水晶という鉱物は色素が混入していない限り無色透明であり、そして、魔力を通すことで十一種の色を放つ魔水晶も、その例外ではない。
魔水晶に浮かび上がる色は、それに触れた者によって種々様々な色を放ち、人それぞれに個性があるのと同じく、限りなく近い色はあるものの、誰一人として同一になることはない。
ベン・リアック神殿が建立された当時から其処に住まう、百余年前から神殿を牛耳っていると自負するアーリン・ティム・ジンデル枢機卿は、年に二度行われる〝齢の儀〟に集まった人々がそれに触れることで様々な色に染まり、そして発現する幾通りもの結果によって一喜一憂する様を見物するのが楽しみであり、そして今もテラスに用意させた座り心地の良いふかふかソファに独りで座ってふんぞり返り、その変化を楽しんで――
「ふん、あの程度の魔力しかないのか。今回も不作だな。だがそれは仕方のないこと。ワタシのように神に愛され魔法の才に恵まれたものなど、そうそういるものではないからな」
――愉んでいた。
そんな独りで勝手に愉悦に浸っている、若干どころか結構性格が悪い枢機卿猊下は、懐から懐中時計を取り出してその時計盤へ目を遣り、そろそろ終わりであろうと下を覗き込む。
そして――ある意味で運命の相手であろう自分を見上げている一人の少女と、幸か不幸か目が合った。
いや、合ってしまった。
『森妖精であるワタシの美貌に見惚れているのだろう。そうに違いない』
そんな自惚れ全開で見当違いなことを考え、鏡に映る己を見ながら幾度となく――いや、すでにそれが日課となっている鍛錬し研鑽された笑顔を浮かべて見詰め返す。
大抵の女性はそれだけで頬を染めて恥じらうものだ。少なくとも、枢機卿猊下は常々そう思っており、そしてそれが当然だと信じて疑えずにいた。
――だが。
その少女は猊下の百戦錬磨の微笑みを直視した瞬間、穢らわしいなにかを目撃してしまったかのように、そりゃあもう盛大に表情を歪め、そしてさっさと視線を逸らしてしまった。
そのあまりといえばその通りな反応に驚き、だが自分を見詰めた明らかに他と一線を画す視線にちょっとゾクゾクしちゃった猊下。新たに特殊な扉を開いて気持ち良くなっちゃったらしい。
俄然その少女に興味が湧く。
それを向けられる側にしてみれば、確実に迷惑極まりないのだが。
――長寿を誇る森妖精である枢機卿猊下は、その例に漏れずに長く生きており、当然ではあるが様々な経験を重ねているためであろうか、その性癖は特殊であった。
これは当り前なのだが、全ての森妖精が猊下や何処ぞの愛を語る国法士や、やんちゃな王様だったりあらあら系で物理攻撃超特化な最強撲殺女王様なわけではない。
森妖精は本来であれば穏やかな性格であり、良く言えば分け隔てのない平坦な人格者揃いである。悪く言えば他に興味を示さない冷淡な性格であるのだけれど。
まぁ、世界総人口の三割を占めるまでに増えちゃったために、そういう特殊な性癖の持ち主が現れたとしても、なんの不思議もないのは当然だ。
もっともその程度の性癖など、昨今廃業したリンゴ酒を取り扱っていた商会の従業員達の高度で高性能なソレに比べれば、まだ可愛いものである。
それほどその商会の従業員達は優れていたのだ。色々と。
最後の最後でそんな少女と見つめ合えて御満悦な枢機卿猊下は、改めて階下にいる今まさに魔水晶へ触れようとしているその少女――シェリー・アップルジャックを熱っぽく見詰める。
そんな有様な枢機卿猊下を、傍付きの修道士達はやれやれと言わんばかりに、傍にいる筈なのに半眼で見遣り、ほぼ同時に深い深い溜息を吐いた。
どうやらそれは心の距離であるようで、傍付きであるため離れられない分せめてそれだけでも離れようと、もしくは離れていたいという願望の表れであるのかも知れない。
そんな猊下に対して不敬な諸々を気付かれない程度に細々としている修道士達は、だがいつまでもそんな猊下を見るのもイヤ――もとい、そのようにするのはそれこそ不敬であるために、儀式の最後であるだろうその少女の結果を注視する。
俗世との全てを切り離し、神々へとその身全てを捧げる終生請願をしている修道士達も、少なくともおかしな性癖の枢機卿猊下より、目麗しい少女を見ている方が数段マシなのであろう。
そしてその少女が、何故か妙にしっとりしている手で魔水晶に触れたそのとき――
「――魔水晶が……消えた……?」
瞬間的にその魔水晶があるべき場所に、ポッカリと漆黒の穴が空いた。
少なくともその現象を目撃したその場にいる全ての者は、それをそのようにしか認識出来なかった。
