数の槍を出した。
 緋咲は片膝を着いた状態で放たれた槍を小刀で弾くが、大腿にそれが掠ると足元がグラついた。
 栖洛の体で生成された槍には体液と共に毒がまとわりついている。それは傷口からしびれを起こさせ感覚を鈍くしていった。

 ゆっくりと近づく栖洛に、隠し持っていた針を飛ばすもそれすら体に取り込んでしまう。

「こんなに手こずった女は初めてだ」

 口からよだれをだらだらと垂らしながら、緋咲の上にズシリと乗り上げた。

「お前なんかに誰が降伏するものか……!」

「まだ強がるか。愛いやつめ」

 密着した部分から触手が次々に生み出される。それは体をまさぐり服の隙間を探して蠢いた。

「気色悪い!」

 袖から取り出したクナイで触手を切り落としながら、もがき続ける。

「春瑠の母を思い出すなぁ。あいつも最後はひどく暴れていた」


 緋咲は春瑠の母親の事を嗣己伝てに聞いていた。
 こんな化け物を相手にしていたのだ。娘の運命を知った母の抵抗は想像を絶するものだっただろう。
 緋咲は脳裏にその姿を浮かべ、胸の奥で燻ぶる黒いものを感じた。

「あいつは口の中で溶けていきながら娘の名前を呼んでいた……護りたかったんだろうな」

 過去を振り返るようにぼんやりと天を仰いだ栖洛が喉奥を鳴らした。それからいくつもの目玉を細めて口元に笑みを浮かべると、嫌悪の視線を向ける緋咲に向かって叫んだ。

「娘の体は俺が隅々まで味わったけどなぁ!」

 栖洛の笑い声が部屋中に響く。
 その口の奥にはびっしりと並んだ歯が見える。それは喉の奥まで続く、途方もない数だ。
 この中に引き込まれた母親がどんなに傷ついた体で抜け出し、彼女の家まで這い回ったのか。
 緋咲は母の想いを想像して体を震わせると、瞳に紫の炎を宿した。

「いい加減にしなさいよ」

 声を絞り出すと同時に、緋咲の瞳は黒く、丸く変形していった。瞳孔は紫に染まり縦に長細く刻まれ、皮膚には鱗のような模様が薄っすらと浮かび上がる。
 押しつぶされて身動きを取れなかった緋咲の下半身が、服と皮を残してずるりと引き抜かれた。
 そこに足はなく、蛇のような胴体がうねうねと地を這っていた。
 嗣己(しき)の合図で屋敷へ向かった明継(あきつぐ)は、そこから飛び出してきた春瑠(はる)の姿を見て目を見開いた。
 その後ろについて来ていた大紀(だいき)が春瑠を抱きとめる。

「春瑠! 屋敷から出られたの!?」

「彼女が殺される! 誰か!」

 大紀の質問に答えるよりも先に、目に涙をためた春瑠が助けを求めた。


 春瑠が体に巻きつけている羽織は間違いなく緋咲(ひさき)の物だ。
 目の色を変えた明継が咄嗟に駆け出す。

「緋咲!」


 そんな明継の首根っこに、どこからともなく白い手が伸びた。

「お前には村に住み着く化け物を処分しろと言ったはずだ。緋咲に構うな」

 その声の主は嗣己だ。

「そういうわけにはいかないだろ!」

 明継が叫びながら暴れる。

「お前が入るとあいつが成長せんのだ!」

 珍しく怒りを含ませた声で嗣己が言い返した。

「緋咲を死なせるわけにいかないんだよ!」

「自分の身を守れない人間に霞月の仕事は務まらん。お前の行動は緋咲の立場を危うくするだけだといい加減理解しろ!」

 睨み合う2人の間を割って春瑠が声を上げる。

「言い合ってる場合ですか!? あいつは女性の体から力を抜き取るんです! はやく助けに行かないと!」

 大粒の涙を流す春瑠は必死にしがみついたが、それでも嗣己の目は冷たく彼女を見下ろすだけだ。

「下らん。貞操を捧げようが死ぬわけじゃない」

「はああ!?」

 明継が叫びともとれる声を上げ、

「やっぱり助けに行く!」

 と言って暴れ出すと、嗣己は面倒臭そうにため息をついた。

「お前はお前の仕事をしろ」

 そう言ったと同時に高台を駆け上がる複数の足音が聞こえてくる。
 明継が訝し気にその先を見つめると、武装した村人たちの群れが目に入った。

「大神様に逆らったのはお前らか!」

「大神様に何をしている!」

 村人たちは怒りの言葉をぶつけながら、恐ろしい形相で向かってくる。


「このタイミングで来るという事は蘇りの化け物どもだな」

 嗣己が言うと、明継が食い気味に問う。

「本当にあいつの分身なんだろうな!? 人間相手に殺しは嫌だぞ!」

「うるさいやつだな。俺が証明してやる」

 瞳に黒い炎を揺らめかせた嗣己が、印を結んだ手から火炎放射器のように炎を放つ。
 炎に包まれた者たちがあっという間に溶けていく様は明らかに人間ではなかった。

「げぇ、容赦なさすぎだろ」

 青ざめながら嗣己を見つめていた明継が腕に黒い霧をまとわせる。

「でも相手が化け物なら気が楽だ」

 両手を手甲鉤のように鋭く変形させると集団の中へ切り込んだ。
 瞳を黄金に塗り替えて、人とは思えぬスピードで敵の間をすり抜け、一瞬で肉塊にしていく。バラバラと地面に落ちた肉が溶けて地面にシミを作る。

