不倫ごっこのはざまで―あなたならどうしますか?

3月14日(日)ホテルのロビーから実家へ電話を入れる。母親にこれから大阪へ帰るが、変わりがないかを確認する。2日間の手伝いのお礼を言われた。これで安心して戻れる。それから、夫の(つとむ)に電話を入れる。

「これから9時54分の特急で帰ります。京都駅には12時9分着、家には1時過ぎには着けると思います。いつものように夕食にお弁当を買って帰るけど、ほかにほしいものは?」

「お母さんの様子は?」

「ええ、いつものとおり、家の掃除や片づけを手伝ったけど、ものが多すぎて整理できなくて。使わなくなったものがいっぱいあるけど、なかなか捨てさせないから」

「お母さんの思い出の品も多いのだろう。喧嘩しないで根気よくやることだね。お土産はお弁当のほかにおいしそうな和菓子、特に最中を何種類か買ってきてくれないか?」

(りょう)の様子はどう?」

「二人でゲームをして遊んでいた。なかなか亮に勝てない」

「ゲームばかりしていないで勉強も見てやってよ、お願い」

「パパのごはんがおいしくないといって困っている。早く帰って来てくれ」

「分かった」

帰省すると帰り際に母親が生活の足しにとお金をくれる。一回は断るけど二回言われるとありがたくいただいている。それでお土産を買って、残りはお小遣いにしている。

母は父の遺族年金と自身の年金が入るし、それに父の生命保険金があった。特段、生活に不自由している様子はない。それでこちらも援助の必要もなく助かっている。

私は9時30分にチェックアウトして外に出ると、昨晩の雨が嘘のように晴れ上がっていて清々しい。歩いて駅へ向かう。

駅の近くにとっているホテルは部屋が広くてきれいで料金もほどほどでコスパが良いから毎回使っている。お土産物売り場で注文の和菓子と弁当3人分を仕入れる。朝食を食べたからお昼は食べないことにしている。すぐに太る体質だから気を付けている。

自宅は高槻にある。金沢から特急に乗るとドア To ドアで3時間ほどだ。母親に何かあってもすぐに駆け付けられて便利なところだ。

夫の勉はちょうど42歳になったばかりだ。私は2歳年下の40歳だ。息子の亮は11歳。今家族が住んでいる戸建ては3LDKで1階が1LDK、2階に2部屋ある。高槻駅まで徒歩10分の距離だ。

4年前に買って、まだローンは残っているが負担になるほどの額ではない。夫の実家を処分したお金を頭金として、二人の貯金に加えて私の実家も援助してくれたので、ずいぶん助かった。

予定どおり、午後1時過ぎには自宅に帰ってこられた。2泊3日の予定で出かけてはいるが、帰りの3日目は早めに向こうを立って、この時間には着くようにしている。

夫に3日も亮を見てもらって悪いし、月曜からはまた仕事が待っている。だから家でゆっくりして身体を休めたいし、夫も休ませてあげたい。

「お弁当を見繕って買ってきました。気に入るといいけど?」

「3つとも違うんだね。すぐ食べようよ。3つとも開いていい?」

「亮、まだ、1時過ぎだぞ。これは夕飯に買ってきてもらったんだからね」

「パパの朝昼兼用のごはんを11時に食べたけどお腹がすいた」

亮がもう食べようと言って聞かない。食べ盛りだからしかたがないかな。

「じゃあ、一つだけ開けて食べたら」

亮がお弁当を開けて食べ始めた。私たちはお茶を入れて和菓子を食べ始めている。

「お勉強を見てくれてありがとう。 私だと亮が言うことを聞かないから」

「そうなのか?」

「ママはすぐに怒るから」

「あなたはゲームをしたりしてうまく勉強をさせているから」

「パパは教え方がうまいし怒らないから、パパに教えてもらった方がいい」

「そうでしょう。お願い」

「分かった」

夫はそのあと亮の勉強をみてくれた。「亮は勉強が嫌いではないし、やる気はあるので教えがいがある。そのうち、僕でも教えられなくなる時が来る。勉強を見てやれるのも今ぐらいしかない」と言っている。子煩悩で助かっている。

彼は亮が小さい時からずいぶん面倒を見てくれた。生まれたばかりの亮が夜泣きすると夜中に起きてオムツをかえてミルクを飲ませてくれた。私が育児で疲れているのを分かってくれて、自分も仕事で疲れているのに不平をひとことも言わずに手伝ってくれた。

私たちは結婚してから2年ほど子宝に恵まれなった。1年ほどして避妊を止めたが、なかなか妊娠しなかった。不妊治療が必要だと思って病院に行ったが二人とも異常はなかった。

それで専業主婦だった私は再び旅行代理店に勤め始めた。勤めだして2か月ほどして体調が悪くなって診察を受けたらどうしたことか妊娠が分かった。夫の喜びようはなかった。

◆ ◆ ◆
日曜の晩は早めに休むことにしている。亮は小学3年生になったときに2階の一部屋を勉強部屋にしてそこで寝るようになっている。はじめは寂しいとか言って1階の寝室へ降りてくることもあったが、このごろはすっかり一人で寝ることに慣れたみたい。

2階のその隣の部屋は夫の書斎になっている。このごろはそこでリモートでの仕事もしている。それで亮に勉強を教える機会も時間もとれるようになっている。

私と夫は1階のリビング脇の8畳ほどのメインルームを寝室にして布団で寝ている。それまでは親子3人で寝ていた。それで私との夜は疎遠になりがちだった。このごろは2階の部屋に気を使いながらも愛し合うことがふえている。

隣に寝ているとついお互いに手が伸びる。私が誘ったときに夫は拒んだことはないし、夫が手を伸ばしてきたときには私も拒んだことがない。ただ、二人とも途中で寝落ちすることが何回もあった。お互いに働いていて家事や仕事で疲れているのでしかたがないと思っている。

私はHが嫌いな方ではもちろんないし好きな方だと思っている。感じやすいし、昇り詰めてもいる。夫もどちらかというと好きな方だと思う。

彼が手を伸ばしてきて私の手を握った。私はその手を握り返した。彼は私の布団に入ってきて身体を寄せてくる。この前愛し合ってから時間がたっていた。それにしばらく留守にして寂しい思いをさせていた。いつものように私を愛し始める。

昨晩の進の愛し方は夫とは同じところもあったが、違ったところも多かった。夫が私を愛するときの流れはほぼ決まっている定番といった愛し方がある。何度も愛を重ねるうちに自然と好きな形と流れが決まってきている。マンネリというか、代り映えしないけど、それでも私は毎回満足している。

どうして二人は愛し方が違うのだろう。夫は私の感じやすいところが分かっているからそこを丁寧に愛してくれている。きっと進のパートナーの感じるところと私の感じやすいところが違っているからだろう。それと私の感じるところがまだ十分に分かっていないからだろう。

進とのことがあったせいか、今日はいつもの流れにこうしてほしいと違った体位をねだってみた。それは昨晩、進が私に望んだ体位で夫がいままで試みたことのない体位だった。いつもと違う流れになって、それが刺激になって、私はすぐに昇り詰めてしまった。

◆ ◆ ◆
私は満ち足りた表情をして彼を見ていたと思う。彼は私から少し離れたところで横向きになってこちらを見ている。昨晩の後ろめたさもあってこちらから話しかけた。

「久しぶりだから今日はいつもと違ったことをしてもらいたかった。ありがとう。すごく良かった。」

「そうか、たまには変わったこともいいかもしれない。これから毎回少し工夫してみようか?」

「お願いします」

夫は「どうしたの?」とか聞いてこなかった。それから私をしっかり腕に抱いて眠ってしまった。昨晩、私に起こったことに夫は気づいていないと思う。
3月14日(日)午前10時ごろ夫の進から電話が入る。私は吉田(よしだ) (みち)、帰る時には必ず電話を入れるようにお願いしている。

「これから10時57分の新幹線で帰る。東京駅には13時52分着、家には3時前には着けると思う。いつものように夕食にお弁当を買って帰るけど、ほかにほしいものはないか?」

「お母様は元気だった?」

「ああ、変わりなかった。家の片づけを手伝ったけど、やはり親父の遺品の整理が進まなかった。なかなか捨てさせないから」

「根気よくやることね。お土産はおいしそうなお弁当とそれからいろいろ食べてみたいから和菓子の詰め合わせを買ってきて」

恵理(えり)は良い子にしている?」

「言うことを聞かないで困っているわ。早く帰ってきてお勉強を見てほしい」

「分かった」

帰省すると帰り際に義母が夫に旅費とお小遣いをくれるみたい。必要ないと断ってもくれるので、それに甘えることにして、それでお土産を買ってきているという。

義母は義父の遺族年金と自身の年金が入り、実家の脇の空いたスペースを駐車場にして貸しているのでその収入もある。特段、生活に不自由している様子はないと聞いている。

◆ ◆ ◆
進は予定どおりに午後3時前にはマンションに帰ってきた。2泊3日の予定で出かけてはいるが、帰りの3日目は早めに向こうを立って、この時間には着くようにしてくれている。月曜からはまた仕事だから家でゆっくりして身体を休めたいみたい。そうしてくれると休みの日でないとできないことも頼める。

夫の進はちょうど40歳になったばかりだ。私は4歳年下の36歳だ。娘の恵理(えり)は8歳。今家族で住んでいる2LDKのマンションまで東京駅から45分くらいだ。5年前に買って、まだローンは残っているが完済のめどもたっている。義父が生前に援助してくれたのと、私の実家も援助してくれたので、ずいぶん助かった。

「お弁当を見繕って買ってきたけど、気に入るかな?」

「3つとも違うのね。すぐ食べようよ。3つとも開いていい?」

「まだ、3時過ぎだぞ。これは夕飯に買ってきたんだけどね」

恵理がもう食べようと言って聞かない。2日半も家を空けていたのだから仕方がない。恵理はお父さん子だ。私もそうだった。父が大好きだった。

お弁当を3人でつつきながらかなり早めの夕食を食べている。

「次の休みには恵理の勉強をみてくれる? 私だと恵理が言うことを聞かないから」

「恵理そうなのか?」

「ママはすぐに怒るから、パパの方が教え方はうまいし分かりやすい」

「そうでしょう。お願い」

「分かった」

私も恵理も機嫌が良い。お弁当を食べ終えると、今度はお菓子の詰め合わせを開けて、お茶を飲みながら食べ始めている。彼は甘党で餡の入ったお菓子を2つほど食べた。私も金沢のお菓子はおいしいから大好きだ。そのあと、彼は恵理の勉強をみてくれた。

彼は「恵理は勉強が嫌いではないし、学校の成績も悪くない。やる気はあるので教えるのも苦にならない。この娘の勉強をいつまでみられるかなと思うと今の時間がとても大切に思えてくる」と言っている。

日曜の晩は早めに休むことにしている。恵理は今年から6畳ほどの部屋を勉強部屋にしてベッドを置いてそこで一人で寝るようにした。それまでそこは彼の書斎だった。

私と進は8畳ほどのメインルームを寝室にして布団で寝ている。新婚のころはダブルベッドだったが、恵理が生まれたので世話がしやすい布団に変えた。それから親子3人でずっと川の字で寝ていた。それで夫との夜は疎遠になりがちだった。このごろは向かいの部屋に気を使いながらも愛し合うことがふえた。

