小学6年生の教室。
うーむ、まいった。と俺は嘆息した。
「イロハちゃんすごぉ~い! また満点だぁ~!」
「あー、うん。まぁ」
返却されたテストを覗き込んで、マイが賞賛の声をあげた。
それにつられて周囲の生徒の視線がこちらに集まる。
「最近どうしたのかなイロハちゃん」
「あいつってそんなに勉強できたっけ?」
「キャラ変わったよな」
ひそひそとウワサされている。
俺はバツの悪さを誤魔化すように髪先を指で弄んだ。
この長い髪のように、今でこそ俺は女子小学生になっているが、中身はオッサンだ。
子ども相手に無双するのはズルしているようで気が引ける。
『あ~、ガキを一方的にボコボコにするの気持ちいい~!』
くらいに思えたら楽なんだろうけど。
あいにく俺には、あー姉ぇのように図太い神経は備わっていない。
「イロハちゃんはやっぱり中学受験するつもりなの?」
「そうそれ! 問題はそれなんだよ!」
「えっ、う、うん」
唐突な勢いにマイが一歩引く。
大きなため息を吐いて、俺は机に突っ伏した。
最近、親からの圧がすごいのだ。
ことあるごとに……。
『自分の力を試してみない?』
『この学校は授業でこんなおもしろいことするんだって!』
『建物もキレイで施設も充実してるわよ!』
などと言われるようになってしまった。
いや、ちゃうねん。べつに俺は頭がいいわけやないねん。
テストの成績がいいのは人生2周目だから。
言語習熟については、俺にもわからないナゾの力が働いているから。
なーんて説明ができるはずもなく……。
俺はいまだ、あいまいに誤魔化すことしかできずにいる。
だから余計にこじれている。
「進学校に行ったら、わたしなんてソッコーで落ちこぼれると思うんだけど」
10で神童、15で才子、20過ぎればただの人。いつまでもアドバンテージがあるわけじゃない。
そしてなにより、というよりこれこそが一番の問題点なのだが。
――勉強に時間を取られると推しを見る時間が減るだろぉがぁあああ!
俺にとって本当に重要なのは、その一点だけだった。
* * *
てなことを、雑談配信で話していると……。
>>中学受験は親のやる気と子どもの根気
>>身バレ大丈夫?
>>どこの学校受けるとかは伏せたほうがいいよ
「心配ありがと。でも、このあいだの学力テストは有名中学から過去問を引っ張ってきただけだし、進学候補はほかの学校だから大丈夫だよ」
>>よかった
>>イロハちゃんまだ小学生とは思えんくらいリテラシーしっかりしてるよな
>>むしろ一般的なライバーが大人とは思えないくらい、リテラシー足りてな……おっと、だれか来たようだ
「実際に受験するのは、家から通える距離で、英語科目のある、なるべく偏差値の高い学校になりそう。……なるべく低いところじゃダメ?」
>>なんのための中学受験だよwww
>>本末転倒で草
>>受験するにせよしないにせよ、勉強はしといたほうがいいぞ
「うぐっ、正論パンチが耳に痛い! でも勉強する時間を増やすと、VTuberの配信や切り抜きを視聴する時間が減るのがなぁ~。ただでさえ配信で時間削られてるのに!」
>>配信が面倒ごと扱いなの草
>>VTuberにあるまじき発言でワロタwww
>>「勉強がイヤ」じゃなくて「勉強で時間が減るのがイヤ」なあたり、相変わらず感性が一般的な小学生からかけ離れてて笑う
「いや実際、推しの配信を見るより重要なことってこの世の中に存在する? あっ、推しのライブを見に行くことか!」
>>草
>>一緒じゃねーか!
>>頭良いクセにVTuber絡むと急にバカになるのなんなんだwww
「そうだなー、効率よく勉強する方法とかあればいいんだけど。オススメの勉強法とかない?」
>>睡眠学習
>>俺はマンガでわかる歴史を読んで社会好きになったなぁ
>>ガチで難関中学狙うなら受験塾行くべき
「受験塾! でもお高いんでしょう?」
>>それがなんと、今なら……高いんです!
>>月謝以外にもテキスト代とか講習代とかかかるからな
>>小6だともろもろ込みで100万くらいか?
「ひぇっ!? そんなの絶対ムリだって!?」
>>VTuberの収益でなんとかなるやろ
>>この間、収益化が通ったのはこの伏線だった?
>>¥5000 塾代
「塾代ありがとうございますー。いやそれが、じつは……みんなのおかげで収益化はできたんだけど、収入になるのはまだまだ先なんだよねー。実際に懐に入るのは2ヶ月くらい先らしい」
>>へぇ~
>>知らんかった
>>そうなるとチョイ厳しいな
>>とりあえず教材だけ買って自習とか?
>>まずは夏期講習だけ参加してみるのもアリ
>>受験塾に案件もらってタダで教えてもらおう
「えぇ~~。案件なんてもらったら、勉強しないといけなくなるじゃん~」
>>???
>>??????
>>言ってることムチャクチャで草
>>勉強したいのかしたくないのかどっちなんだよwww
>>とりあえず図書館で教材借りてみたら?
>>母国語(宇宙語)出てるぞ
「日本語だが!? あー、でもそうだね。それが現実的かも。とりあえず学校とか街の図書館行って、問題集借りてこよっかなー。まだ受験するかも決まってないのに買うのはアレだし」
>>親なら教材代くらいいくらでも出してくれそうやけど
>>教材もタダやないんやで
>>金銭感覚が小学生じゃなく自立した社会人なんだよなぁ
* * *
翌日の放課後、俺は足を階下ではなく階上へと向けていた。
今日は集団下校もないため、授業さえ終わればあとは自由時間だ。
「イロハちゃん下駄箱はそっちじゃないよぉ~?」
「わかっとるわ!? ちょっと図書室に寄っていこうと思って」
「……? 図書室に下駄箱はないよぉ~?」
「知っとるわぁあああ!」
「ご、ごめんねぇ~。イロハちゃんのことだからてっきりぃ~」
「え、ちょっと待って? わたしってマイからどういう風に見られてるの? そこまで常識ないかな!?」
「うん」
「お前、覚えてろよ」
絶対に配信でネタにしてやる、と思いながら階段を上がって図書室へ。
ちなみにマイは置いてきた。「置いてかないでぇ~」と言っていたが当然の扱いだ。
「失礼しまーす」
ガラガラと扉を開けて室内へ。
むわっと古い本特有の匂いが充満していた。
学校の図書室。
俺はこの場所に、二重の意味でノスタルジーを感じていた。
古い本が並んでいるから、というのがひとつ。
図書室を利用するのが久々だから、というのがもうひとつ。
正確にはこういう部屋も図書館と呼ぶらしいが、つい図書室と呼んでしまう。
まぁ、伝わるならそれでいいと思う。
言葉は正しいかより伝わるかが大切だ。
もちろん、大抵の場合においては正しいことと伝わりやすいことはイコールだが。
「え~っと、どこのコーナーにあるんだ」
図書室は意外なほど充実しており、そして本格的だった。
絵本にマンガ、小説に図鑑……みたいに分かれているのを想像していたら、ちがった。
大雑把にはそのとおりなのだが、もっときちんとジャンルで分けられていた。
「ここは『自然科学』で? あっちは『文芸』?」
俺が子どものときの図書室ってこんなにしっかりしてたっけ?
