私は明日、この世とおさらばする。
誰からも愛されていない、必要とされていない私には生きる価値なんてないのだ。そこで明日の夜、海へ行って消える。2月の海。暖かくなってきているが、夜の海となると極寒だろう。間違いなく死んでしまう。
苦しいのはわかっているが、それが周りへの迷惑を最低限にできる、一番の方法だから。
人生最後の日、私は何をしようか。そんなことを考えながら眠りにつく。次眠りについてしまえば、もう、目覚めることはない。
ぼんやりとした意識の中、誰か人がいるのがわかった。黒髪がよく似合う、中学生くらいの男の子だ。その男の子はこちらを見て微笑んでいる。どこか、見覚えがあった。知りたい。君のことが知りたい。そう思って手を伸ばすが、彼には触れられなかった。
「おはよう。」
私は聞き覚えのない声で目を覚ました。それと同時に、さっきの記憶が夢だったことに気づいた。辺りを見渡すとそこは見たことない場所で、一面真っ白な世界が広がっている。上には雲一つない空が浮かんでいて、まるで雲の上にいるかのようか感覚だ。どれだけ行っても、変わりそうにない景色だ。そんな場所に、一人、きれいな男の子がいる。夢に出てきた男の子だ。
男の子はポケットから手帳を取り出し、そこに書かれているであろう文字を確認し、同じく貼られているのであろう顔写真と照らし合わせる。
「名前と年齢、教えてくれる?」
「志村有紗…。14歳…。」
戸惑っていたが、ここは答えていたほうがいいと感じ、答えた。すると男の子はにこっと笑って言った。
「ようこそ天使の世界へ!」
状況が理解できていない私を、男の子はさらに理解できなくさせてくる。
「て、天使…?」
「そう。天使。」
「私、死んだの…?」
死ねたなら本望だ。苦しまずに死ねたのだから。
「ううん。君は死んでないよ。」
『死んでいない』
その言葉にがっかりする自分がいた。
「君には、体験をしてほしいんだ。」
「体験…?」
全く理解が追いつかない。もっとわかりやすく言ってほしい。
「天使の体験。君、明日死ぬんでしょ?」
「うん。」
私は何の戸惑いもなく答えた。決意を固めていたから。
「今、天使が人手不足でさ〜。僕は君に天使になってほしいから、今のうちに説得しておこうと思って。」
「ちょ、ちょっと待って。天使って何?死んだら天使になるの?」
「あ、そっからか。」
まるで『もう分かっていると思ってた』みたいな言い方に少しイラッとしたが、ここは抑えておいた。
「人は死んだら五つの選択肢がある。まず、天国に行くか、地獄に行くか。これはみんな知ってるんじゃないかな。」
もちろん、私も知っている。
「それって自分で選べるものなの?」
「基本は閻魔様が決めるものなんだよね。どちらに行くか、自分で選ぶか。生前の行いによって決まるんだ。」
死後っていうのは私が思っていたより、めんどくさそうだ。
「そして生まれ変わるもの。生まれ変わり先は生前の行いによって神様が選んで、手配してくれる。」
「なるほど。」
「あと幽霊になるもの。未練がある人は幽霊になって果たして幽霊を除外した4つの選択肢から選んでもらう。」
これはなんとなく聞いたことがある。心霊現象は、こういう幽霊たちの仕業なのだろうか。
「最後が僕みたいな天使。天使は死んだ人の案内役なんだ。閻魔様から下された結果を本人に伝えて案内する。未練を果たして戻ってきた人の案内もするよ。」
「それをやってほしいってこと?」
「そうそう。死んだら体験なんてできないからさ。今のうちに体験して、死んだら決めて。」
大体は理解した。本当に私に務まるのか不安だが、やってみなければわからない。
「わかった。」
「ありがとう。僕は優矢。優矢って呼んでくれていいよ。早速やってみようか。」
「え、私何も分からないよ?」
「僕がやってみせるから、よく見ててね。これ、次来る人の情報。」
そう言って渡された紙には文と顔写真がついていた。
「それをもとに進める。今回は僕がやるけど、その情報はしっかり確認しておいてね。」
言われるままに紙に目を通す。
中井次郎 45歳 男
・広告会社に勤めている。
・働き者。
・家族のために働くが、嫌われているよう。
・通勤中の交通事故死。(飲酒運転の車に轢かれた)
→結果 自己判断
・家族に会うために幽霊に。
顔写真には50歳くらいの男性が写っている。本当は45歳だけど。
「ほら、あの人。」
優矢が指差した方向には、顔写真と全く同じ男性がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「今からやるからね。」
「うん。」
なぜか少しだけ意気込んで男性を待った。
「お名前と年齢をお願いします。」
優矢は来るなりすぐに始めた。声色はさっきと打って変わっていた。
「中井次郎、45歳です。」
「中井さんですね。おかえりなさい。どうでしたか?」
「幽霊になって、よかったです。」
嫌われているのに会いに行って、『よかった』と答える。幽霊になってなにがあったのだろうか。
「それはよかったです。どうするかは、決めましたか?」
「はい。生まれ変わりたいです。」
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「私、勘違いしてたみたいです。家族が住んでいる家を見に行ったら、家族はみんな泣いていて…。娘に関しては部屋から出られないほど落ち込んでいたようで…。申し訳ないなって思うと同時に、嬉しさがあって…。私は、家族にとって必要な存在だったんだなって…。」
そう語る中井さんの目には、涙が浮かんでいた。死んで、家族に愛されていたことを知ったのだろう。私は、愛されているのだろうか。今は知る手段がない。
「でも、いつまでもグズグズしていても何も変わらないので生まれ変わりたいんです。もう一度、人間として家族に会うために。」
自分を誤魔化すような笑顔が、私の胸を締め付ける。この人はいきなり死んだのにも関わらず、明るく進もうとしている。
「でも、生まれ変わった先で必ずご家族に会えるわけではありませんよ?」
「大丈夫です。どこにいても、私が見つけてみせます。」
絶対無理なことなのに、中井さんが言うと、本当にできそうな気がしていた。
「わかりました。ではこちらへ真っ直ぐ進んで頂くと、閻魔様がいらっしゃいます。そこで閻魔様にお名前と年齢を伝え、『生まれ変わります』と言っていただければ、手配してくださいます。」
「わかりました。ありがとうございました。」
「お気をつけて。行ってらっしゃいませ。」
「では。」
「あんな人ばかりじゃないからね。」
たくましくない中井さんの背中を見ながら、優矢が言葉を放つ。
「え?」
「中井さんははじめから死んだことを受け入れてたけど、その反面、受け入れられなくて、暴れる人もいる。」
それはわかっている。一般的には死にたくないと思うことが正常だから。私みたいに死にたいなんて思う人はごく僅かだろう。
