「今度のお客さまは、花鹿なのよぉ」
準備頼むわねぇ、と事も無げに言いつけてきた女主人に、口の端が下がるのを抑えられなかった。
この女主人、顔の広さは一級品だが人遣いの荒さも一級品である。
そもそも花鹿ってなんだ。名前か? 種族か? 性格か? 説明が何も足りていない。今までの経験から言って、ただの鹿が来るとは思えない。
だというのに、女主人はさっさと部屋に上がってしまった。忙しいひとなのである。おかげで周囲も忙しい。
仕方ないので、隣の家の魔女のところへ行った。
持つべきものは頼れる隣人に限る。
「ほう? 花鹿、か」
扉を開けた途端、酷い煙に咳き込んでしまった。葉巻を吸うなら窓を開けてくれ、いくら魔女でも危険だろう。主に酸欠の方面で。
「あやつらは花しか食わぬイカレ種族。水分補給も花で済ませよる」
一言も喋らないうちに、魔女はどんどん話を進めていった。
こういうところがなんとも神秘的で、尊敬できると思う。世の中にはいくら話しても話が進まない輩もいるというのに。
ただし、口は少々悪い。それでうちの女主人には嫌われてるんだろう。
「とはいえ、わざわざ花を摘み集める必要もない。花の形をしていれば、『そういう花だ』で押し通せるでな。……そこのポットを持っていきなさい。貸してやろう」
花鹿、なんて雑な連中なんだ。それともこの魔女が雑なのか。
未だ咳き込みながら言われたポットを手に取ってみれば、さほどおかしな所もない普通のティーポットだった。腹の周りには、ぐるりと紫の花びらが描かれている。
「1、2度練習しておきな」
そう言うと、魔女はこちらに興味が失せたかのように窓の方を向いた。
次の瞬間、私は元の屋敷の台所へ戻っていた。魔女の家へ行った時の帰りはいつもこうだ。彼女はそこそこ親切な魔女なのである。そこそこね。
通告から一週間、お茶会当日。
屋敷の玄関に現れたのは……残念ながら、やはりただの鹿ではなかった。いつもの事ながら、実に奇妙な連中が来た。
頭部に大きな枝角を伸ばしているまでは名前に相応しいものであったが、首は異様に長く、猫背に丸めて頭を突き出す格好で、顔には目とも口とも判断がつかぬ模様がゆうに二桁は描かれていた。
衣はボロボロで幽霊を彷彿とさせ、はみ出た手足は、さながら朽ちた細木のようである。
数歩離れた先からも分かるツンとした焦げた何かのハーブの臭いがキツく、表情を崩さないようにするのが精一杯で微笑むどころじゃない。
たまにはヒトらしい人を招いて欲しいものだが、立地が悪いのだろうか。いつもこんな目にばかり遭っている気がする。
不意にそのお客――花鹿はガポリと顎の下を割った。なんと、そっちが口だったようだ。もうやめてくれ、そろそろ私の精神と表情が死ぬ。
「――縺サ繧薙§縺・縺ッ縺頑魚繧ュ縺ゅs縺後←縺�」
……せめて共通語で頼むぜ花鹿さんよォ……。
半べそになりかけたところで、女主人が来てくれた。今だけ女神様のように見えたけど、元を辿ればあのひとのせいだと気がついて思い直した。
気を取り直して、庭へ案内して席につかせる。
なぜか花鹿たちが通った跡には白い苔のようなものがびっしり茂っていたが、目を逸らした。何も見てないぞ、私は。
テーブルの上には、今日のために用意したお茶菓子たちが並んでいる。全て花の形にあつらえた、私の渾身の手作り菓子である。褒めよ称えよ私の努力を。
そんな私の努力を知ってか知らずか、いや知らないのだろうけど花鹿たちのテンションは高かった。表情は全く読めないが、ひっきりなしにフンスフンスと緑っぽい薄煙りを吹くのである。毒じゃないだろうなコレ。
「まぁ! そんなに気に入っていただけるとは、嬉しいですわぁ」
女主人がそう言って頬を綻ばせた。微笑むと美人が増すが、作ったのは私ぞ? あとで存分に労わって――いや、それより大人しくしててほしい。あと数週間くらいは。
かなり青臭い煙にかなり必死でポーカーフェイスを保ちながら、本日のメインとも呼べるティーポットを手に取った。
花鹿たちは訝しんでいるのだろうか、その大きな枝角ごと頭を少し傾けながらこちらを注視していた。
かれらのそばへ近寄り、少し口が大きめのゴブレットに向けてティーポットを傾ける。
トトト……という小さな水音を立てて、お茶が流れていく。そして底へつくと、紅茶色に透き通った大輪の薔薇に変化した。
どうやらこのティーポット、この中に液体を入れてカップへ注ぐと、液体が花へ変わるらしい。味はそのまま、触れてもちょっとやそっとじゃ崩れない『花』と名乗れるシロモノになる。
しかも、中身によって咲く花が違うらしい。あの魔女は随分と気の利いたことをしてくれたようだ。やはり持つべきものは頼れる隣人魔女である。
屋敷中の茶葉を漁り、今回は薔薇になる茶葉を選んでみた。
紅茶の薔薇は一輪咲ききると、二輪目、三輪目と積み重なるようにして花開いていく。ゴブレット一杯になるころには、美しい薔薇の山がこんもりできていた。
この山を綺麗に作るのは存外難しい。忠告通り練習をしておいて本当によかった。
「美しい花でしょう? お味もいいのよ、さあどうぞ召し上がれ」
誇らしげに女主人は花鹿たちを促した。……私はあなたにこのティーポットを見せたのは今が初なのだが。驚きもせずに誇るとは、胆の据わったひとである。
花鹿たちは、おそるおそる……という雰囲気で首を伸ばして花に口をつけた。……たしかに花を食む姿は、少し鹿のような優美さがあるなと思った。
が、次の瞬間、ブフォォォオと大きく煙を空へ吐き出してびよんと首を立てたため、その感想を即座に消した。
腰を抜かしかけそうになるのを意地で抑えていたら、テーブルの向こうで女主人がふふふ……と優雅に笑った。肩の震えからして、笑い転げたいのを堪えているようにも見える。
「お気に召されたようで、なによりだわぁ」
この青臭さが女主人には感じられないのか、とか。あの枝角を振り回す踊りはなんなんだ、とか。様々な考えが駆け抜けたあと、ただ一つの思考に落ち着いた。
お布団に帰りたい、と。
「本当、良い仕事してくれてありがとうねぇ」
後日、ほほほと笑う女主人にそう褒められ頭を撫でられた。私のことをいくつだと思ってるんだ、このひとは。
「この辺り、花ひとつ自然に咲かないから大変だったでしょう。あのお茶の花とかどうしたの?」
「このティーポットのおかげですよ。隣の魔女さんが貸してくれたんです」
「まぁ、そうなの」
しげしげとティーポットを眺める女主人を見ながら、魔女のことは余計だったかと後悔した。
「……おかしいわね、周辺は徒歩ひと月単位で住人なんていないはずだけれど……」
まぁでも、これだけ大変なお茶会だったし、しばらくは客を呼ばないでくれると信じたいものだ。
ティーポットを机にコトンと置いた女主人は、思い出したようにこちらを振り返った。
「そうそう、来週のお客さまはサラマンダーなのだけど」
準備頼むわねぇ、事も無げに言ってにこにこ笑う女主人に目眩がした。
仕える主人を間違えた気がする。切実に。