言語チート転生〜幼女VTuberは世界を救う〜


 入塾に関する話し合いの最中に母親が倒れた。
 俺は混乱してなにもできなかった。

 塾の先生が救急車を呼んでくれて、母親は病院へと運ばれた。
 俺は促されるがままに一緒に救急車に乗り込み――。

   *  *  *

「過労ですね」

「過労!? ってことは、なにか大きな病気だったりは」

「しっかり栄養と睡眠を取れば、すぐに良くなりますよ」

 俺はヘナヘナと崩れ落ちた。
 病院のベッドの上では母親が「驚かせちゃってごめん」と申し訳なさそうにしていた。ホントだよ!

 医者がコンコンとクリップボードをペンで突いて音を立てる。
 俺たちへ険しい視線が向けられていた。

「しかし、いったいあなたたちはなにを考えてるんですか? 親子揃って過労で運ばれてくるだなんて」

「「うっ!?」」

 そういえばこの先生、たまたま俺が面倒を見てもらってのと同じだ。
 若いのに過労、ということで顔を覚えられてしまっていたらしい。

「もっと自分の身体を大切にするように。とくにお母さま、あなたはお子さんの手本となるべき立場でしょう?」

「は、はい」

「子どもは親を見て育ちます。倒れるまで働くのが良いことだとお子さんに教えるつもりですか? お子さんの将来を思うなら、まだ若いからとムリをするのはやめ、自分の生活を見直すべきです」

「すいません」

 けっこうな肝っ玉母ちゃんだと思っていたが、さすがに医者を前にするとタジタジだ。
 いい気味だ。俺がどれだけ心配したと思ってやがる。

 ……ふと思った。
 俺が倒れたときの母親もこんな気持ちだったのだろうか?

 いや、それ以上か。
 彼女にとってわたし(・・・)は実子なのだから。

「お母さま、どなたか頼ることのできる親族や知人はいますか?」

「ええっと、友人が」

「?」

 ちらりと視線が俺を向いた。
 どういう意図かわからず、俺は首をかしげた。

 なにかを誤魔化している?
 そういえば俺は、わたし(・・・)の父親や祖父母を知らない。

「そうですか。では本日は泊まっていってください。明日、再度検査をして問題がなければ退院となります」

 それから二、三やりとりをしたあと医者は退室していった。
 俺は「ふぅ」と息を吐き、ゆっくりと周囲を見渡した。
 同室の患者が同じようにベッドで横になっている。

「まったく心配かけて。にしてもお母さん、なんで過労なんて? ……まさか。最近、帰りが遅かったけどまさかずっと働いて――」

「ねぇイロハ。あんた入塾しないって、本気? 中学受験はどうするの?」

 俺は自分のこめかみがピクリと動いたのを感じた。
 俺は「はぁ~」と大きなため息を吐いた。

「いや、それは今するべき話じゃないでしょ?」

「ちがうわ。今すべき話よ」

 母親がじっと俺を見ている。
 俺は面倒くさいなー、と思いつつも答えた。

「本気だよ。中学受験はしない」

「どうしてよ!?」

「ちょっとお母さん、声大きいよ。ほかにも患者さんがいるんだから」

 俺はベッドまわりのカーテンを引いて、周囲の視線を遮る。
 姿勢を正して座り直した。

「えーっと。たしかに夏期講習のお金をムダにしちゃったのは、申し訳ないと思うよ。けど、やっぱりわたしに中学受験は必要ないと思う」

「そんなことない。あんたは中学受験するべきよ。塾の先生も言っていたじゃない。『最後の模試の結果がとてもよかった』って。『入塾して勉強を続ければ今年中に特進クラスに入れるだろう』って」

 それは事実だ。
 どうやら先生は俺が難関中学に合格できると思っているらしかった。

 そして俺は、いくつか誤解していたことを知った。
 先生曰く――。

『イロハさんは入塾テストの時点で偏差値が50もありました。
 偏差値50と聞くと平均に思えますが、とんでもない』

『中学受験は高校受験と異なり、成績の高いごく一部の生徒しか受験しません。
 そのため本来よりも偏差値のレベルが上がります。
 それこそ中学受験の偏差値50は、高校受験の偏差値65にも等しいと言われるほどです』

『受験対策をしていない時点で、これだけ高得点が取れる生徒には2パターンいます。
 ひとつは発想力を問う応用問題を解けた天才型。
 もうひとつは知識を問う基礎問題を解けた秀才型』

『6年生の夏から中学受験をはじめても、受験に間に合わせることができるのが、どちらかわかりますか?
 それは秀才型です』

『基礎学力は身につけるには非常に時間がかかります。
 一方で応用問題の解きかたは、中学受験特有の対策とパターンの把握で、短時間でも飛躍的に点数が伸びることがあります』

『とくにイロハさんの夏期講習での成績の伸びは非常に良い。
 一度学んだことはきちんと次に活かせている。大人顔負けの理解力です』

『試験の問題次第で、難関中学に合格する可能性は十分にあると言えるでしょう』

 とのこと。
 一番最初、勧誘時に『特待生になれる』と言っていたのはリップサービスではなかったらしい。

『対策勉強なしで最初から真ん中のクラスに入れるなんて、本当にすごいことですよ!』

 あとから、そう言われて知った。
 しかも、コースごとに偏差値によるかなりの足切りがあったとか。

 普通なら、6年生から入塾した生徒はほとんどは、そもそも俺が選んだコースに入ることすら難しいそうだ。
 俺は特別だったらしい。

 しまったな。人生2周目かつチートの影響があるのに真ん中、だった時点で違和感を覚えるべきだった。
 いやでも、だからって……。

「まさか過労で倒れたのってそれが理由? 塾代や受験費用を稼ぐため? そんなこと(・・・・・)のためにこんなバカなことをしたの!?」

「なっ、”そんなこと”ですって!? じゃああんたこそ、なんでそんなバカなことを言い出すの!? 夏期講習へマジメに通って勉強してるし、お母さんはてっきり……。どうして自分の才能をムダにしようとするの!」

「いやだから、わたしには才能なんてないんだって。お母さんの言うとおりバカだからね、わたし」

「あんたはバカじゃないわ! ……お母さんとちがって」

 母親はヒートアップしすぎたと気づいたのか、息を吐いて身体をベッドに預けた。
 目を閉じ、ポツリと呟くように言う。

「ねぇ、イロハ。学校は楽しい?」

「え? べつに普通だけど」

「本当にそう? あんたさ――学校、つまらないと思ってるでしょ?」

 母親が目を開け、じっとこちらを見ていた。
 視線が交錯した。

 ドキリと心臓が跳ねる。
 ()の心まで見透かされそうな気がして、思わず視線を逸らした。

 小学校を楽しいかと言われると……正直、微妙だ。
 前世でやったことの焼き直し。クラスメイトとは精神年齢の差が大きく感性が合わない。

 いってしまえば”ヒマ”で”退屈”。
 こんなことをしている時間があれば家でVTuberの配信を見て過ごしたい――そう、思っていなかったといえばウソになる。

「トンビがタカに化けたと思ったわ。あるいはお母さんが、タカになりきれなかったトンビってだけなのかしらね。……ねぇ、イロハ。子どもの時間は貴重なのよ?」

 母親の声には後悔がにじんでいた。
 俺はハッとした。

「お母さんはバカなことをして、その時間を自分で捨ててしまったわ。そのせいでイロハに父親がいなくてツラい思いをさせてしまった。おじいちゃんやおばあちゃんとの思い出も作ってあげられない。……これでも、お母さんだって学生時代の成績はよかったんだけどね」

 母親は「イロハほどではないけれど」と自嘲するように言った。
 そうか、母親は学生時代に父親と出会い……。

「人間って一度努力をやめると、それまで積み上げてきたものまで失っちゃうのね。もう一度がんばってみようとしたこともあったけど、記憶も、時間も、心の余裕も足りなくなってた。……イロハ」

 母親の視線が俺を射抜く。

「お母さんはあんたにもっといい教育を受けさせてあげたい。あんたに合ったレベルの授業を受けさせてあげたい。あんたにただ才能を腐らせる――時間を浪費するだけの日々を過ごさせたくない。勉強にだけ集中できる時間は本当に希少で、子どものときにしかないから」