「わかってるよ。」
「有紗はどうして死のうと思ったの?」
急に話が変わった。
「生きてて楽しいことないし、辛いから。」
親には愛されない、クラスメイトからはハブられる。そんな状態で生きたいとは思わない。
「そっか。今は辛くない?」
「今はね。」
「ならよかった。これ、次の人の。」
またさっきと同じような紙が渡された。私は言われる前に目を通す。
綾瀬 叶 11歳 女
・学校でいじめにあっている。
・いじめに関係なく奉仕活動。
・いじめを苦にし、自殺。
→結果 天国(自己判断も可)
いじめ。それは私にも無関係ではなかった。
私が中学1年生の頃。何が理由かは知らないが、突然、仲が良かったグループからハブられるようになった。陰口を叩かれたり、物を隠されたり、今考えれば陰湿ないじめだったと思う。その他に友達はいなかった為、それから苦しい日々を過ごしていた。私が自殺しようと思った理由の一つだ。
「次は有紗がやってみて。困ったら助けるから。」
「え!?でもまだ覚えてないよ…。」
「大丈夫。はい、これ。進め方。これ見たら大丈夫だよ。多分。」
「わかった…。」
優矢から渡された紙に一通り目を通す。情報量多すぎてよくわからないけど。
「あの…。」
そのとき、目の前で声がして慌てて顔をあげる。そこには顔写真と同じ女の子がいた。写真ではあまりわからなかったが、髪が長い。腰くらいまである。
「私、死ねたんですか?」
『死ねた』
その言葉に一瞬違和感を抱いたが、すぐに思い出し、腑に落ちた。
「はい。確認のため、お名前と年齢をお願いします。」
もらった紙を見ながら進めていく。
「綾瀬 叶、11歳です。」
「綾瀬さんですね。未練はありますか?」
スラスラできているように感じるが、心臓の鼓動が早い。
「ないです。」
「そしたら…。」
紙を見ると、未練がない人は書かれた結果を勧めるみたいだ。
「綾瀬さんは天国ですね。」
「あの、幽霊にはなれないんですか?」
間髪入れず、口を挟む。
「え…?」
予想していない言葉に、どうしていいかわからなくなる。
「理由聞いて。」
私が困っているのがわかって、優矢が横で囁く。
「理由は…?」
「次の人生もこんなんだったら、死んだ意味ないので。それなら幽霊になって留まっていたほうがいいです。」
確かに、一理ある。いじめを苦にして自殺したのに生まれ変わってまたいじめられる、なんて死んだ意味がない。
「未練がない人は幽霊になれないって伝えて。」
また優矢が囁く。
「あの…。未練がない人は幽霊になれないみたいで…。せっかく天国っていういい結果が出てるので天国に行ってみてはどうですか?幽霊になっていじめっ子に会うのも、嫌じゃないですか?」
「天国がいい結果ですか?」
いきなり顔つきと声色が変わった。それだけで人を従えそうなくらいだ。
「で、では天使になってみてはどうでしょうか?」
「天使?」
人手足りないって言ってたし、生まれ変わることもないだろう。
「はい。私のように、死んだ人を案内するんです。」
「はぁ…。死んでもいいなりですか。」
「そ、それなら一度幽霊になって、しばらくしてから戻ってきてはどうでしょうか?気持ちも変わりますよ。」
中井さんはさっき、幽霊になって気づけたことがあったみたいだった。この人も何か変わるかもしれない。
「その必要はないです。私はもう、幽霊になって留まるって決めてるんです。大体、そこに書いてある情報が全てじゃないですよ?見たままをぶつけないでください。」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
「あなたはわがまますぎるんですよ!未練がないとなれないって言ってるじゃないですか!」
「死んでもやりたいことさせてくれないんですか?」
「あなたは死んだら偉いと思ってるんですか!?死人に口なしですよ!!臨機応変に!いくら小学生のあなたでも知ってますよね!?」
「…っ!勝手なこと言わないでください!!私のことは私が一番わかってる!!あなたなんかに私のことがわかるわけないんです!!そういう人こそ存在する価値ないんですよ!!」
その言葉が深く心に刺さった。脳内で何回も再生される。何度聞いてきたか、数え切れない。
「すみません…!この子、まだ経験が少なくて。このあとは私が対応しますので…。」
優矢のそんな声が聞こえてきたが、私の耳にはただすり抜けているだけだった。放心状態だったのだ。
「有紗…。大丈夫…?」
さっきと違う、やさしげな優矢の声が聞こえたのは綾瀬さんがいなくなってしまってからだ。
「私…。人の気持ちわかんないよ…!」
優矢の声を聞いて安心したからなのか、我慢んしていた気持ちを吐き出してしまった。座り込んで、俯く。優矢の表情はわからない。
「あんまり人と関わったことないし…!!寄り添うのも理解するのもできないよ…!!」
一度吐き出したら、止まらなくなっていた。そして、目の前は涙で滲んでいた。俯いていて暗いけど。
「もうこんなこと…」
「人の気持ちを理解する必要なんてない!!」
止まらなかった私は、その一言で止められた。優矢の顔を見ると、何かを抑えているような表情をしていた。
「え…?」
やっと私は我に帰った。優矢の表情を見て、ただ事ではないと無意識に悟ったのかもしれない。
「僕だってその人のことを理解できるわけじゃない。っていうか、みんなそうだ。どんな凄腕の精神科医だってできるわけじゃないんだ。気持ちや感情っていうのは言葉で説明できないもの。そしてその人でない限り、理解することはできない。」
理解することは当たり前のことだと思っていた。みんなが仲良くできているのはお互いの気持ちをわかっているからなんだと。そうなると、喧嘩をする理由はわからないが。
「でも…。またあんなことになるよ…。」
「もっと他人事で大丈夫。初対面だから、他人事すぎるってこともないよ。」
他人事…。人間関係って難しい。人と関わらなかったのは、関わる人がいなかったのもそうだが、難しいっていう理由もあるだろう。
「怖い思いさせちゃったね…。ごめん。」
俯いていながらも少し見える優矢の顔はどこか子供っぽさがあった。知りたい。夢のときと同じ感情がどこからか生まれてきていた。
「次、できる?」
「うん。」
優矢は座り込んでいる私に手を伸ばす。ありがたく使わせてもらった。
「ありがとう。これ、次の人。」
三度目にしてもう慣れてきていた。
白咲陽奈 27歳 女
・同い年の男性と結婚。
・三歳になる息子と、お腹に子供がいる。
・持病のがんが悪化し、死亡。
→結果 天国(自己判断も可)
「妊婦…。がん…。」
最悪な組み合わせに思わず声が出る。しかも、息子がいたのに。
「こういう人は受け入れられない人多いから気をつけて。」
「どうすればいいの?」
「最悪、無理だったら僕に任せて。どうにかするから。」