それほどそれは、怪奇で不可解であったのである。
実際に魔水晶は消えてはおらず、その形を保ったままその場から僅かも動いていない。
本来であればどのような色であっても――例えそれが黒であっても、光を受けて反射し輝く筈の魔水晶が、その光すら呑み込み一切の輝きを発しないという事態は、明らかに異常であるとしかいえないのだ。
黒より黒い漆黒――ベンダブラックに染まる魔水晶を目の当たりにして、騒然とすらせずただ言葉を失う一同を尻目に、アーリン・ティム・ジンデル枢機卿はいち早く我に返り、
「聖女だ……」
立ち上がりながらそう呟き、次いで声高々に、
「――聖女が顕現された!」
滂沱の涙を落としながら、その両手を広げて宣言した。
――で。
そんな意味不明な宣言をされちゃったシェリーはというと、ベンダブラックに染まった魔水晶を目の当たりにして、
『うわぁ、腹の色まで出ちゃうのコレ?』
腹黒な自覚があるのか、そんな的外れなことを考えており、だがその現象に驚き思わず尻餅を付いてしまっている、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんへ目を向け、捲れているスカートの奥を視界に収めて心情的にサムズアップする。
清楚な白だけど凝ったレース生地で紐っていうギャップが唆る。なによりスパッツを着けずに生足というのがポイントが高いわ! 生足バンザイ!
そんなことを考えるシェリー。明らかにエロオヤジ的発想である。そして確実に、元従業員どもの悪影響が如実に出ていた。
そんなアホなことを考えながらも、魔水晶に直で魔力を流し続けるシェリー。その遠慮もなにもあったものではない行為に、ちょっとミシミシミチミチいっているのは聞こえなかったことにする。
そういえば――シェリーはふと思い出した。
まだ五歳くらいであった頃に母親から聞いたことだが、故あって水晶球を手に入れたことがあり、魔力を込めれば様々な効果あるらしいと聞いて興味が湧いた母親は、試してみようと思いっ切り流してみたところ、それが壊れるでも弾けるでもなく砂となり崩れ落ちたそうな。
――あ、これ拙いヤツだ。
夢想から我に返るシェリー。此処で魔水晶を壊してしまったら、その賠償金はとんでもない額になるであろう。
そう判断し、同時に脳内でJJ謹製の算盤を弾く。こんなところで負債を抱えるなど真っ平御免である。
そんなちょっとズレた思考の後、なにやら頭上で喚いていたなぁと思いながら見上げると、例の穢らわしい視線の、多分枢機卿が立ち上げっており、両手を広げてメッチャ泣きながら大騒ぎしているのが目についた。
うわ! 気持ち悪い!
「キモい」ではなくシェリーは素直にそう思い、思わず更に魔水晶へと魔力を流す。すると今度は共振し始め、ミシミシミチミチがメキャメキョと軋みだし、やっとそれに気付いて慌てて手を離した。
それによりその共振はすぐに収まったのだが、漆黒に染まった魔水晶はそのままである。あと少し遅かったなら、きっとそれはちょっと考えたくないような事態になっていたであろう。
これは私の腹が相当黒いという嫌がらせなのかな?
大惨事になりかけた事実から綺麗に目を逸らし、 未だ漆黒に染まっている魔水晶を眺めつつ、そんなことを重ねて考えるシェリー。完全に被害妄想である。
だがいつまでもそんな被害妄想に浸っている余裕などあるわけもなく、これは面倒の予感がすると察したシェリーは、
「お……邪魔しましたー……」
そそくさと襷掛けにしている肩掛け鞄を正してその場を去ろうとする。
だがその判断は既に遅く、枢機卿猊下の宣言を聞いた神父、修道士、修道女を始めとする神殿、教会関係者が一斉に膝を着き、シェリーへと祈りを捧げた。
関係ないが、シェリーより前に儀式を終えた例の母子は、聖堂の門扉付近でその様相に呆然としていたりする。
そして先程シェリーにスカートの中を観察されちゃった、 茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんも同じく呆然としていたが、捲れ上がっているスカートに気付いて慌てて抑えて膝立ちになり、だが訳が分からなかったためとりあえず皆に習って祈りを捧げた。
シェリーが小さく舌打ちをしたのは言うまでもない。
それにしても――そんな有様になっているのに心当たりなど一切ないシェリーは、どうしてこうなったと困惑し、だが先程テラスで変た――じゃなくて枢機卿らしき森妖精が喚いていた言葉を反芻する。
『せいじょ』って言った?