 正直、中学受験は親のエゴだと思っていた。
 そして、やはりそれは間違っていない。

 けれど、全部じゃない。
 母親は()の本音を見抜いていた。子どもが思っている以上に、親は子どものことを見ているのだと知った。そして本気でわたし(・・・)の将来を想っている。

「……わかったよ、お母さん」

 だから、俺は――。

「わたしは――」







「――やっぱり入塾はしない!!!!」

「えぇえええええええええ!?」

 母親がズッコケた。

「えぇええええええ!? いやいやいや、今の絶対に『入塾する!』って流れだったじゃん!?」

「あうあうあう、酔う酔う!」

 母親が驚きのあまり跳ね起きて、俺の肩を掴んでガクガクと揺らしてくる。
 俺は彼女の手から脱しつつ答えた。

「お母さんがわたしのことを思ってくれてるのはわかったよ。けどそれはそれ、これはこれ」

「じゃあ、あんたは塾へ行くかわりになにかしたいことでもあるの?」

「わたしのやりたいこと? それは……毎日VTuberを見て、笑って、コメントを投げて過ごすことだ!」

「アホかぁああああああ!」

 スパーン、と頭を引っ叩かれた。
 ひどい。聞かれたから答えただけなのに。

 ……え? もっと壮大な目的ができたんじゃなかったのかって?
 バッキャロー、一番大切なのはこれに決まってんだろーが。

 それは変わってないし、今後も変わることはないだろう。
 その上で2番目。より配信を楽しむためにオマケ(・・・)でやりたいことはあるが。

「ひとつ聞きたいんだけど、お母さんはわたしに入塾して欲しいの? それとも中学受験して欲しいの?」

「そりゃあ中学受験でしょ。そのための入塾なんだから」

「わかった。じゃあやっぱりわたしは塾には行かない」

「あんたっ」

「けれど――中学受験はしてもいい」

 俺は「いくつか条件はあるけれど」とつけ足した。
 母親は困惑した様子だった。

「え、いいの? あんた中学受験がイヤだったんじゃないの?」

「わたしは今まで一度も、中学受験そのものがイヤだとは言ってないよ。受験勉強とかで配信を見る時間が削られるのがイヤなだけで」

「えっ。それ本気で言ってたの!?」

「いや、本気だけど?」

「はぁ~、このバカ娘」

 うわ、バカって言った!
 さっき『バカじゃない』って言ったばかりなのに!

 ……さて。
 なぜ俺が急に方向転換感したのか。それには俺の第2目標が関わっている。

 じつは中学受験したほうがその目標には近かったりするのだ。
 ならばなぜこれまで固辞し続けていたか。それはリスクとリターンが見合わなかったからだ。

 普通に(・・・)難関中学に合格しようとすると、俺の学力ではあまりにも多くの勉強が必要。
 視聴時間が削られすぎる。それでは本末転倒だ。

 けれど仮に、最小限の勉強だけで受験に合格できるとしたら?
 そんなウルトラCがあるとしたら?

 俺にかぎっていえばそんな手段が、ある。
 それを知ったきっかけは夏期講習だった。そういう意味では受講したのは正解だった。

 ただ、俺はこの手段を選ぶことをずっとためらっていた。
 あまりフェアではないし、その後がどうなるかもわからない。
 だから安定をとって、普通に公立中学へ進学するつもりだったのだが……。

「お母さん、そんなにわたしに受験して欲しいの?」

「もちろんよ」

「本当に、いいんだね?」

「えぇ」

「本当の、本当に、いいんだね?」

「なによ、恐いわね……いいって言ってるでしょ?」

「ふぅ~、わかった。じゃあこれがわたしが中学受験をする条件」

 俺は決心して、スマートフォンの画面を見せる。
 そこにはとある中学校のホームページが表示されている。

「わたしが受験するのはこの学校だけ。もし落ちたとしてもそのときはほかの学校を狙ったりせず、すっぱり諦める。あと入塾はせず自習で合格を目指すから」

「記念受験じゃ意味がないわよ」

「わかってる。”わたしにできる範囲で”全力で合格を目指すよ。それと……受験費用は自分で出すよ。だからお母さんはもう二度と、こんなオーバーワークはしないで」

「なに言ってんの。子どもにそんなお金用意できるわけないでしょ。まさかあんた、それが理由で入塾しないで受験するって言ってたの!?」

「いや、ちがうけど……。って、え!? もしかしてお母さん、見てないの!?」

「なにをよ」

「はぁぁ、どうりで話が微妙にかみ合わないわけだ」

 俺はスマートフォンを操作して、アドセンスの収益画面を表示させる。
 そこには数字が並んでいる。

「見方だけど、これが確定してる先月分の収益。実際に振り込まれるまではまだ数日かかるけど。それで、こっちが今月の推定収益」

「ん? んんんんんん!?!?!? いち、じゅう、ひゃく、せん、まん、じゅうまん……えぇええええええ!? あんた、こんなに稼いでたの!?」

「うん」

 へにゃへにゃと母親がベッドの上で崩れ落ちた。
 「は、はは……」と乾いた笑いが聞こえてくる。

「お母さんより収入多いじゃん。お母さんが必死に稼いでたのって、いったい」

「いやいや、お母さんもわたしが投げ銭もらってることは知ってたでしょーに」

「そりゃまぁ。スーパーチャットだっけ? いくらか収入があるのは知ってたわよ。けれど、せいぜい小銭くらいだと。とくに最近は仕事が忙しくて配信も見られていなかったし。まさか、子どもが知らないうちにこんなにも稼いでるなんて思わないわよ」

 よっぽど衝撃が大きかったらしい。
 母親は大きく、大きくため息を吐いた。

「お母さんはなんのために……」

 まるで急に年老いたかのように見えて、俺は不安になる。
 首を振って母親の言葉を否定した。

「今だけだよ。わたしに人気があるのは”リアル小学生”だから。来年にはその肩書もなくなって、一気に稼げなくなると思う。さらに翌年にはもっともっと稼げなくなる。そもそもわたし自身、いつまで配信を続けるのか、いつまで配信を続けられ(・・)るのかわからないし……」

「そうなの?」

「うん。だから、お母さんが働くのをやめたらわたしたち、いずれは路頭に迷っちゃうと思うよ。けれど、今は受験費用はわたしが自分で出すよ。あと収益も、わたしに必要な分のお小遣いだけもらったら、残りのお金は家に入れるから」

「バカ言わないで。それはあんたが稼いだお金でしょ。自分のために使いなさい」

「でも」

「あと中学受験についても、するもしないも自分で決めていいわ」

「えっ。どうしたの急に?」

「あんたが、お母さんが思っていたよりもうずっと大人だったって話よ。お母さんはずっと、あんたにレールを敷いてあげないといけないと思ってた。間違えずに進めるように。それが大人の仕事だと思ってた」

 母親は遠くを見るように視線を上げる。

「けれどあなたはもうとっくに自立してて、お母さんよりずっと先を走っていたのね。あんたはもう自分の道を見つけて、進みはじめていたのね。……お母さん、余計なお世話をしちゃってたみたい」

 母親の声にはいくぶんかの寂しさが滲んで聞こえた。
 俺は……わたし(・・・)は彼女の手を自然と握っていた。母親が目を丸くする。

「ううん。言ったとおり、やっぱり受験はすることにする。けれど、ひとりじゃできないことも多いから、そのときは助けてくれる?」

「ふふっ……そうね。そうね! もちろんよ! だってあんたの――”お母さん”なんだから!」

 母親と心が通じ合った気がした。彼女の瞳には涙が滲んでいた。
 それを指先で掬いながら「そういえば」と母親が訊ねる。

「さっき見せてくれた学校ってどんなところなの? 家から近くて、偏差値も高いってのはわかったんだけど」

「いわゆる進学校ってやつなんだけど、校則がすごく緩いの! もともと進学校は校則が緩くなりがちなんだけど、この学校はとくに! それこそ成績さえ良ければ、授業中に配信を見てても怒られな――、あ」