「わかった。でもまた困ったら助けてよね?」
「わかってるよ。あ、ごめん、ちょっと待ってて。」
優矢は私に背を向け、ポケットから取り出した何かに話しかけている。
「次の人、遅れるみたい。」
その言葉で、業務連絡か、と納得した。
「え?そんなことあるの?」
「上の方の情報処理が大変なんだって。本当は手伝わなきゃいけないけど今は有紗の対応してるから他の人に任せるよ。」
そりゃあ、そうか。毎日たくさんの死者の対応、幽霊になって戻ってきた人の対応、情報処理。人手不足で、大変な理由もわかる。
「情報処理ってどういうのやるの?」
「死者の情報あるでしょ?それを整理して神様に送るんだ。僕みたいに死者の対応する人は対応したら情報整理は別の天使に任せるからよくこういうことが起きる。」
「なるほど。」
「それまで暇だし、雑談してようか。何話す?」
このチャンスに、気になっていたことを聞くしかないと思った。
「優矢のこと、知りたい。」
「え?僕?」
「うん。」
「え〜。何聞きたい?」
少し嫌そうだが、割と乗り気だ。
「優矢はどうして死んだの?」
天使になったということは、既に死んでいる。その理由を知りたかったのだ。
「11年前、交通事故にあったんだ。当時仲がよかった女の子と遊びに行こうとしたとき、車に轢かれた。女の子は幼かったけどね。約束してたのに来なかったから、怒っちゃっただろうな…。」
交通事故。優矢もまた、予期せぬ死だったのだろう。
「じゃあ、どうして天使になったの?」
「そのときは今より人手不足が深刻で、当時担当してくれた天使は僕に天使以外の選択肢をくれなかったんだ。」
確かに、今より深刻となるとそうするしか方法がなかったのかもしれない。
「まぁでも楽しいよ。色んな人に出会えて。大変なところもあるけどね。人の役に立つって気分がいいよ。」
「優矢と一緒だったら楽しそう。」
「へへ。そうかな?ありがとう。」
少し顔を赤らめて照れる優矢が可愛らしく見えた。母性本能というのだろうか。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど優矢って何歳なの?」
見た感じは中学生くらい。私も中学生だから話しやすい。よくよく考えてみればびっくりする。クラスメイトとは全然話せなかった私が、優矢なら、楽しく話せる。優矢は、不思議な力を持っているのだろうか。
「死んだときは14歳。生まれてからは25年だけど、死んでるから今も14歳。」
やっぱり。中学生だったんだ。割と大人っぽい。
「年近いんだ。」
「僕も受験とかしてみたかったなー。」
「大変だと思うよ。楽しいことなくて。こうして優矢と話してたほうがいい。」
「クラスメイトとは仲良くないの?」
「全く。冷ややかな目で見られてる。」
あの突き刺すような目は今でも忘れられない。
「じゃあ言ってやったら?『私は人間です』って。」
「え?どういうこと?」
「クラスメイトみんな同じ人間でしょ?言っちゃえば自分をそんなような目で見てるのと同じってことだよ。」
そんなこと、考えたことなかった。
「人にそんなことできる人ほど欠陥だらけなんだから。もっと自分に自信持って。」
優矢はニコッと笑って、私にも笑ってと言っているようだ。
「笑うなら、自然に笑いたいよ。」
「それもそうか。無理に笑ったって苦しいだけだもんね。」
それは私がよくわかっている。
「あ、次の人来るみたい。ほら。」
優矢が指差した方向には若い女性がやってきていた。あの顔写真と同じ顔だ。
「頑張って。」
「うん。頑張る。」
「あの…。ここはどこなんですか…?」
可愛らしい声で、大人しめなイメージだ。
「ここは天界です。あなたは死者です。」
「死者って…。私死んだんですか…?」
私の言葉に目を丸くする。
「はい。」
「お腹の子は…!?息子と旦那はどうなるんですか…!?私はどうすればいいんですか…!?」
驚きのせいか取り乱してしまった。でも、私にはどうすることもできなかった。
「大丈夫ですよ。」
優矢が助けてくれるみたいだ。
「お腹の子は天国へ行きました。天国は幸せなところです。白咲さんも天国へ行けますよ。」
「私も…ですか…?」
「はい。閻魔様がそう言ってくださったんです。」
「私も行きたいんですが…旦那と息子のことが不安で…。」
「幽霊になって会ってくるっていう選択肢もありますが…。」
「…。そうします。」
優矢の手にかかればどんな人でも落ち着かせられそうだ。取り乱していた白咲さんも今落ち着いている。
「わかりました。このまま真っ直ぐ進んで頂くと、閻魔様がいらっしゃいます。そこで閻魔様にお名前と年齢を伝えて、『幽霊になります』と言っていただければ手配してくださいます。」
「ありがとうございます。」
「いえ。行ってらっしゃいませ。」
去っていく白咲さんの背中は、どこか元気になっている気がした。
「確認、しなくてよかったの?」
「言ってた情報と顔が一致してたからね。それどころじゃなかったし。」
「確かにそうかも。」
「はぁ…。」
いきなり、優矢がため息をつきながらその場に座り込んだ。
「いきなりどうしたの…?!」
「手出しちゃった…。」
「さっきのこと…?」
「うん…。有紗だったらできるって信じてるつもりだったけど、また怖い思いさせちゃうのが怖くて手出しちゃったんだよね…。」
優矢なりの優しさが垣間見えた。彼のこと、どこか記憶にある気がする。昔、私と彼は関わったことがあるのだろうか。
「ありがとう。」
「ごめん。」
「ううん。私も優矢のこと信じてるから。」
「そうだね!」
優矢は今までのことが嘘のように元気になって立ち上がった。
「そういえば、綾瀬さんはどうなったの?」
放心状態で、どうなったかわからなかった綾瀬さん。あんな感じの人をどうするかも知っておきたい。
「ああ、生まれ変わったよ。」
「え!?でも生まれ変わりたくないって…。」
「よく考えてみて。前世でいじめられてました、なんて人、見たことある?」
「前世の記憶を持ってる人なら…。実際には見たことないけど。」
「そう。前世の記憶を持って生まれてくる人なんて滅多にいない。もし仮に持って生まれたとしてもここに来るときにはもう忘れてるさ。」
「それでも勝手にやっちゃっていいの?」
「仕方かないからね。ああやって言うこと聞いてくれない人はお仕置きさ。」
「お仕置きって。笑」
ちょっと悪いことをする子供のように言っていて、私も笑ってしまった。
もっと知りたい。そう思うのは私にとってもう自然なことになっていた。
「次の人は手出さないように頑張る!はい、これ。次の人のだよ。」
四度目ともなればもう慣れた。
篠田怜 18歳 男
・普通科の高校に通う。
・音楽の道に進むことを考えるが親に反対される。
・小学生高学年くらいから反抗期。
・通り魔に刺され、死亡。
→結果 地獄
「え。」
初めてのパターンに絶句してしまった。
