枢機卿のアーリン・ティム・ジンデルは、自身の政務室へ聖女を招くべく使いを出し、だがあまりに到着が遅かったため待ち切れず、その聖女が通された貴賓室へ自ら足を運び、そして――廊下のど真ん中で氷の蔦に絡め取られて動けなくなっている、更に防御体制を取る神殿兵と、慄きその場に蹲る修道士、そしてそれらの前で背後に無数の氷の槍を中空に浮かべて仁王立ちする聖女を目の当たりにして絶句した。
魔力の過不足が一切なく全て事象変換に行使されている。なんと、美しい魔法だ……!
部下がたった一人の少女にやり込められていることや、本来であればその場で最も地位が高いため責任者としてなにがあろうと残らねばならない筈の司祭が、誰よりも先に脱兎の如く逃走している事実より、その少女が展開している魔法に目を奪われる枢機卿――アーリンであった。
不純物が一切混じることない素晴らしくも美しい氷魔法で展開される、水晶もかくやとばかりに鋭く輝く〝氷槍〟はまさに芸術。
そして光を受けて輝く美しいそれは、純水で構成されているためその鋭さは折り紙付きであり、一度放たれればその全てを貫いてしまうだろう――
「〝 強制詠唱破棄〟」
流石に其処で我に返ったアーリン。慌ててその魔法を強制破棄させようとするのだが、
「〝対抗術式〟」
〝 強制詠唱破棄〟の上位互換魔法である、全ての魔法を相殺するそれを無詠唱の即時展開で放ち、
「〝射出〟」
更に半ばまで強制破棄された筈の氷槍を、瞬時に修復して連弾で射出して来た。
それらは全て一直線にアーリンへと襲い掛かり、彼は慌てて魔法障壁を展開する。
ちなみに魔法障壁は、任意の方向へと魔力を集中させて放つものであるため、厳密には魔法ではなく、魔力を有する者であれば訓練次第で誰でも出来る技術だ。
放たれた〝氷槍〟はアーリンの魔法障壁に直撃し、ベシャっと潰れた。
――え?
それを弾く気満々であったアーリンは、想像と違う結果に一瞬呆然とし、そしてそれが致命的な隙となって続く〝氷槍〟という体の〝水球〟にそれをあっさり砕かれ、夏の飲料水には最適な、ビックリするほど冷えまくっている冷水を全身に喰らいまくって吹っ飛ばされる。
だがそれで終わりではなく、
「ついでに〝静電撃〟」
あろうことか気魔法の初級である、一瞬だけだがパチっと感電させるそれまで放って来た。
本来であればその魔法は子供の悪戯程度の威力しかなく、実戦で使えるほどのものではない。
だが聖女――シェリーは理解していた。というか母親から教えられていた。
それでパチっとしか感じないのは、生態を含む全てには電気に対しての抵抗があるからであり、それを取り除いてしまえばパチっと感じるどころではないということを。
よって通電し易い水を、更にいえば電気抵抗が低くなるように温度を液体を保つ極限までに下げてぶっ掛けられればどうなるか、結果は火を見るより明らかである。冷水だけど。
余談だが、氷部分は不純物がない純水で構成されていたが、中の水は其処まで気を使って生成したわけではないため絶縁効果は一切ない。
まぁシェリーもそこまで考えてそんなことをしたわけではなく、表面のみそうした方がハッタリが効くとかその程度しか考えていなかったりする。
だがそもそもな話し、表面を氷で覆って〝氷槍〟と同じ形に偽装した〝水球〟を展開すること自体、非常識で規格外なのだが。
『枢機卿猊下ぁ!』
〝水球〟と〝静電撃〟のコンボを喰らって吹っ飛ばされ、次いでビクンビクンしているその森妖精を目の当たりにして、神殿兵や修道士が異口同音に叫ぶ。
うん、素晴らしい節奏調和。流石は事ある毎に讃美歌を歌っているだけあって、見事なものである。
などと若干どころか相当失礼なことを考え、そして――
「じゃあそんなワケで。お疲れさまでした~」
何事もなかったかのように肩掛け鞄を襷掛けにして、茶請けに出されていた個別包装されているパウンドケーキをちゃっかりしまい込み、やっぱり何事もなかったかのようにそそくさとその場を去ろうとするシェリー。
だが――
「お待ち下さい!」
それをコーデリアが制止した。
うん、まぁそうだよね。舌打ちを一つ、シェリーが独白する。明らかにやり過ぎたし暴れ過ぎた。此処までやらかして「帰ります」と言われたって、「はいそーですか」などと言う奴は誰もいないであろう。
これは賠償金案件かなー。それとも訴訟問題になる? 神殿が相手となると、トレヴァーさんじゃなくてヒューさんにお願いした方がいいかな。変態なヤツだけど一応は特級な国法士だから、神殿相手は役不足ってことはないだろうし。あ、そうなると報酬はどれにしよう?