 完全に油断してた。語るに落ちるとはこのこと。
 俺は立ち上がった。

「わ、わたし用事思い出したから帰ろっかなー? そ、それじゃあお大事に……あのー、お母さん? だから手を離していただけると助かるかなーって」

「イ~ロ~ハ~?」

「え~っと、その~」

「その学校、もうちょっと詳しく見せなさぁあああい!」

「ひぃいいいいいい!?」

 その後、俺たちは「アナタたちここは病院よ!? 静かにしなさい! 安静って言葉知ってる!?」と看護師さんにしこたま怒られた。
 す、すいませんでした……。

   *  *  *

 そうして波乱万丈の夏休みが終わった。
 新学期がはじまり、久々の登校だ。

 しかし、なんだ? 妙に騒がしいな。
 ただ夏休み明けだから、というわけじゃなさそうだ。

 首を傾げていると、遅れてやって来た担任教師が咳払いで注目を集めた。
 静かになったタイミングで「えー」と口を開く。

「今日から新学期だが、みんなに紹介したい子がいる。入って」

 シーン。
 なにも起きなかった。

 先生が「そうだった」と言い、教室の扉を開く。
 そこには見知らぬ女生徒がひとり。促されて教室に入ってくる。

「みんな、彼女は今日からみんなと一緒に学ぶ仲間だ。自己紹介、お願いできるかな?」

 女生徒はこくりと頷き、一歩前に進み出た。
 彼女はたどたどしい日本語で自分の名前を述べ、最後につけ足した。

「ワタシ、ハ、ウクライナ、カラ、キマシタ」

 開かれた窓から風が吹き込み、銀色の髪が揺れた。
 そうして、6年生の2学期がはじまった――。
「えーっと、これわかるー?」

「ワカラナイ、デス」

「あー、まぁ仕方ないよねー」

 小学校の教室。
 ウクライナからの転校生と、ほかのクラスメイトたちとの間に溝ができつつあった。
 いや、言葉の”壁”といったほうが正しいか。

 現在、ウクライナはロシアから侵攻(・・)を受けている。
 その情勢は非常に不安定だ。

 それで彼女は親戚を頼ってウクライナから避難してきたという。
 しかし急な転校だったため、日本語の勉強が追いついておらず……。

「ねぇ、イロハちゃん。なんとかしてあげられないのかな」

「スマホ」

「それはまだダメだって、先生が」

 翻訳アプリを使えれば話は簡単なのだが、残念ながら校則によって校内での使用は禁止されている。
 先生も「使っていいよ」と言ってあげたいそうなのだが……。

「まだ交渉中かー」

 まぁ、許可を出せば間違いなく遊びで触る生徒が出てくるだろうしなぁ。
 気にする親御さんはどうしても一定数いるらしい。

 マイはまるで自分のことのように、ツラそうな表情で転校生を見ていた。
 俺は絶対に助けないからな!?

 VTuberに関係がないことでこれ以上の時間を費やしたくないし、面倒ごとに首をツッコむ気もない!
 本当だからな! 絶対だからな!

   *  *  *

「というわけで新学期もはじまって、無事に初収益も入ってきた。みんなのおかげだよ、ありがとー」

>>そうか新学期か
>>収益おめ!
>>これでようやくメン限配信を見られるなwww

「ホントだよ! いや~、プレミアム代金を支払うのにすら苦労していたころがもはや懐かしい。勝ったなガハハ! これからのわたしは無敵だ!」

>>急に大金持つと金銭感覚狂うから気をつけるんやで
>>税金に気ぃつけや
>>忘れずに確定申告するんやで

「そのあたりはあー姉ぇに税理士紹介してもらったから大丈夫」

>>アネゴが有能、だと!?
>>収益公開しようぜwww
>>収益なにに使うか決めてるん?

「使い道なんだけど、まずメンバーシップ代は確定として……残りについて、みんなにちょっと相談したいんだよね。じつは収益の一部をわたしの受験費用に充てたくて」

>>ええんやで
>>受験決めたって言ってたもんな
>>イロハちゃんのお金や、イロハちゃんが好きに使うたらええ

>>イロハハがまたムリして倒れてもアカンしな
>>イロハハにはきちんと休んでもろて
>>なんでメン代が確定で、受験はオマケなんだよwww

「え? だってVTuber業で稼いだお金をVTuber業界に還元するのは義務でしょ?」

>>草
>>うん、平常運転だな!
>>イロハちゃん普段はしっかりしてるけど、じつは浪費グセありしそうで怖いw

 とまぁ、そんな感じに新学期のVTuber業はすべり出し好調。
 メンバーシップ限定配信も見れるようになったし、すべてがいい順調――。

>>イロハちゃん、なんか元気ない?

 そのとき、流れてきたひとつのコメントが目に留まる。
 図星を突かれたような気持ちだった。

 あ~、もうっ! 原因はわかりきっている。
 マイのあの表情だ。転校生のことだ。

 配信を終えたあと、俺は検索窓にカーソルを合わせた。
 べつにこれはあいつらのためなんかじゃない。

 元々、ウクライナ語はゆくゆく習得するつもりだったのだ。
 だからこれは、すこしだけ予定を前倒ししただけだ。

   *  *  *

 ――数日後。
 俺はフラフラとした足取りで教室に向かっていた。

 眠気と疲労とで限界ギリギリ。ものすごくしんどかった。
 まだ脳みそが熱を持っているような、そんな錯覚がする。

 この言語のために数日を費やすことになった。
 これだけ集中して、それも短期間でひとつの言語を習得したのははじめてだ。

 チートじみた言語能力を働かせるためにはどうしても大量のインプットが必要。
 そのため、習得にはどれだけ急いでもそれなりの時間がかかる。

 だからこそ優先順位をつけていたのに。
 なるべくVTuberの使用者数が多い言語から、と。

「おはよ~……」

 疲れ切った声とともにガラガラと教室の扉を開ける。
 室内を見渡せば、すでに大勢の生徒が登校していた。

 しかし、ウクライナからの転校生の周囲にだけ人がいない。
 彼女はぽつんと座っていた。まるでそこだけバリアでも張ってあるみたいに。

「ひとつ貸しだからな」

 イメージ上のマイにそう告げる。
 それと担任教師にも、あとで絶対に文句を言ってやる。

 俺はなにものにも邪魔されず、純粋な気持ちでVTuberの配信が見たいのに。
 気がかりがあると配信を十全に楽しめないだろうが!

 まっすぐ転校生へと近づいていく。
 転校生も俺の存在に気づいたのだろう、ピクリと俯かせていた顔を持ち上げた。

<おは――>

「”ど、どーぶろぼ、らんく!”」

 割り込むように、大きな声で転校生に声がかけられた。
 彼女の視線は俺ではなく、目の前に飛び込んできたその人物へと引っ張られた。

 クラスメイトの男の子だった。
 その手にはノートが握りしめられている。

 男の子の後ろにはほかにも何人かの生徒が控えていた。
 彼らが次々と、拙いながらもウクライナ語で<おはよう>と声をかけていく。

 それからノートを見ながら<仲良くなりたい><ウクライナ語を教えて><日本語を教える>などを伝えようと、必死に言葉を紡いでいた。
 俺はその様子に衝撃を受けていた。敗北感に打ちのめされていた。

「は、はは……なにやってんだ俺」

 無意識に翻訳能力に頼っていた自分に呆れた。
 助けてやる、と無意識に上から目線になっていたことにも。

 まずやるべきはウクライナ語をうまくなることじゃない。
 拙くてもいい、ウクライナ語で――相手の立場に寄り添って声をかけることだった。

<友だちになろう!>

 彼らのように、声をかけることだった。
 あー、もう! なんだよ、やるじゃん小学生。

「アリガトウ」

 転校生は泣き出しそうなほどの笑顔で、そう答えていた。
 完敗だった。

 俺はガサゴソとランドセルを漁ってプリントの束を取り出した。
 それを男の子たちに差し出した。

「これ」

「なんだよイロハ」

「よかったら使って。<あなたにも>」

<えっ?>

 手渡したプリントには日本語とウクライナ語の対応表が印刷されている。
 中でも学校生活でよく使う文章を、なるべくわかりやすい単語を選んで作ってきた。

「お前、ウクライナ語しゃべれたのかよ!?」

「覚えたんだよ。もし会話で困ったときがあったら、わたしのことを呼んでくれていいから。教える」

 同じ内容を転校生にも伝える。
 転校生は目を丸くし、クラスメイトたちはやや困惑した目で俺を見ていた。

 警戒されたかなこれは。
 と思っていたら、真っ先に転校生へと話しかけていた男の子が俺に言った。

「あー、その、ありがとよ。それと、ワリぃ。最近のお前、変だったから……ちょっと偏見持ってた」

「え。あ、うん」

 すぐにほかのクラスメイトからも「ウクライナ語を覚えたの!?」「すごい!」「私にも教えて!」と声をかけられ、囲まれる。
 そんなにすぐ切り替えられるものなのか。

 いや、そうじゃないな。
 今、わかった。そもそも……。


 ――子どもの世界には国境も年齢差もない。


「イロハちゃん、ありがとねぇ~」

 マイがまるで『わかってる』とでも言いたげな表情で近寄ってくる。
 俺はなんだか気恥ずかしくなって、頬を掻いて「うるせー」と返した。

   *  *  *

 それから俺はこの出来事を配信で話した。
 すると「俺もウクライナ語を覚えたい」というコメントが殺到した。

 中には最近、職場や学校にウクライナから避難してきた人がいる、という人もちらほら。
 いつの間にか、意外なほどウクライナという国は身近になっていたようだ。

 俺は予想外の食いつきに驚きつつも、「せっかくだし」とウクライナ語講座を行うことにした。

 その反響は非常に大きかった。
 普段はVTuberを見ないという人も、大勢が視聴しにやってきた。

 コラボでも切り抜きでもなく、これほどまでに俺個人の配信が伸びたのははじめてのことだった。
 俺はVTuberとして自分がなにをすべきなのか、すこしわかった気がした。

