煩いわねー。私だって言いたくないことの一つや百個くらいあるのよ。
……あり過ぎだって? なによ、乙女の秘密に文句でもあるの?
――無いならよろしい。
でもね、本当にくっだらない話しなのよ。
これから話すのは、魔法を神聖視し過ぎた、妄執に取り憑かれたヤツに振り回された女の子――まぁ私なんだけど、そのお話し。
ただ他人より魔法の資質が高かったがためだけで、勝手に〝聖女〟と呼ばれて祭り上げられ、そしてその身を教会に尽くすべしと強要された少女のお話し。
――当事者とはいっても、あくまで主観でしか語れないからね。
それを踏まえて、一生懸命に注意深く聞かないでくれると助かるわ――
――*――*――*――*――*――*――
シェリー・アップルジャックは、便宜上アップルジャック商会の四代目になるべくして育ち、だが事実上ではそれの相続を強要されてはいなかった。
初代で曽祖父のニコラスは酒が美味しく飲めれば満足で、商会の存続などには興味がなかったし、二代目で祖父のカルヴァドスも必ず継いで欲しいとは考えていなかった。
そして三代目である父のイヴォンに至っては、継ぐ継がない以前に放蕩が過ぎて正常な経営すら出来ない有様であり、諸事情により妻になっちゃったエセルがいなければ早々に勘当されていたであろう。
事象に「もしも」は存在しないがあえて言わせて貰えば、もしかしたらその方が色々と、経営的にも後に勃発する混沌とした廃業活動も回避出来ていたのかも知れないという点についても、とても良かったのかも知れないが。
そのアップルジャック商会は、初代のニコラスが深酒が祟って他界し、次いで数年後に次代を期待された鬼才で奇才なエセルが列車事故に巻き込まれて事故死した後、立て続けに二代目のカルヴァドスも急逝したため大混乱に陥った。
その混乱を鎮め、解れた紐を紡ぎ直すように束ねたのが、三代目であるイヴォンではなく四代目となる、当時まだ九歳の少女――シェリー・アップルジャックであったのは知っての通りである。
もっともどれほど上手に紐の解れを紡ぎ直したとしても、それが元に戻ることなどある筈もなく、より細くより脆くなるだけであった。
そしてそれに気付けない三代目が、思うまま掻き回した上に用途不明で意味不明な出費を存分に増やし、結果として多額の負債を抱える有様となったのである。
そうしてその結果、三代続いて老舗の仲間入りを果たす筈であったアップルジャック商会は経営破綻し、現在その負債を作り出したイヴォンは消息不明であった。
もっともその負債も、シェリーが法の穴を突いて全てイヴォン個人の資産という体にし、それを理解出来ずに資産を欲した強欲な誰かさんへ「相続」という形で受け取って貰ったが。
そんなこんながあり、また色々な事情で商会をもう一度立ち上げることとなり、商業ギルドへの申請のときにうっかりミスでシェリーは会長になってしまったのである。
もっとも実務は社長のアイザック・セデラーが主導で行いシェリーは口を出さないでノンビリしようと心に誓い、更に公言していた――のだが、任せるとか委託とかそういうことが根っから出来ないシェリーは、結局陣頭に立ってアレコレやり始めてしまっていた。
「ノンビリしよう」という初志貫徹がなっていないシェリーである。
それはともかく。
時期として、商会を立ち上げるより前――
初夏となり、シェリーが一五歳の成人を迎えたある日のこと。
商会が無くなり、そして成人したのにいきなり無職な自宅警備員となり暇を持て余しているシェリーが、自分で淹れた紅茶を楽しみながら、自室でなんとなーく自分宛の封書を整理して見直していると、自身が九歳のときに届いていた封書を見付けた。
そういえばあの頃は、商会の書類整理や現金出納帳の管理、そして商品の仕入れと管理に追われて自分宛の手紙なんて気にする間もなかったなー。
とか茫洋と物思いに耽り、だが、あまりにも聡いシェリーは学校に行く必要もないくらいであったため、同世代と関わる時間が全くと言って良いほどなかった。
そしてその必然として、悲しいことに現在進行形で友達の一人もいない。
よって、シェリー個人宛に手紙など届く筈もないという、実に見事な三段論法が成立するのである。
自分でそんな分析をしつつ、若干の自爆で自傷しながら、だがすぐにそんな些末な事項は忘却の彼方へと処分する。