それとも当時はそれがわからなかっただけか。
自分がどれだけ恵まれていたかなんて、大人にならなきゃわかんないもんだ。
しかし、案内を頼りにあちこち見て回るが見つからない。
それっぽいのはあるのだが、どれも求めているものとは微妙にズレている。
あくまで”読みもの”といった印象の本ばかり。
「もっと問題集っぽいやつがいいんだけど。……すいませーん。こういう本を探してるんですけどー」
貸出窓口で、図書委員だろう生徒に尋ねてみる。
しかし……。
「見たことあるー?」
「わかんなーい。ないかもー」
「先生に聞いてみるー?」
どうにもイヤな予感。
最終的にやってきた図書室の先生に言われてしまう。
「ごめんなさいねぇ。そういうのは置いてないの。問題集はあくまで個人で買って使うものだから」
あちゃー、これは想定してなかった。
たしかに考えてみればそうか。
もし、問題集なんて貸し出ししたらあっという間に書き込みだらけになるだろう。
それに問題を解ききるには、貸出期間が短すぎる。
だれか、ひとりくらい気づいて指摘してくれるリスナーはいなかったものか。
まぁ、これに関しては確認しなかった俺のミスだが。
わざわざ図書室まで来てなにもせずに帰るのもなー、と思い本棚を見て回る。
なにかテキトーに1冊くらい借りていくか。
「おっ?」
と、言語のコーナーにハングルの教本を見つける。
俺はなにげなくそれを手に取った。
まぁ、このあいだの配信のときに読めなかったんだ。
今見たからといって読めるわけでもない。
その、はずだ。
一瞬、恐怖が脳裏をよぎった。俺は恐る恐るとページをめくり――。
「……ほっ」
いつの間にかハングルが読めるようになっている、なんてことはなかった。
そりゃそーか。だって、そんなことはありえないし。
だから、なにかを狙ってそうしたわけではなかった。
気も抜けて、ただの手慰みとしてパラパラと教本のページをめくっていただけ。
「え?」
その手が、とあるページで止まっていた。
そこにはハングルにおける、いわゆる”五十音表”が載っていた。
「うおぉおおおっ!?」
急速に視界が開けていく。
思わず声が漏れた。自分の意思とは無関係に、脳が急速回転しはじめる。
「読め、る」
教本のページを次々とめくっていく。
さっきまでは意味の分からない文字列としか映っていなかったそれら。
しかし今は、はっきりと文章として認識できていた。
「……そういうこと、か」
あきらかにチートじみた言語能力の影響だ。
と同時に、俺はこの能力についていくつかの見当がついた。
これまでの経験から、能力発動の条件はおそらくは3つ。
1.大量のインプット。
2.言語ルールの把握。
3.実体験。
正確にはインプットとルールは必要条件で、実体験は能力発動のトリガーなんだと思う。
そんな条件でもないと、理解できるようになったタイミングが都合良すぎるし。
それにルールについては膨大なインプットがあればねじ伏せられるようだ。
逆にルールがわかっていればインプットは少なくて済む。
ある種のトレードオフ関係にある。
って、話がややこしくなってきたな。
たとえば韓国語を例に挙げよう。
俺は前世において母親の影響で韓流ドラマを聞き流すなどしていた。
それによりすでに十分なインプットは集まっていた。
しかし字幕再生で表示されるのはもちろん、日本語だ。
そのためハングルのインプットだけは足りていなかった。
ただしハングルは表音文字だ。
わかりやすくいえば発音と文字が1対1で対応している。
関係性としては日本語の発音とひらがなに近しい。
漢字のように文字そのものが意味を持っていたり、単語ごとに発音がガラリと変わったりはしない。
日本とは子音と母音の定義が異なるものの……。
逆にいえばそのちがい(ルール)さえ理解すれば、話せる人間にとって書くことは容易だ。
俺は直接的に韓国語を勉強をしたことがないから、そのルールを知らなかった。
だから、韓国語は話せたのにハングルは読めないなんて状態になったのだ。
「とはいえ、これ絶対に普通じゃねぇ!?」
本によると、ハングルは文字そのものも子音と母音の組み合わせでできているそうだ。
それゆえ半日もあれば暗記できるくらいわかりやすいのだと。
俺の場合は一瞬だった。
いや、それもおかしいのだが……一瞬でわかるはずのことが、この五十音表を見るまでさっぱりだった。
いろんな意味でこのチートじみた言語能力にアンバランスさを感じる。
とまぁ、いろいろ語ったが正直そんなことはどうでもいい!
本当に大事なのは――。
「えーっと、これか」
韓国語の単語帳を探してきて開く。
日本語部分を隠して見てみる。
やはり知らない単語は読めない。
しかし手をどかして日本語訳を一度でも見たら、もう忘れない。
パラパラと単語帳をめくるだけですさまじい速度で脳内にデータが蓄積されていく。
「すごい! すごいぞ! これってつまり、韓国勢VTuberの配信内容を余すことなく理解できるようになれる、ってことじゃあないか!」
一度死んでから、自分におかしな能力が備わっているのは気づいていた。
けれど、まさかこんなにも便利な能力だなんて!
「いや、待てよ?」
近くにあったフランス語の単語帳を手に取ってみる。
パラパラとページをめくる。
「おおぉおおおおおおお! すごい! これでフランス勢の配信も……ばたんきゅう」
俺はぶっ倒れた。
キャァアアア! と貸出窓口のほうから悲鳴が上がった。
ぐわんぐわんと視界が回っていた。
頭がまるでオーバーヒートでも起こしたみたいにひどい熱を持っていた。
いやー、大変な目にあった。
学校の図書室で倒れたあと、保健室の先生が駆けつけてくれたらしい。
その後は救急車で病院に搬送されたようだ。
親もすっ飛んできて、配信も急遽おやすみにして……。
「いやもうめっちゃびっくりしたよねー」
翌日、俺はフェイクを入れつつ自分の身に起きたことを話していた。
倒れて病院に運ばれるなんて、前世でもなかった経験だ。
>>そんなことになってたの!?
>>めっちゃ心配した
>>なんで平然と次の日に配信してんだwww
「体調はもう大丈夫。目を覚ましたあとも、ちょこっと点滴打ってもらったらすぐ帰ってきたし」
>>もっとちゃんと休んだほうがよいのでは?
>>それ数日は安静にって言われなかった?
>>結局、原因なんやったん?
「お医者さんが言うには過労? らしい」
>>小学生で過労ってヤバくないか?
>>もしかして配信のせい?
>>勉強がんばりすぎたとか?
「それがよくわかんないんだよねー」
と言いつつ、原因はチートじみた言語能力の乱用以外には考えられなかった。
短時間であれだけのことを覚えるなんて、脳みそを酷使していたと言われても仕方ない。
よし。これからは毎日コツコツと覚えていくことにしよう。
途中まではとくに問題もなかったわけだし。
ふふふ……!
そして、ゆくゆくは全世界のVTuberの配信を見れるようになるのだ!
それに、考えてみればこの能力はそう怖いものでもない。
超高精度・超高速処理・超高解析能力の翻訳機を持っているようなものだ。
ちょっと廃熱に問題があるだけで。
>>原因わからないのに過労って怖くね?
>>一度、精密検査受けたほうがいいんじゃ
>>心配だなぁ……
「大丈夫だって。VTuberの配信は万病に効くんだよ! 毎日見てるわたしが健康体でないはずがないでしょ?」
>>草
>>通常運転だなwww
>>ゴリゴリの精神論で笑う
「最近は英語や韓国語がわかるようになったからねー。もー幸せすぎてヤバい。アーカイブも追わないとだし、見るものが多くて困っちゃう。毎日12時間以上見てるけど、まだ時間足りないや」
>>過労の原因それじゃねーか!?
>>学校と配信入れると、ほとんど寝てない計算にならない?
>>逆になんで今まで倒れてなかったんだよ!
「ははは、なに言ってんの。1時間のVTuber視聴は、3時間の睡眠にも等しいって厚生労働省が発表してたよ? すなわち、わたしは毎日36時間休んでるといっても過言ではない!」
>>過言だよ!!!!
>>厚生労働省を巻き込もうとすなwww
>>だれかこいつを止めろ!
そのとき部屋にノック音が響いた。
ただの雑談配信だったのでヘッドホンも付けておらず、すぐに気づく。
「え、なにお母さん。今、配信中なんだけど……みんな、ちょっと待ってて」
>>おk
>>イロハハきちゃ
>>いつも娘さんにお世話になってます
部屋の扉を開けて対応する。
配信中にやってくるなんて、よほどの急用なのだろうか?
