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「ねぇねぇ、玲奈はもう何部に入るか決めた?」
お昼休みを知らせる鐘が鳴り、前の席の常盤美鈴がお弁当箱を片手に机をくっつけてきた。
「ううん、現在進行形で悩み中~」
私はわかりやすく頭を抱えて見せた。正直焦っている。
「あらら、提出期限明日までだよ。どうすんのさ」
美鈴は、玉子焼きを頬張りながら部活動入部届けを机の上に出した。
提出期限が4月23日と書かれている。
ダメだ。目を逸らしたくなる。
「そういう美鈴は決まったの?」
「私は小学生の頃からテニススクールに通ってたから高校でもテニス部に入るよ。時ノ音学園はレベルが高いから楽しみなんだー」
テニス部は一昨年に全国大会に出場したらしく、入学説明会でも紹介されていた。
テニス部に限らず、時ノ音学園の運動部は実力者が多く揃っており、毎年県大会に顔を出している。
運動音痴、通称うんちの私には関係のない話だ。
「本当にどうしようかなー」
「部活紹介で気になったものはなかったの?」
「うーん、あるにはあるけど」
先週の放課後、体育館で行われた部活動紹介。
運動部は昨年の実績や活動内容を説明してからステージ上で軽く実演をしてくれた。
野球部であればキャッチボールを。バドミントン部であればスマッシュを披露し、場を盛り上げていた。
運動部に比べれば文化部は、少し見劣りしてしまう。
しかし、吹奏楽部の演奏には心を震わせられた。とても高校生のレベルではない。
その演奏を客観的に見て私はこう思ってしまった。私には無理だ、と。
時ノ音学園高等学校に通う生徒は、必ず部活動に所属しなくてはならないという決まりがある。
運動音痴の私は初めから文化系の部活に狙いを絞っていたのだが、どれもピンとはこなかった。
高校生活の3年間を捧げるのだ。
どうせなら興味の持てるものがいい。平凡な日常を送ってきた私にもそろそろ刺激が欲しい。
ただ、現実は厳しいみたいだ。
『茶道部の皆さんありがとうございました』
部活動紹介もそろそろ終わりの時間。
私はステージから視線を外して帰る準備を始めることにした。
『続いてクラブ活動の紹介に入ります。騙し合いクラブの方、お願いします』
クラブ活動?
体育館がざわざわと騒がしくなった。
「おい、見ろよあれ」
「なんだ? 中二病か?」
「2年の郡山俊平先輩だろ。色々噂は聞くよな」
「変人? らしいよな」
「黙ってればカッコイイんだけどね」
あちこちからそんな声が聞こえてきた。
私の他にも帰ろうとしていた生徒の姿があったのだが、立ち止まってステージに体を向けていた。
私も何かに吸い寄せられるようにステージを見ていた。
ステージに現れたのは1人の男子生徒。手には横断幕を持っている。
なかなかの大きさで、1人では持ちきれないのか司会進行役の男子生徒の手を借りている。
「どうも、時ノ音学園高等学校騙し合いクラブの郡山俊平です!」
郡山先輩は、手にしていた横断幕を勢いよく広げた。
横断幕には、【平凡な日常にスパイスを!】と書かれている。
「俺と真剣に騙し合いをしたいそこの君、3階視聴覚室で待ってます!」
郡山先輩はそれだけ言うと、横断幕をマントのように羽織った。
『え、えっと、騙し合いクラブの郡山さんありがとうございました。続いて――』
紹介時間はどの部活動よりも短かった。
しかし、この日1番のインパクトを与えたと言っていいだろう。
騙し合いクラブのことが気になって気になって仕方がない。
特に意識をしなくても郡山先輩が横断幕を広げるシーンが脳内に再生されてしまう。
私にとってあの数分間はそれだけの衝撃があった。
ここ数日、放課後になる度に3階に足を向けようとしたのだが、あと一歩のところで勇気が出なかった。
でも、提出期限は明日だ。
猶予はほぼないに等しい。
「美鈴」
「んっ?」
「私、騙し合いクラブに行ってみる」
「玲奈って意外とチャレンジャーだよね。よしっ、そんな玲奈には私のタコさんウインナーをプレゼントしよう!」
美鈴が箸でさし出してきたタコさんウインナーをぱくりと食べる。
刺激を得るためには、自分から足を踏み入れるしかないのだ。
—1—
その日の放課後。
有言実行が座右の銘でもある私は、1人で視聴覚室の前までやってきた。ヤバい。どうしよう。緊張する。
3階は2年生の教室があるフロアだからいくら放課後とはいえ1年生の私は場違い感が強い。
すれ違う先輩からの視線も痛い。
それもそうだろう。1年生の女子が10分以上も視聴覚室の前を行ったり来たりしていればそりゃあ目立ってしょうがない。
でも、いざこの場に来てみたら恥ずかしさと緊張とがぐちゃぐちゃに混ざり合って教室に入るタイミングを完全に逃してしまった。
勇気を出して「騙し合いクラブに行ってくる」と言っていたお昼の私、カムバック。
「よしっ」
うじうじするな。やればできる子、長窪玲奈。行け。
恐る恐るドアに手をかけてゆっくりとスライドさせる。
「し、失礼します」
教室には椅子に座って読書をする郡山先輩の姿があった。
昨日とは随分と雰囲気が違う。
「こんにちは、もしかして入部希望かな?」
郡山先輩は机に本を置き、視線をこちらに向けてきた。
「は、はい! この間の部活動紹介が印象に残ってて」
ドアを閉めて、視聴覚室に足を踏み入れる。
あれ? 気のせいかな、なんか良い匂いがする。
「数多い部活動の中から興味を持ってもらうとなったらあれくらいは必要かなと思ったんだ。何せこっちは廃部がかかってたからね」
「廃部ですか?」
確かにクラブ紹介では、郡山先輩しかステージに姿を見せなかった。
もしかして部員は郡山先輩だけなのかな?