   *  *  *

 ……ちなみに。
 その翌日、担任教師が似たようなプリントを作って持ってきていた。

 担任教師は「え? もう持ってる……? しかも私が作ったのより出来がいい!?」と混乱していた。
 遅いわっ!
「ってな感じで、今はクラスメイトみんなでうまくやってるよ」

 俺は『第2回ウクライナ語講座』のかたわら、雑談として学校での顛末を話していた。
 あまり勉強の話ばかりでも疲れるだろう。ちょっとした息抜きだ。

>>解決してよかった
>>大人でも覚えるの苦労するのに、小学生すげーな
>>じつはイロハちゃんも小学生なんやでwww

「まぁ、わたしは特殊だからねー。大人代表である先生には、もうちょっと早く対応してもらいたかったけど」

>>先生より先生してて草
>>教師も時間足りない中でがんばっとるんや
>>残業代も出ないしなー

「なるほど。そう言われると感謝こそすれ、非難できる道理はないかも」

 転校生が来るからって通常業務が減るわけじゃないだろう。
 そんな中、仕事の合間を縫って手製のプリント作ってきてくれたわけだ。

「あれ? 普通にいい先生じゃね?」

>>教師って大変やな
>>転校生の受け入れってほかにもいろいろやらなあかんやろうし
>>しかも今回の場合、かなり急な受け入れだったっぽい?

「わたし、子ども側の視点でしか物事を見てなかった。今度、先生に『ありがとう』くらい言っとくか」

>>それは子どものセリフじゃねぇ!www
>>卒業式以外で、そんなの言われたことないなぁ
>>えっ、卒業式ですら言われたことないんだけど

「とまぁ、ずいぶんと話が逸れちゃったけど、今、日本でウクライナ語を使える人が圧倒的に足りてないんだよね。だからみんなも覚えてくれるとうれしいな。そして一緒にウクライナ圏VTuberの配信を見よう! ウクライナ圏VTuberを増やそう!」

 ウクライナにも数は少ないがVTuberは存在する。
 俺も「せっかく覚えたんだから」と元を取るつもりで、最近はそっち方面のVTuberを見て回っていた。

>>草
>>結局そこかwww
>>ウクライナ語できるけど、この授業タメになるわ

「お、すでに使える人も見てくれてるのか! そういう人は、よかったら翻訳の仕事引き受けてあげて。今、日本用の教材をウクライナ語に翻訳したものを作ってるんだって。少ないけどきちんと謝礼も出るから」

>>へぇ~
>>これがあれば転校生ちゃんが助かるわけか
>>イロハちゃんありがとう、そんなものがあるとはじめて知りました(烏)

 転校生は通常の授業に加えて、日本語の勉強までしなくちゃいけない。
 そうすると、どうしても通常の授業のほうに遅れが出る。

 そこでウクライナ語版の日本用教材の出番だ。
 ウクライナ語版と元教材を見比べながら授業を受けることで、なるべく通常の授業に遅れが出ないようにしつつ、日本語も並行して学んでいける、という算段。

 実際にどれだけ効果が出るかはわからない。
 しかし、それによって俺の手が空いて、休み時間に配信を見られる時間が増えるなら万々歳だ。

 宣伝した理由はそれだけ。
 ほかに理由なんかない。ないったらない。決して特定のだれかのためではない。

「というわけで今日の講義はここまで。”おつかれーたー、ありげーたー”」

>>おつかれーたー
>>おつかれーたー
>>おつかれーたー

 配信枠を閉じ「ふぅ」と息を吐く。
 新学期のドタバタも収まり、ようやく生活が落ち着いてきた。

「……さて」

 そろそろ向き合わなければならないことがひとつある。
 俺はスマートフォンを手に取り、とある人物へと電話をかけた。

「もしもしあー姉ぇ? 明日ってさ、時間ある?」

   *  *  *

「お邪魔しまーす」

 俺は慣れた足取りであー姉ぇの部屋へと足を踏み入れた。
 あー姉ぇはいつもどおりのハイテンションで迎え入れてくれる。

「もー、どうしたのっ? イロハちゃんから電話なんて、珍しすぎてなにごとかと思っちゃったよ!」

 言われてみれば、たしかに。
 というか俺がイロハになって(・・・)からははじめてだ。

 いつだってあー姉ぇが引っ張っていく側で、俺は引っ張られる側だった。
 けれどいつまでもこのままじゃいけない。

「あー姉ぇにこれを受け取って欲しい」

「えーっと、なぜに通帳を?」

 そこにはVTuberとして得た収益が記帳されている。
 俺にはチャンネルの視聴者にも言っていなかった、ひとつ決めていた収益の使い道がある。
 それこそが借りを返すこと。

 あー姉ぇは俺がVTuberとしてデビューするためにいろいろと出資してくれた。
 元々は、俺があー姉ぇの配信に出演して稼いだ収益から出してるから気にしなくていい、と言われていた。
 しかし……。

「VTuberとしてはじめて収益を受け取ってわかったよ」

 たしかに当時、俺がきっかけでバズった。
 だがどう計算してみても、それらで得られた収益はあー姉ぇが出資してくれた額にまったく届いていない。
 というか、そもそもの話……。

「税金対策だなんだって言ってたけど、あれウソでしょ」

「あ~、バレちったか」

 あー姉ぇは観念したように舌を出した。
 やっぱりか。

「あ、でもまるっきりウソってわけじゃないよ! 多少、大げさに言っただけで。それと、やっぱり受け取れないかなー。これはイロハちゃんが稼いだお金だし」

 母親といい、あー姉ぇといい。
 俺の――わたしの周りの人間はどうしてこう、お金を受け取ろうとしないのか。

「……なんで」

「それはなにに対しての質問?」

「なんでわたしに出資したの? なんでわたしをVTuberとしてデビューさせようと思ったの?」

「そんなの単純明快だよ! あたしが”おもしろそう”って思ったから! ”もっと一緒に配信したい”って思ったから!」

 じつにあー姉ぇらしい理由だった。
 あー姉ぇはいつだって自分の欲望に忠実だ。

「あともうひとつ。心配だったから、かな?」

「心配?」

 だから最後の理由は予想外だった。
 俺はVTuberの配信が見れて、十分に満足していたはずだが。

「だってイロハちゃん、現実にあんまり興味ないーってカオしてたから。自分の人生もべつにどうでもいいーって感じで。それこそまるで”他人ごと”みたいに」

「……!」

「マイみたいに相手から積極的に絡んでこないかぎり、だれとも関わる気がなかったでしょ? というより、必要だと感じてないってほうが近いのかな。あたしのこともまるで”他人”を見る目だったよ。いや、ちがう……”道具”を見る目、かな」

「そ、それは」

 たしかに俺は最初、あー姉ぇを利用しようとしていた。
 プレミアム代を稼ぐためだけに。

 そして現実に興味が薄かったのもそのとおり。
 だってこれはわたし(・・・)の人生だ。

「久々に会った友だちがそんな、まるで”別人”みたいな目してたんだよ? そんなのさー、心配しないわけないじゃん。あとは純粋に悔しかったし」

「悔しい?」

「そう!」

 あー姉ぇは自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。
 彼女は「だから決めたの」とまっすぐな視線で俺を射抜いた。