「どうしたの?」
「これからMyTube見るのは1日1時間までよ」
「え……な、ななななんでぇえええ!?」
「なんでもクソもないでしょ! あんた、倒れてどれほどみんなに心配かけたと思ってんの! 心当たりなんてないって言っておきながら、そんなことしてたなんて!」
「えぇえええ!? ちがうんだって。アレはちょっと事情があって。配信を見るのはむしろ癒しっていうか」
「お母さん、言ったからね!」
「待っ――」
扉がバタン! と閉められ、母親が去っていく。
バカな。なんでこんなことに……。
そうか、子どもの身って便利なだけじゃないんだな。
自立した大人にはある自由を、子どもは制限されることがあるのだ。
忘れていた。
大人の責任と自由は比例するのだ。
「最悪だぁ~」
俺はPCの前に戻ってきて、呟いた。
コメント欄の流れが加速していた。
>>草
>>これは自業自得
>>イロハハ、グッジョブ
「え、みんな聞こえてたの!? うわっ、ミュートし忘れてる! まぁ、そんなことどうでもいいや。ほんとサイアク。1日に1時間しかMyTube見れないとか。まだ見てないアーカイブがたくさんあるのにぃ~!」
母親の言うことなんてムシすればいいだけに思えるが、俺には強硬に反発できない事情があった。
使っているMyTubeのアカウントが母親管理なのだ。
もし怒らせて、アカウントを削除されるようなことになれば……。
仕方ない、と俺は嘆息した。
「今日からはMyTube以外での配信アーカイブを消化することにしよう!」
>>なんにもわかってねーぞコイツ!?
>>そうじゃねーよ!?
>>また怒られるなこれはwww
今度はノックなしに扉が全開にされた。
ガチで怒られた。
俺の精神年齢はおっさんだ。
そして、おっさんにもなってガチで説教されると、すさまじい精神的ダメージを負うことを俺は学んだ。
「ひっぐ、ぐずっ……ごめんなしゃあああい!」
しかし、ここは俺にとっても譲れない部分。
粘り強く交渉し、最終的には平日2時間、休日5時間という落としどころになった。
なお、中学受験を前向きに検討することが交換条件。
過労が心配だから勉強をやめさせる――という選択になったりしない? なりませんかそうですか。
「うぅっ、うぅぅっ……たった2時間だなんて、酷すぎるよぉ~。あんまりだよぉ~」
>>十分だろ!
>>むしろまだ多すぎるわ!!!!
>>母親を言いくるめようとしてさらに説教されてたの草
不幸中の幸いはもうすぐ夏休みなこと。
そうなれば一応、毎日5時間はVTuberを見れる。それでも少なすぎるが。
ちなみに、ガチ説教はそのまま配信に垂れ流されていた。
当然のように、小学生女子のマジ泣きは切り抜かれた。
夏休みを目前に控えたとある日。
今日も図書室へ行って外国語の本を借りて帰ろう、なんてことを思いながら立ちあがったときのこと。
俺は担任教師に呼び止められた。
「すこしお話しましょうか」
「えっ」
「ついてきてください」
なになに、恐い!? 呼び出し? ウソ、俺なにか悪いことしたか!?
俺は戦々恐々としながら担任教師のあとをついていく。
やばい、心当たりが多すぎる!
連れていかれた先には『応接室』と書かれた室名札。
そこは生徒から『生徒指導室』と揶揄されている部屋だった。
ガラリと扉を開けると、室内にはテーブルを挟んで、向き合うようにソファが配置されている。
俺は先生の対面に座らされた。
「えっと、あのぉ?」
呼び出された原因はどれですか?
と質問を投げようとしたとき、ガチャリと扉が開いて新たにひとりが入室してくる。
「え、お母さん!?」
やってきたのは母親だった。
親まで呼び出し!? いったいどれほどのことを俺はやらかしたんだ!?
「お待たせしました、先生」
「よく来てくださいました、お母さま」
俺の判断は早かった。
「あ、用事思い出したから先に帰るね!」
「おい逃げるな」
「ぐえっ」
首根っこを捕まえられた。目にも止まらぬ早業。
母親からは逃げられない!
「すいません、ウチのバカ娘が」
「いえいえ、大丈夫ですよ」
「えーっと、お母さん今日お仕事は?」
「だれかさんのために休んできたのよ」
そこまで!?
もうダメだぁ~。いったい俺はどれほど怒られてしまうのだろう。
俺は諦め、母親のとなりに座った。
そしてはじまった話は……。
「最近のイロハさんのテストの点数には目を見張るものがあります」
「ありがとうございます」
ん!? 予想外にポジティブな話の切り出し。
もしかしてこれはいけるか? 説教ではなく褒められるために呼び出された可能性がワンチャン……。
「しかし生活態度は、はっきり言って最悪です」
やっぱりダメだったー!?
そうか、呼び出しの原因はそれかー。正直、ものすごく心当たりがある。
「授業中に関係のない本を読んでいたり」
「うぐっ!?」
「休み時間に校内では使用禁止のスマートフォンで動画を見ていたり」
「うぐぐぅっ!?」
「おたくのお子さまは、率直に申し上げて――」
あぁ、終わった。
間違いなくVTuberの視聴時間がさらに削られる。
こないだの今日だもんなぁ。
許されるわけが……。
「率直に申し上げて――天才かもしれません!!!!」
「はいぃいいい!?」
「おそらくイロハさんは、非常に高い知力を有していると思われます!」
なーにを言っとるんだこのおばはんは!?
さっきの話と繋がっとらんやんけ!?
俺の脳内はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
母親は先生の言葉を聞いて深くうなずき……。
「そうですよね! じつは母親から見ても、そうではないかと感じていたんです!」
「なんでぇえええ!?」
どうしてそこで意気投合する!?
まったく話についていけない!
「どうやらイロハさんにとって通常の授業は簡単すぎるようです。もしかして塾に通われていて、すでにそちらで学んでいるとか?」
「いえ、塾へは通わせていません」
「そうですよね。以前の面談でそうおっしゃられていましたものね」
先生がペラペラとバインダーをめくっていた。
おそらくは俺の成績なんかがそこには記載されているのだろう。
「イロハさんは授業中、関係のない本を……外国語の教材を読んで自習されています。もちろんその時間の授業内容は理解して、テストで満点を取った上で」
「えっ。そうだったんですか?」
母親がちらりとこちらを見る。
俺はブンブン首を振った。ちがうんだ! いや、ちがくないけど!
たしかに俺は図書室で借りた外国語の教材を読んでいた。
しかしそれは、一度にインプットしすぎると脳がオーバーヒートするから、授業中やヒマな時間にちまちまと読み進めるのが都合よかっただけ。
「それに休み時間にも、スマートフォンで外国語のリスニングをされていたとか」
先生は「ほかの生徒が教えてくれました」と告げ口をバラした。
いやいやいや、その告げ口間違ってますけど!?
そんなことはしていない。
いったい、だれだこんな大ホラを――。
「……あっ」
と、そこで思い出した。
そういえば一度、休み時間に海外勢VTuberの配信を見ようとしたとき、イヤホンが繋がっておらずスピーカーから大音量で垂れ流してしまったことが。
「あれか~」
「もしかするとイロハさんは、ギフテッドと呼ばれる存在かもしれません。お母さま、イロハさんを中学受験させてみませんか!?」
「うえぇえええ!?」
「このままイロハさんの才能を埋もれさせるのはもったいないです! 公立中学に進むのも良いですが、できればもっとレベルの高い授業を受けさせてあげるべきです! 力試しだけでもしてみませんか!?」
まさか、学校にまで伏兵がいたなんて!
この流れはマズい。俺は慌てて口を挟んだ。
「わ、わたしにはムリだと思うなー! 中学受験なんて!」
「そうよね、一番大切なのはイロハさん自身の意思だものね。いきなりはハードルが高いなら、まずは夏期講習に参加するのはどうかしら?」
先生はバインダーからパンフレットを取り出してズラリと並べた。
母親がこっちを見てニヤァと笑った。
「それは名案ですね! ねっ、イロハもそれならいいでしょう?」
「え、普通にイヤ痛だだだだだだ!?」
先生からは見えない場所をこっそりとつねられる。
暴力反対! と叫ぶ前に耳元で囁かれる。
「ヤ・ク・ソ・ク」
うわぁあああ!? そうだった!