誰を?
私を?
え?
なに?
私が?
私が――『せいじょ』!?
「性女ってどういうことよ! 失礼な!!」
フンガー! と擬音が付きそうなくらいに激昂するシェリー。だがその場にいる聖職者達は、何故にそうなっているのかが判る筈もなく、
「おおおおお落ち着き下さい聖女様」
慌てて宥める、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さん。
だがいくらシェリー好みの彼女でも、明らかに侮辱されたと勘違いしているシェリーの怒りが収まるわけもなく、
「だから! 誰が性女よ!『様』付けしたって意味は一緒でしょうが失礼な!」
確かに一緒である。字面と意味が違うだけで。
そして何故にそこまで怒り狂っているのか判らない一同は、戸惑い全開で呆然としていた。
「落ち着きなさい、少女――いや、聖女よ」
そんな中、事の成り行きを見守っていた枢機卿猊下が、テラスからシェリーを見降ろし厳かにそう言い――
「だーかーらー! 誰が性女よ! 失礼にも限度ってものがあるでしょ! なんなの? 此処ってヒトを莫迦にして楽しむ儀式でもあるの!? ヒトを蔑めるのも仕事のウチなの!?」
「いや、蔑めているわけではないし、そうは言っていないが……」
「自覚もなく言っているんじゃあ尚タチが悪いわよ!」
「えええええぇぇぇぇぇぇ……」
だがそんな地位ある人物からのお言葉に畏るほど殊勝なわけでも気弱なわけでもなく、一五歳にして魑魅魍魎が住まうと揶揄される会頭どもが集う商工会に通い詰め、互角以上に遣り合った実績持ちのシェリーが黙っているわけなどない。
世間一般じゃあ『聖女』って蔑称だっけ? シェリーのあまりな激昂ぶりに、思わずそんなことを考え始める枢機卿猊下。百余年も俗世から離れていたために、現在の風潮に疎い自覚は確かにある。
階下で地団駄を踏み、
「危のうございます。そんなに暴れては――」
「誰が変態だ!!」
「言ってない!」
今にも暴れ出さんとして、茶系金髪で青い瞳の、 眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんとそんなことを言い合っている少女へ視線を落として溜息を吐き、枢機卿猊下は戸惑い全開な神殿関係者へ、未だ僅かに残っている礼拝者に帰って貰うように指示を出し、更にシェリーを別室へと案内するように言い付ける。
「落ち着いて下さい聖女様! 何故そのようにぷんすこ怒っていらっしゃるのですか!?」
「まだ性女言うか! そんなに何回も性女性女言われたら誰だってぷんすこ怒るわよ! ……ていうか表現可愛いわね貴女。お持ち帰りしたいわ~」
「なんで!?」
視線が瞬時にエロオヤジ化するシェリーに身の危険を感じる、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんは即座に距離を取りたくなったが、階上でこちらを見降ろしている枢機卿猊下の手前それも出来ず、その指示に従い泣きそうな顔で、ペタペタお触りして来るシェリーを神殿の奥へと案内して行った。
――この日、建立より絶やすことなどなかったベン・ネヴィス教会の灯が、初めて途絶えた。
――ところで。
「いやー、凄かったですねぇ。最後の女の子。あ、聖女様ですか」
「ですねー。まさか魔水晶が真っ黒に染まるなんて。ワタクシ初めて見ましたわ」
「十一種の属性全てに適性があればそうなるらしいですよ。見ることが出来てワタシは幸せです」
「黒に近い色がいままで数名は居られて、その全てが聖者、もしくは聖女となられたらしいですね」
「では我らは世紀の瞬間に立ち会えたのですね」
「そうなります。なんという幸運……あら、魔水晶に汚れが……手形が付いていますね。何方かが緊張のあまり手に汗を握っていたのでしょうか?」
「無理もないことです……ってなかなか落ちませんねこの汚れ。なんでしょうか、乳液のような……」
「あら? 魔水晶の輝きが僅かに歪んでいるような……中に傷があるような……」
「いえいえ、まさかそんなことがあるわけ――」
神殿の片付けと清掃をしている小間使い達は、そんな談笑をしていたそうな。
魔水晶に浮かび上がる色は、それに触れた者によって種々様々な色を放ち、人それぞれに個性があるのと同じく、限りなく近い色はあるものの、誰一人として同一になることはない。