などと次の展開を予想し、そしてそれに対してどう動くのが最適解なのかを脳内で想定分析する。
報酬云々に関しては、気にしない方が良いだろう。好きか嫌いかで言えば、シェリーが差しだすそれならば間違いなく彼は胸を張って「好きだ!」と断言するだろうし。
だがそんな最悪な想定などよりも、次に発せられたコーデリアの言葉はそれの遥か斜め上を行っていた。
「そのパウンドケーキは消費期限が本日のみとなっておりますので、ご注意下さい。それと食べるときは温めてから、バターを添えてメイプルシロップをたっぷり掛けるとより美味しく頂けます。尚これと同じ商品は、お帰りの際に聖ヴィレーム橋を渡りますと『ハーネス』というオープンカフェがありますので、数量限定とはなりますが其処で取り扱っています。ああ、でもこの時間ではもう販売終了となっていますね。ですがそれ以外にも、多少日持ちしますマドレーヌやスコーン、ビスコッティなどや、それなりに保存も効くガレットやバター飴も取り扱っておりますので、宜しければご利用下さい」
「え? あ、はい」
何処の販売員なのだろうかとばかりに、修道院で製造している諸々の売り込みをする、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさん。元商家の娘は伊達ではないようだ。
「ん?『ハーネス』?」
そんなコーデリアの売り込みに若干気圧されながら、だがそのオープンカフェの店名が引っ掛かるシェリー。思わず復唱すると、コーデリアさんはとっても素敵な笑顔で、
「あ、気付きました? 実は私の両親が経営しています。御贔屓にして頂けたら幸いです」
……そういえば、借金の形に身売りさせられそうになったとは言ったが一家離散したとは言っていない。そしてちゃっかりグレンカダムを離れ新天地で成功していたとか、なんというか凄く逞しい人達だ。もっとも商人とはそれくらいの気概がなければやっていられないのだろう。
借金をこさえて首が回らなくなり、あろうことかまだ未成年であった娘へそれを擦り付けて失踪した戸籍上の父親を夢想し、軽く殺意を覚えるシェリーであった。まぁ、どうせ今頃は何処ぞで野垂れているであろうが。
それはともかくとして、てっきり出て行こうとするシェリーを静止するのだろうと思っていたコーデリアが、それをせずにあろうことか提携店の宣伝をし始めている様を目の当たりにして、言葉を失う一同。
提携店の売り上げが伸びれば、確かにそれだけ神殿側の増収にも繋がり良いことなのだろうけど、だが現状なにかが違う。
追加でそう考えたのか、苦悩する一同であった。
いや其処は突っ込むところじゃないの? そう思うシェリーだが、わざわざ言ってやるほどお人好しではない。
そしてその隙を逃さず、逃げるように――事実逃げているのだが――その場を後にしようとするシェリー。
しかしいつまでも惚けている筈のない神殿兵が立ち塞がり、背負っている大盾を構えて並び、立ち塞がる。
おお、亀甲隊列。その隊列を見て、シェリーは独白しつつ感心した。
最初からバラけないでそうしていたのなら、いくら魔法に一家言持ちなシェリーといえども先程のような戦法は取れなかったであろう。
だがそれは、そうすることでお手上げになるということではなく、あくまで同じ戦法が取れないというだけであり、裏を返すまでもなく別を選択していたであろう。
更に言うなら――
「〝二重詠唱〟〝冷却〟〝激流〟」
「だにぃ!?」
「ごふぅ! 耐えろ、耐えるんだがぼべ――」
「ぐひゃあ! 流れる、流されるぅ――」
「水流凄ぇ! ビシビシ当たって痛ぇ!」
「いや冷てぇよやっぱり痛ぇよ!」
そんな密集陣形をとっていたら、ちょっとした範囲魔法で一網打尽である。
そしてそれを一切の躊躇なく、冷めた表情と冷たい視線を向けて実行するシェリー。
まぁ考えてもみれば、言葉巧みに部屋に連れ込みなにかをしようとした時点で、常識的にも倫理的にもアウトである。よって抵抗されて酷い目に遭おうが知ったことではな――
「ああ……冷たい、痛い……んぎぼじいいぃぃ!」
「この全身を隈なく包む冷た痛さが堪りません! もっとして女王さ――」
「ああ、その汚いゴミを見るような視線が堪りません! もっと、もっとソレを下さい女お――」
「流される流されるぅ! ゴミなボクちん流されるううぅぅぅぅぅ!」
――酷い目に遭おうが、断じて知ったことではないのだ。
亀甲隊列でにじり寄る予定であった神殿兵を一蹴し終え、
「――詠唱破棄」
それを水滴一つ残さず破棄すると、シェリーは自分を見て畏怖する皆を俯瞰し、油断せずに、だが悠々と廊下を歩き出す。
なにかを期待してキラキラした目で見上げる奴らのことなど気にしない。というか全力で無視する。
途中で何故か、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさんの手を自然に取っているのは、きっと案内させる心算なのだろう。
決してお持ち帰りしようなどとは、断じて思ってはいない。それは己が矜持に賭けて誓おう。
ただ――
うっかり連れて帰っちゃったよどうしようテヘペロ。来ちゃったもんはしょうがない。責任取るから此処にいようよ。
よし! これで行こう!