別に、寂しくなんかない。
ないったらない。
そうしてなにかを補完し終え、改めてその手紙を不思議に不審に思い、それをひっくり返してみる。
差出人はベン・ネヴィス教会で、内容は十歳になる子供たちへの〝齢の儀〟出席のお誘いであった。
文面の書き出しが「十歳を迎えるあなたへ」とあるから間違いない。
そういえば――シェリーはまたしても感慨深く物思いに耽る。いつの間にか一二歳になってて、十歳前後の記憶が「忙しかった」しかない。
まぁだからといって、遊びたい盛りな貴重な子供の時間を無駄にしたとかは一切思わない。
例えるならば、酒を呑まないひとが「酒を呑まないのは人生の半分損している」とか言われてもピンと来ないばかりか「苛ぁ!」として殺意を覚えるのと同じである。
それはともかく。
それを見付けた――というか見付けちゃったシェリーは、あーやっちまったなーと独白し、これって年数が経ってても平気なのかと有効期限の記載を探し、それが見当たらなかったために、
「使用期限とか有効期限の記載をするのは商業としての最低限な礼儀でしょうがぁー!」
誰もいない自室で、ただ一人で興奮するシェリー。勿論ツッコミなどいる筈もなく、そもそも相手は商業ではなく宗教であるため、その訴えは既にイチャモンでしかない――
「――て判ってるわよ相手は商人じゃないし宗教よ! そもそも宗教になんて興味ないわよなんで封書来るのよ! それも判ってるわよ〝齢の儀〟ね! ハイハイってそれってなんなのよ判んないわよ『それ常識だろ』みたいに説明なしで用件だけ送ってくるんじゃないわよ! 常識って国とか種族や環境、思想、身分、職業、その他諸々で全然変わってくるじゃないの莫迦じゃないの! 常日頃壇上でクッソ偉そうに書面棒読みで説法しているクセに、説明ってなのためにあるか判っていないわね! なんで世の中には『ほうれんそう』が生えていないヤツが多いのよ!」
宗教に対してなにか嫌な思い出でもあるのか、更に誰へともなく取り敢えず文句を言い始め、そしてセルフツッコミを織り交ぜながら一通り言い終わると、満足したのか妙にスッキリした顔ですっかり温くなった紅茶を呷り、頬杖を突き足を組んでキメ顔をする。
無論だが、それは誰も見ていない。
しかしそんな些事など気にするシェリーではなかった。伊達や酔狂で友達がいない独り上手をやっているワケではないのだ。
なので、悲しいとか寂しいとか思うなど、あろう筈もない。
断じてない。
ないったらない。
そんな独白を脳内再生させ、だが結局その〝齢の儀〟とやらが気になってしまったシェリーは、階下にいるであろう誰かに訊こうと判断し、ティーセットのトレイを器用に片手に乗せてリズム良く階段を降りる。
かくして、確かに階下には誰かがいた。
その誰かとは――
「おや、お嬢。お久し振りですね」
常に笑みを顔に貼り付けているような表情の草原妖精、リー・イーリーであった。
「うわ、リー。いつ戻ったのよ。というか商会がなくなったんだから、アンタはここに来る必要はないんじゃないの?」
一仕事終えて来たのか、結構綺麗な百合が描かれている湯呑みに、古くから草原妖精が愛飲している若干クセのある緑茶を注いで啜っているリーへ、露骨に嫌そーな表情でそう言うシェリー。遠慮も配慮も優しさも一切ない。
だがそう素気無く冷たくされたとしても、普通ではなく特殊性癖者なリーにとって、それはこの上ないご褒美である。
シェリーのそんな言葉だけでも頬を赤らめハァハァさせる始末。今日もリーは絶好調だ。
「ふふ、相変わらずイイですねお嬢。その調子で蔑んで下さい。そうすれば私はお嬢に一生仕えましょう。ヒト種と草原妖精では基本的な寿命が違いますから、お望みとあらば老後から看取りまで全てのお世話を致しましょう。無論シモの世話もバッチ来いです」
「うんそれは絶対に嫌。虫唾が走るわ」
シェリーにしてみれば、なにが悲しくて変態野郎にそんな世話をされなければならないのかと言いたいのだろうが、このときはリーが実は女で、しかも離婚歴まであるとは知らなかった。
そしてその事実を知ったとき――まぁ驚いたが彼女への関心がそれほどあるわけでもなく、それより変態を自称しているクセにわりと純情で貞淑であるのが発覚して、そっちの方で驚愕していたが。
