ヴー、ヴー・・・
相良 亜里香は、布団の中から手を伸ばし、アラームを止めた。
なんだかいつもより布団が心地いい。
もう11月も半ばで、外が寒いからだろうか。
「亜里香様、起きてくださいませ。
起床のお時間です。」
亜里香ははっとした。
布団が心地いいのは、寒いからではない、単純に高級だからだ。
昨日から亜里香はあやかしの虎ノ門家の別邸の女主人なのだ。
なんでも、次期当主雄輝の花嫁らしいのだ。
本人にはまだ自覚がないが。
部屋の入り口付近にたたずんでいるのは、
亜里香付きの使用人、虎山 彩海。
「本日は学校はお休みでございましょう。お洋服、何になさいますか?」
と、でっかいウォークインクローゼットの扉を開けた。
「昨日、ご不在だった間に、女の使用人たちでご相談してご用意させていただきました。」
そこは隙間なく服で埋め尽くされていた。
まだ寝ぼけていた亜里香は、一気に眠気が吹っ飛んだ。
「なにこれ⁉ブランドものばっかり!
うれしいけど、こんなにもいらないじゃん!
一体全部でいくらすんのよ…」
亜里香は目をまんまるくした。
「値段などお気になさらなくて大丈夫でございます。
すべて、雄輝様のご命令ですし。」
亜里香はとりあえず中に入った。
「なんか靴も大量にあるんだけど…」
「どれになさいます?」
亜里香はざっとクローゼットを見回した。
「え~、わからない。何着たらいいかなんてわかんないもの。
彩海さん、選んでくださいよ。」
「かしこまりました。お似合いのものをお探ししますね。」
5分もすると、彩海はワンピースとタイツと、
ブーツ一足をもって戻ってきた。
「わ~、めっちゃかわいいじゃん!
さすがです!彩海さん!」
「おほめいただき光栄です。さ、着替えてください。」
亜里香はワンピースに着替えた。サイズもピッタリである。
「お似合いですよ。
ご朝食にいきましょうか。雄輝様がお待ちです。」
「おはよう、亜里香。」
食堂に行くと、すでに雄輝が着席して待っていた。
「おはよう、雄輝。」
亜里香も挨拶を返す。
すぐに、朝食が運ばれてきた。
豪華な和食である。
「おいしそ!めっちゃ豪華じゃん。」
「これからは、毎日食べられるぞ。さあ、食べようか。」
2人は朝食を食べ始めた。
しばらく沈黙が続いていたが、間もなく雄輝が沈黙を破った。
「今日は学校は休みだよな?」
「うん。日曜日だから。」
「昨日も言ったが登下校は車だ。
で、問題なのは、その学校だ。
俺が通っている、あやかしまたはその花嫁しか通えない学校に移るか?」
「今のままがいい。」
亜里香は即答した。
「学校は楽しいもん。友達にも恵まれた。
あの家でいても、学校に行けば友達がいるから、頑張れた。
学校は変わるつもりない。」
雄輝はふっと笑った。
「そういうと思った。あの使役獣は連れて行け。」
昨日、雄輝が亜里香のために作った使役獣。
ミニサイズのとってもかわいい子猫の姿をしている。
「あ、あの子どこ行ったんだろ?」
「ミャー」
ここにいるよ、とばかりに亜里香のポケットから子猫が顔を出した。
「あ、いた!」
亜里香は子猫をテーブルに置いた。
「そういえば、名前決めてないや」
「名前?」
雄輝が首をかしげる。
「こんなにかわいいんだもん。名前ほしいよね?」
「ミャー」
そうだと言いたいかのように子猫が返事をした。
「ほら、ね?なーにがいいかなあ?」
ご飯を食べながら、亜里香は子猫をじーっと見つめた。
「あ、目が瑠璃色。そういえば、ら行とま行名前ってかわいいなって前から思ってたんだよね。
そうだ、瑠海!瑠海にしよ!
彩海さんの、海ってかいて、みって読むのいいなと思ったんだ!
瑠海?」
亜里香が呼びかけた。
「ミャー」
「気に入ったみたいだな。
…そうだ、今日の予定だが、本家に行って、父さんと母さんにあわs…「亜里香ぁ!」な、なんだ?」
「申し遅れました、亜里香様、御来客です。」
飛び込んできたのは夢愛。後ろから来た虎牙が来客を告げる。
「夢愛おねえちゃん!」
「誰だ?亜里香には姉はいないだろう。」
「違うよ、いとこだよ。今大学生。」
亜里香が説明した。
「もーう、花嫁って本当なのね!あいつらマジざまあだわあ!」
キャッキャとはしゃいでいる。
「なんでわかったの?」
口を挟むように亜里香が尋ねる。
「確実に亜里香に誕プレを届けようと思って、夜家に行ったんだけど、
亜里香いないっていうから、問い詰めたの。はい、誕プレ。」
亜里香は包みを開けた。出てきたのはネックレス。
「わあ!かっわいい!てか、これ、一個目を南乃花にとられたから2個目でしょ?