ベン・リアック神殿が建立された当時から其処に住まう、百余年前から神殿を牛耳っていると自負するアーリン・ティム・ジンデル枢機卿は、年に二度行われる〝齢の儀〟に集まった人々がそれに触れることで様々な色に染まり、そして発現する幾通りもの結果によって一喜一憂する様を見物するのが楽しみであり、そして今もテラスに用意させた座り心地の良いふかふかソファに独りで座ってふんぞり返り、その変化を楽しんで――
「ふん、あの程度の魔力しかないのか。今回も不作だな。だがそれは仕方のないこと。ワタシのように神に愛され魔法の才に恵まれたものなど、そうそういるものではないからな」
――愉んでいた。
そんな独りで勝手に愉悦に浸っている、若干どころか結構性格が悪い枢機卿猊下は、懐から懐中時計を取り出してその時計盤へ目を遣り、そろそろ終わりであろうと下を覗き込む。
そして――ある意味で運命の相手であろう自分を見上げている一人の少女と、幸か不幸か目が合った。
いや、合ってしまった。
『森妖精であるワタシの美貌に見惚れているのだろう。そうに違いない』
そんな自惚れ全開で見当違いなことを考え、鏡に映る己を見ながら幾度となく――いや、すでにそれが日課となっている鍛錬し研鑽された笑顔を浮かべて見詰め返す。
大抵の女性はそれだけで頬を染めて恥じらうものだ。少なくとも、枢機卿猊下は常々そう思っており、そしてそれが当然だと信じて疑えずにいた。
――だが。
その少女は猊下の百戦錬磨の微笑みを直視した瞬間、穢らわしいなにかを目撃してしまったかのように、そりゃあもう盛大に表情を歪め、そしてさっさと視線を逸らしてしまった。
そのあまりといえばその通りな反応に驚き、だが自分を見詰めた明らかに他と一線を画す視線にちょっとゾクゾクしちゃった猊下。新たに特殊な扉を開いて気持ち良くなっちゃったらしい。
俄然その少女に興味が湧く。
それを向けられる側にしてみれば、確実に迷惑極まりないのだが。
――長寿を誇る森妖精である枢機卿猊下は、その例に漏れずに長く生きており、当然ではあるが様々な経験を重ねているためであろうか、その性癖は特殊であった。
これは当り前なのだが、全ての森妖精が猊下や何処ぞの愛を語る国法士や、やんちゃな王様だったりあらあら系で物理攻撃超特化な最強撲殺女王様なわけではない。
森妖精は本来であれば穏やかな性格であり、良く言えば分け隔てのない平坦な人格者揃いである。悪く言えば他に興味を示さない冷淡な性格であるのだけれど。
まぁ、世界総人口の三割を占めるまでに増えちゃったために、そういう特殊な性癖の持ち主が現れたとしても、なんの不思議もないのは当然だ。
もっともその程度の性癖など、昨今廃業したリンゴ酒を取り扱っていた商会の従業員達の高度で高性能なソレに比べれば、まだ可愛いものである。
それほどその商会の従業員達は優れていたのだ。色々と。
最後の最後でそんな少女と見つめ合えて御満悦な枢機卿猊下は、改めて階下にいる今まさに魔水晶へ触れようとしているその少女――シェリー・アップルジャックを熱っぽく見詰める。
そんな有様な枢機卿猊下を、傍付きの修道士達はやれやれと言わんばかりに、傍にいる筈なのに半眼で見遣り、ほぼ同時に深い深い溜息を吐いた。
どうやらそれは心の距離であるようで、傍付きであるため離れられない分せめてそれだけでも離れようと、もしくは離れていたいという願望の表れであるのかも知れない。
そんな猊下に対して不敬な諸々を気付かれない程度に細々としている修道士達は、だがいつまでもそんな猊下を見るのもイヤ――もとい、そのようにするのはそれこそ不敬であるために、儀式の最後であるだろうその少女の結果を注視する。
俗世との全てを切り離し、神々へとその身全てを捧げる終生請願をしている修道士達も、少なくともおかしな性癖の枢機卿猊下より、目麗しい少女を見ている方が数段マシなのであろう。
そしてその少女が、何故か妙にしっとりしている手で魔水晶に触れたそのとき――
「――魔水晶が……消えた……?」
瞬間的にその魔水晶があるべき場所に、ポッカリと漆黒の穴が空いた。
少なくともその現象を目撃したその場にいる全ての者は、それをそのようにしか認識出来なかった。
それほどそれは、怪奇で不可解であったのである。
実際に魔水晶は消えてはおらず、その形を保ったままその場から僅かも動いていない。