隣に寝ているとついお互いに手が伸びる。彼が誘ったときに私は拒んだことはないし、私が手を伸ばしたときにも彼は拒んだことがない。ただ、どちらかが寝落ちしてしまうことが時々ある。共働きでお互い家事や仕事で疲れているのでしかたがないと思っている。

進はHが嫌いな方ではもちろんないし好きな方だと思っている。私もどちらかというと好きな方だと思う。いろいろなところが敏感だし、昇り詰めてもいる。

私は彼の布団に入って身体を寄せてみる。しばらく留守にしていて寂しかった。この前に愛し合ってから時間もたっていた。すぐに私を抱き締めて愛し始めてくれる。

私を愛するときほぼ決まっている愛し方がある。何度も愛を重ねるうちに感じるところが分かってきているし自然と流れも決まってきている。マンネリというか、代り映えしないが、それでも私は毎回それに満足している。

今日、彼はいつもの流れに違った体位を入れてきた。いつもと違う流れなので戸惑ったし、とても恥ずかしい体位だった。でもそれが刺激的だったのですぐに昇り詰めてしまった。

◆ ◆ ◆
私は満ち足りた表情をしていたと思う。いつよりもずっと満足感があった。私は少し離れたところで横向きになって彼を見ている。すると言い訳をするように話しかけてきた。

「久しぶりだから今日はいつもと違ったことをしてみたかった。どうだった?」

「すごく良かった。たまには変わったこともいいわね」

「そうだね。これから毎回少し工夫してみよう。いやか?」

「おまかせします」

私は「どうして、違ったことをしたかったの?」とか聞かなかった。こんなこともあっていい。私のことを思ってしてくれたことだ。それが嬉しくて彼の腕を抱いて眠ってしまった。
私、旧姓 若狭(わかさ) (みち)吉田(よしだ) (すすむ)と出会ったのは12年ほど前だった。

元彼の松寺(まつでら) (ひろし)と別れてから1年くらいは経っていたかもしれない。あのころの私はそのことからまだ立ち直れていなかった。でも元彼というほどの関係ではなかった気がする。単にお付き合いしていただけと言った方が合っている。

宏と出会ったのは入社して2年目くらいだった。仕事にもようやく慣れてきて生活にもゆとりができたころだった。人数合わせに誘われた女子大学時代の先輩の合コンに参加した。そのときに会ったのだけど、彼も人数合わせで参加したとのことだった。同じ人数合わせで参加したので、それがきっかけとなって時々会うようになった。

彼は大手商社に勤めている有名大学出身のエリート社員だった。5歳ほど年上で、見た目もかっこ良く、優しくて女性の扱いにも慣れている感じがした。何事にもそつがなくて食事をする時も洗練された店に連れて行ってくれた。それで誘われて何回かデートをした。

そのうち合コンに誘ってくれた女子大の先輩と二人で自分のマンションへ遊びに来ないかと誘われた。現地集合となっていたので彼のマンションを訪ねた。

マンションで待っていてもなかなかその先輩は現れなかった。彼に問い正すと「二人きりになりたかったので、嘘をついてしまった」といった。そして私をいきなり抱き締めてきた。とても強い力だった。

私は力一杯抵抗して、その腕を振り払って部屋を飛び出してきた。後ろで「俺が好きなんだろう、いいじゃないか」と叫ぶ声が聞こえた。でも振り返らずにエレベーターに飛び乗って急いでマンションを離れた。

彼に誠実さが感じられなくて、とてもいやな気持だった。そのあと彼からの連絡が途絶えた。私に失望したのかもしれないが、私こそ彼に失望した。私を一人の女友達としか見ていなかったと思って惨めな気持ちになった。また、私を大切に思ってくれていなかったのが悲しかった。

私は女子大を卒業して今の食品会社に就職した。大学では栄養学や食品加工を学んだ。私は進学校の女子高校から女子大へ進学したので、恋愛の機会も少なくていままで恋愛経験がなかった。

だからかえって恋愛に無頓着だったのかもしれない。一人の人を好きになって愛することなど深く考えたことがなかった。まだ20代でもあったし、結婚もまだ早いと思っていた。

ただ、彼とのことが契機になったのは間違いない。人を好きになるってどういうことだろう、どういう人が私に向いているのだろうと考えるようになった。

そんなときに進と出会った。彼は関連会社に勤めていて、会議で同席するようになったのがその始まりだった。

彼は入社して7~8年くらいで、30歳手前だったと思う。地方の大学を卒業した理系の営業職だった。会議には会社の上司と来ることもあったが、後輩と一緒に来ることが多かった。顔はハンサムとまで言えないが、整った顔立ちをしていて、清潔感があって、嫌いではなかった。

会議中に彼を見ると目が合うことがあった。それで私は彼が会議中に私を見つめていることにたびたび気が付いていて、私に好意を持ってくれているのかしらと思っていた。

仕事の関係で、会議で同席することも、2対2で会うことも、1対1で会うことも増えていった。2対2の打ち合わせの後では親睦のために軽く飲み会をすることもあった。それで進とは個人的な話をする機会も増えていった。それで自己紹介などで彼の身の回りのことや性格が大方分かってきた。

彼は誠実で仕事にしっかり向き合っていて、会社の代表として、自分の意見を持っていた。議論しても理路整然としていて論破されることもあった。お互い妥協できないところは、あえて駄目を詰めなかった。それで議論が煮詰まるまで結論を先送りにするような柔軟さもあった。

また、4歳年上でもあり、頼りがいのある芯のしっかりしたところがあった。始めは私が彼に恋愛感情を持っていなかったのは間違いない。それは関連会社の人と付き合うことは仕事上もまずいと考えていたためでもある。

誰かと誰かが付き合っているとすぐに社内で噂なったりする。付き合ってうまく行けばよいが、別れたりすると、あとあと気まずい。職場結婚する可能性もあるのでできるだけそういう噂になるような行動には気を付けていた。

また、松寺(まつでら) (ひろし)とのことも尾を引いていたのは間違いない。男性不信もあったのだと思う。

でも、進のその誠実さに惹かれていったのは間違いない。それに会議中に私を見つめていることもあったので、ひょっとして好意をもたれているという思いがあった。好意を持ってくれた人には好意を持ってしまう。自然のなりゆきだったのかもしれない。

ある時、懇親会の後で彼と偶然帰る方向が同じで駅まで二人きりになった。私は少し酔っていたのかもしれない。いつもより口数が多くなって気持ちも大きくなっていた。それで、歩きながらとりとめもない話題で話が弾んでいたところで、気になっていたが、今まで聞けなかったことを思い切って聞いてみた。

「吉田さんって、彼女いるんですか?」

私は彼が独身であることは知っていたが、こういう質問をすることで彼に関心があることを知らせることができると私には分かっていた。それに彼女がいないのか本当に確かめたかった。

突然こういう質問をされるとは思わなかったのか、私の顔を見た。しばらく時間をおいてから、ゆっくりと答えてくれた。

「いない。ただ、1年ほど前に高校時代からの女友達にお見合いすると告白された。そしてほどなく彼女は見合い結婚をした。結婚の挨拶状を突然もらって、すごい喪失感を覚えた。ただの女友達だと思っていたのにね」

「失恋したような?」

「いや、彼女とは付き合っていた訳でもないんだ。ただ、高校からの友人だった」

「その方、吉田さんが好きだったのですね。でないとそういうことは話さないから。それに吉田さんもその方が好きだったのは間違いありません」

「確かにその時はそういう意識はなかったけど、あとから少しずつそれが分かってきた。僕は恋愛には向いていないね」

自嘲気味の答だったけれども彼の誠実な人柄が感じられた。また、いつもは見せないその寂しそうな彼の影の人柄が見えたような気がした。私だけにそれを見せてくれた、私にだけにそれが見えたと思うとどういうわけかすごく嬉しかった。

「吉田さんに彼女がいないのは分かる気がします。吉田さんは会議で意見が対立しても相手を追い詰めたりは決してしないし、自分が折れて相手の顔を立てたり気配りがすごくできて、尊敬しています。ただ、自分を抑え過ぎるところがあると思います。女性に対しても自分の気持ちに素直になれなかっただけだと思います」

「僕はその自分の素直な気持ちが認識できないのだと思っている。どうしようもないね」

「じゃあ、私と『恋愛ごっこ』してみませんか? 素直な気持ちというものが分かるようになると思いますが」

私は唐突に思いついた提案をしていた。彼と恋愛がしてみたい。そういう自然な気持ちがあったので思いついたのかもしれない。

「『恋愛』じゃなくて『ごっこ』? 恋愛の振りをする?」

「『ごっこ』ですから、本気じゃなくていいんです」

「若狭さんとその『恋愛ごっこ』をすると素直な気持ちが分かるようになるというのか?」

「はい。きっと」

彼は唐突な私の提案に驚いたように見えたが、あえて断らなかった。その時、私に好意を持ってくれていると確信した。また、彼自身そのことに気づいていないことも私にはよく分かっていた。

「でもこのことは絶対に秘密にしましょう。周りからいろいろ言われたり、興味を持たれたり、気を使われたりするのはいやでしょう。職場関係の恋愛は仮に『ごっこ』だったとしても、いろいろリスクが高いですから」

「分かった。若狭さんが協力してくれるなら、その『恋愛ごっこ』をしてみようかな」

こうして『恋愛ごっこ』なるものを始めることになった。私も恋愛経験があるわけではなかったので、私にとっても手探りの『恋愛ごっこ』だった。

それからは週末にデートに誘ってみることにした。彼は断りもせずに付き合ってくれた。私は恋人だったらすると思われることを試みた。

二人で歩くときは私から手をつないでみたり腕を組んだりしてみた。彼は自然にそれに従ってくれた。はたからみると二人は恋人同士のように見えたと思う。それほど私たちは上手に「恋愛ごっこ」をすることができた。

でも私は仕事の関係で会議に同席したときや2対2や1対1で打ち合わせをするときは決してそのような素振りを見せなかった。もちろん彼もそんな素振りは少しも見せなかった。

私はできるだけ機会があるたびにデートに誘った。いつだったか、週末に実家の急用が入ったことがあって、誘えないことがあった。

その時は「どうしたの? 体調でも悪いの?」と彼から電話が入った。私のことを気にかけていてくれて、デートを楽しみにしてくれていると思うと嬉しかった。それからは予定が入った時は前もって連絡することにした。

彼は私とのデートを楽しんでくれていた。それは私を見る優しいまなざしで分かった。私と話しているとほっとするとも言ってくれた。私も彼の誠実な飾らない人柄に惹かれていった。

ただ、デートにはいつも私から誘っていた。彼から誘われることは一度もなかった。それが私には不満というか不安だった。

彼が私に取った態度は、私が関連会社の社員で仕事上の付き合いがあるという前提があったうえに「ごっこ」が前提になっていたので、誠実というか真面目そのものだった。やはり本人がいうとおり、恋愛には向かない性格だったのかもしれない。

だから1年ほどそういうおつきあいというか「恋愛ごっこ」が続いていたが、彼はそれ以上前に進もうとはしなかったし、おそらくできなかったのだと思う。ただ、私をとても大切に思ってくれていたことは間違いないし、だから前へ進むことを自ら戒めていたのかもしれない。それで私はここまでが限界と思って、勝負に出た。

