僕の親友である海里(みくと)は、中学一年生の冬に、突如消えた。交通事故だった。
 雪が溶け、凍った道でスリップした乗用車が、歩いていた海里をはねたのだ。運悪く、海里が歩いていた道は急な下り坂で、坂の下はT字路になっていた。車にはねられた時点で大きな衝撃を受けたのに、突き飛ばされた衝撃でT字路の突き当りにあるブロック塀で海里は頭をさらに激しく打った。そんな海里が助かるはずもなく、救急車が到着した頃には既に呼吸が止まっていた。
 誰も予想できないその出来事を、僕は簡単には受け止められなかった。なぜ海里なのか、なぜ大切な存在を奪ったのか、と考えるようになり、次第に自分の責任を追求していくようになっていった。そして気がついた頃には、僕が見る世界はモノクロの世界になっていた。
 それからは毎日が、地獄のような日々だった。どんな映画を見ても、どんな絵画を見ても心が動くことはなく、何か感想を聞かれたときには相手が理想とする”答え”を出す。こんな僕に、”回答”なんて魅力的なものはない。あくまで”回答”は、それを見たり聴いたりしたときに感じる感情を”ありのまま”言葉にし、伝え、相手がそれに対して批評したときに使う言葉だ。反対に”答え”は、自分の”ありのまま”の感情を言葉にするわけではなく、相手によって捏造された、相手にとって理想とする感情を言葉にして伝える。だから、満足な言葉を得られた相手はその言葉を批評しない。批評したら、自分が捏造した満足な言葉が、不満な言葉へと変わってしまうのだ。
 だから、感情がモノクロになった僕の発する言葉が”ありのまま”なわけがないし、相手に批評されることもない。
 このまま僕は、感情を失ったまま僕は、”答え”しか出せないまま僕は、モノクロの世界の中で死ぬのだろうか。
 毎日のように自分の死後を想像しては海里のことを思い出して泣いていた。
 そしてそれは、それから約一年が経ったある雨の日のことだった。
 僕がぼんやりと信号を渡っていると激しい衝撃が左腰に走り、横に突き飛ばされ、地面に打ち付けられた。直後、耳をつんざくようなブレーキ音。一瞬、錯覚を見ている気がした。けれど、周りの喧騒と次第に遠のいていく意識から、錯覚でないことがわかる。
「海里、ごめん―――」
 記憶が途切れる直前。僕はなぜか、こう言っていた。

 目が覚めると、そこには海里がいた。僕が名前を呼ぶと、海里は怒ったような涙をこらえたような表情で僕の名前を呼んだ。不思議と僕の心が変化しているのを感じた。
「久しぶり」
「久しぶり」
「元気だった?」
「元気も何も死んでるから」
「今は元気?」
「だから俺は死んでるんだって」
「ところで、僕ってどれぐらい寝てた?」
「うーん、だいたい九ヶ月くらい?」
「九ヶ月!?いや僕そんな寝てないだろ!」
 しばらく一問一答の会話を繰り返していたが切りがないので、僕は気になっていたことを質問する。
「ここは何?ていうかなんで海里がいるの?」
「俺、いないほうが良かった?」
「いやそういうわけじゃなくって。僕にはここが現実世界だとは思えない」
 見ると、海里は笑っていた。当たり前だろ、と言いながら。さらに海里は、唐突に聞いてくる。
「お前は、彩りを選ぶか、記憶を選ぶか聞かれたらどっちを選ぶ?」
「―――は?」
 意味がわからず首をひねっていると、海里は衝撃の一言を言った。
「これで、碧のこれからが決まるんだ」
 その後は半信半疑で海里の話を聞き、何度も悩んで、結絵に会うという決断をした。
 そしてこれから、僕は向こうの世界に戻る。