とか犯罪者のような計画を練るシェリーであった。
「待ちなさい、聖女よ」
そんなことをスケベジジイよろしく夢想するシェリーを、いつの間にか復活している枢機卿猊下が、修道士にキャソックスに付いた埃を払わせながら呼び止める。
その威厳に満ちた声と口調を前に、従わないものは誰もいない。枢機卿の肩書は伊達ではないのだ。
その発せられた言葉の通りにシェリーの足が止まり、その反応にご満悦になる枢機卿猊下。そして更に言葉を重ね、宥めようとする。
「突然このような扱いをされて混乱するのは理解出来る。だが君にとっても悪い話しで――」
「『待ちなさい』ですって?」
そんな枢機卿の言葉など皆まで聞かず、更に言うなら聞く筈もなく、掴んでいたコーデリアの手を離して正面から見据える。
「随分とまぁ熟れた命令口調じゃあないの。アンタくらいの地位だと言われたまま全てが従うとでも思っているのでしょうね。そりゃあそうよね、それだけは理解出来るわ。地位ある一廉の人物にそんなことを言われたのなら、一般的な社会生活を営んでいる人達なら思わず従うでしょうよ。ええ、ええ、それは間違いないわよ。大正解」
シェリーの白金色の髪が波打ち、その全身が僅かに白色に輝き始める。
「でもね、私もお母さんもお父さんも、そんなときには必ずこう言ってやるの」
それは明らかにとある魔法の効果であるのだが、シェリーはそれを発動させる「詠唱」も、効果を決定付ける「呪文」も口にしていない。
「『だからどうした』」
ちなみに詠唱は魔法を正確に発動させるための、韻を踏んだ読経のようなもので、呪文はその効果を決定付けるものであると、一般的に謂れている。
詳細は不明であるのだが、魔法に熟達すると詠唱は不要となり、呪文だけで発動可能だ。そしてそれは、いわゆる「無詠唱」と呼ばれている。
多くの魔法使いは、詠唱と呪文は絶対に必要なものであり、一部の才能と才覚ある者のみが「無詠唱」を習得出来ると教えられていた。
だが実際はそんなことはなく、確かに複数の属性や高度な魔法の習得にはそれなりの才能が必要ではあるが、それ自体はそれほど難しいわけではない。
全ての技術の習得に必要な最も重要な事項は「反復」であり、魔法も技術の一つである限りそれは変わることなどないのだ。
ただ稀に、純粋に才能のあるものにしか習得出来ないとされている魔法技術は、確かに存在する。
それは、魔力操作のみで術者が思い描き期待する効果を再現し発現させる、記憶に完全依存した魔法技術であり、その名称は――実は無かったりする。
更にいうなら、その技術自体が異端とされ否定されているのだ。
何故ならそれは、それを享受出来ない者どもにとっては明らかに都合の悪い技術であり、当然それらを教授出来る筈もない。
もっともそれはシェリー自身でも出来ることではなく、その技術を言語化して教授出来ていたのは、知る限りではただ一人だけ。
非公式ではあるが〝魔法女王〟の二つ名を持つ魔女、エセル・アップルジャック。
その道を極めんと切磋し琢磨する者どもが、挙って羨望し嫉妬し、そして憧憬を抱いた、若くして逝去した偉大な魔法使い。
本人は、そんな「『ちゅうに』臭い」二つ名は嫌だと、全霊で拒否して否定していたが。
そんなトンデモ技術を事も無げに、なんでもない当り前であるかのように発動する。だがそのシェリーを慄きながら、だが視線を外したら命がないとでも思っているのか、その場の全ての者がその一挙手一投足から目が離せない。
「おお……美しい……」
だがそんな中、シェリーが発動したそれを正しく理解した枢機卿アーリンが、危機的状況であるにもかかわらず恍惚の表情でそんな呟きを漏らした。
流石は枢機卿。どうやらそれがどのようなもので、そしてどれほど高度で難解な技術であるかを理解してい――
