街の中央に立つ時計台の鐘が揺れ、けたたましい鐘の音が雪のちらつく空に響き渡った。その音に人々は眉を顰め、辟易した様子を見せる。新しい花嫁が迎えられたのだ。

 鐘の音に欠伸を重ねながら一人の青年が塀の上でごろんと寝転がっている。

「ネロ、そんなところでサボってると首をはねられるよ」

 青年と同じ格好をした青年が声をかけるとネロと呼ばれた男は至極面倒くさそうにゆっくりと体を起こして、身軽そうにとんっと飛び降りてきた。

「今日は新しい花嫁が来る日だからきちんと護衛に集まれって言われてるだろう? 君はいつも適当にさぼっちゃうんだから、見ているこちらは冷や冷やするよ」
「ビアンカ、人が良い気持ちで眠ってるのに邪魔すんなよ。花嫁なんて、これで何度目だと思ってるんだよ、心優しい王様はどんな花嫁もお気に召さなくて、来た端から首を切り落としていっているっていうじゃないか。そんなうちの国に大事な姫を差し出してくる物好きな国がよく絶えないもんだ。今度はどこだ?」
 
 尋ねるネロに、ビアンカと呼ばれた青年は呆れた様子で答える。

「オストニアだよ」 
「今度は東かぁ、前は南の姫さんだったよな、あれは昨年だったか……? 殺されちまうかもしれないのに懲りねぇな」
「それでもうちと同盟が組みたいんだよ。今や本国は大陸一の大国だもの」
「娘一人の命の方が、国を滅ぼされるより軽いってわけか。うちの心優しい王様は隣国をどんどん飲みこんじまってるからなぁ」
「まぁ、僕たち下っ端にはこの国がどうなっているのかよくわからないんだよねぇ。王様の顔だって見たことないし」

 事実、ネロたちの暮らす国の成長は目覚ましく。数年前に起こったクーデター以降、即位した新王は戦を仕掛けてくる隣国を次々に打ち負かして支配下に置いていた。
 二人の門番の青年は、隣国の姫が到着する東の門に歩いていく。姫を迎えるのは門番だけ。王の命令でそう決められていた。どうせすぐにいなくなる姫の顔を、多くの人目に触れさせないために。

 ネロ達が門番を勤めるこの国は、数年前に突然どこからかやって来た仮面の男がクーデターを起こし、そのまま王の座に座った。その顔には火傷でひどくただれているとも、隻眼であるとも噂されている。残忍な王は隣国をどんどん武力で支配し、その国の領土を広げている。他国は武力での抵抗を諦め、婚姻関係を結ぶことで国を守ろうとしているのだが――迎えられる花嫁はみな、そう長く王妃の椅子に座ることはない。

「さて、王様よりも先に姫様の顔を拝んでやるか」
「ちょっとやめなよ! お姫様の顔を見るのは禁止されているだろう? やめなよ」
「いつもそれはそれは綺麗な姫さんが来るって話じゃないか、おまえも一度は拝んでみるといい」
「僕はいいよ、規則は規則だ。どうせ殺されてしまう姫様の顔なんか見たって……」
「ビアンカは真面目だな」

 ネロは馬車の音が響き始めたのを確認すると、門の高いところからパチンコを使って石を飛ばした。石は馬車のガラスに当たり、ぱりんと小気味よい音を立ててガラスが割れる。
 音に驚いたのか、どこからか獣のような鳴き声がこだまし、鐘の音に溶けていく。

「なんだ!」

 御者が慌てた様子で馬を止めた。

「姫様、大丈夫ですか?」
「問題ありません、窓が割れただけです。このまま進みなさい」

 そんなやり取りが見えた。ネロはひゅぅっと口笛を吹いて下に降りようとする。そのとき、ガラスの割れ目から中にいる姫と目が合った。その深い青い瞳に、ネロの心が思わず早鐘を鳴らす。