中学受験を前向きに検討する、という契約で動画を見てもいい時間を伸ばしてもらったんだった。
いや、待て。
だからといって夏期講習に参加する約束をしたわけでは――。
「あんた休み時間にVTuber見てたでしょ」
ぶわっと汗が噴き出した。
バレテーラ。
「オカシイナー。お母さん、あんたが家できっかり2時間、毎日VTuberを見てるのを確認してるんだけど。学校でVTuber見てた時間はいったいどこの計算に入ってるのかしらー?」
「ワーイ。イロハ、夏期講習ダーイスキ」
「あらそう! イロハさんが前向きになってくれてうれしいわ! では、どこの夏期講習に行くかですが――」
先生がパンフレットを並べて、その値段や授業内容のちがいを説明してくれる。
あー、結構ピンキリだな。
「お母さん、ここにしよう」
「あんた今、値段だけ見て選んだでしょ。1番安いところ」
「い、いやー。けど結構お金かかるし」
「あんたはそんなこと気にしなくてもいいのよ」
「イロハさん、どうしても気になるなら塾によっては特待生制度があるわ。夏期講習で高い成績を残して一番になれば、お母さんを楽させてあげられるわよ。大丈夫、きっとあなたならできるわ!」
いや、ちっがぁーう!?
さっきのはあくまで建前だ。値段の安い講習のほうが、時間も短くて楽そうだったからだよ!?
「塾なのに特待生制度があるんですか?」
「えぇ、お母さま。それなりに大きな塾に限られてしまいますし、もっと早い時期から勉強をはじめている子ばかりなので、実際には厳しいかもしれませんが――」
結局、とんとん拍子に話が進んでいった。
最終的にかなり大手の、受験塾の夏期講習を受けるハメになってしまった。
「大丈夫ですよイロハさん。実際に中学受験するかどうかを決めるのは、夏期講習を受けてからでも遅くありませんからね」
うげぇっ!?
なんでこんなことにぃ~!?
無事に終業式も終わって、俺は帰宅していた。
次に登校するのは1ヶ月後。
成績表は自分でいうのもなんだがかなり良かった。
これで心置きなく……。
「夏休みだわーい!」
>>夏休み……?
>>それは何語ですか?
>>世の中にはそんなものが存在したのか
「えぇ~、社畜のお兄ちゃんたち夏休みないのぉ~!?」
>>このクソガキ殴りてぇwww
>>社会人にはいろいろあるんやぁあああ!
>>あーあ、チャンネル登録者数減っちゃったねぇ?
「ごめんごめん。マジメな話、身体だけは壊さないよう気をつけてね。わたしは夏休みもお仕事してくれてるみんなを応援してるねっ! ……ふぅ、媚び売りはこのくらいでいいか」
>>おい!w
>>本音漏れてんぞwww
>>相変わらずドライなイロハちゃんすこ
前世においては、俺も社畜寄りの生活を送っていた人間だ。
彼らの気持ちはよくわかる。
社会人は本当に休みが少ないと思う。
俺だってこれほどの長期休暇、何年ぶりかわからない。
「ごめんごめん、ついテンションが上がりすぎちゃった」
>>お詫びに歌枠配信して?
>>お仕事応援ボイス販売して?
>>もっと煽って?
「大人なのに休むこともできないのぉ~? 小学生にだってできることなのにぃ~! うっわぁ、なっさけなぁ~! ざぁ~こ、ざぁ~~こ!」
>>おいバカやめろ!www
>>なんで、よりによってそのコメント拾ったし!?www
>>メスガキムーブたすかる
「まぁ、こんなこと言ってるわたしも、明日から夏期講習なんですけどね……」
>>あっ
>>いきなり冷静になるな!
>>受験生に夏休みはないからなぁ
「まだ受験すると決まったわけじゃないんだけどね。というか、夏休みの宿題に夏期講習に……もしかして学校あったときより忙しいのでは? わたしの救いはMyTube視聴の時間制限が緩和されることだけだよ」
>>気づいてしまったか
>>まぁ勉強はしといて損ないしなぁ
>>そうか夏休みの宿題もあるのか
「そうなんだよねー。夏休みの宿題って、結構めんどうくさいのが多くって。よし、とりあえず今日中に日記だけでも終わらせておくか!」
>>なんで初日で日記終わらせようとしてんだ!?
>>でっちあげる気マンマンで草
>>毎日書かなきゃ日記の意味ねーだろwww
「こんなのは去年の引っ張り出してテキトーに写しとけばいいんだよ。……あっ、良い子のみんなはマネしちゃダメだからねー」
>>おいwww
>>最終日にまとめて書くよりはマシ、なのか?
>>今年は夏期講習行くんだからあきらか矛盾出るくね?
「いい、みんな? 日記は毎日書くんだよ? これは習慣化と継続力と日々の時間の貴さを理解するために非常に大事な宿題だからね。いい大人のみんなも日報はきっちり毎日書くように」
>>手のひらくるくるで草
>>ナルホド、ソウナノカー
>>すまん、俺も人のこと言えんかったわwww
「あと時間がかかりそうなのは、なんだろ? 自由研究とか?」
>>イロハちゃんの自由研究気になる
>>どうせVTuber関連だゾ
>>”アタシも一緒に自由研究する姉ぇっ☆”
>>アネゴ!?
>>アネゴもよう見とる
>>アネゴ好きだぁあああ!
「え、ウソあー姉ぇ!?」
>>これはもしかしてコラボか?
>>この流れどっかで見たことあるぞwww
>>みんなコラボ強要はしたらあかんで
「あー。今、裏でもメッセージ来ました。というわけで自由研究は配信上で行います。それもコラボ企画で。こうなったあー姉ぇは止められないので……」
>>草
>>小学生にして、すでに苦労人の気配が
>>逆に、あー姉ぇはもっと大人になれwww
「詳細はまた企画の細かい部分が決まり次第、トゥイッターと配信上で告知するからお楽しみに~」
>>楽しみに待ってます!
>>あー姉ぇがなにやらかすのか予想つかんwww
>>”楽しみにしてて姉ぇっ☆”
あー姉ぇはそれだけ言い残し、コメント欄から去っていった。
相変わらずフットワークが軽すぎる! そして強引すぎる!
しかし、俺はあー姉ぇのそういった部分に本当に救われていた。
俺はあまり企画を考えるのが得意ではなく、ついつい雑談配信が多くなってしまう。
こういった誘いはきっと、まだ配信者として未熟な俺へのあー姉ぇなりのフォローなのだろう。
フォローだと思いたい。フォローであってくれ! 頼む!
かき回すだけかき回して、大満足して去っていく台風女じゃないよな!?
俺はあー姉ぇを信じていいんだよね!? ね!?
いや、これ以上考えるのはやめとこう。
あ、そういえば。
「もうひとつ面倒な宿題があるんだった。漢字ドリル!」
>>うわっ、懐かしい!
>>漢字の書き取りほんと嫌いだった
>>イロハちゃんは漢字繰り返し書いたりして、平気なん?
「ん? どういう意味?」
>>ギフテッドって反復学習が(比喩ではなく)吐くほど苦手らしいな
>>ストレスで倒れて病院に運ばれることすらあるとか
>>そうなの!?