それはともかく、変態を差し引いた(?)としてもリーの情報収集能力の高さと見聞と見識の広さには定評があり、情報を集めるにはこれ以上ない人材であるのは確かである。
変態だけど。
「おや? もしかして何か知りたいことでもあるのでしょうか。ちなみに私のスリーサイズは110、110、110です」
思案顔のシェリーを首をコテンと傾げて見詰め、そして最後を口元に笑みを貼り付けたまま一筆書き出来そうな双眸を鋭くし、全く意味不明なことを言う。
「知りたいことがあるのはその通りだけど、少なくともそんなことじゃあないわ。それになんなのその酒樽サイズ。アンタその半分もないでしょう」
「ああ、これはエセル様が商談相手のエロ爺いに訊かれたときに答えていた常套句です。なんでも未来から来た青い猫型タヌキのサイズだそうですが、ちょっと私には意味が判りませんでした」
「……たまーにお母さんって意味不明なことを口走って謎のドヤ顔してたものね……」
「判る者には判るのでしょう。裏を返せば、それ以外には一切判らないのでしょうが。……セシルは何故か判っていて吹き出していましたねぇ……」
珍しく染み染みと独白するリー。きっと今は亡き故人を、エセルを偲んでいるんだろうなぁと察したシェリーは、それ以上なにも言わなかった。
決して必要以上にリーとの会話を続けたくないとか思っているなどということは――六割くらいしかない。
そして残りの四割は、会話を膨らませるのが面倒臭い、である。
「それで、この私めになにを訊きたいのですか? ちなみに私、雑食ですので男女どちらもイケます」
「うん死ぬほどどうでも良い。まぁリーで良いか。ねぇ〝齢の儀〟ってなにか知ってる?」
両刀発言を即却下し、他に誰も居ないため仕方なしに、本当に仕方なしに、そう訊くシェリー。
するとリーは、本気かボケかが微妙な発言を却下されたことなど一切気にせず、だが目元を僅かに引き攣らせてから、
「ああそれなら、魔法が神聖だとこの科学技術が発達した現代においても声高々にほざき腐りやがっている神殿、教会が年に二度開催し腐っていやがる、意味なんて全くない儀式のことです。なんでも魔法適性を調べてその長所を重点的に伸ばすのが目的という、特化型育成推奨で努力全否定な温床を育むクソな行事です」
いつもは飄々としているかハァハァしているかのどちらかなのに、珍しくちょっと怒気を含む口調で一気に言った。
「いや、物凄ーく良い笑顔でそんな悪口雑言みたいな情報を言われてもね……」
「なにを言っているのですかお嬢。私は悪口雑言なんて言っていませんよ。事実を客観的に捉えた上で、主観を交えた罵詈雑言を垂れ流しただけです。情報は正確に捉えないといけないと、まだ小さくて可愛くてペロペロしたくなる頃から言っているじゃないですか。天才的頭脳の持ち主なのに肝心なところが抜けているとか、本当に困ったお方ですねお嬢は――」
「……控え目に悪口雑言って言ったんだけど、罵ってる自覚はあったんだ。あと情報は正確に~とかには全面的に賛成するけど、それを以って抜けているとか言われるのは心外の極みね。それと、まさか本当にペロペロしていないわよね? もししていたらアンタを全力で抹殺しなければならないわ」
「したかったのですが、エセル様に全力で阻まれました。あのときのエセル様が私に向けた汚物を見るような視線……ああ、思い出しただけでもゾクゾクします!」
「理解も共感も出来ないけれど、とりあえずお母さんに良くやったと言いたいわ」
神殿や教会に対してなにかイヤな記憶があるのだろうかとも思ったが、ペロペロ発言でどうでも良くなったシェリーである。
「アンタの変態発言を聞いてると、なんだか他のことがどうでも良くなるという不思議現象が起きるわ。ホント、幸せそうね」
精一杯の嫌味のつもりで言ってみるが、言われた方は表情を一切変えずに茶を啜り、
「『変態は百難隠す』と古来から言いますし」
そしてキメ顔でそう言った。
過去類を見ないほど「苛ぁ!」とするシェリー。だが此処で反撃すると、きっと更に喜ぶに違いないと先回りして考え、気持ちを鎮めるために深呼吸する。
「おや、呼吸法の練習ですか? 以前は『ひ、ひ、ふー』が効果的だと言われていましたが、あれは全く意味がないそうですので、今では陣痛に合わせていきんで良いんですよ?」