「お見合いの話があるので、もう『恋愛ごっこ』を終わりにしたいのですが?」

私が彼を試すためにお見合いの話を持ち出したのはすぐに分かったと思う。私は彼から女友達との失敗談を聞かされていたからだ。

私から突然この申し出を聞いたとき、彼は私の目をじっと見て、迷わずに言ってくれた。

「ああ『恋愛ごっこ』はもう終わりにしよう。終わりにする代わりに僕と結婚してくれないか?」

おそらくその時には、彼は自身の素直な気持ちが分かっていたし、過去の失敗を繰り返してはいけないことも分かっていた。でもこんな時にこんなタイミングでプロポーズの言葉を言うことになろうとは思ってもみなかったのだろう。彼らしい誠実さだと思った。

私は突然のプロポーズがとっても嬉しかった。これを期待したのだけど、いざ本当にプロポーズされると気が動転してしまって、ええっ、どうしようと黙ってしまった。

私のその沈黙に彼も気が動転してしまったみたいだった。自分の思い過ごしだったのか? いやいや、そんなはずはない、そんなことを考えていたのだと思う。

「すぐに決められないなら、僕と本気で恋愛してみてくれないか?」

そういわれるまでに私は気を取り直していた。それを聞いて私はニコッと微笑んで答えた。

「はい、結婚を前提にした恋愛をお受けします」

よく考えたら、あのプロポーズを受けたとき、あんな風なプロポーズを想定していなかった。よくあるようなどこか素敵な場所で指輪を差し出されるプロポーズを望んでいたのが分かった。一生の大切な瞬間を大切にしたい。それですぐに「お受けします」と言えなかったのだと思った。

それからの彼は(たが)がはずれたように私との関係を深めていった。次の週末には彼の部屋に遊びにこないかと誘われた。もう、すぐにでも私を自分のものにしたかったみたいだった。それはすぐに分かった。

私は彼の部屋に遊びに行けばどういうことになるかよく分かっていた。それを期待もした。今の彼なら私の期待に応えてくれることも分かっていた。

私は遊びに行くことを承諾した。私は決心していた。彼とそのあとどういうことになろうと、万が一別れることになろうとも後悔しないと、また、それを良い思い出にしたいとも思った。

◆ ◆ ◆
彼の部屋を訪ねて行った日のことは、鮮明に覚えている部分とほとんど覚えていない部分とが交錯してモザイクのようになっている。

部屋に入って彼に抱き締められてキスされたことまでは覚えている。それからは頭に血が上ってしまったのか、ほとんど記憶にない。

ベッドで抱き締められて二人がひとつになろうとしたときに、耳もとで優しく囁く声が聞こえたのを覚えている。私は緊張で身体がガチガチだったのだと思う。

「もっと身体の力を抜いて」

それからあそこに痛みが走った。その痛みが徐々に強くなっていった。驚いて声が出ない。我慢できるけど辛い、そう思っていたら彼が手を握ってきた。その手を力一杯握り返した。すると彼は一瞬私を強く抱き締めたかと思うと身体を離した。そして私は苦痛から解放された。

ほっとした。彼のものになって嬉しかったのだと思う。涙がこぼれた。彼は私を抱き寄せて強く抱き締めてくれた。

私は身体を丸めて抱かれていた。静かに髪をなでられていつの間にか私は眠ったみたいだった。緊張で疲れたんだ。

どれくらい眠っていたのかは分からない。気が付いて目を開けたら彼が私の顔を覗き込んでいた。優しい笑顔だった。

「ありがとうございます。うまくできましたか? よく分からなくて」

「ああ、うまくできた。ありがとう。初めてだったんだ」

私は黙って頷いた。彼は私を抱き締めてくれた。彼が初めてだったかは私にはよく分からない。でも私の扱いにはぎこちないところはなかったし、安心して彼のなすがままになれた。だからよく覚えていないのだと思う。でもそんなことはどうでもよかった。今の私だけを見ていてくれればそれで十分だった。

◆ ◆ ◆
そして3か月後に正式にプロポーズされた。嬉しかった。私は普通に正式なプロポーズをしてほしかったから、最初のプロポーズの時はとても嬉しかったけど、どうしようかとすぐに答えられなかったとそのとき話した。

その7か月後に二人は結婚した。そして2年後に恵理が生まれた。私は今も仕事を続けている。その時の彼のお給料では専業主婦は無理だったし、私も働き続けることを望んだからだ。

彼は運命の人と言ってもよいかもしれない。私にぴったりのパートナーだと思っている。家事の分担もしてくれているし、恵理の面倒もよくみてくれるイクメンだ。出会いから結婚までの経緯を振り返ってもそうだ。

誠実で性格も良いし、私と一緒にいると気が休まって癒されると言ってくれるけど、私もそうだ。一緒にいると気が休まって癒される。そういう安心感がある。特に不満もないし、これまで大きな喧嘩もなく仲良く暮らしている。だから彼が浮気をすることなど想像もできない。
4月中旬に高校2年生の同窓会の案内が幹事の秋谷(あきたに) 幸雄(ゆきお)さんから往復はがきで届いた。副幹事は吉田進となっていた。ほぼ同時に同じ内容のメールも吉田さんから届いた。

日時:5月15日(土)~16日(日)、会食:5月15日(土)午後6時開始、会場:湯涌温泉山本旅館、会費15,000円、15日(土)午後3時に金沢駅西口にバスが迎えに来るので希望者は知らせるように書かれていた。回答期限は4月30日で返信用はがきかメールですることになっていた。

仲の良い友達が多かった高校2年生の同窓会は10年前に同じ秋谷さんが幹事になって開いてくれた。私も出席したが、その時は駅前のホテルでの会食だった。今回は開催日時が5月中旬でちょうど実家へ帰省する時期と合致していたし、副幹事が吉田進となっていたので、迷わず出席と連絡した。それから迎えのバスに乗車希望とした。

5月はじめに進との密会用のメルアドに連絡が入った。

[同窓会の出席を確認しました。こちらは2泊3日の予定で参加します。前日の14日(金)ホテル泊、15日(土)会場泊の予定です。]

すぐに返信を入れた。

[同窓会に出席します。同じく2泊3日で前日はホテル泊の予定です。]

[了解しました]

これで再会を確認できた。

◆ ◆ ◆
5月14日(金)同窓会の前日の朝、私は主人と息子の亮を学校に送りだしてから自宅を出発した。実家へはお昼前には着ける。

今日、金曜日は彼が早めに帰宅して亮の面倒を見てくれることになっている。土曜日は二人とも休みだから家で一日中一緒に過ごして面倒を見てくれる。日曜はお昼ごろに私が自宅に戻る。

2か月に1回の帰省はもう3年ほど続いている。結婚してしばらくして主人が同じように実家に帰省していた。5年ほど前に彼の母親が亡くなったので彼の実家通いは終わりになったが、今度は私の実家通いが始まった。それで主人も私の帰省には理解があって協力してくれている。

駅でおいしそうなお弁当を2個買って実家へ向かう。そして母親と二人で昼食を摂る。それから家の片づけや掃除、庭の手入れなどの手伝いを行う。

今回は同窓会に参加するので14日(金)は夕食を一緒に食べてからホテルへ戻り、15日(土)は朝から昼過ぎまで実家にいて、2時過ぎに駅へ向かうと母親には話してある。同窓会が終わったらそのまま会場から駅に行って大阪へ帰る予定にしている。進とは前日の今日14日(金)の夜に会って、翌日の同窓会でも会うことになる。

母親が夕食を準備してくれた。いつも私の好きな献立を考えて作ってくれている。母が料理を教えてくれたので味つけは私のいつもの味付けと変わらない。二人で食べて後片付けを手伝ってからバスで駅に向かう。進はもう着いているだろうか?

7時過ぎにチェックインした。1125号室だった。部屋はシングルにしているがベッドはセミダブルくらいの大きさがある。しばらくして[1210に到着]と進からメールが入った。すぐに部屋の電話から内線で1210号室へ連絡を入れる。

「私は1125号室です。8時にお待ちしています」

「部屋で少し飲まないか? 飲み物とつまみを買っていくから」

「はい、待っています」

彼が部屋に来たらもう流れはきまっている。もうこれからどうしようかなどと考える必要はない。彼にまかせておけばよい。ただ、彼はゆっくり話がしたいみたいだ。この前はお互いに照れ臭さもあって十分に話ができなかった。

ドアをノックする音がした。すぐにドアを開いて進を招き入れる。彼をじっと見つめて抱きついた。彼は軽いキスと思ったのだろうが、私はディープキスがしたかった。舌を絡ませてしばらく気の済むまでそれを楽しんだ。

「赤ワインを買ってきた。飲みながら少し話さないか?」

「いいけど、ここではあなたと私とのことだけにしてくれませんか? 仕事や家庭の話は明日の同窓会でお話しましょう」

「そうだね。君のいうとおりにしよう」

私は二人だけのこの逢瀬を楽しみたかった。何もかも忘れてのめり込みたかった。

部屋にあったグラス2個にワインを注いで静かに乾杯する。私はベッドに腰かけている。彼は正面の机の椅子に座っている。間接照明の薄暗い明りの中でお互いを見つめ合っていた。

彼の顔をしっかり見つめた。あのころよりもずいぶん落ち着いて自信に満ちているように見えた。私はどう見えたのだろう。あの時のように彼は眩しいように見てくれた気がした。

「再会を祝して」

「この前、お見合いの話をした時のことや私の結婚の挨拶状を受け取った時の話をしてくれたでしょう?」

「ああ」

「それを聞いて嬉しかった」

「あのときの本心を君に話した。君を手放すべきではなかったと後悔したことを。ずっと君のことは心のどこかにあった。だから、ああなった。ようやく思いが遂げられたといっても良いのかもしれない。だから後悔もしていないし、今また会っている」

「あの時、あなたは『それなら、会ってみるだけ、会ってみれば?』と言いました。でも『お見合いは止めて、僕と結婚する?』とは言ってくれなかった。それで思ったの、会ってみるだけ会ってみようかなと、それであなたよりより良い人でなければ、これまでどおりでいればよいと思って」

「よく覚えていたね」

「私もあの時のことは忘れていませんでした」

「それでお見合いをした?」

「ええ、それがとても良い人ですぐに好きになって結婚することになりました。よくご縁があるというけど、運命の人ってこういうことを言うのかなとも思いました」

「運命の人か? 今も幸せなんだろう?」

「ええ、11歳の男の子もいて幸せです。もちろん結婚も後悔していません。主人と結婚してよかったと思っています」

「じゃあ、どうして僕と?」

「あなたとのことでひとつだけ思い残したことがありました。それは結婚を決める前にあなたに会って『結婚しようと思うけどどうかしら?』と尋ねなかったことです。どうしようかとずいぶん迷ったけど結局連絡せずに、あとから結婚の挨拶状を送ることになりました。思いを残したということはやはりあなたが好きだったのだとあとから気づきました」

「僕があのお見合いの話を聞いたときに『お見合いは止めて、僕と結婚する?』と言えば良かったに違いないがそれができなかった。だから、それは結婚を決める前に相談されたとしても同じだったかもしれない。思いを残したことは僕の優柔不断のせいだから申し訳なかった」

「今はどうして二人の人を好きになってはいけないのかと思うことがあります。どうして一人の人でなければならないのかって、そういうこと思わない?」

「まあ、繁殖するたびにパートナーを替える生き物もいるし、一生同じパートナーとつがいになる生き物もいる。世界中どこの国でも王様には正室のほかに側室がいたし、日本でも昔は金持ちにはお妾さんがいたとも聞いている。イスラム教では一夫多妻も認められている。男性は一人以上の女性を愛することはできると思う。それは男の性《さが》でごく自然なことではないかと思う。ただ、女性はどうか分からないけど」