「あたしが教えてやる――『人生はこんなにもおもしろいんだぞ!』って」
「で、人生のおもしろさを教えるには、VTuberは好きみたいだし……このまま同じ業界に引きずり込んじゃったほうが早いなーって。あとイロハちゃんは配信者に向いてるとも思ったし」

「え、わたしが? どうして?」

「ストレス耐性ありそうだから」

「そこ!?」

「いや、マジメな話だよ。スルースキルは配信者に必須なの。慣れで身につけることもできるけど、やっぱり素質はあるに越したことないから」

 たしかに俺はVTuberの配信さえ見られるなら、ほかはわりとどうでもいい。
 実際、思い返せばこれまでも配信中に悪意あるコメントが幾度となく投げられていた。
 が、とくに気にも留めていなかった。

「それでもイロハちゃんが配信を続けてくれるかは賭けだったけどね。学校もあるし、体力的な問題もある。なにより子どもは飽きっぽいから。配信まわりはあたしがフォローすれば済むけど、ほかはね」

 だから機材やソフトの準備など、あれだけ面倒を見てくれていたのか。
 すこしでも負担が減るように、と。

「というか、本来はもっと本格的なサポートをつける予定だったんだけどね。だって、あたしの勧誘でウチの事務所に入れるつもりだったから」

「はいぃいいい!? いやいやいや、それはムリでしょ!?」

 あー姉ぇが所属しているのは世界最大規模のVTuber事務所だ。
 それこそチャンネル登録者数ランキングを所属VTuberが総ナメするほど。
 そんな簡単に入れるわけがない。

「そーなんだよねー。マネちゃんに言ったら却下されちった」

「ほっ……」

「マネちゃん曰く『話題に困らなさそうだし、キャラクター性も申し分なし。今、海外勢が伸びてるから語学力がある人材はのどから手が出るほど欲しい。けど未成年だからダメ』だって」

「そりゃそうだ」

「だから『せめて個人VTuberとしてデビューする支援をしてあげたい』って言ったの。そしたら『まぁそれなら』って。で、あたしが直接、出資やらサポートやらすることになったんだよね」

 それは俗にいう”ドア・イン・ザ・フェイス”なのでは?
 大きな要求を突きつけて小さな要求を通す交渉術。

 無意識にやったとしたら末恐ろしいな。
 いや、さすがはあー姉ぇと言うべきか。

「あたしじゃ力不足でサポートしきれないんじゃないかって不安に思ってたけど、予想外にイロハちゃんがしっかりしてるからなんとかなっちゃったよ」

 不安? それは意外だ。
 つーか、あー姉ぇも不安を覚えることがあるのか。

「そこから先は知ってのとおりだね」

 あー姉ぇが俺をいろいろなVTuberと引き合わせて、かき回して。
 ……俺のため、だったのか。

 もちろん、あー姉ぇ自身が楽しんでいた部分も大きいだろうが、それでも。
 と、突然あー姉ぇの歯切れが悪くなる。

「ただ、そのぉ~、なんといいますかぁ~、あたし人との距離感が近すぎるというかぁ~、大雑把というかぁ~、空気が読めないというかぁ~。やりすぎちゃうことが多いらしくって」

「知ってる」

「ぐはっ!?」

「言っとくけど、今でもリアルでVTuberの人たちと引き合わせたことは許してないからね?」

「ひぃいいいいいい!? イロハちゃんの顔が恐い!」

 あー姉ぇはヨヨヨと涙を流し「ごめんよぉ~」と縋りついてくる。
 俺は大きく嘆息した。

「けど、もういいよ」

 推しの配信を見る目は、やっぱり直接会ったことで少なからず変わってしまった。
 純粋なファン心だけでは見られなくなってしまった。
 そのことは寂しく思う。

 けれど、今の俺はもうただの1ファンではなくVTuberでもあるから。
 最終的にこの道を選んだのは自分自身だから。

 VTuberとしてデビューした以上、少なからず顔合わせが起こるのは必然だった。
 本当に拒絶するなら、あのとき断るべきだった。
 そして断らなかったということは……。

「許しはしないけどもう過ぎたことだし、あー姉ぇだけの責任でもないから」

 それに失うことばかりでもない。
 VTuberを経験したことで、同じ立場から配信を見られるようになった。
 新たな楽しみかたができるようになった。

 ある意味で、今の俺はこれまで以上に配信を楽しめている。

「そっか。ありがとう」

「お礼を言うのはわたしのほうでしょ?」

「それでも、だよ。……じつはあたしが『人生はこんなにもおもしろいんだぞ』って伝えたいのはイロハちゃんだけじゃないんだ。ほかの子たちも一緒」

「だからVTuberのみんなをプールへ誘ったの?」

「うん。なにを楽しむかは人の自由だと思う。けど、その楽しさすら知らないなんて、悔しいじゃん? あたしはみんなのことが大好きなの。好きな人にはさ、自分の好きをもっと知って欲しいじゃん?」

 あー姉ぇは「もちろんイロハちゃんのことも大好きだよ!」と笑った。
 いつものまっすぐな視線。

「そーいうこと、よく真正面から言えるよね」

「えへっ」

 俺はこらえきれず、その笑顔から視線を逸らした。
 あー、顔が熱い。

「だからイロハちゃんには知って欲しいし、イロハちゃんのことも知って欲しいんだ。……ねぇ、イロハちゃん。よかったらまたみんなで遊びに行ったりできないかな?」

「あ~」

 これを認めるのはあー姉ぇに負けたみたいで悔しいが……。
 俺はあー姉ぇに振り回されてるうちに、そういうのも悪くない、と思いつつある。

 マイ、あー姉ぇ、おーぐ、母親、コラボ相手のみんな。
 彼女たちのことをもう他人だとは思えない。

 これまでがたまたま、いい結果だったからそう思えているだけかもしれない。
 だから今後のことはわからない。
 けれど……。

「――”次から”リアルで顔合わせするときは事前に言っておいてね」

「えっ、いいの!?」

「うん」

 俺は降参した。
 この人には一生勝てる気がしない、と思った。

「そのときは帽子(・・)でも用意するよ。こ~~やって思いっきり目深に被って、ご尊顔を拝してしまうのを防止(・・)してから参加する。……なんちゃって」

「”おつかれーたー”のときも思ったけど、イロハちゃんギャグセンスはないよね」

「お前ぇえええ!」

「でも、ありがとねっ」

「……んっ」

「ねぇ、イロハちゃん――人生は楽しい?」

 俺は肩をすくめて答えた。

「そこそこ」

「あははっ、そこそこか。じゃあもっとがんばらないとねっ」

 顔を見合わせて笑った。
 あー姉ぇは「よしっ、湿っぽいのはここまで」とパンと手を叩いた。

「そんなわけで、結局はあたしがやりたいことしてるだけなんだよね。だからイロハちゃんも、そのお金は自分がやりたいことのために使いな? それに絶対そのうち入り用になるから」

「え? 入り用? ……あっ、そうか!」

「お、わかった? 少額でもできないわけじゃないんだけど、やっぱり金額は正義だからね。今後(・・)にも大きく関わるし」

「たしかに! いやでも、そうなるとこの額じゃまだまだ足りないなぁ」

「うん。だからもっと配信がんばらないとね」

「わかったよ、あー姉ぇ!」

 俺は通帳を懐に仕舞い、頷いた。
 あー姉ぇも俺のことがようやくわかってきたらしい。

 つまりこのお金は――スパチャに使えということだ!
 それも赤スパを投げろという意味だ!

 よーし!
 今後(・・)のVTuber業界を支えるためにも、しっかりと還元するぞ~!