だがそう畳み掛けるリーに、やっぱりイライラが止まらない。それでも此処で激昂したり反撃したりすれば、きっとそれは御褒美になると学習しているシェリーは、感情を抑え込んで穏やかな水面のように平静になる。
ちなみに「ひ、ひ、ふー」が意味も効果もないのは本当で、そもそもそのときにそんな呼吸法をする暇も余裕もない。
「そんな呼吸法なんて使ってないわよ。それに今後ともそんな予定なんて無いんだから、私には必要ないわよ放っといて」
我ながら悲しいことを言っているなぁという自覚はあるが、本当にそんなものに興味はないし、それに母親のような男運の無さが遺伝していたらイヤだ。
「お嬢。もしかしてエセル様のように男運が悪かったらイヤだ、とか思っていません?」
父親(仮)を思い返し、ウンザリして深い溜息を吐くシェリーの思考を看破し、天変地異が起きるのではないかと思われるほど真面目に、糸のような目を僅かに見開いてそう言うリー。
その意外な言葉に驚いているシェリーに、リーは続けた。
「大丈夫です。エセル様は男運が悪いわけではありません。ただ順番を間違えただけです。エイリーンには申し訳ありませんが、イヴォンより先にザックと出会っていたのなら、きっとこんな柵などなく他所が羨む鴛鴦夫婦となっていたでしょう」
「リー……」
その言葉に、僅かだが胸が熱くなり、そして――
「もしかして、お父さんのこと知ってるの?」
誰とは言わず、ちょっとカマを掛けてみる。
「知っているもなにも、私はエセル様の護衛だったのですよ。なので抵抗もせずにおっ始まったときはどうしてくれようと思いました。もしエセル様が一方的にされていたなら、ザックを殺す覚悟で突入しようと考えていましたが、嫌がるでもなくノリノリでしたし、良いかなーと判断しました」
「……え……もしかして、ソレの一部始終を見ていたの?」
「はい、この目でしかと。あのお美しいエセル様が乱れる姿は、この上なく極上でしたね。おかげでこの私めも濡れ捲って、暫く一人で捗りました。もっともその後に裏工作をして、計算がズレないようにイヴォンと性交渉をしたように偽装しましたよちゃんと。あの屑はそういう面だけは注意深いからな。大海原に縫針のくせに」
そんなリーの覗き魔発言にドン引きし、だが、気に入らないヤツは子々孫々諸共全て憎いと公言しているリーが、何故戸籍上はイヴォンの娘である自分をこの上なく気にしてくれていたのかが理解出来た。
初めから、判っていたのだ。
自分の実の父親がイヴォンではなく、冒険者集団〝無銘〟のリーダー、アイザック・セデラーであることを。
知っていながらそれを黙していたのは、きっとエセルに頼まれたばかりではなく、リーなりの気遣いであったのだろう。
「そう、リーは知っていたのね。でも黙っていてくれた。それには礼を言うわ、ありがとう」
微笑みを浮かべて、シェリーは素直に礼を言う。そしてリーは、そんなことを言われて再び首を傾げたが、素の笑みを浮かべて「どういたしまして」とでも言わんばかりに頷いた。
――だが。
「それはそれとして――」
笑顔のままゆっくりとスカートをたくし上げ、そしてすらりと無駄のない、だがバランス良く筋肉が付いている足を振り上げる。
「おっ始まったら覗いてないで席を外しなさいよ! この変態がー!」
「いえでもそんな好機は二度とないと思ったの! だってエセル様の『うっふんあっはんいやいやー』が見られるなんてレアな現場、見逃せる筈がないじゃない! むしろ身銭を切ってでも覗くべきよ!」
「ええいカマ語になるな! 成敗!!」
「ああ……やっぱりお嬢には純潔の白がよく似合うべら!」
振り上げられた足から繰り出される踵落としが綺麗に見事に頭頂を捉え、そのままリーは謎の言葉を残して床に転がった。
もっとも、冒険者として荒事で鍛え上げられているリーにとって、瓦三〇枚を一撃で粉砕する程度のシェリーのそれなど、痛痒にも感じない。
むしろ御褒美である。
人外の領域に踏み入れている実力は伊達ではないのだ。
草原妖精だけど。
残心後に構を解くシェリーの足元で、これ以上なく幸せそうでだらしない表情のリーが、妙に艶っぽい声を上げながら転がっていた。
……あり過ぎだって? なによ、乙女の秘密に文句でもあるの?