 明継が戦闘に入ったのを確認した嗣己は、恐怖で固まっている大紀に春瑠を安全な場所に連れていくように指示をした。
 そして明継の頭上近くの木に空間移動で現れると

「後は任せた。せいぜい死なないようにな」

 と告げて消える。

 村の過半数ともいえる蘇りに囲まれていた明継は

「はぁ!? この人数を一人でやらせるか!?」

 と文句を言いつつ、鎌を振りかぶって来た男を蹴とばし、斧を振り回す相手を跳ねのける。
 せわしなく敵の相手をしながらも

「嗣己のバカヤロー!」

 と、叫びを村にとどろかせた。
 脱皮した緋咲(ひさき)の下半身は鱗で覆われ、一枚一枚が白銀色に輝いた。
 うねりながら猛スピードで近づいてくる緋咲に栖洛(すらぐ)は複数の槍を放つが、鱗がそれを跳ね返す。
 槍が上半身の皮膚を裂いたとしても、緋咲の体に変化は現われなかった。

「なぜ効かんのだ!」

 栖洛が唸るようにそう言うと

「毒をもって毒を制すって言葉、知らないの?」

 と笑った。

 緋咲は尾を伸ばしながら栖洛の体にとぐろを巻いて登っていく。全身を締めあげながら頭部までたどり着くと、小触角のあたりを手でまさぐった。
 栖洛は抵抗するように体を壁に打ち付け緋咲を挟み込むが、彼女が怯むことはなかった。


「恥ずかしい穴、みぃつけた♡」

 緋咲は熱を帯びた声を出すと同時に、探し当てた栖洛の”穴”に腕を無理やりねじ込む。

「なに、を!?」

「アンタだって女の子に散々こういうことしてきたんでしょう?」

 力任せに肉壁を広げて拳を奥へ押し込んでいく。

「う、うぐうううううううう」

 苦しみもだえる栖洛に緋咲の目はらんらんと輝いた。
 腕をねじ込んだ部分に桃色の光が集まる。

「ここから引き出すと、効率がいいのよねぇ? ナメクジちゃん♡」

 力を吸い上げる程に緋咲の瞳がとろけていく。
 徐々に吸収が悪くなると、栖洛の体から力が抜けた。
 それを感じとった緋咲の口が耳まで裂ける。美しく並んだ歯列の犬歯を不釣り合いなほどに長く鋭く変形させると、栖洛の頭に突き立てた。
 栖洛は声を出す気力すらなく体を震わすと床に崩れ落ちた。

 緋咲が牙を引き抜くと同時に歯と口の形状も元に戻っていく。
 痙攣したままの相手を見下して、とぐろを解きながら床へ滑り降りた。




「あー……キモかった」

 頭をうなだれて座り込む緋咲の目が徐々に人間の物へと戻っていく。
 蛇のような下半身も、いつの間にかほっそりとした女性の姿に戻っていた。

 緋咲がそのまま放心していると、目の前の空間が歪んで嗣己(しき)が現れた。
 短く悲鳴を上げて、投げ出していた足を着物の中にしまい込む。

「化け物同士の醜い争い、実に面白かった」

 嗣己はそう言いながらしゃがみ込むと、緋咲と目線を合わせる。

「は!? アンタもしかしてボーっと見てたの!? こっちは色んな意味でヤられかけたんだからね!?」

「俺が手を出さなかったおかげで覚醒したんだろう? 貞操も守れたし良かったじゃないか」

 そう言って笑みを浮かべる嗣己に、緋咲が眉を吊り上げて叫んだ。

「大っ嫌い!!」





 緋咲が服を整えている間、嗣己は栖洛の様子を窺っていた。ようやく体の痙攣が止まって息を引き取ると、あっという間に小さなナメクジに戻った。

「うそ……元はこれってこと?」

 身なりを整えた緋咲が覗き込む。

「さあな。この化け物がどうやって造られたかなんて俺には分からん」

 嗣己が瞳に黒い炎を灯して栖洛の体を焼き尽くした。


「いい加減、明継が死んでいないか確認に行くか」

「は!?」

 立ち上がり、体を翻す嗣己に緋咲が目を丸くした。

「なんで危険だってわかってて置いてくるのよ!」

「明継の世話より化け物同士の戦いを見る方が面白いからな」

「そういうとこ!!!」

 緋咲は慌てて嗣己の後を追いかけた。







 明継(あきつぐ)は朝日を浴びながら、木陰で休息を取っていた。
 彼の周りに大量に存在した蘇りの姿は既に無く、村は静けさを取り戻している。蘇りの本体である栖洛が消滅したことで分身も消えてしまったようだ。

 自己回復能力に身を任せて天を仰いでいた明継は、視界に緋咲が入った途端に勢いよく体を起こした。

「緋咲! 無事だったのか!」

「何とかね」

 ピースサインを掲げていたずらっぽく笑う緋咲は明継が想像していたよりもずっと元気そうだ。
 安堵の表情を浮かべた明継は木に寄りかかろうと体の力を抜いたが、その後ろに嗣己の姿を確認するともう一度身を乗り出して叫んだ。