「なんだか良く判らんが、可視化されるほどの凄まじく高濃度な魔力が見事に練り上げられて行く。ああ……それに煽られ恰も意思があるかの如く波打つ白金色の髪と、魔力と光の加減で色彩が変化する翠瞳が堪らなく美しい……。流石は聖女、なんと素晴らしい魔法だ……」
――理解していなかったようである。彼が感動していた対象は、どうやらシェリーの容姿と魔力とその操作技術であるらしい。
「うくぅ! 聖女のフトモモが……はぅあ!? 白いのがちょっとだけみ、見え――はふうぅぅぅ……ぐは、鼻から赤い汗が!」
訂正。
追加でナニかが見えてしまったようで、禁欲生活が長期に渡っているためそーゆー免疫が決定的に不足している枢機卿や修道士、そして神殿兵も同じように、いや、それ以上に、前方を正視出来なくなったり何故か前のめりに前屈みに立てなくなったり出血の継続損傷を勝手に受けたりと、ある意味での状態異常に陥ってしまい、その場で動ける者が誰一人として存在しなくなってしまった。
結局、シェリーが発動して周囲に撒き散らしている〝放電〟の効果を巧みに魔法障壁で防ぎつつ、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさんが説得を試みてなんとか落ち着かせ、ようやくその場は収まった。
その後、コーデリアさんと茶飲み話しに楽しく咲かせていると、それをぶち壊すように司祭のズビシェク・アベスカがまたしても闖入し、反省? ナニソレ美味しいの? とばかりに高圧的に意味不明なことを喚き、今度は本当に面倒になったのか無属性魔法である魔力弾の直撃を喰らってやっぱり廊下の反対側まですっ飛ばされた。
そしてそれを気遣ったりそうされたことを諫めるものは誰もおらず、逆に汚物を見るかのように引っ繰り返って延びている彼を眺めるだけであったという。
白金色の髪を掻き揚げて、ズビシェクを蔑むように一瞥するシェリーを、一部の修道士や神殿兵が尊敬と憧憬と熱狂が入り混じった視線を向けてハァハァしていたのだが、その手の連中に慣れちゃっている彼女は、其方に一瞥すら与えす部屋に引っ込んで行った。
そうしたところで――
「聖女シェリー様……なんと美しい……」
「まるで天より降り立った女神のようだ……」
「いや、聖女様はきっと女神の生まれ変わり、いや、女神の化身なのだ。絶対にそうだ」
「表情を一切崩すことなく数多の魔法を展開するそのお姿……ああ、尊い……」
「時に無慈悲であるが、それがまさしく女神様……」
「は? 何を言っているんだ? あれは無慈悲なんかじゃない! 我らに与えたもうた御褒――慈悲なのだ!」
「いやでも物理的に踏んだり蹴ったりは無慈悲じゃ……」
「バカかお前。あれこそ御褒び――慈悲であろう! その証拠に、踏まれた俺は全然痛くなかったぞ! むしろ気持ちぃ――」
「そう、冷たい蔓に縛られた上で軽く衝撃が来る程度に踏まれたあの瞬間、私はこの世に生を受けて初めて『生きている』実感があった……」
「全く以てその通り! ボクも踏まれたが全然痛くなかった! そしてそのときに目に焼き付いた内モモが……がふぅ! いかん、またしても鼻から赤い汗が……」
「な! 内モモだとぅ!? 貴様! なんと羨ま怪しからんことを! 不敬であるぞ! 万死に値す――」
「ああ、俺も目に焼き付いて離れない……女性的に柔らかそうな……だが無駄のないハムストリングス……あれこそまさに、まさにまさにまさにまさにまさに! 女神のフトモモ!!」
「そればかりではなく、折れそうに細い足首から延びる女性らしい柔らかそうなふくらはぎ……腓腹筋とヒラメ筋の絶妙なバランスが素晴らしいのです! 可能であるなら、死ぬまでにもう一度踏んで欲しいのです!」
「筋肉も良いが、踏まれる度に動く綺麗な膝も、膝蓋骨も堪らないのです。まさに完璧な、美しい御御足……踏まれるだけで天上に居るかの如き甘美な感覚に包まれるのです……」
更に色々な拗らせを誘発させるだけであった。
魔力の過不足が一切なく全て事象変換に行使されている。なんと、美しい魔法だ……!