「うふふ、あなたらしいわ、男性のあなたはそう思うのね」

「ああ、でも一夫一婦制はもうすっかりこの世の中に定着している。宗教の影響が大きいとは思うけど、君の思いは今は道徳的に否定されている。有名人で不倫のスキャンダルで仕事を失う人もいるけど、僕はあれほどバッシングする必要があるとは思えない。本人と配偶者と相手の三人の間のことだと思うけどね。他人の口出しする必要があるのかなとも思う」

「もし奥さんが他の人と関係を持ったらどうする?」

「僕に絶対に分からないようにしてくれればいいかな。だって知らないのだから、なかったことと同じだから」

「分かったらどうする?」

「僕は彼女と一緒にいたいから別れたくない。できれば知らないふりをすると思う。誰か有名人が言っていたが『絶対に浮気したことを自ら認めてはいけない』そうだ。嘘をつき続けてくれれば信じるしかない。嘘もつき通せば本当と同じになるから。だけど本当のことだと告白されたらもうどうしようもないけどね」

「奥さんが好きなのね」

「ああ、どうしてそんなことを聞くの?」

「主人だったら、どうするかと思って」

「君のご主人が僕と同じ考えをするとは限らないと思うけど」

「あなたと主人は似ているところがあるの。だから彼と結婚したのかもしれません」

「僕が君とこうしていることはご主人には分からないと思うけど、もしご主人がほかの人とこんなことをしていたらどうする?」

「主人はそんなことをするような人ではありません」

「でも僕はしている。こんなことをしたのは初めてだ。ご主人にもこんなことは起こりえることだと思うけど」

「もしそういうことがあっても主人は絶対私にわからないようにすると思います。あなたのように」

「でも、浮気しているか、気にならないか?」

「気にならないと言えば嘘になります。もし本当にしていたら悲しい。大好きだから」

「例えば、不審なメールを見つけたら問い詰める?」

「聞いては見るけど、問い詰めたりはしないわ。もし認めたらお互いに引けなくなると思う。それが怖いから」

「駄目は詰めないということか?」

「浮気ならね。お互いに愛し合っていることは分かっているから。きっとあなたの奥さんもそうするはずよ。なんとなく分かる」

「そんなものなのか?」

「じゃあ、もし、その相手の人があなたの知っている人だと分かったらどう? 例えば、あなたの友人だったら」

「知らない人だったら、知らないふりができるかもしれないけど、知人だったらまして友人だったらきっとだめだね。やはり裏切られたと思ってしまうだろう」

「知らない人だったら、知らないふりができて、知人だったら裏切り?」

「仮定の話だから確かなことはいえないけど、知らない人だったら、知らないふりができるような気がする」

「なぜ?」

「うーん、ほかにも何かあるような気がするけど、君がさっき言っていた『どうして二人の人を好きになってはいけないのか』と関わっているかもしれない」

「なるほど分かるような気がする。やはり私とあなたは同じセンスを持っているのが分かったわ。お話してよかった。だから昔から気が合ったのね。今それが分かった」

私は手を伸ばした。彼はその手を取って私を引き寄せて抱き締めてくれた。

「シャワーを一緒に浴びようか?」

「洗ってあげる」

◆ ◆ ◆
バスルームでお互いに身体を洗い合う。私は「いつも洗い合っているの?」なんて聞かなかった。二人だけの話しかしない約束だった。

進は手に石鹼をつけて、私の身体に直接擦り付けて洗い始める。まず、背中から始めて脇腹、お尻、太もも、足先と洗っていく。次に向きを変えさせて、首、乳房、乳首、お臍、下腹、大事なところへと降りていく。

すごく感じる。彼の目と手が一緒になって私の身体をなぞっていく。すごく刺激的だ。時々、身体がピクピクする。大事なところを洗ってもらっていると気が遠くなって思わず抱きついた。それから床に崩れ落ちるように膝をついた。彼はかまわずに屈みこんで洗い続けようとしている。

「もうだめ、一息つかせて下さい」

そういうと、その場にしゃがみこんでしまった。彼はここまでと思ったのか、シャワーでゆっくり石鹸を洗い流してくれた。そのシャワーが例えようがないくらいに気持ちよかった。

しばらくはその快感に浸った。ようやく落ち着いてきたところで、今度は私が洗ってあげた。同じように手に石鹸をつけて擦り洗いをしてあげた。彼もとても気持ちがよさそうだった。

洗い終わるとお互いにバスタオルで身体を拭き合う。彼は私を抱きかかえてベッドに運んでくれた。お姫様だっこを久しぶりにしてもらった。新婚旅行で夫が私をベッドまで運んでくれた。今なぜ彼のことを思い出すのだろう。二人だけのことしか話さない約束だった。

私は小柄だけど乳房とお尻は大きい方だ。乳輪が人よりずいぶん大きい。母もそうだったからそんなものだと思っていたが、女性のヌード写真と見比べたりするとかなり大きいことが分かった。それでとても恥ずかしく思っていた。

私が夫にそれをいったら「僕はすごくセクシーで大好きだ」と言って何度も舐めてくれた。それがとっても嬉しかった。また、夫のことを思い出していた。どうしてこんな時に夫のことが頭に浮かぶのだろう? やっぱり後ろめたいことをしているからかしら?

進は私をベッドに横たえると、私の視線をさけるように後ろに回ってゆっくり愛し始める。

◆ ◆ ◆
私は心地よい疲労を感じながら後ろから抱かれて寝ている。私は眠っていた。彼は愛し合ったあと、いつも私をうしろから抱いて眠る。

夫も私を後ろから抱いて眠ることが多い。その理由を聞いたことがあった。「後ろからの方がしっかり抱けるし、完全に自分のものにしたという満足感がある」と言っていた。また、夫のことを思い出していた。

今日の私はこの前よりずっと積極的になっていた。それに誘われて彼も我を忘れて私と絡み合い交わった。お互いに遠慮も恥らいもないメスとオスの交わりだった。夫とはこんなことは一度もなかったかもしれない。私は何度も何度も昇り詰めて快感にのめり込んでいった。

喉が渇いた。彼も喉の渇きを感じたのだろう。私を起こさないようにそっと起き上がって飲み物を取りに行った。

「私にも何か持ってきて」

「ミネラルウォーターでいい?」

「ええ、あるもので」

私はベッドで起き上がって壁を背にもたれかかって待っている。彼はすぐそばに座って封を切ったボトルを手渡してくれた。

「ありがとう。頭の中が真っ白になった。身体がだるいけど、とても気持ちがいいわ」

「そういうのを『心地よい疲労』というんだよ」

「ふふ。冷たい水がおいしい」

『心地よい疲労』は誰かがどこかで言っていた言葉だった。夫も言っていたような気がする。私もこの言い方が好きだ。

「ハッピーだ」

「私は今の生活には満足しているし幸せだと思っています。でもあなたと結婚していたら別の人生があったと思うの。私って欲張り? 別の人と別の人生を生きてみたかったと思ったことはない?」

「ないことはないけど、別の人生が思いつかないんだ。僕も今の生活が完全とは言えないまでも割とうまくいっていて、特に取り立てるほどの不満はないからね。別の人との人生がこれほどうまくいくかどうかは分からない。たとえ君とでもね」

「確かにそうね。別の人生といっても、今と生活が同じで暮らしている人だけが違っていると思いがちだけど、そのほかが今と同じでしかもうまくいっている保証なんかは少しもないと思う」

「そう考えるということは、お互いに十分幸せということなのかな。今の幸せは壊したくないね。僕たちは良いとこ取りをして、お互いにずいぶん贅沢をしているということかな?」

「分かっています。しばらくはこの贅沢で我儘な生活が続けられればとよいと思っています。だから絶対に二人のことは分からないようにしましょう」

二人ともボトルを飲み干して、再び抱き合って心地よい眠りについた。

◆ ◆ ◆
進が起き上がったので私も目が覚めた。5時を過ぎたところだった。彼は駅西口で午後3時の旅館からの迎えのバスに乗ることを確認して部屋に戻っていった。

これから朝一番で食事をして、実家へ向かう。今日は午後2時までしか時間がとれない。
5月14日(土)集合場所の駅西口へは午後2時40分には到着した。進はまだ着いていなかった。幹事の秋谷さんがいたので同窓会の案内のお礼を言った。この指定場所に次々と何人かの顔見知りが集まってくる。

その中に上野(うえの) 多恵(たえ)さんがいた。高校2年のクラスで仲が良かった。私は文系の学科へ進学したが、彼女は看護学科へ進学していた。すぐにお久しぶりと挨拶を交わした。彼女とは高校時代はよく話していたが、卒業後それぞれの学科へ進学してからは疎遠になっていた。それに10年前の同窓会もその前の同窓会も彼女は欠席していた。

そこへ幹事の秋谷さんが跳んできて上野さんに話しかけた。それで思い出した。高校時代に秋谷さんと上野さんが二人で歩いているところをよく見かけた。放課後二人で一緒に帰ることも多かった。大学時代はどうだったかは分からない。秋谷さんは卒業すると上京して就職した。

進がようやく到着した。バスを待っている同窓生に挨拶をしている。ほとんどが地元以外で、10年前に出席していた人の顔もあった。地元の人は自分の車で会場へ直接来るのでほとんどいない。上野さんは自分の車が修理中で夫も仕事で都合が付かないので急遽バスに乗せてもらうことにしたと言っていた。

「吉田君、遅かったな、もっと早く来ているかと思った」

「ごめん、交通事故で道が混んでいて思いのほか時間がかかった」

「人数は?」

「迎えのバスに乗るメンバー8名はそろった。おまえが最後だ」

ほどなく迎えのバスが到着した。マイクロバスといっても20名くらいは楽に乗れる大きさがあったので、それぞれが思い思いの席をとって座った。3時ちょうどにバスは出発した。

秋谷さんと上野さんは前方の席に二人並んで座った。進は中ほどの席に一人で座った。私はその反対側の席に一人で座った。高校時代はお互い親しく話したことはなかったのでそれが自然だと思った。

前方の秋谷さんと上野さんは親しげに旅館に着くまで終始話し続けていた。旅館には30分くらいで到着した。

会場は昔のままの温泉旅館で部屋割りは男子が大きな一部屋、女子にも大きな一部屋が割り当てられていた。到着するとすぐに秋谷さんが会費を徴収していた。大広間で6時から会食をすることになっているので、男子はその前にそれぞれ思い思いに大浴場にひと風呂浴びに行っている。

女子は部屋で何人かが集まって話をしている。上野さんはもう温泉に入りに行ったみたいだ。女子はほとんどの人が温泉に入っても浴衣に着替えない。私は会食が終ってから寝る前にゆっくり入ろうと思っている。

仲の良かった上野さんとお話がしたかったけど、ここまでは機会がなかった。会食の時間が近づいてきたころに彼女はようやく部屋に戻ってきた。やっぱり温泉に入っていたみたいで、顔が上気している。上野さんに声をかけて一緒に宴会場へ向かう。

宴会場の大広間にはそろそろ人が集まり始めていた。秋谷さんがくじ引きで席順を決めている。私と上野さんは都合よく隣同士の席になった。私たちの向かいには幹事の秋谷さんと副幹事の進が隣同士で座っている。進が私たちをチラ見している。秋谷さんも私たちをチラ見していた。

定時になったので、幹事の秋谷さんの簡単な挨拶と乾杯で宴は始まった。始めの20分くらいは食事に専念して、そのあとに持ち回りで自身の近況を話すことになっている。私は席に着くとすぐに上野さんと話し始めていた。