――無いならよろしい。
でもね、本当にくっだらない話しなのよ。
これから話すのは、魔法を神聖視し過ぎた、妄執に取り憑かれたヤツに振り回された女の子――まぁ私なんだけど、そのお話し。
ただ他人より魔法の資質が高かったがためだけで、勝手に〝聖女〟と呼ばれて祭り上げられ、そしてその身を教会に尽くすべしと強要された少女のお話し。
――当事者とはいっても、あくまで主観でしか語れないからね。
それを踏まえて、一生懸命に注意深く聞かないでくれると助かるわ――
――*――*――*――*――*――*――
シェリー・アップルジャックは、便宜上アップルジャック商会の四代目になるべくして育ち、だが事実上ではそれの相続を強要されてはいなかった。
初代で曽祖父のニコラスは酒が美味しく飲めれば満足で、商会の存続などには興味がなかったし、二代目で祖父のカルヴァドスも必ず継いで欲しいとは考えていなかった。
そして三代目である父のイヴォンに至っては、継ぐ継がない以前に放蕩が過ぎて正常な経営すら出来ない有様であり、諸事情により妻になっちゃったエセルがいなければ早々に勘当されていたであろう。
事象に「もしも」は存在しないがあえて言わせて貰えば、もしかしたらその方が色々と、経営的にも後に勃発する混沌とした廃業活動も回避出来ていたのかも知れないという点についても、とても良かったのかも知れないが。
そのアップルジャック商会は、初代のニコラスが深酒が祟って他界し、次いで数年後に次代を期待された鬼才で奇才なエセルが列車事故に巻き込まれて事故死した後、立て続けに二代目のカルヴァドスも急逝したため大混乱に陥った。
その混乱を鎮め、解れた紐を紡ぎ直すように束ねたのが、三代目であるイヴォンではなく四代目となる、当時まだ九歳の少女――シェリー・アップルジャックであったのは知っての通りである。
もっともどれほど上手に紐の解れを紡ぎ直したとしても、それが元に戻ることなどある筈もなく、より細くより脆くなるだけであった。
そしてそれに気付けない三代目が、思うまま掻き回した上に用途不明で意味不明な出費を存分に増やし、結果として多額の負債を抱える有様となったのである。
そうしてその結果、三代続いて老舗の仲間入りを果たす筈であったアップルジャック商会は経営破綻し、現在その負債を作り出したイヴォンは消息不明であった。
もっともその負債も、シェリーが法の穴を突いて全てイヴォン個人の資産という体にし、それを理解出来ずに資産を欲した強欲な誰かさんへ「相続」という形で受け取って貰ったが。
そんなこんながあり、また色々な事情で商会をもう一度立ち上げることとなり、商業ギルドへの申請のときにうっかりミスでシェリーは会長になってしまったのである。
もっとも実務は社長のアイザック・セデラーが主導で行いシェリーは口を出さないでノンビリしようと心に誓い、更に公言していた――のだが、任せるとか委託とかそういうことが根っから出来ないシェリーは、結局陣頭に立ってアレコレやり始めてしまっていた。
「ノンビリしよう」という初志貫徹がなっていないシェリーである。
それはともかく。
時期として、商会を立ち上げるより前――
初夏となり、シェリーが一五歳の成人を迎えたある日のこと。
商会が無くなり、そして成人したのにいきなり無職な自宅警備員となり暇を持て余しているシェリーが、自分で淹れた紅茶を楽しみながら、自室でなんとなーく自分宛の封書を整理して見直していると、自身が九歳のときに届いていた封書を見付けた。
そういえばあの頃は、商会の書類整理や現金出納帳の管理、そして商品の仕入れと管理に追われて自分宛の手紙なんて気にする間もなかったなー。
とか茫洋と物思いに耽り、だが、あまりにも聡いシェリーは学校に行く必要もないくらいであったため、同世代と関わる時間が全くと言って良いほどなかった。
そしてその必然として、悲しいことに現在進行形で友達の一人もいない。
よって、シェリー個人宛に手紙など届く筈もないという、実に見事な三段論法が成立するのである。
自分でそんな分析をしつつ、若干の自爆で自傷しながら、だがすぐにそんな些末な事項は忘却の彼方へと処分する。
別に、寂しくなんかない。
ないったらない。