「そうなの!?」
おっと、俺までコメント欄と同じ反応をしてしまった。
ギフテッドと聞くと”優れている”といったイメージが強いが、そんな負の側面もあるのか。
「わたしは漢字の書き取りがツラかったりはしないかな。前も言ったけど、わたしべつにギフテッドじゃないからね!? それにどうせ配信見ながら手を動かすだけだし」
>>ギフテッドじゃない(ギフテッド)
>>平気なタイプだったか
>>本当に万病に効いてて草
「まぁ、めっっっちゃ嫌いだけどね!? ていうか、アレが好きな子どもなんていないでしょ!」
>>それはそうwww
>>言われてみればそのとおりだったわw
>>あれほんと効率悪いよな
「仕方ない部分もあると思うけどねー」
中学生、高校生ともなれば勉強の仕方もわかってくるだろう。
しかし小学生にはまず”覚えかた”から教える必要がある。
>>けど、こんなに頭良いのに効率悪い勉強させられてるのもったいないな
>>日本型学校教育は「落ちこぼれをなくす」ためのものだからしゃーない
>>どうしてもインクルージョン教育になるよな
>>そのための中学受験よ
「なるほど?」
そう言われると納得しそうになる。
ただし、俺がギフテッドではなく一般人であるという一点を除けば、だ。
結局そこなんだよなー。
俺は俺が天才ではないことを知っている。けれど周囲にそれを説明できないのだ。
* * *
そんなこんなで、翌日。
俺は母親とともに受験塾を訪れていた。
「はぇ~、でっけぇ~」
「いいいいい行くよわ」
「なんでお母さんが緊張してんのさ?」
まぁ、わからんでもないけどな。
受験塾というか、受験ビルとでも呼びたくなるほど巨大な建物。
これがまるごと塾だというのだから驚きだ。
受付に伝えると、空き部屋に案内された。
今日はまだ授業を受けるわけではなくその前段階らしい。
まずは『入塾テスト』だそうだ。
軽い説明のあと、俺ひとりを部屋に残して母親たちは退出した。
俺がテストを受けてる間に、母親は母親でやることがあるとのこと。
塾のシステムや月謝について説明を受けるらしい。
「うわー、やっぱムズいな」
問題を解きながら、呟く。
正直これは自信ないな。過去問を解いたことがある身としてはある程度、覚悟できていたことだが。
いやー、難しい。
どのテストも小学校の授業が完璧なだけじゃ絶対に解けないようになっている。
……さすがに英語だけは余裕だったが。
しばらくして、母親たちが部屋に戻ってくる。
なんでもこの結果で、コースごとにクラス分けがされるそうだ。
俺は説明されるまで知らなかったのだがこの塾には、難関中学ごとに専門のコースがあったり、中学受験に必要な知識全般を身につけるコースがあったり、小学校の授業内容を総復習するコースがあったりするらしい。
で、コースによっては足切りがあったり、人数が多く複数のクラスに分かれているのだと。
「あんたはどこがいい?」
「えー、じゃあ全般コースで?」
難関中学を狙う気はないし、総復習は……すでに学校でやってるしな!
小学生2周目である俺にとっては、普段の授業が復習みたいなものだ。
だから消去法だった。
* * *
翌日、塾から電話がかかってきた。
クラス分けの結果通知のようだ。
母親はまだ仕事で帰宅しておらず、俺がその電話を受けた。
自分の才能は知っている。それに手ごたえを感じていなかった。
だから、きっとクラス分けは最下位とか……。
『イロハさん――あなたなら特待生になれます!』
「はいぃいいいいいい!?」
「塾から電話来てたの? 先生はなんて言ってた?」
「あぁ、全般コースの真ん中のクラスだったよ」
帰宅した母親にそう告げる。
それを聞いた母親はキョトンとしていた。
もしかするといきなり最上位クラス、なんてのを想像していたのかもしれない。
はははー、そんなわけないじゃないかー。
「そう。でも気を落とす必要はないからねっ! 最初はそんなものよ。気にしなくてもあんたならきっとすぐ、もっと上のクラスにいけるわよ」
「ありがとー」
と話を合わせておく。
まぁ、まったく気にしてないどころか興味もないけどね!
それに……。
俺の脳裏には、さきほどの電話でのやり取りが呼び起こされていた。
* * *
『あなたなら特待生になれます!』
「はいぃいいいいいい!?」
いやいやいや、そんなバカな! なにか裏があるに決まってる!
だって全然、出来よくなかったぞ!?
可能性があるとすれば、英語のできがズバ抜けて良かったから、とか?
けれど、それだけですぐ『特待生』となるとは思えない。
アレくらいなら帰国子女やバイリンガルなど、同じ点数を取れる子どもは意外と多い。
そう訝しみながら話を聞いてみると……。
『もちろん、今すぐというわけではなく将来的に、というお話にはなりますが』
ただのリップサービスじゃねーか!?
なーんだ……い、いや!? 全然、期待とかしてなかったけど!?
なんでも、特待生になるには条件を満たす必要があるとのこと
条件はふたつ。
ひとつはコース選択を塾側が指定した『難関中学コース』にすること。
もうひとつは夏期講習の終わりにある、テストで成績上位となること。
俺じゃなかったら間違いなく引っかかってたな、これ!?
母親はもとから乗り気だし。
「キミには才能がある」と言われて悪い気のする子どももいまい。
「あなたの子どもには才能がある!」と言われた親も同様。
なんてうまい誘い文句だろう。
まさか、本当に俺のことを”特待生になれる逸材”だなんて思ってるはずもないし。
きっとみんな同じこと言われてるんだろうなー。
本当に特待生になり難関中学に合格すれば、塾の実績としてプラス。
そうでなかったとしても、入塾した時点で収益としてプラス。
親としても「将来的に特待生になるのなら」「今だけなら」とサイフのヒモを緩めてしまうだろう。
期待値はいつだって無限大なのだから。
それに特待生にも2種類あるらしい。
全額免除のA特待と、半額免除のB特待。
そう言われたら最悪でも片方にくらいは引っかかるだろう、と思ってしまう。
だれだって株を買うときは上がるのを想像して買うもんだ。
そして一度資金を投入すれば、あとに引くのは難しい。
来年2月、受験が終わるまで塩漬けとなる。
もちろん塾側――先生に悪意があってのことではない。
商売の基本、相手の求めるものを提示しているだけなのだから。
* * *
まぁ、現実そんなもんだよねー。
と俺は雑談の一環で話していた。
【へー、そんな感じなんだ? ウチは中学受験しちょらんからなー。恥ずかしながら高校受験と大学受験も、マジメに勉強せんと遊びほうけちょったし】
今日は韓国勢VTuberたちとのコラボだ。
俺にしては珍しくゲーム配信。
せっかくだからと韓国語縛りでFPSのチームプレイをしていた。
【私はよくわかります。韓国は中学受験も高校受験もないですが、日本よりもずっと学歴社会です。学校は勉強のための場所で、日本みたいな部活動もありません】
【そうなの?】
【はい。高校時代は受験の心配ばかりでした。試験当日は国全体で受験生を応援します】
>>受験トラウマだわ(韓)
>>1000万ウォン積まれても二度と受けたくない(韓)
>>オレ遅刻しかけて会場までパトカーで送ってもらったわ(韓)
【えっ、パトカーで!?】
>>俺も知らんおっさんにバイクで送ってもらった(韓)
>>遅刻しかけたことが今でも夢に出る(韓)
>>スヌンやっけ?
【はぇ~、韓国のみんなも受験で苦労してたんだねぇー】
【え? ちょい待って??? イロハちゃん、今ハングルのコメント読んじょらんかった?】
【あ、はい。先日、読めるようになりました】
>>読めるようになりました←www(韓)
>>マジ? なんかコメント拾ってみて(韓)
>>醤油工場の工場長はカン工場長で、味噌工場の工場長はチャン工場長だ(韓)
【醤油工場の工場長はカン工場長で、味噌工場の工場長はチャン工場長だ】
>>!?!?!?(韓)
>>俺より韓国語ウマいんだが???(韓)
>>オレより早口言葉ウマくてビビった(韓)
【え? 今の早口言葉だったの?】
カンジャンコンジャンコンジャンジャンウンカンコンジャンジャンイゴ、テンジャンコンジャンコンジャンジャンウンチャンコンジャンジャンイダ……。
うわっ、本当だ言いにくっ!?
