__新刊が出ました。本日発売です。
好きな作家さんのツイート欄に表示された瞬間、できれば今すぐにでも書店に駆け出したくなる衝動に駆られる生活をここ2年は続けている。
そうだな、毎週金曜日は書店に足を運び、「本屋大賞コーナー」「売れ筋ランキング」などを見ては、どこに運命の本が眠っているのか発掘する楽しみを忍ばせている。
秘密基地の中を散策している、ような感覚だ。
本が、言葉が、好きだ。
人間は60,000回も考え事をするというのに、9000回しか決断できないと最近の科学本を読んで知った。
もし、俺に好きな人ができたら、9,000回その子を笑顔にできる選択をしていきたい。
そう思うと、本を読み進める手が猛烈に速まった。
静かな空間で、本を捲るこの音を聴くのが好きでたまらない。
そのままでいていい、がんばってもいいよと伝えてくれているみたいで、心ごと抱き締められてるみたいで、本に恋をしているのかもしれない。
本に出逢って心が解かされた。
色のない感情に色彩がついた、みたいに。
ずっと知りたくて、ずっと出逢いたくて、心が叫んでいるのに見つからなくて。
そんな日々を言葉に掬ってもらえた。
白の紙に黒の文字。
たったそれだけ。
それだけなのに、なぜこんなに惹かれるんだろう。
本を捲るたびにそう思う。
「一人で留守番偉いな」
「お家の人働きすぎよ、ずっとひとりぼっちにさせるなんて」と親戚の叔父と叔母は声高々に哀れみの台詞を次々に投げかけるが、本当の意味で「俺」を気にかけているようには思えない。
「僕達は何もしてやるつもりは更々ないが、まぁこんな言葉くらいかけた方がいいだろう」と言葉の裏にある冷たさを読み取った。
心から思ってもない言葉をかけられる度に疲弊している俺がいるのも俯瞰しているから簡単に見つけることができる。
「あー、今日も超絶俯瞰したな〜」しんと静まり返る寝室のカーテンを端までぴっちりと閉めて、風呂の湯を沸かしに腰を持ち上げる。
お湯が入りますのアナウンスが流れたのを確認して、お気に入りのポットでお湯を沸かす。
何を飲もうか考えあぐねていると、大して消費してない紅茶のパックが大量に積まれてあることに気づく。
久しぶりにアールグレイを選び、黄色のカップにそっと湯を注ぐ。
紅茶の香りがふっと鼻腔をくすぐる感覚に身震いしつつ、本屋大賞を取った作家さんの本の続きに目を走らせた。
1年間で160冊も読破している生粋の読書愛好家人間だから、たとえ300ページ、400ページあろうがなかろうが、読み終えるスピードも読破した冊数が増すごとに比例するようになった。
人間の「知りたい欲」には限界なんてないのだろうと驚かされつつある。
本の魅力を伝えたくて、趣味で始めたブログも半年もすると、徐々に見てくれる人が増えた。
右型上がりというわけではないが、挑戦してきたからこそ今があるという確信は揺らがない。
もっとたくさんの人の心が救われたら嬉しいと願うばかりだ。
ある意味、この上ない絶望を味わった人としか話したくないとも思ってしまう。
本の話がしたいが、読書好きだからといって誰とでも意気投合するわけではない。
本といっても扱うジャンルは広いし、好き嫌いが激しいことも承知だ。
読むジャンルは違えど、その違いを面白がったり楽しめる人と話がしたいと思う。
なかなか、そんな理想通りの人に出逢えるわけではないのも現実的だ。
図書委員の部長に今年度からなったのも、上の先輩が引き受ける気さらさらないという雰囲気を全面的に出していたし、それ以上持ち上げるような先生ではなかった。
俺は本が好きだし、あわよくば図書室を乗っ取りたかったので、立候補したまでだ。
「あ、明日当番だったな」カップに残ったアールグレイを一気に飲み干した。