そうしてなにかを補完し終え、改めてその手紙を不思議に不審に思い、それをひっくり返してみる。
差出人はベン・ネヴィス教会で、内容は十歳になる子供たちへの〝齢の儀〟出席のお誘いであった。
文面の書き出しが「十歳を迎えるあなたへ」とあるから間違いない。
そういえば――シェリーはまたしても感慨深く物思いに耽る。いつの間にか一二歳になってて、十歳前後の記憶が「忙しかった」しかない。
まぁだからといって、遊びたい盛りな貴重な子供の時間を無駄にしたとかは一切思わない。
例えるならば、酒を呑まないひとが「酒を呑まないのは人生の半分損している」とか言われてもピンと来ないばかりか「苛ぁ!」として殺意を覚えるのと同じである。
それはともかく。
それを見付けた――というか見付けちゃったシェリーは、あーやっちまったなーと独白し、これって年数が経ってても平気なのかと有効期限の記載を探し、それが見当たらなかったために、
「使用期限とか有効期限の記載をするのは商業としての最低限な礼儀でしょうがぁー!」
誰もいない自室で、ただ一人で興奮するシェリー。勿論ツッコミなどいる筈もなく、そもそも相手は商業ではなく宗教であるため、その訴えは既にイチャモンでしかない――
「――て判ってるわよ相手は商人じゃないし宗教よ! そもそも宗教になんて興味ないわよなんで封書来るのよ! それも判ってるわよ〝齢の儀〟ね! ハイハイってそれってなんなのよ判んないわよ『それ常識だろ』みたいに説明なしで用件だけ送ってくるんじゃないわよ! 常識って国とか種族や環境、思想、身分、職業、その他諸々で全然変わってくるじゃないの莫迦じゃないの! 常日頃壇上でクッソ偉そうに書面棒読みで説法しているクセに、説明ってなのためにあるか判っていないわね! なんで世の中には『ほうれんそう』が生えていないヤツが多いのよ!」
宗教に対してなにか嫌な思い出でもあるのか、更に誰へともなく取り敢えず文句を言い始め、そしてセルフツッコミを織り交ぜながら一通り言い終わると、満足したのか妙にスッキリした顔ですっかり温くなった紅茶を呷り、頬杖を突き足を組んでキメ顔をする。
無論だが、それは誰も見ていない。
しかしそんな些事など気にするシェリーではなかった。伊達や酔狂で友達がいない独り上手をやっているワケではないのだ。
なので、悲しいとか寂しいとか思うなど、あろう筈もない。
断じてない。
ないったらない。
そんな独白を脳内再生させ、だが結局その〝齢の儀〟とやらが気になってしまったシェリーは、階下にいるであろう誰かに訊こうと判断し、ティーセットのトレイを器用に片手に乗せてリズム良く階段を降りる。
かくして、確かに階下には誰かがいた。
その誰かとは――
「おや、お嬢。お久し振りですね」
常に笑みを顔に貼り付けているような表情の草原妖精、リー・イーリーであった。
「うわ、リー。いつ戻ったのよ。というか商会がなくなったんだから、アンタはここに来る必要はないんじゃないの?」
一仕事終えて来たのか、結構綺麗な百合が描かれている湯呑みに、古くから草原妖精が愛飲している若干クセのある緑茶を注いで啜っているリーへ、露骨に嫌そーな表情でそう言うシェリー。遠慮も配慮も優しさも一切ない。
だがそう素気無く冷たくされたとしても、普通ではなく特殊性癖者なリーにとって、それはこの上ないご褒美である。
シェリーのそんな言葉だけでも頬を赤らめハァハァさせる始末。今日もリーは絶好調だ。
「ふふ、相変わらずイイですねお嬢。その調子で蔑んで下さい。そうすれば私はお嬢に一生仕えましょう。ヒト種と草原妖精では基本的な寿命が違いますから、お望みとあらば老後から看取りまで全てのお世話を致しましょう。無論シモの世話もバッチ来いです」
「うんそれは絶対に嫌。虫唾が走るわ」
シェリーにしてみれば、なにが悲しくて変態野郎にそんな世話をされなければならないのかと言いたいのだろうが、このときはリーが実は女で、しかも離婚歴まであるとは知らなかった。
そしてその事実を知ったとき――まぁ驚いたが彼女への関心がそれほどあるわけでもなく、それより変態を自称しているクセにわりと純情で貞淑であるのが発覚して、そっちの方で驚愕していたが。