「嗣己! 急にいなくなりやがって! ふざけんな!」

「生きていたのか。お前がいなくなれば静かになると思ったんだがな。残念だ」

「言っていいことと悪いことがあるぞ!」

 噛みついてくる明継に嗣己が笑みを浮かべたところに、避難していた大紀(だいき)春瑠(はる)が顔を見せた。



「皆さん、ありがとうございました」

 駆け寄った春瑠が深々とお辞儀をすると、緋咲の顔を見て表情を曇らせた。
 緋咲は不思議そうに首をかしげて笑みを見せたが、春瑠の視線はその顔や体についた傷へ向かっている。

「私のせいで傷を負わせてしまってごめんなさい」

 そう言って緋咲の手を握り、目をつぶると桃色の光がふわりと体を包んだ。緋咲の傷がみるみるうちに治っていく。


「お前の力は回復に特化しているのか」

 春瑠の力を目の当たりにした嗣己が興味深そうに言った。
 緋咲も驚いて嗣己に問いかける。

「化け物の自己回復力が異常だったのは春瑠の力の影響?」

「そうだろうな。生贄で脂肪を蓄え、回復力も吸っていたからあんなにでかくなったんだ」

 すっかり全身の傷が癒えた明継がそこに合流して、感心するように呟く。

「春瑠は他人も治せるのか」

「お前の能力より使えるな」

 嗣己が意地悪く返すと、また小競り合いが始まった。


「相変わらず仲いいなぁ」

 それを大紀がほのぼのと見て笑うのであった。





 春瑠と大紀が身支度を済ませると、5人は霞月(かげつ)に向けて村を出発した。
 5人で村の門をくぐり抜けると緋咲が足を止めて振り返る。
 この騒動で二峯村(ふたみねむら)は人口が半分以下に減り、崇拝先も見失ったためか一気に活気を失った。

「信仰心っていうのは厄介ね。あんな神様でも信じる者には希望を与えていたんだもの」

 緋咲は自分のしたことが正しい事だったのか分からなくなっていた。
 春瑠を助けたことに後悔はない。だが悲しみに包まれた村を見れば、栖洛を殺すことだけが正解とは言い切れなかった。

「あいつは村人の心を救っていたかもしれないが、春瑠のような人間がその犠牲になっていた事も事実だ。お前が思い悩む必要はない」

 独り言のように呟いた緋咲の言葉に嗣己が声をかける。
 緋咲は困ったように微笑んだ。

「やっぱり、アンタの事はよくわかんないわ」

 嗣己はそれに返事をすることなく、

「行くぞ」

 と短く告げて歩き始めた。
 二峯村(ふたみねむら)の一件から半年ほどが経った。

 力の覚醒をした明継(あきつぐ)緋咲(ひさき)はその半年間、毎日のように里の外へ任務に出ている。その内容は化け物退治から下見、調査、単なる雑用まで様々だ。
 里に滞在できても鍛錬、勉学、書類整理で忙しく、休みは無いに等しかった。

 任務を終えた二人は今日も疲れ切った顔で霞月(かげつ)の門をくぐった。
 複数の頭がついた鳥の化け物を処分してきた二人は体中に羽を付けながら、ついばまれたボサボサの頭で帰って来た。


「空間移動が羨ましい」

「お風呂とお布団が恋しい……」


 明継と緋咲がぼやいていると、春瑠(はる)の甘ったるい声が耳に届いた。

「緋咲さ~ん♡」

 一直線に駆けてくる春瑠が緋咲の胸にダイブする。

「お疲れ様です!」

 桃色の軟らかな光が緋咲を包み込み、傷を癒した。


 明継は春瑠の懐きようを遠目で見ながら、その容姿の変貌につい釘付けになってしまう。
 春瑠は霞月に移住してまもなくすると、二峯村にいた頃の面影を感じさせないほど見違えた。
 色艶をなくし乱雑に結ばれていた髪はしっかりと手入れがされて艶やかで、毎日髪型を変えては愛らしい顔立ちに花を添えている。パステルカラーでまとめられた優しい色合いの着物を纏い、大きな瞳で笑顔を振りまく姿は、お人形に命を吹き込んだような、そんな可愛らしさだ。


「あ、明継さん。私が作った新薬です。良かったら試してみてください」

 その視線に気が付いた春瑠が薬の入った袋を明継に渡した。

「また俺が実験台か……」


 春瑠は霞月で薬の開発に熱を注いでいる。
 それは彼女が回復術に長けた能力を持っていることと、薬学や医学への飲み込みの早さをクグイに見込まれたからだ。
 クグイの指導を受ける者は長続きしないというのが能力者の中での定説だったが、春瑠はよほど相性が良かったのか毎日楽しそうに医務室に通っている。