「お久しぶりね。高校を卒業して以来かもね」

「一度会ってお話がしたかったけど、10年前の同窓会も、その前の同窓会も出ていなかったから。元気だったの?」

「ええ、元気だったけど、前々回は息子を妊娠中で来られなかった。10年前も子供がまだ3歳だったので手がかかって出られなかった」

「今回は出られたのね」

「息子が中学生になったので一息つけるようになったので、それと幹事の秋谷さんが久しぶりに会いたいから出席してほしいというので、出かけてきました」

「そういえば秋谷さんとは高校時代によく二人でいるところを見かけたけど、確か付き合っていると話してくれたことがあったわね。その後どうなったの?」

「大学では彼が電気電子学科で私が看護学科だった時も付き合っていたけど、家庭の事情で別れました。それで彼は東京へ就職して、音信不通になっていました」

「それで、久しぶりに会ったので、バスの中でもずっとお話していたのね」

「ええ、とっても懐かしくて。ところで直美さんは?」

「後で自己紹介するけど、前回の同窓会の2年前に結婚しました。見合い結婚です。それも高校の2年先輩です。今は11歳の男の子がいます」

「私の息子も13歳になりました。手がかからなくなってきたけど今度はいうことを聞かなくて」

「うちもそれで困っています。ゲームばかりして。ところでご主人はどんな人」

「私も実は見合い結婚です。私は一人娘だから両親は婿養子がほしかったみたいで、お見合い相手は次男の方ばかりでした。私はそれに抵抗があって、会っても断っていたのだけれど、たまたま3回目にお見合いした人は私が病院で看護したことがあった人だったの」

「運命の出会い?」

「そんな風には思わなかったけど、彼は私に一目ぼれしていたとかで、これは偶然ではない、どうしても結婚したいと言ってくれました。そして婿養子になることも承諾してくれました」

「ご縁があったのね、ご主人とは」

「そうかもしれません。結婚して跡取りの男の子も生まれて、両親も喜んでいます」

上野さんは嬉しそうにそう話してくれたが、その表情にかげりがみえたのは気のせいだったのだろうか?

こういう宴会の場合、料理はできるだけ温かいうちに食べて平らげておくのが鉄則だという。食べられるときに食べておかないとお酒を注ぎに回っていたら食べられなくなるし、おしゃべりしていたら食べられなくなる。それに食べておかないと悪酔いしやすい。主人がここへ来る前に私に教えてくれた。

それで上野さんとお話しながら食べられるだけ食べた。でも私と彼女は料理の半分も食べていない。手つかずの料理も何品かある。向かいの秋谷さんと進はそこらを心得ていて、もうすっかり食べ終えているように見えた。

幹事の秋谷さんから近況報告が始まった。東京で電機会社に勤めていることや、10年前の同窓会の後、すぐに結婚したこと、5歳の娘さんがいることなどを手短に話していた。進は前回の同窓会の後に結婚して、娘さんがひとりなどと簡単に話していた。

上野さんは前回、前々回も出席していなかったので、高校を卒業してからのことを手短に話していた。めずらしく婿養子をとったと言ったので会場が騒めいた。そういえば彼女の家は旧家で資産家と聞いたことがあった。

自己紹介のうまい人、長い人、短い人、様々だけど性格が出ている。私は短い方だ。自己紹介で自分のことを話すのはなにか照れ臭いのでいつも手短に終える。

私は進に聞かせるように10年前の同窓会ではもう結婚していたことやその1年前に男の子が生まれたこと、それから今勤めている旅行代理店での仕事について話した。

進は私をじっとみつめて自己紹介を聞いていた。10年前は彼も出席していたが、私の結婚を挨拶状で知らせておいたからか、私とは目も合わさなかった。もちろん話しかけてもこなかったので、私も彼とは終始離れたところにいた。

だからなおさらお互いに不完全燃焼のような燃え残りの思いがずっとくすぶり続けていたのに違いない。だから、突然ああいうふうに出会って話しかけることができたから自然となるようになったのかもしれない。

私と上野さんはそのころから仲が良かった。二人ともクラスでは可愛い方だったと思っている。秋谷さんが休み時間によく上野さんの席に来て話しかけていたが、いつの間にか上野さんと親しくなっていた。

私たち二人の回りにはもう何人かがビールを注ぎに来ている。秋谷さんも上野さんのところへ来て話し始めた。しばらくすると同級生たちは以前彼らが仲良かったのを知っているので、話している二人に遠慮して近づかなくなった。

進は私の周りに人がいなくなるのを待ってビールを注ぎに前に座った。目が合った。彼ははにかんだ笑みを浮かべていた。今日はお互いに身のまわりのことが詳しく聞けるはずだ。進は隣に座っている秋谷さんと上野さんに聞かれても差し支えのないように、何喰わぬ顔であたり障りのない会話を始める。

「お久しぶり。元気そうだね。ご両親は健在か?」

「四年ほど前に父が他界して、今は母親が一人で実家にいます。ときどき様子を見に来ています。この前の同窓会は主人と1歳の息子と一緒に来て実家で見てもらいました」

「ご兄弟は?」

「妹がいますが、大学を卒業して東京に就職してもう結婚もしています」

「吉田さんのご両親は?」

「一昨年、父が亡くなって、母親が気落ちしているので、ときどき家の片づけや庭の手入れの手伝いに来ている。君と同じだ」

「ご家族は?」

「さっき話したとおり、10年前の同窓会が終わって1年ほどして結婚した。妻は4歳年下の関連会社の社員だったので職場結婚に近いかな。8歳になる娘がいる。今は共働きで娘の世話などで忙しい思いをしている。弟がいるけど、今は仙台に住んでいる」

「お仕事は順調?」

「食品会社に勤めていることは知っていたよね。いまはチームリーダーになっている。中間管理職だから、忙しいだけ。でもブラック企業ではないから休暇は取れるけどね」

「田代さんいや中川さんのご主人は? 確か見合い結婚だったよね」

「13年前、仕事に行き詰って悩んでいたところ、実家からお見合いの話があって、会ってみるだけ会ってみることにしたら、お相手が良い人で好きになって結婚しました。2歳年上で理系の学科を卒業して医薬関係の会社に勤めています。家庭を大事にしてくれるイクメンです」

「お子さんはおひとりだけ?」

「はい、結婚を機会に仕事を辞めて大阪に移ってから専業主婦をしばらくしていましたが、子供ができないので、また仕事を始めました。11年前にようやく子供ができました。でも仕事は続けています」

「中川さんの近況が聞けてよかった」

「私も前回の同窓会では話しそびれたから気になっていました」

「実家には寄ってきたのか?」

「ええ、昨日半日と今日の午後2時まで、お昼ご飯を一緒に食べてから駅にきました。明日は寄らずにすぐに帰ります」

「僕も同じ感じだった。明日は直接帰るつもりだ」

「実家に泊まっているの?」

「実家は古い家具やものが多く片付いていなくて、ゆっくり寝られる部屋がない。昔使っていた自分の部屋は物置になっているから、駅前のホテルに泊まっている。その方が楽だから」

「いつも同じホテル?」

「今の駅前のいつも使っているホテルは部屋もベッドも大きくてゆっくりできる。コスパがよいからここのところずっとそこにしている。これからも予約がとれればそうしたい」

「私も実家は両親の家具や荷物でいっぱいで、私の部屋もやっぱり物置になっています。整理しようにも思い出の品だとか言って、なかなか整理させてくれません。週末に時々来たくらいではなかなか片付かなくて。だから、私も駅前のホテルに宿をとっています。これからもそうします」

「その方がお互い都合がよさそうだね」

「親の面倒を見るのは大変そうだね。俺は兄貴にまかせている」

隣で上野さんと話していた秋谷さんが二人に話しかけてきた。

「次男坊は気楽だな。上野さんのご両親はご健在か?」

「二人とも元気です。父もまだ働いています。私は結婚後も仕事を続けましたが、母が家にいて息子の面倒を見てくれていましたので助かりました。息子も中学生になったのでずいぶん楽になりました。最近は趣味の旅行もできるようになりました」

「東京を案内してあげるから来ないかと誘っているんだけど」

「二人だけで会うのはまずいんじゃないか? 僕も一緒に案内してあげるから声をかけて」

「そうね。そのときはよろしくね」

進は私の顔をそれとなく見た。目が合った。二人だけで会うのは危ないと思っているのがお互いに分かった。実際、私たち二人はもうすでにこうなっている。彼の目がそう言っていた。

宴会は2時間でお開きになって、二次会のために準備してあった部屋に移動することになった。カラオケも備え付けられているので歌も歌える。話し足りない人たちはそこで話をすればよい。飲み物とつまみも用意されていた。

秋谷さんと上野さんは二次会の会場でも話していた。誰かが高校生の時に流行っていた歌を歌っている。私はほかの女子とも情報交換をしたが、進とはもう二人で話しをすることを控えた。

私は気になっていた友人たちとも十分に情報交換ができた。専業主婦の人も共働きの人もいたが、夫や子供、両親など生活の状況は私とほとんど変わらなかった。同じ年代だと悩みも同じだと、安心したというか納得がいった。それでもう話し疲れてもいたので、その場はほどほどにして引き揚げた。これからゆっくりと温泉につかりたい、そういう気分だった。

私は昔からお風呂好きで温泉が大好きだ。こういう機会があるとゆっくり入りたい。温泉に浸かりながら、進の話を思い出していた。

パートナーと子供と幸せに暮らしているとの確信は得られた。また、これまでの彼の振舞いから私との関係も大切に考えていることも良く分かった。彼も私の振舞いから分かってくれたと思う。

◆ ◆ ◆
5月15日(日)翌朝、早めに食堂に入ったが、もう何人かは席についている。食堂に来た順にテーブルについて準備されたトレイの食事を摂ることになっていた。ご飯とおみそ汁はお替り自由だった。男子は二日酔いの様子を見せながら、皆、朝食を食べている。私は端の方の席に座った。

ほとんど食べ終わったころに、進が食堂に入って来て、私の向いの席に座った。目が合ったので軽く会釈をしてからご飯をよそってあげた。それから「お先に失礼します」と言って席を立った。

駅までの帰りのバスが9時に出発した。私も進も乗ったが、ここでも席は別々に座った。秋谷さんもバスに乗っていたが、上野さんの姿はなかった。後で聞いたら、友人の車に自宅近くまで同乗させてもらったとのことだった。

駅に到着して解散するとき、皆と挨拶を交わした。私は進に「また、お会いしましょう」と微笑みながら言った。彼は「またね」と嬉しそうに笑っていた。
駅でバスを降りて、西口の待ち合わせの場所に向かった。何人かがもう集まっていた。その中に田代(たしろ) 直美(なおみ)さんがいた。すぐにお久しぶりと挨拶を交わした。私は上野(うえの) 多恵(たえ)、彼女とは高校時代はよく話して仲がよかったが、卒業後、大学のそれぞれの学科へ進学してからは疎遠になっていた。

そこへ誰かが駆け寄ってきた。幹事の秋谷(あきたに) 幸雄(ゆきお)さんだった。18年ぶりの再会だった。別れたあの時と変わらない優しいまなざしで私を見つめていた。私は懐かしさがこみあげてきて言葉が出てこない。