お金、大丈夫なの?」
「大丈夫、大丈夫。バイトで稼いでるもん。」
亜里香には双子の妹がいる。
両親に可愛がられる妹が。
亜里香はひどい扱いをされてきた。
すくなくとも、亜里香は両親からの愛を感じたことはない。
たたかれることもしばしばだった。
味方といえば、いとこの夢愛と、友達の美紗、世羅、麗羅くらいである。
この家に来たのだってつい昨日の話である。
「で、ほんとの目的はなに?」
急に亜里香が真顔になって尋ねる。
「やっぱり、気づいてた?亜里香、席変わって。」
夢愛も顔から笑みを消し去った。
亜里香が立って、夢愛がそこに座った。
「名前は、虎ノ門雄輝、だったかしら?」
静かに、雄輝をまっすぐ見据えながら、夢愛が話し始める。
「もう聞いてると思うけど、この子は魔女。しかもその実力は世界トップクラス。
これから、あなたの花嫁として、しばしば世間に出るのでしょう?
その時に、この子が魔女であることが、決してばれないようにしてほしいの。
亜里香は、優しいし、人一倍責任感がある。
もしばれた時、自分以外に魔族がいるということを、この子は隠すはずよ。
でも、そうすれば、魔法に頼りたい人はみんな、亜里香の所へ来るわ。
それがどういうことか、わかるでしょう?」
「ああ。」
雄輝もまた、静かに答える。
亜里香は世界トップレベルの魔力を持つ魔女であった。
魔女は県内に5人しかいない。いとこの夢愛は世界一の魔女で、幼馴染の美紗とその両親も、魔族である。
「そう。なら、肝に銘じておきなさい。
もし何かあれば、わたしが直接、何かさせていただくわ。
それと、この前の一件で、相良家は亜里香が魔女であることに気づいた。
元々魔族の存在は知ってるから。
しかも虎ノ門の花嫁ときた。何をしでかすかわからない。
あの人たちからも、きっちり亜里香を守りなさい。
いいわね?」
「はい。肝に銘じておきます。」
ふっと笑って、夢愛が立ち上がった。
雄輝も立ち上がる。
どういうわけか、二人はきつく握手しあった。
「亜里香をよろしく。」
「はい。いわれなくとも。」
両者は微笑みあった。
亜里香は、雄輝と二人で虎ノ門家の本家に来ていた。
目の前にいるのが、雄輝の父で、現虎ノ門家当主、虎ノ門 雄大と、
その妻、虎ノ門 優莉、そして雄輝の妹の真輝である。
虎ノ門家に娘がいることは知られていなかったので、亜里香は驚いたが、
まだ中学生の真輝はとてもかわいらしい。
「お初にお目にかかります。相良 亜里香と申します。」
亜里香は畳に手をつき、丁寧にお辞儀をした。
「あら、そんなにかしこまらなくていいのよ。」
優莉が優しく言う。
「お兄ちゃん!どこでこんな美人見つけたの!」
目をキラキラと輝かせる真輝に亜里香は苦笑いを返した。
「あたしよりも、真輝ちゃんのほうが断然かわいいよ。」
「いや、亜里香の方が可愛い。」
雄輝が亜里香の頭をなでながら言った言葉に、3人は目を丸くした。
「あら、今まで誰かに可愛いなんて言わなかったのに。
すごい変わりよう。」
「パーティーに出て、女子に取り囲まれても、にこりともしなかったのにな。」
雄大も同意する。
「雄大、人のことは言えないでしょう。
私や真輝がいなけりゃ、ずっと誰かをにらむような目つきをするらしいじゃない。」
「気のせいだ。」
「違うわよ。楠本さんが、私が風で出なかった時のパーティーのビデオを見せてくれたもの。」
「あいつか・・・!」
シメてやろうかなどとブツブツつぶやく40代には見えない雄大の膝を、
真輝がパシッとたたいた。
「お父さん!何やってんの!せっかくお兄ちゃんが花嫁さんを連れてきたんだから。」
「いって!…はいはい、楠本をシメるのは今度にするさ。
あ~、それから雄輝、虎谷との婚約は白紙になる。
きょう呼んだんだが…まだこないのか?虎松。」
待っていましたとばかりに、襖があいた。
「失礼します。虎谷家の沙希様がおいでになりました。」
「通せ。」
「失礼いたします。」
凛とした声とともに、とても美しい大学生くらいの女性が入ってきた。
「虎ノ門ご当主様、お呼びでございましょうか。」
「ああ。雄輝に花嫁が見つかった。申し訳ないが、婚約は白紙とする。」
「まあ、それはよろしゅうございます。花嫁とは、こちらの方ですか?」
沙紀が、亜里香の方を示していった。
「そうだ。」
すると沙紀は、深々とお辞儀し、丁寧にあいさつした。
「花嫁様、お初にお目にかかります。
虎谷家の沙紀と申します。以後、お見知りおきを。」
亜里香もあわててお辞儀を返した。
「わたくしになど頭を下げないでくださいな。
お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「a、あ、あたし相良 亜里香と申します。」
ふつつかものですが、よろしくお願いしますと、よくわからないまま付け加えた。
「沙希は一応婚約者だった。だが、姉のようなただの幼馴染だ。
高校に入るまでに花嫁が見つからなければ、とりあえず一族の中から
婚約者を選ぶのが、虎ノ門家の伝統だからな。
お前に危害を加えるようなことは一切しないと、俺が保証する。
女同士の方が話しやすいこともあるだろう。
ちょっとしたことでも頼ればいい。」
雄輝の言葉に亜里香はうなずき、沙希の手を取った。
「沙希さん!あたしの友達になってくれませんか?」
「まあ、友達だなんてそんな!」
沙希はおこがましいから無理だと首を振る。
それでも亜里香は、沙希の手をきつく握って何回も言った。
「なってくださいよ!ね?」
とうとう、押しの強い亜里香に負けて、沙希は友達になることを承諾した。
「そこまでおっしゃるのなら、わかりましたわ。
よくよく考えたら、わたくし、家柄のせいでしょうか、女性の友人がすくないんですの。
知人なら山ほどいるのですが…
どうしても、取り巻きみたいなのが多いので。
とにかく、よろしくお願いいたしますわ。」
「わあ!ありがとうございます!」
お礼を言いながら、亜里香はキラキラと目を輝かせた。
その様子を微笑ましく見ていた優莉が、楽しそうに笑った。
「私もたまに混ぜてちょうだい。真輝と一緒に。」
「そんな!ご当主様の奥方様など!