「地獄か…。手出さずにいられるかな…。」
気の弱い私に、反抗期の男の人を相手にできるだろうか。
「こ、困ったら助けるから。」
「アドバイスくらいでお願い。」
「わ、わかった。」
私は心のどこかで、決意を固めていた。優矢もそれを察したのかそれ以上は何も言わなかった。
「あの…ここどこっすか?」
目の前に立つ男性は顔写真と違った。写真は黒髪で大人しめな感じなのに、実際は金髪でたくさんピアスが開いている。いかにも、不良って感じ。私の恐怖心と不安感は更に増すが、一度固めた決意は揺るがない。
「ここは天界です。これから、あなたを案内します。確認のため、お名前と年齢をお願いします。」
「篠田 怜、18歳っす。」
男性が言った情報は正しかった。よく見ると顔写真は中学校の卒業アルバムっぽい。この数年で変わってしまったのだろう。
「未練はありますか?」
「未練か…。」
篠田さんは一息ついて答えた。
「もう一度仲間と一緒に音楽やりたいっす。」
「理由お聞きしてもよろしいですか?」
「俺、親に音楽やること反対されてて。金かかるし収入が安定しないって。俺の気持ち、絶対一度も考えたことないだろ…。あの人達…。それなのに妹ばっかり…。って、話が脱線しちゃったっすね。要は生きてるときに音楽やりたいだけできなかったから、死んでから少しはできたらいいなって思ったからっす。」
篠田さんも私と同じように何かを抱えている。きっと根は明るい人なのだろう。私への話し方が優しい。
「ありがとうございます。」
「なんで泣いてるんっすか…?」
「え…?」
篠田さんに言われて気づいた。なんで泣いているのか、自分でもわからない。
「有紗…?」
優矢がのぞき込んでくる。
「てか、あんたは死んでないっすよね?」
「どうして…。」
「いや、だって…。頭の上に輪っかみたいなのないっすもん。」
輪っか…?これまでの人も、篠田さんも、優矢も輪っかなんてない。というか、今まで私が死者ではないとバレなかったことが不思議すぎる。死者ではない私が天界に来れたことも不思議だが。
「なんで生者がここにいるんすか…?」
「えっと…その…。」
なんて答えればいいのだろうか。素直に天使の体験してるんです、と言えば通じるのかもしれないが、頭の中はパニック状態。素直に答えられる状況ではなかった。
「まぁ、それは大丈夫っす。俺、伝えたいんです。いつ死ぬかわからないから一日一日を大事にしとけって。」
「どんな人でも、一人死んだら悲しいんすよ。自殺する人とか特に。今が辛いのはわかるけど、いつかきっとたくさんの楽しいことが待ってる。それがいつになるかはわからないっすけど、そのいつかを気長に待つ時間も楽しいんじゃないっすか?」
自分のことを言われているようで耳が痛い。でも、おかしくはない。
「生きてるんだったら伝えてくれないっすか?」
「私が…ですか…?」
「俺、まだまだやり残したことは数え切れないくらいあるけど、これだけができないんすよ。代わりにやってくれないっすか?」
「有紗。」
横から優矢は優しく話しかける。そのときにはもう、涙は止まっていた。
「伝えてからでも遅くないんじゃない?」
「…。わかりました。伝えておきます。」
そうは言ったけど影響力のない私に、そんなことができるだろうか。
「俺は幽霊になります。」
そのあとはいつものことを説明して、終わった。
「どうだった?天使の体験してみて。」
「なんか、不思議な感じ。私、引き受けちゃったよ。」
「有紗なら大丈夫だよ。」
「私、明日本当に死ぬのかな。」
「どうしたの?」
「自分では死ぬってわかってても、明日には死者って、なんかな…。」
つい最近まで生者だった死者たちを見てると、なんとも言えない気持ちになる。
「言葉にできなくてもいいよ。明日死にたくなかったら考えればいい。"また明日"ここに来てもいいよ。」
"また明日"その言葉に眠っていた記憶が蘇った。
「"僕"くん!あそぼ!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「すなであそぶ!」
「じゃあ有紗と僕で勝負しよ!どっちが上手に創れるかな〜?」
「うん!まけないよ!」
「じゃあ、また明日ね。」
「うん!またあした!」
幼い頃の記憶。当時からほったらかしにされていた私と、近くの公園で遊んでくれた男の子。確か…名前は…。
「優矢…。昔…私と…。」
「思い出した?」
「あのとき…来なかったのは…。」
あのとき、優矢の"明日"はもう来なくなってしまった。
「ごめんね。」
「ううん。優矢は悪くないよ。」
優矢は一息置いて言った。
「有紗。はっきり言うね。」
「う、うん?」
「有紗には、まだ生きていてほしい。」
「どうして…?」
「僕は有紗の幸せを祈ってるから。さっきの人も言ってたでしょ?いつかきっとたくさんの幸せが待ってるって。僕の代わりに、生きてほしい。」
「でも…。私に生きる価値なんて…。」
「生きる価値なんて誰も持ってないよ。生きる価値は生きてる中で創るもの。これから創ればいいんだよ。それに、ほら。」
優矢が指差す方向に、雲の切れ目のようなところがある。そこを覗いて見えたのは病院。よく見てみると病室のベットに誰かが寝ている。
「私…。お母さんも…!」
ベットの横にはお母さんがいた。心配そうに私の手を握っている。
「愛されてるよ。ちゃんと。」
「私…。生きてていいのかな…?」
「もちろん。僕はいつでも待ってるから。何百年でも待つよ。」
「そのときは、一緒に天使になろう。」
「うん。待ってる。」
「バイバイ。また、何十年後に。」
「またね。」
私たちは約束をして、お別れした。
「うまくいったっすね。」
「うん。怜もなかなかよかったよ。」
「あざっす。」
「さ、仕事に戻ろうか。」
「鬼畜っすね。」
あれから13年後。
「優理〜。」
いつも通りの生活に戻った私は、心理カウンセラーの道を目指した。学校では相変わらず冷ややかな目で見られ続けたけど、倍返しするようにキツい目で見たらあまり見られなくなった。だから言ってやった。「そんなことできるほど自分は完璧?」ってね。みんな黙ってた。
親はというと、私が目覚めたあと、大号泣。それから私のことを気にかけてくれるようになった。カウンセラーの夢も応援してくれていた。
必死に勉強し、私は見事心理カウンセラーになれた。今はスクールカウンセラーとして働いている。高校生の頃から付き合っている男性と結婚し、息子の優理が生まれた。
「保育園、行こっか。」
「ありさ」
「え…?!」
そして今日、優理が、初めて喋った。でも、おかしい。いつも、「ママ」や「パパ」を教えているのに。いきなり私の名前なんて言えるはずがない。
「ゆうや」
「まさか…。」
私は頭に浮かんだ一つの可能性に賭けてみた。
「優矢…?」
すると優理は元気に頷いた。
「優矢…。生まれ変わったの?なんで待っててくれなかったの…。」