「久しぶりだね。よく来てくれたね」

「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」

彼も言葉が続かない。周りには人が増えてきていた。彼は幹事だからバスに乗る人の顔と名前を確認しなければならない。まだ、副幹事の吉田さんが着いていないと心配している。もう出発時間の10分前になっていた。ようやく吉田さんが走って到着した。

「吉田君、遅かったな、もっと早く来ているかと思った」

「ごめん、交通事故で道が混んでいて思いのほか時間がかかった」

「人数は?」

「迎えのバスに乗るメンバー8名はそろった。おまえが最後だ」

ほどなく迎えのバスが到着した。マイクロバスといっても20名くらいは楽に乗れる大きさがあったので、それぞれが思い思いの席をとって座った。

秋谷さんが一緒に座ろうと言うので、前方の席に二人並んで座った。3時ちょうどにバスは出発した。

「来てくれてありがとう。どうしているか気になっていたから」

「いつも案内状をありがとう。前々回は息子を妊娠中で来られなかった。前回も子供がまだ3歳で手がかかって出られなかったの。ごめんなさいね。今回は案内状にぜひ来てほしいと書いてあって、子供も大きくなって手がかからなくなったので来てみました」

そうは答えたけれど、別れ方が別れ方だっただけに、以前は悲しい気持ちを思い出すから来たくなかった。もう会いたくなかったからだった。今になってようやく気持ちに整理がついたというか、余裕ができたから来たのだった。

「少しも変わっていないね。あの時のままだ」

「あなたもちっとも変っていないわ。もうあれから18年もたっているのね」

ちょうど18年前、大学を卒業した年の3月、私たちはこの駅の改札口で別れた。彼の横顔を見ていると、当時のことが鮮明に蘇ってくる。あの時もバスの中でこうして横顔を見ていた。

◆ ◆ ◆
私たちは高校2年生のクラス替えで同じクラスになって初めて知り合った。秋谷さんが休み時間に私の席に来てしょっちゅう話しかけてきた。それでお話をするようになって、帰りも同じ方向で、途中までバスが同じだったので、一緒に帰ることが増えていった。

彼が私に好意を持ってくれていることが分かると私も彼に好意を持つようになっていった。それでいつの間にか親しくなっていた。2年生の終わりに彼は私が好きだと言ってくれた。それが嬉しくて私も好きだと答えた。そのころは昼休みや放課後に校庭の隅で話すことがたびたびだった。

ただ、私たちの高校は進学校で3年生になって受験勉強が忙しくなって、二人で話をする時間が取れなくなっていった。昼休みか帰り道のバス停までくらいしか時間が取れなかった。あの時、何を話していたか思い出せない。きっとたわいのないことしか話していなかったのだと思う。

3月中旬に大学入試の合格発表があった。私は運よく看護学科に合格した。彼のことが気になっていたが、家に電話が入って、私がどうだったか聞いてきた。私は合格したと知らせた。彼も工学系の電気電子学科に合格したと教えてくれた。また、大学で会いましょうと約束して電話を置いた。

それから私たちは大学のキャンバス内で会うことが多くなった。時々は街中でデートすることもあったが、たいがいは大学のキャンバス内で施設の中で会っていた。

彼とは人目のないところで抱き合ってキスをするところまで進んでいった。ただ、ほかのカップルのように、お互いの部屋を訪ねることはなかった。私たちは自宅から通学していたからだ。

4年生になる3月、就職活動を始める時期になっていた。彼は将来私と結婚したいといってくれた。私は一人娘なので両親と相談したいと答えた。それで彼は両親に会ってその気持ちを伝えておきたいと言ってくれた。それで私は両親に自分も彼と結婚したいという気持ちと彼について話しておいた。

彼は両親に会ってその気持ちを伝えてくれた。両親は彼の人柄や学歴は気にいってくれた。ただ、両親の答は「地元に就職して婿養子になってくれれば結婚させる」というものだった。彼はその条件に即答できなかった。「少し時間をください」といった。彼は兄がいて次男だったから婿養子になることはできない相談ではなかったと思う。

4月に入ると彼は本格的に就職活動を始めた。そして5月の終わりごろには東京の電機会社から内々定をもらったと聞いた。それから地方公務員の試験を受けてみようかとも考えていると言っていた。でも8月になって公務員試験の応募はしないと告げられた。

「俺は東京の一流会社で自分の力を試してみたい。だから地元での就職はしないことにした」

「それじゃあ、私とのことは?」

「俺と一緒に東京へ来てくれないか? いまどき婿養子なんて考え方が古くないか? 別に外国に就職しようなんて言っている訳じゃない。いつだって好きな時に帰省できるのだから」

「少し考える時間をください」

そんなことができるだろうか? 彼も両親の前で即答できなかったように私も即答できなかった。そうこうしているうちに秋になると私も市内の公立病院に就職が決まった。

私は両親に彼の就職のことを話せなかった。一人娘の私に愛情を注いで大切に育ててくれたことはよく分かっていた。それでも彼とはキャンバスで時々あって話をしていた。

私は彼が好きだった。彼は抱きしめてキスするだけでそれ以上はなかった。彼は私との別れを予感していた。それで別れた後の私のことを考えて大切にしてくれたのだと思う。

卒業式が迫っていた3月はじめに私は彼に提案した。

「卒業式が終わったら、二人で卒業旅行に行かない?」

「二人で卒業旅行? どこへ?」

「能登はどう? 修学旅行以来行ったことがないから1泊2日で。月末にはここを離れるのでしょう。その前に思い出を作りたいから」

「そうだね、最後に思い出の卒業旅行もいいね」

「私がスケジュールを考えて、後で連絡するから」

「分かった。任せる」

私は1泊2日のスケジュールを考えた。行きは駅から観光バスで途中を見物しながら輪島へ向かう。輪島のホテルで一泊して、次の日は別のルートで観光しながら能登の突端をまわって駅まで戻るルートにした。到着は午後4時の予定だった。

両親には高校の同級生の田代直美さんと卒業旅行に行くと説明した。田代さんは東京へ就職が決まっているので、お別れの記念だからと話した。田代さんは高校時代に私の家によく遊びに来ていたので両親は知っていた。秋谷さんとのことを聞かれたので、もう別れたと言っておいた。

当日、秋谷さんは大きなスーツケースを引いて駅に現れた。それをコインロッカーに預けて、旅行から帰ってきたら、直接、上京すると言っていた。

観光バスは千里浜のドライブウェーを通って能登島水族館などを見学して輪島に着いた。ホテルから町中を歩いて海岸まで散歩した。それから居酒屋でお酒を飲みながら夕食を摂ってホテルに戻ってきた。最後に彼と一緒にお酒を飲んでみたかった。それは私の気持ちを奮い立たせるためでもあった。

ホテルの部屋に戻るとすぐに私は彼に抱きついた。彼も私の気持ちが分かっていたのか抱き締めてくれた。

「私に思い出を残していってください」

「僕は君をこのままにしておきたい。その方がきっと君のためになる」

「いえ、このままでは私はきっと後悔すると思っています。お願い」

その言葉に彼は決心をして、私を抱き締めてベッドへ導いた。彼は私の服をぎこちなく脱がせていった。私はただ彼に抱きついていただけだった。何も考えたくなかった。思い出にしたいそれだけを考えていた。

痛みが走った。彼は私を抱き締めているだけだった。私は力一杯彼に抱きついた。でも彼はすぐに身体を離した。二人とも初めてでぎこちなかった。でも何とか一つにはなれたと思った。それで私は気が済んで、つきものが落ちたように冷静になっていた。

「ありがとう。思い出を作ってくれて、一生忘れないと思います」

「良い思い出になればいいんだけど、こちらこそありがとう」

それから二人は抱き合って眠った。私は一晩中彼に抱きついていた。彼も抱き締めて私を離さなかった。

今思うと、あれは過去への惜別の儀式だった。翌朝、朝市へ二人で行って私は両親へのお土産を買い求めた。

それからホテルで朝食をとって、観光バスに乗って、半島の先端の灯台などを見学して駅へ戻ってきた。その間、バスの中では彼の腕を抱きしめて眠っていた。駅に着けば別れが待っている。

駅に着くと、彼は東京への切符を買ってから、コインロッカーから大きなスーツケースを取り出した。それを引いて改札口へと向かっていく。改札口の手前で振り返って私に言った。

「このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから」

「ありがとう。そう言ってくれて。でも私はここに残ります。そう決心しましたから」

「そうか、元気でいて幸せになってくれ。さようなら」

それが最後に交わした言葉だった。そして改札口を入ったところで彼は振り向いて私をしっかり見た。私の姿を目に焼き付けようとしたのだろうか? でもとても寂しげな目だった。私は作り笑いをした。彼は頭を少し下げるとエスカレーターに乗ってホームへ上がっていった。その後姿を見ながら心の中で叫んでいた。

「さようなら、思い出を作ってくれて、ありがとう。元気でいて」

あの時の後姿を今でも鮮明に覚えている。

◆ ◆ ◆
秋谷さんが話し始めている。私はそれに耳を傾けている。

「就職してから、今日までずいぶん頑張ってきたつもりだけど、あのときの志の十分の一も果たせていない。君に大見えを切って故郷を離れたんだけどね。今は中間管理職で上と下に挟まれて苦労が多くて、何とか務まっているけど、この年になると先も見えてくる」

「でも、あなたはあのときと同じで、私よりよっぽどはつらつとしています」

「あの時、地方公務員にでもなって君の家の婿養子になっていたら今の苦労もなかったかもしれない。また、君との楽しい別の人生があったのかもしれない。ときどきそう思うことがある。それで君に会いたかったのかもしれないね」

「十分幸せそうに見えますが? ご結婚したのでしょう?」

「ああ、この前の同窓会の後、しばらくして結婚した。今は5歳の娘もいる」

「お相手はどんな方?」

「同い年で、今も働いている。いわゆるキャリアウーマンかな。合コンで知り合って、馬が合うというか、意気投合して、付き合い始めて、しばらくして結婚した」

「あなたらしいわ。昔からずいぶん女子には積極的だったから。高校の時も私の席にしょっちゅう来て話しかけていたから」

「君が可愛かったからだ。俺は昔から面食いだったから」

「ということは奥さんも美人なんでしょう」

「上野さんほどではないけど、まあ、綺麗な方かもしれない」

「相変わらず、口がうまいのね」

私は彼の生活に関心があった。私と別れてどんな生活をしてきたのか知りたくなった。私と結婚していたら別の人生があったはずだった。それは私にもいえることだ。彼と結婚して東京に行っていたらまた別の人生があった。

彼は私の話を聞きたかったようだけど、バスは30分くらいで旅館に着いた。
会場の温泉旅館に到着するとすぐに秋谷さんが会費を徴収していた。私は女子に準備されていた大きなお部屋に荷物をおいて、すぐに温泉に入りに行った。大広間での会食は6時だから十分に時間はある。

温泉旅館だけあって女子の浴場は大きかった。私はお風呂や温泉が大好きだ。このごろは病院の温泉好きのお友達と時々1泊2日で県内の温泉へ行っている。久しぶりの温泉に入っていると疲れが取れる。上がると身体をゆっくり冷ましてゆったりした服に着替えた。

一息つこうと部屋に戻ると、仲の良かった田代さんが一緒に会場に行こうと誘ってくれた。彼女とはここまでは話をする時間が取れなかった。

宴会場の大広間にはそろそろ人が集まり始めていた。秋谷さんがくじ引きで席順を決めている。私と田代さんは都合よく隣同士の席になった。私たちの向かい側には幹事の秋谷さんと副幹事の吉田さんが隣同士で座っている。秋谷さんと吉田さんが私たちをチラ見している。