本来であればどのような色であっても――例えそれが黒であっても、光を受けて反射し輝く筈の魔水晶が、その光すら呑み込み一切の輝きを発しないという事態は、明らかに異常であるとしかいえないのだ。
黒より黒い漆黒――ベンダブラックに染まる魔水晶を目の当たりにして、騒然とすらせずただ言葉を失う一同を尻目に、アーリン・ティム・ジンデル枢機卿はいち早く我に返り、
「聖女だ……」
立ち上がりながらそう呟き、次いで声高々に、
「――聖女が顕現された!」
滂沱の涙を落としながら、その両手を広げて宣言した。
――で。
そんな意味不明な宣言をされちゃったシェリーはというと、ベンダブラックに染まった魔水晶を目の当たりにして、
『うわぁ、腹の色まで出ちゃうのコレ?』
腹黒な自覚があるのか、そんな的外れなことを考えており、だがその現象に驚き思わず尻餅を付いてしまっている、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんへ目を向け、捲れているスカートの奥を視界に収めて心情的にサムズアップする。
清楚な白だけど凝ったレース生地で紐っていうギャップが唆る。なによりスパッツを着けずに生足というのがポイントが高いわ! 生足バンザイ!
そんなことを考えるシェリー。明らかにエロオヤジ的発想である。そして確実に、元従業員どもの悪影響が如実に出ていた。
そんなアホなことを考えながらも、魔水晶に直で魔力を流し続けるシェリー。その遠慮もなにもあったものではない行為に、ちょっとミシミシミチミチいっているのは聞こえなかったことにする。
そういえば――シェリーはふと思い出した。
まだ五歳くらいであった頃に母親から聞いたことだが、故あって水晶球を手に入れたことがあり、魔力を込めれば様々な効果あるらしいと聞いて興味が湧いた母親は、試してみようと思いっ切り流してみたところ、それが壊れるでも弾けるでもなく砂となり崩れ落ちたそうな。
――あ、これ拙いヤツだ。
夢想から我に返るシェリー。此処で魔水晶を壊してしまったら、その賠償金はとんでもない額になるであろう。
そう判断し、同時に脳内でJJ謹製の算盤を弾く。こんなところで負債を抱えるなど真っ平御免である。
そんなちょっとズレた思考の後、なにやら頭上で喚いていたなぁと思いながら見上げると、例の穢らわしい視線の、多分枢機卿が立ち上げっており、両手を広げてメッチャ泣きながら大騒ぎしているのが目についた。
うわ! 気持ち悪い!
「キモい」ではなくシェリーは素直にそう思い、思わず更に魔水晶へと魔力を流す。すると今度は共振し始め、ミシミシミチミチがメキャメキョと軋みだし、やっとそれに気付いて慌てて手を離した。
それによりその共振はすぐに収まったのだが、漆黒に染まった魔水晶はそのままである。あと少し遅かったなら、きっとそれはちょっと考えたくないような事態になっていたであろう。
これは私の腹が相当黒いという嫌がらせなのかな?
大惨事になりかけた事実から綺麗に目を逸らし、 未だ漆黒に染まっている魔水晶を眺めつつ、そんなことを重ねて考えるシェリー。完全に被害妄想である。
だがいつまでもそんな被害妄想に浸っている余裕などあるわけもなく、これは面倒の予感がすると察したシェリーは、
「お……邪魔しましたー……」
そそくさと襷掛けにしている肩掛け鞄を正してその場を去ろうとする。
だがその判断は既に遅く、枢機卿猊下の宣言を聞いた神父、修道士、修道女を始めとする神殿、教会関係者が一斉に膝を着き、シェリーへと祈りを捧げた。
関係ないが、シェリーより前に儀式を終えた例の母子は、聖堂の門扉付近でその様相に呆然としていたりする。
そして先程シェリーにスカートの中を観察されちゃった、 茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんも同じく呆然としていたが、捲れ上がっているスカートに気付いて慌てて抑えて膝立ちになり、だが訳が分からなかったためとりあえず皆に習って祈りを捧げた。
シェリーが小さく舌打ちをしたのは言うまでもない。
それにしても――そんな有様になっているのに心当たりなど一切ないシェリーは、どうしてこうなったと困惑し、だが先程テラスで変た――じゃなくて枢機卿らしき森妖精が喚いていた言葉を反芻する。
『せいじょ』って言った?