「あいたかった」
「私も…会いたかったよ…。」
私は涙を流しながら優理を抱きしめた。
二回目の約束破りだよ。
誰からも愛されていない、必要とされていない私には生きる価値なんてないのだ。そこで明日の夜、海へ行って消える。2月の海。暖かくなってきているが、夜の海となると極寒だろう。間違いなく死んでしまう。
苦しいのはわかっているが、それが周りへの迷惑を最低限にできる、一番の方法だから。
人生最後の日、私は何をしようか。そんなことを考えながら眠りにつく。次眠りについてしまえば、もう、目覚めることはない。
ぼんやりとした意識の中、誰か人がいるのがわかった。黒髪がよく似合う、中学生くらいの男の子だ。その男の子はこちらを見て微笑んでいる。どこか、見覚えがあった。知りたい。君のことが知りたい。そう思って手を伸ばすが、彼には触れられなかった。
「おはよう。」
私は聞き覚えのない声で目を覚ました。それと同時に、さっきの記憶が夢だったことに気づいた。辺りを見渡すとそこは見たことない場所で、一面真っ白な世界が広がっている。上には雲一つない空が浮かんでいて、まるで雲の上にいるかのようか感覚だ。どれだけ行っても、変わりそうにない景色だ。そんな場所に、一人、きれいな男の子がいる。夢に出てきた男の子だ。
男の子はポケットから手帳を取り出し、そこに書かれているであろう文字を確認し、同じく貼られているのであろう顔写真と照らし合わせる。
「名前と年齢、教えてくれる?」
「志村有紗…。14歳…。」
戸惑っていたが、ここは答えていたほうがいいと感じ、答えた。すると男の子はにこっと笑って言った。
「ようこそ天使の世界へ!」
状況が理解できていない私を、男の子はさらに理解できなくさせてくる。
「て、天使…?」
「そう。天使。」
「私、死んだの…?」
死ねたなら本望だ。苦しまずに死ねたのだから。
「ううん。君は死んでないよ。」
『死んでいない』
その言葉にがっかりする自分がいた。
「君には、体験をしてほしいんだ。」
「体験…?」
全く理解が追いつかない。もっとわかりやすく言ってほしい。
「天使の体験。君、明日死ぬんでしょ?」
「うん。」
私は何の戸惑いもなく答えた。決意を固めていたから。
「今、天使が人手不足でさ〜。僕は君に天使になってほしいから、今のうちに説得しておこうと思って。」
「ちょ、ちょっと待って。天使って何?死んだら天使になるの?」
「あ、そっからか。」
まるで『もう分かっていると思ってた』みたいな言い方に少しイラッとしたが、ここは抑えておいた。
「人は死んだら五つの選択肢がある。まず、天国に行くか、地獄に行くか。これはみんな知ってるんじゃないかな。」
もちろん、私も知っている。
「それって自分で選べるものなの?」
「基本は閻魔様が決めるものなんだよね。どちらに行くか、自分で選ぶか。生前の行いによって決まるんだ。」
死後っていうのは私が思っていたより、めんどくさそうだ。
「そして生まれ変わるもの。生まれ変わり先は生前の行いによって神様が選んで、手配してくれる。」
「なるほど。」
「あと幽霊になるもの。未練がある人は幽霊になって果たして幽霊を除外した4つの選択肢から選んでもらう。」
これはなんとなく聞いたことがある。心霊現象は、こういう幽霊たちの仕業なのだろうか。
「最後が僕みたいな天使。天使は死んだ人の案内役なんだ。閻魔様から下された結果を本人に伝えて案内する。未練を果たして戻ってきた人の案内もするよ。」
「それをやってほしいってこと?」
「そうそう。死んだら体験なんてできないからさ。今のうちに体験して、死んだら決めて。」
大体は理解した。本当に私に務まるのか不安だが、やってみなければわからない。
「わかった。」
「ありがとう。僕は優矢。優矢って呼んでくれていいよ。早速やってみようか。」
「え、私何も分からないよ?」
「僕がやってみせるから、よく見ててね。これ、次来る人の情報。」
そう言って渡された紙には文と顔写真がついていた。
「それをもとに進める。今回は僕がやるけど、その情報はしっかり確認しておいてね。」
言われるままに紙に目を通す。
中井次郎 45歳 男
・広告会社に勤めている。
・働き者。
・家族のために働くが、嫌われているよう。
・通勤中の交通事故死。(飲酒運転の車に轢かれた)
→結果 自己判断
・家族に会うために幽霊に。
顔写真には50歳くらいの男性が写っている。本当は45歳だけど。
「ほら、あの人。」
優矢が指差した方向には、顔写真と全く同じ男性がこちらへ向かって歩いて来ていた。
「今からやるからね。」
「うん。」
なぜか少しだけ意気込んで男性を待った。
「お名前と年齢をお願いします。」
優矢は来るなりすぐに始めた。声色はさっきと打って変わっていた。
「中井次郎、45歳です。」
「中井さんですね。おかえりなさい。どうでしたか?」
「幽霊になって、よかったです。」
嫌われているのに会いに行って、『よかった』と答える。幽霊になってなにがあったのだろうか。
「それはよかったです。どうするかは、決めましたか?」
「はい。生まれ変わりたいです。」
「理由をお聞きしてもよろしいですか?」
「私、勘違いしてたみたいです。家族が住んでいる家を見に行ったら、家族はみんな泣いていて…。娘に関しては部屋から出られないほど落ち込んでいたようで…。申し訳ないなって思うと同時に、嬉しさがあって…。私は、家族にとって必要な存在だったんだなって…。」
そう語る中井さんの目には、涙が浮かんでいた。死んで、家族に愛されていたことを知ったのだろう。私は、愛されているのだろうか。今は知る手段がない。
「でも、いつまでもグズグズしていても何も変わらないので生まれ変わりたいんです。もう一度、人間として家族に会うために。」
自分を誤魔化すような笑顔が、私の胸を締め付ける。この人はいきなり死んだのにも関わらず、明るく進もうとしている。
「でも、生まれ変わった先で必ずご家族に会えるわけではありませんよ?」
「大丈夫です。どこにいても、私が見つけてみせます。」
絶対無理なことなのに、中井さんが言うと、本当にできそうな気がしていた。
「わかりました。ではこちらへ真っ直ぐ進んで頂くと、閻魔様がいらっしゃいます。そこで閻魔様にお名前と年齢を伝え、『生まれ変わります』と言っていただければ、手配してくださいます。」
「わかりました。ありがとうございました。」
「お気をつけて。行ってらっしゃいませ。」
「では。」
「あんな人ばかりじゃないからね。」
たくましくない中井さんの背中を見ながら、優矢が言葉を放つ。
「え?」
「中井さんははじめから死んだことを受け入れてたけど、その反面、受け入れられなくて、暴れる人もいる。」
それはわかっている。一般的には死にたくないと思うことが正常だから。私みたいに死にたいなんて思う人はごく僅かだろう。