それはともかく、変態を差し引いた(?)としてもリーの情報収集能力の高さと見聞と見識の広さには定評があり、情報を集めるにはこれ以上ない人材であるのは確かである。
変態だけど。
「おや? もしかして何か知りたいことでもあるのでしょうか。ちなみに私のスリーサイズは110、110、110です」
思案顔のシェリーを首をコテンと傾げて見詰め、そして最後を口元に笑みを貼り付けたまま一筆書き出来そうな双眸を鋭くし、全く意味不明なことを言う。
「知りたいことがあるのはその通りだけど、少なくともそんなことじゃあないわ。それになんなのその酒樽サイズ。アンタその半分もないでしょう」
「ああ、これはエセル様が商談相手のエロ爺いに訊かれたときに答えていた常套句です。なんでも未来から来た青い猫型タヌキのサイズだそうですが、ちょっと私には意味が判りませんでした」
「……たまーにお母さんって意味不明なことを口走って謎のドヤ顔してたものね……」
「判る者には判るのでしょう。裏を返せば、それ以外には一切判らないのでしょうが。……セシルは何故か判っていて吹き出していましたねぇ……」
珍しく染み染みと独白するリー。きっと今は亡き故人を、エセルを偲んでいるんだろうなぁと察したシェリーは、それ以上なにも言わなかった。
決して必要以上にリーとの会話を続けたくないとか思っているなどということは――六割くらいしかない。
そして残りの四割は、会話を膨らませるのが面倒臭い、である。
「それで、この私めになにを訊きたいのですか? ちなみに私、雑食ですので男女どちらもイケます」
「うん死ぬほどどうでも良い。まぁリーで良いか。ねぇ〝齢の儀〟ってなにか知ってる?」
両刀発言を即却下し、他に誰も居ないため仕方なしに、本当に仕方なしに、そう訊くシェリー。
するとリーは、本気かボケかが微妙な発言を却下されたことなど一切気にせず、だが目元を僅かに引き攣らせてから、
「ああそれなら、魔法が神聖だとこの科学技術が発達した現代においても声高々にほざき腐りやがっている神殿、教会が年に二度開催し腐っていやがる、意味なんて全くない儀式のことです。なんでも魔法適性を調べてその長所を重点的に伸ばすのが目的という、特化型育成推奨で努力全否定な温床を育むクソな行事です」
いつもは飄々としているかハァハァしているかのどちらかなのに、珍しくちょっと怒気を含む口調で一気に言った。
「いや、物凄ーく良い笑顔でそんな悪口雑言みたいな情報を言われてもね……」
「なにを言っているのですかお嬢。私は悪口雑言なんて言っていませんよ。事実を客観的に捉えた上で、主観を交えた罵詈雑言を垂れ流しただけです。情報は正確に捉えないといけないと、まだ小さくて可愛くてペロペロしたくなる頃から言っているじゃないですか。天才的頭脳の持ち主なのに肝心なところが抜けているとか、本当に困ったお方ですねお嬢は――」
「……控え目に悪口雑言って言ったんだけど、罵ってる自覚はあったんだ。あと情報は正確に~とかには全面的に賛成するけど、それを以って抜けているとか言われるのは心外の極みね。それと、まさか本当にペロペロしていないわよね? もししていたらアンタを全力で抹殺しなければならないわ」
「したかったのですが、エセル様に全力で阻まれました。あのときのエセル様が私に向けた汚物を見るような視線……ああ、思い出しただけでもゾクゾクします!」
「理解も共感も出来ないけれど、とりあえずお母さんに良くやったと言いたいわ」
神殿や教会に対してなにかイヤな記憶があるのだろうかとも思ったが、ペロペロ発言でどうでも良くなったシェリーである。
「アンタの変態発言を聞いてると、なんだか他のことがどうでも良くなるという不思議現象が起きるわ。ホント、幸せそうね」
精一杯の嫌味のつもりで言ってみるが、言われた方は表情を一切変えずに茶を啜り、
「『変態は百難隠す』と古来から言いますし」
そしてキメ顔でそう言った。
過去類を見ないほど「苛ぁ!」とするシェリー。だが此処で反撃すると、きっと更に喜ぶに違いないと先回りして考え、気持ちを鎮めるために深呼吸する。
「おや、呼吸法の練習ですか? 以前は『ひ、ひ、ふー』が効果的だと言われていましたが、あれは全く意味がないそうですので、今では陣痛に合わせていきんで良いんですよ?」
