夏休みを目前に控えたとある日。
 今日も図書室へ行って外国語の本を借りて帰ろう、なんてことを思いながら立ちあがったときのこと。
 俺は担任教師に呼び止められた。

「すこしお話しましょうか」

「えっ」

「ついてきてください」

 なになに、恐い!? 呼び出し? ウソ、俺なにか悪いことしたか!?
 俺は戦々恐々としながら担任教師のあとをついていく。
 やばい、心当たりが多すぎる!

 連れていかれた先には『応接室』と書かれた室名札。
 そこは生徒から『生徒指導室』と揶揄されている部屋だった。

 ガラリと扉を開けると、室内にはテーブルを挟んで、向き合うようにソファが配置されている。
 俺は先生の対面に座らされた。

「えっと、あのぉ?」

 呼び出された原因はどれ(・・)ですか?
 と質問を投げようとしたとき、ガチャリと扉が開いて新たにひとりが入室してくる。

「え、お母さん!?」

 やってきたのは母親だった。
 親まで呼び出し!? いったいどれほどのことを俺はやらかしたんだ!?

「お待たせしました、先生」

「よく来てくださいました、お母さま」

 俺の判断は早かった。

「あ、用事思い出したから先に帰るね!」

「おい逃げるな」

「ぐえっ」

 首根っこを捕まえられた。目にも止まらぬ早業。
 母親からは逃げられない!

「すいません、ウチのバカ娘が」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

「えーっと、お母さん今日お仕事は?」

「だれかさんのために休んできたのよ」

 そこまで!?
 もうダメだぁ~。いったい俺はどれほど怒られてしまうのだろう。

 俺は諦め、母親のとなりに座った。
 そしてはじまった話は……。

「最近のイロハさんのテストの点数には目を見張るものがあります」

「ありがとうございます」

 ん!? 予想外にポジティブな話の切り出し。
 もしかしてこれはいけるか? 説教ではなく褒められるために呼び出された可能性がワンチャン……。

「しかし生活態度は、はっきり言って最悪です」

 やっぱりダメだったー!?
 そうか、呼び出しの原因はそれかー。正直、ものすごく心当たりがある。

「授業中に関係のない本を読んでいたり」

「うぐっ!?」

「休み時間に校内では使用禁止のスマートフォンで動画を見ていたり」

「うぐぐぅっ!?」

「おたくのお子さまは、率直に申し上げて――」

 あぁ、終わった。
 間違いなくVTuberの視聴時間がさらに削られる。

 こないだの今日だもんなぁ。
 許されるわけが……。


「率直に申し上げて――天才かもしれません!!!!」


「はいぃいいい!?」

「おそらくイロハさんは、非常に高い知力を有していると思われます!」

 なーにを言っとるんだこのおばはんは!?
 さっきの話と繋がっとらんやんけ!?

 俺の脳内はクエスチョンマークで埋め尽くされた。
 母親は先生の言葉を聞いて深くうなずき……。

「そうですよね! じつは母親から見ても、そうではないかと感じていたんです!」

「なんでぇえええ!?」

 どうしてそこで意気投合する!?
 まったく話についていけない!

「どうやらイロハさんにとって通常の授業は簡単すぎるようです。もしかして塾に通われていて、すでにそちらで学んでいるとか?」

「いえ、塾へは通わせていません」

「そうですよね。以前の面談でそうおっしゃられていましたものね」

 先生がペラペラとバインダーをめくっていた。
 おそらくは俺の成績なんかがそこには記載されているのだろう。

「イロハさんは授業中、関係のない本を……外国語の教材を読んで自習されています。もちろんその時間の授業内容は理解して、テストで満点を取った上で」

「えっ。そうだったんですか?」

 母親がちらりとこちらを見る。
 俺はブンブン首を振った。ちがうんだ! いや、ちがくないけど!