「わかってるよ。」
「有紗はどうして死のうと思ったの?」
急に話が変わった。
「生きてて楽しいことないし、辛いから。」
親には愛されない、クラスメイトからはハブられる。そんな状態で生きたいとは思わない。
「そっか。今は辛くない?」
「今はね。」
「ならよかった。これ、次の人の。」
またさっきと同じような紙が渡された。私は言われる前に目を通す。
綾瀬 叶 11歳 女
・学校でいじめにあっている。
・いじめに関係なく奉仕活動。
・いじめを苦にし、自殺。
→結果 天国(自己判断も可)
いじめ。それは私にも無関係ではなかった。
私が中学1年生の頃。何が理由かは知らないが、突然、仲が良かったグループからハブられるようになった。陰口を叩かれたり、物を隠されたり、今考えれば陰湿ないじめだったと思う。その他に友達はいなかった為、それから苦しい日々を過ごしていた。私が自殺しようと思った理由の一つだ。
「次は有紗がやってみて。困ったら助けるから。」
「え!?でもまだ覚えてないよ…。」
「大丈夫。はい、これ。進め方。これ見たら大丈夫だよ。多分。」
「わかった…。」
優矢から渡された紙に一通り目を通す。情報量多すぎてよくわからないけど。
「あの…。」
そのとき、目の前で声がして慌てて顔をあげる。そこには顔写真と同じ女の子がいた。写真ではあまりわからなかったが、髪が長い。腰くらいまである。
「私、死ねたんですか?」
『死ねた』
その言葉に一瞬違和感を抱いたが、すぐに思い出し、腑に落ちた。
「はい。確認のため、お名前と年齢をお願いします。」
もらった紙を見ながら進めていく。
「綾瀬 叶、11歳です。」
「綾瀬さんですね。未練はありますか?」
スラスラできているように感じるが、心臓の鼓動が早い。
「ないです。」
「そしたら…。」
紙を見ると、未練がない人は書かれた結果を勧めるみたいだ。
「綾瀬さんは天国ですね。」
「あの、幽霊にはなれないんですか?」
間髪入れず、口を挟む。
「え…?」
予想していない言葉に、どうしていいかわからなくなる。
「理由聞いて。」
私が困っているのがわかって、優矢が横で囁く。
「理由は…?」
「次の人生もこんなんだったら、死んだ意味ないので。それなら幽霊になって留まっていたほうがいいです。」
確かに、一理ある。いじめを苦にして自殺したのに生まれ変わってまたいじめられる、なんて死んだ意味がない。
「未練がない人は幽霊になれないって伝えて。」
また優矢が囁く。
「あの…。未練がない人は幽霊になれないみたいで…。せっかく天国っていういい結果が出てるので天国に行ってみてはどうですか?幽霊になっていじめっ子に会うのも、嫌じゃないですか?」
「天国がいい結果ですか?」
いきなり顔つきと声色が変わった。それだけで人を従えそうなくらいだ。
「で、では天使になってみてはどうでしょうか?」
「天使?」
人手足りないって言ってたし、生まれ変わることもないだろう。
「はい。私のように、死んだ人を案内するんです。」
「はぁ…。死んでもいいなりですか。」
「そ、それなら一度幽霊になって、しばらくしてから戻ってきてはどうでしょうか?気持ちも変わりますよ。」
中井さんはさっき、幽霊になって気づけたことがあったみたいだった。この人も何か変わるかもしれない。
「その必要はないです。私はもう、幽霊になって留まるって決めてるんです。大体、そこに書いてある情報が全てじゃないですよ?見たままをぶつけないでください。」
その瞬間、私の中で何かが切れた。
「あなたはわがまますぎるんですよ!未練がないとなれないって言ってるじゃないですか!」
「死んでもやりたいことさせてくれないんですか?」
「あなたは死んだら偉いと思ってるんですか!?死人に口なしですよ!!臨機応変に!いくら小学生のあなたでも知ってますよね!?」
「…っ!勝手なこと言わないでください!!私のことは私が一番わかってる!!あなたなんかに私のことがわかるわけないんです!!そういう人こそ存在する価値ないんですよ!!」
その言葉が深く心に刺さった。脳内で何回も再生される。何度聞いてきたか、数え切れない。
「すみません…!この子、まだ経験が少なくて。このあとは私が対応しますので…。」
優矢のそんな声が聞こえてきたが、私の耳にはただすり抜けているだけだった。放心状態だったのだ。
「有紗…。大丈夫…?」
さっきと違う、やさしげな優矢の声が聞こえたのは綾瀬さんがいなくなってしまってからだ。
「私…。人の気持ちわかんないよ…!」
優矢の声を聞いて安心したからなのか、我慢んしていた気持ちを吐き出してしまった。座り込んで、俯く。優矢の表情はわからない。
「あんまり人と関わったことないし…!!寄り添うのも理解するのもできないよ…!!」
一度吐き出したら、止まらなくなっていた。そして、目の前は涙で滲んでいた。俯いていて暗いけど。
「もうこんなこと…」
「人の気持ちを理解する必要なんてない!!」
止まらなかった私は、その一言で止められた。優矢の顔を見ると、何かを抑えているような表情をしていた。
「え…?」
やっと私は我に帰った。優矢の表情を見て、ただ事ではないと無意識に悟ったのかもしれない。
「僕だってその人のことを理解できるわけじゃない。っていうか、みんなそうだ。どんな凄腕の精神科医だってできるわけじゃないんだ。気持ちや感情っていうのは言葉で説明できないもの。そしてその人でない限り、理解することはできない。」
理解することは当たり前のことだと思っていた。みんなが仲良くできているのはお互いの気持ちをわかっているからなんだと。そうなると、喧嘩をする理由はわからないが。
「でも…。またあんなことになるよ…。」
「もっと他人事で大丈夫。初対面だから、他人事すぎるってこともないよ。」
他人事…。人間関係って難しい。人と関わらなかったのは、関わる人がいなかったのもそうだが、難しいっていう理由もあるだろう。
「怖い思いさせちゃったね…。ごめん。」
俯いていながらも少し見える優矢の顔はどこか子供っぽさがあった。知りたい。夢のときと同じ感情がどこからか生まれてきていた。
「次、できる?」
「うん。」
優矢は座り込んでいる私に手を伸ばす。ありがたく使わせてもらった。
「ありがとう。これ、次の人。」
三度目にしてもう慣れてきていた。
白咲陽奈 27歳 女
・同い年の男性と結婚。
・三歳になる息子と、お腹に子供がいる。
・持病のがんが悪化し、死亡。
→結果 天国(自己判断も可)
「妊婦…。がん…。」
最悪な組み合わせに思わず声が出る。しかも、息子がいたのに。
「こういう人は受け入れられない人多いから気をつけて。」
「どうすればいいの?」
「最悪、無理だったら僕に任せて。どうにかするから。」
「わかった。でもまた困ったら助けてよね?」
「わかってるよ。あ、ごめん、ちょっと待ってて。」