「これを飲んだら疲れが吹っ飛んじゃって、2~3日は寝なくてもお仕事できますよ♪」

「効果が強すぎて怖いわ!」

 春瑠の笑顔がなんとなくクグイに似てきた。
 明継はそんな思いを胸に秘めながら、渡された袋の中身を覗き込んでため息をついた。


「春瑠。そろそろ離してもらっていいかしら?」

 緋咲がタイミングを見計らって優しく聞いた。

「はい♪ じゃあお家まで一緒に戻りましょう」


 春瑠は二峯村で助けてもらった事をきっかけに緋咲にべったりだ。
 試験通過後に家を与えられた明継は緋咲と一緒に長屋に移り、隣人となった。緋咲の家に頻繁に出入りする春瑠の事ももちろん知っている。
 同性ならと安心していたが毎朝帰りを待ちわびて門の前で待っている彼女を見ると、なんだか緋咲のプライベートにも入りにくくなってしまった。

 緋咲から体を離した春瑠は手を繋いで嬉しそうに微笑んだ。
 小さくなっていく2人の背中を見送りながら、明継が呟く。

「あ、なんか寂しい……」

 いつも一緒にいた幼馴染が恋人を作ってしまう感覚はこんな感じなんだろうかなどと思いを巡らせていると、


「明継よけてえぇえっ!」


 背後から人が飛んできた。
 明継を下敷きにして美しく着地したのは大紀(だいき)だ。

「お前なぁ! 俺じゃなきゃ死んでたぞ!」

「ごめんごめん。明継がいるなーと思って飛び降りたら命中しちゃった」

 大紀は明継の上から飛び退くと、苦笑いを浮かべて謝った。そして起き上がった明継に怪我がないのを知ると、ほっとした様子を見せて笑う。
 そんな大紀の表情に、明継は見惚れた。

「なに? やっぱりどっか痛む?」

「あ、いや。大紀の顔の布が取れてよかったなって」

 心配そうに覗き込んできた大紀に明継が慌てて首を振った。

「あ……えへへ。まだちょっと恥ずかしいけど」


 二峯村を出た大紀に顔の布を取るように言ったのは明継だ。二峯村で共に食事をとった明継は目鼻立ちのくっきりした大紀の顔立ちを知っていた。息苦しさもあるだろうと軽い気持ちで提案したのだが、長い間顔を隠して生活したせいか、大紀は皆の前で顔を見せることに抵抗を持っているようだった。
 それを心配した明継は大紀の身の回りの世話をするついでに通常の生活が送れるように色々と気を回してきたのだ。
 その布を取れたのもごく最近のことだった。

「やっぱりお前の笑顔は人を幸せにするよ」

 照れくさそうに笑う大紀を明継が優しい表情で見つめた。


「そういえば緋咲は?」

「もう春瑠に連れ去られた。大紀は任務か?」

「ううん! 訓練前のウォーミングアップしてただけ」


 大紀は穏平(やすひら)の下で指導を受けている。
 訓練前にはいつもこのあたりの木々や建物を縦横無尽に駆け巡り、体を温めているのだ。
 力の開花は未だみられないが、それだけの身体能力を持っているため偵察や下調べなど、それほど危険度の高くない任務へは既に出ている。

「次の任務の事聞いてる?」

「いや?」

 大紀の質問に明継が返答すると

「実は、明継たちの任務に僕も同行するのが決まったんだ」

 と、どこか誇らしげな表情の大紀が答えた。そんな大紀が可愛くて、明継も思わず顔を綻ばせてしまう。

「そうか。こんなに早く一緒に任務に行くなんて思わなかった。内容は聞いているのか?」

「うん。音信不通になってる村があるから見てきてほしいって」

「偵察ってことか……その内容で4人も?」

「んー。編成の理由までは教えてくれてないんだよね」

「そうか……」

 霞月の秘密主義には困ったものだ、と明継は思った。幹部になれば別なのだろうが、末端の明継たちには語られないことが多い。
 化け物が能力者の力を好んで吸い取ることすら二峯の一件で知ったのだ。
 明継の表情に大紀も不安そうに眉尻を下げる。
 それに気がついた明継が取り繕うように笑みを見せた。

「俺が守ってやるから安心しろ。それに……嗣己(しき)は嫌なヤツだけど頼りにはなるから」

「明継って嗣己の事、信頼してるんだね」

 目を輝かせて言う大紀に明継が不思議そうに首を傾げた。

「え? 全然してないけど」

「どっちなの?」

 ちぐはぐな態度に大紀が笑う。その笑顔に明継の表情が和らいだ。



 寂池村(じゃくちむら)と呼ばれる自然豊かな村に、3人の男が訪れた。
 彼らが村の門をくぐると村長が出迎え、引きつった笑みで深々と頭を下げた。村長の態度から、3人のうちの1人は霞月(かげつ)の使者で、この村がその統治下にある事がわかる。
 そしてその使者に連れられた残りの2人は10代半ばの少年たちだ。落ち着いた雰囲気で、実年齢より少し大人びて見える。

清光(きよみつ)元晴(もとはる)。挨拶しなさい」

 2人は名前を呼ばれると丁寧に挨拶をした。
 優し気な瞳に微笑みを浮かべる清光と、切れ長の瞳で気の強さを漂わせる元晴。2人はほとんど同じ造りの顔だがその性格は正反対に思えた。
 村長はにっこりと笑うと感心するように何度か頷いた。