 たしかに俺は図書室で借りた外国語の教材を読んでいた。
 しかしそれは、一度にインプットしすぎると脳がオーバーヒートするから、授業中やヒマな時間にちまちまと読み進めるのが都合よかっただけ。

「それに休み時間にも、スマートフォンで外国語のリスニングをされていたとか」

 先生は「ほかの生徒が教えてくれました」と告げ口をバラした。
 いやいやいや、その告げ口間違ってますけど!?

 そんなことはしていない。
 いったい、だれだこんな大ホラを――。

「……あっ」

 と、そこで思い出した。
 そういえば一度、休み時間に海外勢VTuberの配信を見ようとしたとき、イヤホンが繋がっておらずスピーカーから大音量で垂れ流してしまったことが。

「あれか~」

「もしかするとイロハさんは、ギフテッドと呼ばれる存在かもしれません。お母さま、イロハさんを中学受験させてみませんか!?」

「うえぇえええ!?」

「このままイロハさんの才能を埋もれさせるのはもったいないです! 公立中学に進むのも良いですが、できればもっとレベルの高い授業を受けさせてあげるべきです! 力試しだけでもしてみませんか!?」

 まさか、学校にまで伏兵がいたなんて!
 この流れはマズい。俺は慌てて口を挟んだ。

「わ、わたしにはムリだと思うなー! 中学受験なんて!」

「そうよね、一番大切なのはイロハさん自身の意思だものね。いきなりはハードルが高いなら、まずは夏期講習に参加するのはどうかしら?」

 先生はバインダーからパンフレットを取り出してズラリと並べた。
 母親がこっちを見てニヤァと笑った。

「それは名案ですね! ねっ、イロハもそれならいいでしょう?」

「え、普通にイヤ痛だだだだだだ!?」

 先生からは見えない場所をこっそりとつねられる。
 暴力反対! と叫ぶ前に耳元で囁かれる。

「ヤ・ク・ソ・ク」

 うわぁあああ!? そうだった!
 中学受験を前向きに検討する、という契約で動画を見てもいい時間を伸ばしてもらったんだった。

 いや、待て。
 だからといって夏期講習に参加する約束をしたわけでは――。

「あんた休み時間にVTuber見てたでしょ」

 ぶわっと汗が噴き出した。
 バレテーラ。

「オカシイナー。お母さん、あんたが家できっかり2時間、毎日VTuberを見てるのを確認してるんだけど。学校でVTuber見てた時間はいったいどこの計算に入ってるのかしらー?」

「ワーイ。イロハ、夏期講習ダーイスキ」

「あらそう! イロハさんが前向きになってくれてうれしいわ! では、どこの夏期講習に行くかですが――」

 先生がパンフレットを並べて、その値段や授業内容のちがいを説明してくれる。
 あー、結構ピンキリだな。

「お母さん、ここにしよう」

「あんた今、値段だけ見て選んだでしょ。1番安いところ」

「い、いやー。けど結構お金かかるし」

「あんたはそんなこと気にしなくてもいいのよ」

「イロハさん、どうしても気になるなら塾によっては特待生制度があるわ。夏期講習で高い成績を残して一番になれば、お母さんを楽させてあげられるわよ。大丈夫、きっとあなたならできるわ!」

 いや、ちっがぁーう!?
 さっきのはあくまで建前だ。値段の安い講習のほうが、時間も短くて楽そうだったからだよ!?

「塾なのに特待生制度があるんですか?」

「えぇ、お母さま。それなりに大きな塾に限られてしまいますし、もっと早い時期から勉強をはじめている子ばかりなので、実際には厳しいかもしれませんが――」

 結局、とんとん拍子に話が進んでいった。
 最終的にかなり大手の、受験塾の夏期講習を受けるハメになってしまった。

「大丈夫ですよイロハさん。実際に中学受験するかどうかを決めるのは、夏期講習を受けてからでも遅くありませんからね」

 うげぇっ!?
 なんでこんなことにぃ~!?