優矢は私に背を向け、ポケットから取り出した何かに話しかけている。
「次の人、遅れるみたい。」
その言葉で、業務連絡か、と納得した。
「え?そんなことあるの?」
「上の方の情報処理が大変なんだって。本当は手伝わなきゃいけないけど今は有紗の対応してるから他の人に任せるよ。」
そりゃあ、そうか。毎日たくさんの死者の対応、幽霊になって戻ってきた人の対応、情報処理。人手不足で、大変な理由もわかる。
「情報処理ってどういうのやるの?」
「死者の情報あるでしょ?それを整理して神様に送るんだ。僕みたいに死者の対応する人は対応したら情報整理は別の天使に任せるからよくこういうことが起きる。」
「なるほど。」
「それまで暇だし、雑談してようか。何話す?」
このチャンスに、気になっていたことを聞くしかないと思った。
「優矢のこと、知りたい。」
「え?僕?」
「うん。」
「え〜。何聞きたい?」
少し嫌そうだが、割と乗り気だ。
「優矢はどうして死んだの?」
天使になったということは、既に死んでいる。その理由を知りたかったのだ。
「11年前、交通事故にあったんだ。当時仲がよかった女の子と遊びに行こうとしたとき、車に轢かれた。女の子は幼かったけどね。約束してたのに来なかったから、怒っちゃっただろうな…。」
交通事故。優矢もまた、予期せぬ死だったのだろう。
「じゃあ、どうして天使になったの?」
「そのときは今より人手不足が深刻で、当時担当してくれた天使は僕に天使以外の選択肢をくれなかったんだ。」
確かに、今より深刻となるとそうするしか方法がなかったのかもしれない。
「まぁでも楽しいよ。色んな人に出会えて。大変なところもあるけどね。人の役に立つって気分がいいよ。」
「優矢と一緒だったら楽しそう。」
「へへ。そうかな?ありがとう。」
少し顔を赤らめて照れる優矢が可愛らしく見えた。母性本能というのだろうか。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど優矢って何歳なの?」
見た感じは中学生くらい。私も中学生だから話しやすい。よくよく考えてみればびっくりする。クラスメイトとは全然話せなかった私が、優矢なら、楽しく話せる。優矢は、不思議な力を持っているのだろうか。
「死んだときは14歳。生まれてからは25年だけど、死んでるから今も14歳。」
やっぱり。中学生だったんだ。割と大人っぽい。
「年近いんだ。」
「僕も受験とかしてみたかったなー。」
「大変だと思うよ。楽しいことなくて。こうして優矢と話してたほうがいい。」
「クラスメイトとは仲良くないの?」
「全く。冷ややかな目で見られてる。」
あの突き刺すような目は今でも忘れられない。
「じゃあ言ってやったら?『私は人間です』って。」
「え?どういうこと?」
「クラスメイトみんな同じ人間でしょ?言っちゃえば自分をそんなような目で見てるのと同じってことだよ。」
そんなこと、考えたことなかった。
「人にそんなことできる人ほど欠陥だらけなんだから。もっと自分に自信持って。」
優矢はニコッと笑って、私にも笑ってと言っているようだ。
「笑うなら、自然に笑いたいよ。」
「それもそうか。無理に笑ったって苦しいだけだもんね。」
それは私がよくわかっている。
「あ、次の人来るみたい。ほら。」
優矢が指差した方向には若い女性がやってきていた。あの顔写真と同じ顔だ。
「頑張って。」
「うん。頑張る。」
「あの…。ここはどこなんですか…?」
可愛らしい声で、大人しめなイメージだ。
「ここは天界です。あなたは死者です。」
「死者って…。私死んだんですか…?」
私の言葉に目を丸くする。
「はい。」
「お腹の子は…!?息子と旦那はどうなるんですか…!?私はどうすればいいんですか…!?」
驚きのせいか取り乱してしまった。でも、私にはどうすることもできなかった。
「大丈夫ですよ。」
優矢が助けてくれるみたいだ。
「お腹の子は天国へ行きました。天国は幸せなところです。白咲さんも天国へ行けますよ。」
「私も…ですか…?」
「はい。閻魔様がそう言ってくださったんです。」
「私も行きたいんですが…旦那と息子のことが不安で…。」
「幽霊になって会ってくるっていう選択肢もありますが…。」
「…。そうします。」
優矢の手にかかればどんな人でも落ち着かせられそうだ。取り乱していた白咲さんも今落ち着いている。
「わかりました。このまま真っ直ぐ進んで頂くと、閻魔様がいらっしゃいます。そこで閻魔様にお名前と年齢を伝えて、『幽霊になります』と言っていただければ手配してくださいます。」
「ありがとうございます。」
「いえ。行ってらっしゃいませ。」
去っていく白咲さんの背中は、どこか元気になっている気がした。
「確認、しなくてよかったの?」
「言ってた情報と顔が一致してたからね。それどころじゃなかったし。」
「確かにそうかも。」
「はぁ…。」
いきなり、優矢がため息をつきながらその場に座り込んだ。
「いきなりどうしたの…?!」
「手出しちゃった…。」
「さっきのこと…?」
「うん…。有紗だったらできるって信じてるつもりだったけど、また怖い思いさせちゃうのが怖くて手出しちゃったんだよね…。」
優矢なりの優しさが垣間見えた。彼のこと、どこか記憶にある気がする。昔、私と彼は関わったことがあるのだろうか。
「ありがとう。」
「ごめん。」
「ううん。私も優矢のこと信じてるから。」
「そうだね!」
優矢は今までのことが嘘のように元気になって立ち上がった。
「そういえば、綾瀬さんはどうなったの?」
放心状態で、どうなったかわからなかった綾瀬さん。あんな感じの人をどうするかも知っておきたい。
「ああ、生まれ変わったよ。」
「え!?でも生まれ変わりたくないって…。」
「よく考えてみて。前世でいじめられてました、なんて人、見たことある?」
「前世の記憶を持ってる人なら…。実際には見たことないけど。」
「そう。前世の記憶を持って生まれてくる人なんて滅多にいない。もし仮に持って生まれたとしてもここに来るときにはもう忘れてるさ。」
「それでも勝手にやっちゃっていいの?」
「仕方かないからね。ああやって言うこと聞いてくれない人はお仕置きさ。」
「お仕置きって。笑」
ちょっと悪いことをする子供のように言っていて、私も笑ってしまった。
もっと知りたい。そう思うのは私にとってもう自然なことになっていた。
「次の人は手出さないように頑張る!はい、これ。次の人のだよ。」
四度目ともなればもう慣れた。
篠田怜 18歳 男
・普通科の高校に通う。
・音楽の道に進むことを考えるが親に反対される。
・小学生高学年くらいから反抗期。
・通り魔に刺され、死亡。
→結果 地獄
「え。」
初めてのパターンに絶句してしまった。
「地獄か…。手出さずにいられるかな…。」
気の弱い私に、反抗期の男の人を相手にできるだろうか。
「こ、困ったら助けるから。」