部下がたった一人の少女にやり込められていることや、本来であればその場で最も地位が高いため責任者としてなにがあろうと残らねばならない筈の司祭が、誰よりも先に脱兎の如く逃走している事実より、その少女が展開している魔法に目を奪われる枢機卿――アーリンであった。
不純物が一切混じることない素晴らしくも美しい氷魔法で展開される、水晶もかくやとばかりに鋭く輝く〝氷槍〟はまさに芸術。
そして光を受けて輝く美しいそれは、純水で構成されているためその鋭さは折り紙付きであり、一度放たれればその全てを貫いてしまうだろう――
「〝 強制詠唱破棄〟」
流石に其処で我に返ったアーリン。慌ててその魔法を強制破棄させようとするのだが、
「〝対抗術式〟」
〝 強制詠唱破棄〟の上位互換魔法である、全ての魔法を相殺するそれを無詠唱の即時展開で放ち、
「〝射出〟」
更に半ばまで強制破棄された筈の氷槍を、瞬時に修復して連弾で射出して来た。
それらは全て一直線にアーリンへと襲い掛かり、彼は慌てて魔法障壁を展開する。
ちなみに魔法障壁は、任意の方向へと魔力を集中させて放つものであるため、厳密には魔法ではなく、魔力を有する者であれば訓練次第で誰でも出来る技術だ。
放たれた〝氷槍〟はアーリンの魔法障壁に直撃し、ベシャっと潰れた。
――え?
それを弾く気満々であったアーリンは、想像と違う結果に一瞬呆然とし、そしてそれが致命的な隙となって続く〝氷槍〟という体の〝水球〟にそれをあっさり砕かれ、夏の飲料水には最適な、ビックリするほど冷えまくっている冷水を全身に喰らいまくって吹っ飛ばされる。
だがそれで終わりではなく、
「ついでに〝静電撃〟」
あろうことか気魔法の初級である、一瞬だけだがパチっと感電させるそれまで放って来た。
本来であればその魔法は子供の悪戯程度の威力しかなく、実戦で使えるほどのものではない。
だが聖女――シェリーは理解していた。というか母親から教えられていた。
それでパチっとしか感じないのは、生態を含む全てには電気に対しての抵抗があるからであり、それを取り除いてしまえばパチっと感じるどころではないということを。
よって通電し易い水を、更にいえば電気抵抗が低くなるように温度を液体を保つ極限までに下げてぶっ掛けられればどうなるか、結果は火を見るより明らかである。冷水だけど。
余談だが、氷部分は不純物がない純水で構成されていたが、中の水は其処まで気を使って生成したわけではないため絶縁効果は一切ない。
まぁシェリーもそこまで考えてそんなことをしたわけではなく、表面のみそうした方がハッタリが効くとかその程度しか考えていなかったりする。
だがそもそもな話し、表面を氷で覆って〝氷槍〟と同じ形に偽装した〝水球〟を展開すること自体、非常識で規格外なのだが。
『枢機卿猊下ぁ!』
〝水球〟と〝静電撃〟のコンボを喰らって吹っ飛ばされ、次いでビクンビクンしているその森妖精を目の当たりにして、神殿兵や修道士が異口同音に叫ぶ。
うん、素晴らしい節奏調和。流石は事ある毎に讃美歌を歌っているだけあって、見事なものである。
などと若干どころか相当失礼なことを考え、そして――
「じゃあそんなワケで。お疲れさまでした~」
何事もなかったかのように肩掛け鞄を襷掛けにして、茶請けに出されていた個別包装されているパウンドケーキをちゃっかりしまい込み、やっぱり何事もなかったかのようにそそくさとその場を去ろうとするシェリー。
だが――
「お待ち下さい!」
それをコーデリアが制止した。
うん、まぁそうだよね。舌打ちを一つ、シェリーが独白する。明らかにやり過ぎたし暴れ過ぎた。此処までやらかして「帰ります」と言われたって、「はいそーですか」などと言う奴は誰もいないであろう。
これは賠償金案件かなー。それとも訴訟問題になる? 神殿が相手となると、トレヴァーさんじゃなくてヒューさんにお願いした方がいいかな。変態なヤツだけど一応は特級な国法士だから、神殿相手は役不足ってことはないだろうし。あ、そうなると報酬はどれにしよう?
