「青星くん」
授業を終え、学校を帰宅しようとすると、女子生徒に話しかけられた。 甘ったるい声に、不快な香水――。振り向くと、そこには想像していた通りのやつが居た。
「帰るんでしょ? 私も一緒にいい?」
「……なんで俺がお前と」
「いいじゃん。クラスメイトなんだから」
そう言って、俺の腕を掴み、自分の体にぐいっと引き寄せた。
胸に押し当てて、俺を誘惑しているつもりか? 
「離せ。お前みたいな人間は嫌いなんだよ」
掴まれた腕を力づくで振りほどき、歩きだした青星。
たくっ……こんな事なら、共学の学校を選ぶべきじゃなかったな。あの家で眠りたいばかりに、選択をミスったかもれない。
後ろから誰かが走ってくる足音が聞こえる。青星は足を止めた。
するとガツっと後ろから肩を掴まれた。
しつこい……
青星は掴まれた肩の手を振り払うように、勢いよく、後ろに振り向いた。
「俺に近寄るなよっ……――!」
だが、そこにいたのはあの女子生徒ではなかった。
「どうした……いきなり……」
 春一は大きな瞳を見開き、青星を見ていた。
「あっ……いや、悪い……」
 驚く春一に、青星は申し訳なさから顔を背けた。
 鬱陶しさからつい、きつい言い方をしてしまった。
「どうした? そんなカリカリして」
「あの女かと思ったんだよ……」
「あー……もしかして、真理愛(まりあ)の事?」
「真理愛……?」
「そう、進藤(しんどう)真理愛 。同じクラスのやつだよ」
 春一以外のやつの名前なんて、俺は知らないからな。名前を言われても、いまいちピントこないが、多分その真理愛とかいうやつだと思った。
 春一と真理愛は同中で家が近所の幼馴染らしい。進藤は真理愛の事を少々強引なところもあるが、根は真面目でいいやつだと言っていた。
「あいつ、イケメン好きだからな~ でも、青星は、恋愛とか女には興味なさそうだもんな」
 あるわけがない。少なくとも、俺がここにいるやつらに、そういう類の感情を持つことなんてない。
 今日は部活が休みだという春一と共に学校を出る。
 さすがに、牧野の姿はないか……。
「はあ……」
 自然と出た溜息。牧野が居ないことに安堵しているのか、その逆か。
 夕暮前の公園には、子供が多くいた。砂場で城を築いたり、ブランコでどこまでこげるか競争したり、追っかけっこをしたり。
 青星は立ち止まり、その光景を眺めていた。
 公園なんて来たのは、数えられる程度だ。平日は母親の仕事が終わるまでの間、よく公園で一人、暇をつぶしていた。人見知りだったせいか、友人と呼べる友人も、幼少期の俺にはいなかった。
 寂しい幼少期。それでも、母親の帰りを迎えられた事が、あの頃の俺にとって、最高の喜びだったのは間違いない。
「すいませーん」
 サッカーをしていた少年たちのボールが青星の足元に転がって来た。こっちに蹴ってほしいと言う少年たちの言葉をよそに、青星はそのボールを上から見下ろしていた。
「おい、青星。蹴ってやれよ」
 隣でそう言う春一。
 だが、これをどうしていいものか、青星には分からない。
「俺、サッカーとかやったことないから」
「は?……マジかよお前」
 春一はあんぐりと口を開け、青星をまじまじとみた。
 サッカーどころか、スポーツなんてやった事もない。
「とりあえず、それ貸せ。俺が蹴ってやる」
 春一は青星からボールを受け取ると、「いくぞー!」と大きな声で少年たちに声をかけ、ボールを空高く蹴り上げた。
 ボールは宙高く舞い、空に浮かんでいた太陽まで届きそうだった。
 少年の一人はそのボールを体で受け取っていた。
「おお、トラップうめえじゃん!」
 春一は、ボールを受け取った少年を見てそう叫んだ。青星にとっては、なんてことない動作に見えてもサッカー好きの春一にとっては興奮するようなものらしい。お礼を言う少年らに、春一は笑顔で手を振った。
「……で、お前、サッカーやったことないってマジ?」
「マジ」
「そっかー マジかー……」
 変わり者だと思われただろう。でも、それは間違ってはいない。俺がどんなところで生まれ育って、今まで何をしてきたのか話したら、こいつは俺の前から消えるだろうか。俺とは違い、日向の道だけを歩いてきたであろうこいつに、俺の闇を見せて、苦しんでしまわないだろうか。俺は、自分のせいで、周りの人間の光が一瞬でも消えるのが嫌なんだ。
「やる? やらない?」
「……え?」
「だから、サッカー。やる? やらない??」
 選択肢を与えられる事の喜び。人と関わり合う事は、怖い事。でも、こんな俺でも、わがままを言ってもいいのなら。
「やりたい。サッカー、したい……!」
 青星がそう言うと、春一は前歯を見せて、ニヒっと笑った。
「そうこなくっちゃ!」
 春一は公園に居た少年たちを集め、自分たちをサッカーに混ぜてほしいとお願いした。少年たちは快く承諾してくれ、青星は初めてサッカーを経験する事に。
 自分の足元に渡されたボール。その上に足を置き、靴を通しボールの感覚を知る。前方にあるゴールをめがけ、ボールを前に押し出すようにして走る。だんだんと息は荒くなっていき、額には汗が流れる。
「青星――!」
 自分の名を呼ぶ友の声に反応し、俺は友へパスを送る――。そして何度かパスを繰り返し、ゴールは俺のすぐ目の前に現れた。ゴールキーパーの動きを見て、俺は正確なシュートを決める。
――パッシュ……!!
「よっしゃあ……!」
 決まったゴールを見て、春一は青星の元に駆け寄った。
「ハイタッチしようぜ!」
 顔の前で、手の平を見せてくる春一。青星は自分の手を春一の手に合わせた。
――パッチン!
 また一つ。俺の中に不思議な感覚と感情が生まれた。今日は、人と何か成し遂げた時に湧く感情と、そこに辿り着くまでの経緯で感じた感覚だ。
「また一緒にやろう」帰り際、春一はそう言ってくれた。
 春一は、本当に俺とは正反対な人間だ。キラキラしていて、いつも人に囲まれていて、太陽みたいに明るい。その光できっと、多くの人を照らしてきたのだろう。今日、俺を照らしてくれたように。でも、春一の光は、もっと別のやつに渡してほしいと思う。春一を想い、好いてくれるようなやつに。俺の光は、あいつだけで十分だ。あいつ以外の光を望むなんて、それこそ本当に強欲だ。
……いや、違うな。俺はきっと、あいつだけがいいんだ――。
 家までの残りの道のりを一人歩く。少し坂になっているこの道を登れば、ほら、見えてきた。
 俺を見て微笑む。あいつの顔が――。