   *  *  *

 ……えぇ~っと、ちがったみたいです。
〈そうそう。久々に遠出したらストライキ中でさー。しかもデモで行きたかったお店にも入れなくって〉

>>ちゃんと確認せんから(仏)
>>それはしゃーないなw(仏)
>>¥10,000 ドンマイ代(仏)

〈え、スーパーチャット!? しかも赤色!? えーっと、お名前なんて読むんだろ。”イロハ”さん? で発音合ってますか? ありがとうございます!〉

>>!?!?!?(仏)
>>え、これ本物じゃね?(仏)
>>イロハちゃんじゃん!?(仏)

〈どうしたの? えっ、有名人? うわっ、チャンネル登録者数すご!? って日本の人気VTuber!? ちょっと待って、私この人、見たことある!〉

>>今のうちに”ファイヨ”しとけw(仏)
>>フランス語わかるのか(仏)
>>ファンです! これからも活動応援しています!(仏)

〈あ、ありがとうございますイロハさん! がんばります!〉

   *  *  *

≪アメリカではクッキーに肉汁をかけて食べるって聞いたけど、マジ? やっぱ感性合わねー≫

>>マジ???(英)
>>それは草(英)
>>¥10,000 それはパンにホワイトソースをかけて食べる、って意味だねwww(英)

≪うおっ、赤スパあざーす! そういうこと!? やっぱり変だと思ったんだよ。教えてくれてあんがとねー≫

>>なるほどそういう意味かwww(英)
>>これだからアメリカ語は(英)
>>ちょっと待って今の、本物のイロハじゃん(英)

≪え、なに。有名人なの? マジで!? 日本のVTuber? よかったら今度コラボいかがっすかー!≫

>>お前、自分のチャンネル登録者数よく見ろwww(英)
>>相手は天上人やぞ(英)
>>いいんですか!? ファンなのでうれしいです! あとで細かい打ち合わせしましょう(英)

≪マジぃ!? 通っちゃったよ!? つーかアタシのファンだってよ、お前らぁ! 囲め囲めぇ! イロハちゃーん、”チアーズ”!≫

   *  *  *

「――とまぁ、そんな感じでさー。その人の配信がめちゃくちゃおもしろくって。よかったらみんなも見に行ってみて! 海外にもおもしろいVTuberがいっぱいいるから!」

>>すまんがフランス語はさっぱりなんだ
>>すまんがイギリス語はさっぱりなんだ(米)
>>というかスパチャしてたのやっぱりお前だったんかい!

「そうそう、わたしわたしー」

 俺はとくにプライベートでチャンネルを切り替えたりしていない。
 そのため、視聴者に捕捉されていたようだ。

 それにネット上でウワサになっていたらしい。
 「あちこちのVTuberにいきなり赤スパ投げてるこいつはだれだ!?」と。
 海外では日本ほどスパチャ文化が強くないから、余計に目立ったようだ。

>>まだ収益入ってから1、2週間だよな???
>>なのに、こんなに話題になるとかどんだけw
>>そんなに収益に余裕あったのか

「余裕? 全然ないよ。もう全部なくなっちゃった!」

>>!?!?!?
>>おい!!!!wwwwww
>>いったいいくら使ったんだwww

「いくらって……なに言ってるの? 1週間のスパチャ上限は20万円だよ? プリペイドカード使ってたんだけど、不正利用を疑われて電話かかってきたときはびっくりしたよ」

>>当然のように上限なのヤバすぎwww
>>やっぱりこいつVTuber絡むとダメだわwww
>>収益で親にメシ奢るくらいはしてやれよw

「あっ……。その、スパチャのほうが優先度高かったというか。いやっ、ちがくて! そうじゃなくて!」

>>こいつボロしか出さねぇなwww
>>イロハハ泣いてるぞw
>>これは絶対に怒られるwww

「は、ははは。大丈夫だよ。お母さんも『収益はイロハの自由に使いなさい』って言ってたし、あー姉ぇも『収益はスパチャに使うべき』って言ってたし」

>>本当かそれ???
>>絶対に捏造だろwww
>>この間はスーパーチャットありがとうございました(仏)

「あっ! 〈いえいえ、こちらこそ。いつも配信楽しませてもらってます〉」

>>これイロハちゃんがスパチャした相手?
>>ちょっと待ってこれ何語だwww
>>普通にフランス語しゃべってて草しか生えないwww

>>このチート幼女いつの間にフランス語まで覚えたんだよw
>>アタシもこの間はありがとう! コラボするぞ!(英)
>>私もぜひコラボさせてください!(仏)

「おわっ、もしかしてわたしモテモテじゃない? ≪めっちゃ楽しみにしてる!≫ 〈ぜひやりましょう!〉」

>>発音や言葉選びまでちゃんとイギリス英語じゃんスゲーな(英)
>>ありがとうございます!(仏)
>>言語入り乱れすぎて脳みそ壊れるwww

 各国のVTuberがお礼のためかウワサを聞きつけてか、コメント欄に続々と現れる。
 なんだかすごいことが起きそうな予感が――。

 バン! と扉の開く音が響いた。
 ギギギ、と俺は振り向いた。そこには……。

>>あっ……
>>この音はイロハハかなwww
>>ちょっと待て、足音複数あるなこれ

「ど、どうしたの、お母さん? それにあー姉ぇまで?」

「イロハ、ちょっと”お話”しようか?」

「イロハちゃん、あたしそんなことぜーんぜん言ってないんだけどなぁっ☆」

「ちょ、ちょっと待って。ふたりとも言ってることが前とちが――」

「「それはこっちのセリフじゃぁあああ!」」

 あ、あっれぇーーーー!?
「ひぃいいいいいいっ!?」

 俺はあー姉ぇと母親の形相に悲鳴をあげた。

>>草
>>アネゴ好きだぁあああ!
>>これは残当www

「これからはおこづかいの使い道、お母さんが事前にチェックするから。イロハも言ってたじゃない。ひとりでできないことは手伝ってって。お金の管理、全然できてないわよね?」

「イロハちゃんにはこれから毎月、決まった額を貯金してもらう姉ぇっ☆ あたしに返済するつもりでいけば、積み立てることだって簡単だよ姉ぇ?」

「ご、ごごごめんなさぁああああああいっ!」

 なんでこんなことに!?
 俺がふたりから説教を受ける様子は、世界規模で拡散された。

 各国のVTuberにつられて各国から視聴者も集まっていたらしく、さまざまな言語で字幕つきの切り抜きが作られてしまう。
 それはある種のネットミームと化すほどだった。

   *  *  *

「てなわけで、とりあえず残ったお金でお母さんにケーキでも買おうかなーと。ご機嫌取りしたら多少は制限が緩和されるかもだし。……くっ、この数百円があればまだスパチャが。いや、必要経費として諦めるしか」

「あはは、イロハちゃんは相変わらずだねぇ~」

 学校で机に突っ伏してマイに愚痴っていると、ふと視線を感じた。
 顔をあげてキョロキョロと教室内を見渡す。

「んんん?」

 ウクライナからの転校生がじぃ~っと俺を見ていた。
 俺はマイの服の裾を引いた。

「ね、ねぇマイ。なんかわたしあの子にめっちゃ見られてない?」

「うん? ん~、気のせいみたいだけどぉ~」

「あれ? 本当だ」

 気がつけば転校生は顔を伏せていた。
 気のせいだったのだろうか?

 彼女の視線は手元に落ちている。
 どうやらスマートフォンでなにかを見ているようだ。

 最近、ようやく保護者からの理解も得られたようで、翻訳や勉強のためなら校内でもスマートフォンを使用してもよいことになった。
 いろいろ気をもんでくれていた教師も、これで一安心だろう。

 しかし、転校生はなにをしているのだろうか? 日本語の勉強中?
 俺はスススっとその背後に忍び寄り、画面をのぞき込んでみた。

「!?!?!?」

 俺の配信だった。
 自分の席にすっ飛んで戻り、顔を伏せた。

 バっ、バレてるぅううう!?
 いやいや、そんなことないよな!? だって今まで大丈夫だったんだから!

 ちゃんと配信内で話すエピソードにはフェイクを入れてた。
 それに小学生でウクライナ語を話せる女の子なんてそこら辺にいくらでも……いるわけねぇえええ!?
 しかも名前まで一緒だもんな!?

 ちらっと顔を上げる。
 転校生はまたじぃ~っとこっち見ていた。

 これはセーフなのか!? それともアウトなのか!?
 どっちなんだ!?