などと次の展開を予想し、そしてそれに対してどう動くのが最適解なのかを脳内で想定分析する。
報酬云々に関しては、気にしない方が良いだろう。好きか嫌いかで言えば、シェリーが差しだすそれならば間違いなく彼は胸を張って「好きだ!」と断言するだろうし。
だがそんな最悪な想定などよりも、次に発せられたコーデリアの言葉はそれの遥か斜め上を行っていた。
「そのパウンドケーキは消費期限が本日のみとなっておりますので、ご注意下さい。それと食べるときは温めてから、バターを添えてメイプルシロップをたっぷり掛けるとより美味しく頂けます。尚これと同じ商品は、お帰りの際に聖ヴィレーム橋を渡りますと『ハーネス』というオープンカフェがありますので、数量限定とはなりますが其処で取り扱っています。ああ、でもこの時間ではもう販売終了となっていますね。ですがそれ以外にも、多少日持ちしますマドレーヌやスコーン、ビスコッティなどや、それなりに保存も効くガレットやバター飴も取り扱っておりますので、宜しければご利用下さい」
「え? あ、はい」
何処の販売員なのだろうかとばかりに、修道院で製造している諸々の売り込みをする、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさん。元商家の娘は伊達ではないようだ。
「ん?『ハーネス』?」
そんなコーデリアの売り込みに若干気圧されながら、だがそのオープンカフェの店名が引っ掛かるシェリー。思わず復唱すると、コーデリアさんはとっても素敵な笑顔で、
「あ、気付きました? 実は私の両親が経営しています。御贔屓にして頂けたら幸いです」
……そういえば、借金の形に身売りさせられそうになったとは言ったが一家離散したとは言っていない。そしてちゃっかりグレンカダムを離れ新天地で成功していたとか、なんというか凄く逞しい人達だ。もっとも商人とはそれくらいの気概がなければやっていられないのだろう。
借金をこさえて首が回らなくなり、あろうことかまだ未成年であった娘へそれを擦り付けて失踪した戸籍上の父親を夢想し、軽く殺意を覚えるシェリーであった。まぁ、どうせ今頃は何処ぞで野垂れているであろうが。
それはともかくとして、てっきり出て行こうとするシェリーを静止するのだろうと思っていたコーデリアが、それをせずにあろうことか提携店の宣伝をし始めている様を目の当たりにして、言葉を失う一同。
提携店の売り上げが伸びれば、確かにそれだけ神殿側の増収にも繋がり良いことなのだろうけど、だが現状なにかが違う。
追加でそう考えたのか、苦悩する一同であった。
いや其処は突っ込むところじゃないの? そう思うシェリーだが、わざわざ言ってやるほどお人好しではない。
そしてその隙を逃さず、逃げるように――事実逃げているのだが――その場を後にしようとするシェリー。
しかしいつまでも惚けている筈のない神殿兵が立ち塞がり、背負っている大盾を構えて並び、立ち塞がる。
おお、亀甲隊列。その隊列を見て、シェリーは独白しつつ感心した。
最初からバラけないでそうしていたのなら、いくら魔法に一家言持ちなシェリーといえども先程のような戦法は取れなかったであろう。
だがそれは、そうすることでお手上げになるということではなく、あくまで同じ戦法が取れないというだけであり、裏を返すまでもなく別を選択していたであろう。
更に言うなら――
「〝二重詠唱〟〝冷却〟〝激流〟」
「だにぃ!?」
「ごふぅ! 耐えろ、耐えるんだがぼべ――」
「ぐひゃあ! 流れる、流されるぅ――」
「水流凄ぇ! ビシビシ当たって痛ぇ!」
「いや冷てぇよやっぱり痛ぇよ!」
そんな密集陣形をとっていたら、ちょっとした範囲魔法で一網打尽である。
そしてそれを一切の躊躇なく、冷めた表情と冷たい視線を向けて実行するシェリー。
まぁ考えてもみれば、言葉巧みに部屋に連れ込みなにかをしようとした時点で、常識的にも倫理的にもアウトである。よって抵抗されて酷い目に遭おうが知ったことではな――
「ああ……冷たい、痛い……んぎぼじいいぃぃ!」
「この全身を隈なく包む冷た痛さが堪りません! もっとして女王さ――」
「ああ、その汚いゴミを見るような視線が堪りません! もっと、もっとソレを下さい女お――」
「流される流されるぅ! ゴミなボクちん流されるううぅぅぅぅぅ!」
――酷い目に遭おうが、断じて知ったことではないのだ。
亀甲隊列でにじり寄る予定であった神殿兵を一蹴し終え、
「――詠唱破棄」
それを水滴一つ残さず破棄すると、シェリーは自分を見て畏怖する皆を俯瞰し、油断せずに、だが悠々と廊下を歩き出す。
なにかを期待してキラキラした目で見上げる奴らのことなど気にしない。というか全力で無視する。
途中で何故か、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさんの手を自然に取っているのは、きっと案内させる心算なのだろう。
決してお持ち帰りしようなどとは、断じて思ってはいない。それは己が矜持に賭けて誓おう。
ただ――
うっかり連れて帰っちゃったよどうしようテヘペロ。来ちゃったもんはしょうがない。責任取るから此処にいようよ。
よし! これで行こう!