定時になったので、幹事の秋谷さんの簡単な挨拶と乾杯で宴は始まった。始めの20分くらいは食事に専念して、そのあとに持ち回りで自身の近況を話すことになっている。田代さんは席に着くとすぐに私に話しかけてきた。

それでお見合い結婚をして息子が生まれた話をした。また、秋谷さんとのこと聞かれたので、付き合っていたけど家庭の事情で別れたと話した。田代さんも高校の2年先輩とお見合い結婚をして姓が変わって中川さんになっていた。

中川(旧姓 田代)さんは私の話をよく聞いてくれた。そしてよく食べていた。相変わらず元気で活発なので思わず笑みがこみあげてきた。昔とちっとも変っていない。昔の友人は良い、何年たっても気性というか性格はあの当時のままだ。だから安心してお喋りができる。

幹事の秋谷さんから近況報告が始まった。東京で電機会社に勤めていることや、10年前の同窓会の後、すぐに結婚したこと、5歳の娘さんがいることなどを手短に話していた。

私は前回、前々回も出席していなかったので、大学の看護学科に入学したことや卒業してからのことを手短に話した。卒業後に市内の公立病院に勤務していること、お見合い結婚して婿養子をとったこと、13歳になる息子がいること、前々回は息子を妊娠していたので欠席したこと、前回は子供が3歳で手がかかるので欠席したことなどを話した。

中川さんは手短に10年前の同窓会ではもう結婚していたことやその1年前に男の子が生まれたこと、簡単な近況などを話していた。

自己紹介のうまい人、長い人、短い人様々だけど性格が出ている。その性格は昔のままで聞いていて楽しかった。久しぶりに楽しかったあのころを思い出していた。

自己紹介が終わると、私たち二人の回りにはもう何人かがビールを注ぎに来ている。秋谷さんも私のところへ来て話し始めた。するとほかの同級生たちは以前私たちが仲良かったのを知っているので、遠慮して近づかなくなった。

「バスの中では時間がなくて君のことを聞けなかった。やっぱり婿養子をとったんだね」

「お見合いして3人目が今の主人です。私が病院で看護したことのあった人で気に入られて婿養子にもなっても良いとまで言ってくれました。同い年で地方公務員をしていましたので両親も気に入って勧めていました。それでこの人でいいのかなと思って」

「跡取りもできてよかったじゃないか。ご両親もお喜びだろう」

「孫を甘やかし過ぎて困っています」

「僕がここに残って婿養子になっていても男の子が生まれていたとは限らない。今のご主人でよかったんじゃないか?」

「ええ、すべてうまくいっています。うまくいき過ぎているのかもしれません。平凡ですが平和な生活が続いています」

「それに越したことはない。ここは良い仕事さえあれば住むのにはとっても良いところだ。まあ、冬の雪がなければもっと良いけどね」

「東京も住んだらおもしろいでしょう。いろいろあって」

「ああ、東京へ遊びに来たら案内してあげる」

「ありがとう。そのうちね」

秋谷さんは隣で話している吉田さんと中川さんの会話を聞きつけて二人に話しかけた。

「親の面倒を見るのは大変そうだね。俺は兄貴にまかせている」

そう話しかけると中川さんと話していた吉田さんがこちらを向いて私たちに話しかけてきた。

「次男坊は気楽だな。上野さんのご両親はご健在か?」

「二人とも元気です。父もまだ働いています。私は結婚後も仕事を続けましたが、母が家にいて息子の面倒を見てくれていましたので助かりました。息子も中学生になったのでずいぶん楽になりました。最近は趣味の旅行もできるようになりました」

「東京を案内してあげるから来ないかと誘っているんだけど」

「二人だけで会うのはまずいんじゃないか? 僕も一緒に案内してあげるから声をかけて」

「そうね。そのときはよろしくね」

吉田さんと中川さんはお互いに顔を見合わせて、それはまずいといったような表情をしていた。二人は昔付き合っていた私たちが二人だけで会うのは危なっかしいと思っているに違いない。その時は考え過ぎだと思っていた。

宴会は2時間でお開きになって、二次会のために準備してあった部屋に移動することになった。カラオケも備え付けられているので歌も歌える。話し足りない人たちはそこで話をすればよい。飲み物とつまみも用意されていた。

私たちは二次会の会場でもしばらく話していたが、私はほかの女子とも情報交換をしたかったので、彼とはもう二人で話しをすることを控えた。誰かが高校生の時に流行っていた歌を歌っている。

二次会では私は卒業してからどうしたのか気になっていた人たちとも情報交換ができた。それで話し疲れてきたこともあって引き揚げてきた。これからもう一度温泉につかりたい、そういう気分だった。

◆ ◆ ◆
翌朝、食堂へ行って朝食を食べ終えたときに、秋谷さんに帰りは友人に車で自宅近くまで送ってもらえることになったので、バスには乗らないことを伝えた。ここで別れることになってしまうので、秋谷さんは名残惜しそうだった。

「宴会の時に配った名簿に住所、電話番号、メルアドが載っているから、東京へ来るときは連絡してくれ。案内をしてあげるから」

「ありがとう。そううちに行けたら行くわ、その時は連絡します」

そう言って会場を後にした。
高校の同窓会から2週間たった。同窓会に出るべきではなかったと後悔した。あれからずっと秋谷幸雄のことばかり考えていた。あの優しい愁いを含んだまなざしはあの時に駅で見せたものとちっとも変わっていなかった。

なぜ、別れの間際に「このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから」といってくれたとき、思い切って彼についていかなかったのだろう。また、彼との別の人生があったに違いない。そう思うとますます思いが募ってきた。

彼が言っていた「東京へ来ないか案内してあげる」を思い出した。この募る思いをどうにかするためには、もう一度会ってみなければならない。それで自分の気持ちがはっきり分かると思った。

昼休みに同窓会で配られた名簿の電話番号にかけてみた。すぐに出てくれた。

「上野です。秋谷さん。元気にしている? 同窓会の幹事ありがとう。いろいろな人とお話できて楽しかったわ」

「ああ、上野さんとも久しぶりに話ができてよかった」

「あの時、東京へ遊びに来ないか、案内してあげると言ってくれましたね。近いうちに時間ができたら遊びに行きたいのだけど、ご都合はいかがですか?」

「東京へは来たことがあるの?」

「大学の4年生の時に学会があって教室から一度行ったことがありますが、発表を聞くのに忙しくて見物する時間がありませんでした」

「それならウィークディに来られないか? 土日や祝日はどこも結構混んでいるから。1日ぐらいなら休暇をとるよ。ここのところ休んでないから」

「それなら私の非番の日に合わせて出かけます。勤務日を調べて、こちらで日程をきめてもいいですか?」

「ああ、日程がきまったらメールで知らせてくれる。都合を連絡するから」

すぐに勤務予定を調べた。6月15日(火)16日(水)なら1泊2日で出かけられそうだった。夜勤が明けたら、そのまま駅に行って新幹線に乗ればお昼前には東京に着ける。その日の午後から東京見物をしてホテルに泊まって、次の日のお昼過ぎに東京を出てくれば、次の夜勤の開始時間には十分に間に合う。

タイトなスケジュールだから疲れるかも知れないけど、夫や息子にもあまり負担をかけないで済みそうだ。それで秋谷さんにメールで連絡を入れた。

[秋谷様 日程は6月15日(火)16日(水)の1泊2日の予定としたいのですが、いかがでしょうか? 私は15日(火)のお昼前には東京へ着けます。それで午後から半日ほど案内をお願いできますか? 16日(水)はお昼ごろに東京を出発する予定です。なお、宿泊場所はこちらで手配します。ご都合をお知らせ下さい]

ほどなく返信のメールが入った。

[上野様 日程了解しました。6月15日(火)は休暇の予定を入れて空けておきます。当日は12時に東京駅八重洲口の改札口で待ち合わせることでいかかでしょうか?]

すぐに[了解しました]とのメールを入れた。約束ができてほっとした。宿は駅のホテルにツインを予約した。

ツインを予約したのは二つの考えからだった。まず、家族には高校の親友で大阪に住んでいる田代直美さんと二人で東京見物に行くことにした。まさか結婚に反対された秋谷さんに会いに行くとはとても言えない。もうひとつはもし彼と一夜を共にすることになっても不都合がないようにと考えたからだった。

それから東京へいく理由として、同窓会で同級生の田代さんと再会して一緒にどこかに旅行に行こうとなって、彼女が結婚まえに東京に住んでいて久しぶりに行ってみたいと言ったからとした。

◆ ◆ ◆
6月15日(火)私は夜勤を終えて、その足で駅に向かい8時56分発「かがやき506」に乗り込んだ。東京には11時20分に到着した。

私は八重洲口の改札口を出たところで待っている。12時の待ち合わせだ。東京駅はとても広かった。それに出口がいくつもあって八重洲口にたどり着くまでにかなり時間がかかった。もう11時40分になっている。私はいつも旅行するときに使っている赤いスーツケースを引いていた。

11時45分に秋谷さんが駆け寄ってきたのが分かった。ニコニコ笑っている。

「早く着いたんだね」

「ええ、11時20分には着いたけど、駅が広くて、ここまでとても時間がかかりました」

「宿泊はどこにとったの?」

「この駅の中のホテルにツインルームをとりました。帰りが楽だから」

私はあえてツインルームを予約したと言ってみた。こういっておけば私の気持ちを分かってくれると思ったからだ。あとは彼次第だ。

「そうなら、まだチェックインには時間があると思うけど、とりあえずホテルのフロントで荷物を預かってもらったらどうだろう」

そういうと、彼はスーツケースを引いてくれてホテルのフロントへ向かった。荷物を預けている間に、彼は離れたところで電話をかけていた。

「チェックインは3時からで荷物は部屋に運んでおいてくれるそうです」

「これからどこへ行きたい?」

「おまかせします」

「これから、地下鉄で浅草へいって昼食を食べてから浅草寺をお参りして、それからスカイツリーに上るのはどうかな。それから銀座を歩いて、夕食をご馳走したい。銀座のホテルに夕食の予約をしておいたから。夕食をとってからホテルまで送る。半日なら2か所くらいが疲れなくて良いと思う」

「いろいろ考えてくれてありがとう」

私たちはもう昔のころに戻っていた。二人で手をつないでゆっくりと歩いた。こうして歩いていると18年間も離れていたとはとても思えなかった。あのとき、一緒に上京していたら、ずっとこうして歩いていたかもしれない。

浅草寺はニュースで見た印象よりもずいぶん空いていた。やはりウィークディにしたのは正解だった。人ごみに揉まれることもなく、のんびり見物できる。

浅草寺ではお線香を供えてからお参りをした。私は何も願い事をしなかった。ただ、無心で手を合わせていた。彼は私よりも長く手を合わせていた。何かお願いごとをしたのだろうか?