全然、早口言葉を言っている自覚がなかった。
歌は棒読みになるのに、早口言葉はうまくなっていた。
なんで早口言葉がうまくなるのか……。
この能力もまだまだわからないことが多いなー。
【うわぁあああああ!? ホンマにウチの立場ないなったぁあああ!?】
>>草(韓)
>>ウチの立場ないなったw(韓)
>>ウチの立場ないなったなwww(韓)
【ハングルも読めて、しかも韓国語までウチよりウマいとか】
【あ、右から敵来てます】
【アッハイ。って、この幼女FPSまで普通にウマいんじゃが!?】
【いやいや、FPSは本当にヘタクソですから!】
前世で推しのVTuberとマッチングしたくて、一時期潜っていたことはある。
だが結局、仕事との兼ね合いでプレイ時間を捻出できず、大してうまくもならないまま引退した。
俺には電車内でもトイレ中でも風呂に浸かっていてもできる、配信視聴が一番だった。
【けど日本語に英語に韓国語に……ホンマすごいわ。ウチなんか子どものころ、ってか今も勉強苦手で遊んでばっかじゃけぇ】
【わたしも勉強が得意なわけでは。けど……推しの言葉をもっと理解したかったから】
【はぅあっ!? え、ちょっと待って。なにこの子かわいすぎん!?】
>>落ちたな(韓)
>>これはチョロインwww(韓)
>>イロハちゃん天然の女たらしやなw(韓)
【けど、ホンマうれしいわ。日英を話せる人は多いけど、日韓を話せる人は少ないんよ。日本における韓国語の普及率は英語、中国語に続いて第3位って言われちょるけど、それでも英語と比べると100分の1しかないから】
【そうなんですか?】
【うん。せやから、これから先もっとイロハちゃんみたいな人が増えて欲しい! そんで、いつかもっともっと大規模コラボをするんじゃ~】
俺は一ファンとしてもその光景をぜひ見てみたいと思った。
より一層、彼女のファンになった。
なお、それだけめちゃくちゃいいことを言ったのに、一番再生数が伸びたのは【ウチの立場ないなった】のシーンの切り抜きだった。
あーうん。世の中そんなもんだ。
* * *
そうこうしているうちに本格的に夏期講習がはじまった。
内容はぶっちゃけハードだ。ひとつひとつは簡単だが量が膨大なのだ。
当然といえば当然か。
中学受験は本来、4年生からはじめて3年間かけて対策(カリキュラム)を終えるのが一般的らしいし。
6年生の、それも夏からなんて中学受験をはじめるにはあまりに遅すぎる。
もちろん、志望する学校によってもその基準は変わるんだろうけど。
「う~む。どうしたもんかなー」
周囲の人間はリスナー含め、その多くが中学受験に賛成している。
俺自身も勉強は必要だと思ってる。
けど正直、中学受験までする必要があるのかは、わからないのだ。
ぶっちゃけ、そこまでしなくても生きるのには困らないし。
俺の前世は専門職だった。
極端な話、同じ分野に飛び込めば強くてニューゲームができてしまう。
多少、残業の多い職種ではあるものの、生きていく分には困らない程度には稼げる。
もっと給与の高い職に就けばもっとVTuberのグッズを買い漁れる、といった欲はないでもないが、それでも前世に対して未練はあれど不満はない。
VTuberが見られればそれで十分幸せなのだ。
だから、これ以上を求める理由が――がんばる必要性がない。
それに……これは、おそらくは俺でなくてもそうなるんじゃなかろうか?
想像は一瞬で済むが、努力は継続しなければ意味がない。
人生を子どもからやり直せば必ず大成できるか?
その答えは、ノー。
理想と現実はちがう。
大抵の人間は努力しなくてもいい環境に置かれたら、努力をしなくなるのだ。
もしも大成する人間がいるとすれば、その人物はすでに今、努力をしているはずだ。
とはいえわたしにはこれまで育ててもらった恩義がある。
衣食住は母親によって成り立っている。
だから、なるべくなら母親の願いに沿ってやるのが義理というものだろう。
けれど、それはあくまで自分にできる範囲で。
その観点からいくと、学校の成績と中学受験ではかかる労力がちがいすぎるんだよなー。
VTuberの視聴時間を削って勉強するのでは、本末転倒。
それでは、俺の一番やりたいことを削ってしまうことになる。
俺には今しかできないことがある。
今日の配信をリアルタイムで見れるのは、今日しかないのだ!
現在、俺は1日の視聴時間を5時間に制限されている。
それ自体は本当にわたしの身を慮ってのことだったので受け入れている。
「どーしたもんかねー」
さすがに、中学受験まではなー。
そんな疑問に答えをもたらしたのは、予想外の来訪者だった。
* * *
『イロハちゃん、今からウチおいで~』
唐突なあー姉ぇからの電話。まぁ、いつもどおりだな。
今日は塾もなかったので、俺は呼び出されるがままに彼女の家を訪れた。
「入るよー」
もはや勝手知ったるあー姉ぇの部屋。
ガチャリと扉を開けたそこに――もうひとり、知らない人物がいた。
《えへへ~。直接ははじめまして、イロハちゃん。ワタシがだれだかわかる?》
「えっ……えぇええええええっ!?」
声を聞けば一発だった。
間違えるわけがない。なにせ俺の一番の推し――イチ推しなんだから!
《”ぐるるる……どーもゾンビです”。あんぐおーぐです!》
あんぐおーぐの”中の人”がそこにいた。
「あー姉ぇえええええええええっ!?」
俺はあー姉ぇに掴みかかりガクガクと頭を振り回した。
「おまっ、お前ぇえええ~~~~!?」
「あはは、驚いた? そんなによろこんでもらえるなんてサプライズしたかいがあったなー」
「ちっがぁあああう!? わたし、姉ヶ崎モネの正体知っちゃったとき言ったよね!? 『VTuberファンとしての立場を崩したくない』って! ぎゃぁあああ、よりによってイチ推しの3D体を見てしまったー!?」
「……あっ」
「『あっ』、で済むかぁ~~~~っ!?」
「えーっと、ごーめんちゃいっ?」
あー姉ぇは誤魔化すように、テヘペロと舌を出した。
俺は崩れ落ち、床に突っ伏してしくしくと涙を流した。
バカあー姉ぇえええ、絶対に許さん……!
しかし、さらに追いつめようとしたとき、横合いから声がかかる。
《えーと。もしかしてワタシ、会わないほうがよかったか? アネゴから「イロハちゃんにサインを書いてあげて欲しい」って頼まれてたんだけど》
《え、サイン? そ、そんなことないよおーぐちゃん。大ファンだもん、もちろん会えてうれし……うれ、し……おえぇぇっ。あー、ヤバ。ジレンマと興奮でゲロ出そう》
《ちょっ、ダイジョブか!?》
そうか、サイン。
たしかにあー姉ぇとその約束をしていた。
もしかすると彼女は、約束を叶えようとしてくれただけなのかもしれない。
せっかくなら手渡しのほうがうれしかろう、と。
だが、約束は直筆サインだったはずだ。
だれが直接サインを渡してくるだなんて、だれが予想できる!?