とか犯罪者のような計画を練るシェリーであった。
「待ちなさい、聖女よ」
そんなことをスケベジジイよろしく夢想するシェリーを、いつの間にか復活している枢機卿猊下が、修道士にキャソックスに付いた埃を払わせながら呼び止める。
その威厳に満ちた声と口調を前に、従わないものは誰もいない。枢機卿の肩書は伊達ではないのだ。
その発せられた言葉の通りにシェリーの足が止まり、その反応にご満悦になる枢機卿猊下。そして更に言葉を重ね、宥めようとする。
「突然このような扱いをされて混乱するのは理解出来る。だが君にとっても悪い話しで――」
「『待ちなさい』ですって?」
そんな枢機卿の言葉など皆まで聞かず、更に言うなら聞く筈もなく、掴んでいたコーデリアの手を離して正面から見据える。
「随分とまぁ熟れた命令口調じゃあないの。アンタくらいの地位だと言われたまま全てが従うとでも思っているのでしょうね。そりゃあそうよね、それだけは理解出来るわ。地位ある一廉の人物にそんなことを言われたのなら、一般的な社会生活を営んでいる人達なら思わず従うでしょうよ。ええ、ええ、それは間違いないわよ。大正解」
シェリーの白金色の髪が波打ち、その全身が僅かに白色に輝き始める。
「でもね、私もお母さんもお父さんも、そんなときには必ずこう言ってやるの」
それは明らかにとある魔法の効果であるのだが、シェリーはそれを発動させる「詠唱」も、効果を決定付ける「呪文」も口にしていない。
「『だからどうした』」
ちなみに詠唱は魔法を正確に発動させるための、韻を踏んだ読経のようなもので、呪文はその効果を決定付けるものであると、一般的に謂れている。
詳細は不明であるのだが、魔法に熟達すると詠唱は不要となり、呪文だけで発動可能だ。そしてそれは、いわゆる「無詠唱」と呼ばれている。
多くの魔法使いは、詠唱と呪文は絶対に必要なものであり、一部の才能と才覚ある者のみが「無詠唱」を習得出来ると教えられていた。
だが実際はそんなことはなく、確かに複数の属性や高度な魔法の習得にはそれなりの才能が必要ではあるが、それ自体はそれほど難しいわけではない。
全ての技術の習得に必要な最も重要な事項は「反復」であり、魔法も技術の一つである限りそれは変わることなどないのだ。
ただ稀に、純粋に才能のあるものにしか習得出来ないとされている魔法技術は、確かに存在する。
それは、魔力操作のみで術者が思い描き期待する効果を再現し発現させる、記憶に完全依存した魔法技術であり、その名称は――実は無かったりする。
更にいうなら、その技術自体が異端とされ否定されているのだ。
何故ならそれは、それを享受出来ない者どもにとっては明らかに都合の悪い技術であり、当然それらを教授出来る筈もない。
もっともそれはシェリー自身でも出来ることではなく、その技術を言語化して教授出来ていたのは、知る限りではただ一人だけ。
非公式ではあるが〝魔法女王〟の二つ名を持つ魔女、エセル・アップルジャック。
その道を極めんと切磋し琢磨する者どもが、挙って羨望し嫉妬し、そして憧憬を抱いた、若くして逝去した偉大な魔法使い。
本人は、そんな「『ちゅうに』臭い」二つ名は嫌だと、全霊で拒否して否定していたが。
そんなトンデモ技術を事も無げに、なんでもない当り前であるかのように発動する。だがそのシェリーを慄きながら、だが視線を外したら命がないとでも思っているのか、その場の全ての者がその一挙手一投足から目が離せない。
「おお……美しい……」
だがそんな中、シェリーが発動したそれを正しく理解した枢機卿アーリンが、危機的状況であるにもかかわらず恍惚の表情でそんな呟きを漏らした。
流石は枢機卿。どうやらそれがどのようなもので、そしてどれほど高度で難解な技術であるかを理解してい――