スカイツリーも空いていた。チケットもすぐに買えて最上階まで行くことができた。彼はここへきたのは2回目だと言っていた。東京が一望できた。東京はすごく広いところだと思った。あの時、彼と一緒に来ていたらどんな生活が待っていただろう。でもここでの生活が想像できなかった。

銀座へきたのは5時少し前だった。銀座の大通りを案内してもらった。デパートにも入ってみた。地元のデパートよりも洗練されたディスプレイだった。私は衣服に特にこだわりはないけど、せっかく来たのだからと気に入った夏のブラウスを買い求めた。彼は買い物にも付き合ってくれた。

買い物に気が済んだころ、近くのホテルのメインダイニングへ連れて行ってくれた。まだ窓の外は明るいが、見晴らしの良い窓際の席へ案内された。

「ここはご馳走させてくれ。もう料理も頼んであるから、ゆっくり食事を楽しもう。日が沈むと夜景もきれいだから」

「ありがとう。気を使わせて申し訳ありません」

「いや、せっかく来てくれたのだから、これくらいはさせてくれ」

ボーイさんがやって来て飲み物を聞いた。秋谷さんはワインでもどうかというので少しだけ飲むことにした。始めは白ワインをグラスで注文してくれた。

料理の途中では赤ワインをグラスで頼んでくれた。私は少し酔ってみたかった。デザートになるまでには2杯のワインを飲み干していた。

「東京の広さが分かったとき、スカイツリーで思い出していました。別れたあの時、駅であなたが言ってくれた言葉を」

「なんていっていたっけ」

「『このまま一緒に東京へ来ないか? 必ず幸せにするから』といってくれました」

「君が来ないと分かっていたけど言ってみたかった。それであきらめがついたから」

「ご免なさい」

「でも、一緒に来なくてよかったかもしれないと思っている。はじめは一人でも東京の生活は大変だった。二人で生活するのはもっと大変だったと思う。『落ち着いてから来てくれないか』というのが正解だった」

「でも、私はスカイツリーで東京の広さが分かった時、どういうわけか、あなたとのここでの生活を全く想像できませんでした。地元を離れられなかった訳も分かったような気がしました。私には勇気がなかったのです」

「勇気がなかったというのは違うと思う。君はあの時ご両親の老後や家のことや自分の仕事のことなどいろいろ考えて悩んだのだろう。そして決めたことだ。勇気がなかった訳ではない。地元に残ると決めることも勇気がいったはずだ」

「そうでしょうか?」

「俺は次男坊だから地元に就職して君の婿養子になろうかとも考えた。でもそれでは人生どん詰まりのような気がした。一流会社に就職して、できれば自分の力を試してみたい、そう思った。そして俺は安易に上京する道を選んだ。就職してから、仕事が大変だった時には、どうして地元に残らなかったのだろう、もっとよく考えるべきだったと後悔もした」

「あなたも悩んでいたのですね」

「今はもう吹っ切れている。あの時はベストのチョイスをしたと思うことにしている。あのとき地元に残っていたら、一生、東京に出て自分を試さなかったことを悔やんでいたと思う。だから後悔はしていない。これでよかったと思っている」

私は彼の今の心情がよく理解できた。私も今は同じような考えに至っていたからだ。

私は少し酔ったみたいだった。でもとても気持ちがよかった。ハイになっている、そういう感じだった。それでレストランを出るときには彼につかまって歩いていた。銀座のホテルからはタクシーで駅のホテルに向かった。

駅のホテルのフロントへいって、私はチェックインをした。名前は自分の氏名と彼の名前を書いておいた。

「少し酔ったみたいで、部屋まで送ってくれますか?」

「ああ、もちろん」

彼は部屋まで送ってくれた。私は酔ったふりをして部屋の中まで身体を支えてもらった。彼は私が誘っていることにはじめから気がついていたと思う。また、そう思わせるようにしてきた。部屋に入るとよろけたふりをして抱きついた。彼は私を抱き締めてキスをしてくれた。

私は無言で抱きついているだけだった。彼もまた無言だった。私は何と話しかけてよいのか分からなかった。彼とのことは気持ちの整理がとうの昔にできていたはずだった。でも別の私が彼に抱きついているようで気持ちが抑えられなかった。それからは頭の中が真っ白になっていった。彼も気持ちが抑えきれなかったのが分かった。

◆ ◆ ◆
私は彼の腕の中に抱かれている。ようやく気持ちが落ち着いてきていた。長い間抑圧していたものが取り除かれて解き放たれたたようで、清々しい気分だった。気持ちだけでなく身体も彼を求めていたのかもしれないとも思った。

彼は黙ったまま、私の髪をなでている。彼はあの時とはすっかり変わっていた。私の感じやすいところを探して丁寧にそこを愛してくれた。快感が身体中を駆け巡った。

あの時は二人とも初めてだった。だから彼もぎこちなくて快感などは少しもなかった。ただ、彼との思い出がつくれたという満足感だけがあった。

でも今は快感が身体中を走り抜けていった。そのあとには、ようやく彼と交わったという実感と満足感が残されていた。私はこれを求めて彼に会いに来たのだろうか?

「ごめんなさい。あなたを誘惑してしまって」

「いや、東京へ誘ったのは俺だから、そんな気にさせて悪かった」

「あなたへの気持ちはもうすっかり整理ができていたと思っていたのですが、あれから無性に会いたくなって来てしまいました。それから会うと、もう抱き締めてもらいたくなって気持ちが抑えきれませんでした」

「俺もそうだ。同窓会で再会して、もう一度抱き締めてみたくなったんだ」

「今わかったの。身体があなたを求めていたと。ああいう別れ方をしたかしら」

「俺もそういう衝動にかれられたんだ。これがきっと男女の(さが)というものなのだろう」

「男女の(さが)?」

「そう考えた方が納得行くし、後ろめたい気持ちにならないから」

「後ろめたい。そう、私たちは不倫をしてしまったのね」

「このことはお互いにパートナーには分からないようにしないとお互いの家庭を壊しかねない」

「私は友人と東京見物に来たことにしていますから、大丈夫だと思います。秋谷さんは大丈夫なの?」

「今日は泊りがけの出張が急に入ったと知らせているから、大丈夫だ。時々急な出張が入るから問題はない」

「じゃあ、今晩は泊まっていけるのね」

私はまた彼に抱きついた。どうしたんだろう。また、気持ちが抑えきれなくなっていた。

◆ ◆ ◆
翌朝、彼は通勤時間に合わせて、ホテルを出て行った。私は帰りの新幹線の時間に合わせてホテルをチェックアウトして、駅のデパートでお土産のお菓子など買って、帰途に就いた。

帰りの新幹線の中で昨夜のことを思い出していたが、何とも言えない充実感があった。こんな気持ちになったことはここしばらくなかった。そして少しの疲れも感じなかった。
6月中旬の週の半ば、同窓会からもう1か月が経とうとしていた。2か月毎に会う約束だから1か月前にはそろそろ次の帰省の日程を決めなければならない時期だった。

どうしようか、こちらから予定を知らせようか、進の日程の提案を待つべきかと考えていたが、私の都合を優先できた方がよいと思った。それで昼過ぎに私からメールを入れた。

[次回は7月9日(金)10日(土)11日(日)]。

しばらくして[了解]の返信が入った。

◆ ◆ ◆ 
7月9日(金)実家で母と夕食を摂ってからホテルへ向かった。7時半過ぎにチェックインした。今日はゆっくりしてきた。午後4時に進から[到着は8時過ぎ]とメールが入っていた。すぐに[了解]の返信を入れておいた。

8時半過ぎになって[無事到着1240]とメールが入った。すぐに内線電話を入れる。

「お疲れ様、お元気ですか?」

「岡山に出張していて、今ちょうど着いたところです。遅れてご免」

「お食事は?」

「新幹線の中で済ませた。君は?」

「母と実家で済ませました」

「これから行くけど何号室?」

「となりの1241号室です」

「隣同士になることもあるんだ。お土産にお菓子を買ってきたから持っていこう」

「今日は私の方で飲み物とおつまみを用意しました。お待ちしています」

すぐにドアをノックする音が聞こえた。ドアを開けると微笑んだ進がいた。ドアの音がしないように注意して閉めて、すぐに中に入ってきた。私は抱きついた。抱き締めてもらうとすぐにでも愛し合いたいそんな気持ちがこみ上げてくる。

「会いたくてすぐに来てしまったけど、今日は汗をいっぱいかいたからシャワーを使わせてもらっていいか?」

「今日は暑かったから私も汗をかきました。もうシャワーを一回浴びましたので、ゆっくり使ってください。そのあと飲みもので喉を潤してください」

彼はバスルームへ入っていった。ここに二人でいれば、もう人の目も気にしなくてもよいし、誰にも邪魔されない。私は落ち着いて彼を待つことができる。徐々に気持ちが落ち着いてくる。私はテーブルにレモンサワーの缶を2本準備した。

彼は身体を拭きながら部屋に戻ってくると、テーブルのレモンサワーの缶を見つけた。

「レモンサワーが好きなの?」

「さっぱりしているので時々いただきます」

「再会を祝して乾杯」

彼はそれをゆっくり飲み干すと、手を伸ばして私を引き寄せて抱き締めてくれる。私も力一杯抱きつく。すぐに気持ちが昂る。そのままベッドで愛し合い始める。時間は十分過ぎるほどある。

◆ ◆ ◆
私は彼の腕の中で余韻を楽しみながら、静かに彼の回復を待っている。

私は何度も昇り詰めた。そのたびに大声を出しそうで必死でそれを抑えた。大声を出したら外へ漏れるリスクがある。このホテルは防音がしっかりしているので隣室や上の部屋の物音が聞こえたことはない。廊下に漏れる可能性はあるが、これは部屋の外で確かめないと分からない。

彼は耳元でささやいた。

「何も遠慮しないでしたいことをするから」

「好きなようにしていいからいろいろやってみて」

私はどんなことも当然のことのようにそれを受け入れた。そのことが彼を鼓舞してますます激しいものになっていった。

「すごくよかったわ。こんなに気持ち良かったことは初めて」

「いつもはしないことをしてみたかっただけだけど、悦んでもらえてよかった」

「まだ、お互いのことを十分に分かっていないから、恥ずかしがらずに何でも試せるのかもしれないわね」

「お互いに知りすぎていると恥ずかしくていまさらできないし、頼めないこともある」

「お互いに知り過ぎていないから、こういうふうだという思い込みがなく、抵抗なく受けいれられるのだと思います」

「確かに、まるで恋人とHをはじめたばかりのように、お互いに慣れていなくて、何でもこれが当たり前として受け入れられるのだと思う」

「慣れてくると、かえって新しいことにはチャレンジしにくくなるのかもしれませんね」

「何事も初めが肝心だとはよく聞く話だけど」

「私たちはこれからも何も遠慮しないことにしましょう。また、遠慮する間柄にはなりたくないわ」

「お互いにしたいことをする、してもらいたいことを素直に伝えることにしよう」

「毎回、新しい発見をしたいわ」

「それは結構『努力』がいるかもしれない。君も協力してくれないと」

「もちろんです。『努力』って辛いけど頑張ることでしょう。でもあなたはHが『好き』でしょう。私も『大好き』です。『努力』が大切と言われるけど『努力』と『好き』では『好き』の方が絶対に勝っていると思います。『好き』だから『努力』なしで寝食を忘れても続けられると思うの」

「寝食を忘れても続けられるは極端だけど、確かに『好き』だとできないことなどないと思う。その新しい発見をしたいという君の思いを大切にしたい」

「それを忘れないで下さい」

私は抱きついた。彼はもうすっかり回復していた。

◆ ◆ ◆
次の晩も私たちは新しい発見を求めて愛し合った。確かに四十八手も体位があることが知られている。私が知っているものはほんの一部に過ぎないと思う。

「好き」という気持ちさえあれば、新しい発見とその奥深さを無限に探究し続けることができるかもしれない。そう思った。彼もそう思っているに違いない。私たち二人にしかできないことをしてみたい。