《じつはワタシも、イロハちゃんに会ってみたかったんだよ。今、何歳? 小学生だよな? もう8月だけど、日本だと卒業式はまだだっけ。いやー、本当に小さくてかわいいな》
《いやいや、おーぐちゃんのほうこそ小さいと思うけど》
《ちっちゃくないわっ! ワタシはナイスバディのイケてる女だし!》
あんぐおーぐは腰を突き出してセクシーポーズを取った。
子どもが大人ぶっているようにしか見えなかった。
アネゴはそんなポージングを見てゲラゲラと笑っている。
「そーだよねー、おーぐはセクシーだもんねー? 日本に来るとき、子どもと間違えられて空港で『ひとりなの? 親御さんは?』って止められるくらいに大人だもんねー」
「うぐぅっ!? オマエぇ! それは言わない約束ダロ!」
あんぐおーぐはカタコトながら日本語で、そうあー姉ぇに言い返す。
あまりに容易に想像できる光景で、俺も笑ってしまう。
《イ~ロ~ハぁ~! 笑ったなぁ~?》
《ひゃ~!? ごめんなさい! って、そうじゃなぁあああい! どうしてここにおーぐちゃんがいるの!?》
《決まってるだろ。遊びに来たんだ!》
言われてみれば直近の配信にて、とある予定のために準備中だと言っていた気が。
しかし、それがまさか日本へ――それもあー姉ぇの家へ来ることだなんて。
「よし、じゃあ全員揃ったことだし行こうか!」
「行くってどこに?」
「そりゃあもちろん……」
* * *
「――観光だよ!」
そんなわけで俺たちは街へと繰り出した。
あんぐおーぐは目をキラキラさせながら、視線をあちこちへと向けていた。
「おーぐはどこ行きたいんだっけ?」
「ヨシノゥヤ、ココカリー、ミスター・ドーナ……あとコンビニエンストアにも行きたイ!」
「あははは! 食べものばっかじゃん! おーぐは食いしん坊だなー。まぁ、育ち盛りだし仕方ないか!」
「子ども扱いすんナ!」
そんなことを言いながら、練り歩く。
あんぐおーぐは「あれは!?」「これは!?」と指をさして聞いてくる。
道を歩いては……。
《なんでこんなに自動販売機が多いの!?》
と驚き。
飲食店に入っては……。
《接客が丁寧で、なんだかエラくなった気分! ムフーっ!》
《食事のマナーも知ってるよ。”イタダキマス”》
《なんてこった。これが”ギュウドン”なのか!? うますぎるんだが! あーたまらんっ、このソースをアメリカに持って帰らせてくれ!》
《これもばっちり予習済みだよ。日本じゃチップは渡しちゃいけないんだろ? 代わりにこう言うのさ――”ゴチソサマデシタ”》
とドヤって見せ。
コンビニへ行っては……。
《えっ!? ”汗”が飲みものとして売られてる!》
《なんでこのハーゲンダースはこんなに小さくて高いんだ?》
《食後のスイーツはこの”マッチャシラタマアンミツ”にする! かわいくておいしそう!》
と買いものを楽しんでいた。
そうしてコンビニ袋を片手に、俺たちはあー姉ぇの家へと帰還した。
まだあんぐおーぐも日本に着いたばかり。
時差ボケもあるので、今日は近場だけで済ませ明日に備えるとのこと。
じゃあ、そろそろ解散か。
と思ったところで、あー姉ぇから「待った」がかかる。
「もーっ、なに言ってるの! まだやることがあるでしょ?」
「え?」
「あたしたちの職業を忘れたの?」
そんなわけで……。
* * *
「”みんな元気ぃ〜? みんなのお姉ちゃんだヨっ☆” 姉ヶ崎モネでーすっ☆」
《”ぐるるる……どーもゾンビです”。あんぐおーぐです!》
「”わたしの言葉よあなたに届け!” 翻訳少女イロハでーす」
>>アネゴ好きだぁあああ!
>>やぁ、おーぐ(米)
>>イロハちゃんキター!
コメントが流れる。
俺はそれをあー姉ぇのとなりから眺めていた。
今日の俺はトラッキングができないので、止め絵での参加だ。
あんぐおーぐはあー姉ぇの逆となりで、アメリカから持ってきた自前のノートパソコンを開いている。
「みんな~、もう気づいてるよ姉ぇっ? 今日はおーぐとイロハちゃんとのオフコラボです!」
「ドーモ、日本のミナサン。今、ワタシは日本に来ていマス。アネゴの部屋にいマス」
コメント欄が一気に盛り上がる。
日本とアメリカ双方から一斉に質問が飛んできた。
どこ行った? どんなことした? どう思った?
あんぐおーぐはそれらの質問にテンポよく答えていく。
合間でアネゴがあんぐおーぐの恥ずかしエピソードを暴露したり、俺が翻訳や解説などを挟みつつ話は進む。
と、日本のコンビニの話になったところで……。
《じつはさっき日本のコンビニでスイーツを買ってきたんだ! せっかくだから今、食べちゃおうかな》
ガサゴソとコンビニ袋を漁りはじめた。
なるほど、すぐに食べなかったのはこういうわけだったのか。
思えばあんぐおーぐとあー姉ぇが買ったのは、どちらも日本っぽいスイーツだ。
俺は気づかず、普通に自分が食べたいものを買ってしまった。
ふたりとも完全に、配信に生活が寄り添っている。
こういった些細なことからも配信者としての格のちがいを感じた。
人気なVTuberには人気になるだけの理由がある。
そして、努力や継続といった裏付けがあるのだと思い知らされる。
《それじゃあ”イタダキマス”》
あんぐおーぐの買ってきた商品が配信画面に映されている。
抹茶白玉あんみつ。白玉とフルーツポンチとあずきと抹茶をちゃんぽんしたようなメニューだ。
《ん~っ!? この白い”オモチ”? すごくオイシイ! この四角くて半透明のやつはあんまり味しないね? あー、抹茶はオトナの味ダナー。けど全部一緒に食べると最高!》
続いて、あー姉ぇが買ってきた商品も映しだされる。
日本にしかないであろう駄菓子だ。
「これもおいしいよ。おーぐも食べてみ」
「これはナニ? アッポー?」
「あーそうそう、アポーアポー!」
>>あっ……
>>アネゴお前www
>>日本のリンゴはずいぶんと小さくて赤いんだね(米)
《”イタダキマス”。あ~ん……んっぐぅんんんぅうううううう!? ごほっ、けほっ!? なっ、なななっ!? スッパァアアアイ!? めちゃくちゃスッパイ!? なんだコレぇえええ!?》
「あはははっ! やーい、だっまさーれたー! おーぐ、それはカリカリ梅だよ」
俺は海外勢とあんぐおーぐに向けて、カリカリ梅について説明した。
あんぐおーぐはもだえ苦しみながらも、なんとかそれを飲み込んだ。そして、あー姉ぇへと掴みかかる。
《このクソアネゴ! オマエ、またやりやがったなぁ!? 口が取れるかと思った! ハーッ、ハーッ……今でも口の中がヤヴァイ! イロハちゃんもわざと指摘しなかったでしょ!?》
《イヤー、わたし日本語読めないから気づかなかったナー》
>>草(米)
>>ハイパーポリグロットがよく言うwww(米)
>>都合よく読めたり読めなかったりする目だなぁw(米)
そんな感じに配信は大盛り上がり。
気づけばもういい時間になっていた。
俺たちは「”おつかれーたー、ありげーたー”」ともはや恒例になったあいさつをする。
最後にあんぐおーぐが《”カリカリウメ”の味は一生忘れられない。悪いイミでな!》と述べ、この配信は締めくくられた。
当然のように、めちゃくちゃ切り抜かれた。
《ん~、”オツカレサマデシタ”》
あんぐおーぐがぐぐっと身体を伸ばす。
無事に配信も終わり、今度こそ本日の活動は終了だろう。
《じゃあ、そろそろ時間だし、わたしも帰ろうかな。お母さんも心配するし》
俺もいろいろありすぎて今日は疲れた。
イチ推しがとなりにいるもんで、緊張しっぱなしだった。
しかし、立ち上がったところで「え~!?」とあー姉ぇから不満の声が上がる。
「イロハちゃん帰っちゃうの~!? 今日は泊まっていきなよ~! おーぐも泊まるんだし」
「ええいっ、暑苦しい! しがみつくな!」
というか、だからこそ帰ろうとしているのだ。
イチ推しとお泊りだなんて、いろんな意味で耐えられるわけないだろ!
「泊まるって言うまで離さないぞ~! ほら、おーぐからも!」
《え、えーっと。ワタシももっと、イロハちゃんと遊びたいなー?》
《うぇっ!? いや、それは、うーん、えーっと!》
あ~、キラキラとした目がまぶしい!
それにイチ推しからのお言葉を否定することなんて俺にはっ……。
《わかり、ました。だから、そんな悲しそうな目で見ないで!》
「勝った!」
なんでこんなことに!?
あー姉ぇはともかく、年頃の女の子とひとつ屋根の下だなんて!?