「へぇ、あんな姫様、初めて見たな……」

 定位置に戻り、ビアンカと向かい合って門に立ったネロは小声でそう呟いた。そして、二人の前を、ガラスの割れた馬車が走り去っていく。

「オストニアの姫様、ようこそチェントロへ」

 ネロとビアンカは声を張り上げた。その声は馬車の音にかき消されていく。


 姫が到着して数日後、花嫁を迎えるための宴が城で行われ、ネロやビアンカのように身分の低い衛兵も城に呼ばれることとなった。

 ヴェールで顔を隠す姫を遠目に見ながら、ネロはあの日目の合った姫のことを思い出す。あの青い瞳、決して飛び抜けた美人ではない。それなのに、こんなにも印象深いのはなぜだろうかと。

「お待ちなさい」

 宴の後片付けを終えたネロが帰り支度をしていると、背後から声がした。その声、ネロには聞き覚えがある。忘れもしない。

「これはこれは、お妃様、なにかご用でしょうか?」

 ネロが振り返ると、青い目の少女がこちらを見ている。歳のほどはネロよりもいくらか若いくらいだろうか? 栗色の髪の毛を高い位置で結び、動きやすそうな格好をしていた。姫とは、とうてい思えない格好だ。宴の間も姫の顔はヴェールに隠れて誰も見ていないはず、すれ違う者も見逃したに違いない。

「あなたは、あの時の門番ですね」
「何のことでしょうか?」

 ネロはとぼけてみせる。今まで嫁いできた『深窓の令嬢』を体現したような姫君達とは毛色が違う。その分面白くもあった。

「忘れたとは言わせません、あなたは私の馬車に石を投げましたね」

 あの時、この姫とは目が合っていた。仕方ないと、ネロは白状することにする。

「すみません、ほんの出来心です、あなたがどのような姫なのか、拝見しようとしました」
「愚かなことを、これから殺される女の顔を見ようなどと悪趣味です」

 少しも表情を変えずに言う姫に、ネロは少し面食らってからふふっと笑う。

「失礼をお許しください」

 そう恭しく頭を下げると、姫は不機嫌そうに顔を反らした。

「場所を変えましょう、このようなところで話す話ではありません」
「お妃様が私のような下賤な者と関わり合いになるのを、王は良しとはしないでしょう」
「あなたは私に口答えできるような立場ではないはずです。言うとおりになさい」

 姫の言葉に、ネロは口の端をにやりと持ち上げた。

 面白い姫だ。

「仰せのままに、お妃様」

 ネロは姫を連れて街の外に位置する小高い丘を案内した。一本の大きな木が佇んでいる。

「ここからは、街中が見渡せます。西の国境、北の国境、南の国境――どこまでも我が王の領地が続いているのです。あなたの国と同盟が組まれれば、東も安泰――ということになるのでしょう」

 姫の言葉に、ネロは口角を持ち上げる。ネロの頭の中には、王が今までとってきた行動の全てが入っていた。この国だけではない、オストニアの動きも全て。オストニアで何が起こっているのか、王は把握していることだろう。

「オストニアは我が国と同じように、隣国を飲み込んで肥大化してきた。オストニア王は、我が国と同盟を結ぶつもりでしょうか? 我が国の王は、 列国の動きをよく見ています」

 ネロの言葉に、姫は表情を変えずに街を見下ろした。どこまでも続く秩序の保たれた街並み、広がる田園風景――。恐怖で支配された国は、あまりに整然として、穏やかに見えた。

「よくしゃべる門番ですね。でも、私の見立ては間違っていなかったと思います。あなたに、協力を求めます」
「協力?」
「私は、王を屠るためにやってきたのです。あなたにその手伝いを命じます。断ることは許しません」
「それを俺が誰かに告げ口すれば、あなたはあっという間に斬首される。今までのお姫様のように」
「あなたはそうはしないと思います」
「なぜ」
「面白いことがお好きでしょう? 毛色の違う門番。我が国がこの国を落とせば、あなたを重鎮に起用すると約束しましょう」
「嫌だと言ったら」
「この場で首を刎ねます。もしくは周りには私を襲おうとしたと触れ回りましょう、今ここで叫び声を上げます」
「あなたの細腕で俺の首を刎ねられるとは思わない。だが、あなたに手を出したとされたら大問題だな」