 使者は指定された寂池村の家に2人を放り込み金を渡すとさっさと帰っていった。右も左もわからない村に置いて行かれた清光と元晴は泣きもわめきもしなかった。
 なぜなら二人の記憶は寂池村へ向かう道中から始まり、やっと人生のウォーミングアップが済んだところだったからだ。

 二人はさっそく生活を始めた。働くことも必要なく、気心の知れた兄弟で自分たちが生きるために好きなように生活をする。それだけだった。
 贅沢はできなくとも、その生活に不自由は無かった。

 そんな生活が数年続いたある日の事だった。
 清光は買い物帰りに民家が集まる道を歩いていた。
 この一帯は家族層が多く、子供が活発に遊びまわっている。その様子に顔を綻ばせながら帰路についていた清光は、突然響き渡った男の怒号と子供の泣きわめく声に足を止めた。
 その音の方向へ清光が目を向けると、民家から子供を抱いた女が転げるように飛び出した。
 あざだらけの体で縋るように周りを見回すが、
 それに応えようとする者はいない。
 のしのしと家の中から現れた男が、叫びながら震える女の顔を殴る。
 異様な光景に立ち尽くした清光が周りを見回せば、大人たちは見て見ぬふりで通り過ぎ、眉を潜めて囁き合っているだけだ。

 女を蹴り飛ばした男は、その腕に抱かれた子供に拳を振り上げた。
 清光は考えるよりも先に体が動き出し、男と子供の間に体をねじ込む。その拳を腹に受け、重い衝撃にうずくまると、また子供が大きな声で泣き叫んだ。
 男は口汚く清光を罵り何度も体を蹴とばす。痛みに顔を歪める清光の意識が朦朧としてくると、瞳に青い炎が揺らめいた。彼の周りに立ち上がった人影は鎧を纏った武士のようなシルエットへと変化し、それが腕を振り下ろすと、目の前の男の体がばらりと裂けて崩れ落ちた。
 清光は訳が分からずその肉塊をしばらく見つめたが、周囲のどよめきが耳に届くと震える足で走り去った。

 清光は自宅へ戻ると元晴の胸に飛び込んだ。
 土埃と痣にまみれ、べっとりと血でぬれている清光の姿に元晴は動揺しつつも、理由を聞くのをぐっとこらえて、落ち着かせるように抱きしめ返した。






 次の朝。元晴は様子を窺いながら清光に涙の理由を聞いた。
 それはずいぶんと現実離れした話だ。


「……お前が殺したと言っても、それをやったのは……影だろ?」

 しばらく考えた後、元晴がそう言った。

「そうだけど……その影は僕の体から出てきたんだ」

 弱々しく言う清光は不安そうに視線を泳がせた。

「お前が刀でも持って真っ二つにしたのか?」

「違う!」

「じゃあそれは影に責任があるな。お前が気にする事じゃない」

 そう言う元晴の顔を見て清光は目を瞬かせた。

「男は清廉潔白だったか? いつもニコニコと笑って虫も殺さない?」

「僕はその人を初めて見たし……女性と子供にひどいことを……してた……けど」

「じゃあしかたないな」

 何が仕方ないというのか。
 清光はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。

 罪の意識で押し潰されそうだった清光はそんな元晴に少し救われながらも、肩透かしを食らったような気持ちになった。
 元晴がうーんと唸る。

「俺にも変な力がある」

「僕は本当の話をしているんだぞ? 揶揄わないでくれよ」

 困惑した表情で清光が抗議したが、元晴の目は至って真剣だ。



「外に人がいるだろ?」

 清光が人の視線を怖がって光を通すために1枚しか開けられなかった雨戸から二人は外を窺った。視線の先では男女2人が畑仕事をしている。
 自宅の敷地を越えて幾つかの道と畑を挟んだ先にある畑だ。人の大きさは小指の先くらいしか無い。
 元晴が深紅の目に力を込めると、虹彩の色がじわじわと黄金へと変化する。すると畑仕事をしていた男女の動きがピタリと止まり、今度はこちらに向かって大きく腕を振り始めた。
 清光は驚いて身を隠したが、元晴はそんな清光を見ていたずらっぽく笑った。

「これ、俺の変な力」
 寂池村(じゃくちむら)では夜な夜な集会が行われていた。
 そこには村長と、あの瞬間に立ち会った者、そして村の有力者たちがいる。
 皆は額を合わせて話し合った。内容はもちろん、あの双子の今後についてだ。

「あんな子供、ずっと置いておくのは恐ろしい」

 現場を目の当たりにした者が震えながら言った。

「本当にそんなことができるのならば、殺すことも難しいのではないか?」

 村長が不安そうに皆の顔を見回した。

「あいつは自分で影を生み出しておきながら、呆けていたのだろう? もしかしたら悪魔付きかもしれん」

 初老の男が言った。

「自分では操れん力という事か?」

霞月(かげつ)が寄越した子供だ。何があっても不思議ではないが……ただ、殺しては何をされるか」

「あれは捨て子も同然よ」

「いや、まて。力を操れたらどうするつもりだ?」

 皆が口々に討論をしだすと、今まで黙っていた大柄な男が床を拳で一突きした。
 皆の視線が男に集まると、口の端を上げて大声を上げた。

「それは殺しに行かんと分からんだろう!」




 清光(きよみつ)が逃げ去ってから3回目の夜が来た。
 誰もが眠る時刻、双子の家の周りには村人たちが集まっていた。彼らは家のカギをこじ開け、室内に忍び込む。
 先頭を行くのは大柄な男。彼は昔から力が強く、豪快な性格も相まって喧嘩は負け知らずだった。そのせいか、寝室にたどり着いて布団の中に眠る華奢な2人を見下ろすと、