「なんだか良く判らんが、可視化されるほどの凄まじく高濃度な魔力が見事に練り上げられて行く。ああ……それに煽られ恰も意思があるかの如く波打つ白金色の髪と、魔力と光の加減で色彩が変化する翠瞳が堪らなく美しい……。流石は聖女、なんと素晴らしい魔法だ……」
――理解していなかったようである。彼が感動していた対象は、どうやらシェリーの容姿と魔力とその操作技術であるらしい。
「うくぅ! 聖女のフトモモが……はぅあ!? 白いのがちょっとだけみ、見え――はふうぅぅぅ……ぐは、鼻から赤い汗が!」
訂正。
追加でナニかが見えてしまったようで、禁欲生活が長期に渡っているためそーゆー免疫が決定的に不足している枢機卿や修道士、そして神殿兵も同じように、いや、それ以上に、前方を正視出来なくなったり何故か前のめりに前屈みに立てなくなったり出血の継続損傷を勝手に受けたりと、ある意味での状態異常に陥ってしまい、その場で動ける者が誰一人として存在しなくなってしまった。
結局、シェリーが発動して周囲に撒き散らしている〝放電〟の効果を巧みに魔法障壁で防ぎつつ、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のコーデリアさんが説得を試みてなんとか落ち着かせ、ようやくその場は収まった。
その後、コーデリアさんと茶飲み話しに楽しく咲かせていると、それをぶち壊すように司祭のズビシェク・アベスカがまたしても闖入し、反省? ナニソレ美味しいの? とばかりに高圧的に意味不明なことを喚き、今度は本当に面倒になったのか無属性魔法である魔力弾の直撃を喰らってやっぱり廊下の反対側まですっ飛ばされた。
そしてそれを気遣ったりそうされたことを諫めるものは誰もおらず、逆に汚物を見るかのように引っ繰り返って延びている彼を眺めるだけであったという。
白金色の髪を掻き揚げて、ズビシェクを蔑むように一瞥するシェリーを、一部の修道士や神殿兵が尊敬と憧憬と熱狂が入り混じった視線を向けてハァハァしていたのだが、その手の連中に慣れちゃっている彼女は、其方に一瞥すら与えす部屋に引っ込んで行った。
そうしたところで――
「聖女シェリー様……なんと美しい……」
「まるで天より降り立った女神のようだ……」
「いや、聖女様はきっと女神の生まれ変わり、いや、女神の化身なのだ。絶対にそうだ」
「表情を一切崩すことなく数多の魔法を展開するそのお姿……ああ、尊い……」
「時に無慈悲であるが、それがまさしく女神様……」
「は? 何を言っているんだ? あれは無慈悲なんかじゃない! 我らに与えたもうた御褒――慈悲なのだ!」
「いやでも物理的に踏んだり蹴ったりは無慈悲じゃ……」
「バカかお前。あれこそ御褒び――慈悲であろう! その証拠に、踏まれた俺は全然痛くなかったぞ! むしろ気持ちぃ――」
「そう、冷たい蔓に縛られた上で軽く衝撃が来る程度に踏まれたあの瞬間、私はこの世に生を受けて初めて『生きている』実感があった……」
「全く以てその通り! ボクも踏まれたが全然痛くなかった! そしてそのときに目に焼き付いた内モモが……がふぅ! いかん、またしても鼻から赤い汗が……」
「な! 内モモだとぅ!? 貴様! なんと羨ま怪しからんことを! 不敬であるぞ! 万死に値す――」
「ああ、俺も目に焼き付いて離れない……女性的に柔らかそうな……だが無駄のないハムストリングス……あれこそまさに、まさにまさにまさにまさにまさに! 女神のフトモモ!!」
「そればかりではなく、折れそうに細い足首から延びる女性らしい柔らかそうなふくらはぎ……腓腹筋とヒラメ筋の絶妙なバランスが素晴らしいのです! 可能であるなら、死ぬまでにもう一度踏んで欲しいのです!」
「筋肉も良いが、踏まれる度に動く綺麗な膝も、膝蓋骨も堪らないのです。まさに完璧な、美しい御御足……踏まれるだけで天上に居るかの如き甘美な感覚に包まれるのです……」
更に色々な拗らせを誘発させるだけであった。