 ネロはどうにかこの場を収めようと首を縦に振った。

 とんだことになってしまった。王を屠るなんて考えたこともなかった。どうしたら良いものか……。そう、ネロは姫の考えに頭を抱えた。

「あぁネロ、遅かったね。食事の用意出来てるけど、うちに寄っていく?」

 自宅のある門の近くまで帰ると、近所に住んでいるビアンカがネロを見つけて声をかけてきた。

「片づけに手間取ったんだ、腹はペコペコだ」

 ビアンカの言葉に甘えてネロはビアンカの家に入った。すでに親はなく、ビアンカは一人暮らしだ、それはネロも同じ。母は亡く、父はクーデターの際に命を落とした。

 温かいスープとパンをテーブルの上に置いたビアンカは、行儀よくお祈りをしてから食事を始める。ネロもそれに倣った。

「お姫様、席からほとんど離れなくて、その後はすぐ部屋に入っちゃったから僕がいた場所からは見られなかったよ。ネロは見られた?」

 ビアンカの言葉に、ネロはわずかに頷く。もちろん、宴のあとに声をかけられたとは言わない。

「いや、でも言ったろ、特別な美人じゃない」

 ネロはビアンカと食事をしながらも、姫はどうやって王を屠るつもりだろうか――などと考えていた。山ほど恨みを買ってきた王の末路が、小娘の手にかかるなんて滑稽だと思った。そしてその後、この国はどうなっていくのだろうと。

「今度こそ上手くいくといいな」
「なにが?」
「婚姻がさ、僕はさネロ、王様はみんなが言うほど暴君じゃぁないと思うんだよね」
「今まで王様に殺されてきた姫君たちや他国のお偉いさんのことはどう考えるんだよ? おまえの頭の中はどんだけお花畑なんだ」
「上手く説明はできないんだけど。王様が殺した数と、クーデター前の平民の死者の数を考えたら、どっちが多かったのかなって思って。ほら、僕の両親も厳しい税金が払えなくて死んじゃったんだ。君のところの母さんだって、薬代が払えず亡くなった。でも今の王様になって、民衆は飢えや税金に苦しんだりはしていない。優しい王様は残忍だけど、理由もなく処刑はしないんだと思う」
「おまえ、随分王様に肩入れしてんなぁ」
「君にだから言うんだ、外ではとても口にはできないよ。王様は残忍なことで有名さ、誰も王様に近寄らない。優しい王様は孤独だ」
「どうかな」
「今度のお姫様が王様の心を癒やしてくれることを僕は祈るよ」

 ビアンカの言葉にネロは苦い笑いを返した。その頼みのお姫様は、王様を殺すつもりなのだから。

 優しい王様は残忍な性格で、国の中枢を担っていた大臣たちの首を刎ねた。隣国から迎えられる姫君もみな王様の機嫌を損ねて殺されている。それが、ネロやビアンカ達が知らされている王様の全貌だった。

 その優しくて残忍な王様の顔を見たものはいない。いつも、黒い仮面をつけているのだ、それはひどい火傷の痕を隠すためとも、隻眼だからだとも、はたまた傷だらけで見られたものではないからだとも言われている。

 自分の部屋に帰ったネロは、姫から聞いた話を思い起こしていた。

「私は正式な姫ではありません、妾が産んだ娘です、駒としては申し分ない。この国の王の寝首をかくよう言われて来ました」
「そんなにはっきりとこの国の人間である俺に打ち明けてもいいのですか?」
「構いません、あなたに裏切られれば、私はそこまでの人間だったということです。私の使命は王を屠ること。そこで命を落としたとしても、それが自分の命の使い道だと思っています。戦争になればそれこそこちらの思惑通り」
「お姫様は俺が王暗殺の手引きをするとでも? 命の危険があるってのに」

 ネロの言葉に、姫は不思議なことはなにもないかのように頷いた。

「あなたを見込んでのことです。私は王の寝首をかくつもりでいました。ですが、王は寝室にはいませんでした。あなたは、王の居場所を突き止め、私に教えてください。私の馬車の窓を割ったあなたなら、肝が座っているはず。容易いことでしょう。安心してください、手を下すのは私です」

 姫はそう言いきった。王を殺したら、姫は死ぬつもりだろうか。王が死んだら、この国はどうなるのだろうか? また、昔のように貴族たちの贅沢のために平民は税に苦しめられなくてはいけないのか。
 そうさせるわけにはいかない。この国に残忍な王様は必要だ、姫を屠るしかない。あの、力を使って。
 ネロは黒い瞳を光らせた。