ファンとしてもおっさんとしても色々とツラいものがある。
あー姉ぇはともかく!(大事なことなので)
《はぁ……。ちょっと待っててください。お母さんに確認してみますから》
母親にメッセージを飛ばしてみる。
返信は意外にもすぐに来た。
『了解。失礼のないようにね。それとお母さんも今日からしばらく帰りが遅くなるから』
どうやらお互いさまだったらしい。
なんでこんなときばっかり、あっさりと許可が取れてしまうのか。
俺は観念した。
「お母さんが泊まっていいよ、って」
「よしっ、そうと決まればまずはお風呂だ! バスルームへ行くぞ、おーっ!」
「お、風呂ぉおおお!? ちょっと待って! さすがにそれは!?」
《待て待てアネゴ! お風呂ってみんなで一緒に入るつもりか!? ”マジ”!? 日本ではそれが普通なのかもしれないけど、まだワタシには難易度が高すぎる!》
俺たちは必死に抵抗した。
さすがにあー姉ぇも2対1は劣勢とみたのかブーたれながら諦めた。
……かと思いきや、俺が風呂に入っているとき。
バーン! と唐突に浴室の扉が全開になった。
「イロハちゃ~ん! 背中流してあげる~っ☆」
「ぎゃぁあああ~~~~!?」
あー姉ぇのやつ、やりやがったぁあああ!?
俺は全力で不法侵入者に抵抗した。
結局、俺とあんぐおーぐは交代で門番をしながら風呂に入った。
脱衣所でお互いを、あー姉ぇの侵入から守ることとなった。
《イロハちゃん……いや、イロハ! ワタシたちはもう戦友だ! これからはお互い呼び捨てでいこう!》
《そうだね、おーぐ! ともに、かの邪智暴虐の王に立ち向かうのだ!》
風呂を上がるころには、そうガッチリと握手を交わす仲になっていた。
いつの間にか俺たちの間にあった壁や緊張感はなくなっていた。
「……あれ?」
これ俺が理想とするVTuberとファンの関係から、ますますかけ離れていってない?
あるいはあー姉ぇはこれを狙って……。
いや、ないな。
あー姉ぇは間違いなく、自分がやりたいことをやってるだけだ。
ちなみに、俺が風呂に入っているときに侵入を試みた人物はもうひとりいた。
あんぐおーぐがわずかに席を外した隙に現れたのは……。
「イロハちゃん! お姉ちゃんはダメだけどマイならいいよねぇ~? マイが背中流してあげるからねぇ~? って、もう鍵をかけっぱなしだよぉ~っ。でも大丈夫、ちゃんと10円玉を持ってきてるから……あ、あれ? 固っ……開かないナンデェ~!?」
俺は無言で鍵を押さえながら髪を洗った。
すりガラスの扉越しに《アネゴの家系はヘンタイしかいないのか!?》とあんぐおーぐの叫びが聞こえた。
残念ながらそのとおりだ!
* * *
布団を敷き、俺たち3人は川の字に寝転がっていた。
……え? 2-2で分かれてマイと寝ないのかって?
マイとふたりきりは貞操の危機を感じたからな!
マイはしくしくと泣いていたが知らん。日頃の行いだ。
そのわりに「4人で寝るか?」と尋ねたら遠慮して去っていったのは、不思議だったが。
VTuber業のせいで仲間外れになりがちだ。
だから寂しがらせていないかと心配していたのだが、そんなことはなかったらしい。
《おーぐはいつまで日本に滞在するの?》
《明後日まで。明日は早起きして遠出するつもり。配信もおやすみして本格的に観光しまくるっ!》
夜、天井を見上げながら話す。
この頃にはもう、俺たちはタメ口で話せるようになっていた。
《今日はあんまし遠出できなかったもんね。観光ってどこへ行くの?》
《ふっふっふ、その質問を待っていた! じつは、日本に来たら絶対に行きたい場所があったんだ! それは……メイド喫茶!》
《メイド喫茶?》
《あとはアニメグッズのお店も見て回りたい! ゲームセンターもマストだな!》
一瞬、面食らったがすぐに納得した。
あんぐおーぐは日本のアニメ文化が大好きだ。
最初のきっかけは食いしん坊な彼女らしく和食からだったが、次第に日本の音ゲー、アニメへと興味を発展させていった。
実際、歌枠配信でもアニソンを選曲することは多い。
《そうだ! 今、日本も夏休みなんだよな? イロハも一緒に行こう!》
《え、いいの!? じゃあ一緒に……あー、ダメだ》
《どうして?》
《明日は塾があるんだよね。親が中学受験してほしいみたいで》
《……ふむ。イロハは中学受験したくないのか?》
《したくないというか、メンドーくさい!》
《あははっ! わかるわかる。じつはワタシも中学受験させられたんだ。というか”プレスクール”からずっと勉強漬けの毎日だった》
《プレスクール?》
《えーっと、なんて説明したらいいんだろう。2歳から通う学校、みたいな?》
《なんだろ、保育園みたいな感じかな?》
《うーん? 似たようなものかも? ともかくそれからずっと幼稚園も、小学校の5年間も、中学校の3年間も、高校の4年間も……毎日、勉強勉強勉強だった》
そういえば日本とアメリカでは教育制度がちがうんだっけ。
しかし、あまりにも予想外な経歴だ。むしろ勉強は苦手、という印象があったのに。
《意外でしょ? じつはワタシ、ちょっと良い家の生まれなんだよ。親がお固い職業でさ。そのせいか、かなりの教育ママでねー。……けどワタシ、マジで勉強できなくてさ》
《そう、だったの?》
《うん。いわゆる落ちこぼれってやつだな。もう毎日怒られてばっかりで、それこそイヤになって家を飛び出しちゃったくらいだ!》
《えぇ~っ!?》
《それがきっかけで結局、ドロップアウトしちゃった。今でもママとは仲直りできてない。……けどなー、今こうして配信でお金を稼いで生活できるようになってみると、学校で学んだことが役立つことって意外と多いんだなーって気づくよ。今ではわりと感謝してる》
《じゃあ、やっぱり受験賛成派?》
《とんでもない! 少なくともワタシの場合、それでも良いことより悪いことのほうが圧倒的に多かったし!》
《そっかぁー》
《うん。ときどき思うよ。普通の学校に行っていたら今ごろどうなっていただろう? って。もしかしたら普通に友だちと遊びに行ったりして、そんで……配信者にはなってなかったかもしれない》
《えぇっ!? それはものすごく寂しいな》
《そうだなー。ワタシも今さらVTuberじゃない人生なんて考えられないぞ! VTuberになることは自分で決めて、行動して、そうして合格して掴み取った結果だからな。絶対に手放したくない!》
《……! 自分で、決めた結果》
《ワタシは大事なのは本人の意思だと思う。親は子どもに中学受験を強制なんてしちゃダメだ。そして同じくらい、みんなと同じ学校しか選べないってのも不幸だと思う。だからきっと親のやるべきことってのは……子どもの選択肢を少しでも増やしてあげることなんだよ》
あんぐおーぐは《すくなくともワタシはそうして欲しかった》と悲し気に言った。
俺はしばらく考え込んだ。彼女はその間、無言で待っていてくれていた。
《うん、決めた。わたし中学受験はしない》
《そっか》
《夏休みが明けたら、親にはっきりと告げることにするよ。ま、夏期講習の代金がもったいないから、それまではマジメに塾にも通っておくけどね》
《あぁ、いいと思うぞ。イロハが見たい景色は、中学受験の先にはなかったんだな》
《うん。けど、やりたいことがひとつ思いついた。それは――》
俺がそう語ろうとしたとき。
「ぐごごごぉおおおっ! ……ぐか~、すぴー」
《《……》》
俺たちは無言で身体を起こし、爆睡を決めているあー姉ぇの顔を見下ろした。
やけに静かだと思ったら、ソッコーで寝落ちしていたようだ。
ずいぶんと気持ちよく寝ている。
あまりうるさくしてあー姉ぇを起こすのも悪いな、と俺たちは肩を竦め、もぞもぞと布団を被った。
目を閉じると朝はすぐそこだった――。
* * *
《アネゴ、ワタシの言いたいことがわかるか?》
「あー姉ぇ……お前、ホント」
「す、すいませんでしたぁーっ!?」
翌朝、俺とあんぐおーぐは正座したあー姉ぇを見下ろしていた。
俺たちの顔にはくっきりと青あざができていた。
「い、いやーアハハ。まさかアタシの寝相がそんなに悪かったなんて、知らなかったナー」
《アネゴ~っ!》「あー姉ぇ~っ!」
「ひぃいいい! ごめんなさぁあああいっ!」