だがそう畳み掛けるリーに、やっぱりイライラが止まらない。それでも此処で激昂したり反撃したりすれば、きっとそれは御褒美になると学習しているシェリーは、感情を抑え込んで穏やかな水面のように平静になる。
ちなみに「ひ、ひ、ふー」が意味も効果もないのは本当で、そもそもそのときにそんな呼吸法をする暇も余裕もない。
「そんな呼吸法なんて使ってないわよ。それに今後ともそんな予定なんて無いんだから、私には必要ないわよ放っといて」
我ながら悲しいことを言っているなぁという自覚はあるが、本当にそんなものに興味はないし、それに母親のような男運の無さが遺伝していたらイヤだ。
「お嬢。もしかしてエセル様のように男運が悪かったらイヤだ、とか思っていません?」
父親(仮)を思い返し、ウンザリして深い溜息を吐くシェリーの思考を看破し、天変地異が起きるのではないかと思われるほど真面目に、糸のような目を僅かに見開いてそう言うリー。
その意外な言葉に驚いているシェリーに、リーは続けた。
「大丈夫です。エセル様は男運が悪いわけではありません。ただ順番を間違えただけです。エイリーンには申し訳ありませんが、イヴォンより先にザックと出会っていたのなら、きっとこんな柵などなく他所が羨む鴛鴦夫婦となっていたでしょう」
「リー……」
その言葉に、僅かだが胸が熱くなり、そして――
「もしかして、お父さんのこと知ってるの?」
誰とは言わず、ちょっとカマを掛けてみる。
「知っているもなにも、私はエセル様の護衛だったのですよ。なので抵抗もせずにおっ始まったときはどうしてくれようと思いました。もしエセル様が一方的にされていたなら、ザックを殺す覚悟で突入しようと考えていましたが、嫌がるでもなくノリノリでしたし、良いかなーと判断しました」
「……え……もしかして、ソレの一部始終を見ていたの?」
「はい、この目でしかと。あのお美しいエセル様が乱れる姿は、この上なく極上でしたね。おかげでこの私めも濡れ捲って、暫く一人で捗りました。もっともその後に裏工作をして、計算がズレないようにイヴォンと性交渉をしたように偽装しましたよちゃんと。あの屑はそういう面だけは注意深いからな。大海原に縫針のくせに」
そんなリーの覗き魔発言にドン引きし、だが、気に入らないヤツは子々孫々諸共全て憎いと公言しているリーが、何故戸籍上はイヴォンの娘である自分をこの上なく気にしてくれていたのかが理解出来た。
初めから、判っていたのだ。
自分の実の父親がイヴォンではなく、冒険者集団〝無銘〟のリーダー、アイザック・セデラーであることを。
知っていながらそれを黙していたのは、きっとエセルに頼まれたばかりではなく、リーなりの気遣いであったのだろう。
「そう、リーは知っていたのね。でも黙っていてくれた。それには礼を言うわ、ありがとう」
微笑みを浮かべて、シェリーは素直に礼を言う。そしてリーは、そんなことを言われて再び首を傾げたが、素の笑みを浮かべて「どういたしまして」とでも言わんばかりに頷いた。
――だが。
「それはそれとして――」
笑顔のままゆっくりとスカートをたくし上げ、そしてすらりと無駄のない、だがバランス良く筋肉が付いている足を振り上げる。
「おっ始まったら覗いてないで席を外しなさいよ! この変態がー!」
「いえでもそんな好機は二度とないと思ったの! だってエセル様の『うっふんあっはんいやいやー』が見られるなんてレアな現場、見逃せる筈がないじゃない! むしろ身銭を切ってでも覗くべきよ!」
「ええいカマ語になるな! 成敗!!」
「ああ……やっぱりお嬢には純潔の白がよく似合うべら!」
振り上げられた足から繰り出される踵落としが綺麗に見事に頭頂を捉え、そのままリーは謎の言葉を残して床に転がった。
もっとも、冒険者として荒事で鍛え上げられているリーにとって、瓦三〇枚を一撃で粉砕する程度のシェリーのそれなど、痛痒にも感じない。
むしろ御褒美である。
人外の領域に踏み入れている実力は伊達ではないのだ。
草原妖精だけど。
残心後に構を解くシェリーの足元で、これ以上なく幸せそうでだらしない表情のリーが、妙に艶っぽい声を上げながら転がっていた。