    *  *  *

 そんな風にやきもきしはじめて、数日。

「……あっれー?」

 転校生から視線を感じるようになってからしばらく経つが、予想に反して、なにも事件は起きていなかった。
 おっかしーなー。絶対、なにかアクションがあると思っていたのに。

「そんなに心配なら直接聞いてみればいいんじゃない?」

「いや、さすがにそれは」

 あー姉ぇからの鋭い指摘に、俺は言葉を濁した。
 変に掘り返すよりなぁなぁにしてしまいたい、というのが本音だ。

 あとは話しかけづらい、というのもある。
 なにせ最近はむしろ逆に、俺と彼女が話す機会は減っているのだ。

 最初こそ教室内でのコミュニケーションに俺の手助けが必要で、ちょくちょく転校生やクラスメイトに呼ばれることがあった。
 しかし現在は、彼らだけで解決してしまうことも多いのだ。

 一番の要因は、校内でスマートフォンが利用可能になったことだろう。
 それに、本人がものすごい勢いで日本語を覚えつつあるし、クラスメイトたちの慣れもあった。

 人間、必要に迫られると早いもんだなぁ……。
 さすがは適応能力のケモノだ。

「あたしはそんな心配しなくても大丈夫だと思うけどねー。どうしても気になるならマイにでも偵察頼んでみたら?」

「なるほど。そうしよう」

「それよりも!」

 ずいっ、とあー姉ぇが顔を寄せてくる。
 俺は「な、なんだよ」とその勢いに怯んだ。

 今さらだが、ここはあー姉ぇの部屋だ。
 今日は呼び出されてここまで来た。その理由は間違いなく……。

「イロハちゃん収益を全部、使い切っちゃったでしょ? ちょっと”今後”について改めて話しておかなくちゃ、と思って」

「うっ、やっぱその話だよねー」

「そんなに怖がらなくて大丈夫。お説教はもう済んでるから、これ以上怒ったりしないよ。きちんと確認しなかったあたしも悪いし」

 それならまぁ、大丈夫か。
 と俺は姿勢を戻した。

「で、貯金が必要って言ってたけど具体的になんのため?」

「それはね……3Dモデルだよ!」

「えっ!? も、もう!?」

 俺はまだVTuberデビューしてから2ヶ月しか経っていない。
 いくらなんでも早すぎるのではないか、と困惑する。

「甘い! 甘すぎるよイロハちゃん! 3Dモデルの有無で、できることの幅がまるっきり変わってくるんだよ!?」

「まぁ、たしかに」

「それに3Dモデルは制作に費用もかかれば、時間もかかる! 修正や、全身トラッキングの設定を考えると余裕はまったくないんだよ! 今からお金を貯めはじめなきゃ全然間に合わないっ!」

「えーっと、間に合わないってなにに? たしかにあったら便利だろうけど、今のところ使う予定はないし、そこまで急がなくても」

「使う予定は……ある! あたしが3Dコラボをしたいから!」

「お前が理由かい!?」

「早く3Dを用意してくれないと、あたしがガマンできなくなっちゃうでしょ~!」

「あ~、はいはい」

 俺は抱き着いてくるあー姉ぇを引きはがす。
 ってこいつ離れねぇっ!? 力、強っ!? いや俺が弱いんだ。学校でも体育だけは評価めちゃくちゃ低いもんなぁ……。

「けれどマジメな話、視聴者を飽きさせないためにも、定期的に視覚的な新しさは必要だよ」

「なるほど」

「収益化記念ほど大きな……はっきり言っちゃうと”稼げる”イベントもしばらくない。このままダラダラとお金を貯めてても、3Dお披露目まで期間が開きすぎちゃう。だから路線変更!」

 あー姉ぇはイタズラでも思いついたような表情で笑った。
 自分の顔が引きつるのがわかった。あー姉ぇがこういう表情をするときはロクな目にあったためしがない。

「イロハちゃん、来月の収益が入ったら……新衣装を作ろう!」

「えーっと、新衣装ってどんなのがいいんだろ?」

「イロハちゃんはどんな幼女が好き?」

「幼女限定!? わたしはむしろ、長身でモデル体型のお姉さんが――」

「ダメです」

「ですよねー」

 それからふたりでいくらかアイデアを出しあった。
 加えて、お仕事を依頼するやりかたも学ぶことになった。

 最初の2Dモデルはあー姉ぇが依頼から納品受け取りから支払いまですべてやってくれた。
 しかし「いい機会だし、今回は自分でやってみよっか」とのこと。

 立ち会ってはくれるらしいので、そこまで心配もいらないだろうが……。
 と、そんなことを考えているとあー姉ぇが「そういえば」と口を開く。

「近々、あちこちの国のVTuberとコラボするんだよね?」

「成り行きといいますか、スパチャのおかげといいますか」

「ちがうちがう、怒ってるんじゃないよ。むしろうれしいの。イロハちゃんがついに自発的に、ほかのVTuberと接しはじめてくれたんだなーって」

「それは、なんというか。ファンとしてだけじゃなく、VTuberとしての活動もちょっと楽しさがわかってきたというか。やることがわかってきたというか。もちろん一線は引くけれどね」

「ふふっ、そっかー。……そっか、そっかぁ~!」

 ニマァ~、と笑みを浮かべてこちらを見てくる。
 俺は「うっとうしい」とあー姉ぇの顔を押しのけた。

 立ち上がり、逃げるかのようにドアノブに手をかける。

「ふふっ、どこ行くの?」

「マイにさっきのお願いしてくる!」

 後ろ手に勢いよく扉を閉めた。
 あーくそっ、顔が熱い。

   *  *  *

「――って感じに、今後のスケジュールはなってまーす」

>>すごいよなこの国際感
>>ここまで多国籍にコラボしてるVTuberはほかにいないよね(米)
>>こんなやつがゴロゴロいてたまるかwww

 俺は配信で今後の予定を公開していた。
 宣伝が半分。俺自身も配信の頻度が多くなって漏れがないか心配になったので、視聴者にダブルチェックしてもらおうというのが半分。

 そろそろ配信を終えるかなーと思ったとき。
 ふと、1件のスーパーチャットが目に留まった。

>>¥1,680 どうしたらイロハちゃんのように外国語をいくつも覚えられますか? ぼくは外国語がすごく苦手で英語すら覚えられません。学校のテストでもいつも赤点を取ってしまいます。

「英語……英語の覚えかた、かぁ」

>>俺も知りたい
>>外国語ほんと苦手
>>日本は島国だから外国語を覚える能力がそもそも低いんだよ

 俺の場合、チートじみた言語能力の影響で、覚えること自体は一目で済んでしまう。
 そのせいか覚えかたを説明するのは苦手だ。
 言語そのものについてや、その特徴、ほかの言語とのちがいについては話すこともできるのだが。

 しかし、そんな中でも外国語のインプットを繰り返しているうちに、俺自身なにかを掴みかけていた。セオリーとでもいえばいいのだろうか?
 もっとわかりやすく言うなら――。


 ――能力が”成長”している。


 一言語あたりの習得にかかる時間が、あきらかに短くなってきている。
 もちろん習得する言語にもよるが。

 自覚したのはウクライナ語を短期間で覚えたあたりから。
 イギリス英語なんてそれこそあっという間だった。

「わかった。じゃあ、”なぜ日本人は英語を覚えるのが苦手なのか?” わたしなりの解釈でよければ話してみるね。もしかすると”英語の覚えかた”ってのとは話がちょっとズレちゃうかもだけど」

>>よっ、待ってました!
>>ええんやで
>>イロハちゃんのそういう話が聞きたくて配信見てるまである

「え~っと、では……こほん。お耳を拝借」

 俺は緊張とともにゆっくりと口を開いた。

「なぜ日本人は英語を覚えるのが苦手なのか? 理由はいろいろ考えられると思う」

 俺は頭の中で考えをまとめつつ言葉を紡ぐ。
 あくまで持論なので正確性は保証できないが……。

「一番はやっぱり”必要性”だと思う。さっきコメントでもあったけれど、日本で生活しているかぎり、日本語以外が必要な場面ってほとんどないから。使わないなら覚える必要もない。けど、じつはこれって日本にかぎった話じゃないんだよね」

>>そうなんか?
>>けど外国人はみんな第二言語持ってるイメージある
>>みんな英語使えるくない?