「うん。先輩が卒業しちゃって残ってる部員は俺だけなんだ」
郡山先輩が少し寂しそうな表情を見せた。卒業した先輩たちがいた頃のクラブ活動を思い出したのだろう。
「実は騙し合いクラブは元々は文芸部だったんだ。時ノ音学園は5人から正式な部活動として認められる。また、何らかの理由で5人以下になってしまった部活はクラブ活動に格下げされてしまうんだ。この入部届け提出期間に新入部員が入ってこなかったら騙し合いクラブは廃部になるところだったんだよ」
郡山先輩が机の上に入部届けとボールペンを出した。
私は名前を記入するべくボールペンを握る。
「ちょっと待って。ただ騙し合いをするのもいいけど、それじゃいつか飽きが来るとは思わないかい?」
「そ、そうですね」
郡山先輩は顎に手を当てて何やらぶつぶつと呟きだした。
郡山先輩の言うように平凡な日常に騙し合いというスパイスを加えることで刺激的な日々になることは間違いない。
しかし、刺激的な日々が繰り返されていけばそれが当たり前となり、人は更なる刺激を求めたくなる。
ただ騙し合うというだけでは必ずマンネリ化してしまう。
「そうだ! こういうのはどうだろう。俺が卒業するまでの間、相手をより騙すことができた方が何でも1つだけ願い事を聞いてもらえる」
郡山先輩に叶えて欲しい願い事か。
うーん、別に叶えて欲しいこととかパッと思いつかないな。
ただ私は退屈な日々から脱したいだけ。
毎日のように騙し合い、驚かせ合いをしていたらそれこそ退屈なんてしないだろう。
さっきまでマンネリ化するかなとか考えていたけど、騙し合いにマンネリ化とかあるのかな?
一口に騙し合いと言っても小さいことから大きいことまでバリエーション豊かだし、何段階かに分けて騙すのも面白いだろう。
あれっ、先輩を騙すのが面白そうって考えてる私って一体。
願い事は郡山先輩が卒業するまでに考えておけばいいか。勝負する前から勝つ気でいるけど、やるからには勝たなくちゃね。
「わかりました。絶対勝ってみせます!」
入部届けに自分の名前を書こうとした瞬間、視聴覚室に私の悲鳴が響いた。
宙を舞うボールペン。
私はビリビリと痺れている右手を擦る。ボールペンの芯を出そうとしたら電気が流れたのだ。
「ひ、酷いです先輩」
「ふふっ、そんなに口を尖らせるな後輩。まずは俺の1勝だな」
郡山先輩が少年のような笑顔を見せた。
—1—
それから私たちの騙し合いの日々が始まった。
あるときは部室である視聴覚室で。
「長窪、外見てみろ! ヤバいぞ! UFOだ!」
興奮した様子で窓の外を指差す郡山先輩。
騙し合いと言えばもはや定番のそれだが、無視するのも可哀想なのでわざと引っ掛かることにした。
でも、願い事の件がある以上ただでという訳にはいかない。
私は先輩が座っていた椅子にある物を仕込むことにした。
「えっ、どこですか?」
窓際に寄り、先輩の指の先を見る。
「あっ、よく見たら飛行機だったわ」
「むっ、また騙したんですか?」
「騙される方が悪いんだよ。俺たちはそういう勝負をしてるんだからさ」
楽しそうに笑う先輩が何の疑いもなく、元いた席に座った。
そこで私が先輩を驚かすべく大きな声を出す。
「あっ、先輩! さっきそこの席に大きな蜘蛛が死んでましたよ!」
「うっ、マジか! 最悪。そういうことは座る前に教えてくれよ」
私の渾身の演技にすっかり騙されている郡山先輩。
ばっと立ち上がり、お尻を手で払う。
すると、おもちゃの蜘蛛が地面に落ちた。
「うお!?」
郡山先輩はそれを見て再び驚きの声を上げた。
私はその様子がおかしくておかしくて、お腹を抱えて笑っていた。
「やりやがったな長窪。悔しいけど今のは完璧に引っ掛かったわ。っておい、そんなに笑うなって」
いつまでも笑っていた私のことが気に入らなかったのか、郡山先輩が私の肩を指先で優しくつついてきた。