 こんなか弱い者に何ができるのか。

 と、静かに息を吐いた。

 男は懐から短刀を取り出し、照準を定めて腕をふり上げた。
 その刃先が闇夜にきらりと光ると同時に元晴(もとはる)の瞳が見開く。
 黄金の瞳は光り輝き、暗闇に浮かんで見えた。

 思わず男は
「ひっ」
 と声を出したが、次の瞬間には腕をだらんと垂らして、瞳は無気力にくすんだ。

「お前ら、何をしに来た?」

 起き上がった元晴がゆっくりとした口調で問う。
 呆気に取られて何も言えないでいる大人たちにしびれを切らして、元晴はもう一度目に力を込めた。
 腕を垂らして身動き一つ取らなかった男がゆっくりとした動作で立ち上がる。
 土間へフラフラと降り、そして短刀を自分の首に押し当てると一気に引いた。血しぶきが舞い、膝を床に打ち付けて倒れる。

「こうなりたくないなら清光を殺そうなどと二度と思うな」

 元晴が村人たちを見つめると、男の死体を回収して家から出ていった。
 皆の意識が元に戻ったのは家の扉が閉まって元晴の視線が遮られてからだ。

 村人たちは2人を恐れた。
 しかし共存していく自信もなかった。
 何が逆鱗に触れ、自分たちを死に至らしめるのか分からない存在を匿って生活するなど生きた心地がしなかった。
 村人たちは何度か集会を開いては計画を練った。それから何日も監視を続けて元晴が1人になる瞬間に目星を付け、力尽くで捕らえる。あらかじめ用意しておいた布で彼の目を覆って連れ去れば、その力は発揮されなかった。

 元晴が姿を消した事に清光が気が付いたのはその十数分後。
 わずかな時間ではあったが、何の手掛かりも無い清光が元晴の行方を突き止めるには時間を要した。
 手当たり次第に捜索し、ようやくたどり着いたのは村のはずれにある大きな蔵だ。
 それは村の祭事で使われる道具が保管されている場所で、必要がない限り人は寄り付かない。

 普段はがっちりと鎖が巻かれている扉が今日は薄く開いていた。違和感を感じた清光がそこから中を覗き込めば、目隠しをして後ろ手に縛られた元晴が見えた。その着物は着崩れて、体中に痣ができている。それを見下ろす村人たちの声や動き、ひとつひとつに怯える様子はこの数時間に受けた仕打ちを容易に想像させた。
 しゃがみ込んだ男が元晴の顔をしげしげと見つめ、力が使えないことを確認すると

「こいつは目がなければ何もできん。潰してしまえ」

 そう言った。

 清光は目を見開くと、慌てて蔵の裏へ走った。

 男の言葉に顔を青ざめた元晴が叫び、暴れる。
 頭を力任せに固定して、刃物を持った男が元晴の目に狙いを定めた。

 蔵に忍び込んだ清光が駆け寄ると、見張りの男が清光を取り押さえて叫ぶ。

「はやくやれ!」

「やめろ!!! やめてくれ!!!!」

 羽交締めにされた状態で清光が悲痛の叫びを上げると、元晴が布の下で目を見開く。

「清光!? ばか、来るな!!」

 元晴が震えた声で叫ぶが、清光の脳内に響いたのは元晴のか細い声だった。


『怖い……助けて……』


 清光の理性が飛んだ。




 蔵の中の影という影が人の形に伸びていく。それは村人たちの体から伸びた影も例外ではない。
 人型になった影がそれぞれの武器を握りしめ、一斉に村人たちを切り刻んだ。
 膝から崩れ落ちた清光は、人間が肉塊になっていく様に強い快感を感じて口元に弧を描いた。

 蔵の中に肉が散らばった頃、今度は村中に影が現われて人を切り刻んだ。
 蔵の外で起こっている事が清光の脳内に映像として流れ込んでくる。


「ぁ……だめ……だめ!」

 我に返った清光が腕で体を押さえつけても影の暴走は止められなかった。
 赤黒い塊の中で泣きじゃくる清光に駆け寄った元晴がその体を強く揺さぶった。

「清光!」

「元晴、どうしよう……みんな死んじゃった……元晴……」

「清光! 聞こえるか!? なぁ、おい!」

「元晴……生きて……?」

 清光の視線が元晴の顔に定まると、また大粒の涙がぼろぼろとこぼれた。

「生きてる……生きてるよ。こんな事させてごめん」

 元晴が清光を抱きしめる。清光も抱きしめ返すと徐々に体の震えが止まり、同時に影も消失した。



 蔵から出ると、外はすっかり日が暮れて村は暗闇に溶け込んでいた。

 家までの道のりを、2人は手を繋いで帰る。
 人のいない村と言うのはやけに静かで、星が美しく輝いて見えた。
 嗣己(しき)明継(あきつぐ)緋咲(ひさき)に大紀を加えた霞月(かげつ)の4人は寂池村(じゃくちむら)へ足を踏み入れた。
 田畑は管理されずに朽ち果て、作物は動物に食い荒らされている。そこら中に鳥が留まって餌を狙い、野生動物は民家を生活の拠点にしていた。
 寂池村は自然豊かで人が多い村だった。今や、その面影はどこにもない。