軽々しくお話しできるお相手ではございません!」
と、だいぶテンパる沙希とは対照に、亜里香は、
「もちろんです!」
と、簡単に承諾してしまった。
「あ、亜里香様!?」
と慌てる沙希に、亜里香は、にこにこと答えた。
「あたしから誘うのでは失礼かもしれませんが、優莉さまが直々にそうおっしゃっているのですから、
遠慮する必要など、ないのだと思いますよ。」
そういう亜里香を見て、雄大は、ほっとした表情を浮かべた。
「花嫁が亜里香ちゃんでよかったよ。
婚約者も、沙希にしておいてよかったようだな。
こうやって、亜里香ちゃんと仲良くなれそうだし、
おかげで面倒事も起こらなさそうだ。」
それを聞いて、真輝と沙希がたちまち顔を曇らせた。
「面倒事といえば、お父さん、面倒事を起こしそうな女がいるんだけど。」
「誰だ?」
驚いたように雄大が尋ねた。
「鬼澤 華子殿ですわ。
あの方、雄輝様に気があるご様子で、わたくしが婚約者になった時も、
たいそうご立腹だったようですわ。わたくしにはなにも致しませんでしたが。」
うんうんとうなずいて、真輝が警告を発した。
「沙希さんは、虎ノ門に次ぐ名家、虎谷家の出身だから手を出せなかったんだと思うけど、
亜里香さんは違うでしょう?何か仕掛けてくるよ。」
雄大は参ったなといった様子で、頭をかいた。
「鬼澤家か。鬼のあやかしでは鬼崎、鬼瓦に次ぐかなりの名家じゃないか。
鬼は虎と同じくらいの権力がある・・・そういえば雄輝、亜里香ちゃんの護衛は、使役獣だけか?
さすがにそれでは…」
優莉も心配そうに亜里香を見やる。
「護衛は必要ないと、亜里香が言ったからな。」
「でも、何かあった時ではもう遅いのよ。」
「いえ、何かあれば、自分で何とかできます。というか、いたしますので。」
「でも、女の子でしょう。それに、素手でやりあえるような相手ではないでしょう。」
「いやいや、母さん。だれも素手で鬼に立ち向かおうとはしないさ。」
「じゃあ、どうするの?じらさないで教えてちょうだい。」
雄輝は亜里香を促して、亜里香は立ち上がった。
杖を取り出して、6つの抹茶を出した。
「どうぞお飲みください。大したものではないと思いますが。」
4人はあっけにとられてポカンとしてしまった。
「ど、どーやったの!食べ物を出現させるのは、どのあやかしでもできないはず!」
「申し遅れました。あたし、魔女なんですよ。」
「魔女、とおしゃいますと?・・・とんがり帽子をかぶって箒に乗って空を飛ぶあれでございますか?」
目を白黒させながら、沙希が尋ねた。
「そうですよ。」
「えー、なにそれ!聞いたことないんだけど!」
真輝が目をキラキラ輝かせた。
亜里香はもう一度杖を振って、紙を4枚出した。
「そこに魔族に関しての簡単な説明が載ってます。
わからないことがあれば、心の中で紙に聞いてみてください。
下の白紙の欄に答えが出てきますから。
まだはっきりしてないことは出てきませんが、ある程度はわかると思います。」
4人はいまいちよくわからないまま、プリントを眺めた。
「えーと、魔女だから、護衛は必要ないと。」
雄大が確認する。
「はい。自分の身は自分で守れます。
それに、周りの人が多いと、あたしの呪いが当たってしまうと大変ですから。」
「じゃあ、亜里香ちゃんを信じて、護衛はなしにしようか。
ただし、もし護衛がいないと危ないとなると、必ず護衛をつけるからね。」
「はい。ありがとうございます!」