あー、楽しい。もう毎日が楽しくて楽しくて仕方がない。
こんな日がいつまでも続けばいいのにな。
いつからか私はそんなことを思うようになっていた。
—1—
11月6日土曜日は、私の16回目の誕生日だ。
誕生日とはいえ特に予定も入っていなかったので、朝からベッドの上でだらだら過ごしていると、スマホにメッセージが届いた。
『風邪でも引いたのか?』
『えっと、至って元気ですけど?』
少し間をおいてそう返信した。
休みの日に先輩から連絡してくるのは珍しい。
私はボーっとしていた頭をフル回転させる。
『今日は土曜日だけど、振替授業だぞ。聞いてなかったのか?』
嘘!?
私はベッドから飛び降りて制服を手に取った。
時刻は10時15分を回ったところ。今から走れば3時間目には間に合う。
『知りませんでした! 今からダッシュで向かいます!』
全力で走っているうさぎのスタンプを送信してから家を出た。
「もう、なんで誰も教えてくれなかったのよ」
急いでいたから教科書も適当なものを持って来てしまった。
そもそも振替授業って何曜日の授業をするのかもわからない。
校門を抜け、下駄箱で靴を履き替える。
ここでようやく私は異変に気がついた。
「誰もいないじゃん!」
騙された。校内に生徒の姿がない。授業をしているなら先生の声が聞こえてくるはずだがそれもない。
完全にしてやられた。
でも、これは酷すぎる。休みの日に学校に呼び出すなんて。
引っ掛かる方も引っ掛かる方だけど、これにはさすがの私も腹が立った。
学校に用は無いので外靴に履き替えなおして家へ帰ることに。
あー、ムカつく。このイライラをどこにぶつければいいのだろうか。
やり場のない怒りを胸に1人で歩いていると、私の家の前に私を怒らせた張本人が立っているのが見えた。
郡山先輩は、私の姿を見て何か言いたげにしていたが私はそれを無視して玄関へと足を進める。
人間は無視されるのが1番辛い。
騙し合いと言ってもやって良いことと悪いことがある。先輩なんだからそれくらいの判断は自分でしてほしい。
「ちょっと待てって」
ドアノブに手をかけたところで先輩に腕を掴まれた。
「悪かった。長窪が怒るのも無理ないよな。それに関しては謝る。本当にごめん」
郡山先輩が頭を下げた。
後輩として先輩がここまでしているのだから許してあげないこともない。
「わかればいいです。相手を傷つける騙しは極力避けて欲しいです」
「俺、サプライズって人生でやったことがなくてさ。準備をする時間が欲しかったんだ」
「え?」
先輩はそう言って、袋を差し出してきた。
「えっと、これは?」
「今日、誕生日だろ。だから誕生日ケーキを買ってきたんだ。長窪に喜んでほしくてさ。少しやり方を間違えちまったけど」
郡山先輩は目線を私から逸らして頭を掻いた。
何と言うか不器用な人だな。
「ありがとうございます。嬉しいですっ」
郡山先輩から袋を受け取った。
「でも、もうちょっと上手いやり方があったんじゃないですかね?」
騙された仕返しと、照れ隠しも含めて私はそう言った。
いつの間にかすっかり怒りも吹き飛んでいた。こんなに幸せなことが私に起きていいのだろうか。
—1—
騙し合いを続けて約2年。
とうとう郡山先輩の旅立ちの日がやってきた。
卒業式には在校生代表として私たち2年生が参加した。
『卒業証書授与』
郡山先輩が担任の先生に名前を呼ばれてステージに上がる。
私はその姿を見てこれまで先輩と過ごした時間を1つずつ辿るように思い出していた。
入部初日から騙されて、そこから騙し、騙される毎日。
誕生日のサプライズは今でも忘れない。
先輩と過ごした時間が私の高校生活に色を付けてくれた。
卒業か。流れ出る涙をハンカチで拭う。
顔を上げると、ステージから降壇する先輩と目が合った。ヤバっ、泣いてる顔、見られちゃったかな。
卒業式はつつがなく進行し、在校生が花のアーチを作って先輩たちを見送る。