「緋咲、何かいるか?」

 嗣己が村を見渡して問う。

「恐らく2つ。村の中の方が力は強そうね。山の中にもう1つ……だけど、さすがに正確な場所は割り出せないわ」


「2人で住むには広すぎる村だな」

 と、嗣己が独り言のように呟くと、大紀に村を囲む山の偵察を指示した。

「ここに何がいるんだ? 1人で行かせて大丈夫なのか?」

 心配そうに問う明継に嗣己は

「恐らく化け物じゃない。能力者だ」

 と、答えると緋咲に視線を向けて彼女が頷くのを確認した。

「山の捜索は大紀でなければ時間がかかる。やむを得ん」

 それから大紀を見て

「お前は戦闘能力が無いに等しい。対象を見つけても接触はするな」

 と念を押した。
 山へ向かった大紀を心配そうに見つめる明継に嗣己が向き直る。

「明継。お前は民家を覗いてこい」

「ん? わかった」

 明継は嗣己に言われるままに近場の民家を覗きに行くと、中から立ち込める異臭に顔を歪めた。袖で鼻を抑えながら土間に入ると、その異臭は足を進めるほどに強烈になっていく。
 部屋に繋がる引き戸の隙間から中を覗けばそこには動物に食い荒らされた青白い何かがいくつも落ちている。大半は鋭利な刃物で切り離されたような断面を見せていて、それが人間のバラバラ死体だと認識できるまでには時間が必要だった。
 明継は胃の不快感を感じて民家を飛び出した。

「ひどい有様だろ」

「お前、何があるかわかってたな!?」

 その様子に薄ら笑いを浮かべた嗣己に明継が抗議する。
 しかし、顔を青ざめた明継には、それ以上彼を咎める気力もないようだ。

「誰かを秘密裏に痛めつけるなら、どこでする?」

 明継の背中をさする緋咲を見つめて嗣己が問いかける。

「私なら行事品をしまう蔵ね。行事がなければ人は来ないし頑丈な鍵もついてる。都合がいいわ」







 村のはずれまで行くと、そこには大きな蔵があった。
 扉に手をかけた明継は、先ほどの臭いをまた感じ取って顔を顰める。

「この村はどうなってんだよ」

 扉を開いた先には大量の肉が転がっていた。
 蛆が這いまわり、ハエが飛ぶ。明継は中に入る気になれず早々に扉を閉めて振り返る。緋咲の名前を呼ぼうとしたが、2人の視線の先にある、少年の姿にその言葉を飲み込んだ。
 大紀(だいき)は自然豊かな山の中を軽快に駆け抜けた。
 赤く染まり始めた山は美しく、穏やかな日差しと涼しくなり始めた軟らかな風が体を通り抜ける。楽し気に木々に飛び移りながら林を抜けると、その先には美しい小川があった。

 大紀が木の上から見下ろした小川は、太陽光を反射してキラキラと輝く。
 そこに、黒髪の少年が見えた。

 咄嗟に身をひそめてその少年を目で追いかける。上半身を屈めていた少年が体を起こして背中を伸ばすように上を向き、その美しい顔を太陽に晒した。
 それに吸い寄せられるように大紀が身を乗り出した。バランスを崩した足が木から滑り落ちる。体から遠ざかる木を掴もうと慌てて腕を振り回したが、努力の甲斐なく茂みの上に大きな物音を立てて落下してしまった。

 反射的に瞑っていた目を開くと、いつの間にこちらへ来たのか、見惚れていた美しい顔が目の前にある。
 彼の瞳は吸い込まれそうなほどの美しさで輝きを放っていた。

「きれー……」

 大紀は頭に浮かんだままの言葉を発した。
 その声を聞いた少年――元晴(もとはる)の表情に困惑の色が浮かぶ。

「なぜ動ける?」

 独り言のように呟いた。
 人を操る力で生き延びた元晴は、力が通じない相手を初めて前にして恐怖よりも焦りの感情を大きくした。

 この村で起こったことを知られては自分たちの静かな生活を奪われかねない。

 そう思ったからだ。
 腰に携えていた狩猟用の短刀を咄嗟に取り出した。戦う技術を持たない元晴は短刀を大きく持ち上げ、大紀目掛けて振り下ろす。

「あっぶない!」

 声を上げて大紀が転がった。
 元晴が大紀をキッと睨んで短刀を握り直し、振り回す。

「さっそく約束破っちゃったかも……」

 嗣己(しき)の顔を思い浮かべながら大紀は苦笑し、構えを取った。

 元晴の短刀が大紀の頭目掛けて振り下ろされる。元晴の横へ入り込むように体を捌きながら短刀を握りこんだ手を手のひらで受け、元晴の肩を後ろへ回してその中をくぐり抜ける。相手がバランスを崩したところでうつぶせに拘束し、短刀を奪って腕を捻り上げた。