「アドバイスくらいでお願い。」
「わ、わかった。」
私は心のどこかで、決意を固めていた。優矢もそれを察したのかそれ以上は何も言わなかった。
「あの…ここどこっすか?」
目の前に立つ男性は顔写真と違った。写真は黒髪で大人しめな感じなのに、実際は金髪でたくさんピアスが開いている。いかにも、不良って感じ。私の恐怖心と不安感は更に増すが、一度固めた決意は揺るがない。
「ここは天界です。これから、あなたを案内します。確認のため、お名前と年齢をお願いします。」
「篠田 怜、18歳っす。」
男性が言った情報は正しかった。よく見ると顔写真は中学校の卒業アルバムっぽい。この数年で変わってしまったのだろう。
「未練はありますか?」
「未練か…。」
篠田さんは一息ついて答えた。
「もう一度仲間と一緒に音楽やりたいっす。」
「理由お聞きしてもよろしいですか?」
「俺、親に音楽やること反対されてて。金かかるし収入が安定しないって。俺の気持ち、絶対一度も考えたことないだろ…。あの人達…。それなのに妹ばっかり…。って、話が脱線しちゃったっすね。要は生きてるときに音楽やりたいだけできなかったから、死んでから少しはできたらいいなって思ったからっす。」
篠田さんも私と同じように何かを抱えている。きっと根は明るい人なのだろう。私への話し方が優しい。
「ありがとうございます。」
「なんで泣いてるんっすか…?」
「え…?」
篠田さんに言われて気づいた。なんで泣いているのか、自分でもわからない。
「有紗…?」
優矢がのぞき込んでくる。
「てか、あんたは死んでないっすよね?」
「どうして…。」
「いや、だって…。頭の上に輪っかみたいなのないっすもん。」
輪っか…?これまでの人も、篠田さんも、優矢も輪っかなんてない。というか、今まで私が死者ではないとバレなかったことが不思議すぎる。死者ではない私が天界に来れたことも不思議だが。
「なんで生者がここにいるんすか…?」
「えっと…その…。」
なんて答えればいいのだろうか。素直に天使の体験してるんです、と言えば通じるのかもしれないが、頭の中はパニック状態。素直に答えられる状況ではなかった。
「まぁ、それは大丈夫っす。俺、伝えたいんです。いつ死ぬかわからないから一日一日を大事にしとけって。」
「どんな人でも、一人死んだら悲しいんすよ。自殺する人とか特に。今が辛いのはわかるけど、いつかきっとたくさんの楽しいことが待ってる。それがいつになるかはわからないっすけど、そのいつかを気長に待つ時間も楽しいんじゃないっすか?」
自分のことを言われているようで耳が痛い。でも、おかしくはない。
「生きてるんだったら伝えてくれないっすか?」
「私が…ですか…?」
「俺、まだまだやり残したことは数え切れないくらいあるけど、これだけができないんすよ。代わりにやってくれないっすか?」
「有紗。」
横から優矢は優しく話しかける。そのときにはもう、涙は止まっていた。
「伝えてからでも遅くないんじゃない?」
「…。わかりました。伝えておきます。」
そうは言ったけど影響力のない私に、そんなことができるだろうか。
「俺は幽霊になります。」
そのあとはいつものことを説明して、終わった。
「どうだった?天使の体験してみて。」
「なんか、不思議な感じ。私、引き受けちゃったよ。」
「有紗なら大丈夫だよ。」
「私、明日本当に死ぬのかな。」
「どうしたの?」
「自分では死ぬってわかってても、明日には死者って、なんかな…。」
つい最近まで生者だった死者たちを見てると、なんとも言えない気持ちになる。
「言葉にできなくてもいいよ。明日死にたくなかったら考えればいい。"また明日"ここに来てもいいよ。」
"また明日"その言葉に眠っていた記憶が蘇った。
「"僕"くん!あそぼ!」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「すなであそぶ!」
「じゃあ有紗と僕で勝負しよ!どっちが上手に創れるかな〜?」
「うん!まけないよ!」
「じゃあ、また明日ね。」
「うん!またあした!」
幼い頃の記憶。当時からほったらかしにされていた私と、近くの公園で遊んでくれた男の子。確か…名前は…。
「優矢…。昔…私と…。」
「思い出した?」
「あのとき…来なかったのは…。」
あのとき、優矢の"明日"はもう来なくなってしまった。
「ごめんね。」
「ううん。優矢は悪くないよ。」
優矢は一息置いて言った。
「有紗。はっきり言うね。」
「う、うん?」
「有紗には、まだ生きていてほしい。」
「どうして…?」
「僕は有紗の幸せを祈ってるから。さっきの人も言ってたでしょ?いつかきっとたくさんの幸せが待ってるって。僕の代わりに、生きてほしい。」
「でも…。私に生きる価値なんて…。」
「生きる価値なんて誰も持ってないよ。生きる価値は生きてる中で創るもの。これから創ればいいんだよ。それに、ほら。」
優矢が指差す方向に、雲の切れ目のようなところがある。そこを覗いて見えたのは病院。よく見てみると病室のベットに誰かが寝ている。
「私…。お母さんも…!」
ベットの横にはお母さんがいた。心配そうに私の手を握っている。
「愛されてるよ。ちゃんと。」
「私…。生きてていいのかな…?」
「もちろん。僕はいつでも待ってるから。何百年でも待つよ。」
「そのときは、一緒に天使になろう。」
「うん。待ってる。」
「バイバイ。また、何十年後に。」
「またね。」
私たちは約束をして、お別れした。
「うまくいったっすね。」
「うん。怜もなかなかよかったよ。」
「あざっす。」
「さ、仕事に戻ろうか。」
「鬼畜っすね。」
あれから13年後。
「優理〜。」
いつも通りの生活に戻った私は、心理カウンセラーの道を目指した。学校では相変わらず冷ややかな目で見られ続けたけど、倍返しするようにキツい目で見たらあまり見られなくなった。だから言ってやった。「そんなことできるほど自分は完璧?」ってね。みんな黙ってた。
親はというと、私が目覚めたあと、大号泣。それから私のことを気にかけてくれるようになった。カウンセラーの夢も応援してくれていた。
必死に勉強し、私は見事心理カウンセラーになれた。今はスクールカウンセラーとして働いている。高校生の頃から付き合っている男性と結婚し、息子の優理が生まれた。
「保育園、行こっか。」
「ありさ」
「え…?!」
そして今日、優理が、初めて喋った。でも、おかしい。いつも、「ママ」や「パパ」を教えているのに。いきなり私の名前なんて言えるはずがない。
「ゆうや」
「まさか…。」
私は頭に浮かんだ一つの可能性に賭けてみた。
「優矢…?」
すると優理は元気に頷いた。
「優矢…。生まれ変わったの?なんで待っててくれなかったの…。」
「あいたかった」
「私も…会いたかったよ…。」
私は涙を流しながら優理を抱きしめた。
二回目の約束破りだよ。