郡山先輩も少しして私と美鈴で作ったアーチを通過した。
言葉は交わさなかった。いや、交わせなかった。
これで最後だと思うと言葉が喉に引っかかって出てこなかった。
—1—
体育館の後片付けを済ませた私と美鈴は先輩の出待ちをしていた。
記念撮影をしたり、寄せ書きを渡したり、在校生は先輩たちに想いを伝えていた。
ほどなくして郡山先輩が昇降口から出てきた。
「玲奈、行ってきな」
「う、うん」
美鈴に背中を押されて私は郡山先輩の所へ。
「おう、長窪。今日で勝負も終わりだな」
「そうですね」
297勝348敗。もう私に勝ち目はない。
それでも私は諦めない。最後の最後に人生最大の大勝負を仕掛ける。
「郡山先輩、私、先輩のことが好きです」
先輩と過ごした日々は本当に楽しかった。
騙し合いを通して先輩の不器用さ、優しさを知れた。
先輩と一緒にいれば毎日が刺激的で楽しい。いつからか私にとって先輩は無くてはならない存在になっていたのだ。
「先輩と一緒だったらどんなに辛いことでも笑顔で乗り越えられる。そう思ったんです。もしよかったら付き合って下さい」
「ごめん」
届かなかった。
当然、こうなる可能性も考えていた。
でも、いざ面と向かって断られるとキツイな。
ふぅ、切り替えろ玲奈。今日は先輩の晴れ舞台なんだ。最後は笑顔で見送るって決めたでしょ。
「な、なーんちゃって。ドッキリです。もし、先輩に告白したら先輩はどんな反応をするのかってやつです」
我ながら苦しい嘘だ。ダメだ。どんな顔をすればいいんだろう。
気を抜いたら涙が出てきそう。もう嫌だ。全部を投げ出して帰りたい。
「長窪、騙し合いの勝者の特権をここで使ってもいいか?」
「はい」
先輩のいつにもなく真剣な声に私は頷いた。
「長窪、俺と付き合ってくれないか」
「えっ?」
聞こえなかったわけじゃない。
頭の理解が追いつかなくて聞き返してしまった。
「俺と付き合ってくれないか?」
「えっ、でも今ごめんって……」
『振られてから告白されるまでの最短時間』というギネス記録が仮にあったとしたら更新してしまったのではないだろうか。
混乱しすぎてそんな意味のわからないことが頭に浮かんだ。
「絶対俺の方から告白するって決めてたからつい反射的に、な」
「な、って言われても。なにそれ」
一体この人はどこまで不器用なのだろうか。
もう、私のドキドキを返して欲しい。
「なんだよ。なんで笑ってんだよ」
緊張が解けたのと、拍子抜けしたのが合わさって笑えてきた。
「いや、なんか先輩らしいなって思って」
「ダメかな?」
「騙し合いの勝者の特権は何でも1つだけ願い事を聞いてもらえるなんですよね? だったら私は断れないじゃないですか?」
「そうだけど、長窪が嫌だったら別に断ってもらってもいいけど」
「えーどうしようかなー。勇気を出して告白したのにあっさり振られた身にもなって欲しいかななんて思ったりもするんですけど」
「……」
私がいじわるでそんなことを言うと先輩が悲しそうな顔をした。
そんな捨てられた子犬みたいに悲しい目をしなくても。
「ごめん、でも本気で長窪のことが好きなんだ。これから先もずっと一緒にいたいって心から思ってる」
気持ちが昂ったのか先輩の声のボリュームが一段と大きくなった。
その証拠に周りにいた生徒の視線が私たちに集まった。
みんなが私と先輩を見てる。恥ずかしくて顔が熱い。
もう今日は感情が次から次へと変化して大渋滞だ。
「先輩、これからもよろしくお願いします」
私は先輩に抱きついた。
大勢に見られているという恥ずかしさはあったけど、ずっとこうしたいと思っていた。
このタイミングを逃すと次にいつできるか分からないから自分の感情のまま飛びついた。
「よろしくな玲奈」
先輩は優しく受け止めてくれた。
試合に負けて勝負に勝つとはこのことを言うのだろう。
先輩と出会えて本当によかった。