「たしかに英語をネイティブと同じくらい話せる国も多いね。けど、逆に英語圏はどうだと思う? たとえばアメリカだと、むしろ日本よりも第二言語の習得に対してネガティブだったりする。理由はさっきと同じ――必要がないから」

 俺は「もちろんそれがすべてではないだろうけど」とつけ足しておく。
 アメリカ人には「英語こそが世界共通語だ」と考える人も多い。そして実際あながち間違っていないと思う。

「逆に、必要性にかられて英語を学んでいる国も存在する。たとえばこれはインドで実際にあった話なんだけれど……」

 インドはとても巨大な国だ。
 人口は14億人と中国に匹敵するほど。
 地球上に人口の重心を取ればインドの北部になるほど。

「インドはその人口に見合って言語数もめちゃくちゃ多い。じつに200以上とも言われてる。同じインド人同士でも、言葉が通じないのはよくある話」

 だから学校で教育を行おうとしたとき、困ったことになった。
 そもそも言葉が通じないのだ。
 これでは教育以前のお話。

「言語を勉強するのではなく、まずは勉強するために言語が必要になった」

 服を買い行くための服がない、みたいな。
 まるでジョークみたいなことだが、そんな問題が実際に起こったのだ。
 インドで実際にあった話。
 ――言語を勉強するための言語が必要になった。

 まさしく、これが必要性だ。
 しかしこれだけではまだ”英語”である理由がない。

「じゃあなぜ英語が選ばれたのかというと、インドの言語で教科書を作ろうと思ったときに問題が起こったからだって。それは……」

 コメント欄を確認する。いろいろと予想が書き込まれている。
 正解は――。

「”語彙数が足りなかった”から。”語彙がちがいすぎた”といってもいい。国際標準に沿って教科書を作ろうとしたんだけど、対応する単語がなさすぎてまともに翻訳することができなかった」

 たとえば英語にあってインドの言語にない単語があまりにも多い。
 不可能ってわけじゃないが、ひとつの単語を表すのにあまりにも冗長な表現になってしまう。

 だれだって「りんご」を毎回、「丸くて木に生って、皮が赤くて、中身が白くて、真ん中に黒い種があって、甘酸っぱい食べもの」などと説明するのはイヤだろう。
 もちろん今のは大げさにいえばの話だが。

「そんなわけで、教科書はそのまま英語のものを使うことにして、逆に、まずは英語そのものを学ぶことになった。そうして英語はインドの準公用語になっていった」

 もちろん全員が全員、英語の教科書で学んでいるわけでもない。
 上記がとくに顕著なのは非ヒンディー語圏や都市部の話で、ヒンディー語圏はそのまま勉強している。

 そういう部族的な意味でも英語はじつに中立だ。
 今となっては英語が第一言語になっているインド人も少なくない。

「それに対して日本の場合なんだけど、はっきり言ってあまりにも日本語が――”優秀すぎた”」

 おそらくは、すべての自然言語の中でも一番すぐれている。
 もちろん”あらゆる面において”という意味ではないが……。

「こと翻訳においては、日本語より優秀な言語はないと思う。まぁその分、習得難易度がバカ高くなっちゃってるんだけどね」

>>草
>>日本人だけど日本語わけわかんねぇw
>>ひらがな、カタカナ、漢字と種類多すぎなんだよなぁ

「日本語は表現の幅がめっっっちゃくちゃ広いんだよね。ほぼすべての言語の、ほぼすべての言葉は日本語でも表現可能、っていわれるくらい。実際、世界でもっとも翻訳本の数が多いのも日本語なんだよ」

 外国語から日本語への翻訳本がもっとも種類が多い。
 このあたりは識字率や文化や人口も関わってくるが、それを差っ引いてもやはり日本語は異常だ。

「その一番の要因はやっぱり、さっきコメントでもあったけど、3種類の文字を併用していることだと思う。それも表音文字と表意文字を。だから新しい単語を生み出すのもすっごく得意」

 文字と発音がイコールであるひらがなやカタカナ。
 文字そのものが意味を持つ漢字。
 それらを併用しているからこそ、受け入れが広い。新たな単語も柔軟に日本語に組み込めてしまう。

「そんなわけで、英語をそのまま使う必要もなかった。……で、ここまでが前フリ」

>>え!?
>>まだ本題じゃなかったの!?
>>思いっきりマジメに聞いちゃってたわwww

「元々は、なぜ日本人は英語を……というか外国語を、かな? 覚えるのが苦手なのか、って話だったでしょ。で……あ、ちょっと待って。お水飲む」

>>ズッコケたわw
>>このタイミングでwww
>>ごくごく……

 俺は「ぷはっ」と息を吐いた。
 水分補給は大事。古事記にもそう書いてある。

「ごめんごめん、お待たせ。では、改めて。まず大前提としてわたしは、日本人は言語能力がむしろ高い人種だと思ってる」

>>そうなの?
>>日本語とかいう超高難易度言語使えてる時点で
>>漢字すごく難しい(米)

「そう! 日本語の習得は難しいの! けど全部が全部難しいわけじゃない。難しいのはあくまで”書き文字”にかぎった話。むしろ会話については、習得が簡単な部類に入る」

>>マジ?
>>それは意外やわ
>>俺の英語圏の友だちも日本語話せるけど書けないって言ってたわ

「たとえば英語の場合、発音とアルファベットを覚えれば終わり。けど日本語の場合、発音とひらがなカタカナを覚えても終わりじゃない。漢字を学ぶ必要があるから」

 いってしまえば漢字というのはプラスアルファなのだ。
 他国の言語習得に比べて、追加でひとつ書き文字を覚えているにも等しい。

「母国語を学習する時点ですでに、外国語をひとつライティングできるようになるのと同じくらいの労力が追加でかかってる。つまり英語が覚えられないのは――”リソースの振り分け”が原因だとわたしは思う」

 学習のリソースにはかぎりがある。
 実際、子どもにバイリンガル教育を施すことで”セミリンガル”になってしまう場合がある。
 両方の言語とも一人前に話せない、というパターンだ。

「日本人は書き文字の能力は十分ある、というかそっちに割り振りすぎた結果が今なんだと思う。みんなも英語、リスニングよりライティングのほうができる、って人多いんじゃないかな?」

>>言われてみれば
>>ライティングはまだマシやわ
>>けどそれは学習順序の問題じゃない?

「たしかに。海外だと話すことからはじめて書くことへ移行する。赤ちゃんだってそう。けれど日本でも同じようにしたからといって、同じように話せるようになるかは正直、怪しいと思う」

 大人になってから外国語を学ぶのなら、その理屈も通る。
 しかし子どもにそれをやらせようとした場合……。

「さっきも言ったとおり、日本人はライティングのほうが能力高いから。かかるリソースを抑えるためにも、まずはハードルの低いほうから学ばせようって考えなんだと思う」

 ただし、元から優秀な子どもは例外だ。
 さっきのはあくまで日本の”落ちこぼれを出さない”という教育においての話。
 リソースが足りなくなって落ちこぼれとなる子を減らすための措置だから。

「とまぁ、いろいろ語ったけど……まとめると。日本においては、日本語が母国語で、漢字が第一外国語、そして英語は第二外国語にも近しい。そう考えると英語を覚えるのが難しいの、納得しやすくない?」

 ここまでが俺の意見。
 コメント欄ではさまざまな意見が飛び交っていた。納得、肯定、反論、指摘などなど。
 俺はしばらく眺めたあと、一番大切なことを告げる。

「ただし今のは”学校英語”の話。正直、点数を取るには勉強しかないと思う。けれどもし、英語を話せるようになりたいのなら――まずは恐れず飛び込んでみるべきだね」

 俺は前世での最期を思い出していた。
 自分がアメリカへ渡ったときのことを。

「あとは好奇心」

 あのときVTuberの国際イベントのため海を渡らなければ、今の俺はなかった。
 俺がこうして話せるようになったのは、今思えばあれがきっかけだった。

「だからみんなも、推しがいるならぜひ外国語を覚えよう! あるいは外国語を覚えて、さらなる推しを発掘しよう! 絶対に必要になるときが来るから!」

>>草
>>結局そこかいwww
>>いつものイロハちゃんで安心した

 まぁ、俺は外国語がわかんなかったせいで、わけもわからず死んでるからな!
 これほど実感の伴った言葉もないだろう。

 必要性、リソース、失敗を恐れないこと、好奇心。
 大事なのはなにか? コメント欄での議論は長く、白熱し続けた――。

   *  *  *

 その翌日。
 俺は学校に着くなり「イロハちゃん!」とマイに声をかけられた。

「ん、どうしたの……ごほっごほっ。あ゛~、昨日の配信はちょっとしゃべりすぎちゃってさぁ~、もうのどがガラガラで~」

「それどころじゃないよ!」

「あ。そういえばあの転校生、やっぱりわたしの正体知って――」

「ああああの子、ヤバいよぉ~~~~!?」

「え」

 思わず固まった。
 マイが脂汗なんてものを浮かべているところを、俺ははじめて見た――。