誰を?
私を?
え?
なに?
私が?
私が――『せいじょ』!?
「性女ってどういうことよ! 失礼な!!」
フンガー! と擬音が付きそうなくらいに激昂するシェリー。だがその場にいる聖職者達は、何故にそうなっているのかが判る筈もなく、
「おおおおお落ち着き下さい聖女様」
慌てて宥める、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さん。
だがいくらシェリー好みの彼女でも、明らかに侮辱されたと勘違いしているシェリーの怒りが収まるわけもなく、
「だから! 誰が性女よ!『様』付けしたって意味は一緒でしょうが失礼な!」
確かに一緒である。字面と意味が違うだけで。
そして何故にそこまで怒り狂っているのか判らない一同は、戸惑い全開で呆然としていた。
「落ち着きなさい、少女――いや、聖女よ」
そんな中、事の成り行きを見守っていた枢機卿猊下が、テラスからシェリーを見降ろし厳かにそう言い――
「だーかーらー! 誰が性女よ! 失礼にも限度ってものがあるでしょ! なんなの? 此処ってヒトを莫迦にして楽しむ儀式でもあるの!? ヒトを蔑めるのも仕事のウチなの!?」
「いや、蔑めているわけではないし、そうは言っていないが……」
「自覚もなく言っているんじゃあ尚タチが悪いわよ!」
「えええええぇぇぇぇぇぇ……」
だがそんな地位ある人物からのお言葉に畏るほど殊勝なわけでも気弱なわけでもなく、一五歳にして魑魅魍魎が住まうと揶揄される会頭どもが集う商工会に通い詰め、互角以上に遣り合った実績持ちのシェリーが黙っているわけなどない。
世間一般じゃあ『聖女』って蔑称だっけ? シェリーのあまりな激昂ぶりに、思わずそんなことを考え始める枢機卿猊下。百余年も俗世から離れていたために、現在の風潮に疎い自覚は確かにある。
階下で地団駄を踏み、
「危のうございます。そんなに暴れては――」
「誰が変態だ!!」
「言ってない!」
今にも暴れ出さんとして、茶系金髪で青い瞳の、 眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんとそんなことを言い合っている少女へ視線を落として溜息を吐き、枢機卿猊下は戸惑い全開な神殿関係者へ、未だ僅かに残っている礼拝者に帰って貰うように指示を出し、更にシェリーを別室へと案内するように言い付ける。
「落ち着いて下さい聖女様! 何故そのようにぷんすこ怒っていらっしゃるのですか!?」
「まだ性女言うか! そんなに何回も性女性女言われたら誰だってぷんすこ怒るわよ! ……ていうか表現可愛いわね貴女。お持ち帰りしたいわ~」
「なんで!?」
視線が瞬時にエロオヤジ化するシェリーに身の危険を感じる、茶系金髪で青い瞳の、眼鏡がとってもよく似合う可愛らしい修道女のお姉さんは即座に距離を取りたくなったが、階上でこちらを見降ろしている枢機卿猊下の手前それも出来ず、その指示に従い泣きそうな顔で、ペタペタお触りして来るシェリーを神殿の奥へと案内して行った。
――この日、建立より絶やすことなどなかったベン・ネヴィス教会の灯が、初めて途絶えた。
――ところで。
「いやー、凄かったですねぇ。最後の女の子。あ、聖女様ですか」
「ですねー。まさか魔水晶が真っ黒に染まるなんて。ワタクシ初めて見ましたわ」
「十一種の属性全てに適性があればそうなるらしいですよ。見ることが出来てワタシは幸せです」
「黒に近い色がいままで数名は居られて、その全てが聖者、もしくは聖女となられたらしいですね」
「では我らは世紀の瞬間に立ち会えたのですね」
「そうなります。なんという幸運……あら、魔水晶に汚れが……手形が付いていますね。何方かが緊張のあまり手に汗を握っていたのでしょうか?」
「無理もないことです……ってなかなか落ちませんねこの汚れ。なんでしょうか、乳液のような……」
「あら? 魔水晶の輝きが僅かに歪んでいるような……中に傷があるような……」
「いえいえ、まさかそんなことがあるわけ――」
神殿の片付けと清掃をしている小間使い達は、そんな談笑をしていたそうな。