 穏平(やすひら)の指導を受け続けた半年間、大紀は護身術を叩きこまれていた。

 それにしてもこんなに上手くいくとは。

 大紀は元晴を制圧しながらも、自分の能力が信じられないといった表情を見せた。

「お前何者だ! なんで俺の力が効かない!?」

 自由を奪われながらも元晴の瞳は光を失わなかった。固定された腕を解こうと抵抗するが、それはいたずらに体力を消耗するだけだ。
 大紀はその姿に罪悪感を感じて表情を曇らせた。

「うーん……。キミが暴れないなら解いてあげてもいいんだけど」

 困ったようにそう言うと、元晴はしばしの間を置いてから体の力を抜いた。

「……分かった。約束する」

 その言葉を聞いて安堵の笑みを零した大紀にあっさりと解放された元晴は、立ち上がると同時に一目散に走り出した。

「清光……!」

「清光って子がいるの?」

「あぁ!?」

 目の前の木の枝にぶら下がる大紀に元晴が声を上げる。
 急ブレーキをかけた足がもつれてその場に尻もちをついた。

「そんなに急いだら危ないよ」

木から降りた大紀が元晴を覗き込み、手を差し出して微笑んだ。

「お前……何なんだよ」



 大紀を撒くのを諦めた元晴は小川に戻ると着物や体を洗いはじめた。

 どうやらこいつは清光の存在を知らないようだ。ずいぶんと呑気な性格だし、ご希望通りに自分が引き留めた方が清光も安全だろう。

 そう思った元晴は、近くの岩場に座って自分を眺める大紀を追い払うこともしなかった。

「ねぇ、さっき言ってた清光って誰?」

 うんともすんとも言わない元晴を気にするそぶりも見せず、大紀が話しかけ続ける。

「血は繋がってないけど、僕にも春瑠(はる)っていう大事な子がいるよ」

 春瑠を思い浮かべる大紀の笑顔は幸せそうだ。

「……仲はいいのか?」

 その表情を見た元晴が、しばらく間をおいてから返事した。

「うん。色々あったけど、今は一緒に暮らしてる。春瑠の笑顔を見るとほっとするんだ」

 大紀と視線を交わした元晴が短く言い放つ。

「双子だ」

「そうなんだ! じゃあ元晴みたいに綺麗な子なんだね」

 しつこく聞いてようやく教えてもらえた名前を待ちわびたように呼び、笑顔を輝かせる大紀に元晴は顔を顰めた。

「おまえさぁ、俺に綺麗って言うのやめろよ。きもちわりいよ」

「いいじゃん。事実でしょ?」

 何がいけないのかと、首を傾げた大紀が元晴の瞳を見つめ、うっとりとした声で続ける。

「元晴の目がキラキラするのも綺麗で好きだよ」

 元晴はその言葉に複雑な思いを抱いた。自分の瞳を綺麗だと思った事がなかったからだ。
 人間離れした能力に反応して体の一部が異常な動きを見せる。元晴は自分の体ながらも、それを気味の悪いものだと感じて嫌っていた。

「俺は嫌いだよ」

「そうなの? ……じゃあ、元晴の分も僕が大切にするよ」

 困惑した元晴が視線を向けると、大紀は穏やかな笑顔を返した。



「お前、どこからきたんだ? 服も綺麗だし迷い込んだ訳じゃないんだろ」

 話題を変えようとした元晴が問うと、大紀は気まずそうに目を泳がせて嗣己の顔を思い浮かべた。

 さすがにこの質問に答えるのはまずいかもしれない。

 そう判断した大紀が視線を戻すと、いつのまにか目の前に現れた元晴が顔をグッと近づけて疑いの視線を向けていた。

「何考えてた?」

「えっいや……」

 深紅の瞳にまっすぐ見つめられて、大紀がわかりやすく動揺する。
 その隙を見て元晴が大紀の脇腹に手を回した。

「あっ! ちょ、何するの!?」

 体を這う元晴の指が大紀の身を捩らせた。

「オラッ、何しにきたか言え!」

「ひっやめ、て! やはははひぃっやめっ、はは、ヒィイ」

 予想のつかない動きをする指に翻弄されて大紀の笑いが止まらなくなる。元晴も楽しそうに笑うと今度は大紀の腕が伸びて、お返しと言わんばかりにくすぐられる。
 体を捩ってじゃれ合う二人は年相応の無邪気さを取り戻していた。


 ひとしきりじゃれ合うと、笑いとくすぐりに疲れた二人が横並びで寝ころんだ。

「こんなに笑ったの久しぶりかも」

 空を見上げながらぽつりと呟いた元晴に、大紀は村の様子を思い出した。

 元晴に一体何があったのか? 明継(あきつぐ)たちに春瑠を助けてもらった時のように、今度は自分が元晴の役に立ちたい。

 その思いが強くなっていく。

「元晴、僕……」

 大紀の言葉を遮るように、元晴が勢いよく起き上がった。そして唐突に走り出す。

「どうしたの!?」

 慌てて追いかけた大紀が聞くと、元晴が声を張り上げた。

「清光が力を使ってる!」